はてなキーワード: PTとは
ママ友と飲み会でのシーン。PTAの役員をしたことがあるAさんに訊いてみた。
私「今度、運動委員に選ばれちゃったんだけれど、大体何回くらい参加すればいいのかな?」
A「空いてる日があれば、全部参加すればいいんじゃない?」
委員は全員で40名程度。運動委員の仕事は、運動会はもちろん、町内盆踊り・地域交流イベント(敬老の日)・親子交通安全・親子ドッチボール大会・(内容不明の)実行委員研修会にイベント日の立哨当番とか自転車整理、など多岐にわたる。
運動会はメインイベントで原則全員参加。しかし簡単なイベントなら15人程度いれば済むはず。
だから、イベント準備から当日の担当まで、1回きり拘束時間長めの担当とか、何回も出るけど受付のみとか、各タスクに必要な人員と作業負担度合を見積もって、年度当初に担当を割り振るもんだと思っていた。
そのうえでの「大体何回くらい参加するのか?」という問いだったのに。
どうやら「参加します」と表明したら役員が担当者を割り振りするシステムらしい。・・・・怖すぎる。
Aが言うには、イベント中に(暇だから)ママ友もできて良いらしいが、非効率的な無駄話をダラダラしながら作っていく人間関係は、私はあまり好みではない。時間のマネジメントできない人とはもともと価値観が違う気がするし。閉鎖的なママ友小競り合いもあたりまえのように存在しているらしく、Aは「役員」サイドだったから、強者の理論上楽しかっただけで、そのストレスに苦しむ雑魚ママのことは考えも及ばないようだ。
そもそも「空いてる日」って何よ?
仕事、子供の習い事、下の子の発表会、同窓会、家族旅行くらいは「空いてない日」で良いよね?
旦那さんの仕事仲間とのBBQは私は休むべきなのか。義父母が遊びに来る日は?
毎年恒例のバーゲンの初日とか、仲良し友達との飲み会はすぐ変更して貰えるけれど、そこまでして「空いた日」を作るべき?
イベント前日に仕事が忙しく絶対その日は家で倒れているって解っている日でも「空いた日」だからPTA優先なの?
やらなきゃいけないならやるけれど、できればやりたくない。関わりたくない。
子供が人質だから、ニコニコしているけど、本当は挨拶すらしたくない。
なのに「空いてる日はいつでも参加するべき」なんて
行けない日で、PTAに対する優先度合いを試されているようで怖い。
だから「空いている日」の見極めは非常に慎重にしなくてはならないと思うのだが、空いてる日の定義が分かんない。
どんどんPTAが怖くなる。
http://anond.hatelabo.jp/20140412184724
上の元増田の話
・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)
・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者・講師など、普通はいないから」。)
ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)
移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用を部員の保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから、元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。
遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費は学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校が代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。
これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子どもの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。
自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全な組織は学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。
(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲や奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部問わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)
ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員が積極的に社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員が社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校の部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校の部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまり、クラブチーム化する、ということ。学校の部活に、地域の小学生や社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務・運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携も視野に入れる。これにより、
・活動の拡大
……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる
・部活動が学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導と部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるから学校が落ち着いている、など)
・現状、これも教員が負担している、大会運営などを行う都道府県の事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部の場合、特定の運動部の都道府県組織だけではなく、都道府県の運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連の事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)
……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。
それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベストの方法だと思う。
「ASD診断基準変更、の報に、これからアスペルガー症候群じゃなくなりそうな一自閉症者が思うこと」(ここまでタイトル)
DSM改定で「アスペルガー症候群」の診断名がなくなったらしい。「社会コミュニケーションの障害」「限定した興味や反復行動」に絞った結果、有病率は1/4程度に減ることが見込まれるとか。自分は大学時代に診断を受けた「アスペルガー症候群」の人間になるのだけれど、まっさきに思ったことは、「なんだかなあ」だった。Twitterで呟こうと思ったらひどく長くなってしまったので、匿名ダイアリに投稿してみることにした。昨今いわれる「一記事800字ルール」から大きく逸脱していて読みにくいと思うのだけれど、勘弁願いたい。
アスペの本質は「心の理論」の障害じゃなくて、感覚の取得機能の異常(異常というか、「社会適応に必要な情報だけを拾えない)だ、という風に、(旧診断基準では「アスペルガー症候群」と診断されていた)自分は考えている。考えている、だけだとアレなので、一応つけくわえると、以前、お世話になった先生に確認したところ、「その考えは間違っていない」というような事を言われたので、おそらく間違えてはいない(一応、そんなような研究結果もあったと記憶している。まあ、私は学究者ではなく一当事者なので、エビデンスが若干いいかげんなのは許してもらいたいのだけれど。
人間の感覚には、いまどきのカメラのように「オートフォーカス」機能がついている。それも、大変高性能な。これが、オートマじゃなくってすべてマニュアルなのが自閉症(=アスペルガースペクトラムだ。たとえば、誰かが「それ」と言って何かを指差したとする。定形発達の子供は、「指示の対象に目線を向け、そ話者が何かしらの指示または主張を行うに備える」という一連の処理を、ごく自然に身につける。しかし、自閉症者の視界は、蟻の視界だ。「特定の範囲の、限られた情報」だけを拾うことができない。まず、「人間の輪郭」を意識するのが難しい。うごき、を俯瞰してみることができない。そして、「手振りの意味」を理解するのには、もっと時間がかかる。
