はてなキーワード: 年齢とは
→私はそこまで過激ではありませんが、「奨学金借りて大学に行ったのに中退したクズ。生きる価値なし」ぐらい蔑まれてもしかたがないと思います。
→つまり、それだけの期待を裏切るというのですから、信用失墜はもちろん、やはり他人から罵られても因果応報というものでしょう。
→もちろん、教育につぎ込むのも躊躇されるでしょう。就職でやめるかどうかもわからない新卒に、教育費かけてられないというものと同じロジックが働くことは疑いありません。
→この件で手塚治虫や加藤周一、安部公房を引き合いに出している人がいますが、それは結果論というものです。
→まして、その三例を以てして、「だから別に問題じゃない」というには説得力が足りません。
→私は、医療に従事すると決めた以上、その職務から離れるのは資質、能力に問題があるケースの他はあまり認めるべきではないと考えます。
→医療に携わる人間に年齢は関係ありません。そこに教育をかけることに問題があるのです。言ってしまえば社会還元のほどが見込めないということです。
→教育は投資です。早ければ早いほど、見返りが大きいなら大きいほどよい。だからこそ、キツイですが頭の悪い大人というのは出来が悪いし、教育に失敗したといえるのです。
→だからこそ、そういうのを選別するのには、正当性があるのです。選別すれば、社会全体によい還元ができる。この差別は必要な差別です。
→そして、そういう事情があるからこそ国家も税金を投入するし、年齢、学業等の理由で人を選別するのです。
→そして、その選別や投資を受けていながら、それを無に帰する行為は、やはり社会的には悪だろうと言えます。
2年前、新卒の時にさ、恥ずかしながらどこにも内定がなかったから、市役所の臨時職員になった。
あっぱらぱーな性格だもんだから、ほとんどなーんにもせずに任期終了、晴れて無職で新年度突入。
色んなところに面接に行ったけど、世の中職歴がないヤツには厳しい。当然か。
ぬるぬるーの市役所の、しかも臨職なんて職歴になるはずがなく、最終学歴は三流大。
でも働かなくちゃいけないから、何度か面接に行ったけど、30社くらい受けて心が折れた。
本当は100社くらい受けてから折るべきだよねー。でもメンタル弱いんだ、すまんすまん。
どこぞの公社さまには、「君の受け応えはマニュアル通りでつまらん!」って言われてさー、涙出るくらい悔しかった。
絶対受かっただろう!って確信したところから1日後に履歴書が帰ってきたときは、泣き笑ったよ。
心折れた、でも働き口は見つからない。だから派遣会社の門を叩いた。
みんな派遣を非難するけど、ある程度の能力があれば誰かれ構わず雇ってくれるから、私にはとっても有難かった。
社会の歯車になれるって嬉しい。……この気持ちが分からない人はたぶん幸せなんだろうな、と勝手に思う。
だけど雇われた先が問題でさ、説明不十分なのに質問すると「前に教えたじゃないですかー!」って言って怒る上司がいた。
まあこの件については前にも増田に書いたので、この文脈だけで分かる人がいるかもしれない。
あれから意地になって仕事覚えて、大きい案件も任せられるようになった。すぐ怒る人も含め、上司の信頼も得られたよ。
だけど、派遣先のトップがそんなこと出来ないって鶴の一声出しちゃって、なくなったけれど。
そんな折に、市役所さんから「また働いてみない?」って声を掛けられたので、ホイホイ受けてしまった。
臨時と言え、その時働いていた派遣先よりいい条件だったし。
役所の人って、人を使うのに慣れているなって思う。
それっくらいのこと、人の手使わずにお前がしろよ!と内心で叫ぶこと数回。
そういうところに気を使ってお仕事しておまんま食べてる私ですので、文句は言えません。
私の本来の仕事も(ルーチンワーク)、全く難しくないし、時間も掛からないから、手の空いてる誰かがやればいいと思う。
毎年臨時職員がやっている仕事だけど、正直この作業に月15万円払う必要性は感じられない。
財源不足というけれど、それならここから削るべき。それで仕事をしている私ですので、文句は言えませんが。
この1、2年ですっかりネガティブな思考になったので、人の言葉もすっかり捻くれて捉えるようになった。
Aさんなら民間で十分働けるって、散々落ちまくった私に対する皮肉か。それとも早くここから出ていけってか?
