はてなキーワード: ケンカとは
http://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute
例えば、子供のケンカに大人がしゃしゃり出るのは変だし、スポーツで監督が試合中乱入するのも変でしょう
乱入して一緒に戦わないからって、それは決して、仲間を見捨てるとか安全圏で好き勝手言うとかではないのは理解できるはず
なのに、ポケモンを戦わせるだけで自分は戦わないからってサトシが卑怯だとか奇異だとか、はあ?って感じ
自分のポケモンが負けそうになったからって、トレーナーが殴りにいっちゃおかしいでしょうが
仲間と共闘してるというより、ポケモンバトルをしている、という大前提を忘れちゃいかん
自分も殴りに行かず鼓舞するだけ、という行動に対して卑怯だとか思ってしまうのって、やっぱり友達至上主義文化に犯されてると思う
何よりも仲間が大切とか、仲間を切り捨てるのは鬼畜の所業とか、ああいう刷り込みってどこから始まったんだ?
それぞれがそれぞれの責任と役割を果たすことが集団の利益になるというのも、またひとつの正しいあり方だと俺は思う
その過程で仲間を直接的に助けないことがあっても、それはそれでひとつの正義だろう、と俺は思うのだが、日本の漫画文化では、これは絶対悪とされている気がする
この刷り込み教育によって、従順な社畜が量産されているような気もする
最近の、仲間に溶け込まないゆとり新人みたいに言われる人って、こういう仲間至上主義少年漫画を読まず、無気力省エネ主人公のラノベで育ったんじゃないかって思う
これはこれで問題もあるのかもしれないが、仲間至上主義一色よりは絶対にいい
いや、色んな考えがあって世の中は良くなると思う
この間、生まれて初めて葬式に行ってきたのだけど色々初めての新鮮な経験をしたので、思ったところをなんのとりとめもなくつらつらと書き連ねてみたいと思う。
初めての葬式は母方の祖父の葬式だった。まあ葬式といってもそんな盛大なものではなくて、近い者たちだけで行う火葬式だった。祖父は半年前ほどに末期ガンで寿命宣告を受けていて、その死自体には何の驚きもなく、正直「やっとか……」という感じだった。というのも、祖父は数年前からいわゆるボケが始まっていて、祖母やたまに家を訪ねた母ともケンカばかりしていた。そして更にガンを患って入退院を繰り返し、同居して介護していた祖母は疲弊しきっていた。素直に死を嘆き悲しむ事ができるような祖父は、はるか記憶の彼方に埋もれていた。そんな状況だったから、なんだかとても薄情に聞こえるかもしれないが、自分にとってはその死の報せで特に悲しむということもなく、「これでやっとみんな楽になるんだな」という感想が一番だった。
そんなわけで、大した感慨とある種の現実味もないまま葬儀当日を迎えた。車で数十分の距離にある市営の小奇麗な火葬場は小高い丘の上にあった。火葬場に着くと早々に祖父の棺が運ばれてきた。自分達は炉の前で「最期のお別れ」をすることとなった。母が用意した白い薔薇と今朝書いたばかりの祖父への手紙を棺に入れた。狭い棺のなかで花に囲まれる祖父はまるでただ眠っているだけで、今にも起き出しそうに見えた。いよいよ炉の扉が開かれ祖父の棺がほの暗いその中へと消えていった。炉の扉が閉ざされて火が入ると付き添っていた僧侶が木魚を叩きながら経を唱え始めた。その瞬間、いきなり涙が溢れそうになり必死でこらえた。自分でも何故こうなったかわからなかった。ただその場の雰囲気に飲まれたのか、何か自分の奥底に眠っていた感情とやらが溢れたのかもしれない。その後、亡骸を焼ききるには一時間ほどかかるらしく、待合室で数少ない親戚との久々のささやかな会話をしながらその終わりを待っていた。
その間に先程の経を唱えた僧侶が来て祖父の戒名の説明をしていた。ちなみにこの僧侶へは、式全体のパック料金には含まれないお布施を直接渡すことになっていた。そのお布施の額も決まっていて、値段によって僧侶の人数だのが明確に決められていた。旧来の檀家制度に比べてみればある意味良心的なのかもしれないが、「ビジネスだなぁ……」としみじみ感じてしまった。しかし僧侶というのは大したもので、丁寧に戒名の由来を説明する姿や祖母や母の質問や相談に真摯に答える姿は、金銭の授受によって成立し提供されている一種の「サービス」であることを一切感じさせず、その清い心の底から自分達に同情と共感を向けてくれているように思えた。自分はここで初めて本当の意味での宗教の存在意義を見出したのかもしれない。ミッション系の大学に通っているので、講義で宗教の必要性や重要さ(キリスト教に関わらず)は訥々と説かれていたはずなのだが、懐疑的なところもあった。しかし、渡された戒名を眺めながら言った「これでじいちゃんもきっと向こうで喜んでるね」という祖母のありきたりのようにも思える台詞は、その疑念を実感を伴って払拭するような体験としては十分だった。
そして放送で祖父の名前が呼ばれ時が来たことを知らせた。その時自分は緊張していた。それはある叔父の言葉がきっかけだった。「じゃあお前たち、骨を拾うのも初めてってことだな」。それは自分達姉弟が葬儀に出席するのが初めてという話題に端を発し知らせられた衝撃の事実(自分にとっては)だった。その時は、骨は焼かれた後は影も形もないほど粉々になり、そのまま骨壷へ収められていくものだと勝手に勘違いしていていたので、まさか形が残っている骨を自らの手で拾わなくてはいけないとは夢にも思っていなかった。「あんまり形が残ってたらやだなあ……」などと考えながらいよいよ先程の炉の前に着いた。炉が開き、台車がゆっくりとこちらに向かってくる。その台車の上には軽石のような、なにか鉱石のようにも見える白い物体が載っていた。半ば逸らしていた目を向けよく見てみると、たしかに人の骨格をうっすらと思い起こさせる形をしていた。