はてなキーワード: 栄光の架橋とは
ゼロ年代Jポップの礎ともいえる感動的なストリングスメソッドは、亀田誠治アレンジによる平井堅の「瞳をとじて」(2004)や、小林武史アレンジによるMr.Childrenの「しるし」(2006)あたりで確立された感はある。
ちなみに、Jポップストリングスに欠かせない金原千恵子ストリングスは01年デビュー。
松任谷正隆アレンジによるゆずの「栄光の架橋」(2004)もそうだけど、いずれの曲もイントロはピアノスタートで、サビはストリングスで感動的に展開していくんだよね。
少し時代は遡ると冨田恵一アレンジによるMISIAの「everything」(2001)のストリングスアレンジも後々のJポップに相当影響与えてそう。
感動的ストリングスとピアノ、という形態のゼロ年代Jポップ手法を支えていたのって、実はフジの「僕らの音楽」(2004〜2014)なんじゃないかって気がしてる。
関ジャムでやっていた、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング BEST30」から、色々抜けているものがあるぞとホッテントリになっていた。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
具体的にトップ30から何が抜け落ちているかというと、安室、TRF、ZARD、WANDS、B'z、GLAY、ラルク、X 、オザケン、ミッシェル、イエモン、久保田利伸、mihimaruGT、浜崎あゆみ、湘南乃風というのがあげられている。
ブコメの方ではそれに加えて、フリッパーズとかピチカートとか、ドリカム、エレカシ、ミスチルが挙げられた。
自分も平成3年生まれで、それらの言っていることはちゃんとわかるんだけど、それでも、やっぱりどちらかというなら関ジャムの方のランキングに共感する。
というのも、挙げられているそれらって、自分にとっては大なり小なり、どこかに「昭和の残り香」を感じる曲だからだ。
関ジャムの方もたとえばサザン、たま、スピッツあたりにその種の残り香を感じないこともない。でも、確実にその種の残り香を、ひとつずつ消しては平成の香りに塗り替えていった曲たちが並んでいるように感じる。
自分にとって生まれていないゾーンである平成元年や2年というのは、正直まだ昭和だというイメージしかない。
平成31年が最も「平成」で、平成の到達点、最極地であり、そこへ向けて元年から順々に昭和の香りを消しては新しいものを付け加えていった、そういうイメージである。
もっというと、今は令和であるけども、今の曲調こそが「平成」という時代が最終的に完成させたもの、という感じ。(ここからまた何十年かけて令和の香りになるのだろう)
そういう意味で、ランキング10位であるヒゲダンのPretenderは、最も平成らしい曲というイメージ。
さよなら人類→真夏の果実→空も飛べるはず→ロビンソン→Automatic→丸ノ内サディスティック→おジャ魔女カーニバル→First Love→LOVEマシーン→本能→カブトムシ→TSUNAMI→エイリアンズ→天体観測→小さな恋のうた→世界に一つだけの花→さくらんぼ→ロコローション→マツケンサンバ→栄光の架橋→群青日和→チキンライス→POP STAR→青春アミーゴ→Love so sweet→若者のすべて→愛をこめて花束を→新宝島→STAY TUNE→Pretender
となる。
昭和の残り香が平成の香りにだんだん変わっていくまでの(Pretenderに辿り着くまでの)曲調の変遷というのが見事に見えてこないだろうか。
平成が定義されていく様子というか、昭和ではなくなっていく様子というか。
そこに、小室とかフリッパーズとか久保田利伸とかの並びは、あえていなくても流れを追うのに支障がないように感じないだろうか。
まして、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ」のだから、今の音楽に影響のあるものが選出されるのが、当然という話に思える。
全体的に、時代や音楽性の【ありさま】ではなく【変わりゆくさま】を、駆動・象徴・定義した曲が選出されているのかなと、感覚的にはそう思った。
カラオケによく行く。
もちろん一人カラオケだ。
過去の曲については、定番曲というのが固定化されているように見える。
そこで今回は、定番曲をピックアップし、30〜40代向けの問題を作ってみた。
最近の曲(うっせぇわとか)はあえて省いている。
もちろんその他の年代の人でも回答できる。
アーティストとランキング順位を挙げるので、その曲名を当ててほしい。
51位 KinKi Kids 曲名:( )
どうだろうか?
では正解は以下の通り。
20位 スキマスイッチ 奏
24位 中島みゆき 糸
32位 HY 366日
43位 GReeeeN キセキ
51位 KinKi Kids 愛のかたまり
55位 尾崎豊 I LOVE YOU
どうだっただろうか?