この前の飲み会、前任者のBさんが来ていたけれど、来年戻って来てよ、なんて言っている様子を見ると、要らないって言われているような気がするよ。
ひとつ下の正職員の女の子がいて、その子が研修云々と言っていたり、笑っていたりすると、私にもこういう道があったのかも、と僻みに近いことを考えるけれど、どうにもならないので黙っている。
ただ今の状況を素直に受け入れて、それからどうにかするしかない。何をどうしたらいいか、分からないけれど。
何を技能を付ければいいのだと思う。それか、まだ年齢要件は満たしているから、公務員を目指すとか。
だけど、私の中には、何よりにも先立って諦めがある。もうどうにもならない、私には何もないという、諦め。
それを口にすると、そんなことない、という言葉が返ってくる。それは嬉しい。
甘い返事を期待しているから、諦めの言葉を周りに漏らしているのかもしれない。その点に関して、私は最低の人間だと思う。
だけど、いくら他人がどうにかなる、とか、通用する、という言葉を掛けてくれたとしても、
それは違う、そんなの全く事実じゃない、と、私はいつもその優しさを否定する。
最近の私は、いつも自身を否定している。何もない、何も出来ない、空っぽの人間。それが私。
正職員の人たちと比べちゃいけない。だけど比べて、改めて何もない人間だと悟る。
それはとても辛く苦しいことだが、それをしなければ自分の立ち位置が確認出来ない。
自分を否定した先で、自分がどうしたいのか、私自身分かっていないのだと思う。
諦めを口にして、諦めたまま楽に底辺で生きていくのか、それともネガティブな思考をバネにして這い上がろうとするのか。
どっちがいいんだろうね。分からんまま終わる。
テレビを見ているときに手伝いをいいつけられて、ちょっと待ってと言ったとか、
お菓子を出されて妹より先に手を出しただとか、その程度で叩かれた。
年齢の割には体が大きいほうだったから、よけいに遠慮がなかったのかもしれない。
鼻血が出たり、柱にぶつかって手のひら大の青あざが出来たり、こぶもできた。
痛くて泣くとよけいに怒られるから、必死でこらえる。でも泣いてしまう。また殴られる。
水泳を始めて手足のあざが目立つようになると、目立たないところへの攻撃になった。
背中を竹のものさしで叩いたり、頭を柱にグリグリされたり、背中をどつかれたり。
窓ガラスに肩から突っ込んで割ったときはどうなるかと思ったけど、軽症で済んだ。
あとから「お前のせいで高い交換代払わされた」ってかなり怒られたけど。
地味に効いたのは正座。玄関入ってすぐの板の間に、親の気の済むまで正座させられる。
雪の日の夜ごはん直前に怒られて、みんなが食事をしている音を聞きながら
親が寝る前まで正座させられたときはさすがに泣いたね。寒くて痛くて。
ひたすら大人の顔色を窺う卑屈な人間になるのは必然だったかもしれない。
そんな親でもたまには優しくなるもんで、涙が出そうなほどうれしくなる。
でもそれには当然裏があるわけで、お年玉が消えたりとか、
誕生日プレゼントが省略されたりとか、悪いこととセットなのよ。
終わってるなぁと思うのは、いまだにちょっと持ち上げられるだけでも不安になること。
褒められたりすると超不安。愛してるとか言われたら怖くて心臓バクバク。
だめんずの肥やしにされるのはほんとに嫌なのよ。
嫌なんだけど、この程度で済むんだ~って安心してしまう。
殴られても「このくらいならあざにはならないな」とか思ってる。
大切にされると不安になるという厄介なこの性質はもうどうにもならん。
今でも不思議なんだけど、妹には手を上げなかったんだよね。なにが違ったんだろ。
なんとなく恋愛が上手くいっている今の自分(24歳女)が思う、男の人に好感触に思われているように感じる要素的なもの備忘録。
根拠はない。
「自分に自信がないから自分から誘えない!コクるのなんてもってのほか!」という女の子はすごく多いけど。
自分は逆の考え方。「自分から待ってたって絶対誘われたりこくられたりなんかしないし」。
だからこそ、自分から「飲みにいきましょー」とか言えるほう。男の人といきなり二人で、ということはないけど。
大人数の飲み会で気になる人がいたら、なんとなくその人と席が近くなるように入店したり、
他の人が席移動したタイミングでなんとなく近くに行ってみたり。
勇気を出して、自分から行く。待ってても相手が来るような自信はないから。
私になら冗談言っても全然いいですよ的雰囲気を作りたいといつも思ってる。
自分も「OOさんいつもかっこいいですねー」とか軽く言ったりする。
職場の場合だと、最年少の24歳女であることからして、私に求められているのは若さと元気さであると思うので、
極端に意識してそうしてるわけじゃないけど、そうしてると楽だし楽しい気がする。
逆に後輩たちと飲むときはちょっとおとなぶった落ち着いた振る舞いを心がける。
自分の考えははっきり言う。自分の考えを言ったら、相手の考えを聞く。
相手の考えを聞くと、自分はたいてい感心するので、「なるほど」とか言う。笑
相手の意見を聞いて自分の意見を曲げられる順応さは、生きていて結構大事だなと、社会人になって常々思うようになった。
これは恋愛にはほとんど関係ないし、自分が単純バカなだけな気がする…。
変わった趣味を持つとか、やたらホラーが好きとか、実は競馬を見るとか。
ちょっとしたことでも良いから、自分のネタになって自分が語れる“ひと癖”を持つ。
