はてなキーワード: 有用とは
モチベーションって手で触れられないでしょ。
手で触れられないものを直接変化させる事は出来ないよ。
空き缶があって、
それを変化させるには、
手を触れて力を加えればいい。
つぶれる。
モチベーションには触れられない。
だから直接変化させることは出来ない。
モチベーションをあげたい時は、
直接手を触れられるもので、
変化させられるものを列挙すると良い。
先ずはそこから。
直接の変化を期待できない時は、
間接的な変化を期待しようということ。
そして、
変化させられるもので、
それを探し、行う。
例えば私の場合、
長文を書くモチベーションを保つことは本当に難しい。
そもそも書くことが向いていないのかもしれない。
長文を書くとなると途端に筆を持つ気になれないのである。
そういう時は、
とっつきやすい議題で短文を書く。
この変化によってリズムがついて、長文を書くモチベーションが湧いてくる。
私にとって短文の構築は
モチベーションが低そうな誰かのそれをあげたい時、
その人が何であればたやすく変化させられるかを注意深く見る。
そしてその中でどれが一番モチベーションに連結しやすいかを考える。
それをサポートする。
メンバーとして日々を生きる人。
それは、取捨選択が下手なだけかも。
君を思う気持ちに触れたら、少しは温かく出来るかもよ。
「ありがとう」「ごちそうさま」はお手軽で無料のマジカルワード - 斗比主閲子の姑日記
以前アプローチしていた女の先輩のくちぐせが、まさにこれだった。
俺「先輩さいきん連絡くれないッスね?ひょっとしてお仕事大変なんですか」
俺「そうですか?本当に体には気をつけてくださいね」
先輩「ありがとう」
俺「先輩たまにはウマいもん食ったほうがいいっスよ。先輩の好きな食べ物ってなんです?」
俺「先輩先輩!こんどの土曜日、上野のどうぶつえんに行きませんか?先輩どうぶつ好きでしたよね」
俺「え、それじゃあ日曜日はどうです?ダメなら来週の土曜日は?」
先輩「ありがとう、最近忙しくて、休日は少しでも休みたいから…」
返信のペースはだんだん遅くなり、やがて連絡がつかなくなった。
…でも、先輩の「ありがとう」「ごめんなさい」は辛かったな。
考えたのだが、このような使い方は女性特有のものなんだろうか。俺の周りの多くの女性が、こういう使い方をしている。
確かに、話をさっさと切り上げたいとき、とりあえず相手の顔を立てたいときには、「ありがとう」「ごめんなさい」は有用だ。
だが、言われた方は自分の善意を無視された印象を受ける場合がある。
多用するのは注意した方がいい。
…いや、まあ上のやりとりは、俺のアプローチが強引だった(で、メチャメチャ気持ち悪い)っていうのはわかっているんだけどね(^^;
http://anond.hatelabo.jp/20140114151838
しかし考えてみろ。
電車は 発電所で化石燃料を燃焼→電気エネルギー→運動エネルギー に変わっているだけだ。
3ステップ必要な後者のほうが効率が悪いのは明らかで、結局発電所で多くのCO2などが排出されている。
今では原発の稼働率が下がって電車の排出するCO2は実質的に上昇しているが、
そもそも、原発から排出される放射性廃棄物なぞCO2とは比べ物にならないほどろくでもないものだ。
火力にせよ原子力にせよ、エネルギー資源の転換が必要なのは明らかで、
では人類がこのエネルギー問題を乗り越えられたと仮定して、その先に電車の有用性はあるかということを考えよう。
例えばの話だが、メタンハイドレートが実用的な資源になったとして、発電などに使われるようになったとしよう。
だが、だったら最初からメタンハイドレートで動く汽車を作ればいいじゃないか。
以上より、このような結論にいたらざるを得ない。
電車は将来にわたってクソ
しかし考えてみろ。
旧来の自動車は 化石燃料を燃焼→運動エネルギー だったものが
電気自動車は 発電所で化石燃料を燃焼→電気エネルギー→運動エネルギー に変わっているだけだ。
3ステップ必要な後者のほうが効率が悪いのは明らかで、結局発電所で多くのCO2などが排出されている。
それでも電気自動車が環境にやさしいと喧伝されてきたのはなぜか?
今では原発の稼働率が下がって電気自動車の排出するCO2は実質的に上昇しているが、
そもそも、原発から排出される放射性廃棄物なぞCO2とは比べ物にならないほどろくでもないものだ。
火力にせよ原子力にせよ、エネルギー資源の転換が必要なのは明らかで、
では人類がこのエネルギー問題を乗り越えられたと仮定して、その先に電気自動車の有用性はあるかということを考えよう。
例えばの話だが、メタンハイドレートが実用的な資源になったとして、発電などに使われるようになったとしよう。
だが、だったら最初からメタンハイドレートで動く自動車を作ればいいじゃないか。
以上より、このような結論にいたらざるを得ない。
電気自動車は将来にわたってクソ
面白い増田だなと思ってブコメを見たら「引用元と同じことを言ってる」「増田は読解力がない」と書かれていたので引用元を読んでみた。
ということが「社会人以上はFacebookを使い、学生以下はFacebookを使わない」理由として挙げられている。
ということが「社会人以上はFacebookを使い、学生以下はFacebookを使わない」理由として挙げられている。
要約すると、Facebookを使うか否かの決定要因を、引用元は「交友関係の広さ」であるとし、増田は「共有するイベントの有無」であるとしている。これって同じことを言っているんだろうか、いや違うと思う。
共通しているのは「自分や自分の周辺を見て、こう思いました」レベルの文章であること。増田はたぶん学生だし、ここ増田だし別にいいよね。引用元は・・・。
続きその2。ちょっと日が空いちゃったけど。
ま、マイペースに書いていこう。
よく後輩に聞かれるのは、「この時期は何をしたらいいのか」と「どうやって企業を探したか」あたりだろうか。
僕がこの時期にしていたのはTOEICとかSPIの勉強ぐらいか。
まずTOEICに関してだけど、あれの点数が有用になるのは800以上になってからだと思う。
「700以下:書かないのと同じ 700~800:まあまあ 800以上:少し加点」だろうか。
書かないことで減点されることなんて殆ど無いだろうし、他に魅力があれば雇われる。
同期の内定者に、院で400前半なんて人もいたぐらいだし。
そして、TOEICで加点されるには相当な点数が必要だと思う。
上に800以上と書いたけれど、860以上でようやく意味がある、ぐらいかもしれない。
そんなわけで、TOEICはこの時期はあまり役に立たない気がする。
もちろん、会社によってはペーパーの英語試験を課したりするから、英語の勉強が無意味とは言わないけれど。
SPI等の勉強は、問題形式を知っておく程度にはやった方がいいかもしれない。
参考書は、わざわざ買わなくても大学の就職課などで貸してくれることがあるのでそれで十分。
苦手な範囲があった場合は、あとからネット上の問題でも解けばいい。
やっておいたほうがいいことがあるとすれば、前回のでも触れた「他者より優れている点」をしっかりとみつけることだろう。
自分がそう思っているだけではなく、他の人を(企業の採用担当者を)納得させられるようなものが必要になる。
自己PRにバイトやサークルをあげる人はよくいるが、企業側から見てみればバイトやサークルを頑張った学生なんていくらでもいると言うか、ほぼ全員がそういうアピールをしてくるわけだし。
そこを自己アピールで話したいのなら、他よりも抜きん出た何かが必要になるだろうし、それが無理なら他の方向から攻めるべき。
というか、攻める業界や職種を決めるために、「他者より優れている点」を探すのだけれど。
自己分析ってことになるのかなこれ。
どうやって企業を探したかについては、これは他の人に聞くのが一番いいと思う。
就活を既に終えている同期や前年度に経験している先輩、院だったり浪人してたりすれば学部や高校時代の同期など、近い世代の人に色々聞いてみた。
専門が一致しなくとも、大手は手広く手掛けていることが多いから自分の専門にあう部門もあることが多いし、気にかけてなかった業界を知るきっかけにもなるし。
そういえば、よくある話なのかは分からないけど、一番最初に受けた企業は、間違ってアルバイト用みたいな簡単な履歴書で提出したのに部長面接まで進んだってのがあります。
