はてなキーワード: デイサービスとは
今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まらず明日に響きそうなので吐き出しておく。
今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんがグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活からの解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いてくれたが、断る理由が「寂しい」くらいしかなかったし、この機を逃したら次はいつ順番が回ってくるか分からないのもあって「仕方ないことだし、親父と叔母ちゃんの判断に従うよ」と返答した。
正直、慣れない介護はきつかった。毎朝早めに起きてばあちゃんの部屋へ行き、着替えを手伝い、ポータブルトイレの中身を処理し、車椅子で洗面所と仏壇に連れて行って、朝飯を食わせてデイサービスに行く準備を整えながら自分の出勤の支度もする。仕事が終わって帰宅したら晩飯を食わせて、洗面所と仏壇に連れて行って、ベッドに寝かせて布団をかけてやり消灯。この基本の流れに加え、ばあちゃんが破り散らかしたトイレットペーパーの片付けというインタラプトも高確率で発生する。紙を破るのはやめてくれと言っても認知症なので1分せず忘れる。まあきつい。性格が穏やかな方なのが唯一の救いだった。自力で歩けないから徘徊とかも無いし。もっと大変な家もあるだろうなーとか考えながらも、いつまでこんな生活が続くのかなとか溜息ついちゃうくらいには参っていた。
ばあちゃんは俺が小さい頃、共働きで家にいない両親の代わりにじいちゃんと2人で俺の面倒を見てくれた。昔から足が悪かったが、なんとか杖を突いて歩いてバスに乗り、俺を散髪に連れて行ってくれたり、デパートでガンプラ買ってくれたりした。夏休みや冬休みになると、高速バスに乗って都会に住んでるいとこをばあちゃんと2人で迎えに行ったりもした。両親と仲が悪かったわけじゃないが、俺は完全におばあちゃん子だった。実際ばあちゃんも溺愛してたと思う。いい年こいて結婚できてない俺を、お前みたいにいい子が結婚できないわけがないから、早く嫁さん見つけろと何度も言ってくれた。どうも俺いい子じゃないみたいだぜ。すまんな。
元々ばあちゃんの面倒を見ていた母親が亡くなった時、還暦越えた頑固親父とろくでなし息子だけで祖母の世話をするなど土台無理な話だ、さっさと施設を探した方がいいというのが親戚一同の総意だった。そらそうなるわな普通。ばあちゃんは状況がイマイチよく分からない顔をして小さくなっていたが、それを見たら単純に不憫に思えたし、できもしないくせに母親の代わりを務めないといけないと思ったんだろうな、「いずれは施設の世話になるとしても、可能な限り俺らで面倒見たい」とか皆の前で言ってしまった。その場には介護の仕事してる親戚もいたので「うわっコイツ現実見えてねえ」と思った事だろう。今の俺も当時の俺に対してそう思ってる。介護は素人がフワフワした気持ちで続けられるもんじゃない。事実、今回の報せが来たときはちょっとホッとしたからな。俺がもっと要領よく、マッチョに立ち回れていたなら、「もうしばらく頑張ってみます」というルートに進めたかもしれない。父親と叔母が入所を即断したのは、実の親の介護を未婚の孫にさせていて、あまつさえそれで消耗させてる事に対する罪悪感もあっただろう。自分が情けないと思った。あんなに可愛がってくれたばあちゃんなのに、もう助けてやれないんだと。
入所が決まったという話を叔母がしたとき、ばあちゃんは分かったような分かってないような、少し神妙な顔をしていた。いずれにせよ認知症のせいですぐ忘れてしまうのだが、重大過ぎる事だけは辛うじて記憶できていた(母親が亡くなった事だけは忘れなかった)ので、もしかしたらちゃんと覚えているのかもしれない。ただ今朝もやっぱりトイレットペーパーを破り散らかした。出勤前にスーツに紙屑が付かないように掃除するのは完全な遅刻フラグだったが、ギリギリ大丈夫だった。支度を整え、いつものように庭が見える窓のそばまで連れていき、デイサービスの車が来るのを待つ。毎日繰り返したこの一連のシーケンスも明日の朝で終わりなんだな、なんだかんだで寂しいよなあ、ばあちゃん分かってるか、分かんねえよな、なんて思いながら庭を見たら、土日の暖かさで一気に咲き始めたツツジが見えた。ばあちゃんもそれを見て「ああ、綺麗なツツジだ。ようけ咲いとるわ」と感慨深げに言った後「もうこれで思い残すことはないわ」って言ったんだ。
