特定の人が反応を受けやすい、って言ったらそりゃ当然ブログの側だろ。
「何かの事実や人」←「きちがいみたいなブロガー」←「ぶくまー」←「スターつけたりなんなり」
っていう順序で追われてく構造ってだけの話で。
ちきりんとかブコメ非表示のブログの類は、はてなーが意地でブクマしないようにしたらいいのに…と思うけど、結局、今まで通りガンガン付けるから、「あ、こりゃ非表示で全然OKじゃん!」って思われてるよね。
女性国際戦犯法廷の扱いとか、あんまりにもどっかの組織に肩入れしすぎじゃないの?(っていうか、NHKのプロデューサーもメンバーなんだっけ?)とか、偏りを感じてたし、税金みたいに料金を徴収しておいて、そのくせ、放送パッケージやら関連商品やらで商売ばっかりして、いっそ国営放送にでもしたらいいんじゃないの?という気がしてたが。
会長が最初っからこんなに飛ばしてると、報道側の偏りってレベルの話じゃないんだろうなぁ…って感じするし。政府答弁やらなんやらをそのまま言うようになったら、中国の国営放送局になったみたいで、「こりゃあかん!」と流石に思いましたよ。
どうしたらいいんでしょうね?
とくに「特定の誰かに自分を好いてもらおうとする」のは傲慢だよ。ずっと一緒にいるわけでなし、人の気持ちをコントロールすることなんてできるわけがない。
スヌーピーいわく、
買い物で何気なく手にとって高いけどたまにはいいかと思って買ったらクソうめえ。
直径4,5cmの小さいホットケーキ2枚重ねで間にカスタード、チョコ、メープルが挟まってる3つの味があるのが小袋で入ってる。
小さくて甘くてふわふわのホットケーキに甘いクリームが挟まってて一口サイズ。
自分は300円で買ったけど多分安いとこでも200円とかかな。ちょっと高い。
でも高いぶんうまい。
後ろの材料のとこみたら品名がどら焼きになってておいwwwと思ったけどwwww
高いからホイホイ買えないのがつらい。。。もっと安くならないかな。。。
でも安くなりすぎると食べ過ぎちゃうからメーカーの良心とでも解釈すべきなのかな。。。
やっぱりいつもブルボンの100円クッキーばっかだと舌が貧乏くさくなってるんだな。
たまには贅沢しないとね!
いろんな場面で評価を受けることがある。
そこで、まぁ自分としては納得できない評価を受けたりもする。
勿論、納得が出来なくても、周りから見たらそうなんだから、普段なら自分の無能さを嘆くんだけど、たまーに、本当にどうしても納得が出来ない評価を与えられることがある。
そういうとき、「何が悪かったんだろう」「どうすればよかったんだろう」と考えたり、周りに聞いたり、可能なら評価を下した人に聞いてしまったりもする。これで解決できればいいんだけど、そんなにはっきりすることってあんまりない。で、ぐずぐずとまた、自分のいたらなさを考えたりしてしまう。そうすると、周りから「わからない人だなぁと思っとけばいいよ!わかる人にだけわかってもらえればいいんじゃない?」って言われる。
なぐさめてくれてるのはわかるし、そこは嬉しいんだけど、その言葉、自分はあんまり使いたくない。
それって、甘えだと思う。
やっぱり評価を下す人はちゃんとした目を持ってると思う。理不尽な評価だと思うこともあるけど、それだって、やっぱり自分の、なんらかの能力のなさだと思う。例えば仮に、自分が嫌われてるせいで不当な評価を与えられたなら、自分には好かれる能力がなかったということ。結局、自分が悪い。
だから、わかる人にだけわかってもらえればいいなんて絶対に思っちゃだめだ、と思ってる。
夢は一人で見るもんじゃない!! みんなで見るものなんだー!!
夢が~!!仲間が~!!
