はてなキーワード: ヒロインとは
個人的にこの事象がとても興味深いので時系列とともにまとめていきたいと思う
グラブルわからない方でもわかりやすいように書いているつもりだけど分かりづらかったらすまんやで
・今回はグランブルーファンタジー(AppStore 4+ ,Google 13歳以上の判定のソシャゲ)の出来事
・今回含めキャラとしては4パターンが出ているが今回以外の3パターンは露出少な目
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/21005
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/43871
https://グランブルーファンタジー.gamewith.jp/article/show/246402
年齢:12歳
身長:140cm
種族:クリスタリア ※増田注:とりあえずヒトガタをしているが人間ではない
好き :主人公、ルリア(※増田注:ヒロインの名前です)、透き通ったもの
苦手:大きな声で話す人
https://twitter.com/granbluefantasy/status/1659861526214483968
水で濡れ透けたワンピースを着て白鳥の浮かぶ森の水辺で果物を口にしそうなところ、というシチュエーション
今までほとんど露出のなかったキャラであるリリィがこのシチュエーションの絵で出てきたところで意見が割れ始める
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■肯定派
└えちえち!セクシー!
└今までと違って大人っぽくていい
└やりすぎだろ(喜)
■否定派
└生理的に無理
└上着着せてあげて
└これは…いろんな意味で大丈夫なの? ←※増田はこの意見でした
└やりすぎだろ(怒)
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https://twitter.com/granbluefantasy/status/1659861526214483968
のリプ欄を参照されたし
否定派の中から公式に今回のイラストに関しての意見の投書が始まる。
└その投書を行ったという人の中で、スクリーンショットつきのツイートを行ったあるユーザー名が 「【男性キャラV】股間」であったことから
一部肯定派からは「その名前でよくお気持ち表明できるな」などといった声が上がる。
(増田注:この【男性キャラV】は設定では成人男性で、よくネタキャラ枠としてブーメランパンツを履かされたりしてはいる)
■肯定派:
└嫌だったら他のスキンをかぶせればいいのでは(※グラブルには同一キャラの他のイラストを設定できる機能があります)
└解放前の絵のままで設定しておけばいいのでは
■否定派:
└解放前の絵の路線(※増田注:公式の左側のイラストのこと)で行ってほしかった
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「男性だけどこれはキツい」という意見もツイッター上では(増田は)それなりに見かけている。
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この投書を行っている人の多くが女性と思われるが、(この点に関しては明確なソースはないため推測となる)
さらにその中で自己が腐女子であるとアカウントの自己紹介欄に記載していたアカウントの中に
・過去に他の男性キャラ X/Y が露出気味の絵に興奮した旨のツイート
注:Xは元々変態背徳的な言動の成人キャラ、Yは最近グラブルにおける「ニンゲン」たちの文化に触れ始めた元ドラゴン
注:Zのイラストでもプライベートゾーンの露出はないものの、シチュエーション的には性的な香りもあるといえばある
以下のような意見が出始め、他キャラX,Y,Zが巻き込まれている
(X,Y,Zが気になる方は /水着ベリアル/ウィルナス 褌/コウ 解放絵/でそれぞれ検索するとイラストが見られます)
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・嫌ならグラブルやるな
↕
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そしてこのあたりから
・女をコンテンツに入れるとろくなことがない
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https://twitter.com/granbluefantasy/status/1660480605384224771?s=20
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シナリオ主人公のドロッセルが一緒に他の幼い女の子キャラたちと力を合わせて初めてできた友達を助ける的なほんわかシナリオで好評
このシナリオはで風リリィの立ち絵、また解放絵が1シーンだけ使われている
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※→の意見は増田の意見ではなく見かけた意見を基にしています。
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① じゃあなんでいままでのえっちな絵には言わなかったんだ?
→ 今まで言わなかっただけでそもそもグラブルの最近の露出傾向はきついと思っていた
※5/23 増田の補足:男性キャラの露出や関係性の強調に関しての苦言は以前から5chやまとめなどでは見かけている。これに関してはユーザー層の男性比率が高めだからと考えられる
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→いくら絵でも超えていい線とよくない線はある、今回のは一線を越えている
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③誰かが好きなものを燃やすのは自分に返ってくるのでやめたほうがいい
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ちょっと嫌だなと思ったことを同じコンテンツを見ている人がいるところ(特にツイッターなどの完全には匿名とは言い難い場所)で
マイナス意見を都度投稿するという行動は余程のツイート魔かつ人目を気にしないタイプの人でないとなさそうではあるので
前々から嫌だと思っていた人は潜在的にいたのではないだろうか。
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以下はこれを書いた増田の雑感であり、上記の経緯とは切り離してほしい。
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増田個人としては過去の絵も正直気持ち悪いと思うものは多数あるけど、今回のは本気でヤバいだろ…というスタンスです。
これに限った話ではないけど、攻略サイト見ていると出てくるエロ漫画やセクシー路線広告、BLエロマンガの広告なんかや、
唐突にツイッターで流れてくるセンシティブコンテンツは正直不快。自衛にも限界がある…。
あとじゃあエロはOKなのにグロはなんで線引きして隠してるのか?とか。あれも表現では?
