はてなキーワード: デイサービスとは
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。
一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こうとする。父は頻尿のせいで常に寝不足で、余計なことで起こしたら、さらに体調と機嫌が悪くなることが目に見えていたので力づくで阻止して、ベッドに押し戻した。すると母が「なんで、私がパパのところに行くのを邪魔するの? あんた、パパと出来てるでしょう」と言い出した。「私はパパは大嫌いだよ。でも、寝ているところを起こすのは可哀相だと思うから止めてる」と答えたら「あんたはパパが好きなのよ」と言い募る。その後も、1時間ごとに起き出しては、トイレに行くふりをして父のところに行こうとしたり、私を出し抜いて出て行こうとしたりする。朝4時、トイレに母を座らせていると「あんたは何をしているかわかっているの? 父親と関係を持つなんてしてはならないことよ」と言う。「やってない」と何度言っても聞かない。
ふと、思い出した。
母は私を叩いて育てた。躾なのだそうだ。言ってもわからないからぶつのだと言う。じゃあ、この状況ならぶてばいいんじゃないか? 母は私をぶてば言うことを聞くと思っていたのだから、私だって母をぶって言うことを聞かせればいいのじゃないか? 頬を張った。何度も何度も叩いた。母は「あんたは父親と出来てる」と言い続けた。叩いたって、言うことなんか聞かないじゃないか。
翌日、ずっと母は父と私に向かって「あんたたち、いつからそんな関係なの? 許されないことよ。情けない。信じられない」と言い続けた。ケアマネさんに相談したところ「そういうことはよくあることなんです。何日も続くようなら、どこか施設に短期で預けて、離れたほうが落ち着かれるかも知れません」とアドバイスしてくれた。
母は夜になっても、同じことを言い続けた。そして、一昨日の夜と同じように、夕べも同じことを言った。そして、私に向かって手を上げようとした。「ぶちなさい」と私は言った。「それで気が済むなら、何度叩いてもいい。でも、私とお父さんは何の関係もないと認めなさい」と、母はぶった。何度もぶって、私の頬は真っ赤になった。でも、ちっとも痛くなかった。母が私を叩くときに手加減したことなどない。今だって、もちろん、力一杯叩いているはずなのに痛くない。84歳の老婆に叩かれたって、ぜんぜん痛くない。最後には「関係はない」と認めさせた。
今朝になって、母の左あごに青痣が出来ているのを見つけた。昨日までは無かったものだ。私がぶったのとは違う場所だが、ほとんど24時間揉み合いをしていたのだから、いつかどこかでぶつけたのかも知れない。痛くないと言うので放置しておくことにした。
母は今朝、父の顔を見て「あなたとケンカした夢を見た」と言った。今回の騒ぎは、それで終わった。日常が戻ってきた。母はすっかりご機嫌だ。
今度、わけのわからないことを言い募ったら、母をぶつのではなくて、私をぶたせてやろう。私には母親はいない。私をストレス解消の道具にしてきた老婆がいるだけだ。やっと、母から解放されたような気がする。好きなだけぶっていい。私はもう母の言葉にも母の暴力にも傷つかない。私は母より強くなった。
201104072100追記。
思いがけない反響をいただいて、返信をしたら、ご期待を裏切るのでは?黙ってようか、とも思ったのですが、残念ながら文学として書いたのではなく、苦しい気持ちへの共感と、何らかのアドバイスを求めての投稿でしたので、追記の形でお礼を言わせていただくことにしました。
「飯つくれと父が言う」
http://anond.hatelabo.jp/20100603223423
「飯つくれと父が言う2」
http://anond.hatelabo.jp/20100710104654
http://anond.hatelabo.jp/20110111155004
ここまでの経緯を簡単に言うと、私は母を老人ホームに入れたかったのに、認知症を患っている父に強く反対され、叔母が協力してくれると言うので在宅介護を始めたら、叔母がのっぴきならない用事で来られなくなり、母をデイサービスに週3日行かせることになったのです。