これも有用なサードブロガー論考。こちらの方が私の文章より的を得ています。
ではhttp://anond.hatelabo.jp/20131209142219に引き続き
まず、前記事に付いたブックマークコメントの中に、これからの私の論の展開を予想した素晴らしいものが2つあります。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131209142219
『この仮定の下で考えると、サードブロガー論だけじゃなくて「釣り診断」みたいな流れにも巻き込まれちゃったよーな印象がある。
以前より見る側が釣りかどうかを意識するようになってきた気がするのは私だけでしょうか』
http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131209#bookmark-172583242
『なんで中心にいちゃだめなの?(確信犯/天然)ってのが争点なんじゃないかなあ。』
そうです。私は次にブログの真偽判定問題について書くつもりで前半を締めくくったのです。
さて、はてなではトピシュ氏http://topisyu.hatenablog.com/や
hagex氏http://hagex.hatenadiary.jp/
がネットに投稿された様々な文章の真偽(作り話か・釣りなのか)をブログで判定・解説してるらしい(詳しくは知らない)。
正直に言うと、あまり私が近づく界隈ではないです。釣りに対する私の攻撃方法は、彼らのやり方とは少し違いますし
何をもって釣りだとするのかの基準も私とは違うようです。私が悪質な釣り師だと感じているのは
引きこもり女子いろいろえっち氏であり http://luvlife.hatenablog.com/
彼女のネット上での女体をチラつかせた立ち居振る舞い(サードブロガーとは逆に、自意識を絶対に出さない)をもって、
しかしそれでも、彼女に「これが私の素だよ?」と返されたら私はその言葉を信じるしかありません。
「釣り記事」じゃないのに「釣り記事」ってゆわれる(´・_・`)
http://dshocker.hatenablog.com/entry/2013/12/09/193914
こんな記事を書かれたら、それを信じるしかないのです。大彗星ショッカーはPV数なんか狙ってないんだ。有名になりたいわけじゃない。
『ただ自分の思いを「ストレートに!!まっすぐに!!ぶちまけてみた!!」』だけ。で、たまたまPV数が爆発的に増えてると。そういう純粋なブログなのかもしれないのです。
「コメントが欲しいだけなら、ブログの記事は不完全な方がよい」
http://akamemukan.hatenablog.com/entry/2013/12/08/085228
そうです。この方がおっしゃられたような、『わざとスキを作っ』ているのではないかと思ってしまうほどの稚拙な文章や、
『誤解を招くようなタイトル』がサードブロガーには多過ぎるのです。
「なんでもっと考えて文章を書かないんだろう?」「なんでこんな極端なことを言うんだろう?」
という疑問も上の記事を読めばある程度は納得できます。
ショッカー氏の『僕はウソをつけない』という発言も、果たして本当のことを言っているのか、それともキャラ作りなのか、どちらなのか分からなくなります。
そういう邪推を起こさせられるサードブロガーに比べたら、やまもといちろうの記事タイトルのなんと大人しいこと、文章中の意図のなんと分かりやすいこと。
しかし私はそれでも、彼らが「キャラを作ってる」とは思えないのです。
キャラを作ってるというのはまさに「引きこもり女子いろいろえっち」のように、自意識を一切見せないのです。
「こいつ何考えてるかわからん」「得体が知れない」と感じる人間に、私は「キャラ作り」認定をします。
まつたけ氏の立ち居振る舞いに至ってはあれは自意識とかキャラ作りとかの次元を超えて彼の「悲鳴」のような気もしています。
サードブロガーはキャラを作ってません。では、私は彼らをどう解釈しているか。
私は、彼らは「自分の心や思考を文章に変換」することができない、またはそういう訓練を受けてないだけの人たちなのだと解釈しています。
私はまつたけ氏やショッカー氏の書いたものをブログの文章とは認められません。
ブログを書くことも、ブックマークコメントをすることも、2ちゃんねるに書き込むのも、発言小町に書き込むのも、義務教育を受けた日本人なら誰でもできます。
そして、皆きちんと文章を書いています。お喋りするように書き込んでいるわけではないのです。2ちゃんねるですら、「文章」が飛び交っています。お喋りをしているわけではないのです。
しかしどうもサードブロガーを見ていると、その文章はLINEのやり取りとか、中高生のツイッターでの営みなどの、「お喋り文」なのです。
一言二言の羅列、文脈が見えない、第三者が読んでもよく理解できない。ありのままの感情をそのまま放出している。
もしそういう、サードブロガーやLINEの文章がこれからの日本語文章の主流になってしまうのなら、私はそれに断固反抗します。
お喋りのコミュニケーションと文章のコミュニケーションは違うはずであり、それぞれにそれぞれの良さがあるはずです。それを統合してしまうのは
私はなぜここまでサードブロガーを批判したくなるのかと自問してみると、やはり「彼らの文章や文章に対する姿勢が気に食わない」ということに尽きるのだと思います。
だから、「彼らは悪意など持っておらず、ただ文章や表現に対する姿勢が甘いだけなのだ」というのが私の意見です。
では次に、私以外の大多数に圧倒的に支持されている、「サードブロガーはただの釣り師である」「PV稼ぎである」「キャラ作りである」
という意見をまとめ、釣り・PV稼ぎ・キャラ作りの何がいけないのかを語ってみたいと思います。また彼らの「打たれ弱さ」についても考えてみたいと思います。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131211124543
(文・masudamaster)
戦争準備であるという意見の一つとしては、この孫崎享のインタビュー(http://wpb.shueisha.co.jp/2013/11/19/23215/)が幾つかの見方を示している。
私はこの記事全体や孫崎享の普段の言動全てに賛同しているわけではないけれど。
リンク貼って終わりというのもなんなので、門外漢ではあるが私なりの言葉で説明してみる。
特定秘密保護法案を後押しする背景には色々あるけれど、アメリカの意向に従うためというのは大きな要素の一つだという見方がある。
上で貼った孫崎享のインタビューはそれを強調した例だが、たとえば比較的中立そうな(という私の言葉を鵜呑みにするべきではないが)この郷原信郎の記事(http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/post_6356_b_4388670.html)でも、
今回、この時期に、急いで法案を成立させようとしている背景に、アメリカの意向が働いていることは否定できないであろう。現在の、日本の外交政策の下で、外交・防衛に関する秘密管理を厳格化することは、「対米追従」を一層進め、アメリカとの軍事同盟を強化することにつながる。
という風にある。
相手はアメリカに限った事ではないと私は思うのだが、結局、情報のセキュリティレベルを上げないと、世界各国から情報面で信用してもらえず、安全保障上で有用な情報を提供してもらえない、というのがある。この法律によりセキュリティレベルを上げることでそういう情報をもらいやすくするというのはあるだろう。その、便宜を図ってくれそう・守ってくれそうな中心はやはりアメリカであるが。
しかし、当然外交は、情報をもらって「あざーっす」ではすまない。こちらからもお礼をしなければならない。それが問題だ。
安全保障の情報を提供してくれるというのは、やはり軍事的な繋がりを強くするということになる。
そして軍事的に強く連携した諸外国が日本に何を求めてくるか考えてみれば、それは自国の参加する戦争に日本も、自衛隊も参加してくれということだ。