一般的に子供に見せても問題ないと判断できるようなものでないとネットに載せるべきではないのでは?とは思っていますが
でも実際その線引きは難しい。
でもでもだからって見る側もいろいろな思想思念バックグラウンドのある人間なわけで。
どうしたらいいんだろうか。
とりあえず行く末を見守ってみようと思う。
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5/23 1:00 まずリリィについて整理・他にあった意見など に加筆・誤字などを修正
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本人はまだ自覚的でないにしても最終的な種としての目標は「こうしん部屋(海外翻訳では交尾部屋)」でパートナーと子供を増やす事
という設定があることも追加したほうがよくね?
https://twitter.com/summon628/status/1659168760643883010
こちらのことですね。
ゲーム内ではSRリリィのフェイトエピソード1「氷晶宮ご案内」で上記ツイートの表記が確認できます。
日本語版だと「こうしんの間」、英語版だと「propagation room(繁殖室)」 。
ただグラブルは主人公が男女選べますし、クリスタリアたちの繁殖方法については、私が確認できたゲーム内の記載範囲では詳細な描写はないためあえて記載はしていませんでした。
上記以外でこうしんの間や繁殖方法の詳細の公式ソースがあれば教えてください。
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https://gbf-wiki.com/index.php?%A5%EA%A5%EA%A5%A3%20%28SSR%29
などを参照ください。
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てかグラブルなんて相当前からエロ要素はあったのにいきなり「子供に見せても〜」とか一体どうした、そこまで思うならじゃあなんでお前はプレイしてたんだよ
私が始めたのは4年ほど前だったと記憶していますが、絵がきれいで好みの絵柄で、
ちょっとやってみたら話が面白かったので始めました。今もやっています。
この前闇古戦場やったばっかでもう光古戦場なのが辛いけどゼウスマンなのでなるべく頑張っています。
私が始めたころの2018-19年あたりでも既にセクシーなキャラは多くいましたよ。
モテモテ踊り子で主人公に怪しい雰囲気で迫ってくるアンスリアなど。
私はメーテラは特に大好きなキャラですし、最初から成人女性でセクシーな言動をしていればそういうキャラ付けとしてすんなり受け入れられています。
ただ今回は今までそんなそぶりもなかったリリィで、しかも今までのセクシーな絵より飛びぬけてセンシティブな絵だったから驚いたのです。
しかも今ならガチャページ開くだけで強制的にロリのセンシティブな絵を見せられる状態です。
あとなんだかんだで一番目にするのは戦闘中のSDキャラと敵のイラストなのでそこまでお色気は気にしないです。
この前の闇古戦場の尻お姉さん(名前忘れた)や火古戦場のおっぱいに杖挟んでるヘカテーはちょっと見すぎて食傷気味でしたけど。
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増田自身えっちな絵は好きです。でも見たくないときに見せられるエロは苦痛なんですよね。
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じゃあ男性向けエロはそんなに好きでない女ですと書いておいてください
「中立」ぶったところであなたの趣味嗜好や立ち位置次第で公平なまとめにならないので、それを第三者に判断させるための材料として必要です
うーん、中立なふり、じゃなくって、題材的にも中立的な立場で書かないと成立しない記事じゃないですかね?
今回のはイチ企業が12歳設定の少女を際どい書き方で4歳以上対象のゲームに出したという出来事の経緯ですし。
雑感以外の経緯のところにはできるだけ私情を挟まないように書いたつもりです。
では、ここで証明する手立てはないですが、女でもバリバリの男性向けエロ作家だとしたらどうなるのでしょうか…。
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wakuwakuojisan えちえち肌エプロンの時点で何か言ってなかったんだとすると本当に増田の趣味嗜好の話でしかないと思うので、自己を出さずにまとめに徹してた方が良かったと思うよ
成人男性キャラのふんどしも増田的には十分気持ち悪いです。雑感にもある通り、今までのもので私に苦手な描写は多々あります。特に男性キャラに多いです。経緯内のXYZの例の絵どれも苦手です。
でもそれは私に向けたものではないと思うので飲み込んでいます。
今回の絵は「12歳の設定キャラのプライベートパーツが露出しそうな際どい絵」なので趣味趣向の範疇を超えているのでは?と思いまとめています。
Appstore判定4+なので正直上記の内容全部やめてほしいとは思います。本当に4+に則った上でAppStoreに載せているなら企業としてそのようにちゃんと運営してほしいと考えます。
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お気持ちじゃん
そうです。雑感のところは私の考えを書いています。(経緯とは切り離して読んでほしいので、その旨追記しました)
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https://anond.hatelabo.jp/20230523180404
なんでベリアルウィルナスコウは追記でも頑なに伏せてるのにリリィメーテラナルメアアンスリアを一切伏せないのはなんでなんだぜ
経緯部分はグラブルをご存じない方でも読めるように他の固有名詞をなるべく取り払おうと思い固有名詞は避けました。
追記分に関しては具体例を出そうと思って固有名詞を出しましたが、
その記載方法から確かに経緯と統一性のない書き方になっていました。すみません。
コウはシチュエーションが、めちゃくちゃ気持ち悪いけどプライベートゾーンの露出はなかったと記憶しているので、
※プライベートソーンに関してはwikipediaなどを参照ください。口以外(男児は口と胸以外)の水着で隠れるところのことです。
でもオリジナル設定がもやもやした、私の知っているマリオはブルックリンに住む冴えないキノコ嫌いの青年じゃないし、家族達も知らん人ばかりで誰だよそれ、マリオが父親との折り合いの悪さに悩んでいるがこの設定いるか?
