https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48547530U9A810C1MM8000/
このニュースを見たらなんだか急に記憶の扉が開いたので長文を書くことにした。
自分は就職氷河期が直撃した年齢だ。大学のとき、就職課のスタッフが全学生を講堂に集めて「お前らなんか取ってくれる会社があったらそれだけでありがたいと思え!」なんていう講習会を開くくらいに氷河期だった。
確かに自分の周りでは「いかに多くの会社に履歴書を書くか」とか「まぁ俺みたいなゴミクズ取ってくれる会社があるだけ御の字だわ」とかそんなやつが多かった。
自分が大学に入る少し前はリストラだなんだと言って会社はかなりえげつない作戦で人をやめさせて人件費を浮かせ、結果残った人たちが激務にならざるを得ないなんていう社会に移行していた。しまいには今流行ってるからとかそんな理由でリストラに踏み切る会社まであったような気がするが、このへんは現実とフィクションがごちゃまぜかもしれない。
そんな就職氷河期の凄まじさは、しまいには戦略的に留年するとか、大学院に進む人を増やした。なぜなら新卒カードがなくなったら何もかも終わるなんて言うことは当時の学生でもよくわかっていたからだ。いま卒業したら人生終わるなんていう凄まじい時代だ。
そんなわけで企業が学生に対してどこまでも強くなり、大した理由もないのに内定取り消しを会社がやるなんて言うことも結構やっていた気がする(違法だった気もするが平気でやっていた気がする)。
自分たちのちょっと前になるとバブル景気だ。この頃は会社が学生をごそっとハワイとかに連れて行ってアレヤコレヤと接待しまくった挙句にそのまま何もしないで採用していたらしい。バブル世代の社員から聞いたことがある。ハワイはないにしても飲み会に連れて行ったり旅行に連れて行ったりしていい気分にして採用の同意を取っていたそうだ。
本当かよって思うが実際にそうやって仕事を得たと言っていたのでそうなんだろう。
自分たちが何十枚も履歴書を書いて会社を選ぶ権利なんかないんだからとヒイヒイ言いながら会社を回ってどうにか面接にこぎつけて・・・とやっていたのにその目の前に座っている奴らはなんの苦労もなくハワイで採用されていたわけだ。
自分たちのちょっと後になるとむしろ学生が不足していて会社が一生懸命人を雇うようになっていた。彼らは戦略的に自分にあった会社を選んで着実にキャリアを積んでいる。
自分たちなんで「雇ってくれるだけでありがてえでございます!」なんていうメンタリティで仕事を探していた。目の前に座っている学生たちは「僕はやりたい仕事を入社したい会社でしますから」という体で話をしてくる。
なんで自分たちだけが必死に地面に頭をこすりつけて就職活動してきたのか、という疑問は今も拭えないし、なんで会社はそれでも新卒しか取らないのか、新卒で就職を逃したら人生詰むのか、という疑問はある。第二新卒なんていう言葉もできたが、それだって結局新卒以外いらんという会社のメッセージでしかない。
そんな氷河期世代の記憶はあるが、それでも楽しげにやっているやつはいた。だが、自分は幼少の頃から親に植え付けられたトラウマのせいで更に世界に対してネガティブな感情を抱いている。
トラウマというのが何かはわからない人がいるかもしれないが、両親による虐待を受け続けてしまい、感情や行動が歪み、社会で生きづらい人、という感じで考えればいいと思う。みんなそれぞれ生きづらさを抱えているという反応ができる人は幸せだ。そうじゃないんだ。ちなみにトラウマを持たないか軽い人からしたら「どのくらい凄まじいか」は認識できないと思うから余計に苦しい。
両親からやられたことは、かんたんに言うと徹底的に人格を攻撃される、何か意見を言っても徹底的に叩き潰される、親に騙される、親に対する安心感がまったくない、ということを100%の善意でやられる上にやり方がうまくて周りの大人には「いいご両親ね!」と言われてしまうことだ。
このトラウマのせいで自分が世界に持っているネガティブな感情は凄まじい。
褒められたら「なんで誰にでもできることをわざわざ褒めてるんだ?」