自分はちょっと変わった趣味があるんだけど、インパクトがあって覚えてもらえる。なんか嬉しい。
その話を振られたら、ほんのちょっとだけ熱く語って(長引かせない・しつこくしゃべらない)、
最後に「ぜひ今度一緒にやりましょー」でしめる。
これは当然かもしれないけど。
私の後輩で、ツイッターでやたらめったら芸能人をけなしたり“街で見かけたバカップル”とか言って人を貶めるようなことをいう子がいる。
これを見て「うんうんそうだよね!OOちゃんはよくわかっているなあ」と言って彼女を好きになったり好意を持って共感できる人がどれだけいるだろうかと思う。
これは警戒する人もいるかもしれないけど、たいてい喜んでくれてると思う。
女の子をほめるのと一緒で、「OOなところがすごいですよね」とか「いつもOOだなと思ってました」とか「今日のネクタイいいですな」とか
割と具体的に言うと、喜んでもらえてる気がする。
まあ、本当にそう思ってるから言ってるんだけど。
飲み会の席で次に何を頼もうかと思ったら、
例えば好きな男の人に「(飲んでいるものを指さして)これ何ですか?」と聞いて、同じものを頼んでみる。
あるいは、その人が飲み物を頼んだ時に、「じゃあ私もそれで」とか言ってみる。
話題にもなるし、自分もなんとなくいい気分になる。笑
男の人と歩いているなら、前を歩かないようにするとか。
「外に出てますね」と言って先に出て、自分は外でお金を出す。(店の人には男の人が奢ってるように見える)
これはいつもなんとなくやってるけど、女友達とひょんなことからそういう話題になってそうしていることを伝えたら参考になる!と言われたことがある。
迷惑に思われたり謎に思われたりしてないだろうか…?
気になる人ができたからといって、あからさまにその人にべたべたすることはしない。(誰でもそうか)
でも、飲み会で隣の席になってふたりだけで話すことがあったら、
ちょっと耳打ちをしたら、それだけでぐっと距離が近づく気がする。内容は全然どうでもいいことでも。
あからさまにやったり、他の人に見られたら、ちょっと気持ち悪いけど。
都合が悪くなければ、たいてい断られない。笑
あまりしゃべらなくていいから間が持つし。笑
飲みに行ったりご飯に行った時、相手が奢ってくれそうになったら、まず断る。
それでも「いいよ」と言われたら、お言葉に甘える。そして、「じゃあ次は私が奢りますからね!」という。
また誘う口実ができるし、それで自分が奢ったら「次は奢ってくださいね!」と言える。その繰り返し。
年齢がすごく上、とかだとまた変わってくるのかもしれないけど、たいていうまくいくし、
個人的に、普通の割り勘よりもなんかすき。
道端で売ってるアクセサリとかちょっとした小物とか、ちょっとしたものを欲しがって、買ってもらう。
買ってもらったら喜んで、そしてそれをすごーく大切にする。アクセサリなら、日々愛用する。
そうすると、とても喜んでくれる。
私は好きになるとがまんができないんでつい言っちゃうんですけど。笑
1~12みたいな態度をとって、相手もまんざらでもない感じだったら、自分はもう好きですオーラを出してしまう(出てしまう)。
奥手の男の人でも、わかりやすく「この子自分のこと好きなのか」と気付くと、相応の態度をとってくれる。
これで相手が拒否反応を示したら、諦める。男の人は他にもいるもんねと自分を慰める。
片思い状態でも、お付き合いができても、素直で従順に暮らしている。
好きな人を喜ばせたいっていう気持ちで動いて、でも無理はしない。多少のわがままもいう。
相手と一緒にだらだらする。長く付き合いたいから、自然体でも一緒にいられる関係になりたいから、自分も無理はしない。
きっと20代前半だからそれでいけるんだ、という項目もかなりあると思う。
家に帰るとネクラだしダラダラだし干物だけど、人前ではある程度見た目も繕って前向きに過ごすことを目指している。
そういう生き方も手伝ってか、比較的運にも恵まれてこれまでやってきた。
まあ、これからも、どうにかなるでしょ。
今の恋愛がうまくいくといいなあ。
そのとおり。年齢は30代後半。ヤクザなどの負け組。公務員にボロクソいじめられてるため、言うことが公務員みたいだが、公務員ではない。優等生に負け続けて性格が荒んでおり、子供や若者には想像できないほどの超絶化け物に進化している。チャンスがあれば平気で犯罪や殺人を犯す。息を吐くように嘘をつき、飯を食うのが最大の楽しみ。嫉妬深く、人をいじめるのが好き。ともかく心の中心にあるのは、公務員に対する許せない、うらやましいという感情。口から出てくる言葉は、嘘であることすら証明できないほど精巧に鍛え上げられた嘘であり、相手を利用して食うための手段としか考えていない。化け物。犯罪者。その醜悪な性格を体制に存分に利用されている悲しい地上の客。世の中には健全で理性的な人間がいることが理解できない危険人物のため、体制によって社会の一定区画に厳重に管理されている。
横軸が年齢で縦軸が死亡率。
みんな死ななきゃならないから、始点と終点の高さは同じにならないか。
普段取り扱っているミクロンオーダーの出来事でも、意外と日常生活に関わる法則と共通する部分があるので、
おもしろいなと思っている。
端的過ぎてびっくりしたんだけど、
それこそ30歳以上のおっさんなら「もう20代なら文句は言わない」ぐらいなのに。
年下しか目に入ってないよね。
ババアってどれくらいがいるの?