初めて人骨を目にしたが思ったより衝撃はなかった。二人一組になっていよいよ骨を拾い骨壷に入れる。自分の番になり、姉と一緒に恐る恐る遺骨を長い鉄製の箸でつかみ骨壷に入れた。一斉に骨を離した瞬間、骨壷のなかから乾いた音がした。もちろん骨はいくつもあるので、残りは火葬場の職員が手慣れた手つきで骨壷に収めていく。その時に「こちらは大腿骨です」とか骨の部位をいちいち説明してくるのだが、「そんなん言われても『へえ、これが大腿骨なんだ! 』以外どう思えっちゅうねん」と心のなかでツッコミを入れていたところ、母が「こんなに丈夫そうで、骨格は立派だったんだね」などと言い出し祖母もそれに同調し、「まさかこんな形で故人を偲ぶイベントが葬式にあるとは……」と少し興味深く感じてしまった。その後も骨は骨壷に収められ着々と骨壷の中身はかさを増していくのだが、途中で「どう考えても骨が骨壷に収まりきらないぞ……」とその場に居た皆が感づき始めた頃、不意に、「このままでは収まりきらないのでお骨を少し砕きますね」という声がかかった。その刹那、その職員は箸でバリバリと骨を砕き始めた。それはもう容赦なくだった。粉になった遺骨をさらさらと骨壷に収めていくぐらいだろうと考えていた自分にとっては、かなり印象的な光景になった。一緒に骨を入れた姉と終わった後に「あんなにバリバリ砕くとはねえ~」と少し笑いあった。式を終えた帰りの車内で骨壷を抱えながら「お父さんもこんな中に収まっちゃった」という祖母の気が抜けたような言葉には、何とも言えない寂寥の念を感じさせた。
なんだかんだ書いてきたけど、結局人が身近な人の死をどう認識して受け入れていくのか、そのプロセスのために何が必要なのか、とかそういったことが伝統的な儀式の中には組み込まれてるんだな、という当たり前のことを認識させられた。戒名とかそのために何万も金払うのとか無駄だろwとか思ってなくもなかったけど、単なる損得勘定では考えられないこともあるということも分かった。そして終わってみるといろんなことを学んだ気がした。どうでもいいけど遺骨はさらさらの粉になって出てくるって勘違い、小さい子供が魚は切り身で海を泳いでると思う勘違いと似てるなって思った。ほんとにどうでもいいな。おわり。
それはある日、ふと思ったのだ。
そう気づいたのは先週お昼にご飯を一人で食べているとき。
もうすぐ旦那が海外に一週間ほど出張に行くのをぼんやりと考えていたときだ。
わたしたちは普段は毎日一緒にいて、それなりに仲良く毎日を暮らしていて、
それが一週間ほど海外出張に行ってしまうのは、結構さみしいことなのである。
だから旦那を車で駅まで見送るときは、とても悲しく寂しい瞬間のはずだが、
毎回のように直前に喧嘩をして、喧嘩別れをしてそのまま一人で家に帰ってくるのだ。
そんなことを一人で考えていた。
旦那がキャリーケースをわたしの車に乗せるときに、トランクではなく後部座席に乗せてきて、
トランクに乗せてよと言っても、面倒くさがって乗せてくれず、
さらにキャリーケースのコロコロの最も汚い部分を中に入れるように押し込み、座面に付くよう乗せるのだ。
最も汚い部分を座席につけてシートを汚されるのは、わたしはとても嫌なのだ。
これは毎回である。何度かやめてと言っているのにも関わらず、またされたのである。
せめて後部座席に乗せるなら、コロコロの部分をシートにつけない向きにするか、
何かでカバーをしたりして汚さない配慮をして欲しいものだが、まったくもってそんな配慮をしてくれない。
ただ面倒くさいだけで、こちらの車のこと、わたしのことは何も考えてくれない態度が、
その時ばかりは耐えられず、ついにキレてしまったのだ。
駅に向かう車中では喧嘩である。そして駅に着きそのまま喧嘩をしたまま私は一人家に帰ってきたのだ。
一週間ほど会えなくなるのに、なんとも悲しい別れ方である。
(その後、メールですぐに仲直りはした)
そんな風に、気づけば私たちは毎回のように喧嘩をしていたのである。
わたしたちは家で映画をみたり、撮りだめたドラマを見ながら、お酒を飲んだりおつまみを食べたりして、楽しく週末の夜を過ごしていた。
ふと思い出して、私たちは毎回出張前に喧嘩をしていることを旦那に話してみたのだ。
「確かに」という反応だった。
これでまた明日ケンカしたらなんかあるね、ジンクスだねと話していたのだ。
その数分後に、旦那が買ってきてくれたプリンアラモード的なデザートをわたしが一人で食べていて、
旦那に「一口食べる?」となかなか聞かず、シェアしなかったことに旦那が腹を立てて、少しケンカになったが
わたしがすぐに謝ったため、すぐに仲直りした。
お互い、ほらーやっぱりケンカしたとか、そっちが悪いからケンカするんだとか、ワイワイ楽しく言い合った。笑
その日は、起きて窓を開けると、目の前は一面真っ白、大雪である。
これはヤバいと思った。電車がちゃんと動くか、時間通りに空港に着くか、飛行機は飛ぶのか。
わたしたちの住んでいることろは年に2、3回くらいしか雪が降らない地域で、雪が降ると電車が止まったり、車が渋滞したりするのだ。
雪が降るとはニュースで言っていたが、思っていたよりも降っていた。
12時30分までに駅に送ってほしいと言われていたその日、わたしはいつものように自分の車で駅まで送るか、
もし雪が積もっていたらスノータイヤに変えている旦那の車で駅まで送ることになっていた。
旦那の車は大きく、数回しか乗ったことがないので、あまり運転に自信がない。
特に、旦那の車の駐車場は家から徒歩2、3分のところにあり、狭く、駐車しにくいのだ。
もちろん、わたしは今まで旦那の車を、その駐車場に入れたことがない。しかも雪だからさらに駐車しにくいはずだ。
駐車が一番、心配だった。
その日、思っていたよりかなり雪が降っていたことで、空港までの移動手段にさらにいくつか候補が上がった。
1、わたしの車で駅まで送る