あとピーチの性格がよく見るタイプのアメリカ映画ヒロインそのもので、可愛いけど少し違う。
最後ブルックリンでクッパに勝って、親に認められてブルックリンのヒーローになっていたがいらんだろ。
ブルックリン関連は萎える要素なので、ここに尺を割いてほしくなかった、最初からキノコ王国住人でも普通に話作れただろう。
最後を見るにヨッシーを目玉に追加して2をやる気満々ぽいので仕方ないが、ヨッシーの活躍も見たかった。
あと音楽、ゲームからのアレンジが微妙にやり過ぎ感あった、もう少し原型を残してくれたほうがキタキター!って嬉しくなると思う。
昔ニコニコ動画で流行ったヒャダインのウエスタンショーを思い出した。
ひたすらネガティブに振り切れたサイコなチコも、僅かな出番で深い爪痕を残していくほど異彩を放っていて可愛いが、マリオギャラクシーやってないからしらんけどこんなキャラなの?
樽を投げるドンキーコング、猫マリオ、たぬきマリオ、アイスフラワーで戦うウエディングドレスのピーチ、ジャングル王国でどんどん組み上げられていくカートに、マリオカートでの派手なカーチェイス、臆病ながらやるときはやるルイージ、キノコ王国の移動手段になってるマリオの数々のギミック。
ここで十分映画代の元は取れた。
○ご飯
朝:なし。昼:ナポリタン。夜:ネギと人参と玉ねぎとカニカマと餅の鍋焼きうどん。梅干し。
○調子
○ 一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう
ウォーターフェニックス開発で販売はケムコからになる、短編ノベルゲーム。
プレイ時間的には2〜3時間程度と短いが壮大なストーリーが楽しめる面白い作品だった。
目覚めると何故か身体感覚が一才無くなってしまい食事をせずとも生き続けているが身動き一つとれない主人公と、突然死んでは生き返り死んでは生き返りを延々と繰り返す少女との出会い、交流が描かれる。
人類が行った愚かな行為によって地球は荒れ果て、生き残りは彼ら二名だけで、もうすでに文明と呼べるものは何一つない世界になっている。
少女が死を繰り返している理由は、なんと人間の愚かな行いによる哺乳類の死を再体験することでその罪を神に許して貰うためという設定が冒頭から開示される。
以降も神から与えられた贖罪の使命をこなす少女と、それをただ眺めて会話することしかできない主人公との価値観のすれ違いが物語を動かしていく。
この時点でかなりスケールの大きい話になるが、何分メイン登場人物の二人ともが死なない身体を持つため時間という意味でのスケールも壮大になっていく。
全ての哺乳類の死を体験するという膨大な使命を少しづつこなしていく内に、何故全ての生命が死に絶えたはずの世界に神と関係ない主人公がいるのか、本当に人間は誰一人いないのか、少女の使命はどんな結末を迎えるのかと、気になる要素の設定開示がハイテンポに行われていき、短いプレイ時間の中で大河的な壮大な価値観にふれることができる。
人の身では想像するのも難しいようで、ある意味では人の身だからこそ考えなければいけない、生きるということの根源的な意味、神との向き合い方、絶対に死が訪れるのにどうして生きるのかなどの問題に、死が訪れない二人故の答えが例え話でなく、こねくり回した表現でもなく、良い意味で伝わりやすいシンプルなものなのも印象深く面白かった。
そして、タイトルの「一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう」が万感の思いが込められたいろいろな感情が詰まったもので、所謂タイトル回収シーンは深く染み入る良きものだった。
そんな価値観を問う壮大なストーリーに魅力的な補助線を引いてくれるのがヒロインの少女の可愛さ。
こんな過酷な状況ながら無垢で愛らしいシーンが多く、彼女が少しずつ知識を身につけていき、感情に名前を付けていく。
この無知な少女が人間らしさを身に付けていくという筋道があり、このヒロインが可愛いからこそ、軸がブレずかつ娯楽作品としての楽しさも担保していた。
何も知らないただ神に命じられるままに使命をこなしていた彼女が自身の意思を少しずつ作っていくからこそ、神との対峙が魅力的になっていく。
アニメでは「親子の関係」みたいなのもテーマの一つで今流行の毒親要素も描かれている。
主人公の母親は主人公に対して優しい言葉をかける一見優しい母親で、
ヒロイン二人の父親はどちらも「子供の事なんて考えずに一方的に自分の考えを押し付ける」という、いかにもな高圧的毒親タイプ。
しかし話が進んでいくと、実は父親は物凄く不器用だったり一方的ながらも、彼らなりにヒロイン達の事を思っている一方で
主人公には優しかった筈の母親は、実は主人公の事なんて大事でも何でも無く(実の親子では無いらしい)
目的の為に「優しい母親」を演じているだけに過ぎない、という描写になった。
そして物語が進み、毒親だった筈の父親達は、ヒロインを命がけでかばったり、
かと思えばもう一方の父親はお互い知らないままヒロインと攻撃しあって、最終的にはヒロインに刺されて殺されるのに
死ぬ間際に「お前が、生きてて良かった…」みたいな事を言って
刺した事を責めないばかりか無事に生きている事を安心して死んでいくという
厳しい父親が実は子供の事を不器用に強く思っていて…という、ありがちながら古き良き父親像が描かれるのに対し
一方で母親は、主人公を相変わらず優しい言葉で洗脳し数人を犯させるという、サイコパス的な毒親に描かれて辛かった。
何がモヤモヤするかって、家庭を顧みず子供を押さえつけ支配しようとする父親」でも、実は子供の事を強く思っているのに
「ひたすら優しく前向きな言葉をかける母親」は、実は子供の事なんてなーんも考えてない冷酷な人、と描かれている事。
別に父親=悪!母親=善!というステレオタイプな親子の関係の描き方が必ずしも悪い訳では無いにしろ
それにしたって父親を良く描き母親を悪く描きすぎなんじゃね?って思った。
昨今のフェミニズムに対する反発やミソジニーを揶揄して描写している(そしてその否定も今後描かれる)
というのであれば、まだ納得いくんだけどね……今の所は正直あまり期待できない。
話の筋は面白いだけに、親子関係の描写についてはあまりにも紋切り型でモヤモヤというよりイライラする。
家父長制肯定?この辺りも最近のアンフェ事情に忖度とかしてんのかね…
まーアニメ自体が男中心の男性社会に合わせてるからかも知れないけどさ。
『男にとっては性欲が制御できず性犯罪に走る男と性欲はあるが制御してる男は明確に別の存在なんだけど、女にとっては性欲があるという時点で同じ存在に見えるのだと思う
だからこそ女作家の描く「良い男」は少年漫画であっても性欲が無いかのような描かれ方をする(炭治郎とか)』
https://twitter.com/MwhbiQJqWX5sE44/status/1659207480877142016?t=OVoZthh-Oe_Uv1q00HZ5zQ&s=19
というツイートがバズっていた。
落ち着いてジャンプの人気漫画の主人公を思い浮かべてほしい、孫悟空、ルフィ、デク、千空、虎杖、これらの男性漫画家の主人公たちは炭治郎以上に目立つような性欲は書かれていたか?