相手を選ばなければ、30歳以下の標準体型の男性が30歳以下の標準体型の女性を見つけられる度合い
と
28歳の標準体型の女性が28歳の標準体型の男性をパートナーにできる度合いと
28歳の標準体型の男性が28歳の標準体型の女性をパートナーにできる度合いと
女性は自分プラスマイナス○才くらいを対象にする人が多いけれど、
男性は年下側にシフトしてる場合が多い。(自分の知る限りほとんどそうだ)
男性「4歳くらい年下までならOK」(←同い年はボーダーライン、年上は範囲外)
話を元増田に戻すと、
例え性欲だったとしてもさ
相手がこっちを必要としてくれることが実感できて
何がなくても、男のほうからあれこれ尽してくれて
そうされてるのが「一部の」女であるのと同じように、
「一部の」男は必要としてくれることが実感できてるし
何がなくても、女のほうからあれこれつくしてもらってる。
寂しくても辛くても自立しないといけないのも
手軽に愛してもらえないのも
尽くして、努力して、悩んで、傷ついて、
たくさん頑張って、初めて必要としてもらえる、愛してもらえるのも、
別に男だからってわけじゃない。
たしかに、女のほうがしやすい、されやすいことはある。
裏を返せば、男のほうがしやすい、されやすいというのもあるわけだ。
元増田は男女関係にばかり目を向けているようなんだけれども、
男女関係の悩みなんて、余裕のある人間の考えることであって、
そんなもんにかまけていられるというのは、ある意味いいご身分だよね。
「花咲くいろは」とはアニメ番組だ。Wikipediaによると次の通り。
16歳の少女・松前緒花は、母が夜逃げした事情から、全く面識の無い祖母が経営する温泉旅館・喜翆荘(きっすいそう)で住込みで働きながら学校に通うことに。
アニメに法的な観点から検討を加えるのはナンセンスであるが、現在労働基準法を勉強しているのでこの「花咲くいろは」について労働基準法の勉強をかねて労働基準法の観点から検討してみたい。ただし明確な描写はないので、以下の考察は憶測が多い。
緒花についてはそもそも労働契約が成立しているか疑問である。母と祖母で労働契約が締結されたと考えられるからだ。緒花は喜翆荘にきたときに住み込みで働くことを知らなかった。従って母と祖母の間で労働を条件に住居を提供する契約が締結されたと考えられる。しかし労働基準法によれば親権者又は後見人は、未成年者に代わって労働契約を締結してはならないとされる。 従って素直に考えれば労働契約は成立していないと考えられる。
ただ母と祖母の間で締結された労働契約が無効であったとしても、緒花が喜翆荘に住むことになったときに祖母との間で労働契約が黙示的に成立したと考えられるかもしれない。しかしその場合でも二つ問題がある。一つ目は強制労働にあたらないかという問題である。暴行や脅迫はなされていない。しかし緒花からすれば、祖母から追い出された場合行き場がなくなるので労働契約を断ることは実質的に不可能である。実質的に強制に近く問題ではないか考えられる。二つ目は労働条件が明示されていないことである。労働基準法によると労働契約を締結するにあたり労働条件が明示されなければならない。しかしそのような描写はなく問題がある可能性がある。
緒花については年齢は問題ない。労働基準法では、使用者は児童が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならないとされている。緒花は16才なので問題ない。
時間の描写がないのでなんともいえないが、問題がある可能性がある。使用者は、満18才に満たない者を午後10時から午前5時までの間において使用してはならないとされる。他の登場人物である鶴来民子(17才)は朝早くから働いている描写がなされている。具体的な時間の描写がないので確かなことはいえないが、問題がある可能性がある。
労働基準法は徒弟制の弊害を排除するため次の二つの規定をおいている。
民子に関してこれらの規定に違反している可能性がある。民子は住み込みで働く板前見習いであり、この二つの規定が適用されると考えられる。具体的な時間の描写がないが、民子は朝早くから夜遅くまで働いているので「酷使されている」と見ることもできる。従って喜翆荘はこの規定に違反しているのではないかと考えられる。
緒花や民子は住み込みで働いている。そのため喜翆荘は寄宿舎でもある。使用者は、寄宿舎について、換気、採光、照明、保温、防湿、清潔、避難、定員の収容、就寝に必要な措置その他労働者の健康、風紀及び生命の保持に必要な措置を講じなければならない。しかし第一話では緒花や民子のふとんは不衛生であり就寝に不適である描写がなされていて、労働基準法上問題がある可能性がある。祖母は身の回りのことに手が行き届かない民子を責めていたが、労働基準法からすれば問題があるのは喜翆荘である。
