はてなキーワード: せっかくだからとは
数年前に某店長さんがネットから消えたときにぼくが書いた文章をここに流しておきます。(※一部、当時の文章から細かいところを修正しております)
某さんが消えたのは当然知っていて、某さんが書いたであろう増田の存在もとりあえずは知っていたのだけれど見ないようにしていた。ぼくはそんな風にして理性の口では結構強気なことを言ってはいるものの、感情の口では正直なところあのひとがネット上に文章を残さないと決めたことを認めたくなかったのだと思う。
ふと、今朝がた見た夢で某さんがmixiアカウントを復活させて、新着日記のところにその名前があるの見かけた瞬間、ほっとしたのとうれしさで胸のなかの重い空気が抜けていくように思えたことをなんとなく覚えている。
その間、自分のTwitterのタイムラインはずっと流速が遅くなっていたし、おかげ様で頻繁にタイムラインを見るなんてこともしなくなっていた。
たぶんそんな夢を見たきっかけは前日の深夜、skypeでオンラインになってた某さんの名前を見たからだ。声をかけようか迷った、というほどぼくは人間関係に積極性のある人間じゃない。正直なところSNS上でかなり付き合いのある相手でも一度でも顔を突き合わせて話をした誰かであっても去るひとのことをそうそう気にはかけないし、逆に自分がそういうコミュニティから去ることもあまり厭わない。
声をかけることはできなかったけど、某さんがオンライン状態であると確認できたことで安心した。ああ、まだ向こう側にあのひとはいるのか、そういった気持ちなんだろうなと思う。
休日、ぼくは友人の到着を待つまでの暇な時間を使って、某さんの増田を読むことにした。なんというか、本人としては別れの言葉のつもりなんだろうなって思っていたのだけれど、でもこのくらいの熱量で文章を書くことなら某さんにとって余裕であるから、これがネット自殺であるにせよ、もっと強い衝動が訪れたならどういう形でもこのひとはどこかに文章を残すだろうなって思った。
作家や創作者もネットライターも、もっというならブロガーも、個人的には某さんを評する言葉としてしっくりこないけれど、文章書きという表現は心にすっと入ってくる。
「文章を書く」っていうのがなんだと言えば文章を書くことである。
これだけをいうとただのトートロジーなのだけれど、ぼくが出会った時点での某さんは、自分の目と手で書かなければ文章は書けないというただそれだけのことを、すごくストレートに、それでいて簡単にやっているように見えた。
理知的というか、ひとつの話題に対して自分の頭で並べ立てるよう物事を考えて、それを伝わりやすい言葉で表現したかと思えば、突然の楽屋オチもエロゲオチも余裕で辞さないし、100人のうちひとりでも笑ければ充分とでも言いたげなニッチなネタをどんどん放り込んでくる。特殊な部類のエンターテイナーであったのかもしれないし、そうでなければ多分、本人が時折語るようにあのブログがコンテンツとして強い力を持つものにはならなかったであると思う。
ほぼ文章のみでコンテンツ化されるということは「今、そのあなたが書けるもの」を求められているということだ。こと某さんの「そういうもの」とは自身を切り開く性質にある、とぼくは思っている。話すネタがそもそも自分の生きているポジションから来るものであるとか、視座から来るものであるとか、とかく、これは創作なんですネタなんです本気にしないでくださいというようなエクスキューズが利きづらい方に向いている。
比較してもどうしようもない話だけど、ぼくがもしそういう風にコンテンツとして自身を切り開くことを求められたのなら、そんなことをされた瞬間に焼けただれて死ぬ。持っていないものを求められてもしかたがない、というところがあるというのもあるかも知れないし、そもそもとして防衛本能のようなものが働いてしまうようにできている。要は、自分の書いたものが何であっても、自分と深くつながっているわけではないから否認されようと恐ろしくない、先述したような「これは創作みたいなもんですから、ネタなんですから」そういう感覚で文章を書こうとしてしまうものである。
某さんは違う。
あれに特別な視座で世界を見る目や時折出てくるしっかりした知識があっても、エンターテイメント的要素に芸人根性はあっても、誰にでも読みやすいようなバカみたいな親切さがあっても、そしてついでにぼくの大好きなエロゲネタがあっても、根本の部分で「自分」を消費しているように見えてしかたない。
「自分」をほんとうに愛せるうちは良いと思うし、愛せなくても愛してくれるひとが多少は自己嫌悪を上回る自己承認を渡せていたのならそれで良いのかもしれない。けれども、誰にも認められなかったらどうだろう、クソを尻から吐き出してワゴンの大安売りで叩きつけるように店に並べて、ただかわいそうな目で見られてやがて近くを通るひとびとはその場所に誰も居ないことにするだけだ。
恐ろしいことだ、とぼくは思う。
たとえば身寄りもお金もない少女にとって資本が身体しかないからと身体を売ろうとして、それを拒否されてしまったらどうだろう。きっと死ぬと思う。
ネットで自分を切り開きながら文章として晒していくことには、それだけのリスクがあると思う。毀誉褒貶はそのまま自分に刺さる。創作ならばまだ客観的な反省という形をとれても、「自分」で真っ向勝負して否定をされることは、自分を否定されることと同義だ。
某さんが今回ネット自殺をすると決めた理由は、細かい部分を置いておいて「自己嫌悪」に由来しているという。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話です)