2、旦那の車で駅まで送る
3、家の目の前にあるバス停から駅までバスで行く(11:10、12:10にバスが出ている)
4、車で空港まで行く
2はスノータイヤをはいていて安心。ただ、車の雪下ろし、少し雪の中を歩く、わたしが駐車が心配というのが欠点。
なので、もし2にするなら、行く前に駐車場で駐車の練習を一緒にしてからにして欲しいとお願いしたのだ。
しかし旦那はいつもバスで行きたがらない。家の目の前にバスが来て、駅まで10分弱で行けるのにも関わらずだ。
日曜なので11:10、12:10しかなく、早く行けないし、バスが雪で遅れるかもしれないのが嫌らしい。
バスなら雪下ろしもしなくていいし、心配な駐車もしなくていいし、わたしは家にいるだけでいいからとても楽なのである。
4も悪くなさそうだったが、調べると電車は動いているようだったので、電車の方がいいと判断した。
わたしの中では、3のバスがよかったが旦那は2の方向で準備をして欲しいと言ってきた。
心の中では3がよかったが、これから頑張って出張に行くのだから、旦那の希望の2で送ろうと思った。
そうと決まってから、旦那はシャワーを浴び、その後いつものルーティンの柔軟体操をしだした。
いつもそうだ。柔軟をしながら、テレビを見るのだ。テレビを見ながら柔軟をするのが日課なのだ。
しかし、それには欠点があって旦那はいつもテレビを見るとテレビに見入ってしまって、動作が遅くなる。
だから柔軟をはじめても、いつもほんとだったら10分くらいで終わるものが、テレビを見ながらやるため、30分以上かかるのだ。
だから、時間ないのに、なんでテレビつけるの!?と注意したのだ。
そうすると、逆切れされたのだ。うるさい!と言われた。とてもムカついたが、もう言わずに放っておいた。
そして、それから昼食を用意して一緒に食べたが、これもまたテレビをつけはじめて、テレビを見ながら食べた。
このときちょうど11:10分くらいだったので、部屋の窓からバス停を見てバスがどれくらい遅れているか確認した。
7分遅れだったがちゃんと動いているのを確認した。
それから、ある程度準備が終わったらしく、ちょっと車の雪下ろししてくると、旦那は自分の車の雪下ろしをしに行ってくれた。
しかし、これが時間がかかった。12時30分までに駅に送ってほしいと言われていたが、帰ってきたのがちょうど12時くらいだ。
旦那は、やばい!!もうこんな時間だ!!と言ってあせっていた。
車の周りの雪かきをしていたら(わたしが駐車しやすいように)こんな時間だったらしい。
そして、家の前に車もってきたから。と言った。
「そうなん。けど駐車の練習したいし、駐車場の止める場所も確認したいから。」とわたしは言った。
「そしたら駐車場の前通って駅まで行くから、大丈夫と言われた。」
安心した。
それから旦那は着替えて、キャリーケースのふたを閉めて、パスポートは!!パスポートとって!!!と言ってきたのだ。
焦っている、そしてなぜか若干キレ気味だ。素速くパスポートをいつもの引き出しから見つけ出し、渡した。
出発するよ!と言って家を出た。その間5分くらいだった。
そうすると、ふと思ったのだ。この時間だとバスの時間にまだ間に合うのだ。
というか、少しだけ遅れていることを考えると、ちょうどのタイミングで乗れるのだ。
そこで提案したが、一度は考えてくれたが、もし電車が動かなかったときに車がないと困るから、やっぱり送ってと言われた。
電車が動くか、駅で少し待っていて欲しいと言われた。なので了承した。
そして駅までは旦那が運転してくれた。駐車場の前を通ってくれたのだが、駐車場の管理人さん夫妻みたいな方がちょうどそこで雪かきをしていた。
そして、あそこの車の隣に停めればいいからと教えてくれて、なぜかそのまま素通りされたのだ。
ありえない、こんなありえないことはないと思った。
駐車の練習ができるから、わたしは旦那の車で行くことをOKしたし、まだ安心していたのにである。
この雪の中である。ただでさえ駐車ができるか心配なのに、今日は雪である。
これは大問題である。駐車が苦手な人にとって、誰かに見られるというのはとてもプレッシャーになるのだ。
たぶん、わたしは何回も何回も切り返して駐車することになるだろう。
それを誰かに間近で見られるなんて考えるだけでもう相当なプレッシャーである。
余計に駐車できなくなる。
それに駐車の練習ができないなら、本当にバスで行って欲しかった。だれも困らないではないか。
わたしは、テレビを見ると用意が遅くなるから注意していたのだ。
うるさいと言ってきたのは、だれだと思った。
たった5分の練習をなぜしてくれないのか。ありえない。
このことが頭の中でぐるぐるめぐって、もう抑えることができなかった
我慢はしたのだが、無理だった。わたしはついにキレてしまったのだ。
そしてそのまま駅につき、電車が動いていることを確認して、喧嘩したまま別れた。
わたしにはまだ大仕事が残っており、不安でいっぱいなのである。
結局、スーパーに行ってから帰ったため、管理人さん夫妻はもうおらず、
ゆっくりと駐車に挑めたので、思っていたよりもめちゃくちゃ綺麗に駐車でき、
達成感と嬉しさでそれを写真に撮り、旦那に送って褒めてもらい、仲直りができた。
次回は、広い心で対処したい。
ジンクスには負けない。
うちの親は違うけど、親の兄弟や親戚には神父やシスターがいる家系。
そろそろ結婚を考えているんだけど、相手は仏教?の人(詳しい宗派は聞いていない)なので、
このまま結婚していいのかなとも思う。
土曜の夜or日曜の朝に教会へ通っているので、住むなら教会が近いところがいいなぁと思うし、
自分の中には「家族で教会に行って家族でお祈りしてご飯を食べる」というのが常識というか、
どんなに家族でケンカしていてもそれで一旦落ち着くというか、そういうのがあったので、
