はてなキーワード: デイサービスとは
5歳で発達障害の診断。
当時の検査結果では、一部100を下回る状態で総合評価がIQ110台。
9歳になったので、4年もあいたのでまた検査しておきましょうか、といわれ検査した結果が結構高くて、IQ144と。
一番低いものでも116あって、すべてが前回の検査を上回っていた。
IQ135を超えるとギフテッドと呼ばれる領域だということで、息子にこれからどう対応していけばいいのか、困惑している母親です。
相変わらずデコボコはある(高いものと低いもので30以上の差)ので、今受けている公的なサポート(公立小学校で通級指導、放課後デイサービスで言語指導や運動指導←運動苦手)は継続して受けさせていただくつもり。
なかなか、知能が高い子だとは思ってはいたけど、
以前の数字を信用していたので、まずまずでしょう。と思っていた程度でした。
でも、今回の数字は、ちょっと真面目に今後を考えた方がいい領域かな、と。
小中で、親にこういう事して欲しかった(して欲しくなかった)、などあれば教えてほしいです。
地方在住なのと、一人っ子ではないので経済的にも都市部の有名私立中を目指すことはすでに難しく。
(都市部なら、偏差値の高い私立中目指すのが一番無難で平和だとは理解してますが)
今のところ、好きなことは睡眠と小学校優先で最大限取り組んでもいい状況にはしているけど(特性上、好きなことは自ら停止できないので、放っておいたら6歳ぐらいでも12時過ぎてもやってた。当時はレゴ。今はプログラミングにハマっている)、それぐらいでいいのだろうか。
悩ましい。
息子の傾向や、今すでに取り組んでいることなど、こちらに追記を書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20170516165447
本を注文しました報告
https://anond.hatelabo.jp/20170726094325
平日週五で大学に通っている。一緒に住んでいる祖母は脳梗塞を一度患い、
言語に障害がある状態で比較的ボケてはいなかったのだけどボケも始まってきている。
一緒に住み始めてのころは買い物行ってきてーと言われて行ったりしてたんだけど、
しばらくして、ベッドから二・三歩のトイレまで歩けなくなり転倒をするほど悪化した。
体に異常があるのではなくて、日常的な運動が少なくて再発すると医師に言われたので、
家族でデイサービスを探して週五回(平日5日)運動するようにしようとみんなで決めた。
ただ、やはり週五回のリハビリは自由がかなりなくなってしまうので本人はかなり苦痛らしくしばしば休んでいた。
それでもなんとか週四回ぐらい行くように話をしていたし、退院してから治らないと嘆いているのを見ていられなくて、
本人は嫌がったんだけど良くならないと嘆いていたデイサービスのほうで
初めて下肢筋力がついてきたと報告されて効果が出始めたんだな…と思っていたし、本人にもそう話してはいた。
ただ、リハビリとデイサービスをこなすのは相当しんどいようでものすごい暴言を言われてしまった。
効果が出れば少しでも減らせると思ったのだが、話しても伝わらなくなっていった。
その後、言われたことに耐えられなくなってしまったので実家に戻った。
一ヶ月ほど自分が家を空けたがその時は週三回しか行かなかったみたいだった。
帰れと繰り返し言われたので、帰るからと言って準備をし、
これ以上はお互いのためにならないから一旦帰るねと冷静に伝えたが、
さっさと帰れという素振りを見せるだけで話を聞いてはくれなかった。
その後に母とデイサービスの視察にまた行き、細かくどれくらいの距離をやってるのかを記録して欲しいとお願いしにいったり、
風呂が狭くて嫌だと聞いていたので別の所に行けないか?と自分と母とケアマネージャーと話をしたりした。
その間も、しばらく帰らない方がお互いの関係のためでもあるし、自分の体は自分が一番わかっていて管理ができているというのが口癖だったので
しばらく経過を見ておこうと思っていたので二週間ほど戻らなかった。
その後、母と一緒に祖母の元に行く機会があったのだけど早く戻っておいでと言われた。
その時に、以前の暴言を言われたことを忘れられないのでもうしばらく戻らないと一度断ったが、
その時にお互いに尊重しよう、酷いことお互いに言わないようにしよう、週4回とりあえず行って少しずつ減らしていこうと話をした。
お互い納得の上生活してたんだけど、自分の大学が始まってバタバタし始めた。
帰ってきて行ってるかどうか忙しくて聞けなかった。
月曜日は行ったのだけど、こけてあざができたらしく火曜日、水曜日と休んでいたので
木曜日は行くように話をした。しかし、デイサービスの人が迎えに来なかった。
ヒステリックになりながら何故かわからないわたしが知りたいと言ったのだけど後々調べてみると
こけてあざができたから今週は行かないと電話をしていたというのを後で聞いた。
今まで、祖母に寝たきりになって欲しくないし、入院の時はずっと弱気なことを言っていたので入院もしないようにと思ってきた。
(血尿は入院していたときに一度だけで二度病院に車に乗せて行っている。
腎臓の石は年による小さいのがたくさんあって、直ちに問題はないとのことだった。)
と言って休み、それを言うとお前たちに言われたくないやここを往復している(狭い家の中を数回)と言うだけで全く聞いてくれなかった。
困り果てていたのですが、衰えを実感したのか話を聞いてくれる傾向が出てきていた。
そこで話をして母とも連携し、お風呂を変える、ヘルパー(家事をやってくれる家政婦さん)を週一回呼ぶという話が進み始めた。
その矢先に気が大きくなったのか私のことをグチグチと言ったり、行かないと駄目だよという言葉に反論しだしたりして正直困り果てている。
祖母に負担が大きいのは理解しようと努めていますし、大学にも毎日通っている。しかし、落ち着いてから仕事をしようと考えていても
仕事をしないことをなじられたりすることに関してはやはり納得が行かない。
効果がないとデイサービスに関して文句を私に言うのですが、その割には他のデイサービスの体験や話を熱心に聞いたりもせずなのでこちらも
母はもう言わなくていいよ。自分がしんどいことと嫌われる役をやるからと言ってくれるのですが一緒に食事する際にずっと愚痴を聞かされてしまい
リハビリに行かないのでどうしても話をせざるを得ない状況が続いている。
どうしたらうまくやっていけるでしょうか。正直2日に一回ほど1時間話をしたりして疲弊しています。
言ってもわからないので入院して歩行が回復してから戻ってきてもらうのが最善策なのかなとも思っています。
アドバイスを頂けると嬉しいです。
もう見てる方いないとは思いますがコメントとブックマークありがとうございました。
しんどいなと感じていたので助かりました。
親に任せて親の愚痴を聞いてあげるのがベストだね → はい。言葉はきついですが言ってることは正論だなぁと。
最善策 → 自分は母と意見交換しますが自分の意見が100%通るわけでも何でもないので勝手に思ってるだけですね。
親が無能 → 自分よりはるかに立ち回りと関係性作りがうまく、自分とは考えのプロセスなども違うので正直ものすごく尊敬しています。
後々、母の言葉を思い返してみると祖母との関係などに関しても適切な視点と対処策打ってるので自分とは比較にならないです。
まだ中学生の兄弟と関係が冷え込んだ父がいるので少しでも母の力になれたらいいなと思ったのですが、
自分が何かしても力になれないどころかこじれさせてしまうだけかもしれません。
悪化した時点で気づいてあげるべきだった → 本当にそのとおりなのですが、悪化し始めたときに気づくのって難しいと思うんですよね。
自分は専門家でもないですし、祖母の病気も全ては把握できていませんでしたし。
80代とうまくやっていける大学生の方が普通じゃねーわ 生きた時代が違いすぎるやん → ほんとにそうなんですよね。話題が乏しくなって愚痴を言ってたのかなぁとも考えています。
id:aoi-sora ありがとうございます。認めてもらえたのは率直にありがたいなと。
普通免許が役に立つ職業ということで生協のドライバー求人に応募をした。
応募を出したのは夜で、翌日朝には面接日を決める電話が入り、その次の日に面接だった。
事務所の来客室には配送エリアの大きな地図が貼られており、そこには「ここは駐車禁止!」や「駐車による苦情あり。注意!」のほか
「このお宅には二度と勧誘に来るなと怒られました」などの注意書きが書き込んであり、配送業界の裏側を見た気がして面白かった。
配送センター長の話では基本給は18万円ほど。それにプラスされる形で一日の配送が60件を超えたら、超えた数によってインセンティブが発生。
勤務時間は7時の荷物積み込みから始まり、終わりは19時頃。配達自体は早い人で14時には終わるが、配送が終わっても事務作業があり