炭治郎は一応女の子にヒソヒソ話しされて鼻血を出す程度の性欲は描写されている。
性欲を書いても良さそうな大人キャラの両さんですら数々の巨乳美女に惚れられながら性欲描写は薄い。
多分性欲を描写すると、強力なストッパーが居ないとセックスになだれ込むから全年齢漫画では不都合なのだろう。
特に今はエッチな主人公のセックスを止める暴力ヒロインのような昭和ラブコメは不人気になってきている。
デンジは生育の悲惨さから心の動きを丁寧に描写され、性欲をキャラの根幹に据えた、あえて新しい主役作りをしている少年漫画主人公として特異なキャラだ。
脇にはサンジのような女好きのいい男キャラもいるが、それなら鬼滅にも善逸などがいる。
そしてラブコメで活躍していた女性漫画家の高橋留美子や河下水希などの男キャラは性欲が書かれていなかったか?
あと、女性作家が多い少女漫画は恋愛要素が強いから、恋愛なんだそれ主人公が多めな少年漫画より性欲のある男キャラは多い。
どれだけ漫画を知らないんだよ。
1人目
上映中ずっと前後に揺れてる。手を前に出すものだから、俺の視界の端にも入ってくる。揺れがひどいとその子の頭も視界に入ってくる。
2人目
定期的に声が出る。「ガッ」とか「ゲッ」とか。
たまに笑い声みたいなのも。
まぁ、そういう子らもいるよなと思いつつ、内心はしんどかった。
映画に集中したくてもできない。定期的に視界を塞がれ、奇声が聞こえる。
それでもなんとか我慢した。
でも、その映画のクライマックス、感動的なシーンでヒロインがセリフを言う時
「ギャーハハハ!」と笑い声が聞こえた。
本当にムカついた。
でも、まわりの人は何も言わなかったし、その子たちをどうにかすることはなかった。
まぁ、上映中にどうにかしたらそれ自体他の人の邪魔になるんだけど。
母親らしき人がうつむいて笑い声をあげた子の手を引き、その後ろを前後に揺れてた子がついていった。
その後ろ姿を見て悲しくなった。
難しいんだろうけど、そういう子らでも見れる別席みたいのあればいいのにな。
なぜ、選ばれなかったビアンカは独身を貫いたのか?その切ない理由を『ドラクエ』生みの親、堀井雄二氏が語る | インサイド
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.inside-games.jp/article/2023/05/16/145936.html
ビアンカがなんで独身を貫いたのかってプレイヤーに嫌なものを見せるために決まってるじゃん。
リメイクを重ねたことでみんなの記憶も塗り替えられてるんだけど、一番最初の5ではビアンカ選ばない奴は人でなしだから。
明白にそういう風に作られてる。
奴隷生活してた主人公にとっては数少ない子供時代の思い出と幸せの象徴でもあり
ビアンカ自身お母さん死んでお父さんも体壊してほぼ一人ぼっちの心細い身の上になってて
一方でフローラなんて父母健在で裕福で引く手あまたで主人公との間に特別絆もない。
奴隷時代のこと話したとしてフローラが何かわかってくれると思うか?ビアンカはきっとわかってくれる。
地元にはフローラを慕ってる特別な男までいて、この男が優男なりに本気でフローラの為に頑張れるやつで試練の為に重傷まで負う。
どういう角度から言ってもプレイヤーはビアンカを選ぶようになってるのよ。
フローラを選ぶのは「わざと有り得ない変な選択肢を選ぶ」に近い、しっくりこないルート。
そういう風にはっきり差がついてるのが元々の4の面白いとこだった。
フローラは「裏ルートだけど選べますよ」って言う自由さが面白いというか。
プレイヤーに嫌な思いをさせるためにきまってるじゃん。
「お前が有り得ないひねくれた選択肢を選んだ結果ビアンカは寂しいことになっていますよ」を見せてくれる、
そういうサービスであったに過ぎない。
だからフローラはプレイヤーが選ばなくてもさっさと優男と結婚して幸せそうにする。
ビアンカを選んだ時に「お前の選択は間違っていたんじゃないか?」というメッセージは一切現れない。
ずーっと抱かされながら歩んでいくのが元々の5のフローラルートの醍醐味。
「お前が選ばなかったせいで可哀想なことになってるビアンカ」の表現としての未婚
これはやっぱり大っぴらに言っちゃいけないことだし、
でも最初の5をやった人、
そして目配せをちゃんと読み取れる程度には鈍くない人、
更に何度も重ねられたリメイクにイメージ上書きされずに初期を覚えてる人なら、
堀井がビアンカ選ばなかったプレイヤーを刺し続けるために周辺のことをデザインしてた
あとは蛇足だけど
堀井はそれなりに「アップデート」する人だし同じままリメイクしてもしょうがないから
リメイクを重ねるにしたがって天空の花嫁をどんどん人間化していくとともに
フローラにも主人公との絆を追加したりおもろい人格を強化したりして
フローラを「捻くれ裏ルート」から「ビアンカと対等な花嫁候補」に変えていったんだよね。
だからリメイクしかやってない若い人は最初から対等なヒロインたちってイメージしか持たない。
その発展性の極みがデボラで、
「ビアンカよりもデボラのことほっとけない!」って思うプレイヤーが多発するようになっている。
で、選ばなかった場合は未婚を通してるの見せつけてプレイヤーに嫌がらせしてくるでしょ?
