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2016-11-17

怒りという感情を、表現できない。だから最後はいつも、逃げ。

「怒らないことはよいこと」

「怒ったら人間関係おしまい

「怒るのは、小さい男」

「怒るのは、問題解決にはならない」

最後に殴り合いのケンカをした中学生時代からこちら、ずっとそんな風に思い込んで、20年くらい生きてきた。

「それはないだろ」。相手言動や行動に、反発を感じることは、仕事でも、短かった結婚生活でも、よくあった。

そうなると、すぐに「ま、おこってもしかたない。そういうものもの」と思い直して、やり過ごしてきた。

でも。

捨てたと思っていた感情は、時に自分に牙を剥く。ひとりの夜に襲ってくる。耳鳴りがして、のどが渇く。それでも、歯を食いしばって布団をかぶり、目をつぶっていると、いつしか眠りが訪れて、僕を救ってくれた。ああ、昨日は寝つきが悪かったなあ。そう、軽く済ます。決まって、そんな夜はシュークリームが食べたくなった。コンビニで買えるような、安いやつ。

でも。

仕事も、異性関係も、5年もすると限界がやってくる。

ある日突然、「あ、終わりだ」。

憑き物が落ちたみたいに、情熱を注いだ仕事愛する人に、何の関心も持てなくなる。胸のつかえがなくなると、また僕はただの陽気な男に戻る。

そんなことを繰り返して、ようやく気づいた。

「僕は怒りかたを、しらないだけなんだ」

怒らないことがいまの僕を、つくってくれた。

怒らないことが僕を、苦しめた。

怖くてしかたがない。

いまのままでいるのも。怒りを抱えてしまうことも。

僕は何度でも泣いてしま

僕には父親がいない。

結婚するということがどういうものかよくわからなかった。

大人になって、特に子どもが嫌いというわけでもなく、好きでもなかった。

から自分子どもが出来たと知った時、正直不安だった。

「僕は自分の子どもを好きになれるのだろうか」

「僕はちゃんと父親になれるのだろうか」

父親とはどうあるべきなのだろうか」

「これから何をすれば良いのだろうか」

大人が何なのか分かっていないのに子どもなんて育てられるのだろうか」

そんな不安な日々が続き、僕は奥さんを気遣うことができなくなってしまった。

初めて見た子ども3D映像でも、実感は沸かなかった。

ある日、奥さんとケンカした。

なんでケンカしたのかはもう覚えていない。

気まずい朝を迎え、僕はそそくさと出勤した。

しばらくして、お昼を過ぎたあたりだっただろうか。

奥さんからLINEで連絡があった。

入院することになった」

ケンカしてすっかり忘れていたけれど、検診の日だった。

検診で血圧が高くなりすぎてしまったので、入院することになった、と。

産婦人科では血圧のことは言われていた。

血圧計まで買って、毎日血圧を計っていたけど下がらないので、産婦人科のおじいちゃん先生から紹介状書くからすぐに大学病院に行けと言われて翌日行った。

だけど、大学病院先生には少し呆れ顔で、まだ大丈夫だと言われた。

産婦人科のおじいちゃん先生が、危険かもしれないと判断したけど、大学病院先生問題ないレベルだと言ったのだ。

そんなことを思い出しながら、僕は急いで病院に向かった。

病院に向かう途中、何故入院になったのだ、いやきっと大丈夫ケンカしたせいかもしれない、いやきっと大丈夫

そんな自問自答を繰り返した。

病院につくと、大丈夫だと言っていた先生から検査入院」だと言われた。

やっぱり血圧下がっていない、と。

から、安静のために入院してほしいと言われた。その時、子どもはまだ31週だった。

まれるにはまだ2ヶ月くらい早かった。

僕は少し安心しつつも、これから2ヶ月間しばらくは病院いかなと思いながら家に帰った。

奥さんからは、「部屋が暗い」だの、「周りがうるさい」だの、「安静にしなきゃいけない妊婦ばかりで気が滅入る」だの、文句ばかりのLINEが送られてきた。

まりそういうことをLINEで送ってくるような人じゃないので、きっと精神的に疲れているのだろうと思ったのを覚えている。

3日後。

朝、電車会社最寄り駅に着いてすぐに、奥さんからLINEが送られてきた。

今日帝王切開することになった」

僕はパニックになった。

理解ができなかった。

もの凄い不安になった。

とにかく病院に急いで向かい担当から説明を受けた。

血圧が下がらず、最悪は胎盤が剥がれて、赤ちゃん酸素が行かなくなり危険になってしまう。

また、お母さんも血圧が上がりすぎて良い状態じゃないので、妊娠を終了させるためにも今日帝王切開します。と言われた。

訳がわからなかったが、先生を信じるしかないと思った。

その時丁度妊娠32週目の日だった。

僕は子ども名前も考えてなかった。いや、二人で大体考えていたけれど、年末ゆっくり考えればよいかと思って、まだちゃんとは考えてなかった。

義理のお母さんがやってきた。

何を話したかは覚えていない。だけど、最悪なことも考えないといけないとは言われた。私たちがしっかりしないといけないと言われたのを覚えている。

帝王切開出産したということはよくあるだろう。

だけど、早く産まれしまったというのは僕の周りでは聞いたことがなかった。

調べなくても良いのに、僕は思わず妊娠高血圧症候群について調べてしまった。

胎盤剥離が発生すると、数十パーセント確率赤ちゃんは亡くなってしまうこと、10%の確率で奥さんが亡くなってしまうこと、数%の確率でどちらも亡くなってしまうことを知った。