おいおいおい、やっぱり分かってんじゃねえかばあちゃん、いや実は分かってないかもしれないけど、わざわざそんな事言うってことはそうなんだよな。もうここに帰って来れないってちゃんと分かってるんだよな。朝も夜も分からなくても、飯を食ったのを忘れても、紙を破り散らかすと俺が怒るってことをすぐ忘れても、本当に大事なことだけは覚えてるんだ。なんだよそれ。ずるいだろう。多分本人にはもう状況が分からないから、というのが介護を断念するに至った主因だったんだ。それが分かってるって分かったら、やっぱりまだ家で面倒見ますって言いたくなるに決まってるだろ。もう遅いよ。手続き済んじゃったよ。肌着にも靴下にもタオルにも全部油性ペンででっかく名前書いちゃったよ。もうどうしようもねえよ。明日が最後の我が家だぜ。ばあちゃん。分かってるのかよ。
今日は仕事帰りにラベルシール買ってきて、できる限り可愛い感じの名札シールを作った。施設の職員さんが見たら「なんや妙に凝っとるな」と言うこと請け合いなやつが刷り上がった。いらすとやはやっぱり神サイトだ。でも、もうこの家に生きて戻ってくることがないだろうばあちゃんの名前を綺麗にデコるのは、言い方は悪いが位牌を書いているような気分だった。と言ってもばあちゃんの体調自体はそんなに悪くなく、決して今生の別れでもないし、なんならグループホームは家から1kmしか離れてないような地元オブ地元だ。バカみたいに目を真っ赤にしてこれを書いてる自分を滑稽だと思うけど、それでも明日をもってこの家でのばあちゃんとの思い出は最後になるんだと思うと、俺の中のばあちゃん子スピリッツがどうしようもなく目頭を熱くさせる。困ったもんだ。結局書いてるうちにどんどん涙が出てきて全く目論見違いになったわけだが、こんな思いを打ち明ける相手もいない寂しいオッサンの独り言だと思って、この場所を使うのを許してやってくれ。多分いないと思うけどもし最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。
出勤してはてな見たら思った以上に反響あってビビった。泣いちゃうだろ。職場やぞ。花粉症シーズンで助かったわ。今朝は最後のデイサービス送迎だったので、雨の中ひとりセンチな気分で見送ってたら遅刻しかけた(多分職員さんも「なんやコイツ」って思ったと思う)。冷静になってから読んでみると“叔母(父の姉)”とか意味わからんこと書いてるな。面白いからそのままにしとこう。トラバもブコメもありがとうございます。今読むともっと泣いちゃって仕事にならなそうなので我慢する。読んでくれた人本当にありがとう。
80歳半ばになる
記憶が曖昧だが10年か15年くらい前は杖を付かないでも歩けることが自慢だったが今は曲がってしまった腰で杖を付きながら狭い歩幅で歩いている
体が痛くて最寄り駅までも歩けなくなった
認知症の進み具合というのは私は詳しくわからないが症状としては一日に何回も日付や曜日を聞く、会社に勤めていると思っている(明日は会社嫌だなあと言ったりする)、少し前の行動をすぐ忘れてしまうのでなくし物が多い、など…
これはとても嬉しいことだ
幼いころからおばあちゃんっこだったので祖母に忘れられてしまったらとても悲しい
祖母と母は実の娘と実の親だ
どのくらいの期間かも曖昧だがもう6、7年はしているだろうか
3、4年間ほど前から母ひ目に見えて祖母にひどく当たるようになった
ひどくといっても暴力ではない
とにかく言い方がキツイのだ
一例を挙げる
祖母が認知症になる前は父と母と私が仕事に出ている日中の時間、祖母は家でひとりでテレビを見たり本を読んだり人を招いたりのんびり過ごしていた
歩けているときはバスを使って最寄り駅まで買い物に行ったりしていたのでバスの定期券、もしもの時用に携帯も持たせていた