満18才に満たない者についてその年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならないとされる。戸籍証明書については描写はない。しかし緒花については母親が戸籍証明書を祖母に送ったとは考えにくく、また、祖母がわざわざ東京まで出向いたとも考えにくい。そのため労働基準法に違反している可能性が高い。
http://anond.hatelabo.jp/20110521082510
>「高齢男オタ向けにキャラの年齢が高い作品が出てきて流行る」未来は流石に想像出来ない。
僕は中学一年生、まだ12歳だった。いいことばかりではなかったはずだが、今振り返ってみると、毎日笑ってばかりいたことだけが思い出される。部活に熱中し、友達にも恵まれ、告白なんてできなかったけれど、小さな恋もしていた。楽しい日々だった。未来のことなんて考えもしなかったけれど、ただ明日も、その次の日も、今日のように、昨日のように、笑って生きていくのだと思っていた。
夏休みに入る前の週くらいに、小学校一年生の従姉妹がやってきて、夏の間中、うちに滞在することになった。
小さな従妹ははにかみ屋で、しばらくはもじもじしていたけれど、すぐにうちにも馴染んで、僕のことを「お兄ちゃん」と呼んで、まとわりつくようになった。僕の両親も、姉も、従妹を可愛がり、相手をしてやったが、そういう点では一番邪険な僕に特になついていたのが不思議だった。僕もそう意地悪な少年ではなかったと思うけれど、少年は少年なりに忙しかった。部活もあれば男同士の付き合いもあり、そうそう従妹の相手をしているわけにはいかなかった。
夏のある日、ふと空いた一日に、だらだらと寝転がってテレビでも見ていたら、暇ならば従妹を映画につれていけと母が僕に命じた。従妹は最近、公開されたばかりのアニメ映画「となりのトトロ」を見に行きたいのだという。たまたま僕以外の人の手がふさがっていて、まあ僕としても、いつもいつも愛想よく従妹に付き合っていたわけではないから、罪滅ぼしの気持ちもあって、従妹と二人、映画館に出かけた。
まだ、ジブリ映画が国民的な動員力を獲得する前のことだ。映画館はわりあい空いていて、お菓子を食べながら僕と従妹はトトロを見た。
ラピュタは好きだったが、トトロは子供向けだなあとその時の僕は思った。その一年か二年前に、休日の父をせかせて、ラピュタを見に行った僕だったのに、もうそろそろアニメの魔法を心からは信じないようになっていた。従妹の表情はスクリーンの変化に合わせてめまぐるしく変わり、どちらかというとそちらを見ていた方が面白かった。
トトロを見終わって、僕は従妹に聞いた。
「もう一本あるんだって。えーと、ひたれるの墓?暗そうな映画だなあ。どうする?もう帰る?」
「ううん、みたい。みていっていいでしょ?」
それは僕くらいの年齢の男の子と従妹くらいの年齢の女の子の話だった。作画が公開に間に合わなかったらしく、一部が描線のまま映し出されていた。普通に考えればジブリの黒歴史と言うか、前代未聞の汚点(なにしろ未完成品を映画館にかけておかねをとったのだから)と言ってもいいと思うのだが、そんなことは気にならないくらいに僕はその映画に引きずり込まれていた。
誰が想像するだろう。トトロの次に上映される映画が、あんな作品だなんて。
今この歳になって考える。なぜジブリはあの時、あの作品を作ったのだろうかと。ああいうテイストの作品はその後はジブリは作っていない。安心安全のジブリブランドだ。他のジブリの映画の好き嫌いを僕は即座に言える。一番好きなのはラピュタだ。でも火垂るの墓は。好きなのか嫌いなのか分からない。二度と見たいとは思わない。でも、場面の細部まで、あの夏のあの映画館のように、今でも頭の中で上映できる。
とにかく、火垂るの墓を見終わった後、僕たちは疲れ切っていた。そのまま映画館の座席にうずくまっていたかったけれど、そうもいかなかったので、僕は従妹をおぶって、またバスに乗って家に帰った。帰ってすぐに、飯も食べずに僕は寝た。
8月も終わるころに、従妹の父、つまり叔父が死んだ。末期のガンだった。叔母が看病に専念するため、従妹をうちに預けていたことをその時になって僕は初めて知ったが(叔父が入院していたのは知っていたがそんなに悪いとは聞いていなかった)、従妹は知っていたのだろうか。
葬儀の際中、従妹は僕を隣に置き、ずっと手を握っていた。たったふたりきりで生きようと思ったあの少年と女の子のように。
先日、三十路のその従妹がようやく結婚した。もう結婚しないのかと思っていたが、どこからか朴訥な年下の青年を見つけてきて、あれよというまに披露宴を開いていた。花嫁衣裳を盗み見に行った時、何を思ったか、僕の手を握って、従妹が言った。