私は、アメリカなどとの軍事的繋がりが強化されるという所までは間違いないと思う。ただ、果たしてこの、戦争に日本の武力を提供することを要求されるかという最後の部分はよく分からない。そうだ、とも違う、とも判断しきれない気がする。あいつら、何考えてるか全然わかんねーもん。ただ、懸念としては一理あるとも考える。
ここは、各国と連携を強めることで日本が戦争やテロ被害を回避する能力を手に入れるメリットが大きいと考えるか、連携に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないデメリットが大きいと考えるかである。
そこに正解はあるのだろうか。
法案の修正案(http://www.asahi.com/articles/TKY201311260565.html)の最後の方に、『別表(第三条、第五条―第九条関係)』として特定秘密に指定可能な情報が列挙されている。
この辺りについて、曖昧で恣意的な秘密指定ができてしまう、という批判が多い。
戦争を危ぶむ人は
なんかに危機感を持つだろう。政府が自衛隊・防衛力について目論んでいることが、およそほとんど特定秘密に指定しうる。防衛力、言い換えれば軍事力を過剰に増強して戦争準備をしても、国民はそれに気付けないということだ。
また私としては、
イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ テロリズムの防止に関し収集した【国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報】又は外国の政府若しくは国際機関からの情報
辺りにも注目したい。
「テロに悪用されうる情報は特定秘密に指定しうる」ということだが、考えてみれば、悪用した際にテロリズムに結び付かない情報などあるだろうか。国に関する情報というのはほとんどが悪しきものの手に渡れば日本国にダメージを与える事態が想定しうる。つまり、どんな情報だってこの項目に当て嵌めて特定秘密に指定するよう理屈はつけられる。政権に不都合な情報を恣意的に特定秘密にできる。
もちろん、まともな政府なら、こっそりと極端な防衛力強化などしないし、特定秘密指定の濫用等しない。だが、自民党でも民主党でも他の党でもそうだが、今から未来に渡っての政府に対して常にまともであることを期待するのは、リスクが大きすぎるのではないだろうか。
人は愚かでエゴイスティックだし、権力はいつか暴走するものだと私は考えている。そういう政府権力が生まれた時に、この法案があると危険である。
しかし一方で、この特定秘密指定要件は妥当と言わざるをえないとも私は考える。
というのも、安全保障でも外交でも防諜でもテロ防止でもそうだが、それらについて公開するとまずい情報というのは様々なものがあり、ある程度曖昧な要件にして包括的に判断できるようにしておかなければ、この法律を善なる目的のために使おうとした時に困ってしまうからだ。
特定秘密指定は恣意的に出来てしまうが、恣意的に指定する柔軟性がなければ秘密の保護が有用性を持たないというジレンマがここにはある。
ただ、善後策として、あまりに秘密指定の濫用がされた場合に、それをチェックする機関を置くという手がある。
だが次項で述べるように、それも不十分であることがこの2の項の不安さを増している。
政府が万一悪用した際に大きな問題が起こる法律でありつつ、その運用のチェック方法が明確でない。
修正案では、
第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。
2 【内閣総理大臣は】、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を【聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。】
【3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。
4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合において、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。】
(国会への報告等)
【第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。】
ということになっている。
要するに内閣総理大臣がチェック機関の役目を果たすということだ。しかしこれは全然チェックの役目を果たさないのではないか。
もし将来悪しき政府や悪しき行政が出現したとしたら、行政のトップである内閣総理大臣もその悪の側についている可能性が大きい。なのに内閣総理大臣が適性かチェックするというのは、まるで意味をなさない。
流石にこれだけではまずいと思ったのか、
(指定及び解除の適正の確保)
【第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障に資するものであるかどうかを独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要な方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。】
ということも追加されているのだが、チェック機関について検討し措置を講ずるというのは、これから講じますけど具体的に何をどうするか決まってないということになる。
まして、政治におけるこのような検討する・講ずるという言い方は、努力目標のようなもので、実際の対応には結びつかないことが多々ある。
真剣に適正さを確保するつもりなら、「検討し、所要の措置を講じた」上でそれを発表して、改めて法案を通した方が広く納得を得られるように見える。だが現在与党は見ての通り強行採決に踏み切り、それが「本気で適正な運用をするつもりがあるのだろうか?」という不安を煽る。
その辺りをつつかれたのか、昨日の12月5日にこういうニュースがあった。情報保全監察室を内閣府に設置、とのことだ( http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131205/k10013613641000.html)。
与党側は、5日午前、日本維新の会とみんなの党に対し安倍総理大臣が内閣官房に設置する考えを示した事務次官級による保全監視委員会とは別に、特定秘密の指定の妥当性をチェックする新たな機関を内閣府に設置することなどを提案しました。
これについて、菅官房長官は、法案を審議する参議院の特別委員会で「法律の施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要な場合は立法により、できるかぎり『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、情報保全監察室が担当する業務について「独立性の高い第三者機関を設置する必要があると承知しており、各行政機関による個別の『特定秘密』の指定や解除、有効期間の設定や延長を検証・監察し、不適切なものについて是正を求めていく」と述べました。
情報保全観察室、とかいうチェック機関を置く方向を見せてきました。が、それが具体的にどんなものなのかはまだはっきりしていない。この瀬戸際で出された提案なので当然だが、内閣府に置かれたそれが第三者機関として十分に働くかは細部が分からないので何とも言えない。
これについても、真剣に適正さを確保するつもりなら、ある程度情報保全観察室であるなり、独立性の高い第三者機関設置なりの案を煮詰めてから、特定秘密保護法案を議論にかければよい。
私としてはこのチェック機関についての議論をもっと充実させてほしかった。
が、ここでもやはりジレンマが発生する。
秘密は知る人が少ないほどセキュリティが保たれるので、チェック機関が大がかりであるほど秘密の実効性が薄れてしまうのだ。
それならチェック機関を小規模厳密にすればいいかと言えば、そうすると少人数の意思だけで判断されてしまい、容易に偏ったり腐敗したりしうる。
どうしたらいいのか、私には分からない。
戦争準備という論点から外れて個人的な懸念も書いてしまったが。
上記1~3をまとめると、特定秘密保護法案が戦争準備のはじまりである理由は、
・実際に巻き込まれつつあっても/または日本単独で戦争に向かい出してもそのことを政府が隠蔽できる手段を与え、