フローラとビアンカを対等に戻した次はデボラでまた刺してくるっていうことをやっている。
ビアンカはもう「選ばないと人でなし」という絶対ヒロインではなくなったから
DS版リメイクで選んだビアンカにこそ本当の自由意思によるビアンカ花嫁ルートと言う感動があるんだよ。
純然たる自由意思で選んだビアンカこそが俺達が最後の最後に手に入れた本物のビアンカだったってわけ。
・ヒロインA
三つ編みメガネっ子で陰気な性質。身長が主人公より高い。読書家で熱中すると夕飯も食べずお風呂にも入らず徹夜で続けてしまい、そのまま登校することもある。
・ヒロインB
ショートカットの人懐っこい子。身長が主人公より高い。運動が大好きで朝からランニングしてシャワーを浴びずに登校することがある。
・ヒロインC
学生という身分に重きを置かず郊外で精力的にビジネスの活動をしている年齢は同じだけど精神は大人な子。身長が主人公より高い。ビジネスを通じて実現したい夢があるため日夜頑張っており出席日数の都合で仕方なく登校する際にはお風呂に入らずに来ることが多い。
・ヒロインD
女性同性愛者なので主人公に決して絶対になびかない、彼女のシナリオだけ構成が特殊で主人公と恋愛関係になることはない。身長が主人公より高い。特に理由はないがお風呂に入らずに登校する。
・ヒロインE
幼馴染系正ヒロイン。主人公より身長が高い。主人公のことが最初から好きで彼のために綺麗に見せようと毎日お風呂に入り清潔にしていると一般常識では考えられるがそれはそれとしてお風呂に入らない。
・ヒロインF
可愛くてごめんのキャラはアニメ「ヒロインたるもの!」などの登場人物だ。
そして、あの曲やMVはそのアニメの非常に大きなネタバレになっている。まどかマギカのマミや「止まるんじゃねぇぞ」並のネタバレ状態で流行っている。
MV内であのキャラは地雷系の格好と眼鏡の制服の格好をしているが、アニメ内ではずっとその2人が別人として描かれていて、同一人物だと判明するのは全12話中の11話目だ。
あなたがMVを見たことがなく眼鏡の制服姿を知らなかったとしても、あの地雷系のキャラがあの声だと知った時点でネタバレになる。
これは「時のオカリナのネタバレをみんなスマブラで知っている」状態に近いが、ネタバレのストーリー上の深刻度はヒロインたるものの方が大きい。ネタバレのストーリー上の深刻度は「猿の惑星やシックスセンス > ヒロインたるもの > 時のオカリナ」である。
ヒロインたるものは男アイドルのアニメで、女子向けであり対象年齢は深夜アニメとしては低めだと思う。深夜アニメは中年以上も見るものなので。
主人公はあか抜けない女子で、よりもいのキマリのような少女アニメの主役らしいキャラだ。
その子は陸上の選手で、陸上をするために一人暮らしをしながら高校に入る。
クラスメイトにはアイドルをやっている男2人がいて、同級生からも大人気なのだが、主人公は一人暮らしで金もなく流れでその男2人のマネージャーをすることになってしまう。
男アイドルの同級生の女子がマネージャーをしていると判明すると大騒ぎになるので、みんなには秘密の仕事となる。学校でも男2人と会話しているのを見られないようにしたりだ。
主人公は、勉強・陸上の部活・一人暮らし・マネージャーという不可能な生活をはわわーとこなしながら、オフでも男アイドルと関わっていく。なお、恋愛感情は全くない。
肝心の可愛くてごめんのキャラは、主人公の友達である。といっても眼鏡の形態の方だけだ。
主人公には、眼鏡の友達とギャルっぽい友達がいる。どちらもキャラ強めでEDも主人公と一緒に3人で歌っているが、その割にアニメ内の陸上や男アイドルの部分に終盤までほとんど関わってこない。陸上のシーンも結構多いアニメなので、2人とも異物感がかなり強い。
地雷系形態の方は何なのかというと、男アイドル2人のファンでありライブに頻繁にやってくる。
地雷系形態には終盤までセリフが一切ない。というか、あの声なのでセリフがあったら眼鏡と同一人物だとすぐバレてしまう。
しかし、アニメのモブは普通シンプルな見た目をしているので、濃いメイクをした地雷系はとてもよく目立つ。地雷系はモブでも視聴者がキャラを識別でき、一部ネットだと冬優子(服装が似ている別のゲームのキャラの名前)とあだ名を付けられていた。
あと地雷系はなぜかOPにもいる。OPでは別の格好をしているので自分はしばらく気づかなかったが、眼鏡なしのメイクをした状態でそこそこ大きく写っていた。
9話の中盤で、主人公と男アイドル2人が一緒にいる写真を校内に張り出され、秘密がバレてしまう。
主人公が男アイドルの彼女だとみんなから勘違いされ、責められたり嫌がらせを受ける。それでも友達のギャルと眼鏡は主人公の味方だ。
11話の冒頭で、いままでモブだった地雷系のシーンが突然入る。
そのシーンで、地雷系は眼鏡と同一人物であり、男アイドルに貢ぐためメイド喫茶でキャラを作って萌え萌えキュンと稼ぎまくっていると視聴者目線で判明する。
その後、眼鏡は主人公を無視するが、主人公は眼鏡がそんなことをした理由を聞きたくて会話しようとする。