「ねえ、お兄ちゃん、あの時、手を握ってくれていてありがとう」
あの時ってどの時?と僕は疑問に思ったが、野暮なことは言わずにうなづいていた。分かったふりをするのがいいことは人生にはいくらでもある。もちろん僕は彼女に幸せになって欲しいと思ったけれども、先のことはわからない。けれども生きていればとにかく人生は続いてゆく。それはどうであれ、おしまいになるよりはいいことなんだろう。
記憶はただ頭の中にだけあるのではない。夏のにおい。まぶたに焼付くような熱い色。いつか彼女は、夏の日に夕焼けを見ると、彼女をおぶったあの夏の僕の背中を思い出すと言った。体温や匂い。いろいろを。その中に彼女は、小さな女の子だった時の、あの日々の思い出を縫い付けている。笑ったり、泣いたり、どうしようもなくてたちすくんで、ただそばの人の手を握ったりしたあの日々のことを。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-04-01-08
福島市のガン死人数がこの事故でどのくらい増えるか、ということなら、算定は俺にはできない。少なくとも、区域ごとの年齢分布と蓄積放射線量のデータが必要じゃない?
多分再来年あたりに予測値の論文が出るかもしれないけど、今予測するのは意味がない、というか予測しても桁数レベルの精度も期待できないと思う。
ところで、閾値仮説が異端であるというソースはあるの?閾値仮説がおかしい、という意見は当然あるだろうけど、異端とまで言っている人がいる?「○○でない」と証明するのは難しいけど「○○である」と証明するのは簡単なのはわかるよね?
…と思って検索したら「閾値仮説は異端である」という主張のサイトを見つけた(http://d.hatena.ne.jp/gyou/20110513)。いや、人間どんな思想信条を持とうと、また発表しようと、それはその人の自由だよねw
いずれにしても、
閾値ありか閾値なしか、という議論が起こるということ自体が低線量被曝の危険性がはっきりしていない(=明確にわかるほどの危険性がない)ということを表していると思うが。
という俺の主張は閾値仮説が異端であろうとなかろうと変わらない。なぜ異端でないという証拠や福島市のガン死人数の予測が要求されるのか理解できない。
結婚してみたら?結婚相談所行くとか、今はネットで紹介するところもあるし。
って何をする気も起きないからこんなとこに書いてるんだろうけど
うつになる条件だいぶ揃ってきてるじゃん。動けるうちに動いたほうがいいよ。
http://diamond.jp/articles/-/12268
ネイティヴに通じる英語になる 「たった6個の正しい発音」 ほとんどの日本人が間違えている「6個の発音」|30分で英語が話せる|ダイヤモンド・オンライン
まず、ダイヤモンドにこの程度の英会話の記事が載っているという点で糞。
次に、ダイヤモンドの読者がこの程度の英会話の記事でマンセーしてるという点で糞。
そして、大してダイヤモンドの記事を読まない人間もブコメで適当にマンセーしてるという点で糞。
ダイヤモンドを読むような年齢でこの程度の英会話記事をありがたがってる時点で、程度が知れるから英会話に手を出すのはやめときなww
まず英語をカタカナに転写してる時点で糞なんだけど「わかりやすい!www」「素晴らしい!ww」とかいうマンセーっぷりwww
こいつらがまともに英語話せることはないんだろうなあと思うと優越感が湧いてくるんですがwww
ダイヤモンドってある程度経済に疎い人間が背伸びして読むものかと思ってたけど、本格的に厨房向けに路線変更したのかな?www
まあ、掲載元がどうあれ、あれをマンセーしてる時点で英語話せるようになることはないからww日本に閉じこもってろってジャップwww
http://anond.hatelabo.jp/20110517084808
仕組みを説明するようなエントリが好きなだけだろ。
売り上げとか利用者の年齢とかをまとめるエントリなら反応ぜんぜん違うと思うよ。
ところでさ
とは別の文脈であの手のを全部否定したい。
怪盗ロワイヤルとかさ、やったこともなくCMからの想像だけで批判するけど
つまりリアルタイムでやったりやられたりされつつ資産を貯める、
(もしこの想像が全く外れてたら以降の文はゴミだから読んでくれるな時間の無駄だ)
「ゲーム脳の恐怖」はうそでも、ブラゲーはほんとに脳が変になる。
同じテンションの緊張をし続ける、でもたいして思考は深くない、そんな状態になるよ。
ずっと頭のどこかにブラゲーの次の発展や侵略の操作のことが巣食い続けてる。
大して面白くない、思考してやるゲームというより、行動可能時間に追われてついついボタンを押し続ける。