なんにせよ自分はあのひとの文章を読みすぎた(ひとと比較してという意味ではない)し、それほどこのネット自殺をした理由自体についての自己判断に興味が無いというのもある。
ぼくははっきり言って某さんの文章の書きかたに憧れ強く影響を受けた人間のひとりですし、とはいえそれをあまり押し出す気もなかった。なんでかって言ったら、自分にとってインターネットでも数少ない、同じような話題で笑い合える遊び相手でもあったし、そんな目に見える場所にいる人間が憧れの目を爛々にさせて近づいてくるとかいうと、自分がそういう立場になったらすげー怖い気がするからです。
ただ、某さんの文章の書きかたがぼくに色んなきっかけを与えたのは間違いないし、せっかくだからこれからの自分は少なからずでも自分を切ってでも文章を書いて生きていけたらな思った。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話ですが、未だにぼくはこれをできてございません)
そもそもぼくは別れの言葉をいう気もありませんし、ふらりとネット上に戻ってきたって「ふんっ、べ、別にあなたの居場所なんてないんだから! 土下座して謝ったら顔騎して許してあげるわ!(CV:釘宮)」っていう態度で生きているので、この文章は別れを惜しむ言葉というよりは本人の見てないとこできゃっきゃとラブレターを書いているようなものと思ってください。
ただ、ひとの文章がひとを変える力を信じていられるのは、ひとつ、ぼくにとってはあなたがいたからでもあるのです。
追伸 某えろげともだち(『ろりともだち』みたいにいうな)さんが『ココロネ=ペンデュラム』開始してましたよ。お仕事のストレスと疲労から良い感じにほどかれる日が来てくれたなら、おしっこの色で討論するとかは一旦置いといて、またエロゲの趣味がなんとなくずれたりど真ん中に合ったりしながら、そういう話をしたいっすね。またいつかのどこかで。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48547530U9A810C1MM8000/
このニュースを見たらなんだか急に記憶の扉が開いたので長文を書くことにした。
自分は就職氷河期が直撃した年齢だ。大学のとき、就職課のスタッフが全学生を講堂に集めて「お前らなんか取ってくれる会社があったらそれだけでありがたいと思え!」なんていう講習会を開くくらいに氷河期だった。
確かに自分の周りでは「いかに多くの会社に履歴書を書くか」とか「まぁ俺みたいなゴミクズ取ってくれる会社があるだけ御の字だわ」とかそんなやつが多かった。
自分が大学に入る少し前はリストラだなんだと言って会社はかなりえげつない作戦で人をやめさせて人件費を浮かせ、結果残った人たちが激務にならざるを得ないなんていう社会に移行していた。しまいには今流行ってるからとかそんな理由でリストラに踏み切る会社まであったような気がするが、このへんは現実とフィクションがごちゃまぜかもしれない。
そんな就職氷河期の凄まじさは、しまいには戦略的に留年するとか、大学院に進む人を増やした。なぜなら新卒カードがなくなったら何もかも終わるなんて言うことは当時の学生でもよくわかっていたからだ。いま卒業したら人生終わるなんていう凄まじい時代だ。
そんなわけで企業が学生に対してどこまでも強くなり、大した理由もないのに内定取り消しを会社がやるなんて言うことも結構やっていた気がする(違法だった気もするが平気でやっていた気がする)。
自分たちのちょっと前になるとバブル景気だ。この頃は会社が学生をごそっとハワイとかに連れて行ってアレヤコレヤと接待しまくった挙句にそのまま何もしないで採用していたらしい。バブル世代の社員から聞いたことがある。ハワイはないにしても飲み会に連れて行ったり旅行に連れて行ったりしていい気分にして採用の同意を取っていたそうだ。
本当かよって思うが実際にそうやって仕事を得たと言っていたのでそうなんだろう。
自分たちが何十枚も履歴書を書いて会社を選ぶ権利なんかないんだからとヒイヒイ言いながら会社を回ってどうにか面接にこぎつけて・・・とやっていたのにその目の前に座っている奴らはなんの苦労もなくハワイで採用されていたわけだ。
自分たちのちょっと後になるとむしろ学生が不足していて会社が一生懸命人を雇うようになっていた。彼らは戦略的に自分にあった会社を選んで着実にキャリアを積んでいる。
自分たちなんで「雇ってくれるだけでありがてえでございます!」なんていうメンタリティで仕事を探していた。目の前に座っている学生たちは「僕はやりたい仕事を入社したい会社でしますから」という体で話をしてくる。
なんで自分たちだけが必死に地面に頭をこすりつけて就職活動してきたのか、という疑問は今も拭えないし、なんで会社はそれでも新卒しか取らないのか、新卒で就職を逃したら人生詰むのか、という疑問はある。第二新卒なんていう言葉もできたが、それだって結局新卒以外いらんという会社のメッセージでしかない。
そんな氷河期世代の記憶はあるが、それでも楽しげにやっているやつはいた。だが、自分は幼少の頃から親に植え付けられたトラウマのせいで更に世界に対してネガティブな感情を抱いている。
トラウマというのが何かはわからない人がいるかもしれないが、両親による虐待を受け続けてしまい、感情や行動が歪み、社会で生きづらい人、という感じで考えればいいと思う。みんなそれぞれ生きづらさを抱えているという反応ができる人は幸せだ。そうじゃないんだ。ちなみにトラウマを持たないか軽い人からしたら「どのくらい凄まじいか」は認識できないと思うから余計に苦しい。