しかし認知症が進行してきた数年前からこちらが仕事中にも関わらず1日何回も電話をしてきたりといったことが増えてきたため、祖母はデイサービスに通うことになった
その際バスの定期や携帯などは母が預かることになったのだが祖母は未だにバッグの中を探しながら「定期がない」「携帯がない」「どこにやっちゃったのかしら」と
悲しそうに言うのだ
大げさではなく100回はこの行動をしている
私はそう言われたら「お母さんに預けてあるから大丈夫だよ」と祖母に言う
そうすると祖母は「あらそうだったかしら、だめねえすぐ忘れちゃって」と笑って終わる
しかし母に同じことを言うと「何年も前から預かってるでしょう」と返ってくる
ここまではまだ良い
「前すぎて忘れちゃったかしら〜」「私が全部管理しているからあなたは気になさらないくていいのよ〜」「あたまおかしくなっちゃったかしら〜」「私が預かってるのに(宝探ししているみたいで)たのしそうねえ」
うまく伝わるかわからないが1を10で返し、小さい子供に言い聞かせるような、だけどもそれよりねちっこく嫌味っぽい言い方で返すのだ
場合によっては「いい加減にして!」「ほんとに頭おかしくなっちゃったねえ!」とヒステリックになることもある
何度か母に「もうちょっと優しい言い方をしてあげてよ」言ったことがある
上記の「(宝探ししているみたいで)楽しそうねえ」に関しては度が過ぎていると感じて「そんな言い方はないでしょ」と言ったこともある
母の返事は「そう」とか「そうかしら」しか返ってこない
いつでも駆けつけられるように隣の駅、こまめに帰って祖母と話したり母の手伝いをしているが結局はお金のことや仕事を言い訳にして祖母を見て見ぬふりをしている最低の娘で最低の孫だ
母の祖母に対する態度はひどいが介護をしてくれていることは本当に感謝しているし、お金もケチっているわけではない
休日に祖母を病院に連れて行ったり美容院に連れていったりもしている
わたしが何かの足しにして、と実家に入れているお金も使わないで貯めていてくれる良い母だ
母のことは好きだ
ただ、本当に祖母に当たる母を見るのは本当に嫌だ
何回も同じことを聞かれ、言われ、同じことをされ、突拍子もないことにストレスが溜まるのは痛いほどわかる
何年もそんな状況であれば嫌味のひとつでも言いたくなるだろう
わたしはどうすることもできない
つらい
ケアマネ選びの参考にしてほしい。
(※追記…今回は所謂「居宅ケアマネ」のみ。施設ケアマネや小規模多機能型ケアマネは除く。)
まず前提としてケアマネになるのはそれほど難しくない。
実務(介護職だったり相談援助業務だったり)経験を積み→筆記試験合格→研修受講→ケアマネになれる。
試験もここ数年は合格率が下がっているが、言うほど難しくない。
ケアマネという仕事に限らずだが、重要なのは、ケアマネになってからだ。
それでは以下、参考に。
追記…信頼できる口コミや紹介があればそれはそれで良いと思う。でもそういうツテがない人や、紹介されても自分とは合わなかったけど今更断れないってことのないようにやはり情報として知っててほしい。
因みにケアマネがいるところは「居宅介護支援事業所」という。(デイサービスや施設系もこのシステムでチェック出来る)
この公表システム…介護保険サービス事業所は毎年必ず入力しなければいけない。
にも関わらず、一般の人々にあまり認知されておらず活用されていない気がする。
慣れていないと少し使い辛いかもしれないが、その事業所にいるケアマネの人数や経験年数、受け持ち件数や前年度の退職者数なんかもわかる。
この時の主なチェックポイントとしては、
・ケアマネの入れ替わりが激しくないか(退職者数が多くないか)
退職者が多い事業所は言うまでもなく、何かしら問題がある。そういう意味では求人をチェックしてみてもいいかもしれない。
「同一法人のサービス事業所は何か」とも重なるが、法人(会社)によっては利用者に不必要なサービスを入れられる場合がある。それが嫌で辞めてくケアマネも少なくない。
(同一法人のサービスだと連携が取りやすいといったメリットもあるにはある)
(特定事業所「集中減算」というものもあり、これを取っている事業所は止めたほうがいいと思うが、公表システムでは分からない)