そこで時間がかかるらしい。
私の家庭事情を考えると、18時に帰りたいのであれば恐らく配送は60件を超えず基本給のみの支給になると言われた。
安くても子供との時間を取るか、配達件数を稼いで収入アップを目指すか貴方次第。ドライバーは常に不足しているのですぐに入社できると。
「すぐに入社できる」という言葉に心が揺れた。しかし当分は給与は低いままだろう。
「もしドライバーを目指すならもう一度連絡を下さい。二次面接に移ります」と言われ配送センターを後にした。
デザイナーを辞めるのであれば色々な業種の話を聞き、働きたいと思える職種に就こうと、キーワードに「無資格」を入れ求人を見てまわる。
次に気になったのは浄水プラントの管理業務。未経験でも働く事が出来、経験年数に応じて資格を得ることも可能だという。
私の電話に出てくれた採用担当の方はとても良い方で、40代・未経験・無資格の私の質問に親切に答えてくれた。
ただ24時間管理という業務上、どうしても夜勤が発生するという。
1日目 9-18時、2日目 18-9時、3日目は休みというサイクルで回して行くとのこと。
土曜・日曜、正月も関係ない、水が止まったら皆さん困ってしまいますからね、このサイクルは厳守です。それでも良ければ是非と。
そして電気工事士。
ここも未経験・無資格な者でも受け入れてくれる会社が多い業種だった。
休みは日曜のみ。給与は無資格者は18万ほど。夜間の作業もあるし遠方・高所の作業もある。
現場が遠い場合は早朝に集合し会社に戻ってくるのは夜になるという。
こちらはメーカー専門のメンテナンス員と「どのメーカーでもメンテします」という独立系との2つに分かれる。
無資格の私が勤められるのは独立系の会社。入社したら3か月は座学や社内にある実機演習で知識を詰め込み、後は先輩に同行しお手伝い。
働く場所は屋内とはいえ危険な作業なので、知識も経験もない者はエレベーター内に入る事すら許されないという。
資格が取得できる経験年数は6年。資格を持っていなくてもメンテは出来るが、試験に合格すれば独立し個人事業主として人を雇える立場になるらしい。
6年後だとほぼ50歳ではあるが、体が動く限り現場の仕事は出来るので一生ものの技術と言っていた。
資格を持つ人の数は6万人ぐらい。その中で今でも現場で働いている人数は4万人ほど。この人数で日本中のエレベーターを管理しているので
ただデパートのエレベーターメンテなど、閉店から翌朝までに作業しないといけないので夜中の招集もあり得るし、
大きな災害時は避難よりも復旧を優先せざるを得ないので現場に向かわなければならない。
面接の方は「私も子供がいるから解るけど、危険だし災害時に家族の元へ帰れないし、自分が父子家庭だったら選ばない仕事だね」と正直に言ってくれた。
そして常に人材が不足しており、無資格でも資格取得のスクール代を出してくれる売り手市場鉄板の介護業務。
最短でひと月程度の期間で取得できる初任者研修さえ取れば、即働く事の出来る、最後はここ頼みになる業種。
高齢者施設からデイサービスまで勤務場所は幅広く、施設の夜勤で稼ぐことも出来れば、日勤のみのデイサービスで規則正しい働き方も出来る。
現場で経験を積むことにより、これからも増えるであろう施設の管理者やセンター長、ケアマネージャーなどのキャリアアップも確実に用意されている。
高齢者が高齢者を介護する時代はもうすぐと言われているが、これも体が元気であれば60過ぎでも働ける業種だ。
デザイナー以外の業種で私が働く事の出来そうなものはこんな感じだった。
次回は何となくだが敬遠してしまっていた、ハローワークへ通うの回。
そこでも色々は発見があった。
田舎の家に生まれ、高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。
自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身の人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。
祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、
母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。
高校卒業後、東京の美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車で毎日のように痴漢に遭いまくって、
乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷。
卒業後、ファッションビルの雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。
恐らくこの頃にライブハウスか飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。
父の家は観光地で食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働。
父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活。
父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金。
父方祖父がアル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、
営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。
父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父の引退には間に合った。
その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味の楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚。
大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。
母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎の祖父があちこちガンになって手術連打。
車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷。
祖父は帰郷後一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。
飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営のデイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職。
何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設の食事を業者に委託することになったため突然クビを切られる。
見かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設の介護職へ転職、介護福祉士やケアマネージャーの資格を取りながら何年か働くが、
町の規定で契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設へ転職。
同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。
離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、
祖母が利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。
散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー。
家族経営だった小規模施設でサービス残業や持ち帰り仕事が増え、
さらに利用者のクレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。
ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスにパートの介護員として就職。
真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護員パートが数名いる中、母のみ対象外となる。
理由は制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度の年齢制限に引っ掛かってしまうため。