という、複合的な理由によるものではないだろうか。
結局のところこれである。
政治家は必ずしも清廉潔白ではないし清廉潔白でも判断を誤り得る。
私を含め国民は誰もが賢いわけではないし容易に騙されうる。
行政、立法、司法、省庁、識者、学者、マスコミ、主権者たる国民、右翼に左翼にノンポリ、将来にわたり完璧に信用できる人間や集団なんてない。
適正に運用されればためになる法律だって、解釈を工夫すればいくらでも悪用できる。
だから、強力な力を持つ法律やシステムには可能な限りセーフティロックをかけておくべきだ。
だが、上でつらつら書いたように、セーフティロックが十分だとはとても言えない。
そこがよくないと私は考える。
諸手を挙げて賛成している人たちは、政府や、自分達国民を完全に信用しているのかもしれない。
私には強い不信感がある。多分反対する人たちの多くにも不信感がある。
特定秘密保護法案に限らないのだが、この、根本的な、国や人間そのものへの信頼意識のずれをすり合わせないと賛成反対の議論はかみ合わないだろうし、実際噛み合っていないことが多い。
auばかりが話題になっているけれども、Softbankでもオプション強制まがいの案件に出くわしたのでメモ。
おかんがとうとうiPhoneに買い換えたいと言い出したので、契約についていった。
「このオプションいらないんで」
「ですよねー」
みたいな感じですんなり断れてたんだけど、今回は違った。
つけられそうになったオプションは下の3つ。(すべて初月ないし2ヶ月まで無料)
「基本パック」という名前だけど、中身は携帯捜索サービスなど。
おかんのどこにYahoo!プレミアムつける必要性があるのかと。
全く有用性がないわけではないけれど、長く使うことが予想されるおかんはトータルで損をする可能性が高いのでいらないと判断。
(おかんには事前に「iPhoneは普通の携帯より壊れやすい」「修理には20,000円以上かかる」とは言ってある。)
「こちらのオプションは必須となっておりますので」という対応。
自分「本当に全くいらないんですが」
店員「すぐに解約していただければ追加料金は発生しませんので」
おかん一人でこんなん解約できるわけない。
自分「今までこのお店で契約していて必須と言われたことがないのですが…」
店員「…上と調整してまいります」
結局さして調整した様子もなく、無事オプションはつけないことで落ち着いた。
auと違って「オプションつけないと頭金発生」とか「初月から利用料発生するオプションに強制加入」ではないのでまだマシとは思うけど、
店に来ていたおっちゃん・おばちゃんたちが「みまもりケータイ」とか「デジタルフォトフレーム」とかつけられてたのを見ると、おかん一人だけで行かせなくてよかったと思う。
オプション断ったあとは明らかに接客態度が悪くなって、電話帳移行もやってくれなかった(機械のエラーだとは言ってたけど)けど、SDカード使ったら普通に移行できたのでまぁいいこととする。
「女は産む機械」って発言したら袋叩きじゃん。でもさ、「男は仕込む機械」って言ったところで全然叩かれないじゃん。どう考えても男女平等じゃないよね。歪んでる。狂ってる。卑怯。差別主義。人権侵害。人間じゃない。
これと似たようなことで、「男は女を性欲を満たす道具扱いしている」ってヒステリックに叫びまくる女はいっぱいいるよね。でもさ、実は女の方こそ男を道具扱いしてんだよ。
女は何であんなに恋愛の話が好きかわかる?
それはさ、恋愛そのものが女コミュニティの中で強力なステータスなんだよ。男コミュにおいても恋愛にはそれなりの価値があるけど、女コミュにおいてはずっと強力。女は「恋愛している自分の方が上よ」と主張することで女社会ヒエラルキーの上に立てるの。男なんて恋愛をするための道具なわけ。アクセサリーなわけ。
いい男であればあるほど、見せびらかしてて楽しい綺麗なジュエルってわけよ。
男なんて見せびらかして闘争欲求を満たすための道具にすぎないの。そう、「女は男を闘争欲求を満たす道具扱いしてる」んだよ。え、お嬢さんがたそんなことないって? よーーーーーーーーく自分の内面を見つめて考えてみ? そしてよーーーーーーく今までの人生における、恋愛状況と女コミュでの立ち位置を見直してみ?
まあ、女に限ったことじゃないんだけどさ、男よりかずっとこういう傾向が強いの、女は。個人差もあるから、局所的なサンプルでは違うことも多々あるだろうけどね。でも無視していい程度の偏りじゃない。あとさ、「性欲を満たす道具にしてる」っていうけど、男に性欲を満たさせるかわりに女だって同時にある欲望を満たしてんだよね。まあ、承認欲求なんだけどさ。
わかるっしょ?
「こんなに男を虜にしちゃって、あたしったらなんて素晴らしい、素敵な、グッドな、なんて価値のある女なんでしょう、きゃっきゃっ」
ってわけよ。
メンヘラ女にはビッチが多いじゃん、ね? 要するにメンヘラってのは自己肯定感が薄くて、認めてもらいたくてしょうがなくて、どうしようもなくつらいわけよ。そういう時、セックスで承認欲求解消に走るわけ、「ああ、あたしったら必要とされてるぅ~きもちいぃ~満たされるぅ~」。そう考えるとさ、やっぱりセックスを通して女は男を「承認欲求を満たすための道具」扱いしてるんだよ。
だから、女を性欲のはけ口として扱う男を叩くのなら、平等に男を承認欲求のはけ口として扱う女を叩かないとだめなんだよ。もしくはどっちも叩かないようにすること。それが男女平等でしょうが。ま、男女平等が善かというとわかんないんだけどね。ああ、この記事の出だしは話のテンポをよくするためのジョークだからね。真に受けんように。
で、今の社会では、男を承認欲求を満たす道具扱いする女に対する批判が甘いよね。承認欲求ってのはその凶悪さ(基本有用だけど)に比して表だって見えにくいからね。少なくとも性欲よりかは分かりにくい。
まあ、みんな薄々感じてきてるんだけどね。この前の三鷹女子高生殺害事件とか、最近の千葉女性刺殺事件でさ、「ビッチは殺されて当然」って声がけっこうあったよね。あれはさ、「男を欲望を満たす道具扱い」していることに対しての憤りなんだよ。その憤りが爆発してああいう発言になったわけ。んだけど、言葉というか頭が足りないから、「ビッチであること」と「殺されていい理由」とを切り離して考えらんないっつーね。そこ残念。でも気持ちはわかる。
こんなこと考え始めたきっかけはこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20131202152843
何でさ、わざわざアイコンを半裸の女にするのかってーとさ、承認欲求をためこんじゃって辛くなったからだよなあって思ったわけ。ちなみに当該ブログはこれね。
http://meerkat00.hatenadiary.jp/
男の性欲を逆手にとって注目を集めて、「あたし認められてるきもちいぃ~」をやりたくて、やらざるを得なくて、だからやっちゃったんだろうね。まあ、そこまで考えてないんだろうけど。文章からはそういう方向性にいかざるを得ないほど追いつめられてる雰囲気はなかったんだけどなあ。まあ、わからんね、女心は。
はてな女子のブログみるとさ、そういうのがけっこうあるよなあって思うのね。
有名どころはこれかね。
http://luvlife.hatenablog.com/
この人は完全に男を「承認欲求を満たす道具扱い」したくてしょうがない感じやなあ。かなり自己肯定感が薄い感じはあって(メンヘラというほどじゃない)、かあいそう。ビッチ目指してる理由として「奔放な性に罪悪感を感じない、自由な存在になりたい」って言ってるけど、おかしいやん。
別に「奔放な性に罪悪感を感じない」ためにビッチ行為を無理にする必要なくね? 別に超清純な修道女的生活を送りながらでも、「奔放な性に罪悪感を感じない」精神状態にはなれるやん。
ビッチ行為をせざるを得ないんでしょ。自己肯定感が欲しくて承認欲求を満たしたくて、ビッチやらざるを得ないんでしょ。本質は「承認欲求を満たしたい」わけでしょ。「男を手玉にとって虜にしてるあたしって素敵ぃ~」をやりたくて仕方ないほど、追い詰められてるんでしょ。性の自由人を目指す前にその薄い自己肯定感をどうにかせんと。自己肯定感が満たされれば必死こいて「ビッチ目指してます」なんて主張したくなる気持ちは消えるよ?