指差した先を意識すればよい、と学んだとしても、その後がまた大変だ。自閉症者のせまい視界は、「それ」として指し示された物体「以外のもの」を意識できない。あたかも同化するように自閉症者の意識は「それ」とひとつになってしまう。指示、という行為の先にある意図へ辿り着けない。本人の記憶にも残らないような小さい自分に、こんな小さな「ロス」をくりかえして、自閉症者の社会能力は定形発達者のそれからどんどん遅れてゆく。
自閉症者は往々にして、「世界と自分とのあいだに、一方通行の分厚い硝子の壁がある」という表現をする。入ってくるものは、ときに自分たちに害を与えるけれど、こちらがわから触れることはできない。氾濫した感覚世界に、ドナ・ウィリアムズが自著のタイトルとして記したように、「何者でもなく。どこでもいない」自分だけが残される。興味が限定されるのは、何かしらア・プリオリな原因があるわけではない。単純に、あまりに「細かすぎ、多すぎる」情報の波に晒されていることの裏返しだ。自閉症者は、その複雑すぎる世界を規則化するために自らひねりだしたルールにより所を求める。あるいは、数字や言葉などの「より強固で、確実な」曖昧さの無い世界に逃避し、没入していく。
さて、ここで重要なことがある。成長が遅い、ということは、「いずれ追いつく可能性がある」ということだ。IQが高い場合は年齢が上がればコミュニケーション能力は(或る程度は)向上する。限られた環境であれば適応できるようにもなる。IQが低いと、成長速度が社会が要求する適応レベルに追いつかないので、わかりやすい「知恵遅れ」になる。旧DSM水準においては、診断の多軸性、「コミュニケーション能力の障害」以外の細かい部分こそに、自閉性の障害の本質があったように思う。高機能な自閉症者(これまでの診断基準でいう「アスペルガー症候群」、言語機能に遅れがあるものは「高機能自閉症」)は、往々にして、その能力と努力によってコミュニケーション能力が向上させ、また、社会の中で自分が受容されるポジションを獲得し、
あたかも「社会に適応した」かのように振舞うことができるようになることもある。けれど、知覚過敏や感覚から来る負担の大きさ、ある種のデリケートさ(適応しても処理量は変わらないせいで疲れやすい)、過集中傾向、カクテルパーティ効果への適応不可能などは歳を重ねてもあまり改善しない。二次障害との複合で、ひどくなる場合もある。そして二次障害。我らが最大の敵である二次障害だ。慢性的に感覚的に、また社会的にストレスを受ける環境による鬱や神経症、PTSD様の症状(瑣細な感覚刺激からフラッシュバックを起こし、日常生活に支障が出る)なども、かなり改善させづらい。というより、社会に出ている多くの自閉症者は、コミュニケーション能力の障害以上にこれらに苦しめられることとなる。これらの人間に、「アスペルガースペクトラム」の診断基準から外れたとき、医学はどのように対応するのだろうか?
私事になるけれど、自分は二次障害への対応に、かなり苦労した。「病気になる原因」というのが感覚的な特性と、それによって経てきた生育環境に大きく拠っているために、一般的な治療方針やアドヴァイスがあまり役に立たないためだ。普通の人間は、ごくふつうの家庭で(母親は多少厳しくて神経質だったけれど)そこそこ健康に育ったにも関わらず、重篤なフラッシュバック症状(いわゆる「自閉症パニック」の主原因になるもの)を抱えたりしない。精神科、に行って自分が求めた治療を受けられたケースはとても稀だった。最初の二件くらいは適当に薬を出されて、経済的に継続困難なカウンセリングを勧められて終わり。結局、これではらちがあかない、と感じて(また、「はっきりさせるために」)実家に帰って診断を受けてきた、知的障害者向けの施設の外来の先生、そして、某k橋先生(統合失調の大家である)との出会いが、自分にとっては得がたかったけれど、必要な治療を受けられないままの人は未だ多いと思う。数年前にアルバイトを探していたとき、2ヶ月ほど支援センターにお世話になる機会があった。自分の大学時代と比べてこの数年、随分とサポート体制が整ったのだな、と感じて感心した(そして、その実現に走り回ったであろう人々に敬意を覚えた)、それからしばらくしての今回の報だった。
未だに「心の理論」ありきの「アスペルガー症候群とは」みたいな文章はよく見る。精神医学の世界って当事者も臨床も置いてけぼりなんだな、遅れてんなあ、というのはずっと思っていたけれど、今回の改編でよりその印象は強くなった。二次障害が軽くなって、今の生活が忙しくなるにつれ、自閉症を取り巻くもろもろの社会的状況に興味を向ける機会が減ってしまったので、偉そうに論じる権利は無いのだけれど、「まだこんなに遅れているの?」と、失望にも似た気持ちになったことは否めない。
私は診断をうけたとき、その時点で、もともと積極奇異タイプだったこともあり、社会能力自体はかなり改善していた。コミュニケーション能力に重きを置く診断基準だと、今はそのように診断されるかかなり怪しい。当時は、二次障害が今より重かったのに加えて、義務教育期間を終えたことで、それまでの細かな「不便(大学でお世話になった先生曰く『目に見えない腕の欠如』」がいちどに明らかになり、社会的な困難が顕著になっていた時期だったため、「診断が下っている」ことに、自分は自己分析の面で、そしてひとから助けを得る上で、随分と助けられた。この障害がときに致命的なのは、コミュニケーションの障害よりもっと前のステップ、感覚すること、世界に。社会に働きかけること、「関わる」ことそのものに困難を抱えるからだ。「コミュニケーション能力」だけに重きをおいて、障害の本質をばっさり切ってしまった新基準に、本来の意味で自閉性の障害を抱えた人間たち(ここ数年で顕著になったように、世間においてけして少なくない)を、フォローできるとは思えない。
自由業で不安定な生活なので、定期的に、「障碍者手帳を得るべきか」に迷うのだけれど、この機会に行動すべきかなあ、と、また、少しだけ迷っている。職種的に実感する機会は少ないのだけれど、「診断を持っている」というのは、「障碍者の枠に入れられる」ということであると同時、「自分の特異性がア・プリオリなものとして理解され、社会的に許される」手続きでもある。<そして、負担の多い日常に対してシステム的なバックアップを受けられる、というのはとんでもなく大きい。
以前は、手帳を取るなんて甘えだ、と思っていた。実際、生活しはじめると、やるべきことをやるために、使えるものを使わないことこそ甘えなのではないか、と思う。今のうちに診断書もう一回出してもらって、支援センターに相談に行くべきかなあ。けれど、ここまで「診断されない人間が出る」ことに異を唱えておきながら、自分はいつも立ち止まってしまうのだ。生きることに混乱を抱えるのが、自閉症者特有の事象であるはずはない。そんなことは重々承知していて、その上で、おそらく定形発達であれば経験しなかったであろう経験を、自分は重ねてきている。そして、思ってしまうのだ。自分のこれは、この、抱えた差異と、それによって生じる無数の困難は、自分が経験し・乗り越えてきた沢山のことは、果たして「障害」なのだろうか、と。無論、この逡巡が、社会的に「障害」とみなされるか、サポートを必要とし、サポートを得ることで社会の構成員としての生活を送ることへの困難が軽減される人間が存在するか(そして、自分がそのサポートを必要としているか)、という観点とは、デリケートながら別の問題だ、ということも重々承知しているのだけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20140125125450
受給者の口座は全部調査する「ことになっている」が、現実には全部の調査がなされておらず、自己申告に任されている。そこにつけ込んで悪事を企図する輩がいるのです。
これは単に不理解なのか、はたまた希望的観測なのか。
口座のチェックは、生活保護申請時にそれに関する同意書にサインを求められ、同一名義の口座全てに、ケースワーカーがその権限で任意にチェックできる。
かつては銀行及び各機関(電気ガス水道各社、他携帯会社等々)へ「協力を要請できる」でしかなかったが、今般の改正により、「回答をするべし」とより厳重になっている。
下記のリンクは、内閣府主催の「ゼロから考える少子化対策PT」会合で、シングルマザー支援団体が提出した資料です。
リンク先は児童扶養手当に関する申請の有無。生活保護とは全く別のもの。
第三者の口座に養育費を振り込ませる手口はときどきある(事情で出所は明示できない。すまん)ので、養育費を支払う側は注意が必要ですね。
最後の行の指摘については、冒頭で書いたとおりです。「バッシング」というとすれば、「冤罪への無策」と「不正」をバッシングしているだけです。
これに至ってはもはやただの犯罪。
元記事「DV周りがえらいことになっているのを知ってましたか」 http://anond.hatelabo.jp/20140124153514 に、たくさんの反応ありがとう。
見出し『〜知ってましたか』のとおり、あまり知られてない情報から何かを汲み取っていただけるひとが一人でもいたら良いと思って書いたものなので、ホッテントリにまでしていただけただけでありがたいです。
・『配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書』を取れば、DV加害者から身を隠したい被害者にとって欠かすことのできない手続きが可能になる、という知識の普及。