主たる介護者は「父」で、私は補助に過ぎないのですが、23年前に両親の介護をするという条件で土地をもらって家を建てた(そこには75歳の夫の姉がいて、家が無くなったら行くところがありません)ので、介護から降りるという選択肢はありません。問題は、そのときはうちの両親と仲の良い夫がいたのですが、3年前に60歳で亡くなってしまい、私1人で抱え込む羽目になってしまいました。
誰が悪いわけでもありません。人が亡くなる順番は年齢通りでは無いというだけです。
母を施設に入れることを、父が承諾してくれさえすれば、今の状態から抜け出せるのですが難しそうです。でも、増田で相談したおかげで、少しずつ「介護を抱え込まない」方向に進めています。今回もすぐ(ケアマネさんに相談だ)と思えましたし、ケアマネさんがすぐに理解を示してくれたことで、とても救われました。
みなさんへの返事の中で言ったことも実行出来ていないことが多い(特に母を家に戻したのは痛恨です)のですが、少しずつみんなが楽しく暮らせる方向に進めていこうと思います。
その1、母親に認知障害があり(認知症ではないので進行はしない)24時間見守りが必要。
その2、見守っていればいいだけで、実際に介護しなければならないことはほとんどない。例えば、布団をめくることが出来ず一緒に起き上がろうとするので布団をはぐとか、トイレに行ってもパンツを下ろしたり上げたり出来ないので支度するとか。
その3、それゆえに、娘である私の拘束時間は果てし無く長く(24時間中23時間)、でも、作業を凝縮して時間にしてみれば2時間にも満たない。
その5、私と父親の間で「介護」に対する認識がまったく違っている。
こうして、ますだに書き込んでいる時間があるのだから、ラクな介護であることは否定しない。今も両親は隣の部屋でテレビを観ており、今の状態だけを見れば、2人とも病気療養中とはとても思えない。特に母親。普通に父親と日常会話を交わしているので、まったく正常としか思えない。
それでも、私には自由時間が必要なのだ。1週間は168時間である。睡眠時間に49時間使う。自分の家のことをするために7時間使う。残り112時間のうち、27時間休ませて欲しいのだ。週85時間介護なのは耐えられる。
去年までは、叔母が泊まり掛けで介護に来てくれたので、27時間を確保することが出来た。
お正月、母の介護に対して同じ立場の兄たち兄妻たち叔父叔母たちが集まってきたが、結局のところ、泊まりで介護をする気があるのは私といつも来る叔母だけと判明した。仕方ない。こんなことは強制してもしょうがないし……と思っていた矢先、叔母が超多忙になった。詳しい事情は書かないが、私にとってはとても納得のいく理由であり、来られるだけ来るという叔母にうちの母の介護をしている場合では無いだろうと、私のほうから進言したくらいの理由だ。
まずは叔母の穴を介護保険のサービスで埋められないかと考えた。ショートステイも短期入院も「毎週」といった対応はしていないそうだ。では、ヘルパーさんと考えたが父親が反対する。「家に他人を入れたくない」のだそうだ。
しかし、私が居ない27時間プラス睡眠時間7時間、合計34時間を、なんとかして埋めないと、母親は事故に遭う可能性がある。
だって、お前、と父親は言う。朝・昼・晩と、ご飯の前後だけ入ってくれるとして、そんなに人の出入りがあったら、かえって疲れてしまう。誰も来ないほうがいい。
ぷつん、と音を立てて、私の緊張の糸が切れた。
誰も居なくていいのなら、何故、私は1日23時間実家に張りついてるんだ? 私だってやりたいことは山のようにある。介護したくてしているわけじゃない。父親が母親を施設に入れるのは嫌だ。在宅で介護するというから付き合ってるんだ。
さらに父親が言う。母親の介護をしたくないのなら休めばいい。お前が居なければ俺がやるんだ。
要支援2の85歳の認知症の父親が、要介護3の84歳の認知障害のある母親をみている。
そんな状態を放っておいて、社会的責任が果たせるか?