母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。
この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの。
持ち家一人暮らしとはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金は空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。
祖母は、例えば、取り分けしやすいように食卓に並んだ食器のレイアウト変更を試みたり、
デイサービスの車が来る15分前に自宅外で待っていたり、気配りを欠かさない人だ。
しかし、本当に大きく周囲への気配りにつながる、補聴器の導入には決して首を縦に振ろうとはしない。
食器のレイアウト変更にしろ、15分前待機にしろ、何度「しなくてもいいですよ」と言われても、
まだ比較的軽めだと思われる認知症の影響からか、行動の変化は見られない。
祖母の気配りは、要は、自分の思い通りにしたいということが表れているのだと俺は思っている。
父方祖母ということもあり、
介護の為ではなく自分の都合で早期退職し、現在、在宅ワークをしている父が主に面倒を見ているのだが、
父と祖母のやり取りを見ているだけで、介護の重労働さは十分伝わってくる。
常に家にいる父に嫌気した母が介護のパートに就いたのは5年前のこと。
話を聞くとやはり大変な印象を受けるが、辞める気配はない。
50代中盤の母が今お世話をしている利用者は、もしかすると、20年後の母自身かもしれない。
そういう、避けられない人の道を先取りして見ることの恐さ、悲しさ、はかなさみたいな感情で
むなしくなったりしないのだろうかと思う。
聞くことはできないが。
どんな仕事にも辛さはある。
労力と給与のバランスがちぐはぐな仕事なんて山ほどあるだろう。
しかしそれでも、何かしらやりがいwみたいなものを探そうと思えば探せるのではないだろうか。
俺の大きな偏見は、介護職にはそれすらをも見いだせないと思っているところだ。
その仕事自体はプラスだが、老人やその老人の家族が抱える多様で大きなマイナスの流れを
彼らの働きによって0にすることは難しい。
彼らがどんなに一生懸命働いたとしても、要介護1が要支援1になることはない。
マイナスの加速度をいくらか和らげることはできても、プラスの流れに変えることは決してできない。
介護職は社会にとって間違いなく必要で、介護職に就いている人を尊敬している。
しかし、重労働、低給与の上にそういう精神面の部分でも得られるどころか失いかねない、介護職を俺は選べない。
むしろ、俺にとって低給与以上に精神面の方が辛いかもしれない。
だから、介護職に就いてる人がどんなことを思っているのか凄く気になる。
俺と同世代ぐらいの見た目好青年っぽい若者は完全に仕事と割り切っているのだろうか。
仕事以外のことをしている時に感じる幸せを、ちゃんと幸せとして感じられているのだろうか。
仕事の影響があまりにも大き過ぎるせいで介護職に就く前は容易に感じ取れていた幸せを、
そんな偏見を持っている。
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
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NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
母親79歳、父親89歳、二人暮らし。私(長女)は遠隔地に居住。長男(弟)は30年ほど前に病死。
2009年頃から、軽い見当識障害(朝なのか夜なのかを数十秒考えないとわからない、料理にそれまでの2倍ほどの時間を要する等)、怒りっぽさなどがあり、認知症を疑う。夫婦での受診を勧めたが、受診の結果は異常なし。その後、ほぼ毎年受診を継続し、一昨年の暮れ頃、初めて認知症と診断された。去年の夏、介護認定を受け、要介護度2となる。
受診を開始した頃はまだ自覚があり、本人も認知症ではないかという不安があるようだったが、診断が出た頃は既に病識がなく(「そんなに変なことは言ってないでしょ。ちょっと忘れっぽいだけよねぇ」)、診断を受け入れられず(「あの医者に認知症にされた」)。診断が出て以降、受診・投薬・デイサービス等の利用を拒否。
認知症は早期発見、早期治療とか言うけれど、母の場合は早くから受診していたにもかかわらず、うまく治療や介護につなげることができなかった。もっとどうにかならなかったものか。
夫の提案で子どもに遠方に住む夫の祖父(子どもから見たら曽祖父)の名前の一文字を使った名をつけた。
賢く優しい祖父のようになりますように、と。
先日、その義祖父の家に行った。義祖父は義祖母と義祖父の娘夫婦(夫の叔父叔母)と暮らしている。
訪問したときに義祖父と義祖母はデイサービスに行っていて不在で、義叔母と義叔母の娘(A子さん)がいた。
A子さんは近くに住んでいて、たまたま実家に帰ってきたところだったらしい。
「尊敬しているおじいさんのような人になってほしいと思って」
と答えた。
A子さんは
「あぁ○○(息子)くんは地位や名誉や学歴が大好きで自画自賛ばかりする人になるんですねぇ」
とさらっと言った。
えっ、と驚いたけれども、ちょうど義祖母がデイサービスから戻ってきたのでその話題はそこで終わってしまった。
その後、義祖父も帰宅してきた。
義祖父と会うのは3回目。前に2度会ったときは、社会的に成功を納めた賢い人という印象だったが、
さっきのA子さんの一言を聞いてからだと、話がすべて自分の自慢話に聞こえてしまった。実際に、自慢話だった。
帰り際、A子さんが夫に
「尊敬しているのなら、遠慮しないで祖父にもっと会いにきてください。
夫くんは、祖父の孫の中でいちばん良い大学を出て、いちばん良い会社に勤めてるから祖父の自慢なんですよ。
家に来たお客さんに同居していた私なんかより、夫くんの話ばかりしているんだから」
と笑いながら言っていた。
帰宅してから夫に確認したら、夫は小学生のときに義祖父に会って以来、私とともに結婚の報告をするときまで義祖父に会ったことがなかったらしい。
それしか会っていない祖父を尊敬しているという夫。それしか会っていないから言えるのか。
遠方とは言っても新幹線に乗れば1時間半程度。中学生から30歳を過ぎるまでどうして会いに行こうと思わなかったのだろう。
『やっちまった』感が襲ってきては、打ち消そうとして「あー」とか「うー」とか意味もなく声を出すことが続いている。
介護サービスを提供した事業者に支払われる「介護報酬」が2.27%引き下げられることになりました。
この「2.27%」だが、これは介護報酬全体での率で介護サービスにより下げ率は変わる。
中でも引き下げ率の高いサービスとして「特別養護老人ホーム」「デイサービス」が挙げられる。
率として10%〜15%程度となる。
この2つに関して今後どうなっていくのか、勝手気ままに予想してみる。
そもそもこの2つのサービスの下げ率が高い理由は「儲かり過ぎだから」という事になっている。
確かにきちんと予算を組んで、無駄な人員配置をせず、健全な経営をしていれば儲かるでしょう。
しかし、大半はそんなことはありません。経営能力に乏しい方が施設長になっている事もあります。
また、儲かっていても従業員に還元せず、上層部がなんらかの方法で搾取している場合も多いかと思います。
なので、全体として「儲かっている」と言われれば嘘ではないと思われます。
つまり単純計算で2億の営業収益のある施設であればその10%〜15%、つまり2,000万円〜3,000万円が年間減ることとなる。
儲かっていない施設は、その減った分を何らかの方法でカバーしなければならない。
3−1.加算でカバーする
介護報酬には基本報酬の他に、一定条件を満たすことによる「加算報酬」を加える事が出来る。
ただこれも書類の整備等を新たに加える事により人件費も増え、報酬も高いものではない。
カバー率としてはせいぜい1%程度だと思われる。
今までの業務を見直し、業務の一部をアウトソース等して既存の人員を減らせばいい。
現場の人間は日々忙しく、また業務効率化を考えられるような能力のある現場職員も少ない為、なかなか進行しないと思われる。
また、スムーズに業務効率化が行われリストラが行われたとした場合、現場職員の上層部への不信感により有能な職員から退職してしまうかもしれない。
ただでさえ万年職員不足のこの業界では死活問題なので得策ではなさそうだ。
3−3.全体の給料を減らす
結局こうなってしまうと思う。
今まで賞与を支払っていた施設であれば、賞与を支払うのを辞めるとか。
各職員の年収は50万円〜100万円減ると思われる。
やはりツケは職員に回ってくるという事になるのだろう。
4.職員の収入が減ったらどうなるの?