僕は絶望的な気持ちになりかけたけれど、やっぱり先生を信じるしかないと思い、マイナス考えるのをやめた

夕方予定されていた手術は17時までずれ込んだ。

それまで僕は祈る以外に出来ることがなかったので、子ども名前を考えた。

そして、待合室で祈った。

18時過ぎ。

待合室の他の患者親族の人から、「◯◯さん、今赤ちゃん通りましたよ!」と言われて、慌てて廊下にでると、そこにはとても小さな赤ちゃんがケースに入っていた。

赤ちゃんは小さな声だったけど、ちゃんと泣きましたよ」「これからちゃんと検査しまからね」「お母さんも元気です」と言われた。

僕はその場で泣いた。

暫くして、奥さんが運ばれてきた。帝王切開は半身麻酔らしく、意識はあったけどぐったりしていた。

先生から胎盤が剥がれかかっていて、いつ全部剥がれていてもおかしくなかったこと、剥がれる前に出産できたからまずは安心だということを言われた。

それから時間して、NICU先生から説明を受けた。

まず、最初検査では問題は無かったけど、これからもう少し詳しく調べますということ。赤ちゃんは産まれて3日間が一番大きく変化があること、その3日間で問題が発生する可能性があることを聞いた。

かなりの数の承諾書サインをして、唯一肉親の僕だけがNICUへの入室を許可された。

時間はもう21時。

NICUは僕の想像していた赤ちゃんの部屋とはまるで違う世界だった。

暗く、無数のセンサーやランプが繰り返し点滅し、頻繁にアラート音がなるような場所だった。

僕のこどもも、大きなセンサーがつけられた保育器の中で寝ていた。

触って良いと言われ、アルコールで消毒したあと、僕は自分の子どもに初めて触れた。

とても小さく、脂肪殆ど無い身体だった。

どこを触っていいかからず、足だけを触っていたら、子どもが小さな声で泣き出してしまった。

どうして良いかからず、看護師さんに助けを求めたら「大丈夫ですよ」と言われ、安心した。

しばらく触れていたら、また涙が出てきた。

僕は何を不安に思っていたのだろうか。何も悩むことなんてなかった。

僕はこの子を守るために生きるんだと。どんなことがあっても守るんだと心の底から思った。

自分想像していた父親像とかどうでも良かった。ただ、子どもを守るために頑張るだけだった。

帰りの電車

大学病院からは数駅だけだったけれど、電車の中で僕はまた泣いた。

家に帰って、布団の中で僕はまた泣いた。

不安もあったけれど、安心の方が大きかった。





あれから2年。

息子はもうすぐ2歳になる。

まれとき体重が1,600gしかなかったのに、いまでは11kgくらいある。

まれ半年で平均に追いつき、すくすく育ってくれた。

もう抱っこするのもしんどいくらいだ。

今では車が大好きで、おもちゃミニカーばかり。

毎日「はたらくくるま」を歌っている。

息子と散歩に出かけては成長を感じて泣いてしまう。

息子がお昼寝のときに、突然起きて泣いてしまうのを見て僕も泣いてしまう。

2年前のこのことをふと思い出しては泣いてしまう。


僕は泣いてばかりだ。

でも、息子も奥さんも元気だから良かった。

ただ、それだけ。

2016-11-16

主婦生活がおふとん力高すぎて困ってる

タイトルのとおりだ。専業主婦生活が思いの外楽しい。このままではだめだ、という気持ちがある。

母親は働いたり体を壊して専業主婦をやったりパートタイムで働いたりしていた。夫婦ケンカの際に「俺の金で食ってるくせに」と言われたり、離婚を考えた時に収入がないことがネックになったこともあり、娘の私には「専業主婦はだめだ。自分で稼ぎ自由でいろ」と言っていた。私もその考えを受け継ぎ、専業主婦などやるのはリスクが高くてよろしくない、と考えている。

永久就職かいうけれども、つぶしのきかない転職が限りなく難しい会社への就職だ。永久といいつつ一方的解雇離婚)を言い渡される可能性もあるし、こっちが嫌になるかもしれない。終身雇用安心するのは甘すぎる。それに年功序列的に給料というか対価があがっていくこともない。あまり就職したくない企業だ。やはり働いておきたい。と思っていた。思っていたのだ。

今年会社を辞めた。再び働くつもりはあったが、しばらく無職をすることにした。 で、家賃やら光熱費やらを夫の3分の1ほどの負担に軽減してもらう代わりに、それまで分担していた家事をほぼ私1人でやるようにした。掃除洗濯料理家計管理。渋々ながら主婦を始めたわけだ。

そしたら楽しかった。家事は、やらないでもわりとなんとかなり、しかしやろうとするとどこまででもでき、そしてそれぞれの効果が見えやすい上に、実際に手を動かすという私の好きなタイプ仕事だった。

そもそも夫婦二人ともだらしなく、しかも元々共働き家事がおろそかだったので、要求レベルが非常に低い。しか子供はいないので、やらないといけない家事の量が少ない。会社で働いていたときのようなノルマとかプレッシャーとかないのだ。

しかし、その一方でやりこみ要素はいくらでもある。ベランダ排水口の掃除みたいな余裕がないとやらない部分とか、洗濯機フィルターを定期的に変えるとか、そういうことが限りなくある。料理なんか沼だ。私はハマっていないが、しかしハマればいくらでも投下できるだけの深みがある。やらなくてもクリアできるけど、やりこみ要素はあり、しか家事というのは複合タスクなので、好きなルートを選んでやり込むことができる。会社での仕事では、もっとやりたいと思った仕事は上の都合でストップし、苦手なタイプ仕事をひたすらやるみたいなこともあったけど、そういうのがない。

そして、なにか工夫したり通常よりしっかりやった部分は、わかりやすく目に見える結果としてすぐに返ってくる。美味しいご飯が食べれるとか、綺麗で快適な部屋で過ごせるとか。自分受益者なのでそれだけでもモチベーションをあげられる。しか自分にとって大切な人間から感謝を表明される。まったく知らない人間に喜ばれるより、私は嬉しい。