・この『証明』が簡単に出されること(本当の被害者にはとても大切なことです)を逆手に取り、父子引き剥がしのツールとして悪用する輩が実在するという情報の提供。
・悪用する輩に利用された冤罪被害者に、他のほとんどの行政手続きに準備されている「異議申立て」などの救済方法がまったく準備されていないという情報の提供。
・悪用する輩はそれに加えて児童扶養手当や生活保護の不正受給も実行しているという情報の提供。
DV被害者が救済される手続きは今のまま出来る限り残した上で、DV冤罪・父子引き剥がし被害者の発生を抑制し発生後の救済がなされる制度や、諸手当の不正受給を減らす方法についてもっと検討されるべきではないか
ということでした。
さて、と。
http://anond.hatelabo.jp/20140124153514
>生活保護も同様に、養育費を受け取っている銀行口座を福祉事務所の目から隠すだけだ。
ダウト。養育費を受け取っている口座って受給者の口座だろ?どんな怠慢な福祉事務所だって申請する時に受給者の口座は全部調査する。
うん、ダウトだと「普通は」思いますよね。でも、「普通」じゃない情報だから書いています。
受給者の口座は全部調査する「ことになっている」が、現実には全部の調査がなされておらず、自己申告に任されている。そこにつけ込んで悪事を企図する輩がいるのです。
「何事にも不正を企図する奴っているよね」くらいじゃ納得してもらえないだろうから、別の資料を提示しましょう。
下記のリンクは、内閣府主催の「ゼロから考える少子化対策PT」会合で、シングルマザー支援団体が提出した資料です。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/13zero-pro/k_6/pdf/s6.pdf
シングルマザーの生活実態を一番熟知している人が、「養育費の自己申告はほとんどされていない」と言っています。
第三者の口座に養育費を振り込ませる手口はときどきある(事情で出所は明示できない。すまん)ので、養育費を支払う側は注意が必要ですね。
最後の行の指摘については、冒頭で書いたとおりです。「バッシング」というとすれば、「冤罪への無策」と「不正」をバッシングしているだけです。
もちろんその一方で、既に発生している・今後も発生し続けるであろう冤罪被害者を救う方法も必要ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20140124170613
元増田だけど、男のDV被害者とかがいないとは思わないし、男女関係なく守られるべきだと思ってるよ。
現時点では圧倒的に女性が多いのは確か。
(ひょっとして苗字がもとますださんで実名を名乗っておられるだけだったとしたら、ごめんなさい。)
でも良いサンプルを出してくださいました。
「現時点で圧倒的に女性が多い」のは「確か」などでありません。
2010年度の横浜市「配偶者からの暴力に関する調査及び被害実態調査」によると、DVの被害経験(「何度もあった」「1、2度あった」の合計)は女性が全体の43%、男性は42%と、ほぼ同率でした。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/danjo/chousa/20dvchousa/dvchousa.pdf
「何度もあった」だけを比較すると女性16.9%・男性11.0%と女性のほうが多いのですが、それでも「圧倒的」とは到底いえません。
別の調査結果(内閣府「男女間における暴力に関する調査」(平成 23年度調査))では、「何度もあった」「1、2度あった」の合計は女性が全体の32.9%、男性は18.3%でした。
http://www.gender.go.jp/e-vaw/data/dv_dataH2507.pdf
これも「圧倒的」というかどうか微妙です。
むしろ問題は、
その程度の差しか現実には無いにもかかわらず、「圧倒的に女性の被害のほうが多い」と思い込んでいる人が多数いること
と、
にあります。
平成24年度の「配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力が関係する相談件数等の結果について」(内閣府)はこちらです。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/violence_research/pdf/2012soudan.pdf
相談総数 89,490件中、女性 88,425件、男性 1,065件。
さきほど見ていただいた横浜市や内閣府の実態調査にある男女比との違いを考えると、いま必要な施策は男性被害者数の矮小認識の是正と男性からの相談窓口の強化ではないでしょうか。
相談したあとについても
・男性からの相談のときだけはなぜか証拠を要求するなどしてなかなか『証明書』を出してもらえないという話
・男性がさんざん配偶者から暴力を振るわれ堪りかねて相談してみたら配偶者が先に「相談」に来ていて『証明書』獲得済みだったため相談自体受け付けてもらえなかった話
などさまざまな要改善点がありますが、長くなるので今回は触れません。
http://anond.hatelabo.jp/20140124153514
全然カンタンな話じゃないし、親権を剥奪されるほどどうしようもない旦那が多いからそうなんでしょ。
悔しかったら冤罪を証明するしかないね。女性は今迄の不遇の歴史から這い上がってきた。男も頑張ってそうしたらいいんじゃない。
ただでさえ父親の責任は軽く見られてんだから、こうなるのも当然な流れだと思うけどね。
責任も軽く、産む辛さも知らず、親権もほしいだの、美味しいところだけほしいなんて虫が良すぎんだろ。どこまで甘えたら気が済むんだよ。
こういう方法を取る人はそうしないと生きられないような人が殆どじゃないかな。
第一ごくごく一部の例を拡大して全体みたいに言うのって、頭悪いよ。
いろんな方が既に返答しておられるから元増田からはもういいかな。
ふたつだけ言っておくと
・『悔しかったら冤罪を証明するしかないね』というのは、頭がいい悪い以前の言葉だと思いますよ。
・「ごくごく一部の例を拡大して全体みたいに言うのって、頭悪いよ」元増田記事はもともとごく一部の例を語っています。元増田の記事の中に、すべてが冤罪であるかのように書いている部分があればご指摘ください。
https://twitter.com/tarupachi/status/426859806704402432
この件に限ったことではないが、「この制度で助かっている人が多いのだから、冤罪を簡単に作れることは仕方が無い。」 というコメントが意外と多くて目を疑う。自衛してもどうしようもないリスクが冤罪
こちらは、たるはち @tarupachi さんのツイート。まったくそのとおり元増田も感じました。怖ろしいことです。
https://twitter.com/suna_kago/status/426722487900979200
それは悲惨かつ緊急性のある事例が多かったからだろうな、と思う。本当の被害者には絶対に必要な措置もある。とはいえ、なんらかの改善が必要なのも事実かな……。
籠原スナヲ @suna_kago さんのツイート。まったく同感です。
https://twitter.com/tailwisdom/status/426709520132239360
DV被害者というのは一般に立場が弱いため、それを保護する法律がDV被害者に有利につくられているというのは原則して納得できる。その原則は維持したまま、悪用を防ぐシステムがあると良いなぁ。
tailwisdom @tailwisdom さん。同感です。
https://twitter.com/mongrelP/status/426697809752895488
よく考えたらDVは逆の可能性もあるのに「婦人相談所」…\そもそも女性も弁護士に相談に行けないから「婦人相談所」があるわけで男性で該当する物が無いのはどういうことなんじゃろ /
mongrelP@もんぐれ提督 @mongrelP さん。ありがとうございます。元増田の説明不足でした。
実は「婦人相談所」も、男性からのDV相談を受け付けています。(ならば名称を変えればいいのにね。)
また、前出の「配偶者暴力相談支援センター」も男性からの相談を受け付けています。
『配偶者暴力相談支援センターの機能を果たす施設一覧』(内閣府)
http://www.gender.go.jp/e-vaw/soudankikan/pdf/center.pdf
前述のとおり男女にほとんどDV被害数の差はないのですから、当然といえば当然です。
ただ、個別に見ていくと、受付時間が男女で違っていたり(「女性からは毎日8時間電話対応+来所受付予約不要・男性からの相談は週2回各2時間+来所受付は要事前予約」など)します。
また、元増田は何箇所か電話してみて、「男性からの相談」受付時間に電話が繋がらなかったり、男性カウンセラーがいなかったり、男性からのは相談として受け付けない・件数にもカウントしない(Why?)といった反応を確認しました。大幅な改善が必要と思われます。