残るのは、つぶしの利かないお局様なんかが残り、あまり経験の少ない職員が新たに入る。
その職員が若い女性なんかだとお局様とのバトルで地獄絵図が待っているだろう。
7月になり継続的に賞与の支払いが無いことがわかると、現場職員が辞めていく。
有能な現場職員が他介護サービスに転職していくパターンと、若い介護職員が介護職に見切りをつけ他業種へ転職するパターンになる。
最近の有効求人倍率はかなりいい方なので、この流れは多くなると思う。
辞めた職員を補填しなければならないが、ただでさえ万年職員不足なので来るもの拒まずで採用をする。
管理部門、現場ともに職員の質が悪くなり全体的なサービスの質も悪くなる。
http://kyouki.hatenablog.com/entry/2014/09/07/090356
1
ICHIROYAさんのブログで高齢のご両親の老い(痴呆)に関するエントリを読んだ。痴呆が進み夢の世界を生きているお母様と、だんだん小さく弱々しくなっていくお父様のエピソード。そしてその現実に対して自分には何が出来るんのだろうかというつぶやき。嘆き(?)。身に染みた人も多いようである。(cf.ブコメ)
2
具体的に向き合っていたらこんなセンチメンタルなこと言ってられないと思うからです。お母様は施設、お父様も一人暮らしの様子。つまり老いた両親の日々の個別具体的なことには向き合っておらず時々コンニチハゲンキデスカーしてるだけで、普段は遠くで自分の人生を優先していて、そんで嗚呼悲しやいったいどうなってしまうのかむにゃむにゃって、・・・・・・ええい優雅だな!!!苛々する!もし本当にどうにかしたいと思ってるなら!戦え!それは現実だ!目を開けて見ろ!現実と戦え!今だ!今すぐだ!戦う気がないならグズグズ言うな!!!
と思うのでありました。
3
上だけだとちょっとキツイというか意地悪というか「俺もやってるんだからお前もやれ」系の感じだなって自分でも思うんですけど、実際問題、一度きっちり向きあってぶつかったら、何であれ自分なりの答えが見えると思うんですよ。
「最後の時間を穏やかに過ごしてもらうために、こういうことを努力してみよう」なり
たとえば糞尿まみれのお父さんやお母さん及び糞尿まみれの室内と毎日(比喩じゃなくてリアルに毎日)戦ってみたりすると何か違う扉が開けてきちゃったりすると思うんですが、まあ、それはイヤ‥っていうか無理‥ってかんじですかね。でも施設の人はその日々個別具体的なものと向き合っているわけですね。向き合っていればこそ「まあこういうものなのだな」という自分なりの悟りや答えが見えてくるのではないかとね。
たぶん、仕事にしっかりと向き合ってきた人は「仕事と人生」に対する自分なりの解というか「こういうものだ」を発見すると思うんです。家族に対してもそうなんじゃないかなと。ああどうしよう…困った困った…悲しいなあ…。って仕事じゃそんなこと言わないだろと。ていうか「言ってらんない」だろうと。そう、真面目に向き合ってたらそんなセンチメンタルなこと言ってらんないだろって。ねえ!
具体的には一刻もはやくお父様の一人暮らしをやめさせるとか、日々誰かと食事をとるような生活ルーティンを構築するとか、なんかあると思うんですよ!お父様が「いやまだ一人で」って言おうがアホか!全然大丈夫じゃないわ!いいから来なさい!って引っ張ってくるとか一つ一つの作業は超めんどくさくてハートにクソ重労働です。で、それやってる感じぜんぜん受けないんですけど何してるんですか本当になんかしてるんですかしてたらグズグズ言うことなんて何もないとね!思うのね!いや色々やってるのかもしれませんけどセンチメンタル過剰な男子の語りは往々にして言い訳タイムだと思っているのですがどうでしょうか。もうなんでこんなセンチメンタルトークになるんだよ介護問題トークしたら個別具体的な情報交換の場にしかならないよ頑固じいちゃんのなだめすかし方プライドの利用法さりげない誘導のコツどの施設がいい何ヶ月まではOKデイサービスに紙おむつにウンコに徘徊にすべて目の前にある現実だよ!!腹をくくれ!!仕事だそれは!!(あっだから家事が仕事の主婦/女ばかりがこれをやるはめになるのか
4
で、ここまでプンスカ考えてから、はたと下記のマンガのくだりを思い出した。
深く嘆き悲しむ妻は葬式の場でグスグスと泣きっぱなし。式中に具合が悪くなりすぎて、喪主なのに席を離れてしまうくらいダメになってしまっている。
「あの人はたいして病院にきちゃいないわよ」
「それでも本人はせいいっぱい看病してるつもりなのよ
「以前はものすごく腹がたったけど
それはそれでしかたないと思うようになったわ
許容量が小さいからってそれを責めるのはやっぱり酷なのよ」
みんな日々せいいっぱいだから「そんなんじゃだめだもっとやれ愚痴るな」って言うのはやっぱり酷かと思いつつ、目を逸らしている問題の後ろには汗かいてる人たちがいることにフタする思考には陥りたくないとも思いつつ(介護だけじゃなくてすべてのことに関して/でも一人の人間のリソースをそんなあちこちには割けないのでどこかにはフタをしないと仕方ないんですけど
大企業様がベースアップだなんだ、ボーナスが5ヶ月分だとかいってっけど
全然俺には関係ない。むしろ関係あるヤツの方がマイノリティじゃないのか?