あと、「家で一人とか寂しくない?」とか「1日家いたら暇でしょ」とか言われるけどそんなことはない。

もともと一人でいるのも割りと平気、というか人と長時間いると疲れる性質だった上に、うちはけっこう人の出入りが多い。まず、夫がリモート可なので家にいることもぼちぼちある。それに定期的に家でミーティングをしていたり、たこ焼きやるから餃子をやるからと人呼んだりと週に1〜2日は誰かくる。さらにその上、妊娠していたり自宅で仕事をしていたりといった友人達ビデオチャットで平日は家を繋っぱなしにする、という試みもやっている。なので、人との触れ合いの部分は問題いかんじだ。

ヒマも別にない。まず家事は思ったより時間を使う。それに工作趣味なのでひたすら作っていられるし、元同僚と勉強会みたいなこともしているのでその準備やらいろいろある。VRゲームももっとやりたいし、なんなら作りたい。そういうやりたいことは山のようにあるし、80歳くらいまではやりたいことがなくなることはないと思う。

というような感じで、主婦業が以外にピッタリきてしまった。これまでの価値観真逆でショックだ。

でまぁ長々書いたんだけども、会社をやめてはや半年主婦居心地が良い。けどお金問題とか自分が働いてないリスクは高いので、働かねばな、しかし抜け出したくない、やばい、という感じでうだうだしてるのだ。主婦というものはお布団力が高い。そういえば夫が、私の尻を叩く会をするか、みたいな話をしたといっていたので、実現すれば叩かれて飛び出るかなぁ。

2016-11-13

浮気とか恋人同士のケンカで、「女性男性携帯電話を折って破壊する」っていうシーンをテレビネットでよく見かけるが、

それによってリチウムイオン電池の液漏れで皮膚を火傷したとか、液が目に入って怪我ないしは失明したって話をネット検索した範囲では一切見つからなかったけど、これって、

  1. リチウムイオン電池メーカー安全性はすごいなあ
  2. いやいや、携帯電話に過度な力が加えられたら電池より先に携帯破壊される仕組みにした携帯電話メーカーが偉いよ
  3. 折ったとかウソ。全部作り話
  4. 正直、感情に任せて行動したバカに罰が当たって欲しいと思って、一生懸命検索したが、そんなバカが意外といなくてがっかりだよ
  5. 友達彼女がそれで怪我した」というツイートしてリツイート数稼ぎたい


がっかりだよ

2016-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20161112185046

お父さん大好きな女

反抗期を逃した

すっかりおじいちゃんになった今となってはケンカもできない

2016-11-11

珍しくよっぴー氏の主張に全面同意できない

初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。

http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014

の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。



【誤認その1】

広告業界エラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすしろボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやす説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。

なぜならばこの人達世代的にも階層広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴カジュアルツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然ツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます

どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。

要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。


【誤認その2】

高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。

なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲーム手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものからです」。デザイン文章といったアウトプットに対して、属人的価値付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的行為です。ちなみに、自分広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為自然にこなすので、自分優越感を搾取相手不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります

もちろん、これらの行為批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。

また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界ダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます

蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点必要悪のようなものではとも思います参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います

ま、とはい蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマ優良誤認に加担した広告人から資格剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います



最後に。

個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。

しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネットライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的はい職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。

ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミ臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンしますけど。

2016-11-10

ある日の夕食の支度

嫁とね、一緒に夕飯の仕度してたの。

正直あんまりやる気ある日じゃなくて、楽な作業したいなーとは思ってた。

うちではエノキケチくさく、少ししか石づきを落とさないからバラす作業必要だ。

メニュー考えるより、手だけ動かしたいと思って言った。

エノキばらします」

突然嫁がキレた。

「なんで!?私のバラ仕方じゃ気に入らない!?

飯の仕度を始めるときに、嫁が不機嫌だったわけじゃない。

こういう突発ギレに釣られてはいけないのはわかっているが、こっちも人間、そんなに冷静に対応するのは無理だ。

なによりキレ理由不明すぎる。

「…なんでそうなるの?」

だって今までそんなこと言ったことないじゃない!!」

うーんたしかにそうですね。それは事実です。

なんとなく各自作業してることが多くて、あんまり明確な役割分担とか普段していない。

だがしかし、これ即ギレの理由になるか?

「私のやり方が気に入らなかったんでしょ!!そうなんでしょ!!」

手のつけようもなくヒートアップしてきて、こっちも釣られざるを得ない。

「どうしてそうなるんだよ!意味わかんない!」

冷静になりたくても、言葉がこれしかでてこない。

マジで意味わかんなかったし。

なんの被害妄想なの?

ともかくケンカするほどのことじゃないだろ?そうだろ?

ちょっと楽な作業意識的にとりたいと思うくらい許されない?

ホント、やめて!!意味わかんないから!!やめて!!!!」

結果結構強めに声をあげてしまった。

よかったのか悪かったのかわからんけど、嫁はそれ以上声を荒げるのをやめてくれた。

これってオレがエノキばらしていいやつ?悪いやつ?

わからんから、他の食材を手に取って様子をうかがった。

そんなに間をおかず、嫁が普通声音で話しかけてきた。

こっちは警戒してるから、すぐにいつもの対応はしなかったけど、やたらしゃべる感じだったから、自分が悪かったと思ったか少し冷静になったんだと思う。

機嫌直したようだったから、エノキはオレがバラした。

特に謝られもせず、普通に夕飯は食べた。

食後に食器洗っていたら、どうしてもさっきの事が思いだされて、重い溜息がでてしまった。

不毛な怒鳴りあいに発展しなかったのはよかったとして、もっといい対応方法があったんだろうか?

オレが正直に「楽したかったんです、すんません!」って言ってたら収まってたの??