両親からやられたことは、かんたんに言うと徹底的に人格を攻撃される、何か意見を言っても徹底的に叩き潰される、親に騙される、親に対する安心感がまったくない、ということを100%の善意でやられる上にやり方がうまくて周りの大人には「いいご両親ね!」と言われてしまうことだ。
このトラウマのせいで自分が世界に持っているネガティブな感情は凄まじい。
褒められたら「なんで誰にでもできることをわざわざ褒めてるんだ?」
同僚に誘われたら「あー割り勘要員ほしいんだよね」
がまず頭をよぎる。ある程度の歳になれば「理屈で」この反応をねじ伏せることもできるようになったが、返事をする頃には完全に疲弊している。「おいxx」「はい、何でしょう」の会話をするために一体どれだけの葛藤や闘争があるかはなかなかわかってもらえない。
「自分から徹底的に絞りたいやつがまた一人増えた」という理解でまず人を見るし、自分がなにか言っても結局みんな潰しにかかるし、否定する、だけど親が言った「信じることが大事」というキーワードで信じてしまう。
あれだけ自分の人格を崩壊させた親の言った人を信じろという言葉をなんで後生大事に抱えてるんだ?と思うかもしれないが、トラウマ、両親によって徹底的に破壊された人格は矛盾を矛盾と感じない。
テストを受けて結果を見せる、普段60点だけど少し頑張って80点とっても取れなかった20点だけに注視して「勉強時間を毎日2時間増やしなさい」というが、テレビなんかで同じ境遇の子供を見ると「私だったら子供が取った80点を褒めてあげたい、勉強は何時間やったかじゃない」と平気で言う。
成績表を見せれば泣き叫び具合が悪くなって寝込んでしまう。自分はわけもわからず謝るしかない。誤ったら誤っただけ善意で滅多刺しにされる。あなたにはもっと頑張ってもらいたい、あなたはやればできるのに、なんで頑張ってくれないの、なんで私の気持ちわかってくれないの、何時間もだ。要は「自分の子供は100点しか取らない、成績表には5しかつかない」というわけのわからない前提で見ているから「100点を取れないことがムカつく、5以外の数字があることがムカつく」ということなんだろう。
でも勉強ができない子供をテレビなんかで見たら「子供の個性が大事、個性を伸ばすようにしないと」と平気で言う。
父親は完全にランダムで激怒する。もう何を言ったら怒鳴られるかわかったものではない。彼は平気で嘘をつく、論点をずらす、自分の記憶を改ざんする、そうして俺をとにかく黙らせて「ハイ論破wwwww」となる。当時の話だからまんま言わないが要はそういうことだ。それについて蒸し返すことはできない。もう徹底的に無視される。自分が言いたいことだけを無理やり相手に納得させる。そもそも「どう反応すればこいつを叩き潰せるか」でしか返事をしないから平気で矛盾したことを言う。30秒前に肯定したことを今否定するなんてことはザラだ。とにかく大事なのは俺を潰すことでしかない。下手に矛盾を指摘すれば更に激怒の時間が増えるだけだ。
一度火が付けば満員電車の中だろうが飲食店の中だろうが徹底的に怒鳴りつける。周囲の目線が痛い。やめてほしい、死にたい、消えたい、という気持ちだけで下を向くしかない。それとは対象的に恍惚とした父の顔、恐怖でしかない。
そうやって育った俺は結局「人を完全に疑ってかかるけど、言われたことを馬鹿正直に信じて実行して痛い目を見るやつ」になった。
どうしてこうなった?と思うかもしれない、だがそうなった。なんの一貫性もない人格。ただただ苦しみでしかない人生。世界で一番信じられないのは自分、世界一醜いのは自分、世界一ダメなやつは自分、自分の笑顔を写真で見ると鳥肌が立つ。なんでこんなに気持ち悪い生き物が写ってるんだ?周りはそんな自分をたまに褒めるが、パニックでしかない。「こんな誰がやってもできそうなことなのになんで褒めるんだ?意味がわからない。むしろやめてほしい、おだてて俺からまた何か絞る気か?むしろとっとと切り捨ててくれたほうが自分の感情と矛盾しないだけスッキリする」
ということを言っている方が安心できる自分がいる。そんな自分が氷河期世代の救済を政府が始めたときいたところで自分の中に構築された論理は「あーあいつらまた美味しい宝の山でも見つけたんだろうな」としか思えない。もし自分が生まれる前に行けるなら、徹底的に自分が生まれないようにしたい。
(インド以外の詐欺 https://anond.hatelabo.jp/20190726193138)
結構長い間、いったん出国して日本に帰国しては再入国してって感じで、ゆるいバックパッカーをインドでやってた
多かったパターンは、インドの空港や駅から事前に手配してない声かけて来たタクシーにのっちゃって(これは絶対にやっちゃダメ、今ならUBER使った方が良い)
そのタクシーがグルになってる観光会社に連れてくんだけど、そこで監禁されて、やむなく契約した十何万円もする様なプランでカシミールとかに飛ばされちゃうって感じの詐欺に合う
んで、カシミールとかに行ったら行ったで高原をトレッキングしてると後ろからぶん殴られて全財産取られたりする。こうなると命があるだけ儲けものだ。
他には、電車で声かけて来たインド人に勧められるままに、飲み食いしたら眠剤入りで目が覚めたら全財産奪われてるとか
そんなのもよく聞いたし、そういう子を助けたりもしたよね。
女性の場合なら、声かけてきたインド人が親切に観光ガイドをしてくれたんだけど、物陰で襲われたなんて話もある