※「婦人相談所」についてご指摘があったので追記。現在も法律上の正式名称は「婦人相談所」です(根拠法は売春防止法)。婦人の語が差別的という指摘で多くの相談所は名称を「女性相談所」などに変更しています( http://www.gender.go.jp/e-vaw/advice/advice03list.html )が、男性からの相談しやすさの意味では何も変わっていません。「名称を変えればいいのにね」はその点を指摘しています。
6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。
幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップの収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベルの収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。
「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後に経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」
と父は言う。
うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士と相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。
アルバイトという雇用形態で求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーやフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人、不景気でダブルワークをせざるを得なくなった低収入のサラリーマン、世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりやメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。
もちろん、アルバイトだからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々と不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。
うちの店では毎回真剣に選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。
匿名の増田だから自慢するが、私たちは結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在の従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブルや従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家のモットーは非常にシンプルでベーシックなものだが、やはりベーシックなものが一番大事なのだ。
「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」
と母も頻繁に言う。
店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全な職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である。
地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から「総合学習の時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生が研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域を代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である。
さて、話を元に戻す。
採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。
例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーとギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用で不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定の偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。
母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗に彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから、不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリとソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春は違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性陣から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。
では、私の嫌悪の対象とは?
たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。
「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事の経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語はペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったときに朝鮮半島から来た人たちで…」
――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸の田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺、創氏改名等については習っていた。
さらに高校生のときにテレビで大々的に拉致被害者の報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相の訪朝。平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致の事実を北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達。
「世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日の東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビでリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!
都内の大学に入ってからは在日というアイデンティティを持つ人をテレビや新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前はリムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンスの教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。
そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか。
かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。
「国籍は韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」
日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。
高校2年生くらいから大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本の言語認識』。一番最後のイヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分のお金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。
それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤやイライラは感じなかった。なんで在日の言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。
しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。
正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?