ふだんは終わったケンカ蒸し返したりしないんだけど、なにか腑に落ちない。

どうしてあんな風にキレたのか、聞きたくなったけどやめた。

2016-11-07

結婚考えてた女性と終わった。

いろいろ理由は言ってたけど、まぁオレがピタッとはまらない男だったからだろう。

しかしいろいろ遊んだりした思い出が懐かしい…

涙も出て来るけど、ケンカ別れじゃないだけマシかなぁ…

早く次に行けるような精神状態に戻したいな。

父を気持ち悪いと思った過去

先日話題になっていた増田

「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。


私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイト男の子ケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。


小学校中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代男性比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日ちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシ気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体嫌悪感を感じるようになりました。


ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います


その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります


ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリーム冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチン飲み物を取りに行くと、父がリビングシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。


父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから休日に父が家にいることがなくなりました。


そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。

土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。


父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。


あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身過去正当化するつもりは更々ないですし、我が家対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います

追記(11/8)

一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます


私が父にしたことを本能から(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります


冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分理不尽発言のせいで、父親自分洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。


私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というもの意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。


父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。


「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論しかありません。


今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います


意見いただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました。

2016-11-06

はなまるうどん

バンドのリハ前に一人で食べてた

吉祥寺祝日夕方5時過ぎ

混む前で、店内ガラガラ

そこへ家族連れが入ってきた

お父さん、お母さん、推定3歳男児

お母さんのエルゴ推定生後6ヶ月の赤ちゃん

両親は推定30代前半

カジュアル服装ながら、だらしなくない

立ち振る舞いからも、なんとなく育ちの良さが表れている感じ

買い物帰りらしく、荷物で手がふさがっていた

注文前にテーブル席へ

「ここにしよっか」穏やかな口調のお父さん

椅子を引いて荷物を置いていると、推定3歳男児がポツリと

「ボク、ここイヤだ」

すかさずお母さんが「じゃあこっちにしようか」と隣りのテーブル席へ

お父さんもすぐに荷物を移動し始める

すると推定3歳男児

「ボク、ここで食べるのイヤだ」

グズる感じではなく、自分意思を冷静に伝える口調

お母さん「おうどん食べて帰ろうよ?お腹空いたでしょう?」

推定3歳男児「ボクおウチでおうどん食べたい」

お父さん、お母さん「‥‥‥」

このとき沈黙、たぶん3秒間くらいだったと思うけど、妙に長く感じた

自分だったらどうするだろう?

なんて言いくるめるだろう?

とか、

あゝちょっとした修羅場になるのかな、子ども泣くかな

とか

で、お父さん

「じゃあ、おウチ帰ろっか」

お母さん

「‥うん、おウチで食べよっか」

絶句した

いや、もちろん心の中で

休日の昼間の吉祥寺の人の量をご存知だろうか

渋谷新宿並と言っても過言ではない

推定3歳男児推定生後6ヶ月の赤子を連れて買い物してまわるのが、どれだけ骨の折れることか

我が家の1歳女児と恐妻に想いを馳せずとも、容易に想像できる

疲れているであろう

子どもが騒いでもわりと平気なはなまるうどんで、ササっと食べて帰る

自分ならこのプランの変更などあり得ない

帰って、オムツを替え、ミルクをやり、お風呂の準備、買い物の荷物の整理、その間も騒ぐ推定3歳男児相手をし、自分たちも着替えたり、なんやかんや

しながらうどんを作って‥

いや、ないない

はなまるうどんベストチョイス

それをあっさり捨て去った

理由も聞かずに

帰り際のお父さんの一言

「なんだよぉ〜、ゆっくり食べれると思ったのに〜」

この口調が大事

怒りでもなく、悲しみでもなく、嘆きでもなく、嫌味でもない

トホホ‥(苦笑い

こんな感じだった

お母さんは言葉は発しなかったけど、やっぱり苦笑い

衝撃だった

何を食べて、何を見て、どんな親の元で育ったら、こんな親に成れるのか

推定3歳男児の冷静な意思表示を思い返し、正に、この親にしてこの子ありなんだなと

次の日、娘を初めて動物園に連れていく日

行きの車内で娘が寝た

最近は、離乳食を食べない問題保育園に落ち続ける問題などで、心穏やかに過ごせる日が少なくなっていた

頼れる親もなく、初めての子育てに戸惑うことが多かった

特に離乳食問題は深刻だった

子の成長を願い、余裕のない中、時間をかけて栄養バランスを考え、愛情たっぷりに作ったものを吐き出され、

握り潰され、床に撒き散らされ、泣き喚かれる

それが連日続く

次第に追い詰められ、食事時間が怖くなる

さすがに見かねて、朝だけは自分が食べさせることにしていた

朝だけでも、相当堪えていた

出勤前、時間が迫る中、なんとかひと口でも食べてもらおうと焦る

からすでに疲労困憊で満員電車に飛び乗りる

そんな日が続いて、自分も余裕を失っていた

つい大きな声で叱ってしまったりすることが増えていた

互いを責めた

そしてお互いが自己嫌悪していた

このうどん屋の一件を、妻に話した

話し終えてバックミラーを見ると、妻が泣いていた

そこから、穏やかに過ごすにはどうすればいいかを冷静に、建設的に話し合えた

お互い至らなさを恥じ、反省した

相手への感謝を口にした

その日もケンカせずに動物園で目一杯楽しめた

子どもを連れてどこかに出かけてケンカせずに帰ってくるなんて、今までなかったかもしれない

その話、増田に書きなよ?と言われたので、書いた次第です

あの親子さん、ありがとうございました

どっちの飯屋に行く?