わかってる。父親の暴言は、単に現状認識出来ていないから出てくるだけだ。
わかってる。
昨日から、朝起き上がるのに時間がかかるようになった。身体全体がずしっと重い。何もしたくない。
20110111追記
私自身が「介護をしている自分」にしがみついているんだと、そういう視点に立てました。もっと離れて冷静に必要なことを見極めていこうと思います。
20110114追記
母親をデイサービスに週3日行かせることになりました。これで気を抜く時間が出来るので、一息つけます。気力が無くなってしまわないうちに、なんらかの手を打ちながら進めて行きます。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20100619/1277013348
読み終わって、日本ではどうなんだろうと思う人もいると思ったので、ちょっと書いておく。
自分自身も、子どもがこういう問題を抱えているとわかるまでは、なんにも知らなかったので、理解の一助となれば。
うちの子は、小学校の高学年。診断としては、高機能自閉症。知能に問題はないが、学習障害と、他人の気持ちがよくわからないし、空気が読めない。
今、住んでいる地域は、割と恵まれている方だ。個別対応もしてくれるし、デイサービスやグループワークなど、発達障害についてのサービスは整っている。それでも、診断が下る前までに、いろいろ面倒な経緯があった。
今思えば、小さいころから、とにかく友だちができなかった。活発で、積極的なのに、長く付き合う友だちができない。
おかしいなと思っていたんだが、本人は気にしていないし、楽しそうに過ごしているので、特別に問題視はしなかった。
学校の先生とも相談したのが、他にも気になる点があったので、自治体が行っている教育相談に相談した。
なぜなら、いじめの件に加えて、漢字が全然覚えられないからだった。
「他の子になじめない。きつい言葉を投げかけてしまうようだ。いじめると同時にいじめられていると先生は見ている。
加えて、漢字が書けないし、覚えられない。指を使っていつまでも計算している。発達障害があるのではないか?」
というような感じで相談をしたら、
「お母さんとの関係の問題ですね」とされてしまって……私が半年ぐらいカウンセリングに通うことになっただが。
その時受けたアドバイスが、「怒り過ぎるな、もっと愛情をかけろ、犬を飼え」
……犬ですか。
犬では解決しないだろうと思って、釈然としないまま、見守っていた。
「ひとりだけ、指示とまったく違う行動をとるのだが、耳が悪いのではないか」
集団行動が苦手で、大勢の中にいるとひとりだけ逆方向に向いていたり、よくしていたので、そうかもと。
それで、検査をしたら、聴覚の問題で、それだけで指示が聞こえないということはない。
そのころ、ちょうど個人面談があり、先生から、問題がいろいろ起きていることを聞いた。
突然、教室を飛び出してどこかへ行ったり、突然、怒りだしてクラス全体が凍りついたり。
「原因がわからないのですが、おうちでなにかありましたか」
と言われて、今度は考えて、自治体が行っている障害相談のサービスに「発達障害の可能性」と予約を入れて、待つこと1カ月。
専門的な検査をしたら、診断は下せないが、どうやら疑いがある。
学校で起きた事件や、いじめ、それ以前の友だちができない状態も、恐らくは発達障害に由縁するのでは。
そこから、「サービスを受けるには医師の診断が必要」と言われて、医師に診てもらうまでに、1カ月半以上。
10件ぐらいかけて、やっと予約がとれた。ほとんどが予約でいっぱいで来年にならないと無理や、既存の患者で手いっぱい。
しかも、「初見では診察したくない」とそれ以前に受けた検査や資料を準備しなければならなかった。
それで、やっと診断が出た。おかしいなと思ってから、3年以上。
他の地域でも似たような状況だと思うが、親がここまで動かないと、診断は出ない状況だ。加えて、程度の軽い子については、受け皿がない。
発達障害は、千差万別で、うちの子のような、空気が読めない分、限りなくポジティブで、自分自身が問題を感じないタイプは、誤解されやすい。
勉強ができないわけではない。漢字はダメでも、授業中の発言は活発で、国語以外の教科の成績は悪くない。
クラス全体と薄く付き合っているから、表面上は友だちが多いように見える。
だから、できないことが、理解されない。空気読めないとは、思われない。
「なまけもの」「大人を見下している」「反抗的」「手におえない」と先生から言われて、確かに、言動を見れば、そう捉えられてもしょうがないと思う。
大人がいちばん嫌がるようなことに気づいて、遠慮なく指摘するし、興味を感じる点については、延々と議論を吹っ掛けてくる。
逆に、うまく関係が築けているときは、「発想がクリエイティブ」や「おもしろい」、「楽しい」という評価を受ける。
学校では、先生によって、受けた印象が違うので、先生同士も混乱をするだろうなと思う。