主人公が付きまとうものだから、結局、汚い口調での喧嘩になる。眼鏡の主張は「私は我慢してるのにお前は男アイドルと距離近い」とかだ。そんなこんなで盛り上がり、最終的に殴り合いになる。殴りかかった主人公の顔にカウンターで眼鏡の右ストレートが決まって主人公は気絶し、正気に戻った眼鏡がそれを介抱して仲直りする。そんなお話だ。よくあんなことしたやつと仲直りしたな。
このあたりの流れは3分半のMVを見ればおおむねわかる。タイパの時代だ。なお、喧嘩のシーンはアニメではMVよりも少し深刻になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jb6AHqi0MbE
あと、このキャラが「自分が稼いだ金をアイドルに貢いでも説教される筋合いない」のようなことを歌っている曲もあるようだ。YouTubeのコメントを見るとファンが共感していることを確認できる。
https://www.youtube.com/watch?v=-m06qeRZbZM
自分はたまたまアニメを知っていただけなので、あの曲の存在と流行を知ったときはびっくりした。千鳥なら「ちょとまてぇ」と言ってしばらくいじるレベルである。千鳥はデニムの制作者に激怒されていたが、この記事もネタバレしまくっているので制作者に激怒されるかもしれない。でもみんなマミをネタにしまくっていたし、きっと平気だろう。届きませんね、そのリプライ。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
沈黙の艦隊実写化、速水貴子役に水川あさみと発表され荒れている。
ポリコレ以外に性別変更する理由はある?と言っている人を見たので、それは山ほどあると言いたい。
当時は漫画の地位が低く、漫画実写化では原作レイプしまくられていたので、異常に若く見える美少女の母親がヒロインのラブコメ八神君の家庭の事情で、高校生の母親として年相応の女優が演じていたり、オリキャラぶっ込まれたり、原作の根幹からぶっ壊すとんでもない原作レイプが横行しており、当然キャラの女体化も横行していた。
私も原作レイプに涙を流すだけのオタクだったので理由はわからないが、この女優を使いたい、女キャラ増やして華やかにしたい、女キャラにして恋愛要素ぶっ込みたいなど事情は多々あるのだろうと思う。
ほったゆみのネームは夫婦共同で作業してたらしいけど、それが良かったんだろうな。
女性作者特有の悪いところも男性作者特有の悪いところも出てない気がする。
佐為は言わずもがなだし、アキラも中身は獰猛だけど見た目が中性的でバランスが取れている。
ヒカルは初期はあかりに「女のくせに」発言をしていて、今の時代なら叩かれそうな言動もしているが、作品後半では囲碁に骨抜きにされていて精神的去勢されているように見える。小6の初期の方がまだあかりを意識していた。
あかりはヒカルが好きな女の子だが、恋愛脳ではないヒロイン。院生になった後囲碁部に来ようとするヒカルに「来ないで」と言える子なんだよね。恋愛感情よりも、ちゃんと今の自分の居場所や仲間を守ることを優先している。そういう意味で、かなり脇役のヒロインであるのに、主人公の付属物の女にはならない魅力がある。この時代特有のジャンプヒロインアンチもあかりにはほとんどいなかったように思う。ヒロインアンチが大量発生するのって、若い男性漫画家に女性を描くのは下手な人が多かったからだと思う結局。
なろうアニメの「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」が好きだ
「真の仲間」で略されることが多い
追放ものの元祖だそうだ。チート付与魔術師みたいに隠れた実力がある系でなく、
本当に最前線の戦いには戦力不足でついていけないが、人の少ない田舎では無双でイキれるぐらいの(実際イキり倒す)実力の主人公が、
あまり有名ではない
同時期に高品質作画アニメは多数送り出されており、なろう系も幾つも放映されていた
ファンタジーなら無職転生や王様ランキングを見てた人が多いはず
ニコニコでもyoutubeでも関連動画はほとんどない。アニメ感想サイトを漁っても実況参加者は少ない
一方で海外ではそれなりに高評価だったようで、youtubeの主題歌動画には海外コメントがそこそこついている
アニメ二期も決定した
説明が長くなったが俺はこのアニメが大好きで、配信で繰り返し何度も見直している
円盤ももちろん買い、先週も何度目か忘れたが全13話を通しで視聴した
誰にも同意されないだろうが構成と演出が神がかっていて見直すたび考察してしまう
おでん屋台の回はファンタジー世界ならではの漆黒の闇と屋台の赤ちょうちんの図を見るたび
「この緊張と弛緩の混ざり合った演出をどうやったら作れるんだ。アニメ実作者でもアニメ評論家でも誰でもいい、金を払うから解説してくれ」と唸っている
先週も蜂蜜酒の回で新たな発見をして「ウテナか!」と唸ってしまった
本題に戻ると、先週、新しい発見があった
「ふらせら」という、20年前に出たギャルゲーのコミカライズ作品で
こちらも解説すると無限に長くなるので端折るが、両作品の共通点は