電気代上がるわ、復興増税だわ、保険値上げだわ、消費税上がるわ、自動車税上がるわ
だいたい福島の復興を支えるために増税って何だよ。知るかよんなもん。
理屈では漠然と必要だと言うことは理解できても感情的には、俺に何の関係も無いだろう。
俺たぶん一生福島なんか行くこと無いよ?福島復興したところで地域の人は喜ぶと思うけどそれ以上の何があるの?
募金して支えるのは、素晴らしいと思う。でも強制するのはおかしいでしょ。
無理に死ねとは言わない。でも、毎朝病院に寄り合い所のように必要かどうかもわかんない薬や
元気そうなのに近所の人と話をするためにわんさか集まってくる老人を国を挙げて生かすことが
国のためになるとは到底思えない。別にね、苦しんで死ねとかそういうわけでも無い。
治療を受けずして死ねとも言わない。けど、国上げてそこまで支える必要あるのか?必要性がわからない。
デイサービスでジジババが唄とかうたってるのは見ていていたたまれない。
生活保護だってそう。一時的な物は必要だろう。だけど永続的にっては、
なんで国のためになるの?いいじゃんもうそんなやつ支えなくても。
結局収入が減って、税金は上がって物価も上がって光熱費も上がる。
がんばってお金貯めて・・・とかそういうのは、自分が努力した結果だとおもうし
きっと日本は良くなる!って思いたいけど思えないんだよね。
よっぽど子供をいっぱい作ったり、将来に向けた研究費に投資したり前に進むべき
事に投資をするべきでしょ。今までは豊かだったから社会保障とかも充実させる事に意義があったのかもしれないけど
今そんなに日本強くないでしょ。弱小一歩手前でしょ。んならそんなことしてる場合じゃ無いでしょ。
いっそ日本でもクーデター起きるくらいの革命があった方がいいよ。ホント。
頭ではわかってる。増税も必要なんだろうと。復興を支えるのも社会保障の拡充が必要なのだろうという事も。
大企業が給料が上がればきっと将来中小にも恩恵が出てくるだろうと言うことも。
でも、理屈じゃ無い感情の部分が全く追いついてこないのは、俺がクズだからなんだろうか。
大企業様がベースアップだなんだ、ボーナスが5ヶ月分だとかいってっけど
全然俺には関係ない。むしろ関係あるヤツの方がマイノリティじゃないのか?
電気代上がるわ、復興増税だわ、保険値上げだわ、消費税上がるわ、自動車税上がるわ
だいたい福島の復興を支えるために増税って何だよ。知るかよんなもん。
理屈では漠然と必要だと言うことは理解できても感情的には、俺に何の関係も無いだろう。
俺たぶん一生福島なんか行くこと無いよ?福島復興したところで地域の人は喜ぶと思うけどそれ以上の何があるの?
募金して支えるのは、素晴らしいと思う。でも強制するのはおかしいでしょ。
無理に死ねとは言わない。でも、毎朝病院に寄り合い所のように必要かどうかもわかんない薬や
元気そうなのに近所の人と話をするためにわんさか集まってくる老人を国を挙げて生かすことが
国のためになるとは到底思えない。別にね、苦しんで死ねとかそういうわけでも無い。
治療を受けずして死ねとも言わない。けど、国上げてそこまで支える必要あるのか?必要性がわからない。
デイサービスでジジババが唄とかうたってるのは見ていていたたまれない。
生活保護だってそう。一時的な物は必要だろう。だけど永続的にっては、
なんで国のためになるの?いいじゃんもうそんなやつ支えなくても。
結局収入が減って、税金は上がって物価も上がって光熱費も上がる。
がんばってお金貯めて・・・とかそういうのは、自分が努力した結果だとおもうし
きっと日本は良くなる!って思いたいけど思えないんだよね。
よっぽど子供をいっぱい作ったり、将来に向けた研究費に投資したり前に進むべき
事に投資をするべきでしょ。今までは豊かだったから社会保障とかも充実させる事に意義があったのかもしれないけど
今そんなに日本強くないでしょ。弱小一歩手前でしょ。んならそんなことしてる場合じゃ無いでしょ。
いっそ日本でもクーデター起きるくらいの革命があった方がいいよ。ホント。
頭ではわかってる。増税も必要なんだろうと。復興を支えるのも社会保障の拡充が必要なのだろうという事も。
大企業が給料が上がればきっと将来中小にも恩恵が出てくるだろうと言うことも。
でも、理屈じゃ無い感情の部分が全く追いついてこないのは、俺がクズだからなんだろうか。
弱者救済を旨とする宗教法人の活動の一側面は存在するが、大事なのはそこではない。
苦しんでいる時、大変な時、助けてくれるが、場合によっては無償に近い状態で助けてもくれるが。
残念ながらそこまでのスペックは備えていない。
少し前まで孤児を引き取る聖職者も珍しくなかった。デイサービス展開したり霊園を区画分譲する宗教法人もある。
ただし、生活の面倒をすべて見て、人生の最期を看取る事までできたとしても、心を現実から逃がしきる事はできないという事だ。
人一人の人生を、全部全部宗教が引き受けて、面倒見てあげられるわけじゃない。
心に無限の救済を与えられるわけではない。
疑う余地のない信仰を与え、それで心を満たし、人生の終末まで幸福を与え続けられるわけじゃない。
人間は生まれてから死ぬまでずっと考え続ける生き物だ。たとえ生まれてから死ぬまで、揺り籠から棺桶まで宗教に世話になったとしても、信仰に一分の隙もなく心まで満たしてはもらえない。
もちろん、幻想として「そんな宗教があってくれたらいいな」「宗教はそうあって欲しいな」という願望があるのはわかる。
皆の心にもあるだろう。
だがそれは甘えでしかなく、いずれ現実として直面し克服すべき弱さだ。
足を骨折した時の松葉杖としては機能するが、足が完治した後になお、自力で歩き出す助けにはならない。
心を折られた時に優しい薬として機能するが、心が完治した後になお、精神的自立を支える補助具ではいられない。
また本人のためにもならない。
幼児が転んで傷の痛みに泣き喚いても、いずれは自分で立って歩き出すように。
誰もが皆、いずれ自分の足で立って歩かなければならない。
お盆シーズンなので年老いていく親にからめてちょいと書かせてもらう。
自分のスペックは独身20代後半、年収は350万(手取り230万)程度、地方の田舎住み。
非正規雇用をへて、社員登用から正社員になったのが2年前といった状況である。
中小企業ではないが、中途採用、さらには大卒ではないので将来的な大きな年収増は見込めない。
祖母は90代前半、足腰弱って外を出歩くことはないが認知症もない。週に1度デイサービスを利用している。
今現在問題があるというわけではないが10年後、20年後にはやってくる問題だ。
生まれたときから祖母と同居しているのもあり、年寄りとの付き合い方というのにまったく慣れがないわけではないが
それは祖母がつきっきりの介護を必要としなかった幸運でしかない。
祖母は耳が遠いので、同じことを4回ほど大声で言って話が通じるか通じないかという程度の苦労はある。
なぜ、まだ訪れていない問題に焦燥感をもっているのかというと学生時代に研究で老人の福祉関係を少し齧っていたからである。
特に老老介護や認知症の自分の親を介護しなければならないという状況に陥った場合は結構厳しい。
育ててもらった恩やニートのときに親に世話になったので無下にはしたくはない。
結婚の予定はない(する気もない)が、嫁を当てにするやり方も不誠実だと思うし。(父は祖母の世話を母に任せて自分はノータッチな人だったので猶更。)