ガンジャ=麻薬を勧められてやってるパッカーも結構見たし、当たり前だけど捕まったら碌な事になんなくて脅されるって事もあった様だ。
俺が泊まった宿でも、テレビの裏やベッドの下なんかに麻薬が隠されている事なんかがあったりした。
当然だが泊る前にチェックして、そういうのを見つけたら怒って泊まらない様にしていた。
親切な顔で近づいてきて、高額なものを買わせようとしたりなんてことは日常茶飯事だったよ。
タージマハルなんかで話しかけてくる奴なんて100%、ガイド代をぼったくりたい奴だし
自分から声をかけてくるインド人は全員詐欺師か強盗だと思う位で丁度いい位の用心が必要だよ
鍵のかかってない荷物を宿においとけば、中身がなくなるなんて当たり前の事だって位の気構えが必要だよ
そう言えば、高額な宝石を買わせようとする詐欺師に、導入のトークで「日本では管さんが首相になりました」って日本語で教えてもらって
コーヒーと飯を驕る代わりに彼のパソコンでニュースを読ませてもらったこともあったなw(※詳細は追記以下に)
電車がテロリストの襲撃に合ったって言うんで、武装した軍人が車両に乗り込んでて、軍人と談笑しながら目的地まで過ごしたこともあった。
銃撃戦の音を聞いたのは、あれが人生で初めてだった。怖かったよ。
だけどな、インドの電車とか、凄くわかりにくくて、今何駅にいるのかも分からんって事があるし、目的地が分からないとか
お腹を下してるのだけど薬が手に入らないとか、いろんな場面でインド人に助けてもらった事も沢山あったよ
インドは面白い国だが、心構えとある程度の経験がないと、一人で行っちゃいけないよ
気構えさえあれば、女性一人のバックパッカーなんかも割といるので、問題なく旅行を楽しめる国ではあるんだけどな
悪いが、しょうごくんは油断しすぎだ、とインドに沈没した俺は思う。金はとられても命があってよかったと思うよ。
せっかくだし、インド沈没者としてインドへ旅行する初心者が最初の旅行で最低限やっておいた方がいいと思うことを書き留めておきたい
ポイントとしては万一の際に、家族や警察が足跡を辿りやすくしとくことを意識がけるということだ。その腹積もりで用心してれば、簡単に騙される事も減るだろうし。
空港や駅から宿までの道のりが最初の関門で危険なので、慣れないうちはバスなんか使ったりしないで日本で手配した方がいい。往復5千円とか取られて高いが、Uberを使うのも不安ならば、これが安全だ。宿も最初と最後を同じにしておくことで、万一の際の日本での対応が早くなる。俺の場合は宿の支配人に日本語で書いた、旅行計画やメッセージ入りの封筒を渡しておいて、何日に宿に戻ってこなければ大使館へ渡してほしいと、チップ込みで手渡しておいた。
現地で交渉すれば幾らでも安く上がるインドの宿だけど、それだと足跡が途絶えるし、最初はネットで予約しておいた方がいい。慣れてきて交渉にも自信が出てくれば現地でやればいいけど、慣れないうちはネットで予約する方がボラれないし安全です。デリー市内の鉄道なんかは日本で乗るのと変わらなくて便利だけど、都市間移動は注意した方がいい。鉄道窓口なんかは、特に詐欺にあいやすいポイントなので使わないに越したことはない。リキシャは都度都度捕まえるのもいいけど、観光地を1日動き回るなら、信頼できそうな人を1日雇うといいですよ。
そこそこの宿に泊まると、フロントに旅行代理店の人がいたりする。インドが怖い間は、安いわけではないけどボラれる事もないので、そこで鉄道チケットやタクシーの手配を依頼するのも悪くはないです。かくいう俺も、最初の旅行ではデリー、ジャイプル、アグラの移動は宿で手数料払って鉄道チケットの手配を依頼しました(笑
「違うよ、俺〇大だし。なんか、ほんとっぽいのが凄いな。学生がインドで詐欺やってたら先生泣くよー」
「違いますよ。日本語を忘れない為に日本人と話したいんです。そういえば、菅さんが日本では首相になりました」
「嘘だ・・・いくら民主党でも、そこまで馬鹿じゃないはずだ・・・」
「小沢さん負けましたね。残念です。」
「本当なのかよwwちょ、おま、そこのレストランでコーヒー奢ったるから、そのノートPC使わせてくれ。」
「んー困ります。でも僕の店でならOKです、チャイもあります。」
「分かった。俺がOKしたものなら、4品まで料理も頼んでいいわ。」
「じゃあOKです!」
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「そんなに嫌ですか。でも日本はすぐに代わるから大丈夫じゃないですか」
「要りませんwww」
~~~~
「この後、僕のお店でチャイ飲みませんか?宝石とかお土産とか置いてます。日本の漫画もあります。」
「無理、君にご飯奢ってお金なくなったし、宿に帰って寝るから。じゃあな~」
1人は創作活動に打ち込んで大した結果も出せなくて絶望して死のうとしたけどせっかくだからとフリーターになったあとで、細々と今でも新人賞に送り続けている。
1人は親の反対を振り切ってIT系の大学に入ってプログラマーになって結局ブラック企業で心を壊されたけど今は立ち直って非正規で再び歩みだした。
1人はEラン大学から公務員試験を受けて地方公務員にはなれず国家公務員になんとか滑り込んだけどブラックな職場に苦しみながら今も時給が最低賃金を下回ったまま働いてる。
1人は大学を中退してから親をなんとか騙し続けながらダラダラとニートを続けていたがある日限界が来て首を吊った。