教会に行くのを習慣としたいなぁというのはなんとなく思う。
子供が生まれたら洗礼も受けさせたいし、堅信までちゃんとやってほしいなとも思うし。
世間一般からすると、あまり宗教って良いイメージがない気がして、
「子供に先例を受けさせたい」とか、「毎週教会に通いたい」っていうのは、「熱心すぎる信者のイメージ」がある気がして、引かれるんじゃないかなって感じもある。
宗教に対して「私はそんなの気にしないよ」とか「オレはそんなの気にしないよ」なんて言う人もいるけど、
正直そういうのはあまり信じていない。(「自分の中のキリスト教のイメージ」を押し付けてきそうだから。)
普通の結婚相手として相性が良くて、尚且つカトリックの人を探すのって難易度が高いなとも思うし、
どうしたもんかな〜。
マナカナが自宅で姉妹ケンカを始めた際、カナが包丁を持ち出したのに対してマナは板で応戦した。
それを見ていた芦田愛菜は百万円の束を10個積み重ね、これをやるから仲直りしろと諭す。
二人は仲直りをし、料理を作り始める。
そのため台所のアレはまな板と呼ばれている。
吐き出したくて感情のままに書きなぐったのですごく読みづらいうえにずいぶん長いです。ごめんなさい。
暇な人は読んでください。そしてこの感情の正体を教えてください。
マイホームを建てて、引越しだのなんだののバタバタのなかでケンカが絶えず、「離婚届を取りに行こう」という言葉が年末に旦那から出てきた。
建てたばかりで離婚なんかあんまりにも残念だと思ったし、ローンとかお互いの仕事の都合とかのもろもろで、離婚したとしてもたぶん家を出ていくのは旦那のほうになるんだけど、それはともかく、こちらももう実はずっと前から旦那に対する愛情とか愛着みたいなのを感じられなくなっていて、一緒にいても息苦しいばかりで、正直会話をするのも苦痛で、たぶんそれは旦那も同じで、何か月もレスだった。
何度こちらの考えや気持ちを伝えてもなかなか変わることができず、悪い意味で典型的な九州男児で男尊女卑の亭主関白、家の中ではいつも横柄な態度で何もしない、いちいち一言多い旦那に愛想が尽き、わたしから離婚を申し出たことも以前あった。話し合った結果離婚はなくなったのだけど、こんなふうに何度か別れ話まで行きつきながらも結局別れずに今まで来ている。ふたりとも優柔不断だからだと思う。どちらかが決断力のあるはっきりした性格だったらとっくに別れていると思う。
わたし自身も、横柄な父親とそれに不満を持ちつつ黙って従う母親のもとで育ったし、旦那の実家も見ているとだいたい似たようなものなので、まあ育ってきた環境がそうなら本人もそう簡単には変われないだろうし、わたし自身も結局、手本となる母親がそうだったのでなんだかんだ言っても知らないうちに旦那の横暴を誘発しているところがあるのはわかっているし、まだまだ日本も過渡期だよな特に九州は、なんて勝手に主語を大きくしたりしてもやもやした気持ちを無理やり押し込めながら生活してきた。
ただ、今回の年末の大ケンカの直後にわたしはインフルエンザにかかってしまって数日間寝込んでいて、そんなときも以前は「自分の食事は自分で用意するから気にしなくていいよ(ドヤァ)」というアレを素で言ってしまう、嫁の食事およびその他の掃除洗濯についてはまったく考えを巡らせることができないほんとにテンプレ通りの困った旦那さんだったのだが、何度か話をするうちに、少しずつ面倒を見ようとするようになってきているのは感じていた。
今回は、それに加えて掃除をしてくれた。
掃除機をかけ、風呂を洗っている音が、熱でぼんやり寝込んでいるところに聞こえてきた。
ああ、ちゃんと考えてくれているんだなあ、と思った。
何度話してもわかってくれない、変わろうとしない、と思うときも多いが、そんなこともないよな、と思った。
だいたいこれもケンカの直後だけで、数日すると、すぐにもとの横柄な人に戻っちゃうんだけどね。それでまた不満が溜まっちゃうんだけど。
でもそのたびに、やれることが増えているのを感じている。それは本当にありがたいし嬉しい。
そういうことも、ケンカしたあとの話し合いのときにはその都度全部伝えている。
わたしもだから変わりたいな、と思って、不満とか違和感を角が立たない言い方で小出しにすることを日ごろから心がけていて、それでもやっぱり期待値が上がってしまうのかイライラが募ってしまうので、まだまだ精進が足りないなとは常々思っている。期待するから腹が立つのであって過剰な期待をはなからしてはいけない。これは完全に自分の精神的な問題なので旦那がどうこうという話ではない。
あとはそもそもの話だがベースの部分の愛情がずいぶん少なくなっているから沸点も下がっているのだろうと思う。
そんなふうにベースの愛情がなくなりつつあるので、話すのが苦痛、一緒にいても息苦しい、という気持ちをなかなか切り替えることができずにいたんだけど、こないだの3連休の真ん中の日に、夢を見た。
旦那が、キャバ嬢みたいな派手な身なりの女の子を3人、連日家に連れて帰ってきて泊めてやっている。
キャバ嬢と言っても平野ノラみたいな昭和な感じの人たちなのだけど、まあとにかく女の子がうちに泊まるようになった。
寝るときだけは、彼女たちの姿がなぜか幼稚園児ぐらいの幼い女の子になる。
なんか、ひよこみたいだな、となんでかわからないけれど思った。
たくさんのひよこが一匹の大型犬にくっついたり乗っかったりしてて、大型犬も静かにそれを受け入れているという写真をネットで見たことがあるが、なんかそんな感じだった。旦那は大柄だから。
何日目かの朝、彼女たちを送りだしてからわたしは旦那に問いただした。
非常に迷惑している、一体何のつもりなのだと彼女たちに対する文句を言うと、旦那は腹を立ててわたしを蹴ってきた(一応書いておくけど現実に暴力を振るわれたことはありません)。
実家に帰るとか、他の友達のところに泊めてもらうとかできないのかと問うと