ケアマネの人数が多くいたり、経験年数が5年以上の主任ケアマネと呼ばれる人がいたり、24時間連絡が取れる体制を整えていたり…と、いくつかの要件を満たしているはずだ。
(でも正直、主任ケアマネだから出来るケアマネとは限らない。経験年数があれば簡単な研修を受けるだけで主任ケアマネになれる。そして今回の制度改正で居宅介護支援事業所の管理者には主任ケアマネしかなれなくなった)
※追記…加算を取っていなくてもフットワークが軽くいつでも対応してくれるケアマネも居る。利用者や家族にとっては良いケアマネだが、本当にお疲れ様です。
もし医療ニーズが高いなら看護師資格を持っているケアマネを…(福祉系出身のケアマネが医療知識に乏しいことも課題になっている)
障害サービスや生活保護など介護保険以外の福祉制度に詳しい人をと思えば社会福祉士を…
ケアマネは介護職経験が全くない人でも取れる資格なので、介護の実技的アドバイスが欲しければ介護福祉士を…。
もちろん資格を持っているからといって、その方面で優秀とは限らないので、目安程度に。
ただ注意点として、公表システムはあくまでも年一回の入力義務なので、
新規開設事業所がまだ載ってなかったり、既に廃止した事業所が載っていたり、情報が一年前から変わっているおそれもある。
※追記…このシステムの情報をもとに実地指導や監査をしている自治体もあるので、虚偽の報告はしていないはず。もし掲載情報と異なる場合には、直接聞いてみて、納得いく回答でなければその事業所はやめといたほうがいい。
各自治体には『地域包括支援センター』というのがある。
そこでこんなケアマネを探してるけど居ないか、と聞いてみるのもいいかもしれないが、
包括にも地域差があるので、①の方法と組み合わせて、包括に紹介された事業所を自分で調べてみるといい。
※追記…基本的に包括はその地域の情報収集に長けているはず。行政直営型と委託型があるので、委託型だともしかしたら系列法人のサービスを…となるのかもしれない。あってはならないことだが。包括が紹介する事業所は良くも悪くも包括との繋がりを大切にしているとも考えられるので参考程度に聞いてみる価値はある。逆に包括に嫌われているケアマネは例え人柄が良くてもやめといたほうがいいと思う。
①でも書いたが、主任ケアマネかどうかとか、経験年数とかよりも、自分と合うか否かは重要。
正直、自分と合う合わないとか言わせないのが専門職だと思うが…それでも「この人はなんか苦手」っていうのがあると思う。
・他のサービス事業所(デイサービスやヘルパーさん達)、病院などと連携がきちんと出来ているか
個人的には、ケアプランを蔑ろにするケアマネは『無し』だと思う。
※追記…ケアマネの選び方について検索すると②や③についての記事はそこそこある。でも①の活用について記載のある記事を私はまだ読んだことがないので書いてみた。③にいく前に①や②を参考にしてほしい。
※追記…「選べるほど近くにケアマネがいない」という地域も確かにある。そういう時こそ①の公表システムを活用してほしい。ケアマネのサービス提供エリアが載っている。勿論、家に近いほうが何かと便利だが、そこを優先して苦手なケアマネと我慢して付き合うというのは本末転倒だと思う。(それでも近くにケアマネ居ない人は本当にごめんなさい。包括に相談してみて)
因みに提供エリアにも関わらず、遠いからという理由でケアマネは断ることができない。「利用者受け持ち件数が35件を超える」等の妥当な理由があれば別だが。
また、事業所によっては交通費を支払えば担当になってくれるので、お金を払ってでも担当してほしいケアマネがいれば聞いてみては。勿論、その地域に強いというケアマネも居る。でも本当に出来るケアマネは自分で地域開拓していく人だと思う。
本当はもっと書きたいことがいっぱいあるけど、ここでやめとく。
「ケアマネに色々要求するなら介護報酬上げて」と言うケアマネも、まずは自分のスキルがそれに値してるか考えてほしい。
介護保険って公費なんだよ…不必要なサービスを入れるレベルの低いケアマネほど介護報酬のこと言う気がする。
疑問を感じたら、ケアマネか管理者に聞いてみて、納得のいく対応でなければケアマネを変えてみては。
ただ、何人も変えて、それでも納得いかないのならば、ケアマネだけが問題ではないのかも。