1人は精神科でドクターショッピングを繰り返してある日向精神薬をくれる医者と巡り合ったけど結局薬が合わなかったけどいつか良くなると信じて必死に薬代を稼いでいる。
1人はゲームクリエイターを目指して引き篭もって孤独にアプリを作ったりどうぶつタワーバトルの作者を妬んだりしながら実質ニートと変わらない暮らしを送っている。
1人は体を鍛えて単純労働者になればいいと考えて頑張って筋トレしたけど辿り着いた職場がDQNだらけだったので絶望して逃げ出して今はトヨタの工場でなんとか生かしてもらっている。
1人は警備員なら楽ちんだと聞いてなったはいいけどヤベー客と対応するのが怖くて出来なかったのでビルメンへとスライドして毎日便器に詰まったウンコと戦っている。
1人はアフィリエイトブログで一山当てようと努力して最後はスクレイピングを繰り返すだけの虚無になりはてたけど結局儲からなくて仕方がないからツタヤでバイトを始めた。
1人は頑張ってCラン大学に入って友達付き合いもそれなりに頑張っていい感じに卒業してメイカーに入ったけどある日残業に耐えきれなくなって今は引き篭もっている。
1人は自分の技術的な才能を信じられないからと営業職になったけど自分に一番苦手なのは営業だったのだと気づいてたいけど転職に踏み出せず今も毎日怒鳴られながら生きている。
1人はBラン大学に入れた自分ならきっと凄いことが出来ると思いこんで大学院まで進んでからやはり自分は勉強嫌いだと気づいてどこにも踏み出せなくなっている。
1人はとにかく時間稼ぎをしようと親の脛をかじりながらダラダラとコンビニバイトをしているとき例のVtuberに影響されて自分もなろうと3Dの勉強を始めた。
数年前の記憶を思い出しながら書いているので、あまり参考にならない。
そもそも今は売ってないらしいし。
商品名の「オメガ700」は700mlであることを指していて、それで他の500mlのペットポトル飲料より安目でお得。
ここらへんはさすがチェリオ。
ただ味は……なんというか、「そういえばスイカって野菜なんだよなあ」って気持ちになったのを覚えてる。
スイカフレーバーといえば俺の中では『スイカバー』が第一にあったせいで、飲んだとき嫌な印象を抱いたというか。
甘味はないに等しく、糖分の低いスイカをそのまま食べたような風味が前面に出ていた。
その風味というのも、どちらかというと皮付近の部分をかじったときの青臭い感じに近い。
そういう意味では中々のクオリティとはいえるんだけれども、俺はスイカのフレーバーにそういうの求めてなかったので飲み切るのに苦戦した。
せっかくだから塩を加えて、それっぽく飲んでみたけど、まあ飲めなくはない……みたいなレベル。
持論だけどチェリオの飲み物は第一印象がビミョーで、何回か飲み続けるとハマる味が多い。
でもこれはそういう気持ちにすらなれなくて、一度だけ飲んでそれっきり。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kids/html/himitsu/index.html
「国会でわーわーやってる」面もあながち間違いではないけど、それだけでなく、予算を審議し、法律を議決している。
http://graciocasa-juku.blog.jp/archives/7993321.html?ref=popular_article&id=6927881-209759
予算が通らなければ、行政サービス等いろいろなことが回らないのではないだろうか。
また、「内閣、総務、法務、外交防衛、財政金融、文教科学、厚生労働、農林水産、経済産業、国土交通、環境、国家基本政策、予算、決算、行政監視、議院運営及び懲罰」について詳しい話し合いをしているとのことだ。わーわーだけではないだろう。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/aramashi/iinkai.html
ここでおさえておきたいのが、議決のしくみと法案提出のハードルで、
http://graciocasa-juku.blog.jp/archives/7960082.html#more
国会内である程度議席を取っておかないと、その議員や政党の掲げる政策が実現できない。
じゃあ与党が自民党のままでいたら何も変わらないから、別の党が政権を取ったら良くない?って多くの人が思って
多くの人が民主党に投票してできたのがいつかの民主党政権だった。
ならば、自民党政権のほうがマシじゃない?って多くの人が思って自民党政権に戻った。
では前はどうだったかな、と自民党の前回の選挙の公約を確かめてみた。
実現には至っていない事柄も多いが、議論が始まっている事柄もある。
それとこれは私の個人的見解だけど「何も変わらない」つまり平和な暮らしを引き続き享受できているのも、外交のおかげかもしれない。
そして「民主党政権のようには変わらない方がましだ」と多くの人が自民党に投票したのがここしばらくの選挙だった、ということなのだろう。
まとめるとこんな感じだろうか。
素人だから間違っているところもあるかもしれないので、見つけたら指摘していただきたい。
もし元増田が「わーわー言って、議員だけが得する(儲かる)システムを語り合ってる」と思うなら、「議員ばかり得するのはおかしいぞ!」と言ってる候補者に入れるのもありだろうし、もしそういう人がたくさん議席を取ったらそういうシステムも変わるかもしれない。
ただ、たくさんの人の一票の積み重ねで、誰が予算を決め、法案を審議し、政治を行うかが決まってくる。
本当に「誰がやっても同じ」だっただろうか?