一方でビッチぶりを晒してはいるけど、「男を承認欲求を満たす道具扱い」は、してないのもいるんだよね。
http://gokkun-ramune.hatenablog.com/
ここらへんはしょーもないビッチだけど、なーんなんやろな。わりと対等なんだよな。ちょっと自分でもよくわからん。考えとく。
長くなったんでまとめに入るかね。
「男なんて所詮、女の欲望を満たす道具」ってのはやっぱり真実なわけよ。んで道具扱いされた男の悲しみも真実なわけよ。
それをもう少しさ、世の中の女性には分かった方がいいと思うわけよ。誰にとっていいかってーと女性自身にとってね。道具扱いされる男の悲しみを想定して行動することが、女性にとって快適な環境をつくるのは間違いないよ。
三鷹の女子高生殺人事件のさ、チャールズ・トーマス容疑者だっけね。彼のやったことは一切肯定できないけどさ、彼の気持ちってのは想像を絶するもんだと思うよ。不憫。
ストーカー男ってさ、すごーく叩かれるけれど、今の社会にとってこうなんというかね、進化を促す寄生体みたいな意味合いがあると思ってる。もっと簡単に言うとワクチンか。今、世の中には、女性が「道具扱いされた男の悲しみを考慮していない」という脆弱性があるんだと思う。その脆弱性を突く存在としての面があると思ってる、ストーカーってのは。こういう事件が一切おきず、男がされるがままの世の中が永遠に続くなら、女が好き勝手に男を道具扱いする世の中も永遠に続くよね。そこに一石を投じる存在なんだと思う、ストーカーは。
被害者の女子高生がさ、もう少し男心について深い洞察をもって完璧に立ち回ったところでやっぱり殺されたかもしれないけどさ、でも、「男性を道具扱いするのはまずい」という価値観はある程度、浸透した方がいいとは思うんだ。社会にとって有益と思うよ?
ぜんぜん、まとまんねー。
無理にまとめると、要するに世の女性は、男を道具扱いする時には、ある程度、リスクを覚悟して下さい、ということ。それが嫌なら男を道具扱いしない方がいいし、男を道具扱いせざるを得ない状況にならないよう、精神状態を別の方法でケアした方がいいよ、絶対。
男を好き勝手道具扱いして、キレた男がなんかしたら「あんたまちがってる、しになさい」を一切の罪悪感なく、自分に正義があると骨の髄まで信じ込みながら叫ぶのはやめた方がいいよ、これは最悪。
特に、上にあげたひきこもり女子の方なんか、ちょっとそういうとこあるよねえ……。
三鷹の事件も、千葉の事件も、何のせいで起きたかっていうと、あらゆる条件が複雑に絡み合って起きたわけで、簡単に「ビッチだから殺されたんだ」という一つの意見に集中するのはよくないけどさ。
まとめ
これまで経済政策論争として多くを占めたリフレ・反リフレの間の論争が結論が出る前に現実の方がリフレで固まり少なくとも数年は続けられそうになってしまったため下火になり論争の中心が財政政策、公共事業の方へと移ってくるようになった。そこでポイントとなる点を備忘のためにまとめる。
景気対策としての公共事業を否定しても全ての公共事業を否定することにはならない。また公共事業の価値を認めたからといって景気対策としても有効であると認めることにはならないし矛盾しているわけでもない。
公共事業に限らず金融政策にしろ何にしろコストがかかる。ここでいう公共事業のコストとは公共事業によって引き起こされるマイナスの出来事に公共事業をやったために出来なくなってしまった機会損失を加えたもの。国の債務を家庭の債務と同様に考えるのは永続性を無視した誤解であるが、かといって国の債務は国民の資産であるので拡大しても何ら問題ないというのもまた国民の異質性・多様性(世代など)を無視した誤解である。過去に積み上げた債務を高齢者に逃げ切られないうちに一部返してもらおうというのが原因となって消費税増税がゼロ金利が続くなか急いで決められたといった財政の自由度の低下も異質性があるがゆえの公共事業のコストの一つである。
どのような社会的効用関数を想定するかは人それぞれで当然だが最終的には効用に結び付けて考える必要がある。いいかえればGDPではなく消費こそが重要であり失業の削減なども消費が増えるからこそ大切。また、今期の消費だけでなく将来の消費も重要になってくる。
以上の3点が考えるための大前提。
この3つめの考え方にたった上で公共事業を考えるときに外せないのが小野善康先生の論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper, 2006. リンクは
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2006/DP0673.pdf)となる。(これはいわゆる小野理論として有名な貨幣の限界効用に正の下限があるというものとは別。)その中身は論文や小島寛之先生の解説(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/kojima/200707/200707241130.html)などによるとして、簡潔に言葉を借りると
「乗数効果は、国民の所得を増やすという意味での景気対策には全く効果を持たず、また、その実質的効果は政府が投じた金額ではなく、作られた公共物の価値に依存する」
ということになる。つまりよく言われる穴を掘って埋めるようなものの場合、GDPは増えるが所得や消費を直接には増やさない。GDPが増えるのは政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定する以外に付加価値の算出が困難というGDPという統計作成上の制約による仮定の産物に過ぎない。無駄が増えるのも経済にとって有用というのは誤りである。
このことが示すのはGDPが増えているからというだけでは公共事業には効果があったとは言えないということである。公共事業に効果があったというには、直接的に価値のあるものの生産が増えたか所得効果が働き消費を増やしていた必要があり、さらにそれらが公共事業のコストを上回っていないと望ましいとは言えない。
ここまでを踏まえた上で公共事業に効果がないという考え方、あるいは効果があるとしても小さくコストを上回れないという考え方について見る。財政政策に効果がないとする理由としてよく挙げられるのは
公共事業規模以外の影響を制御して考える必要がある。ただし公共事業の減少幅からすれば公共事業が雇用に主導的な影響を与えていたというのは難しい。
これは産業政策が平均的にはうまくいっていないのと同じ問題である。とりわけ景気対策として公共事業の総額が先に決まり事業の精査の時間が限られる場合にはより一層困難が高まる。
現在の状況においてマンデル・フレミング効果は公共事業の拡大に効果があるかないかの点であまり関係がない。
マンデル・フレミングモデルに基いても日本と海外の双方でゼロ金利が見られる状況では公共事業が金利を変化させ得ないので為替や純輸出は変化しない。ただ、これはいつまでも関係がないわけではなくさらにゼロ金利の壁があるために公共事業の拡張と緊縮ではマンデル・フレミング効果の発動は変わってくる。どこまでいっても金利が下がり得ないので緊縮をしても外需増加によるキャンセルアウトが得られない一方で拡張はある程度を越えると金利上昇予想にともなう円高で外需減少を招く。ただこの場合もマンデル・フレミングモデルを一部変更し公共事業の拡大・緊縮にかかわらず中央銀行は政策金利を一定にたもつというようにより現代的な仮定を導入するとゼロ金利を抜けてもいわゆるマンデル・フレミング効果は働かない。