因みに、ケアマネが煩わしくなったら、
『マイケアプラン』や『セルフケアプラン』といって自分でケアプランを作って介護保険サービスを使うことも出来る。
以上の内容は個人的考え及び経験が大きく影響しているので、重ねてになるがあくまでも参考程度に。
追記…色々書いたけど、ケアマネへの介護報酬は全額介護保険から出る。自己負担は今のところ無い。自治体や要介護度、加算で異なるが、1人の利用者で月3500円〜10000円くらいがケアマネに入る。これが多いか少ないかは人それぞれだろうが、現在の介護給付費が増大しているのは高齢者が増えているだけではなく、ケアプランを作る「ケアマネの資質」と「そのケアマネを選んだ利用者や家族」にも少なからず原因がある、ということも頭の片隅に入れといてほしい。
勿論、介護サービスを使わないと、どれだけケアマネが動いても1円も入らない月もある。本当にお疲れ様です。
知識や経験が無くてもアナタにとっては良いケアマネなのかもしれないし、その逆もあるだろう。介護は辛いだけじゃないはず。本当はおこがましいのは重々承知で私の知識と経験をフル活用して、1人ひとりの相談援助したい。拙い長文読んでくれた人、ありがとう。
素敵なケアマネに巡り合って、ハッピー介護ライフを送ってほしいと心から願っている。コメントにも為になること書いてくれてる人いるから読んでね。
僕ね、本当は塾じゃなくてデイサービスに行ってるんだ。
お友達のBくんには塾に行ってるって言ったけど、恥ずかしくって本当の事言えなかったんだ。
それを聞いて涙が出た。
発達障害があるとされるAくん、周囲の大人がみる限りは少しこだわりが強いかな?
こういう子居るよね~と言う感じの普通のお子さん。
しかし、親御さんはそう思っていないようで、「あなたは発達障害だから何々」という話を
常々しているらしい。
この様に親に洗脳されている様子で、クラスメートから彼のちょっと変わった言動をいじられると
となる。
「自分の事を障害者だ、なんていう人は本当は障害者じゃないんじゃないの?」
と返される。
それを聞いてまた涙が出る。
大人は何をやっているんだ。
パーソナリティ障害とかメンヘラとか依存症とか、あと極端な右派左派とか、異性嫌悪とかって愛と安心がないからそういう方向に行っちゃうムキがあるわけで、投薬とかじゃなくて愛と安心をくれる機関ってないの?
デイケアとかデイサービス、NPG/NGOみたいなのが居場所を作りますとか言ってるのもあるけど、ああいうのってなんか大体、うすら気持ち悪い目の煌めき方してて、とても打ち解けて交流はできない。
趣味のサークルみたいなのは地方にはほぼないし、親に縛られてるから引っ越しは無理。
そしたらこのクソみてえな人格と健康が徐々に治ってまともな生活ができて職にもついて社会貢献できるようになるかもしんねえから。
デイサービス友達とお昼食べるときにお金を持たなくなって、そのお友だちがなんだか変よって私に教えてくれた。
そこからはあっという間で、ほんとうにあっという間に孫のこと忘れちゃった。
働き者で、しっかりしてて、いつも商店でぽたぽた焼買ってくれてた。中学生のときぽたぽた焼あんまり好きじゃないって言ったのにいつもぽたぽた焼。小さいときそればっかり食べてたから。
金髪ギャルになったとき、おばあちゃんだけがおしゃれだねぇっていってくれた。
ボケても徘徊したり、暴れたりしなくてぼーっとしてた。最後まで家族に迷惑かけない優しいおばあちゃん。
おばあちゃんが私を覚えてるときに最後にいった言葉が分からない。悔しい。
寂しい。会いたい。
夢に出てきてほしい。
鬱病ってそういう本人の意志や努力で治るもんなの?私の友達で鬱病で長いこと仕事休んで結局仕事辞めてだいぶ経つ子がいるけど、いまだに完治してなくて調子が悪い時期はひたすら寝込んで何もできないらしい。
経済的にも家事にしてもダンナさんが頑張って支えているようだが、これで独身だったら生活保護のお世話になるしかなさそうに見える。デイサービスに行ったり、カウンセリングとかで「自分で自分のことを好きになるように」とか指導されているとのことで、先日久しぶりに会ったら元気そうに見えたけど、障害者手帳ももらっているらしい。