この手の子は、10分ぐらい話しただけではボロは出ないが、1時間話しているとイライラしてくる。それが性格なんだと割り切るぐらいの気持ちがないとやっていられないが。初対面の大人は、不思議な苛立ちを感じると思う。話の展開が、常識とズレているので、まじめに聞いていると、船酔いするような感じ。
今担当してくれている医師が、小児精神科医で、しかも、発達障害が専門だったので、理解してもらえて助かったが。
彼の説明がおもしろかった。
コンピューターに例えると、CPUの処理速度は猛烈に速いが、バッファがほとんどないタイプ。
以前の経験をフィードバックして、答えることが苦手なので、とにかく、何回も試行を繰り返して、解にたどり着いているんじゃないか。
一見頭の回転は速いが、いずれ、経験値を積むことがうまい子たちに抜かされて行くだろう。
見た目、バカじゃないから、バカなことをすれば、目立つ。それを指摘されても、本人は正すことが非常に難しいんじゃないか。
「これから、さらに誤解されるし、本人も傷つくことが増えると思います」
と言われて、親ができることは、なんだろうと。現状、模索している最中だ。
つらいだろうなぁ。誰でもできるようなことができないんだ。あるところだけ。
前置きが長くなったが、学習障害のこと。
うちの子は、とにかく漢字を覚えるのが苦手だ。あと、読むのが遅いし、行をよく飛ばす。
しかも、わかる漢字と、わからない漢字がまだらにある上に、読書はそれなりにしている。
ホントに識字障害なのかなぁと。疑われても仕方ない。
で、先生からも「まじめに練習をしろ」と言われて、ノート1冊分、泣きながら、漢字を書いていた。
それでも、忘れてしまうわけで。
それが、とにかく、いろいろな方法を試している中で、ある日、白川静の漢字なりたちの本を読んで、ワークをはじめた辺りから、突然、書けるようになって驚いた。
漢字の成り立ちを絵で見て、漢字の法則がインストールされたようだ。
まるで、プログラムが更新されたみたいに、それ以降は、覚えは悪いが、書けるようにはなってきた。
ポッカリ、穴が開いたようにできないことがある。
ってのは、困ると同時に、うまくはまるメソッドが与えられると、ぐんと伸びる可能性があるんだが。
そこまで細かく指導してもらうことは望めないので、親次第になってしまう。
また、白川静の本も、うちの子には合ったが、他の漢字が苦手な学習障害の子に合うかはわからない。
だから、安易にはすすめられないんだが。
突然、ぐんと階段を一段上がったような進歩を見せるときがあるので、もう仕方ないと放置しておくのもかわいそうだし。
丁寧な対応をしてもらう以前の問題とか、サービスはいろいろ整いつつあるが、あんまり簡単には解決しない状況だと言うことを書いてみた。
同じような状況にある子と周囲の参考になれば。
祖母が亡くなってから、半年が経った。
96才だった。
寝たきりだったけど、ボケてもなくてしっかりしていた。
会話はできたから、家族みんなで仲良く面倒見ていたほうだと思う。
その際に先生から、家族の意向の確認があり、市立病院の意向を伝えられた。
それならば、安易な気持ちで救急車を呼ばないでください。
救急車の隊員は使命を全うします。
つまり自然死とは違う方向に進みます。
市立病院のベッドも限りがあります」
というような主旨だった。(と記憶。
もっともだと思った。家族も納得した。
その後、デイサービスには行けなくなった。
訪問して往診くれるので何かと助かった。この点は非常に感謝している。
でも、自然死を望んでいると伝えているのに、
薬も少し過剰に思われた。
「おばあちゃん、下痢でもこんなにがんばっているんだから入院させよう」
こう言われたときには入院させた。
「入院して輸血してもらうと元気が出るよ」
さすがにこのときは入院させなかった。
輸血すれば・・って何言っているのと思った。
その後、主治医の勧めで訪問看護にも来てもらい、週に何度か点滴をしてもらうようにした。
訪問看護の初日、翌日の点滴のために、針をそのまま残す方法がとられた。
翌朝、血管が詰まって手がパンパンに腫れた。トマトみたいになった。
38度の熱への対応。
「水枕して」
「熱を逃がすために、掛け布団は手すりにかけるように」
「水を入れたペットボトルを凍らせて脇に挟むといい」
そこまですべきなのか疑問を持った。
「おしりが赤くなっていたのでテープを貼っておきました」と言われた。
おむつかぶれではないので、次から貼らないでくれとお願いした。
点滴をしてもらう日は気疲れした。
その後、腫れなかった手の血管が使えなくなったため、腫れたほうの手に点滴をした。
そしたら容態が急変した。
祖母の最期の言葉は「肺がいちゃー(痛い)」だった。
血の固まりが肺の血管を詰まらせたようだった。
看護士さんたちを別に責めるつもりは無いし、一生懸命やってくれたと思っている。