私は、自分が韓国や北朝鮮や在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学のときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。
そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制的であるべきだ、と。
私はその規範に従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国や北朝鮮や在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である。
父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。
「在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分の人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。
「いいんじゃないの。雇ってみれば」
つづく
↓
突然隣に座っていた男が大声で怒鳴り出す。「電波がペースメーカーに及ぼす影響ガー」とのこと。
こえーとか思いながらとりあえず「いやこれ電波出てませんから影響ないですけど」って言ったら
「そういう電子機器使ってると自分もやっていいと思う連中が出るから全部お前のせい」と言い出す。
「そりゃその本人の問題では? あとちょっと声抑えてもらえません? 心臓が悪い人も座る席なんですから」
↓
男、激昂。大声のまま暴言吐きだす。とりあえずヘッドホンかけてガン無視、ポメラの入力を進める。
「自分のことしか考えない自己中女」「ブス」「ルールを守れ」「女だから許されると思ってる」「ブス」「俺はそういうの許さないタイプ」「お前に何があっても俺は助けない」「ブス」「お前は絶対子ども虐待する」「こういう自己中のブスは必ず子どもを虐待する」
だいたいこんなようなことを延々大声で言っていたが声はとても遠い。いやあパイオニアのMJシリーズ71番は素晴らしくいい仕事をしますね。密閉型の売り文句は伊達じゃない。
しかし指は震える。大声って苦手なのよね。
↓
男、最後まで暴言吐きまくって下車。確か大江戸線月島駅だった。
↓
明日以降も同じ電車で遭遇したときのためにICレコーダー買って帰ろうかなーどのくらいのスペック要るのかなあ
証拠がたまって告訴まで至ったらエキサイティングだけどPTSDの診断書でもとらないと傷害はつかないだろうし
暴行強迫にも至らない軽犯罪法抵触レベルで済んじゃって難しいかなあ ←今ここ
電車は変えたくない。朝くっっっそ弱いのにそのためだけに早起きはできないしわざわざ混むやつに乗り換えたくない。
相手は終始大声だったが手は出してこなかった。つまりその程度の計算はあるか、単にチキンなのか、或いはその両方かだ。
更に暴言の内容から考えるに、自分はルール或いはモラルに基づいていて正しいという確信があり、かつ正しければ何をやってもいいと思っていて、自分の思い通りにならないことが耐えられないタイプなんだろう。あとブスと虐待を連呼するあたり、女はみんな嫁でカーチャンだとも認識してそう。
怒鳴り出す引き金がごく些細で(私に怒鳴る前から優先席に座った高校生、スマホいじってたリーマンと相手構わず挙げ足取ってぎゃんぎゃん言って無視されていた)激昂するまでのタイムラグが短い(殆ど無い)ことと、あと恰好がかなりカジュアルだったから、十中八九まともに就業はしていないんじゃないかと思わせるものがあった。いや適材適所というしひょっとしたら就業ニッチが存在するのかもしれないが、あれじゃまず間違いなく客商売の類は務まらない。となると朝から通院か、ご苦労さまですって感じ。
何だろうな、家人(たぶんおかあちゃま)に大事大事に育てられルールを守れば褒められて何でも受容されてきたので傍若無人な振る舞いにためらいがないけれども、一方でそんな真っ当なお育ちの自分を受け入れないものに対して免疫がなさすぎてひたすら攻撃してしまうみたいなセンシティブこじらせボーイ的な雰囲気があった。ボーイっつーても精神年齢の話で肉体年齢は不明。成人はしてるだろう。おまけに肥満体。ホント暴力に訴えて来なくて良かった。
総合して考えるにまた電車で遭遇する可能性はどちらかと言えば低い。あんなクソ些細なトリガーでいちいち粘着してたら身体がいくつあっても足りないだろうし、向こうが通勤じゃないなら会わないだろう。現にこれまで何年か同じ電車で通っているが見かけたことはない。レコーダーは買うだけ無駄になりそう。
やっぱり女性は社会性が高い生き物なので、高校までコミュ力を目標にしておいて
イザ家庭に入ってみると井戸端会議がないとなると心がマジ死ぬ。
というわけでこの話は良くわかる。
でもその欲望に「働きたい」という形を与えると、若い人で本当にお金とか就業機会に困ってる人がいるんで。
金をもらうというのじゃなくても、実家や近所とのネットワークを普段から密にしておくという
縁の下の力持ち的な働きはあるよ。
小学校の母親・PTAというのはそれを可視化したものだけれど、
パートでもいいし、家族割りで実家に電話かけまくるでもいいし、
そうやっていきてきたんだとおもう>今までの声をあげない女の人も
>>
ポケモンBW2対戦においても、対策がなされたとはいえ、未だに「切断」という行為が非常に多く見受けられる。もちろん、回線エラーである可能性もあるということは忘れてはならない。それが故意であると断言できない以上、なるべく切断に関するコメントは控えておいた方が良いと思われる。回線エラーにより勝敗がつかないことは確かに不快であるだろうし、勝利目前となれば尚更ではあるが、心を広く持とう。
前述の通り、ポケモンBW2環境ではBW環境と同じくDSをつかうので、バトレボの様に回線が安定していない。 うp主が切断と断言して、晒す行為をして視聴者側に対戦相手の批判を求めた場合それは 「勝敗が決する直前まで追い詰め、相手に切断させた」 要するに勝ちとしてとらえることが出来るので対戦相手を批判する代わりにうp主に拍手しておこう。
次に対戦相手やうp主が高種族値のポケモン(いわゆる厨ポケ、ガチポケ)、準伝説ポケモン、害悪と言われるようなポケモン(無限型、回避型、複数催眠など)、運ゲー型ポケモン、マイナーポケモンなどをPTに入れていた際、対戦相手を批判してしまうと、視聴者やうp主に迷惑がかかる。 うp主が使っているのが嫌な場合、動画としてのあなたに合わないということなので素直にブラウザバックをするのが良い。
ポケモンというゲームは非常に幅広い戦法があり、十人十色の戦い方ができるゲーム。どのようなポケモンをPTに入れていても自由であるし、技構成・戦法についても同じく自由である。