たとえさぼりとか逃げとか言われても、そんな重症の鬱になる前にストレス源から脱出しないと治そうにも治らない状態になるのではないかと思う。
小学生から高校生のあいだ、夏休みや冬休み、春休みに祖母の家によく泊まりに行っていました。
祖母、祖母と仲良しのおじさんと3人でご飯を食べに行ったのを覚えています。
祖母と仲良しのおじさんも連絡が取れなくなり
6年前から、デイサービスを週に数日間利用することになり落ち着いてきたと思っていましたが
事態を重く見て、老人ホーム的なところで住み込みで面倒を見てもらうことになりました。
それが、3年近く前のお話です。
月に1~2回ほど顔を出して、少し会話をしたり
施設には他の入居者のかたもいて、仲良く話す祖母の姿を見て安心していました。
一昨年の夏のことです。
祖母が体調不良を訴えて、入院することになったと連絡がありました。
検査の結果、ガンを患っていることがわかりました。
体調不良の原因はガンが悪さをして、ある器官の動きを妨げているというものです。
また、高齢であることもあり、ガンの治療はかなり難しいと先生から言われました。
そのためガンの治療ではなく、問題のある部分に対して暫定的な処置をするという形をとりました。
ガンの転移もあり、たくさん苦しい思いをしていたんだと思います。
私や家族の名前を忘れてしまっても、自分の子供や孫が来たことを認識して、喜んでくれて
施設で行われていたクリスマスパーティーにも参加して
皆と一緒に歌を歌ったり、ケーキを少し食べたり
本当に嬉しかったです。
退院まえには先生から『ハッキリとは言えないが、年明けくらいまでの命となるかもしれません』と言われていましたが
それ以外で問題のある症状が落ち着いたら、施設に戻す流れをとっていました
やがて年が明けて、誕生日も迎えて…。
施設に行ったら、祖母は部屋でひとり、布団をかぶっていました。
あの日は寒かったので、布団を被っていたのかな?と思って聞いてみたら
『そんなことはないわよ~』と答えて
母が、じゃあ顔を見てもいい?と聞いたら
『どうぞ~』と言っていて
顔を見たらいつも通り元気そうでしたが、少し熱っぽかったのを覚えています。
症状としては前回と同じだけれど、もう体力がかなり衰退してしまっているとのこと。
お見舞いに何度か行ったけれど
ある日、お見舞いに来た直後に
その時点で私は涙が止まりませんでした。
その後、母や兄と交代して家に戻って、父の身の回りのことをしたり…。
夕方ごろ、病院にいる母から連絡があり、そろそろ危ないかもと 言われて父をつれて病院に行き…。
午前中は少し苦しそうだった祖母でしたが、夕方には眠っているかのごとく少しずつ呼吸をしていました。
母のみ残り、家に戻って少ししてから、祖母が他界した旨の連絡をもらいました。
今思えば、最後に交わした会話がお布団にくるまってるときの会話なのですが
とても穏やかな語り口だったのが忘れられません。
ほぼ3年ぶりの帰宅です。
葬儀のために斎場に行ってしまうまでのあいだ、日替わりで家族が来て、お線香を絶やさないようにして過ごしています。
今日は、私の番です。
葬儀が終わったら、部屋の整理をして退去の手続きをしなければいせません。
施設に入ることになった3年前のままでした。
そして、家のいたるところに私やほかの人が贈った、旅行等々のお土産を大切に飾ってくれていることを知りました。
20年前、一緒に熱海に行った時におそろいで買った人形があったり。
また、私が祖母に送った手紙(運動会に来てね!というお知らせと、ポケモンやたまごっちのイラスト)も残っていました。
私は何も恩返しできなくて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
祖母の棺のある部屋の隣の部屋で寝てもいいよーと言われましたが
同じ部屋で、隣で眠っていたいので、隣に布団を敷きました。
前に泊まったときだって、祖母の隣に布団をしいて眠っていましたから。
この半年くらいは
ほぼ毎週祖母に会いに行ったり、郵便物を代理で受取りに行ったりしていましたが
葬儀が終わったら、もうぱったり、そういうことも出来なくなる(する必要がなくなる)んだと考えると
虚無感というか、喪失感というか…。