土木建設業での人手不足や着工の先延ばし及び未消化工事残高の増加や公共事業入札の不調、あるいはその結果としての人件費や入札予定価格の引き上げの報道が相次いていることからすれば公共事業と親和性の高い業種で現実に供給制約が起きていると言える。
公共事業の規模や事業数が変わらなくても入札価格が上がっていけば上述のようにGDPは上昇するが雇用や社会厚生は直接には高まらない。マクロ経済への効果は単価の上昇にともない所得効果が働くことに依存する。しかし過去の給付金政策や租税変化の結果からすると所得効果はかなり小さい。(たとえば堀雅博, シェー=チャンタイ, 村田啓子, 清水谷諭, 90年代の経済政策と消費行動の研究1-地域振興券の消費刺激効果, ESRI Discussion Paper Series No.12. http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis012/e_dis012.html、あるいは渡辺努, 藪友良, 伊藤新, 制度情報を用いた財政乗数の計測, Working Paper Series No.28, Research Center for Price Dynamics, Institute of Economic Research, Hitotsubashi University, 2008. http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/16306。)株価や地価の大幅上昇といった大規模なものでないと所得効果は意味のある効果量となりにくい。
供給制約に面している時には公共事業のコストが上がる。それによって民間の他の事業が行えなくというコストが大きくなるため。
供給制約に面していない業種に対する公共事業を増やせば供給制約問題はなくなるが産業政策と同種の困難さが高まる。
財政拡張が機能しない理由が供給制約によるもののとき、消費税引き上げのような財政緊縮は機能してしまう可能性がある。
供給制約は長期的には解消され得る。専門化・技能化している土木建設に即座に従事するのは難しくても時間があれば技能を習得してから就業することも可能となる。問題は技能習得に掛かる時間と景気循環の時間の大小および技能習得が無駄にならず将来性があることの保証をどのように行うか。
最近の建設業従業者数は興味深い。GDPの上では公共投資が大きな寄与を続ける一方で建設業従業者数は前年比マイナスが続いてきた。しかし最近はそのマイナスがかなり縮小してきており技能習得などが進んでいるのかも知れない。
2ch: 有用な情報も無用な情報もはたまた危険な情報すら無法地帯。てか、ただ広いだけ。
twitter: 一応アカウントにヒモ付があり、実名の人も多いのでそれぞれ「人格」が出る。なので発信者によりある程度情報を取捨選択出来る。
ただ、ホントにただの呟きの人も多いので、情報源としてまともに取り扱うのは無理。んな使い方したいなら1日数ツイートしかしない人を数十人か
逐一人のツイートを見てる奴はバカ。
従って誰も見てないツイートをする奴もバカ。
ある程度の身内内だけならまだいいい。だが、不特定多数に普通につぶやきを発信してる奴らはほんとバカ。お前は有名人でも何でもないだから、
無駄な情報を世に氾濫させるなと言いたい。小一時間問い詰めて泣かしてやりたい。
はてな: そりゃ大きなブログサービスなので、中には有用な事を書いてる人もいるが、それはbloggerで書いてようfc2で書いてようがなんで書いてようが変わらん。
ま、amebaとかキモイの選んじゃうのは別の話だが。あと、wordpressできちんとやってるやつ様にみえるやつ、あれはダメだ。最低だ。
それはすべてアフィのためにしかやってない。それに気付かないバカどもが多すぎる。取り敢えずwordpressのブログを全てこの世から消し去りたい。
ま、それはいいとして、ブログは別に特別じゃないので、じゃあ後は?はてブか。
はてブは単なるスパムだろ。便りにもならん。別に180度変わってた所でそれにクリーンヒットされるような依存をしてるお前がバカなだけだ。
今までプログラマーをやってきて、状況や環境に左右されず有用だったツールを書き残しておく。
基本的に Windows, Mac どちらでも動作するもの。
1. VirtualBox
ローカル PC 上に別の OS (Linux や Windows) を動作させる事ができるツール。複数の OS を同居させる事ができるので、自分の趣味用のサーバと仕事用のサーバを分けて管理したりできる。昔自分が Linux の勉強をした時は、メイン PC とは別にサーバ用 PC を買ってきて設定していたけれど、VirtualBox があればそんな面倒な事をしなくても済む。今は VirtualBox を更に簡単に設定できるたツールもあるみたいなので、それを使うのも良いかもしれない。
名前の通りパスワードを管理するためのツール。1Password https://agilebits.com/onepassword か KeyPass http://keepass.info/ が良いと思う。サーバサイドのプログラムを始めると、ssh やデータベース等、様々なアカウントを管理する必要が出てくる。root パスワードを忘れた時に、他の人がそれを覚えている保証は無いので保険としてぜひ導入して置いた方が良い。
何でも良いので、とりあえず汎用プログラミング向けエディタを使う事をお勧めする。Sublime Text http://www.sublimetext.com/、Eclipse http://www.eclipse.org/、Vim http://www.vim.org/、Emacs http://www.gnu.org/software/emacs/ あたり。Linux に関わるのであれば、Vim か Emacs どちらかは習得しておいた方が良いが、初期学習コストは高い。Eclipse は Java 以外の言語にも多数対応していて機能が豊富なので、最初はここから始めるのが良いかもしれない。もし Eclipse も難しいと感じたら、より普通のテキストエディタ寄りの Sublime Text から始める。
4. git
最近のオープンソースプロジェクトは github で公開されている割合が多い。そうで無くても git リポジトリの採用率はとても高いので、git のインストールは必須と言っても良い。また、個人用のリポジトリを作るのもとても簡単なので、小さいプロジェクトを始める時は最初に git init をしてしまうのが良いだろう。もちろん、svn や mercurial を使っているプロジェクトも存在するので、それらも適宜インストールする。
5. Google Account
これはツールでは無くて Web サービスだが、サイトのアクセス解析にしろ地図機能の実装にしろ、Web サイトの構築を Google 抜きで考えるのは難しい。また、開発メンバーとのコラボレーションを行う場合、Microsoft Excel をメールや DropBox でやりとりするよりも Goole Drive の Spreadsheet を使う方が便利な事も多いので、意識して Google を使うようにすると新しい発見がある。
+α.