意外とこのアーティストはこの曲なのか、とか
この曲は入ってないんだ、などあったのではないだろうか。
何故か友人にハロオタ(ハロープロジェクト!グループのオタク、モー娘。のことでしょ?とかいうとにわか認定されるので注意)が多くいる
なにか強要されたりライブに連れてかれたりするわけではないので、それぞれ普通に気の合う友人として接している
俺自身はハロプロどころか芸能関係にはかなり疎く、カラオケで歌える曲が栄光の架橋しかないくらい音楽に弱い。NO MUSIC YES LIFE。
なのでふとした時に優里というアーティストの曲が流れてきたとき、何故ハロオタの友人たちがキレ始めるのか一切分かっていなかった
話を聞くとハロプロ所属の子が優里と付き合っていたが、優里が二股をかけていたことも含め週刊誌にすっぱ抜かれて事務所を辞めた、のに優里は今でも普通に音楽活動をしている(うろ覚えなので間違ってたらごめん)ということらしい
まあ、その子を応援していた身であれば、優里に怒りを覚えるのも分かる
あとは、ていうか優里っていう名前だけで勝手に女だと思ってたけど男なんだへー、くらいの感想しか出てこない
アイドルに詳しくないので契約がどんなもんかは分からんけど、週刊誌にすっぱ抜かれるような恋愛って自己責任じゃないの?そこはスルーなの?って思ったけどさすがに口に出さなかった。二股されてたのはかわいそうだもんね
アイドルの子はアイドル辞めたのに優里はまだ活動してる!ってキレポイントも、そんなん本人と事務所の意志だろうが、としか思えないけどこっちも言わなかった。男の浮気は勲章みたいな風潮はキモいが
一番は、当事者たちのことをマスコミを通してでしか知らないのに被害者面で会ったこともない男を叩き続けるハロオタがキモいな、と思った
友人たちよ、目を覚ましてくれ
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
「孫」大泉逸郎
「飛べない鳥」ゆず
「One more time, One more chance」山崎まさよし
「ココロオドル」nobodyknows+
「リライト」ASIAN KUNG-FU GENERATION
「ただ…逢いたくて」EXILE
「蕾」コブクロ
「Lovin' Life」FUNKY MONKEY BABYS
「キセキ」GReeeeN
「なぜこのグループを秋元康以外の、別の誰かが作れなかったのだろうか」と心底思ったし、自分が中高のときに欅坂46がいなくて良かったと安堵すらした。
現在のAKB48や乃木坂46が中学生や高校生といった若者たちの間で、どのような評価で受け取られているのかは分からない。
しかし、メディアがお金をかけて流行らせたいと思っていた存在であることは明白である(それは「かつて」であり「現在」ではないのかもしれないが)。
そして、その戦略は功を奏し、ある程度まで浸透したことも間違いない。
一方で、こうした「メディアが作ったブーム」に素直に乗っかる層がいれば、必ずそうしたメジャーどころに対してうがった目線でマウントを取ろうとする者たちも一定数いる。
それは例えば、浜崎あゆみが流行っていたときの椎名林檎であれ、Coccoでありに傾倒した層だったり、ゆずが栄光の架橋を歌っていた時に、ひとりRADWIMPSを聞きこんでいたりする層である。
明るく青春を謳歌する歌を歌うものがいれば、そうした青春に乗り切れず、自己世界に没入していく者たちもいる。
AKBにしても、乃木坂にしても、いずれにせよ彼女たちはそうした「明るく青春を謳歌する者たち」であった。
実際、彼女たちを推している人たちが、果たして彼女たちの歌う歌のような青春を過ごしているかはさておき、彼女たちが歌う世界は明るくて、そして何よりスクールカーストが高かった。学園祭ではセンターでその時流行っている歌を歌い、誕生日にはクラスみんなに祝ってもらい、夏になったら水着で海ではしゃぐ。
絵にかいたような「青春を謳歌する女子高生」を彼女たちはメディアを通して見せていた。
そういう「私たちはメジャーな存在なのだ」という暗黙の主張に対して、乗り切れない層は必ずいる。
そこに秋元康がぶつけてきたのが欅坂46というグループである。
彼女たちが凄いところは、「メディアの生み出すあるべき姿」を否定し、「君は君らしく生きていく自由がある」と、そこに乗り切れなかった者たちに対する救済の言葉を与えたことだ。
「自分は自由ではないのではないか」「列に乗せられているのではないか」、あるいは「列に並びきれていないのではないか」という不安を生み出したのは、「列」、つまり「メディアの生み出すあるべき姿」を作ってきた、他ならぬ秋元康である。
彼の作る「絵にかいたような青春」に縛られ、それと比較し、乗り切れなかった自分は「あるべき姿」、あるいは「メジャーな彼ら」とは違うのだと、自己を位置付けてきた者たちにとって「君は君らしく生きていく自由がある」「プライドに縛られたつまらない大人は置いていけ」と笑みすら浮かべず、必死で歌う欅坂46の存在に、どれほど自己投影しただろうか。
しかし、その「あるべきメジャーな姿」と「それを受け入れなくても良いという反骨精神」の両者ともに同じ人物によって作られている、という点に私はぞっとする。
本来であれば、こうした相対する文化は、ハロプロであったり、ももクロであったり、AKB以外の存在が狙うべきだったと個人的には思う。
しかし、結局AKBに乗っかることのない層が何を欲しているのかを正確に把握できたのは、他ならぬ秋元康だけだったのだ。
いつの時代にもこうした「君は君らしくて良い」と、社会が暗黙のままに要請するルールに従わない層に対して寄り添う文化は存在するけれど、それをこれまでそのルールを作ってきた人物が作り出しているという現実に、私は少し息苦しさを覚える。