値段、行くまでの距離は同じものとする。

 A:並んでなくて、入ればすぐに飯が食える。旨いのかどうかは不明

 B:人が並んでいて1時間ほど待つ必要がある。ネット情報によると旨いらしい。

とりあえず座って飯を食って酒を飲みたい自分としては迷わずAを選ぶけど、せっかくだから旨いものが食いたいという友人は迷わずBを選んでくる。というわけで、予約無しで適当な飯屋を探そかーと街中をうろつくと高確率で友人とケンカすることに……。Bを予約してすぐに入れるようにすれば、話はスムーズに済むけど、思い付きで食いに行く場合はそうはいかない。

こういう場合だと、どっちの店に行く人が多いんでしょうか。

2016-11-04

怒りながら泣いてしまったこと

普段から怒ったり悲しんだりという感情が人よりかなり少なく、殆どそう言った事はないし、

笑ったり喜んだりは人よりも多いつもりで、かなり長く付き合っているが、彼女ケンカしたことも一回二回くらいしかない。

ちょっとした言動で、かなり久々に彼女に怒ったのだが、

自分自身自分が怒るなんて想定外で、自分相手に怒ったことで動揺してしまった。

動揺しつつもこれは相手から謝るまで謝らないぞと、心に決めて数十分後に相手は謝ってきた。

それで心がスッとしたわけではなく、何故かそこで凄く泣いてしまった。

ボロボロ涙がでてきて、なんで自分が泣いてるのか分からなかった。

安心した訳でも、何かを達成したわけでもなく、多分悔しかったり悲しかったわけでもない。

結果仲直りと言うか、日常に戻ったのだが、未だに分からない。

いつもなら怒るどころか、自虐しながら会話を盛り上げられる様なことで、

自分は怒って、相手が謝ってきたタイミングで涙がたくさん出て来たのか。

感動以外で泣いたのなんて何年振りか分からない。

特別嫌なことがその日あった訳でもないし、理由が思い当たらない。

しばらく涙が止まらなくて、自分コントロールしてるつもりでも、

上手くいかないことがあることをこの歳で気づくとは思わなかった。

ずっとぼんやり考えているが、答えはどれも格好つけた様なものばかりで、答えが出ない。

散文で申し訳ない。

2016-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

数々の「娘が悪い、お父さん悪くない」コメント絶望しつつトラバする。

この件に限った話じゃないが、子ども自分でもよくないとわかっているのに他者を傷つけかねない言動を取ったときには「なぜ」そのようなアウトプットに至ったのか、本人のありのまま感情をまずは一度受け止めたうえで、今後はどうすべきかを説明して聞かせるのが大人役割である

今回で言えば、娘は父親のいないところで母親相談していた。

立ち聞きされるかもしれない時と場所相談したとか言葉の選び方がまずいのは幼さゆえの配慮の足りなさ。

中学生ならそのくらい理解できるだろう、とか書いてる人がいるが、今の中学生としゃべったことないだろ。

十代は本当にそのへんの社会性は個人差が大きいよ。

わかる子は言われなくてもわかるし、わからない子は言われてもまったくわからない。

それが今の中学生。ついでに言えば高校生もそうだよ。

そういうことで中学生の娘に大人と同レベル配慮した振る舞いを求めることがまず無理。期待しすぎ。

親の目の前でキモいとかウザいとか言い放つ子も少なくない中で、まだこの子良識があるほうだと思う。

なのでそこで大人がするべきはまず、「なぜ」そんな相談母親にするにいたったのかを、本人に尋ねる。本人の口から説明させることだ。

父親本人に言いづらいのであれば母親が聞く。

どれだけ言語化できるかも個人差が非常に大きいが、とにかく母親になら、しっかり時間を取って対話しようという姿勢を見せたらある程度は本音を話せるはずなので(父にも母にも話せない場合は親子関係がほんとまずい状態に陥ってるので親は危機感を持つべし)本音を引き出す。

どのような言葉が出てくるかはそのときになってみないとわからない。

しかし、その本音を決して否定してはいけない。

生きていく上で、好きなものを好きと表明するのと同様に、嫌いなものを嫌いと表明する力も重要だ。

親がその芽生えを妨げてはいけない。

どのような気持ちであっても、尊重せねばならない。

父は大いに傷ついたということを伝えるのは、それからだ。

でないと教育効果は出ない。

人は、自分を受け入れてくれている(と感じられる)人から言われた言葉しか受け入れない。

娘の気持ちをまずは受け入れたうえで、家族といっても、親といっても、お互いに一人の人間であることに変わりはなく、言動にはもっと配慮すべきであることを伝える。嫌いなものを嫌いと表明する行為のもの否定してはいけない。表明するときには、傷つけてはいけない人を傷つけてしまわないように、ということが、大人が伝えるべきことだ。この場合父親を傷つけるかもしれないことが予測できたからこそ父親のいないところで相談したのであり、それは先ほども申し上げた通り中学生としては十分に及第点だと考えなければならないのだ。ひとつ彼女がまだ思い至らなかったことは「母親を傷つけてしまうかもしれない」ことだったかもしれないが、ただそれも父親からの伝聞では正確なところはわからないので何とも言えない。

子どもはまだ言語能力も未熟だし社会性も発達してないのでこういうとき表現の仕方がとにかく下手だ。力関係では大人にかなわないことなんて本人達が一番よくわかっている。それでも本人なりに思うところがあって大人に訴えたいことがあるのだから、それを受け止めるぐらいの度量の大きさは親ならがんばって持とうよ。同じ精神レベルケンカたかと思えば「誰の金で」だなんて、もういちいち対応が幼稚すぎて呆れてしまう。彼女にとってのお父さんはあなただけなんだよ。そんなことでいちいち揺らいでたら、これから先が大変だよ。親ならもっと腹をくくりなさいな。