とにかく寂しいです。
とは言え、祖母は今までたくさん苦しい思いをしながらも
精一杯頑張って毎日を過ごしていて
天寿を全うできたのだと思います。
天国からいつまでも見守ってくれて、心のなかで会話が出来るのだと考えることにします。
おばあちゃん、今まで本当にありがとう。
今日は久しぶりに泊まりにきたから、二人でゆっくり過ごそうね。
おやすみなさい。
奥さんが辛い時、自分にして欲しいことをカードかプラ板に書いて、旦那さんに示せばいいと思う。
辛いときはノーミソもぐわんぐわんになって言葉にしづらいときがあると思う。
母乳や母体に影響がないが、ササッと食べる事が出来るレンチン料理があるといいなあ。
赤ちゃんをどーのこーのじゃなく、掃除選択や皿洗い、ゴミ捨て、簡単な料理作りだけでも奥さんは助かるんじゃないかな。
母親にしか出来ない事がある。それを夫にやってくれというのは辛い。昭和の頃のように、近所のおばさんに安心して子供を預けられる時代ではない。
ファミサポは宿泊がないのが辛い。介護の場合宿泊デイサービスがあるから、その間介護者は少し休む事ができるけれど。
乳児と母親をマイクロバスで迎えに来て、母子の食事の支度や乳児の世話、滞在中のオムツの始末等色々やってくれる施設があるといいのにね。施設の昼寝室で母親少しでも眠ったり。勿論それなりの費用はかかると思う。収入の厳しい世帯では利用が難しいかもしれないけどね。
個人も自治体も金がない。金を一番持っているのはでっかい法人。本当はその法人が将来社会人となる子供達の育成にお金や時間を掛けて欲しいと思い、色々思う事があるけれど長くなるので割愛する。
特定されない程度に書くと
・社員:パート=3:7の某介護施設に介護職として4月から勤務
・30~50代のパート(女)が大多数を占める。
・同期は全国の介護施設で働いている。
の17卒の話。
に読んでもらえると嬉しい。
「そんなの当たり前」
「それが社会だ」
と非難される筋合いはない。さっさと前のページに戻れ。
それから、一気に書いているため誤字脱字があったらすまない。
スルーしてくれ。
お局化しているパートが数名いるが、口先ばかりで仕事をしない。
お局は私に「これやって~」と頼むだけで利用者とおしゃべり。
ひどいお局だとその日の流れを無視した行動をする。
でも誰も指摘しない。
先輩らしく(とんでもない上から目線で)注意するからマジ厄介。
何もしていなさそうに見えて他の職員の動きはよく見ている。
このお局と一緒に仕事するのほんとに嫌だわ。
が、何かと喋り方がきつい。
「~でしょ!?」
「やったよね?」
語尾も口調もきつい。強い、怖い。
びくびくする。
かかわりたくない。何かしら注意される。つらい
(いろいろと詳細省かせていただくが)
介助が一番大変な(重度、手が出る)利用者
すっげー仕事やめたいと思った。ほんとに。
だが、同期の
「そんなやばい利用者を新卒に担当させたのが悪いでしょwwww」
と言われて心が軽くなった。イェイ
確かにあのものすごくひどい状態を介助するなら他の経験豊富なパートがやっとけよ!
今振り返れば他の職員によるチェックを導入して
しばらくあの利用者の介助したくねーなw
またやらされるんだろうなぁ、つらいなぁ。
辞めたい。
そういったところで
「将来は管理職、施設長」を見込まれ介護職としてスタートする新卒は
相当大変だと思う。
早くて20代後半には役職について年上の部下、
しかも大多数の気の強そうなおばちゃん方をまとめ上げ、
引っ張り上げるのだから。
度胸と冷徹さ、が求められると思う。
その割に給料よくない。
私はこの5か月で「今の職場は長くて1、2年程度働く」
と決めた。
ほんと、介護職って若い人が長期間働くには向かないんじゃね?w
周りからよく言われるのが
って話。
確かに仕事上目にするのは当たり前。
案外いける。
素手は絶対に嫌。唾液も触れたくない。
これは慣れっすね。
でも潔癖だと思うなら介護やめとけ。
体力は嫌でもつくよ。
それでも働くのはお金のため。
たくさんやらかす。5か月なのに。
と開き直るぐらいがいいのかと考える。
どうせここで一生働くわけじゃないしな。
何度も重なると泣きそうになる豆腐メンタル。
いつまで仕事続くかな?