結局言いたいことは対戦相手を中傷するのはその動画の質を落とし、あなたが見る動画のうp主に迷惑がかかるので相手を中傷しないこと。
そして、動画をうpされてる方も、対戦相手を批判しないように心がけよう。
対戦相手の名前に関して
最近、動画内でよく議論に上がるのが「対戦相手の名前を隠すか否か」という問題。
まず、動画内で視聴者同士喧嘩をするのは好ましくないので気をつけましょう。
さて、先述したとおり、ポケモンBW2は、DSでのランダム対戦が可能です。当然、見ず知らずの人同士で当たる事が殆どだろうと思います。
そして、このランダム対戦の動画を上げることについては、相手の許可を取っている訳ではないから、せめて隠しておくべきではないかという意見が出始めています。
さらにその意見の多くに共通していることが、「自分の動画が勝手に上げられて見ず知らずの人にあれこれ言われるのは嫌だ」といったものです。
対戦を上げるだけなら、ポケモンBW2にはバトルビデオというものがあります。 ここにアップロードされることは納得したうえで、皆ランダム対戦を楽しんでいると思います。
バトルビデオとニコニコ動画の決定的な違いは、やはりコメントの有無かと思います。他にも投稿者の実況や編集なども大きな違いですね。
そしてこのコメントにより、自分の知らないところで、自分が罵倒されている・・・という事態も起こってしまっているのが現状です。
その対策として挙げられた一つが「対戦相手の名前を隠す」という方法。
とはいえ、投稿者に強制することはできませんし、この方法については賛否両論の状態です。
そして、「視聴をする際の注意点」と内容が重複するのですが、私たち動画視聴者が対戦相手を批判するようなコメントをしなければ、このような事態は起こらずに済むのです。
動画投稿者は、「視聴者に向けての注意喚起」、「悪質なコメントは投稿者権限で非表示にする」といった対策を取る必要があると思われますが、
われわれ視聴者がコメントを打つ際、投稿者も動画内の対戦相手も"画面の中にいるから何を言っても大丈夫な相手"ではなく、"喜怒哀楽のある自分と同じ人"だということを意識してコメントして頂ければと思います。
<<
義務じゃないよー。
元々はアメリカで始まったもので「学校での子どもの様子がわからない。親もかませろ」と先生にせまって、親と先生の会が出来たんだよ。日本には第二次大戦後に輸入された。発足当時はお上がかりだから、PTA会長は地元の名士だったり、本部役員にも地元の有力家のお歴々が並んだもんだ。時代が下がって、そういう地域のつながりが切れていき、PTAの上層部もくじ引きやジャンケンで決めるようになったんだよ。
でも、基本は「自由参加」。学年に1人くらいは「PTAに存在意義を感じない。何の恩恵も要らないので、入らない」と言い張る人がいる。PTAに入ってないんだから、痴漢避けのパトロールにも来ないし、朝、危ないところを子どもに渡らせるための交通整理にも来ない。校外学習のときに要所要所で子どもを見守る役もやらない。でも、やるほうは、その家の子どもだけ見守らないなんて区別はつけようもない(つけられたとしても、私は他の子と同じに扱う)から、依怙地にならずにやればいいのになあとは思う。
4月19日20時40分追記:
生かすか殺すかが本当に親の権利だったら社会は処罰というかたちで口挟むべきじゃねえだろ。生かすにしろ殺すにしろ支援すべき。
社会が殺した人間を処罰するためには「子どもの権利を侵害しすぎ、そんなの親の権利じゃねーから却下」という論理が必要なんだよ。
そして妊娠は男女双方の責任だから父親を捕まえ出して母親と全く平等に罪を償わせなければいけない。
だから少しでも減るように支援制度整えるべきであって殺した人間の処罰目的に中絶の減少が妨げられるようなことはあってはならない。誰も得しない。
お前だってゴムしないのは嫌だ不当だっていう意思表示も行動もしてないじゃん。生活かかってるから膣外射精という避妊(笑)で自分で自分に目つぶってるんじゃん。
だから妊娠しない限りにおいては実際に同意している。それは私の意思だから「無理やりやられた」とは言わない。
でも妊娠させられたら「(責任取る気もないのに)妊娠させないで」って言ってるのにそれを無理やりさせられたから、
「同意していない」と言う。
女がそう判断したら結婚を拒否するだろう。
子供の養育費出してくれて自分の生活費まで出してくれるだろう、
嫌でも金があれば我慢するしかないと女が思ったら結婚するだろう。
女に意思決定の自由はある。
自分の身が汚されたとか、世界中何もかもが敵だとか、自分には価値が無い死んだ方が良いとかのPTSDで苦しむ強姦被害者の傷口に塩マッサージwww
そう思うならそんなきっかけを作った男とは結婚せずその男を強姦罪で訴えればいいだけだ。
話が逆でしょ?
女が嫌なら結婚を拒否する。
その男が嫌いでも、養育費と自分の生活費を払って守ってくれそうだから我慢しようと女が判断したら結婚する。
女には自由がある。
それと、強姦の定義を大幅に拡張するという前提に立った話だということも注意してもらいたい。
結婚していない男女のセックスは、たとえ女性が同意していても、すべて強姦とみなす。
風俗でも、生で入れたり、避妊に失敗してアフターピルを服用させる羽目にいたったりした場合も強姦とみなす。
「いきなり暗がりで覆面をした見ず知らずの男に刃物で脅されて暴行されてやられた」という状況だけを指さない。
というかそんなふうに女性の側にまったく拒否権のない状態でのセックスの方が稀、ということになる。
と考えると、女が結婚したい男を誘惑して、
事後に「結婚しなかったら強姦罪で訴える」と迫ることもあり得る。
男がそうなりたくなかったら結婚してない女とやらなきゃいいだけの話だし。
A'の命<B'の命であることには変わらない。何せB'の命がA'の命より「重みづけされている」「価値があるとみなされている」のは、B'の命は生き残ってA'の命は死なねばならないという非対称性からだ。
その殺した人間の人権を侵害した分、犯人の人権を制限することで、
被害者の人権を補填する、最低でも加害者と釣りあいを取るためだ。
出生前鑑定が危険(生まれて来る可能性のある子供を流産させる可能性がある)だと言うなら、出生後に鑑定して、
両親を特定した後、このまま育てるか殺すか二人に決めさせればいい。
遺伝学的な両親を特定して双方が「殺人犯になる」同意をしないうちは子供を殺させない。
場合によっては金を払わせて、出生前鑑定も認めてもいいだろう。
だって正当防衛どころか成人殺した場合のいわゆる「普通の」殺人罪での服役歴だって前科調書や犯罪人名簿には載っても戸籍には記載されないんだぜ。
犯罪歴を書くのではない。
既に出生している子供の氏名が戸籍に書かれるのとまったく同じように、胎児の存在事実も書く。
そうでないと、正当防衛や過失致死なのに、殺人犯扱いされてしまうだろうからね。
何故?