2016-11-01

女ってめちゃめちゃ男に対してダメだしするしケチつけるしケンカ売ってくるくせに、

どんな女でも男がくっついてるよな。

なんでそこまでして男と一緒にいるのか分からないけど、どういう病気なの。

http://anond.hatelabo.jp/20161101115710

共働きの家庭で育って小中学校とずっと鍵っ子死語?)だった一人として言わせてもらうと

家に帰って親がいないという自分だけの時間があったことが今になってすごくよかったと思ってる。

山本も読んだし、友達と一緒に遊びに行けたし。

まわりは専業主婦が多くて毎日帰るとお母さんかお祖母ちゃんが待っててくれる同級生ちょっとうらやましいと思ったこともあったけど

逆にいつも家で監視されてるみたいでやだなあとも思ってた。

もっとも当時は共働きといってもそこそこ労働環境がきちんとしていたので、母親は6時ころ、父親も8時には帰って来てたので「待ってれば帰ってきてくれる」という安心感はあったけどね。

裕福な生活はさせてもらえたし。

自分をとりわけ不幸と思ったことはないよ。

ただちょっとしたことで家計が苦しくなって父母がしょっちゅうケンカしてた時期の方がすごく子供心につらかった。

喧嘩しなきゃ両親の不在ってそんな幸不幸に関係なくない?

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025032408

昭和の話とはいえ、昔のDVガチで怖いなー

今のDVってケンカしたときに机を叩いただけでDV認定されたりするらしいし、はぁ。。

2016-10-20

沖縄県民の一個人沖縄米軍基地負担について思うこと

沖縄県民である自分個人の考えをまとめるために書く

自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民利益に繋がる」と考える、以下理由

沖縄県民意見とは)

・まず『沖縄県民』という主語はでかい

 直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史現在置かれている状況も違う

 那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。

 南西諸島などの離島沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島政権から差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。

 そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力川内原発についての福岡奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。

・そもそも友人・家族・親戚で基地問題について話題にしない

 ケンカになるからほとんどの場合自分在日米軍国防関係自分と違う意見や明らかに間違っている知識沖縄県負担している米軍基地割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。

 しか中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係ワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカ覇権絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客お金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。

・そんなわけで、『沖縄県民意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う

 基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人軍属相手商売生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去事件事故家族被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見統一できない思想自由なので当然だ

・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう

 手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う

米軍基地はどうするべきか)

普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府米軍沖縄県民宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在問題だと考えている

・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地建設が進められているが、要するに日本政府意向失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。

・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。

・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯ジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う

・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県基地負担未来永劫、永遠に続くことになる

 この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済暴力に向かわせる力がある。

 まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。

・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。

・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。

・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民意思無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設同意してしまうと今度は『沖縄県地元住民は新しい基地建設することに同意した』という新しい現状が生まれしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。

政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄

 前世紀に普天間基地代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザ脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。

・それが国に対する借りとなり、将来の沖縄県民利益に繋がる

(余談)

・そもそも海兵隊基地なんて必要なのか

 みんな『次の戦争』に備えるとき記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。

 第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか

 みんな『次の戦争』を考えるとき太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本宣戦布告されたり、するとき

 東京都核ミサイルが落ちてくるときだろう

 第三次世界大戦が起き、全人類が存続の危機に立たされるとき

 だから『次の戦争』は全力で防ぐしかなく、その方法外交努力民間協力、相互理解によるだろうと考える。

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161016200010

この元増田カントハイデガーを読んで、それを咀嚼するために増田ケンカを売りに来ているように見える。

2016-10-11

人類の反逆

はてなブックマークを利用していると各種の弱者マイノリティとされる人たち、女性高齢者病人障害者LGBTオタク貧困者・バカといった人たちに関する記事、及びその記事に付いたブックマークコメントをよく読むようになる

最近では(自業自得の)透析患者死ね、とかゲイであることによって差別されるとかだ

それらの話題他人を傷つける側に回る人が絶えないのは、その意見生物学的にいえば正しそうだからじゃないかと思う

まり生物学的には男女で子どもを残すのは疑う余地も無い生物としての使命。生まれながらに障害を持って生まれてきたような個体遺伝子を残すべきでないし、死病にかかれば死ぬべきで、弱肉強食、優れた強者が優先して生き延びるべきで、その結果劣った弱者を害したとしても残酷かも知れないがそれが正しい、自然なのだ、と言うことになる

でもそんな残酷かも知れないが生物としては正しく自然社会を、人類は来たるべき未来として選ばなかった、なぜか?と考えた

思ったことは、人類の知性が生み出してきた社会というのは、究極的には自身生物である事への反逆なんだなと言うことだ

話はちょっとそれるけど生物の中において、オスからメスに対する反逆があると思う

生物は増殖性(子を産む)があるものから生物の基本形はメスのはずだ。元々はメスがメスを生み、自己増殖を繰り返していた。遺伝子的な多様性を持つためメスとメスの間で遺伝子を交換し合う総百合生物を経て、もっと効率よく遺伝子的に強い子孫を得るための方法としてオスを分離することを編み出した

すなわち、オスはお互い同種のオス同士で競い・殺し合い、それに打ち勝ったその地域で最も優れたオスが多数のメスと子をなして強い子孫を残すシステムだ。この方法なら百合生物がメス同士競争しあうより、増殖する機会を損なわず効率的遺伝子の選別が出来る

でもそれのシステムに反逆するオスも出てくる

たとえば単純なケンカの強さで無く、羽根の鮮やかさやキバの長さといった勝手自己ルールで勝ち負けを決める方法だ。捕食者に目立つ鮮やかな羽根や、肥大しすぎて獲物を捕る用途に使えないレベルまで伸びきってしまキバ、といったもので優秀なオスを決めるルール下では、その種族はいつか進化の果てに滅ぶかもしれない、でもそれでいい、それしかないんだというオスたちの自分種族に対する反逆を感じる

現在歴史上の人類社会の多くがオス中心なのも、本来殺し合うために生まれたオスという存在を最大限幸福にする経験則を重ねた結果、メスに対する反逆の社会が生まれたんじゃないかとも思う