と、悲しそうに旦那は言った。
そこで目が覚めた。
わたしは親と不仲で、ここ数年連絡を取っていない。向こうからメールや電話は来るがすべて無視している(以前は着信拒否していたのだけど、そうすると母親が義母に電話をしはじめたらしく、義母から「困っている」と言われたので慌てて着拒を解除し、とりあえず義母への電話攻撃はやめさせた)。
家を建てるときも、うちの親に知られると無為に引っかき回して話をめちゃくちゃにするのは明白だったので、黙って建てた。
ただ、旦那の親にもわたしの気持ちを話したのだけどやはり親の立場としては納得がいかないということで、旦那の親はうちの親と今も連絡を取り合っている。
旦那と旦那の親に、うちの親子事情のせいでこれ以上負担をかけられないと思い、先日、夫婦でわたしの実家に行って「家を建てた」という話をしたところだった。
うちの親はいわゆる毒親気味でこういうときに隙を見せると喜々として人格攻撃を始めるので、あえて最後まで儀礼的な態度を崩さなかった。
1時間ほどで話すことを話して、きりのいいところで引き上げた。
自分に子どもができればまた変わるのかもしれないが、思春期を過ぎても両親を「気持ち悪い」と思う感情が消えてくれない。母親の卑屈な作り笑顔も気持ち悪いし、父親の理不尽な人格攻撃や横暴も心底軽蔑している。大人になった今は、親としてというより人としてそれぞれどうにも苦手で、単純に接点を持ちたくない。
その直後にこういう夢を見た。
たぶん、3人の女の子はわたしなんだろうと思った。屈託なく甘える一方で、わたしは本来そこにいるべきでない存在だと思っている。わたしは旦那に不満を持っているが、旦那もわたしと結婚して幸せになったようにはとても見えない。わたしは旦那からいろいろなものを搾取している。わたしは、本当はこの人と結婚してはいけなかった。旦那に苛立ち、息苦しさを感じるたびに、同時にそんなふうにしか思えない自分を責める気持ちと、旦那への罪悪感も増していった。
あんなにも疎ましく思っていたのに、目が覚めると涙がぼろぼろ出て、旦那のことをどうしようもなく愛おしく思う気持ちがぼんやりと湧いてきた。
横で寝ている旦那にくっつくと、旦那は少し驚いたようなそぶりを見せて、また寝た。
本当に、自分に起きたこの変化はなんなのだろう、よくわからない。
彼は煙草を吸うので、ときどき匂いに耐えられなくなることがあった。正直、近くにいたくなかった。寝言もうるさいし、夜中に目が覚めるたびにイライラしていた。
でも今は、旦那の匂いも愛おしい。すごくいい匂いだとなんか知らんけど思う。寝言も愛おしい。
ただ、それと一緒に罪悪感と自責の念もどんどん増えていく。
だから、この気持ちの変化を無邪気に旦那に伝えることができないでいる。
旦那のほうは、もう無理なのかもしれない。
それはもう、仕方がないと思っている。離婚することになるのなら、仕方がない。そう思っている。
でも自分の気持ちは、あのへんな夢を見てから突然変わった。理由はよくわからない。けれどとにかく変わった。
それだけは、まあとにかく伝えなきゃなあ、とは思っている。
どうすれば伝えられるのだろうか。そのまま話してわかってもらえる自信がないし、そもそも罪悪感がもうほんとに半端なくて、やっぱり好きだとかこれからがんばるとかそういうことを口にするのもはばかられるぐらいの罪悪感に押しつぶされそうになっている。それでうまく言えない。
そもそもこういう感情の振れ幅が大きすぎる女性というのが、自分が男だったらめんどくさすぎてもう駄目だろうと思う。
話がしたい。話さなきゃな。
魚拓代わりにご利用下さい。
一番上から
*忘年会の罰ゲームで男二人で「今からホテルでぐちょぐちょのホモセックスしまーす!」って街中で叫ばされたんだけど、
女の子3人組が「どっちが受けなんですか!?」「どんなプレイするんですか!?」と熱巻いて来たので今から飲みに行く事になりました。ホモトーク出来ないとか今更言えない助けて
電車にて。
子供「おなかすいたー」
母「今日何食べよっか?」
子供「パパが食べたいなー」
母「パパは食べられないでしょーw」
子供「でも昨日ママ食べt(母「そーね!今度一緒にたべよっか!」
お母様、動揺して2ちゃんとかにありそうなとんでもない事口走ってますよ!
子「無理だよ!」
母「そ、そんな事…ブフォww」
乗客「ブフォwww」
縦「ブフォwww」
*電車がめっちゃ揺れた勢いで目の前のお姉さんのたわわな双丘にダイブしてしまい、
焦りと混乱から「ごっ、ごちそうさまですっ!!」と訳のわからない言葉を発してしまい捕まる覚悟を決めていたら
「お、お粗末様…です?」と困りつつはにかんでくれたので来週飲みに行く事になりました。
縦「この趣味・特技欄にある【四文字熟語をいじる】ってのはどういう事?」
受「はい、四文字熟語を少し変えて全く違う意味にする事です!」
縦「どんなのがあるの?」 受「美人薄命→美人薄乳です!美人な上に貧乳とか理想じゃないですか!」
採用した。
「お前はどこの支社のどこ所属だ」
とか言われて副社長の前まで歩いてって
「自分の部下も把握出来ない様な人間に顧客・お客様の事なんかわかる訳ねーだろ!数字なんかあとからついてくんだよ!」
って机に名刺叩きつけてもうたwwまじでクビかもしらんwww
*部下に連絡つかずで家に電話したんだけども…
女児「⚪⚪です」
縦「もしもし?お家の人いる?」
女児「…」
女児「いらない」
縦「え…」
女の子「パパはお酒飲んでママの事叩くし、ママは私を叩くしどっちもいらない!ガシャン」
とんでもない闇を見た
人と関わりたくなかった。
人付き合いがつらい。
生きることの全てがめんどくさい。
人としてろくでもない自分だと思う。
早く死ねたら本望だ。
寿命がくるまではとりあえず生きてたほうが無難そうなので生きてきた。