子どもをつくる能力があるかどうかを結婚にあたっての重要な判断材料と考える人間はいるが、だからといって一律に能力開示の義務があるとはなっていない。
「中絶をするような人間」とは結婚したくないと考える人が多いだろうから、それは人生を共にする相手には開示した方がいい情報だろう。
そういう人間との結婚を避けることによって、幸せな家庭を築けるチャンスが高まるのだから。
とはいっても私が胎児の存在事実を戸籍に書くのは出生後の子供と同じ扱いにしたいからであって、
でやむを得ない中絶はその事情も戸籍に書くわけだから、結婚に不利にはならない。
なる要因があるとしたら妊娠能力に乏しい可能性があるということか。
だから我慢してでも産むだろ。
堕胎処置とれるようにするよ。
しかも母体保護のための中絶は正当防衛だから犯罪扱いにしないよ。
母親が自分が死んでも子供を産みたいと言ったらそれをかなえさせてもいいというだけ。
中絶か産むか意思決定に男女双方が参加できないのはおかしいし、
現状は意思決定だけに男の権利がなく、女だけが殺人の罪を負うようになっている。
殺されるためだけの子を作るとか完全に可能になっちゃうわけだけど、それは「意図せず子ども出来ちゃった」よりも罪深さのレベルが違うよ。
子供を作るのは男が体内射精しないとできない。だからそれは不可能。
結婚してない(男が子供の養育義務を負ってない)段階で、女がコンドームに穴をあけるとかピル飲んでるとか安全日だと嘘をつくとかして、
男が意図していないのに子供を作ることはできるかもしれないじゃないかって言うかもしれないけど、
生かすか殺すかが本当に親の権利だったら社会は処罰というかたちで口挟むべきじゃねえだろ。生かすにしろ殺すにしろ支援すべき。
社会が殺した人間を処罰するためには「子どもの権利を侵害しすぎ、そんなの親の権利じゃねーから却下」という論理が必要なんだよ。
「AをしたいならBをしなければいけない」という命題は「Aをしてはいけない」という命題とは異なりますよね?
ブコメで「それは中絶するなと同義じゃないか」ってあったけど、違う。
「中絶したけりゃしてもいいけど罪を償え」と言っている。
「女レイプしたけりゃしてもいいけど罪を償え」ですか。しねばいいのにー☆
レイプなんてないならないに越したことないに決まってるだろ。
中絶も同じ。ないならないに越したことない。
だから少しでも減るように支援制度整えるべきであって殺した人間の処罰目的に中絶の減少が妨げられるようなことはあってはならない。誰も得しない。
で、届けた以上社会的に夫婦、親としての責任が生じるのだから、少なくとも子供の養育責任の明確化という点では誰も困らないよ。
男が「自分と結婚して自分を強姦罪から免除しろ」って脅迫するなら、男の望み通り女と結婚して子供ができたら責任もって育てさせればいい。案外それで幸せな家庭が生まれるかもしれないよ。
お前だってゴムしないのは嫌だ不当だっていう意思表示も行動もしてないじゃん。生活かかってるから膣外射精という避妊(笑)で自分で自分に目つぶってるんじゃん。
つーか、強姦しといて結婚迫るような男が女大事にすると思ってんの?
育児どころかカネすら一銭も出さないで飲み歩いて博打でスっちゃうようなクズだったら女の逃げ場がねー。
「合意だったんでしょ、同意して結婚したんでしょ」ってことで自己責任論に巻き込まれて泣き寝入り。
ああしねばいいのに。何一つバラ色にならない。
で、純粋に経済的な面だけに着目すれば、育児に必要な養育費を確保するという点においては、女に結婚を拒否するメリットはないんだから、大半の女は男を強姦の罪に問うよりも結婚してもらうことを選ぶはずだよ。
どう見ても童貞の妄想www世の中の女がみんな「カネカネカネ」だと思ってるwww
自分の身が汚されたとか、世界中何もかもが敵だとか、自分には価値が無い死んだ方が良いとかのPTSDで苦しむ強姦被害者の傷口に塩マッサージwww
話が逆でしょ?
何で強姦犯に結婚なんていうステキ逃げ道を用意してやんなきゃなんないの、でしょ?
ストーカーから強姦→結婚の流れとか、可能性の一かけさえあってはならないでしょ?
鑑定の結果Aの子供A'であることが判明したのでA’は中絶します。
A'の命<B'の命であることには変わらない。何せB'の命がA'の命より「重みづけされている」「価値があるとみなされている」のは、B'の命は生き残ってA'の命は死なねばならないという非対称性からだ。
お前バカだよ? わかる? 自覚ある?