話を戻すと

人類はより多くの個体幸福を求めてきた、それは結果として自分という個体幸福としても現れる

死にたくない、ずっと若く健康でいたい、安心のもと快適に暮らしたい、おいしいものをいつでも好きなだけ食べたい、他者からみて特別でいたい、美しく、優れた存在でありたい、理解し合える仲間と認め合いたい、望みの配偶者を得て理想の家庭、優れた子を得たい、金持ちの親からまれたい、年下のお母さんが欲しい

実際には生物とは生まれたら死ぬものだし、老い衰えることから逃れられず、病気になることもある。また争えば勝者と引き替えに必ず敗者が生まれ、親は選べず、飢え、孤独ララアの死から逃れることは出来ない

生物として生まれた以上仕方の無いこと、そこを人類は知性により社会を築くことで可能な限り克服してきた。これからもしていく

病期を治療し、低所得者に機会を与え、労働できない個体の衣食住を保証障害を持って生まれ個体不自由ない暮らしができる(ようになる)、生まれとき性別に縛られず、同性同士で結婚し家庭を持てる。そのうち必要労働はすべて人類以外の存在が行い、望んだパートナーを好きなだけ所有できる時代になる。自己実現も思いのままで、みんなこの世界の置き換え不可能特別存在として尊敬を集めることが出来る。死ななくなる、生物で無くなる

人類がそう望んでいるからだ、そして知性はそれを絶対に叶える

できれば人類が、その知性が、自身生物であることへの反逆を成し遂げたときに立ち会いたい

とは言ってもそこまで長生きできそうにないか

障害とか延命治療とかLGBT問題でそんなことは不自然だ、とか言うやつに、うるさい、人類のものが不自然なんだよ。そして人類の知恵はそんなもんだって乗り越えてみせる!って言ってやろう、と思った(現在結論

2016-10-05

学校教員という職業過酷すぎる

学校教員という職業過酷すぎる。

これでは、確固たる意志を持った人以外は、

優秀な人材学校教員を志すことはないだろう。

僕は教育学部に4年間通って痛感した。

僕は小学校のころの担任にあこがれて、そのまま単純に小学校教員を志した。

偏差値65くらいの高校に行って、偏差値55くらいの大学入学した。

学力だけで言えば、これくらいの学力レベルで、「小学校先生」という職には就ける。

小学校先生に一番必要ものって何だと思う?

4年前の僕は最低限の学力と、そして、子どもが好きなこと・教えるのが好きなことだと思っていた。

でも、今の僕がこの問いに答えるなら、「適度に手を抜く能力」だと答えるだろう。

僕の二つ上の先輩が、ある時こう言った。

一年目の労働時間を時給換算したら850円を切ったよ。」

小学校教員という職業は、無数に仕事がある。

日々の「勉強を教える」という仕事のほかに、保護者対応地域の人との連携

学校全体の仕事教員内で振り分ける)、研修、その他諸々。

あと、「休み時間」はあくまでも小学生にとっての休み時間であって、

教員仕事をしている。給食時間も、教員から見れば指導時間だ。

それから、やっぱり保護者対応がきつすぎる。

「うちの子、授業を理解してないみたいなんです。今から自宅に来て家庭教師をしていただけませんか?」

「うちの子迷子なんです!探してください!」(深夜)

こんなのは日常茶飯事。

子ども同士がケンカをしたら、子どもたちにはきちんと対応した上で、

子ども帰宅する前に各家庭に連絡を入れてフォローする。

もし子どもケンカ自体に気付けなかったら即アウト。

最初PTA懇談会で目をつけられたら終わり。

新任の男性教職員比較的気に入られることが多いけど、

女性特に「若くてかわいい」と、まあ大抵、保護者リーダー格に睨まれる。

そして嫌がらせ集団いじめられて本気で退職に追いやられる。

そんなの他の仕事でも同じだ!って言われるだろうね。

僕もそう思う。教員けがきつい仕事ではないだろう。

でも、この現状では本当に先生になりたい人以外の

優秀な人材は他の職業を選ぶと思う。

これから未来を支える子供たちを教育する職業は、

なるべく優秀な人材指導したほうがいいと思わないかい?

そんなわけで、これから日本を支える子供たちを育てる大切な職業である教員の、待遇改善を求めます



ちなみに僕は春から地元県庁に勤めます

2016-10-01

田舎消防団の現状を書いてみる

ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ9W51BZJ9WUOHB00M.html

このトピの続き http://anond.hatelabo.jp/20161002133912

前提として、消防団って主語にしてるけど、消防団運営状態地域地域でさっぱり空気が違っていたり、方法が違ってい

たりするのでとある田舎の一事情として見てほしい。

ちな所属1桁年の末端平団員から視点なのでそちらもお察しで。

まず基本。公設消防消防団とは完全に別組織というお話

公設消防はいわゆる普通消防署中の人正規公務員で、フルタイムで待機やら訓練やら整備やら書類仕事やらしてはる。

自治体ごとに持っている場合もあるし、地方部だと財政厳しいか複数自治体が集まって防災組合を作っている場合もある。

常設なので119すれば10~15分ぐらいで現着できるプロ集団

消防団自治体ごとにある地域防災組織で、身分としては特別公務員かそんな感じだったはず。

警官消防署員・自衛官など非常時緊急招集かかる人は入れない(はず)。

あと副業禁止ががっちりしてる企業勤めの人も入れない(厳密には副業になる)。

組織としては地域ごとに呼称は異なるものの、大ざっぱには自治体ごとに「団」があって、その下の校区単位ぐらいで

「分団」がきて、その下の各集落自治会単位で「部」がある。

上越市場合は広いからもう一段階「方面隊」があるみたいね

棲み分けとしては、公設消防災害に即応可能な常備プロ組織。但し数に限度があるし維持コストもそれなりに必要

消防団は、地域ごとにある程度組織だった活動ができる土着組織で維持コスト比較的小さい。但し練度は低い。

普段、そこここで起きてる一般火災では、十中八九公設消防が先に来て消火しているので、消防団はその消火補助とか

鎮火後に再出火しないか監視とかの役回りになることがほとんど。

消防団存在が効いてくるのは、地震や水害、山火事火山噴火といった広域災害

東日本地震の後では、広島土砂崩れやら鬼怒川決壊やら熊本地震やら岩手北海道の水害やら。

公設消防では数の都合でカバー仕切れない部分を補うのが消防団

こういう広域災害の際に、ご近所一件ずつ回って要救助者の有無を確認して公設消防に伝えたり、自分らでいける分に

はその場で救助したりするのが消防団

ここらは普段のご近所の様子を知ってる土着組織のほうが向いてるわけ(←都会派からはここが気持ち悪いと言われるが仕方がない)