ここに署名する我々は,グラフィックデザイナー,写真家,そして学生である。我々は広告技術・機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界に育った。キャットフード,胃薬,合成洗剤,毛生え薬,縞模様のついた歯磨き粉,髭剃り後ローション,髭剃り前ローション,痩せる食品,太る食品,におい消し,ソーダ水,タバコ,伸縮下着,ゴム入りズボン,スリッポン。こんなようなものを売るために技能と想像力を売り飛ばす人々を賞賛し,広告こそが正しいと主張する出版物に我々は責め立てられてきた。このような,この国の将来にほとんどないしはまったく貢献しないどうでもいい目的のために,広告産業に従事する人々の途方もない時間と労力が無駄になっている。
市民社会の拡大とともに我々はある飽和点に達しており,もはや押し寄せる消費者向けの販売攻勢は騒音以上のなにものでもない。我々は我々の技能と経験を活かすより価値のある仕事があると考える。例えば道路標識,看板,書籍,定期刊行物,カタログ,取扱説明書,工業写真,教育補助のためのツール,映画,テレビ番組,科学・工業出版物,我々の産業・教育・文化,そして世界の人々の意識に貢献するすべてのメディアがそうだ。
我々は消費者向けの激しい広告を廃止せよと主張しているのではない。そんなことは不可能だ。楽しい仕事がしたいというのでもない。より有用で持続的なコミュニケーションのために優先順位の反転を提案しているのだ。我々は販売のためのギミックやセールスマン,悪辣な隠し広告,そういったものに人々が辟易とし,そして我々の技能が有用な目的のために活用されることを希望する。この考えの下,我々は我々の経験と考えを共有し,関心を持つ仲間や学生等に供することを提案する。
簡単な解説:この宣言はイギリスのグラフィックデザイナ-,ケン・ガーランドによって63年11月29日に起草され,翌年4月,22人の署名とともに発表された。発表後400人以上のグラフィックデザイナーやアーティストが支持を表明し,デザイン雑誌を中心とした多くのメディアに掲載された。また,共感した英国議員トニー・ベンによってThe Guardian紙にも掲載された。当時,グラフィックデザインは経済成長に後押しされた広告産業の拡大によって急速にその主とした職域を広告産業へと移行しており,その形態・質が大きく変化しつつあった。ガーランドを始めとする一部のデザイナーはこの変化に危機感を持っており,ある種のバランスのとれた世界を目指した。この宣言は「グラフィックデザインは伝達されるメッセージに対して常に中立的であるべきなのか。あるいは中立的であることが可能なのか」という今日まで続く議論を引き起こした。後にこの宣言はカナダのAdbusters誌に再度掲載され,2000年に改訂版が各主要デザイン誌上で発表された。
どの大学の話をしてるのかなぁ?ITエンジニアにとって面白い授業の公開授業なんてあったかなぁ?
単なる一般講演程度の話くらいしか公開授業なんてないんだけどなぁ
それでも、英語の講義聞いたおれすげー、で、内容も分からず、ふんふん、って頷きながら聞いてるのかなぁ?
ITエンジニアって単なる建設作業員なのに、なんでそんなもの必要なの?
なんか勘違いしてるよね?あなた、ただの機械的作業員で、誰もあなたに学術的に意味のある開発をして欲しいなどとは期待してないよ?
既存の物を言われた通り組み立ててればいいだけ。
ちゃーんと日本語になってるドキュメントのものだけ使えばいいでしょ?余計な物使わなくていいよ?バグになるだけなんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20131008124714
こんなレベルの低い話じゃなくても、IT業界でエンジニアを名乗る奴が英語を読めない・話せないというのは致命傷
役に立つと紹介される文献の殆どが英語文献だったりする訳だけど、翻訳を待っていたら3年遅れになるなんてザラ
英語版では改訂3版が出てるのに、日本語では出ていないとか普通だし
技術翻訳者の技術レベルがひくすぎて、日本語訳が用をなさないとかピントがずれてるなんて事もザラ
加えて、情報学会の研究レベルは国際学会と国内学会では雲泥の差で、国内の優秀な研究者も国際学会を目指す
そういう状況の世界で英語が読めないなんて、文盲ですと言ってるのと同じで、ゴミ同然ですよ
文献だけでなく、それを執筆できる人間たちが作った優れたライブラリ群を使って日本のIT業界も回ってる訳だが
そのライブラリ群のドキュメントや関連資料は殆どが英語、有用なものはいっそ英語のものしか無い状態
Webの記事なんかも日本語の資料はゴミしか無いけど、英語が使えれば情報の単位と質が桁違いになる
日本語しか使えないエンジニアがツールを使ってるだけで、分かった気になって何も出来てないカス同然なんですよ
良い文献・ライブラリが殆ど英語圏産であるなら、執筆者・製作者も当然の事ながら英語が第二語として使える人間
そういう人々と直接コミュニケーションを取れるかどうか?積極的に世界に飛び出せるか?という素養の差として
英語が話せる話せないは当然ながら効いてくる
最近は世界の著名な大学がネット上で無料の抗議を開講していて、ITエンジニアにとっても有用で面白い授業が
沢山あるんだけど、それを積極的に受講できる英語力を持ってるかどうか?で知識の幅が違ってくる
定番と様式美の上に胡座をかいて生み出された聳え立つクソ。ドラクエとスクエニの看板の上にこのクソを盛り付けるのを誰も止めなかったの? この会社の人はお金が大好きでゲームとユーザーが嫌いなの?
まずUIがひどい。どこに何があるかが分かりにくい上に超もっさり。
小さなウィンドウの細かい開閉を頻繁に求められ、そのたびにあの白い枠が広がったり狭まったりする演出が入る。
ドラクエ風のUIはゲームパッドでサクサク小気味良く窓を閉じたり開けたりできるから気持ちいいのであって、マウス操作でモタモタやらされたらたまったもんじゃない。ドラクエの定番だからって考えなしに採用していいUIじゃないよ? ゲームのテンポを損なうと途端に不快感の塊になる諸刃の剣なんだよ?
おまけに操作が煩雑。戦闘中はこまめに回復してあげないとすぐにモンスターが死んでしまうけど、そのたびに行う操作が「さくせん→道具→道具を選ぶ→使う相手を選ぶ→とじる→とじる」これをマウスクリックで選択しながら行う。こまめに。操作感はもっさり。一つの窓に表示される道具の数が少ないので、使いたいのがリストのトップにない場合はページをめくって探す作業も入る。状態異常の種類は多いし効果は大きいしそれを治癒する道具の種類も多い。道具窓は狭い、ページめくりは多い。
そしてAIが凄まじくバカ。ドラクエ4のザラキ僧侶のほうがずっと賢い。
狙っている相手が射程範囲内にいない場合は近づこうとするけど、味方に遮られていたらひたすら背中を押し続けたりする。つまんで持ち上げて殴らせたい相手の近くに置き直す事になるけど、またさっき狙った相手を攻撃しようとするので何も意味が無い。全員が同じ相手を狙ったりするので押しくら饅頭ばかり。
誰を狙っているのか、何をしようとしているのかは攻撃動作に入らないと分からないので介入のしようがない。画面内が全て射程のはずの遠隔攻撃モンスターがひたすら前進する。つまんで後衛に置き直してもやはり前進する。つまむたびに行動がキャンセルされて待機時間になるので何度もつまむ訳にはいかない。でも、「狙ってる相手に近づけない」のか「攻撃動作のウェイト中」なのか「何もすることが見つからないので棒立ちしてる」のかは判断する方法がない。
攻撃対象が倒されても行動がキャンセルされず、虚空に向かって特技を使うシステムをこのご時世に採用。一周回って斬新。石器時代の新しさ。特技の使用に入ると演出が出るので、変なことを目論んでたらつまんで止めさせてあげてね、ってことなんだろうけど、対象が被ったからっていちいち止めてたら相手が死なない。強敵相手だと相手の残りHPと与ダメージの読みが難しいので、倒したのを確認してから慌てて止めることになる。たいてい間に合わないかダメージ計算を誤る。もちろん空振りでもMPは消費。ヘタしたら特技の発射後に味方の通常攻撃で獲物の横取り。そうならないように狙いを散らして指定なんて勿論できない。
複数の特技を持っている場合、そのどちらを使うかの指定なんて出来るわけがない。状況も考えずにみんな使いたいものを使う。眠っている相手に催眠攻撃をかけ続けたり、同じタイプの弱攻撃と強攻撃を持ってるのに弱だけ撃ち続けたり、一匹の敵に対して全体攻撃を行ったり、通常攻撃の方が効く相手に特技を使ったりする。キャンセル以外の介入はできない。キャンセルしてもまた同じことをする。(追記:メンテで特技のオンオフが可能になったようです。最初からそうしておいてください)
作戦によってある程度はAIを制御できるけど、そのたびにやることと言ったら「さくせん→さくせんがえ→作戦を変えるモンスターを選ぶ→作戦を選ぶ→とじる→とじる」操作感はもっさり。変更したからって思い通りには動かないけどやらない訳にはいかない。
こまめな「道具の使用」と「作戦の変更」が戦闘の肝になるのに、そのどちらもマウスカーソルをせかせか動かしながら最低6クリックが必要ってどういうこと? 戦闘をストレスの塊に変えるデザインは流石。素人がわざとやってもこうはならない。老舗の看板にふさわしい熟練の業を感じさせてくれます。
そしてこのゲームの大黒柱である「モンスターの収集と育成」ですが心配いりません! 期待を裏切らない絶望的な仕様が満載です!