・・・と若者が絶叫するさまは一般的な感覚を持つ人からすると明らかに異様なあの光景、批判的な意見が集まるのも無理はない。
どうして居酒屋甲子園に出場する店であのようなマネージメントが行われるのかを同業者として、同じ経営者側として少し考察してみた。
まずはじめに、外食産業で働く人がどういった人達なのかを知る必要がある。
これは実際私が飲食店を起業してみて驚いた事だが、求人を出して面接を行ってみると応募して来る人材は両耳にピアスの穴だらけ、手の甲には根性焼の痕をつけて敬語もろくにつかえないなんてザラ。20代で離婚や自己破産を経験している物も少なくはない。
いままで何十人と面接をしてきたが一番驚かされた事例だと履歴書にひらがなすらまともに書けない応募者もいた。
識字率100%と言われる日本では信じられない話だがこれは事実だ。
外食産業というのは社会のふるいから落とされたいわゆる能力の低い人材が集まる場所なのだった。
1店舗2店舗ならまだ自分の目の届く範囲で運営できるので問題はないが店舗を増やしチェーン化するに従いどうしても店長という役職を作り店舗の運営を人に任せる必要が出てくる。しかし上記のような読み書きもろくに出来ない人材に『あなたの自由な発想で店舗管理をお願いします!』なんて言った所でとんでもないアイデアが飛び出すだけで、現状の運営すらままならず事業として展開出来るはずもない。
もちろん優秀な人材だけで事業を行えればそのようなやり方でも問題ないが外食産業の場合そうはいかない。
ではポエムを唱える居酒屋ではいかにして効率よく人材を管理しているのか?
まず全従業員に対し朝礼で夢、絆、仲間、本気の・・・などという言葉を呪文のように大声で絶叫させる。みんなで大声を出して絶叫していると次第に熱が入り仲間同士抱き合い涙を流す。そしてその熱が入ったまま16時間という長時間労働を強いる。
精神的、体力的にも異常な状態で毎日を過ごす結果、従業員たちは自然と自分で考えるという事をしなくなる。
こうなると恐ろしい事に16時間働こうが休みもろくになかろうが年収250万だろうがもう何をやっても楽しくなってくる。
自分では自発的に夢に向かって邁進しているつもりなのかもしれないが経営者の放つ前向きなポエムに心酔するだけで何に対しても疑問を持たず完全に思考を停止してしまっているのだ。
経営者としては当然その方が都合がいい。事業を拡大させるような戦略を練る、運営の仕組みを作るといったクリエイティブな仕事は経営者もしくは経営幹部だけで行い、現場で働くスタッフはいわば将棋の駒のように自分の思う通りに動いてくれればいい。
能力の低い人材に対して余計な事は考えさせないようにしているのだ。
飲食店を運営し拡大する為には人によるブレは極力なくさなければならない、しかし優秀な人材がなかなか集まらない。
このジレンマがある外食業界であのように一般の人から見るとドン引きするようなユメガー、キズナガー、ナカマガーと絶叫させる手法は実に理に適っている。
社会のふるいから落とされた人材が集まる外食産業にとってこれ以上素晴らしいマネージメント法はないと言えるだろう。
私は起業して以来人材について常に頭を悩まされ、マネージメントの方法を日々模索している。しかしいくら理に適っていようがあのようなポエムを唱えようとは思わない。
そんなことしなくても埋めればいいじゃん。
飲み会に出なければならない理由って、
皆日々の業務で意気消沈して、呑んで盛り上がって勢いを得ないと、
日常業務の中でテンション上げて、腹を割って話せるようになれば、
飲み会で盛り上がるための数時間の雑談がカットできるんですよ。
重要な話題の議論をスピーディに行えることに
どれだけの価値があるか。
高3の頃の担任はよくこう言っていた。
「大学生になったら勉強なんてせずに遊びまくれるぞ!俺も勉強してなかったしてなかったし。だから今頑張れ。大学生はいいぞ。」
こんなことを言う教師がいるから日本はだめになるんだとかいう話はさておき、確かに大学生はいいものだった。