で、問題があると消防団廃止しろって話が出るんだけど、廃止したらしたで、ここらの広域災害への対応

弱体化(100救えていたところが1になるぐらい)するか、完全に対応する体制にするための高コスト税金で支払うかになる。

有事には地域人間でやれば~と言う案もあるだろうけど、指揮系統最初からできてる組織とそうじゃない集団

とでは情報の伝達速度と行動速度に雲泥の差があることはビジネスSE業が多そうなはてな民だとご存じかと思う。

なので、残念ながらそう簡単には潰せないのよね。

話題お金問題に目を向けると、こちらも少々ややこしい。

消防団員特別公務員なので、その自治体から年額おいくらで団員報酬が出ることになっている(これが今話題お金)。

その一方で機材の整備・運営は各集落自治会に委ねられているので、ポンプやらホースやらの機材整備の費用自治会

持ちになる(厳密には、自治会所有の機材を自治体組織消防団運用している形になる)。

団員の権限で使えるお金は、自治体から運営委託費という名目で部(自治会単位)に出る年額2~3万程度で、ポンプ

車両ガソリン代やらでトントンか赤。

その他に、訓練の移動時に車出してもらうお礼やら、機材洗浄の水道代、ちょっとした消耗品、訓練や待機の際の一服

缶コーヒー軽食やらの支出があるので、完全にその部の長の持ち出しになる。

自治会予算積んであればいいけれど、そんな余裕無いところが多いだろうし、自治会長のお宅に毎度毎度一々お願いし

にいって決済とって会計担当のお宅にいって現金引き出してもらって……とお互い大変に手間という問題もある。

なので、消防団(部)の権限で使える資金として、先の団員報酬を部でプールしておいて、そこらの支出や団研修費に

充てましょうやとなってる地域が件の上越市だったんじゃなかろうかと思うんですよね。うちもそうなので。

なんで今回トラブったかというと、入ってもらうときにそこらの説明を通していなかったか、内部でケンカになったか

でしょうなぁと。

こういう体制で回してるところは、委任状を書いて団員報酬の取り扱いを委任してるはずなんだけどね。

委任をすっ飛ばしてたら黒いとは思う)

ここらのお金の動きを知るまえに委任状印鑑押してて、訴えた本人気付いてないとかもありそう。

ぶっちゃけると、出動や大会後の慰労会、慰安旅行やらを全て無くして、警戒待機時の食事缶コーヒーとかも全部団員

個々人の自腹で持ち込みってことにすれば、経費は浮きますよ?

ただ、このご時世、地域のためとか言われても、お疲れ~の缶コーヒーも出せないような組織に入って+α仕事やってら

んねーですよ。ってのが正直なところで、そんなところに誰が入るんだって問題もあるんすよね。。

id:hyogo2009 消防団活動費用本来個人報酬になるはずのお金から捻出しているのが現状。個人渡しだと火災出動せず訓練不参加の幽霊団員がもうかるだけ。活動費用の自腹負担が増えて皆不幸になる。

こちらのブコメであるように、名簿に載ってるだけの幽霊団員が丸儲けという問題もあるし。

なるべく、現場に出てくる人にリターンがあるようにしようとすると、部で集約しておいてって方法は割と有効かなと。

(他に賢い手があるなら教えてね)

id:h20p 本人に直接払ってないのが悪い。だいたい、どうして昔の不便だったときにできたやり方を、現代適応させないんだろうね。アフィリエイトだって簡単に振り込まれるのにね。

id:karatte 最後にこのオチww→“6月の協議会では委員から、各団員の口座への振り込みを求める意見が出ていた。しかし、市はこの日の協議会で「消防団希望」を理由受領委任払いを続ける方針を表明した”

id:tsekine “「消防団希望」を理由受領委任払いを続ける方針を表明” 闇が深い…

id:nakex1 横領として立件すべきだと思うのだけど。というか現代において個別に支払えない事情などないでしょ。

id:shironeko_t "市はこの日の協議会で「消防団希望」を理由受領委任払いを続ける方針を表明した"着服している団体希望を叶えてどうするんだ

こういう現場事情があるんですわ。

id:atama_ii 幽霊団員もそこそこいると思われるので、参加手当とかあってもいいのでは。でも、夜警とか見回りの食事ケチらないでほしいのです。ありがたいし。ただし慰安旅行はクソだ。ピンクコンパニオン代はアカン。

出動手当は出る(らしい)。おねーちゃんは正直勘弁願いたいが、そーいうのが好きな人種が多いのもまた事実で、上手いことつき合っていかにゃならん現実

id:toaruR 経理事務ITを前提に組み直して良い。

ITシステムとか導入しようのない零細手工業環境なんですよね。

全国統一システム消防庁運営提供とかならあるいは。

そしてこの後に「そんな地方田舎に住んでるのが悪い。とっとと都会に移住せよ」って話があるだろうけど、都市部って

公設消防とかに足して人口が多すぎるから、いざとなると公設消防じゃ全く手が足りないのよね。

阪神淡路とかそうだった。

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