はじめに、この感想はBTSをほとんど知らない人間が、印象だけで書いた感想であるので、事実とは異なる部分も多くあると思うし、
アーミーのみなさまには不愉快な部分もあるかもしれないことをはじめに謝罪しておきます。
しかし、私自身はとってもたのしい時間を過ごせたので、せっかくだから書き残したいなと思う。
ひょんなことからBTSのコンサートチケットを手に入れた。私はほとんどテレビも見ないので、BTSの曲もメンバーも知らない。
もともと、ロックバンドのライブやフェスには足を運ぶ方であり、知らないバンドの演奏を聴いたりするのが好き(それをきっかけに新しい出会いがあるため)なので、軽率に行くことを決めてしまったが、そんな、メンバーすらあやふやな私よりも、コンサートに行きたくて涙を飲んだ人の方が、チケットの行く先はふさわしかったに違いない。ファンの人には一抹の申し訳なさを感じたが、個人的にはそんな遠慮よりも好奇心が勝ってしまった。アーミーのみなさま、許してほしい。
いちおう予習はした。曲はけっこう好みだったので、ハマったし、いちおうコールも少し覚えた。
ただ、バタバタしてて、メンバーの顔と名前を一致させるのは間に合わなかった……。
・音楽番組と違って、長丁場となるコンサート。ずいぶんといろいろな発見があった。
メンバーの体力や集中力の差は如実に現れる。しかし、それがマイナスなのかというと、そうではないことを知った。
少し集中力が切れてきたメンバーに、余裕のあるメンバーが絡みに行って見せ場を作ってあげたような場面もあった。
なにより、そういう現場の苦悩を知ったことによって、ぐっと彼らの人間的魅力が増したように私は感じた。
・ずば抜けてパフォーマンスが目を引いたのは、ナムジュンとジミン。
この二人は、自分のやりたい表現と方向性と、周囲の求めるものがほぼ一致に近いのではないだろうか。両者ともに、パフォーマンスに隙がない。
コンサートの後半までパフォーマンスが決まり続けていたのはこの二人だったな。
・ナムジュンは、ラップもダンスも、どこを切り取ってもキメてくる感じだ。精神的にも、体力的にも余裕がある。
かといって、前に前に出てくるというよりかは、きちんと周囲を見ているように見えた。ファンサービスも旺盛。
予習の段階ではそこまで注目していなかったが、今回一番好印象だった。能力が高いことで他のメンバーを気後れさせてしまう可能性さえも、考慮しているかのような賢さを感じた。
MCでも、日本語と英語、韓国語を堪能に混ぜていたのがすごい。"雨 EDITION"という表現に、彼の語学センスの高さを感じた。英語表現に引っ張られていたら、形容詞的に「雨の」 EDITIONといってもおかしくないところを、日本語センスでうまく名詞を形容詞化してとっさに喋れるのがすごいと思った。後から調べたら、この人はIQが高いそうですね。
とにかくシンプルにかっこよかったし、ずっと目で追ってしまう力強さがあった。
・ジミンは、ソロの曲の時に「えぐいダンスうまいやつがおるぞ」と思って注目していた。
バラードの曲の時、ずっとその曲の世界観の顔になってたもん。美意識とプロ意識の高さを感じた。とにかくダンスが上手い、いいものを見せてもらったという感じ。
・その他のメンバーで印象に残ったのはJ HOPEことホソク。
彼はずっとにこにことしていて柔らかい雰囲気。門外漢から見てもわかる、絶対に必要なメンバー。
あの余裕のあって安心感のある顔を、しっかり自分の役割として自覚し、振舞うことができるのは強い。
見ている側も、安心するし、きっとメンバーにとってもそういう人なのかな、と想像した。
・世界一かっこいい顔に選ばれたらしいVことテテ。この子に関して私はどう評価したらいいのか、とても慎重に言葉を選ばねばならない。語弊を生みかねないのを承知で、素直な感想を書けば、
体力や集中力のあるメンバーと対比的に、ムラがあった。バラードの曲の表情の作り込みも、ジミンと比べたらあまりに素直すぎる。しかし先にも書いた通り、それが彼の魅力にもなりうるポイントである。彼の天然っぽいMCで私は、彼はこういう不思議なバランスで、自然でいることを隠さないことで、スターになっているのだとわかった。
隙のなさすぎる人に、果たして魅力を感じるだろうか。うっかりすれば高嶺の花のような偶像になりかねないほどの美しすぎる顔を持つ彼が、一人の人間として受け入れられることは相当にすごいことだ。テテはもっとも刹那的なバランス感を持っており、ほんとうに、「今しか見れない魅力」に溢れたメンバーだと思った。
・もっとも苦悩して見えたのはユンギちゃん。。。この人は、自分のやりたい表現と、自分のできる表現の間にギャップを感じているように見えた(妄想です)。しかしそう思ったのは、彼のパフォーマンスから努力の跡がにじんでにじんでしょうがなかったからだ。表情の真意は、ファンですらない私には読み取れなかったが、ジミンが自身の美意識をある程度形にできる段階にいるのに対し、ユンギはその過渡期にあり、苦悩しているような印象をもった。そして彼のパフォーマンスは、もちろん申し分のない素晴らしいものだったので、すごく応援したい。
・ごめんなさい!後のメンバーはよくわかりませんでした!!でもみんなかっこよかったです。
帰宅してさっそくBTSを復習している自分がいる。今回きちんと追えなかった残りのメンバー(ジン、グク)のこともきちんと知りたいと思った。
基本的に完成度が高く、いいものを見れた素敵な時間を過ごせたので、行ってよかったと思った。
そして、彼らの関係性やひとりひとりの性格が、長丁場の中で見えてくるのがほんとうに面白かったし、
知れば知るほど、魅力が増していく、とてもいいグループだと思いました。またどこかで見たいです。
姉は脚長の細身ではあるけど自他ともに認める貧乳でしかもブス。