・主人公たちは戦争の前線で戦っていたが、慮外のトラブルで脱落
・戦争の気配など全く感じない、自然いっぱいの辺境でスローライフを満喫する
となる
「主人公は美少女とじゃれあっててスローライフを満喫している」一方で、「戦争は全く終わってない」点だと思う
戦えるけど戦わない
積極的ではない、結果としての形で前線逃亡したのだが、そんなことは気にせず田舎暮らしを最高に楽しんでいるのが大事なのだ
主人公の周囲では、使命感にかられて参戦を志すもの、主人公に戦線復帰を促すものがいて、戦争を忘れさせてくれない
現代はメディアによって地球の裏で起きていることを臨場感あふれる映像で知ることができる。というより半強制的に知らされさえする
同じ日本の中で起きている犯罪的な虐待や差別を知らなくても、ウクライナの戦争は知っている
なんなら日本社会の身近で起きていることから目を逸らされるために海外の虐殺や差別、戦争報道が溢れかえっているのかもしれない、とすら思える
しかも、その戦争や残酷なジェノサイドは自分たちに全く無関係というわけでもないと、なぜか知らされてしまう
ウイグル民族の弾圧とユニクロの衣服は結び付けられて日常の場に入り込んでくるし、
ウクライナ戦争は「核弾頭が厚木基地や横田基地に打ち込まれるかもしれない」という切実さと結びついて、
「俺たちの日常を維持したいからウクライナ人だけでロシアと戦ってくれ」というジクジクした地続き感を抱えながらニュースを眺める羽目になる
水木しげるが前線から半ば離脱して南の島の楽園暮らしに至ったときは、左腕を失う負傷があったし、
なにより日本のアメリカとの戦争は「お役所仕事でズルズルと開始してしまった、やらなくてもいい無駄な公共事業~太平洋戦争~」だった
だからサボタージュに正当性を見出しえたし、戦後の反戦が強く共感を得られたように、
徴兵で駆り出された者の南の島での戦線離脱に責任感云々を見出す必要もなかった
こんなジクジクした気分から解放されたくて日本国家と一体化したい人たちが出てきてしまうのは理解できる
残念ながら自分は国家と一体化して何かやってる精神状態にはなれない
遠くにある、手出しすることも出来なくはない(実際に行動している人たちも大勢いる)戦争を、まるきり無関係と切り捨てることもできないまま傍観し、
さておきと、自分の生活のために働いて、マンガとアニメとゲームと動画視聴で怠惰に時間を過ごし、
その怠惰さを時おり責められ、ヘラヘラとやり過ごし、改めて怠惰に身をうずめておきたい
この記事のタイトルを見てこのページを開いた人達の中で、同じ気持ちの人は何人いるのだろう。
新作が発売されて間もないこの時期、水を差すようで申し訳ないとは思うが、文章として残しておきたかったので書いておく。
新作のネタバレがあるので注意してください。
私はゼルダの伝説というゲームが好きだ。昔から大好きだ。テンプレのように時のオカリナからハマり、過去作も新作もずっと遊び続けた。
おなじみのキャラクターが出ても同じようなギミックやアイテムが出ても古臭さや飽きを感じさせず、常に新しさを感じてきた良いタイトルだ。子どもの頃から遊んで、大人になった今でも夢中になれるほど好きなゲームだ。本当に大好きだ。
ゼルダの伝説のキャラクターは、本作を遊んだことが無い人でも名前ぐらいは知っているぐらい有名だと思う。主人公のリンクとヒロインのゼルダ姫。この二人は毎度違う人物だったり前作と同一人物だったり様々だけれど、だいたいの関係性は変わらない。いつだって二人は「勇者」と「姫」だ。
ゼルダ姫というキャラクターは最初のシリーズでは登場回数も少なく、メインカラクターにしてはやや影が薄かった。だけど気にしたことがなかった。だってプレイヤーの中で「ゼルダ姫」というキャラクターは特別なのだ、そう簡単に会えるものでもないと子どもながらに思っていたし、大人になった今でもその考えは変わらない。
スマブラの影響もあり、私の中でゼルダ姫=時のオカリナのイメージが強かった。そんな中で、風のタクトが発売された。ゼルダ姫のイメージが今までとがらっと変わり、衝撃を受けた。だけど、すんなりとい受け入れられた。だって彼女は性格や人間性が違ったとしても、「特別なゼルダ姫」だったからだ。
重要な時に現れ、リンクを導き、そして一緒に魔王を倒す。王道なすストーリーの中で、ゼルダ姫は物語のヒロインとして輝いていた。
その後も様々なタイトルが発売され、スカイウォードソードが発売された。これも風のタクトの時と同様に衝撃を受けた。だって、今まで特別な存在だったゼルダ姫が姫ではないどころか、序盤から会えるどころがリンクとは既にとても深い関係にあったからだ。
スカイウォードソードのゼルダは新しい存在であったが、愛らしい容姿と一途にリンクを想う姿がまさにヒロインで、すぐに大好きになった。今まで物語のヒロインであったゼルダが、今度はリンクのヒロインになった。姫ではないけれど、やはり特別な存在であることに変わりわなかった。