そんな私に、色々あって彼氏ができて、色々あって妊娠してしまい、色々あったけど結局はデキ婚をした。
でもやっぱだめだった。
人として、とても全うには生きていけそうにないくらい、私はダメなやつだった。
結婚をしたくないことも伝えた。
しかし彼は別れてくれなかった。
中絶もさせてくれなかった。
理由は、彼を嫌いになったのではないから、別れる理由にならない、とのこと。
私からすれば、好きだからって結婚する理由にはならないと思うが。
なぜ断りきれないのか。
気が弱いからだ。
避妊のことだって、はっきり頼めなかったから失敗してしまった。
それを本当に悔やむ。
あの時ピルを知っていたら…
生まれてくる子供がかわいそうでかわいそうで、ただそれだけだった。
夫の両親との同居。
おまけに共働き。
結婚以降の私のがまんと努力は、勝手に産み落とされた我が子への懺悔だ。
「生まれてきたくなかった」ろくでなしの自分が、どうやったら子供を幸せな人間に育てられるのか。
全然わからないまま、とにかく私にできる限りの努力はしてきた。
そういう私の気持ちを、夫はどこまで理解してくれているのだろう。
結婚前と同じように、仕事へ行って、帰ってテレビ見て寝るだけ。
私が風邪や仕事で家事を休むと、同居の母ちゃんに任せて自分は出かける。
夫は家事を一切しない。
なぜだ。他人の私には家事をさせるのに、なぜ自分の息子にはなにもさせないのだ。
もはや夫だけでなく、夫の両親さえ憎い。
「結婚するなら独り暮らしして、自分のことくらい自分でできるようになってからしろ」と言ってやってほしかった。
せめてもっと普通に家族と過ごせないのかと言ったら、「ずっと家にいるとイライラする、ひとりになりたい」とか言う。
いつまでも親に頼ってる夫が憎い。
子供になにも教えようとしない夫が憎い。
子供を持つことに、私と同じだけの責任を感じてくれない夫が憎い。
私をこんな生き地獄に引きずり込んだ夫が憎い。
そろそろ子供も大きくなってきた。
結局私のように人生をめんどくさがっている。
しかし私にできることはもうなにもない。
初詣に行ったら、夫の横でこっそりと拝もう。
夫が後のことを全て、ひとりでやってくれますように。
日付が変わるとほぼ同時に、別れることが決まった。
本当の本当にまさかだった。
今は大晦日、2016/12/31の午前3時。でも、まだ眠れそうにない。
でもそれはきっかけに過ぎなくて、
結局のところ、僕は最初から彼女の信頼を得られていなかった、ということだった。
「あんたは一人で生きていく人なのよ。」
「あんたなんか親に紹介するんじゃなかった。」
・・・ひどいこと言う。
一人で生きていくなんて、そんなこと望んでもいない。
彼女の親御さんもご家族もとてもいい人たちで、好きだったし、仲良くしていきたいと思っていた。
でももう遅い。
「二人の価値観は合わない。努力して合わせていくっていうことも多少は出来ると思う。
そういう彼女の言葉を聞きながら、「いや、努力次第で・・」と思う反面、その通りだと思う自分もいた。
彼女と一緒にやっていくことがお互いのためになるのか、自分自身疑問に感じていた部分もあったからだ。
だから、今日の話し合いの前に、一緒に努力していきたいと思いつつも、
彼女の考えによっては別れるのも仕方ない、と思っている自分がいたのも事実だった。
どちらが悪いとかじゃない、根本的な部分で合わないなら、例え今は仲良く一緒に暮らせていても、いずれは破綻する。
そうわかっているのであれば、今後一緒にいるのはお互いのためじゃないかもしれない。
だったら別れたほうが良い。
そして別れるなら、早い方がいい。
だからだろうか、別れ話をして1時間半後には僕は事実を受け入れ、今もいくらか落ち着いている。
ただ、別れ話をしてすぐは胃に穴が空くかと思ったし、今も全く眠れそうにない。時計は4時を回った。
決して生活がうまくいっていないわけじゃなかった。
二人とも食べるのが大好きで、よくお互いに料理をしていた。
家事も分担し、相手が疲れている時にはどちらともなくマッサージしたり。
お互いの親にも先月、先々月に会ったばかりだった。
シェアハウスで出会い、ケンカもしたけど順調に付き合って、毎日一緒にいて、
1年半という短い期間ではあったけど、そこらのカップルよりはよっぽど濃密な一年半だったと思う。
彼女のおかげで、人としてもとても成長させてもらった。
足りない自分だったけど、この人のために頑張ろう、そういう覚悟を持って付き合った女性だった。
普段涙などは見せない自分だが、彼女の前では泣いたこともある。
考え方はしっかりしているし、誠実だし、明るいし、料理も上手だし、思いやりもあるし、
かわいいし、話しているとサバサバしていて気持ちがいいし、でも実は甘えん坊さんだし、子供にも好かれるし、
英語だって話せるし、家族とも仲がいいし、絶対に浮気をしないって言い切れるくらい一途だ。
ああ、名残惜しいんだろうか。
いや、事実を綴っているだけだ。そう信じたい。
僕らは、よくお似合いのカップルだと言われていた。
僕自身もそう思っていた。
でも、だからといってうまくいくとは限らないってことだ。
少なくとも、僕らは結婚に至らなかった。
このブログを機に、この事実を受け入れ、次のステップに進みたいと思う。
まだ決まっていないが、立ち止まるわけにもいかない。
落ち込むのは簡単だが、落ち込んでいても誰も助けてなんてくれない。
このことをしっかりと受け止め、自分の糧にしたいと思う。
でも、この教訓から何を得ればいいのかはまだ整理がつかない。
議論には頭の回転が必要なわけで、頭の回転は先天的なものなので、暴力で決めてるのと大差はない。
ちゃんと話し合おうぜっていう誘いは、拳でわかりあおうっていうヤンキーと同列。
IkaMaru ケンカの強い人間が社長になる会社と、会議で社長を決める会社があるとして、増田はどちらに入るのも同じだと思うの?