酷いパチンコ中毒とかもたぶん同じような感じじゃないかなあと思う。
以上、ブラウザゲー的なものは
「人生で一回だけ本気でやったら以後二度と手を出さない」だと思ってる)
あれをさらに
攻防で他のプレイヤーに干渉出来る度合いを増すとか
誰でも思いつくけど悪魔の発想だと思う。
それでさらに、若年者やゲームへの耐性が無い人を狙い撃ちとまでいくと
これはもうまともな商売じゃないぜ。
「スマートにやろうとするな、泥臭くやれ」と言われた。
その後、上司が変わりつつも相変わらず怒られっぱなしで、
スマートなんて意識は吹っ飛び、嫌でも泥臭く切り抜けてきた感じだ。
そしてあっという間に10年目、当時その言葉を言った上司と同じくらいの年齢になり、
その上司が言った言葉の意味が、やっと分かったような気がした。
即ち、泥臭くやれるのは若いうちだけなのだ。
それこそ仕事でも趣味でも、10年前だったら持てる時間と気力の全てをつぎ込んで問題を解決していたのに、
気がついたらそういうやり方が全くできなくなっていた。
たくさん使える時間もないし、それ以上に気力が続かない。
徹夜とか普通に無理だし、「雨が降るまで雨乞いを続ける」みたいな作業に至っては、
試してみる気すら起きなくなってしまった。
もはや「気合を入れて全力でかかる」というやり方では、若い奴には全くかなわない。
そして仕方なく覚えたのが「ポイントを押さえ、効率良く合理的にやる」という方法。
というかそうしなければ回らない。そうやって常に余裕を作っていかないともたない。
でもこれは「努力家がスマートにやることを覚えた」というより、
「努力厨が効率厨に変化(あるいは劣化)した」というほうが正しいと思う。
「賢い」というより「ずるい」「小賢しい」という感じで、全く気持ちのいいものではない。
正直「スマート」なんて犬にでも食わせてやりたい所だが、現実には甘んじる以外に選択肢はなさそうな自分が情けない。
しかもこの変化は間違いなく不可逆的なものだろうし。
何より、こんなことでこれから新しいことに挑戦できるのだろうか。
ここまで10年分の貯金だけで今後は生きて行くなんて嫌すぎるが、
かと言ってがむしゃらに取り組めないとなると、新しい物事の吸収でも若い奴にはかなわないと思う。
歳を取るとはこういうことなのか。
どうにもやりきれない。
そこまで考えたとき「若いっていいなあ・・・」と本気で思い、そしてとても怖くなってしまった。
てか「一心不乱に懸命に入れ上げ、その結果何かを勝ち取る」経験ができなくなったという一点だけ取っても、
マジで歳は取りたくない。
駐車場の整理係を日本人がやっている素晴らしさがわかりますか? 「120万人の移民」に脅えるドイツの実情
| 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4642
これについて
ちょっと突っ込みたい。
移民が駐車場の整理係をしていて悪いことはない、ダメなのは単純労働者を食えなくすることだ。
2011/05/13
人気1位のコメント。
実に良識的で、一見正しい。
パーツごとに読めば正しい。
それは当然だ。
この良識性、「外国人差別しません」「職業選択の自由尊重」のタダシサは揺るがしがたいものがある。
が。
「移民ならば労働力の買い叩きに応えられるから」に他ならない。
生活保護受給者以下の生活に耐えても、
移民を増やし、
単純労働者は全体に確実に今よりずっと「食えなく」なっている。
この自明の繋がりを無視して
「移民がどんな職についても悪くない」「差別反対」なんて断片的レベルに落とし込んで話を誤魔化す。
これは欺瞞としか言いようが無い。
aozora21さんも、この人に星をつけてる人も、欺瞞に気づかないような知性の人ではないと思うので、
これは意図的な不誠実だ。
単純労働者を保護したいなら、飽和している労働力をさらに輸入するような無計画なことを控えるのが一番良い。
hobbling
低機能とか移民を差別する国に優秀な移民は絶対来ません。移民を奴隷ではなく共に生きる同朋として日本人と同じ権利を与えるのなら移民賛成。
2011/05/13
☆はひとつだが、
”一見いいこと言ってるけど意味不明”コメントの良い例なので挙げる。
「高機能」な移民にとっては良い職場で、むしろ能力を精査してくれないほうが困る筈だ。
つまり、この人の指摘は本件からずれている上に間違っている。
(ずれていようが間違っていようが「差別反対」調であれば星を受けるのははてなの悪い点)
日本人と同じ扱い・同じ給与を与えるなら大量移民は日本に必要ない。
charliecgo 差別
この名前からしてドイツへの移民らしき筆者がトルコ系移民を差別する構図がたまらんですな。名誉白人?