理系に進学してしまった自分は遊びまくるなんてことは全然無かったのだがそれはまた別の話。というか上述は文系の話だろう。
じゃあ何が良かったのかというと、それはずばり一人暮らしを体験できたことだ。
田舎出身で親が結構厳しかったこともあり、その拘束から抜けだして自由を謳歌できたのは非常に良かった。
寝るのも自由、食事も自由、バイトで稼いだお金なら使い方も自由。
ゲームが趣味だから家の中でも楽しめる。ネット対戦の環境の整った現代はありがたい。通販あるから外に出向く必要もあんまりないよね。
そんなに広くない部屋なので掃除は簡単かつ丁寧にできるし、洗濯はいまどき洗濯機さえあればボタン押すだけ。食事は面倒臭いから学食で済ませるがまあ悪くない。そのうち料理もやってみたい。
学費は親に支払ってもらっているし、まだいろいろな面で保護の対象でいられる。
向こうが寂しがるタイミングで実家に帰り、慣れられる前に下宿先に戻ってしまえば余計なことを言われずに喜んでもらえる。
たまに頂戴する彼女が居ないことに対するお叱りの言葉は仕方ない。
圧倒的な自由度の高さは今後の人生のどの時点においてもこれを上回ることはないだろうと思う。
お父さんお母さんありがとう。
受験に失敗した(というか全然勉強していなかった)弟妹はなんかもういたたまれない。こちらとは実に対照的だ。
田舎なので外ではなかなか娯楽を見つけられず、かといって家でなにかしていると親の監視の目が向く。
社会人になってから家を出ようにもその大学を出て得られる就職先なんてやっぱり近場にしか無いのだからそんなことは許されない。
この自由度MAXの時間をずっと家というかその地域に縛られながら生きていくしかないし、卒業後もそうなると思う。人生ずっと縛られっぱなし。
もちろん自分だってこの先どうなるかわからないし実家に帰らざるを得なくなるかもしれないけど、まだわからないこっちとは違ってあちらはほぼ確定してしまっている。
たまに実家に帰って自分と話している間は目が輝いているけど、話し終わって元の生活に戻った瞬間にその目が死んでしまうのが哀愁を誘う。
特に親としゃべっている時の顔の曇りようが顕著でそれが衝突の元にもなっているからどうしようもない。完全に悪循環に嵌っている。
ずっと家にいるわけだから嫌なところも目につきやすいのだ。そりゃ親だし注意したくもなるよね。
弟はまだいいが妹は自分以外の人の分まで家事しなければならないからさらに大変だ。
お父さんお母さんありがとう…とは素直には言い辛いだろうな。
長々と書いて何が言いたいかっていうと、大学受験はそんなまだ温めの一人暮らしの権利を公然と得られる絶好の機会だってこと。まだまだ学歴社会だからね、周りもとやかく言えないよ。
受験生はセンター駄目で国公立は難しくても私立もあるからあきらめないでってこと。私立に行けるかどうかは親の経済力によるところが大きいが。
高校の先生は「大学行ったら勉強しなくてもいいぞ」じゃなくて「一人暮らしができる違う地方のいい大学(都市部であることが望ましい)に行けば自由な暮らしができるぞ」って言ってやれば受験生のモチベアップにつながるんじゃないかと思うってこと。自分が将来やりたいことを考えろって高校生に言うのは酷だわ。自分だって専門分野を学んで一人で考える時間が増えたからやりたいことが見えたんだし。あといい大学は予算や設備が豊富だったりするから勉強や研究の自由度もモチベも高い。特に理系。
元から都会住まいだったり住んでいるところにある大学が行けそうないい大学だった場合はどうなるんでしょうね?残念ながら田舎者の自分にはわかりません。
いらないよ
あきらかに額と呼べる領域に毛が一本だけ生えている。
昨今、前線の後退により、その剛毛が際立って孤軍奮闘して見える。
剃るたび妙な罪悪感が胸をよぎる。
いっそ潔く伸ばしてやるべきかどうか迷う。
こいつとの付き合いはまだまだ長くなりそうで
心の葛藤もひっそり続く。