仕事に関する能力・結果が同じAとBどちらにするかという議論で、口が回るA派閥の方が勝つって考えれば現象としては喧嘩が強いかどうかと一緒だよね。
民主主義社会における暴力の否定やケガしたくないという防衛規制を利用してるからそりゃあケンカは忌避したいだろうけど、現象としておなじだという事実は変わりないよ。
ueshin 知性は説得と納得の譲歩があるが、暴力は強制だけ。だけど、知性の判断と排斥の暴力は測りしれない恐ろしさをもつ。有無を言わさずに排斥される判断が知性にはある。
知性によってわかりあえるという建前こそが、堂々と排除する理由になっちゃう、みたいな。
元々、ネックレスが欲しいと言っていたので『お別れの記念にプレゼントさせて欲しい』とお願いした。
よく覚えてないけど以前、付き合ってた頃にピンキーリングを贈った時にネックレスとピンキーリングどちらが欲しいか聞いて、悩んだ末にその時はピンキーリングにしたような気がする。
その約束通り、寝るときもお風呂に入るときも片時も離さずつけてくれてる。
かれこれ四年くらい前だったと思う。
ネックレスだと、お風呂に入るときに外すからとか言ってた気もする。
その時、冗談で「将来、彼氏が出来たときに俺が送ったネックレスをつけたまま彼氏とエッチすることになるかもしれないし、ネックレスはやめとこ」て話もした気がする。
お小遣いが月に2万しかない自分が、彼女に3万円のピンキーリングを送るのは結構大変だった。
クリスマスに贈りたいから、会社の財形を崩してお金を準備した覚えがある。
渡す時に「もし将来別れたとしても、その指輪は捨てずに持っててください。」てお願いした。
別れて二ヶ月程経つけど、約束したからかは知らないけど今も着けてくれてる。
ちなみにここで言う『彼女』とはガールフレンドの彼女でなく、三人称の彼女である。
ネットでピンキーリングを左右どちらにつけるのかの意味を調べてみた。
色々ある中で一番しっくりきたのは
『右は幸せを呼び込む』
彼女はいわゆる元カレからのプレゼントを気にせず使う派の人らしい。
想い出が云々ではなく、使えるから使う派。
こっちとしては、『忘れたくないからしている』と信じたいけど、そもそも忘れたいはずなのでそれはない。
『ちょっと、神経が図太すぎやしないか』と思ってみたけど、そもそも自分も15年以上前に元元カノから貰ったキーホルダーを車のキーに付けてる。
今の車はまだキーを差し込むタイプの車だからギリギリつけてるけど、キーレスの車に乗り換えた時にはこのキーホルダーもお役御免なのかも。
変なタイミングで外すと、当時の彼女に勘ぐられたら嫌だな、と思ってズルズルとつけてた。
彼女のピンキーリングも、もしかしたらそんな理由で外し時を逃してしまったのかもしれない。
左手につけてると、将来結婚指輪をはめた時に指輪がケンカしちゃうんじゃない?って言ったけど別段気にしてない様子だった。
でも、さすがに結婚式の時には右も左もなく貴金属類は外すよね。
そんなピンキーリングを贈ったのと同じようなものをお別れするにあたって俺にも送りたいと彼女に言われたけど、男の俺が四六時中身に付けるような物を持つのは難しいってことでそれは諦めた。
まして急に高価な物を買うと
だから、お互いお揃いの物を買うことにした。
でも、新しく二人でお揃いのスニーカーを買うことにした。
紐を結ぶ穴の位置が一段違うのが目印。
お揃いの時計も買った。
お揃いの時計をしてるトコをインスタにアップしたい。
インスタやってないけど。
スニーカーも時計も常に身に付けるものではないから、やっぱり肌につける貴金属を贈りたいと思った。
ネックレスを贈る贈らないって話を、この二ヶ月なにかにつけてしてた気がする。
一ヶ月前くらいに時計を見に行った時にも何軒か見て回った。
「将来彼氏からネックレスを貰うことも考えて、そこは空けておいたほうがいい?」って話もしてた。
「重ね付けするから、別にあっても困らない」てことで、最終的に買ってもいいことになった。
重ねるんかい!
で、今週仕事が終わったあとに待ち合わせて目星をつけてあったお店を三軒程見て回った。
どこのお店もカップルやプレゼントを選ぶ男性客で溢れかえってた。
「クリスマスプレゼントですか?」
まさかお別れの記念だとも答えられずに、苦笑いしてお互い目を合わせた。
その日は、見るだけにして次の日あらためて二人で買いに行った。
デザインは別のお店の物が華奢な感じで好みだったけど、有名ブランドのやつはやっぱ気分が上がるよねって話をした。
俺も最後にそのブランドのネックレスを贈れることが誇らしかった。
いつかのメリークリスマスの椅子のくだりを思い出した。
石が一番小さいのがいいって言ったけど、もう一つ大きい石のでもいいようにお金を準備した。
四年前と比べて、タバコを止めた分さらにお小遣いが少なくなった自分にネックレスを買うお金はなかった。
彼女には『会社から一ヶ月の給料の範囲内で低金利でお金が借りられる制度がある』って話をした。
んなもんはない。
お目当てのネックレスのチェーンが少し長いのが気になってたので、少しカットしてもらうお願いをした。
一度切ったら元には戻せないので長さに悩んでいると店員さんが「長さを二段階に調整出来る金具を取り付けることもできますよ」
いや、それ早く言ってよ
その提案、早く頂戴よ。
「長さ調整の仕上がりは二週間後。調整費は商品お渡しの日に頂きます」って、そんときにはもう会わなくなってるかもしれないから、無理言って調整費も一緒に払いましたよ。
だから、俺はきっとこのネックレスをした彼女を見ることは出来ない。
少し彼女の好みより長めの未調整のを付けたのしか見られてない。
会計が済んで帰り際に店員さんが「本当に仲良しなんですね」だって
きっと今でも仲は悪くないよ
「嫌いじゃないならなんで別れるんだよ」って思ってたけど
仲悪くならなくても別れることってあるんやね。
人をなかなか好きになれない俺が好きになった人
熱しにくいかわりに冷めにくい俺
年率7%くらいの複利で好きになってた
それどころか
「もうお別れなの?」
って聞いたら
「そもそも付き合ってない」
って言い出す始末
だから今の彼氏と出会った頃に「彼氏いない」って言ったけど、それは嘘ではないってことらしい。
付き合ってないから。
俺が会おうって言えば会ってくれるんだろうけど、あっちからは二度と会おうって言ってくれない。
一番大事な人
幸せになってください
http://qiita.com/mesaka/items/41ec09a4dae3fba6dd6c
Qiitaに登録しているGitHubアカウントを見ると、たしかにGitやGitHubが苦手なんだなあというのを感じる。
それはまあともかく、プロフにあるURLを踏むと合同会社を設立されていることがわかる。
ついでに言うとWantedlyにも企業ページを作っていて、そこのプロフ等にも不穏なことが書かれているのだけれど割愛。
ここまで公開している立場で、あのコメント欄の態度は自分の首を絞めていないか?という疑問はさておき、GitHubの名前を検索したらTwitterアカウントが出てくる。
https://twitter.com/mesaka2009
いろんな人間に裏切られて鬱病になりました。もう人生に疲れています。 PHPは大好き!早く正社員になってもいいです!! ※このツイートはフィクションが含まれています。検挙件数稼ぎの警察の方の自宅に来襲はご遠慮下さい。