別居すればいいじゃないかと思う人もいるだろうが、経済状況から実家暮らしをしてる。
そんな自分が至った結論は介護の外注化。将来は介護サービスを利用して乗り切ろうってことだ。
介護には想像以上に金がかかる。ここ3年ほど毎年100万ずつ貯め、現在貯金が300万ほど。
普通なら結婚資金辺りになるんだろうけどこれは介護資金。介護したくないもの。
<追記>
https://twitter.com/ningengasinu/status/294877200761618434
スパムbotっぽいアカウント @ningengasinu とは一切関係がありません。
http://anond.hatelabo.jp/20130124161712
マジレス。
受けていれば担当のケアマネがいるはず。受けていなければ自治体の窓口に相談して介護保険を受給できるように手配を。
介護保険なんてどうせ使わない、と言う事はあるかも知れないが介護保険を使い始めると必ずケアマネージャという専門家がついてくれる。ケアマネージャにもよるが、必ず定期的に訪問してくれるので、悩みなどを打ち明けれるし、相談にも乗ってくれる。
脳の障害の後遺症で性格が変わってしまったと言うケース、これは「高次脳機能障害」という事であまり知られていないが実は病気である。そしてこれは目に見えない障害と言われていて、性格が変わってしまうと言うケースの他、他の事はほとんど不自由なくできるのに、計算だけは一切できなくなってしまうだとか、右と左が分からなくなるだとか、ズボンを被って、シャツを履いてしまうだとか言う症状が出る。
もし診断で高次脳機能障害という診断が出ていないのであれば、自治体の窓口、あるいはかかり付けの医師に相談すること。介護をしている人には身近であるはずのケアマネージャに相談することも大事。
高次脳機能障害でも性格が変わってしまい介護が困難になったと言うケースは、普段の本人を知らないため医師は直ぐに診察が難しい事がある。だから家族が普段の行動を詳細にメモにして、それを医師に渡す等し、診断を得る事がまず大切。
診断を得ると、要介護認定が上がる事がよくある。また精神障害者として認定される事もある。
これらの診断が出ると、あれは病気であると言う事が分かるから、それなりに受けいられる素地が生まれてくる。
また介護認定が出ると利用できるサービスが増える。当然ながら自己負担が増えるのだが、デイサービスなどのサービスを利用するのは、本人のためにも、またあなたが共倒れしないためにも大切な事だ。利用を躊躇してはならない。
さらにこれらの認定が受けられれば、自己負担を少なくしてサービス付き高齢者住宅や老人ホームなどにも入居することができるかもしれない。ただし月々十万以上の出費は覚悟しておく必要がある。本人の資産(年金など)が使えればそれを使えばよいがまともに年金払っていなかったりすると苦しい。
さて、ここまでが一般的なアドバイス。
次が裏技的な方法だが良いかどうかは分からない。また通用するかどうかも分からない。しかし最終的にはこう言う裏技もあるのだと言うことを少し覚えておいて欲しい。
まず上記で高次脳機能障害の診断名が付き、要介護認定(要支援ではなく)がそれなりの等級で出たと言う仮定で。障害者認定があればなお良いが…。
この状態であなたは外に部屋を借りる。そして住所をそちらに移して、あなたの父親は障害者/要介護認定を受けながらも、一人暮らしであり、あなたは仕事の都合どうしても同居ができないのだと言う状況を作る。実質は貴方は同居していてもかまわないが、まずは書類上こう言った状況を作る。この状態で特別養護老人ホームや、サービス付き高齢者住宅(公でやっている所なら安い)の利用を申請すると、緊急度の高い案件というフラグが立ち対応が全然違う。この状態だと高価な民間有料老人ホームより、自治体などがやっている安価な老人ホームなどにも入居が可能かも知れない。
ただしこの手法、自分の担当のケアマネージャや自治体の職員の協力…とまでは行かなくとも黙認が必要なのでいろいろと根回しはいるかもしれない。
さらに言えば…経済的に困窮していると言う事にして強く言えば、生活保護を利用する事も可能ではある。あなたが支援する事ができないと強固に言えば。ただ現在の情勢でこれが通じるかどうかは分からないが…。ただこれをするにはあなたの父親の資産はすべて処分されることとなる。
はじめに書いた事を行ってどうしても駄目なら、最後にはこう言う手もなくは無い。ただ先にも書いたがおすすめはしない。きちんと介護等級の認定を受けて、その範囲でサービスを利用し、場合によっては施設入居を目指すことがよい。
なおわざと不健康な状況に追い込んでさっさと殺せと言うトラバがついているがこれだけは絶対にやめる事。何故かと言うと当然倫理的な話はある事もさることながら、何らかの病気を併発した場合、さらに介護が困難になる可能性が非常に高い。そうなると困るのはあなただ。放置した場合は保護責任者遺棄といった犯罪に問われる可能性すらある。また現代の医療技術だと相当な状態でも助かる。が、介護負担は増える。健康寿命をできる限り延ばすことがおそらくあなたにとっても大切である。
国にとっては家族が専業主婦(夫)になって介護してくれるのが金銭的には一番都合がいい。
家族介護の人件費はタダだが、介護士には給料を払わなければならんからね。
生活保護でも何でもいいが、多少介護手当て的なものを出したとしても介護士に対する給料よりは安く上がるだろう。
いや元の話はあくまで生活保護の制度設計だし。介護費用を減らすにはというのは話が違う上、そういう視点から見ても効果があるとはとても言えない。
大体今現在無給で介護してる家族もいるわけだけど、彼らだってデイサービスとか短期ステイとか使って何とかやりくりしてるの。
そこに介護手当(笑)配ったって家族が全面的に面倒見るように切り替わったりしないしできない。物理的に無理。その手当がそのまま民間に支払われるのが関の山。
言うなれば介護保険の部分強化みたいなもんなので、節約とは言えないし公平性も失われている。「介護手当」ならもはや生活保護も無関係なので財源にすら困るというお粗末な案。
「自分の親が要介護だから自分が介護しなきゃ、結婚なんてしている余裕ない」と言う女性が増えて結婚率も下がるだろう。
それ以外にも介護する人間の身体的精神的負担、介護者が社会から断絶される事による社会的な損害などもあるわな。
アホはお前だ。
元の話ではこれは生活保護の制度設計であり、その制度上で扶養者と受給者の同居を認めてしまったとすれば、親を介護老人保健施設に入れて夫婦のうち専業主婦(夫)が生活保護を受けて扶養者たる配偶者と同居して暮らすという状況は成立させられる。
子どもを産み育てられるわけがないほどの負担となる介護を回避して、おまけに金が入ってくるという素晴らしい選択肢になるだろ。結婚した方が圧倒的に得。
親に施設に入るほどの金がないとしても、少なくとも制度上は施設にいながら生活保護を受けることは現状で既に可能だし。
当たり前だけど国が費やさねばならないカネは青天井とばかりにふくれあがるから、やっぱり元々このやり方は節約には程遠いというオチ。
http://anond.hatelabo.jp/20111204091359
甘えだと分かっていましたが、誰かに頑張れって言ってもらいたくて、この日記を書きました。
甘えている自分に、頑張れと書いてくださった皆さん、本当にありがとうございました!