当初、市内には訪問看護を行っている施設は無いと言っていた。
その後、調べたらあったらしく手配をしてくれた。
ときどき容態を見に来てくれた。
ケアマネージャ・ケアプランという仕組みも必要なんだろうと思う。
税金をたくさん使ってしまった。
これで良かったんだろうか。
年金をもらっていなかったけど、
もらっている家族だったら思いは変わるのだろうか。
介護ってどこまで看ればいいんだろう。
自然死ってなんだろう。
半年経っても良くわからない。
どこかに、記しておきたかった。
母方の祖母が老人ホームにいます
それに伴った引きこもりがちの生活が続いたせいかボケも進んでしまいました
自宅介護とデイサービスを続けていましたが、どうにも手に負えなくなり
(言い方は悪いですが、まさにそのような感じで)
老人ホームに入ることとなりました
その様子は外から見て楽しそうであり、僕から見て楽しくはありませんでした
僕は元気な頃の祖母に会いたかったのだと思います
老人ホームは楽しい?と聞いた時、祖母は辛そうに面白くはないねと答えました
そして僕は黙りました
祖母が家にいた頃、僕は少々祖母を疎むような生活をしていました
部屋からは祖母用の簡易トイレの臭いが漂い、食事は箸もスプーンも使えず手づかみ
はっきり言ってまえば見るに堪えないほど汚らしかったのです
祖母の楽しくないという一言に対して何も言えなかったのは、
家に帰っておいでよという言葉を思いつき、
そして祖母が家にいた頃の自分の態度を思い出したからです
アルバイトがあったので、先に店を出ました
バイト先までの道すがら考えました
僕が祖母に対してできる贖罪とはなんだろうかと
若い人にはあまり分からないと思うが
上記パターンでは確かに起こるが、
自分の提案したパターンで介護地獄にはならない。今の老人介護保険の充実度甘く見るな。
早めに親が東京に出てくるかどうかで、介護地獄になるかどうかは大幅に変わるんだよ。
親が東京に籍を移していれば、東京のデイサービスや訪問入浴、数日-数週間のホームへの短期入寮といった、介護保険サービスがフルで使えるんだが(当然介護度合いによってヘルパーさんも使える)、
籍を田舎に残したままで、介護しきれないから東京に連れてくると介護サービスがほとんど使えない。ヘルパーさんも頼めないケースがほとんど。実際に介護してる人に聞いてみるといいが、日中昼間に介護対象がいないだけで大違い。旅行に行くときも預けることができるし、風呂も他人が入れてくれるしで相当違う。
…みんな苦労を知らなくてうらやましいような、これからが大変なような。
ホントに単純に、毎日浄水器を探している可能性もあると思う。
(つまり、「浄水器は無い」と言われて帰っても、次の日にはそれを忘れてまた来てる訳)
散歩コースやその店で浄水器が使える事はずっと前からの習慣として深く記憶されてるんだけど、
その途中で認知が(いわゆるボケが)進行して、もう「浄水器が無くなった」って情報は覚えられてないというか。
割と認知賞の酷い方が来るデイサービスで働き出して少し経つけど、
昔は「からくりご長寿クイズ」って台本があるんだろうなあと思ってたけど、今はあれはガチだと思う。
人って年取ったら信じられないくらい弱るよ。身体的にだけじゃなくて、頭も。哀しいけど。
家族は昼寝、私も体調を崩し寝ていた
そこで私が最初に応対したのだが、起き抜けの自分を笑われた
家族を起こしに奥に引っ込んだら、姿が見えなくなったとたん笑われたよ
こちらも彼女たちが見えなかったが、音で察するに
お互い顔を見合わせて「ぷっ」って笑いあったようだ
その時は家族を起こして対応して貰い、私自身は再び彼女たちの前に顔を出さなかった
顔を出せなかった
ショックで呆然としていた
自分の姿と対応は、ギリギリOKかと思ってたけど完全アウトだったようだ
でもどうせ笑うなら、もうちょっと気づかれないところで笑って欲しかった
そういう人は笑われて当然で、言われても文句を言うわけがない?
その笑いが本人に聞こえて、その人が怒ったり、恥ずかしがったり、悲しくなったりするって考えない?
正義は自分たちにあるから、どんな反応されても何とも思わない?
正しい自分たちが、間違った人に親切で教えてあげているって思ってる?
例えば、彼女たちに文句を言っても、謝りすらしないかもしれない
謝るような根性なら、あからさまに笑ったりしないとも思う
ふつうに逆切れしたりしてね
最悪の場合、下手に文句を言うと家族がいじめられたりするのかね
そこまで腐ってはいないと思いたいが、そんなことを考える自分が嫌
ちゃんとその場で文句を言ってどんな反応するか確かめれば良かったな
何がおもしろかったのか聞ければ反省できるチャンスだったのに
外見至上主義なのか、想像力の欠如なのか、
サービス業に従事していてその対応なのだから何をかいわんや
やはり人は信用できない
裏で何言ってるかわかったもんじゃない
非コミュでいいや