bioの内容が不穏すぎるがさておき、このTwitterアカウントを検索するとDMMの面接で落ちて逆恨みしたり、コロプラの面接で号泣していたことが既に増田でヲチされていたことが分かる。
すでに指摘されているが、妻子持ちでTwitterにはこの時期かなり不穏なこともつぶやいていたらしい。
件のQiita記事に関しては「書いてあることが事実ならチャットワーク社が反省すべきことはあるけど、この人の数年レベルの普段の言動から見ても、書いてある内容をそのまま鵜呑みにして語ることはできない」と思った。
ちなみに去年のカレンダーにはこんなこと書いてたのに、どうしてしまったんだろうなあ。
http://qiita.com/advent-calendar/2015/free-engineer
(追記)該当の記事を見たら、コメントにフリーランスおじさんを焚き付けてるおじさんが新たに登場してた。調べたらこの人も特定人物にケンカ売りたいだけの記事をQiitaに書いてた。
品位が問われるAdvent Calendar -- シェルスクリプトはどこでも動く! - Qiita
http://qiita.com/richmikan@github/items/5f53a14a79874d56a2ff
http://togetter.com/li/1056218
ちなみにこの人は松浦智之氏で最近『Windows/Mac/UNIX すべてで20年動くプログラムはどう書くべきか』という本を書いている。著作者情報によれば1975年生まれの40代。ついでに言うと、件のフリーランスおじさんはWantedlyに生の職務経歴書のpdfを公開していて、そこから年齢が40歳であることがわかる。なんだ、プログラマーは40超えたらこんな風におかしくなってしまうのか。プログラマー35歳定年説は正しかったのかもしれない。
これを参考に、今どんなブコメがついているかを見てみると、だいたい何ブクマくらいつくか予想がつくよ。
時間 | ブクマ数 | ブコメの特徴 |
---|---|---|
投稿時 | 0% | 生まれたての増田 |
0~30分後 | 0% | トラバが付き始める。だいたいケンカ腰 |
30~60分後 | 5% | ファーストブクマカによるブクマ。彼らは面白い増田を見つけるのが得意なだけで、ブコメはあまり面白くない |
1~3時間後 | 10% | 注目エントリ入りすることで、いろんなブコメが付き始める。これくらいのブコメが一番面白いし、スターも付きやすい |
3~6時間後 | 50% | Twitterなどの他社SNSから流入。無理やり逆張りしてリツイート稼ごうとするので、まったく面白くない。クソ |
6~12時間後 | 70% | ブクマトップページに載っているからとりあえずブクマされる。このくらいになると、もうトラバは伸びずブコメ主体になる |
12~24時間後 | 100% | 元増田とは生活サイクルの違う人たちのブコメ。だいたい出尽くした感はあるが、稀に新しい意見があるので一通り流す価値はある。特に大喜利モノなら、このへんが一番面白い |
24~36時間後 | 110% | ブクマトップページから落ちて落ち着きを取り戻す。空気を読めないトラバが1件ついたりする |
36~48時間後 | 120% | どこで見つけたのか知らないが、「何を今更」って感じのコメントが付く |
ざっくり「関西弁」と言われると「関西標準語」的なふわっとしたものを指す言葉として認識している。
恐らく大阪京都あたりの言葉をベースに、関西圏の人同士なら割とすんなり意味が通じる程度に方言をマイルドにしたような何か。
実際に概念としてはそういったものはできつつあるらしい。 → https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E5%85%B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
私は実家が兵庫、住まいは京都なのだが、確かに同じ近畿圏だけど、実家で自然と話す播州弁と、
職場で関西圏のいろんな地域から来た人たちとの間で自然と使っている、京都弁とも大阪弁ともつかない言葉はだいぶ違う。
でも明らかに標準語とも違うから、名前を付けるとするなら関西標準語とか関西共通語とか、まあそんな感じになるよね、みたいな言葉。
自分も周囲も標準語を話そうとすると「キショい」「サブイボ出る」となって落ち着かなかったり(なんか歯茎や首筋や鼻毛がムズムズする)、
たまに関東から新人がくると、新人が口を開く度にツッコミを入れずにいられない人が社内にも社外にも何人もいたり、
イントネーションの違いを関西風に直しつつ意味を確認しないと違和感が気になって会議で話が進まなかったりして、
実際にコミュニケーションの妨げになってしまうので、話し言葉として標準語を使うという選択肢が最初から排除されている。
なんならビジネスの場面でうっかり標準語を使うと、発話者が標準語話者であるという前提を知らなかったり、うっかり頭から抜けていると、
受け手が無意識のうちに「余所余所しく信頼関係ができていない」「バカにされている」「煽られている」「ケンカを売られた」といったネガティブな印象を持つことがあってマジで危険。
関東からきた新人を連れて行ったり、丁寧に敬語で話そうとしすぎて標準語っぽくなった際に、
えらくぶっきらぼうなオッサンから急に「自分(出身は)関東?」と聞かれることがあるが、その辺のスイッチを切り替えるために必要な確認だったりするのだと思う。
裏で「やっぱ関東出身はアカンわ、しゃべり聞いとるだけでかゆーてしゃーない」などと言う事はあっても、大体表面上は態度をスイッチしてくれる。
そんな環境なので、関東圏から就職してきた新人も、数年もしない内に(必要に迫られて)自然と関西標準語話者になるのだが、
ってどうしたらいいんですかねー。
と思ってググってみたら、まるきり同じような文章が検索結果の上二つに出てきて萎える。
パクるにしても、項目の順序いじるとか少しは頭をつかえ。
それでもいくつかのページをちらちらと流し見して、そんな特効薬みたいな方法はないよな…ってとこに落ち着く。
コレ最悪なパターン。
しなくていいケンカするはめになるやつ。
そもそもオレは言い争いする気力なくて、つい謝ってしまう。
でも言い争いをしたくなくて謝ってるのは相手に伝わってると思うから、あまりいい手とはいえない。
謝るという方法で相手の口を封じてる→相手は自分の言いたい放題が達成されず不満が残る、から。
かといって、なんの反論もせず黙って聞いているだけだと、下手すると相手の言い分に同意してると思われてしまう。
それは困る。
後日蒸し返されたりしたときに、当然のごとく「同じ意見を持つ者」として扱われてしまうからだ。
無駄な争いはしたくないけど、思ってもないことに「同意見者」としてくくられたくはない。
同意見者の数を増やした気にさせて、相手に余計はパワーを与えたくないしね。
だから相手があまりにも雑に自分を仲間の頭数にしようとしたときははっきり否定する。
「オレはそんなこといってないよ」
「なんでそんなこというのよ」
「だって“私達”って言ったじゃん」
「…ごめんなさい」
あっ、これってオレが使ってる謝り方とまったく同じだ。
だとしたら、悪いと思って謝ってるわけじゃないやつ。
イヤなクセを真似されてしまった。
だから「どうしてそんなに否定的なことばっかり言うんだよ」って言ったんだけど。
それに対する答えはなかったな。
全然聞こえてないのかな。