すごく励みになりました!
あと、親は弱い人なんだろうというコメントを見てハッとなりました。
確かにうちの親はあまり強くないのかな、と思います。けれど、そんな親のなけなしの期待を裏切って、傷つけてきたのは他でもない自分です。
これからこの仕事を続けて、今まで傷つけた期待を少しでも取り戻していくことが、自分に出来る唯一の親孝行だと改めて思いました。頑張ります。
ところで、皆さんのツイートを見ていたら、自分の書き方が悪く大きな勘違いをさせてしまったようなので、
介護業界は決して手取り15万、残業休出有り、交通費なしが当たり前の業界ではありません。
この三つは、自分が、3年近く業界にいながら、未経験に毛が生えた程度の経験しかない」というマイナス部分を補うために
相手の会社からは、手取り18万、基本残業休出無の条件で採用して頂いてます。
交通費は、自宅から徒歩圏内の会社だから「不要」なんです。必要な方にはちゃんと出ます。
ないとは思うんですが、万一この日記を見て介護業界を志望する気持ちが萎えた方、どうか安心してください。
決して手取り15万、残業休出有り、交通費なしは当たり前ではありません!
……むしろ、この業界は、世間一般で激務って呼ばれてる業界の中では比較的緩くて働きやすい業界のように思います。
私は訪問介護で約3年働いたんですが、利用者都合で休日の予定がときどき変わる事を除けば、
連休はなくとも月9日休めたし、毎日定時に帰れたし(遅くても19時には仕事上がり)、
私は1社しか経験していませんが、他の会社に勤めたことがある人の話を聞くと、訪問は大体どこもそんな感じで、
激務とされる施設も、残業や救出は滅多にないようです。デイサービスは土日定休ですし。
勿論、施設長やサービス提供責任者になると、残業や救出が増えますが、その分お給料は貰えるそうです(月25~35万前後で賞与もあるとか)。
正直なところ、私の場合喪で滅多に人と遊ばないから(苦笑)、薄給でもあまり不自由しないんです。
むしろ、平日休める方が単独行動が多い分には便利だったりします。
そういった諸々の働きやすさも含めて、私は「介護業界で食べていきたい」と思うようになりました。
もし、この日記を見ている方の中に、介護業界に入ろうか迷っている方がいたら、
そんなに酷くないです。
と声を大にして言っておきたいと思います。
長くなりましたが、元の日記に「頑張れ」のコメントをくださった方、改めてありがとうございます。
NHKの生活保護の特集を冒頭だけみて風呂にはいったんで詳細はみてないけど、風呂に入ってるとき思いついたので一言。
シェルターを公立で運営するのはどうか。
民間ではいくつかシェルターっぽいものを運営しているところもあるようだが、不正受給の温床になっている側面もあるらしいので、その筋の福祉関係者ならご存知の「富山型デイサービス」をベースに運営すると面白いのではないかと考えた。若いのにおひとりで生活していくの大変だろうし、三食出る施設に数年かけて移住してもらい、そこで生活する。
もちろんNPOなどに委託してもいいだろうが、事業性が不透明なので、あえて公立でやってみたらいいと思う。
http://toyamagata.com/what/index.html
あたりに詳しくのっているだろう。
そして、なにより現金一括給付をやめる。
つまり、行政が困っている”仕事”をお願いするのもありだと思う。
15万人もの受給者がいてそのうち、ある程度体の自由がきく人がゼロとは思えない。
そこである程度身体の自由がきく人には、行政の手伝いをしてもらう。
簡単な子供の登下校時の見張りでもいいわけですし、小学生などを下校後に一時的に預かる学童保育なども実施したりとか、ほかにもさまざまな可能性があると思います。
それらの働き内容・時間は問わず、それらに対して”賃金”を出す。ただし、稼働年齢である場合また、めぼしい障害がなければハロワに定期的にいく。そして、そういったことが難しい人は、医療費・衣食住費以外に現金が必要性があるとは思えないが申請をすれば認める制度もつくるべきだろう。
また、昔のように集団就職じゃないけど集団面接をうけたりさまざまな形で社会進出をサポートする。
他にもいろいろできそうなことはある気がする。ただ現金給付するだけでは、確実に行き詰るし、パチンコや飲み屋など以外での公共の場と何も社会との接点がないまま税金もらって生活させてるだけでは、もったいない。
両親は2人暮らしだ。母は85歳で、要介護3、認知障害があり見当識がなく、24時間見守りが必要と医師の明確な見解をもらっている。父は86歳で要支援1、「前頭葉と側頭葉に萎縮がみられる」のだそうだが、ある医師は病気だと言い、ある医師はこの年齢なら通常範囲、4、50代でこの脳なら病気だがと言う。どちらも「通院も投薬も必要なし。日常生活に困難をきたしたら、また、いらっしゃい」といった対応だった。先生方からお話をうかがったのが1年前。そして、夏前から父は「身体が思うように動かない」と訴えてくるようになった。
私は別所帯なのだが、夫に先立たれ、子供が独立し、遺産で暮らせるので、経済的にも時間的にも制限が無い。現在、24時間のほとんどを実家で過ごしている。母をデイサービスに4日預けている。そのうち2日間、父を病院に連れて行ったり、食料を買い込んだり、自分の病院に行ったりする時間に使っている。あとの2日間は私の休日だ。朝、母をデイサービスに送り出してから、翌日の夕方18時までが、週に1度の休みだ。
私が休んでいる間、お手伝いさんを頼んでいる。夜20時から翌朝の10時までいてくれる。
父は私が休む日の16時半から20時までを、母と2人で過ごしている。
前頭葉と側頭葉が萎縮していて、動けないと言っている父に、母の介護が出来るだろうか? でも、父は自分の世話は自分でちゃんとしている。ときどき引き出しを閉め忘れたり、冷蔵庫を閉め忘れたり、セールスの電話相手に怒鳴っていたりするが、まだまだ1人で暮らすことは不可能ではなさそうだ。
では、母の介護は? 出来るのか?