同僚に誘われたら「あー割り勘要員ほしいんだよね」
がまず頭をよぎる。ある程度の歳になれば「理屈で」この反応をねじ伏せることもできるようになったが、返事をする頃には完全に疲弊している。「おいxx」「はい、何でしょう」の会話をするために一体どれだけの葛藤や闘争があるかはなかなかわかってもらえない。
「自分から徹底的に絞りたいやつがまた一人増えた」という理解でまず人を見るし、自分がなにか言っても結局みんな潰しにかかるし、否定する、だけど親が言った「信じることが大事」というキーワードで信じてしまう。
あれだけ自分の人格を崩壊させた親の言った人を信じろという言葉をなんで後生大事に抱えてるんだ?と思うかもしれないが、トラウマ、両親によって徹底的に破壊された人格は矛盾を矛盾と感じない。
テストを受けて結果を見せる、普段60点だけど少し頑張って80点とっても取れなかった20点だけに注視して「勉強時間を毎日2時間増やしなさい」というが、テレビなんかで同じ境遇の子供を見ると「私だったら子供が取った80点を褒めてあげたい、勉強は何時間やったかじゃない」と平気で言う。
成績表を見せれば泣き叫び具合が悪くなって寝込んでしまう。自分はわけもわからず謝るしかない。誤ったら誤っただけ善意で滅多刺しにされる。あなたにはもっと頑張ってもらいたい、あなたはやればできるのに、なんで頑張ってくれないの、なんで私の気持ちわかってくれないの、何時間もだ。要は「自分の子供は100点しか取らない、成績表には5しかつかない」というわけのわからない前提で見ているから「100点を取れないことがムカつく、5以外の数字があることがムカつく」ということなんだろう。
でも勉強ができない子供をテレビなんかで見たら「子供の個性が大事、個性を伸ばすようにしないと」と平気で言う。
父親は完全にランダムで激怒する。もう何を言ったら怒鳴られるかわかったものではない。彼は平気で嘘をつく、論点をずらす、自分の記憶を改ざんする、そうして俺をとにかく黙らせて「ハイ論破wwwww」となる。当時の話だからまんま言わないが要はそういうことだ。それについて蒸し返すことはできない。もう徹底的に無視される。自分が言いたいことだけを無理やり相手に納得させる。そもそも「どう反応すればこいつを叩き潰せるか」でしか返事をしないから平気で矛盾したことを言う。30秒前に肯定したことを今否定するなんてことはザラだ。とにかく大事なのは俺を潰すことでしかない。下手に矛盾を指摘すれば更に激怒の時間が増えるだけだ。
一度火が付けば満員電車の中だろうが飲食店の中だろうが徹底的に怒鳴りつける。周囲の目線が痛い。やめてほしい、死にたい、消えたい、という気持ちだけで下を向くしかない。それとは対象的に恍惚とした父の顔、恐怖でしかない。
そうやって育った俺は結局「人を完全に疑ってかかるけど、言われたことを馬鹿正直に信じて実行して痛い目を見るやつ」になった。
どうしてこうなった?と思うかもしれない、だがそうなった。なんの一貫性もない人格。ただただ苦しみでしかない人生。世界で一番信じられないのは自分、世界一醜いのは自分、世界一ダメなやつは自分、自分の笑顔を写真で見ると鳥肌が立つ。なんでこんなに気持ち悪い生き物が写ってるんだ?周りはそんな自分をたまに褒めるが、パニックでしかない。「こんな誰がやってもできそうなことなのになんで褒めるんだ?意味がわからない。むしろやめてほしい、おだてて俺からまた何か絞る気か?むしろとっとと切り捨ててくれたほうが自分の感情と矛盾しないだけスッキリする」
ということを言っている方が安心できる自分がいる。そんな自分が氷河期世代の救済を政府が始めたときいたところで自分の中に構築された論理は「あーあいつらまた美味しい宝の山でも見つけたんだろうな」としか思えない。もし自分が生まれる前に行けるなら、徹底的に自分が生まれないようにしたい。
お前がダメな人罪というのはよくわかった
そんな不遇な人に追い打ちをかけるような事いうことなくない? 政府が市民を生きづらくさせてるならまだしも、市民が市民同士で息苦しさMAXにさせてる状況はヤレヤレって感じしない...
今日も女は毒親叩き