2011/05/13
相手の名前に目をつけながら「差別」しか言わずに言い分を封殺しようとする。
複雑さに欠け、論ずるに及ばない。
私に言わせればこの人の物言いからも濃厚な差別の匂いがするが。
(「この苗字は在日だろw」で済ませて言い分に取り合わないようなやり口と同一なのは誰の目にも明らかだ。)
hatoken
2011/05/13
こういう同類も多数。
ほかにもゴロゴロいる、職業や経歴や年齢や女性であることに汚い侮蔑を剥き出しにしながら彼女の「差別」を非難する人達は全員脳の病院にいけ。
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1と2は「話をそらして反撃したい」という、所作の共通点がある。
さらに言えば、そういう所作を選んだ動機も共通しているように見える。
つまりこの人達は
社会で影響力のある悪辣な移民推進論者とは別の、もう一方の移民推進論者なのだ。
後者の彼等は、前者のように「移民を奴隷扱いしたい」という邪悪な考えは持たない。
儲けの代わりの動機はイデオロギーであり、
「差別反対」
という概念が彼らを突き動かしている。
イデオロギーは自由だが、
彼等がその実現のために大量移民推進を選ぶのは非常に無責任で短絡的と言わざるを得ない。
「移民の奴隷労働、労働力の買い叩き、先住単純労働者の搾取激化、社会保障払底、
という必ず起こる弱者直撃の悲惨に、気付いていながら知らん振りしているからだ。
そのあなた達が、自分の頭の中のイデオロギー(というより趣味だなこんなの)のために
移民や社会的に弱い労働者を奴隷労働地獄に叩き落す、社会を混乱させて市民に苦しみを味合わせる、一部の資本家だけ栄える、
なんて現実を招来してよいのか。
Tiger & Bunnyっていうヒーローアニメが今放送されてんですよ。知ってる人も多いでしょうけど、簡単に説明するとヒーローたちが街の平和を守るっていうアニメ。ヒーローが一人じゃないってのと、ヒーローの活躍を中継しながらポイント制で加算していく(市民を助けたら10ポイント、みたいな)っていうのが割と斬新な部分。
このアニメって割と王道なバディもので。バディものの定義はいろいろあるけど、ここでは『主人公が男二人』っていう感じで。熱血系だけどちょっとドジな男と冷静な男によるデコボココンビで、なんだかんだで問題解決していくうちに二人の仲が良くなっていくという展開。ドラマで言えば『相棒』とかもそれにあたるのかな。
で。ストーリーが面白いし変身後の姿がカッコイイ(特撮のヒーローっぽい)のでpixivで変身後の姿のファンアートをさがそうとしたんですよ。ヒーローたちがビシィッってポーズ決めてたりするような。
そしたら見事に腐女子向け画像ばっかり。主人公二人が変身前の姿でいちゃいちゃしてる画像ばっかり。
そういえば電王の時も同じようなことを思ったなーと。これって別にバディものに限ったことじゃないんだけど、バディものって男二人が主人公なのでその辺で妄想しやすいのかなぁとか思ったりして。
そこで思ったのがタイトルのようなことで。普通にカッコイイイラストを探そうと思ったのに腐女子向け画像ばっかりでウワアァァって気分になっちゃうのを避けるために、いっそのこと腐女子だけ分離したほうがいいんじゃないかなぁと思ったわけです。男性向け・女性向け・全年齢向けって分けるのもアリだけど。
もしかしてTiger & Bunnyはイケメン二人だからそうでもないトリコなら大丈夫かと思って検索したらそっちでも腐女子向け画像がいっぱいあるし。そう考えると腐女子向けサイト特有の検索避け(タイトルをぼかしたりするアレ)もウワアァァって気分を避けるためにはいい方法だったのかなーと思ったりしたわけです。