私は両親を2人だけで過ごさせるのは、保護責任者遺棄にあたるのではないかと危惧している。だけど、休日無しに介護にあたれるほどタフじゃない。両親の世話を頼めるような親戚はおらず、これ以上お手伝いさんを増やすと経済的に破綻しかねない。介護保険でなんとかと思ったのだが、父はこれ以上他人を家に入れるのは嫌だと拒否している。
いつまで、父は母の介護をすることが出来るのだろうか? 今でも静かだなと思うと、椅子の上で眠っていることがある。だんだん日常生活が困難になっていくようだ。まだ出来る。まだ出来ると思っているうちに、実家に帰ったら2人の死体が転がっている、なんてことになるんじゃないかと、マジで怖い。
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。
一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こうとする。父は頻尿のせいで常に寝不足で、余計なことで起こしたら、さらに体調と機嫌が悪くなることが目に見えていたので力づくで阻止して、ベッドに押し戻した。すると母が「なんで、私がパパのところに行くのを邪魔するの? あんた、パパと出来てるでしょう」と言い出した。「私はパパは大嫌いだよ。でも、寝ているところを起こすのは可哀相だと思うから止めてる」と答えたら「あんたはパパが好きなのよ」と言い募る。その後も、1時間ごとに起き出しては、トイレに行くふりをして父のところに行こうとしたり、私を出し抜いて出て行こうとしたりする。朝4時、トイレに母を座らせていると「あんたは何をしているかわかっているの? 父親と関係を持つなんてしてはならないことよ」と言う。「やってない」と何度言っても聞かない。
ふと、思い出した。
母は私を叩いて育てた。躾なのだそうだ。言ってもわからないからぶつのだと言う。じゃあ、この状況ならぶてばいいんじゃないか? 母は私をぶてば言うことを聞くと思っていたのだから、私だって母をぶって言うことを聞かせればいいのじゃないか? 頬を張った。何度も何度も叩いた。母は「あんたは父親と出来てる」と言い続けた。叩いたって、言うことなんか聞かないじゃないか。
翌日、ずっと母は父と私に向かって「あんたたち、いつからそんな関係なの? 許されないことよ。情けない。信じられない」と言い続けた。ケアマネさんに相談したところ「そういうことはよくあることなんです。何日も続くようなら、どこか施設に短期で預けて、離れたほうが落ち着かれるかも知れません」とアドバイスしてくれた。
母は夜になっても、同じことを言い続けた。そして、一昨日の夜と同じように、夕べも同じことを言った。そして、私に向かって手を上げようとした。「ぶちなさい」と私は言った。「それで気が済むなら、何度叩いてもいい。でも、私とお父さんは何の関係もないと認めなさい」と、母はぶった。何度もぶって、私の頬は真っ赤になった。でも、ちっとも痛くなかった。母が私を叩くときに手加減したことなどない。今だって、もちろん、力一杯叩いているはずなのに痛くない。84歳の老婆に叩かれたって、ぜんぜん痛くない。最後には「関係はない」と認めさせた。
今朝になって、母の左あごに青痣が出来ているのを見つけた。昨日までは無かったものだ。私がぶったのとは違う場所だが、ほとんど24時間揉み合いをしていたのだから、いつかどこかでぶつけたのかも知れない。痛くないと言うので放置しておくことにした。
母は今朝、父の顔を見て「あなたとケンカした夢を見た」と言った。今回の騒ぎは、それで終わった。日常が戻ってきた。母はすっかりご機嫌だ。
今度、わけのわからないことを言い募ったら、母をぶつのではなくて、私をぶたせてやろう。私には母親はいない。私をストレス解消の道具にしてきた老婆がいるだけだ。やっと、母から解放されたような気がする。好きなだけぶっていい。私はもう母の言葉にも母の暴力にも傷つかない。私は母より強くなった。
201104072100追記。
思いがけない反響をいただいて、返信をしたら、ご期待を裏切るのでは?黙ってようか、とも思ったのですが、残念ながら文学として書いたのではなく、苦しい気持ちへの共感と、何らかのアドバイスを求めての投稿でしたので、追記の形でお礼を言わせていただくことにしました。
「飯つくれと父が言う」
http://anond.hatelabo.jp/20100603223423
「飯つくれと父が言う2」
http://anond.hatelabo.jp/20100710104654
http://anond.hatelabo.jp/20110111155004
ここまでの経緯を簡単に言うと、私は母を老人ホームに入れたかったのに、認知症を患っている父に強く反対され、叔母が協力してくれると言うので在宅介護を始めたら、叔母がのっぴきならない用事で来られなくなり、母をデイサービスに週3日行かせることになったのです。
主たる介護者は「父」で、私は補助に過ぎないのですが、23年前に両親の介護をするという条件で土地をもらって家を建てた(そこには75歳の夫の姉がいて、家が無くなったら行くところがありません)ので、介護から降りるという選択肢はありません。問題は、そのときはうちの両親と仲の良い夫がいたのですが、3年前に60歳で亡くなってしまい、私1人で抱え込む羽目になってしまいました。
誰が悪いわけでもありません。人が亡くなる順番は年齢通りでは無いというだけです。
母を施設に入れることを、父が承諾してくれさえすれば、今の状態から抜け出せるのですが難しそうです。でも、増田で相談したおかげで、少しずつ「介護を抱え込まない」方向に進めています。今回もすぐ(ケアマネさんに相談だ)と思えましたし、ケアマネさんがすぐに理解を示してくれたことで、とても救われました。
みなさんへの返事の中で言ったことも実行出来ていないことが多い(特に母を家に戻したのは痛恨です)のですが、少しずつみんなが楽しく暮らせる方向に進めていこうと思います。