もう目立ちたくない。
本人は認めていないけどね。
ここのところ更に進行しているように思う
>が、xxさんに連絡を取ってみるとそんな約束はしていない
・既に閉鎖しているはずの銀行口座のお金を、家族が盗んだと言ってくる、防犯カメラの画像を見たという
・どこかからゴミ(例えば壊れた傘)のような物を少しずつ、拾ってきては集めてある
>もてあますと「これ、あげる」と言って貰う事もしばしば、そんな物が家には沢山有る。
・これらのことで母と話しあうと「どうせボケ老人ですよ」「早く死ねば良いんだろ」などと感情的になる
>皆が穏やかに過ごしたいだけなのに・・・この嵐の源は母なのだが本人は被害者だと思っている
・デイサービスや、認知症予備軍的な人を対象としたサービスを勧めても「あたしはそんなに惚けてない」
>じゃ、どうすりゃいいのよ!
今こんな感じ。
母も悩んでいるのかもしれませんが、どんなに揉めた時でも、翌日にはケロッとしています。(忘れてしまう)
お婆ちゃんが突然寝たきりになった。
もともと軽度の認知症、歩行器ありで何とか1人で歩けるレベルで、デイサービスにも通えていた。
それがある日突然、関節の痛みで全く動けなくなり入院。そうしたら入院してたった2日で、ほぼ寝たきり状態の別人のようになってしまった。
目は虚ろで生気がなく、ぽかんとした顔で焦点も定まらない。話しかけても以前の半分も理解できず、年齢も答えられない。
自力で起き上がれないし、何より意欲がない。意思疎通もぐっと難しくなっている。常にぼんやりしていて、眠っている時間がとても多い。排泄も紙パンツからおしめになった。
要支援2から一気に要介護4くらいになった様子で、その変わりように私はただただショックを受けた。
私と母のことは分かるようで、また見舞いに来るよと言うとウンウンと頷く。手を握る。確かに私のお婆ちゃんなんだけど、目の前にいるお婆ちゃんは以前亡くなる少し前に見舞ったひいお婆ちゃんの風貌にとても似ていた。
私は手を握られたところで色々な感情が込み上げて来て、一気に涙が込み上げてきたが笑って何とか誤魔化した。
きっともうすぐ在宅介護が始まる。でもほんの数日前までとは変わり果ててしまったお婆ちゃんの姿を、その老いを、私はまだ受け入れられずにいる。
5歳で発達障害の診断。
当時の検査結果では、一部100を下回る状態で総合評価がIQ110台。
9歳になったので、4年もあいたのでまた検査しておきましょうか、といわれ検査した結果が結構高くて、IQ144と。
一番低いものでも116あって、すべてが前回の検査を上回っていた。
IQ135を超えるとギフテッドと呼ばれる領域だということで、息子にこれからどう対応していけばいいのか、困惑している母親です。
相変わらずデコボコはある(高いものと低いもので30以上の差)ので、今受けている公的なサポート(公立小学校で通級指導、放課後デイサービスで言語指導や運動指導←運動苦手)は継続して受けさせていただくつもり。
なかなか、知能が高い子だとは思ってはいたけど、
以前の数字を信用していたので、まずまずでしょう。と思っていた程度でした。
でも、今回の数字は、ちょっと真面目に今後を考えた方がいい領域かな、と。
小中で、親にこういう事して欲しかった(して欲しくなかった)、などあれば教えてほしいです。
地方在住なのと、一人っ子ではないので経済的にも都市部の有名私立中を目指すことはすでに難しく。
(都市部なら、偏差値の高い私立中目指すのが一番無難で平和だとは理解してますが)
今のところ、好きなことは睡眠と小学校優先で最大限取り組んでもいい状況にはしているけど(特性上、好きなことは自ら停止できないので、放っておいたら6歳ぐらいでも12時過ぎてもやってた。当時はレゴ。今はプログラミングにハマっている)、それぐらいでいいのだろうか。
悩ましい。
息子の傾向や、今すでに取り組んでいることなど、こちらに追記を書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20170516165447
本を注文しました報告
https://anond.hatelabo.jp/20170726094325