そしてスカイウォードソードからはゼルダという人物にスポットが当てられることが増えたように感じた。でも、そうなるのも分かる。だってヒロインだし、可愛いのだ。今まで影が薄かった方がむしろおかしいのだ。そう思った。今までリンクとゼルダ姫の関係性に恋愛の様な進展があることはなかったが、きっとこの二人は結ばれたのだろう。リンクのゼルダを救おうとする必死な姿を見て、そう思えた。
2017年3月3日、待望の新作「ブレス オブ ザ ワイルド」が発売された。
ブレワイを発売初日に遊ぶために死に物狂いでSwitchとゲームソフトを予約し、一日中遊び続けた。今までには新しい遊びがたくさん詰め込まれたゲームだった。
はじめは声だけだった姫だが、リンクが記憶を取り戻すごとに彼女がどんな人間だったのかを垣間見ることが出来た。どれだけ修行を積んでも力が目覚めず苦悩する姿、リンクへのコンプレックス…と、今までのゼルダ姫とは明らかに違う人物だった。
それから徐々に感じるようになった。彼女は、本当に「ゼルダ姫」なのか、と。
少しでも皆の役に立つため努力しているけれど報われない、「かわいそうな」ヒロインだった。こういう女性の姿を見た時、多くの人間は「守りたい」と感じるのだろう。だけど、私はそうは思えなかった。むしろ、勤勉な設定なのにどうして役に立つことを物語中なにも行う描写がないのだろう、と。
頑張る姿はこれでもかという程描かれているのに、それが報われるのはリンクの死の間際と物語のラストだけ。いくら「ゼルダはすごい人だ」と言われても、納得が出来なかった。
私は、このゲームを通して「ゼルダ姫という愛されるべきキャラクター」を押し付けられている。そう感じてしまった。
ブレワイのゼルダ姫はリンクを守ってくれない、アドバイスをして導いてくれない、ただひたすら遠くから神秘的な声を一方的に送られるだけだ。役に立つ重要なアイテムをくれたりもしない。光の弓矢だって、使えるのはラスボスだけだ。大事な場面だけ登場して、ガノンを封印するという美味しいシーンだけ持っていく。彼女は気持ちを押し付けるだけ押し付けてきて、こちらの考えは聞いてくれない。一体どうして、そんな彼女を愛せることができるのだろうか。100年の間、ひたすらリンクを待ってくれていたと言うけれど、誰が待っていてくれと頼んだのか。勝手に待ち続けて、勝手に満足しているのではないだろうか。
良くも悪くも、彼女はリンクという人間に依存し過ぎている。だけどリンクが彼女のそばにいるのは、彼女が好きだからではない。リンクが勇者で、騎士だったから。それだけだ。ゼルダの中でリンクという存在は大きいだろうが、リンクの中でゼルダという存在は比例していない。証拠も何もないけれど、少なくとも私はそう感じた。ゼルダを助けたいという気持ちを、リンクからは何一つ感じなかったからだ。
思い出を辿っていく中で、リンクの記憶のはずなのゼルダ姫目線のものばかりなのも気になった。捏造された記憶を見せつけられているのではないか、と思うぐらい。
だけど、ゲームはとんでもなく面白かった。ゼルダ姫という人間は理解できなかったが、それでもゲームをクリアできたのは彼女の姿も名前も、ほぼ記憶の中と終盤しか出てこなかったからだ。
そしてついに、ティアーズ オブ ザ キングダムが発売された。
プレイ前から、嫌な予感はしていた。ゼルダ姫という人間のゴリ押しをひしひしと感じたからだ。だけれど、ゲームはやはり面白い。空島だけで夢中になってしまっていた。そして始まった、怒涛の「ゼルダの伝説」のムービーが。
どのムービーもゼルダ姫、地上のモブキャラクターの口からもゼルダ姫、他のメインキャラクターと会話してもゼルダ姫。どこを見てもゼルダゼルダゼルダの嵐だった。
いずれ訪れる未来を救いたいと、自ら龍になりマスターソードを癒し、リンクを待つゼルダ姫。それはもう感動のシーンなのだろう。私以外の人間にとっては。
龍の泪のストーリーを終え、涙が散り地上絵になった瞬間に悟った。ああ私、このキャラクターが嫌いなんだ、と。
どうして、こんなことをする前にもっとリンクの為に力になるシーンが無かったのだろう。どうして、おいしいところだけ持っていこうとするのだろう。どうして、頼んでもいないことを勝手にやって勝手に泣いて、勝手に全てをリンクに押し付けてくるのだろう、と。
このゼルダ姫の中で、きっと「私の憧れるリンク」という存在がある。そのリンクは、プレイヤーが操作しているリンクとは違う。彼女は頭の中のリンクに依存し、そして自分の思い描く完璧なストーリーを辿ってくれると信じて疑わない。だから押し付けてくるのだ、なにもかも。
ブレス オブ ザ ワイルドもティアーズ オブ ザ キングダムも、本当に素晴らしいゲームだ。だけどたった一人「ゼルダ姫」という存在の為に、手放しにこのゲームを大好きだと言えなくなってしまった。ムービーの度に現れる姿にもテキストの中で名前が出てくるだけど辛くなり、ゲームが出来なくなってしまった。どうしてこうなってしまったのだろう。私はもう、このゲームを好きだと言える資格を持っていない。
唯一の救いは、2作も出したのだからきっともうブレワイの系譜の続編は作らないだろうということだ。新しいハイラルで、新しいリンクとゼルダ姫を見守りたい。一刻も早く、そうなってほしい。