「胎児を生命として扱う」んでしょ?ならその生命を殺した両親は殺人罪に問われなければいけない。
でもその胎児の養育に責任を負うのは両親であって医師ではないから、両親が胎児を殺すと決めたら他人にそれを妨害する権利はないよ。できるのは殺した両親に罪を償わせることだけだよ。
だから医学界に、「既に両親が中絶を決心している胎児」の安全性を顧みない法令があったとしても、反発する権利はない。どうせ胎児を殺すんだから。
何度も言っているように、中絶は男女双方が「胎児を殺して私は殺人犯になります」と同意した上でないと実行できない。
女が勝手に中絶したら、男に殺人罪を適用することができなくなり、男だけ「逃げ得」になってしまう。
でも男からしたら、胎児が本当に自分の子供であるという科学的証拠がない以上、殺人犯になることを了承できないだろう。
父親ではない別の男に殺人罪を適用したら冤罪になってしまう。だから必要。
嬰児殺したって殺人犯だ。髪の毛で鑑定して科学的証拠をつきつけて「殺人犯になることを了承」させればいい。
つーか女が勝手に中絶したって中絶した胎児からDNA鑑定したりできそうな気がしないでもない。いや知らんけど。
「自分の子どもだったら産ませて育てる気だった」? じゃあ最初から中絶する意味ないじゃん。ちゃんと生まれてくるまで待ってたっていいじゃん。
「自分の子だったら育てる気だけど他人の子だったらお断り」? 他人の子だった時点で推定父親は父親でなくなるのでもう無関係、はいさようなら。そんなの出生前鑑定でも後鑑定でも同じだよね。つまり真の父親はどこまでも逃げ得であり、出生前鑑定により逃げ得を防げるということにはならない。
嘘はよくない。
お前の目標はお前の憎しみを何とかして叶えることだけだ。胎児のことなんてお前は全く考えちゃいない。
だって正当防衛どころか成人殺した場合のいわゆる「普通の」殺人罪での服役歴だって前科調書や犯罪人名簿には載っても戸籍には記載されないんだぜ。
明らかに胎児に対して出生している人間以上の権利を認めているし、その権利を認めることで積極的に胎児の父母の権利を犯そうとしている。
望みに望んで腹をなでて過ごしていたのに突然流産に見舞われた夫婦とかに対して、詳細も知らないで余計な事ぺちゃくちゃ噂したり堂々といらん忠告(笑)してくるバカが発生する余地を与えることがあってはならない。
何故?
子どもをつくる能力があるかどうかを結婚にあたっての重要な判断材料と考える人間はいるが、だからといって一律に能力開示の義務があるとはなっていない。
同程度のことだろ。個人情報。
女性が「自然流産した」と証言した場合でも、故意に流産させた形跡がないか、捜査はするよ。
そして女性が故意に流産させた理由が、「相手の男の失踪、養育責任放棄宣言」だった場合は、その男に殺人幇助罪あるいは嘱託殺人罪あたりを科すよ。
でその自殺の原因が男の態度にあるなら男には上記の罪あたり適用だな。
ただ実際問題、階段から足を滑らせて転落したとか、運動してたら流産したとか、物に思い切りぶつかったとか女性に言われた場合、それが故意なのかどうか、医師でも判別つかない場合は多いだろう。
どう考えても母体保護の観点から堕胎処置取れるようにしとくべきなので現状から変更することのメリットが無い。
追いつめられてちょっとスイッチ入っちゃった産めない妊婦たちが「そうだ事故で通るかもしれないし階段から落ちてみよう」で切迫流産が多発とか産科医がうつ病になるわ。
要するに、現状から何を変えたいかというと、「女が、自分が殺人罪を負うてでも、男に殺人罪を負わせたい」という望みを叶えられる制度にしたいということ。
そんな自己中心的な欲望のために胎児の生命が利用できるような社会にすんのは妥当なの?
殺されるためだけの子を作るとか完全に可能になっちゃうわけだけど、それは「意図せず子ども出来ちゃった」よりも罪深さのレベルが違うよ。
なんせ悔い改める余地がねー。「子どもはかわいそうなことをしたけど、どうしても男を人殺しにしたかったので仕方ない」と合理化できちゃうからね。
すでに多数多彩な指摘があるけど、
おっさんの葛藤は年齢(知らんけどさ)やライフステージや抱えてる問題の質に比べて
とても幼いなと言う印象。
いい歳の男がバツイチ子持ち女性と結婚を考えてるってレベルじゃない。
そしてそれは「勇気」でどうこうする問題じゃあないですよ。
プロポーズして相手の存念を聞いて
そこからどう摺り合わせるかってことでしょ?
かなりボリュームのあるタフな問題が待ってると思う。
そういう本題よりずっと前の地点で
大の男が結婚を考えながらそれってのは気持ち悪いだけですよ。
さっさとプロポーズして、
彼女を説得して承諾が得られたとして、
それでハッピーエンドかって言ったらそんなことない。
他の人が突っ込んでるように、言ったら申し訳ないけど、彼女は結婚相手としてちょっと怖いものがある。
あなたもいまいち幼く頼りない人だから怖さは更に倍以上になる。
あなたにも彼女にもそれを解決する力があるかどうか、すごく怪しいように見える。
そうするとあなたのご両親まで大変なことになるかもしれない。
あなたの(特に今のフワフワした)見る目は全然信用を置けそうにない。
信頼できる、それなりに世知に長けたお友達や同僚や上司って居ないの?
彼女と三人で会ってもらったりしてみて欲しい。
あなた本人よりよっぽどいい判定をしてくれるような気がしてならない。
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
芸能人だと下のほうだけど、一般人に混じると浮いてしまう美人。どんな風に苦労するかはよくわかる。でも、こうまで男に群がられる人も珍しい。水商売に抵抗が無かったのなら、最初から「モテることが武器になる」仕事に就いておけば、たぶん、28歳までに一般事務で稼げる生涯賃金を稼げたんじゃないかなと思う。もし、女の子が生まれて、同じ苦労をしそうになったら、水商売を薦めるのも手だよ。ある程度の貯金があれば、のんびりした気分で過ごせるから自分を追い詰めなくて済む。
ところで、男を惹きつける女というのは、実は何歳になっても惹きつける。スーパーで買い物をしていれば後をつけられるし、PTAの会合に出れば男性会員から個人的なお誘いが来る。町内会の集まりに出れば「うちの宿六に色目使わないで」とねじ込まれる。今後、やっぱり「モテる女」でいることで困ったことが持ち上がったら、もう、「いいひと」止めなさいな。
プライドを傷つけてはいけないと思って、当たり障りの無い言い方をするから、相手はまだ脈があるとか、強気で出ればなんとかなるとか、思っちゃうんだよ。「夫以外の男の方とはいっさいお付き合いしませんので」と高飛車にピッと断るべし。振れば相手のプライドはどうしたって傷つくんだから、ストーカーする気力が無くなるくらい、叩きのめしておいたほうがいいよ。