「顔面偏差値クラス最下位はいつどの学校でも争える」と本人がドヤ顔で胸を張るほど。
やはり大学卒業までは異性関係からっきしで、男友達すらもいなかった。
が、社会人になってからというもの、妹の私から見ても尋常じゃないモテ方をしていたので唖然呆然だった。
ある日突然、最大手シンクタンクに勤める超絶イケメン高学歴に姉との食事会に連れて行かれて、後日「お姉さんのことが好きだ。まだ食事する仲でしかないから力を貸してほしい」と打ち明けられたこともある。
こういうエピソードはくさるほどある。どの男性も姉との結婚を熱望していた。
相手は3つ年上の二代目開業医。イケメン。姉が趣味のスポーツで怪我して彼の診察を受けたことが出会いのきっかけだという。
せっかくだから、私が長く抱き続けていた「姉のどこが好きなのか(≒なぜ姉はモテるのか)」という疑問を義兄になる予定の彼にぶつけてみることにした。
すると、そんなとこで!?っていう意外な答えが得られたので書いていこうと思う。
・絶対に奢らせない(「デートしたけど割り勘で失望した」と以前私が愚痴ったときも姉は本気で怒ってた。甘えてるし浅ましいしなんで恥ずかしいと思わないのか、と)。
・職業差別をしない(無職でもニートでも結婚対象内と私によく言っていた)。
・恋人の経済力に価値を見出してない。結婚後の生活費等の出費については完全な独立採算を強く希望している。
・誰に対しても分け隔てなく接する。
・店員や駅員に対して丁寧。洒落にならないミスをされたときも変わらなかった。
・粗衣粗食を望んでいる。
・家具の組み立てや家電の修理をテキパキやってのける(ちなみにハンダも上手い)
・身内に自殺者がいて、自分も精神疾患を患っていた時期があると破局覚悟でカミングアウトしたら「えっ、それで嫌われると思ったの??」とポカンとしてた
・いつも笑ってる
意外と姉みたいな特徴って男性の心に響くんだろうか。
社会人になってから突然モテ女になったことを考えるに大人の男性にのみ響くってことなんだろうか。
ちなみに私は店員や駅員さんに丁寧ってとこを除いて姉が好かれたような特徴はない。
じゃ日頃何食ってるんだよ!って思われるかも知れないけど、
これじゃいけないと思って、
食材買い込んじゃうんだけど、
毎週末で着ない時期が続いたから
その料理したい欲が満載ってワケなのよ。
せっかくだから切ったり炒めたり煮たり粉砕させてりと
タマネギ炒めてカボチャ柔らかくちょっとにてハンドブレンダーをかければできあがりなのよね。
冷たくしても美味しく頂けちゃうので
野菜もたくさん摂れるであろうし、
結構やった感あるのよねー。
今夜あたり作ってみようかしら?
うふふ。
とりあえずトマトジュースだけ飲んできたわ。
この時期忙しさマックスなので
しっかり食べておきたいところね。
でも野菜はぜんぜん食べれてないという
もう全くこの忙しさと言ったら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私はなぜか某SNSでアート系の人とのつながりが多く、従ってそういう人たちやその仲間たちの作品及び作品展の案内を目にすることが多い。
別にそれらの作品が悪いとは思わないし、作者たちはそれなりの情熱と時間をかけて作品づくりをしてるんだろうと思うけど、あまりその作品のためにギャラリーに足を運びたいとか、お金を払って彼らの作品をコレクションしたいとか思わない。
写真を撮るのが好きなので、地方都市などで「ビエンナーレ○○」みたいなイベントがあれば行って写真を撮ることはあるけど、作品そのものが目的というより、何もないとただの田舎で終わってしまうところにアート作品を配置して、独特の風景を作り出しているさまが好きなだけだ。
絵描きとかで、そこそこ上手いんだけど明らかにそれだけでは貧困状態に陥るだろうという生活をしている人の投稿を見ると、正直「絵だけじゃ暮らせないならスーパーのレジ打ちでも何でもいいからバイトすれば?」と思う。その分絵を描く時間が減るかもしれないけど、それ以前に画材が買えなくなったり電気止められたりしてるんだから、多少なりとも金になることに時間を使った方が人間らしい生活ができるだろう。
名だたる大企業を早期退職して、無名のアーティストを世に出すための活動をしている人も知っているけど、物好きなボランティア活動にしか見えない。そんなアーティストたちの中に金の卵が混ざっているかも知れないけど、仮に才能があるとしても私はその人の作品を買おうとか思わない。単に家が散らかっていて、アート作品なんか飾るスペースがないというのが最大の理由だけど、ずっと眺めていて飽きない作品なんて存在しないから余計なものを家に置きたくないのだ。
それなりに評価の定まった美術品や工芸作品を見るのは嫌いでないけど、そういうのは美術館や博物館で現物を拝んで、手元には図録でも持っておけば良いと思う。その時の気分や好みで見たいものは変わる。まぁ図録でもあまり見返さないことは多いが、少なくとも作品そのものよりは安価でかさばらない。
日本でアート作品を買ってコレクションをしようという考えって普及するんだろうかと不思議である。豪邸の持ち主で、せっかくだから家の中にお気に入りの絵や彫刻を飾っておきたいという人もいるかも知れないけど、ごく一部の恵まれた少数派だろう。
中途半端な才能しか持ち合わせないアーティストは無理にそれだけで食べて行こうとしないで、割りきって食べていくための仕事と兼業すべきじゃないかと思う。逆に食べていくための仕事でそれなりの収入がある方が作品を作るための材料やら何やらにお金をかけられて良いんじゃないだろうか?アートだけで食べていけるなんて元々お金持ちか、たまたま流行りに乗って自己PRに成功した人だけではないだろうか?
食べていくために好きになれない仕事に甘んじている自分のやっかみに過ぎないかもしれないけど、アートは生活費を稼ぐ手段として極めて能率が悪いと思う。中途半端な才能と収入にあがいている自称アーティストには「一番好きなことは仕事にするな」という言葉をプレゼントしたい。
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
そんな田舎に、付き合ってもうすぐ一年になる3歳年下の彼氏を連れて行くことになった。
当日、手土産を渡したきり黙り込んだ彼。
いつも陽気な彼も流石に緊張したのだろうか。
その時はそれくらいにしか思っていなかった。
喧嘩の原因はここでは本筋から逸れるので触れないが、口論のうちに話が飛躍し、なぜ彼は私を地元に連れていかないかという話題になった。
そもそも、彼は私に比べて比較的地元が近いので、なかなかの頻度で地元に帰っていた。
が、毎回同じ報告を受けるのみで、じゃあいつ友達なりご家族なりにご挨拶しようか。という具体的な話に進んだことはなかった。
今まで付き合っていた女性はほぼ全員親御さんに会っていることも、彼本人から聞いている。
そんな経緯を私が指摘したところ、彼から返ってきた答えに私は驚きと呆れを隠せなかった。
彼いわく、
「実家では俺の年齢的にそろそろ結婚を急かされるようになってきた。
だから次は慎重になっている。」
私の親も、彼の親同様に、きっと娘の将来を案じているだろう。
彼よ、あなたはその発言をする数日前に私の実家を訪れています。
どういう心境で私の実家を訪れたのか。
マジで、ガチで、リアルに観光気分で実家訪問したつもりなんだろうか。
特にオチはありません。ただただ嬉しかったということを話したいだけ。
ある俳優さんを応援しています。いわゆる2.5次元舞台に出演されている俳優さん。人気原作の舞台を観て好きになりました。
好きになった理由はいろいろあるけど、一番はやっぱり原作を大切にして演じてくれていること。2次元のおたくなので好きなキャラクターを大事にしてくれて、さらにそれを理想的に体現してくれていて、本当にうれしかった。(といってもはじめからその舞台を追いかけているわけではなかったけど)
その頃はまだ推しといってもDVDや舞台を観に行ってグッズを買うくらいで、俳優さん本人として認識したことはあまりなかった。
調べてみたらいままであまり個人イベントをやったことがなかったようで、これを逃したらなかなかないかも……?と思い、せっかくなので申し込みをしてみた。
イベント当日。
素の彼も本当にかっこよかった。観たことがない舞台の役の話もしていて、全然知らなくてごめんねと思ったけど、大好きな役の話もしてくれてうれしかった。イベントには彼と仲良しの仲間がゲストに来ていて、楽しそうにしている彼を見ることが出来て本当に楽しかった。
それだけで満足だったはずなのに!
なのに!
いろいろあって抽選に当たって、とんでもないものをいただいてしまった……!詳しくは伏せます。うまく隠せる自信がないので。
イベント終了後に握手や撮影の対応もあり、初めてのイベントで本当に緊張してしまって、これからも応援しています……!くらいしか言えなかったわけですが、去り際に
◯◯よかったね!
と声をかけてくれました。
……抽選当たったこと覚えててくれてる!?イベント終わった後にたくさん握手してるはずなのに!?
後から知ったことですが、推しはファンのことすごくよく覚えてくれるタイプの方のようでした。あ、改めてすごい俳優さん……!
推しとは次元の違う存在で、こちらはあくまで一方的に応援している存在で、数あるファンのうちの一人なんだけど、数あるファンを一人一人個として認識してくれる方なんだなぁと感激しました。
その日だけでも嬉しかったのですが……!
その後何回か行ったイベントでも「あ!◯◯の子だよね〜!」と声をかけてくれて…
こちらはあなたのファンが一人でもたくさんいるよというアピール(?)のために存在しているのであって、我が我が!とならないように意識してはいるのですが、向こうから言ってくれたらそれはもう、「そうですぅ〜〜!!覚えててくれたんですかぁ!?!?」ってなるよね!仕方ないよね!!
これからもアピールしすぎない程度に、でもあなたを応援してるファンがひとりでも多くいるんだよーっていうのがわかるように応援していこうと思います。
それだけでも幸せなのに!
あるイベントで渡したプレゼント。せっかくだから何か贈ろうか?消耗品的な使えるものだったら困らないよね?と考え贈った、稽古着的なもの。まぁ消耗品ローテのひとつにでも入れたら嬉しいよね、みたいに思ってたもの。
プレゼントって、使ってるところ見せてもらえるものなの!?し、幸せ……
普通に、日常生活で友人にプレゼント使ってもらえるのも幸せなことなんだよ。旅行先で買ったちょっといいストラップをずっとつけてくれている友人見るとにやにやしちゃうし。
そんなノリで、憧れの俳優さんが自分が贈ったものを使ってくれる、しかもそれをこちらにわかるようにしてくれるって、凄くない!?!?俳優さんって改めてすごい……!
プレゼント渡したときも、大切に使うね!みたいなことを言ってくれたわけですが、実際使うかどうかはおいておいて、そう言ったら喜んでくれるであろうことを想定してそう言ってくれたという事実が嬉しかったんですよ。
それなのに…本当に使ってくれるなんて……!
そしてそのプレゼント、一回だけでなく数カ月にわたって何回か使ってくれていたので、もう嬉しさが連鎖していくばかり。
なんでだろ。なんでこんなに嬉しいんだろうね。