戦闘で倒したモンスターが起き上がり、仲間になりたそうにこちらを見るのはいつもの定番ですが、今作ではそんななまっちょろい事は言いません。
倒されて低確率で起き上がったモンスターは仲間になってやろうかを思案しながらこっちをチラ見するだけです。
そんな彼らをスカウトして仲間になっていただくわけですが、最もスカウトしやすいモンスターでも成功率が35%ぐらいです。
「やせいのにく」などのアイテムを献上することでスカウト成功率が上昇しますが、なんとこれが通常プレイではログインボーナスぐらいでしか入手できない課金アイテムです。
最初のログインで4個、その後は1日に1個か2個、日によっては貰えないこともある貴重品。高い効果を期待したいところですが、1個につき30%ぐらいしか成功率が上がりません。確実に仲間にしたいなら1匹につき2個ぐらいは差し上げたいところですが、リアルマネーで購入すると1個が約100円です。
モンスター1匹200円? 天下のドラクエがそんな良心的でリーズナブルな価格設定でユーザーを甘やかすはずがありません。今のは最低ランクのモンスターの話です。
モンスターが強くなればなるほど初期成功率は下がり、肉の効果も低くなります。最初が15%で肉1個10%とかザラです。金が全て? そんなことは無いです。金だけでは充分でありません。どんなに肉を投げても成功率は99.9%以上には上がりません。ちなみに鶏卵が食中毒の原因菌に感染している確率は1992年の調査で0.03%です。現在はもっと感染率は低くなっていると思われますし、菌がいても開卵後に繁殖しなければ食中毒は起こりませんが、牛丼チェーン店では夏季の生卵のテイクアウト販売を行いません。仮に0.01%でも、1万食で1人の食中毒が起こるとすれば高すぎる確率です。課金者1000人に1人は生まれると思われる「肉を10個も投げたのにスカウトに失敗した」プレイヤーがこのゲームにとどまる確率は何%でしょうか?
肉を投げつけたのにスカウトに失敗した場合、その時の肉の数に応じた福引補助券が入手できます。20/10/5枚あつめればそれぞれ金/銀/銅の福引に挑戦でき、金では0.5%ほどで強力なモンスターが仲間になるようです。銀では8%で非常に重要なアイテムが入手できます。福引でしか入手できないアイテムが多く存在しますので、皆さん安心して課金スカウトに失敗してください、という訳です。
スカウトが難しいモンスターが仲間になれば力強い? 果たしてそうでしょうか?
モンスターの性格は能力に大きく関係し、種族と性格が合っていないと使い物になりません。このゲームではレベルアップで特技を覚えることができませんが、有用な特技を持っていないとやはり使い物になりません。スカウトが難しい種族には違いないが、ただ難しいだけ、という個体も少なからず存在するのです。
いくらレベルがあがっても特技の威力は据え置きです。より上位の特技に成長させて行かないと戦いは厳しくなります。言うまでもありませんが上位特技はレベルアップなんかで身につくはずがありません。
モンスターを合成すると、低確率で素材になったモンスターが使う特技を覚える事があります。この方法ですでに覚えているものと同じ特技を覚えさせた場合、上位の特技が身につきます。
メラを覚えているモンスターにメラを使えるモンスターを食べさせるとメラミになる、と言った具合です。低確率です。2%ぐらいです。銀の福引の8%アイテムを使うと、なんと25%まで確率が上がります。
まとめましょう。強力で希少なモンスターを入手し育成する手順はこうなります。
低確率で起き上がり、スカウトが可能になります。起き上がりやすくなるアイテムは課金です。
起き上がって頂けたのなら能力を確認します。性格と特技が悪ければ諦めましょう。
能力に問題がなければ肉を投げます。100円の肉を4つ使用すると最高級の霜降り肉が作成できますが、その高級霜降りでさえスカウト率が10%ほどしか上がらないモンスターが確認されています。最上級モンスターにはそれが10個ほど必要になると仮定しましょう。投げます。外れれば福引ができます! やったね!
0.1%の不運を乗り越えたなら見事にそのモンスターが仲間になります。
そうしたなら素材になるモンスターと低確率で出会い、低確率で起き上がらせて低確率でスカウトに成功し、低確率で合成に成功しましょう。課金アイテムの消費により低確率で入手できるアイテムを使えば少しだけ確率が上がります! 頼もしい!
そして特技は身につきました。お楽しみはこれから!
モンスターにはランクがあり、それが上がると劇的に強くなります。そこには課金すら通じません!
戦闘で活躍したモンスターはMVPに選ばれることがあります。10回のMVPで一度のMVPルーレットを回すことができ、10分の1でランクが1つ上がります。単純計算で100回の戦闘が必要ですね。
課金ガチャは金をドブに捨てるようなものと言いますが、金だけで済む分そんじょそこらの課金ゲーのほうが良心的です! 手間暇をかけてじっくりと丹念に金ドブするゲーム! なんという贅沢な遊びでしょう!
さて、訓練されたゲーマーたちは、試行回数を増やすことで確率に立ち向かえることを知っています。そんな姑息な努力をドラクエが許すはずがありません。
行動のたびに行動値のようなものを消費し、使いきれば動けなくなる、と言うのはよくあるシステムですが、今作での行動値に当たるスタミナは時間経過で徐々に回復なんてしません。毎日午前6時に最大値まで一括で回復するのみです。もちろん最大値を超えての蓄積なんてありません。
スタミナがなくなればシナリオの進行も戦闘でのレベル上げも何もできなくなります。MVP回数を稼いで手持ちのモンスターを強化することも、強力なモンスターと何度も戦って仲間にすることも、何も。そうなっても一応は仲間のモンスターをダンジョンに派遣する事だけは可能です。肉を手土産に持たせれば仲間としてモンスターを連れ帰ってきます。課金の肉がなければ? しょっぱいアイテムを持って帰ってくるだけです。経験値なんて貰えるはずがないです。
スタミナを回復するアイテムであるにんじんはゲーム内通貨は勿論、リアルマネーでの購入すらできません。サブクエストの報酬として限られた数を入手できるのみですが、それをこなすためのスタミナと報酬で回復できるスタミナがほぼ同じぐらいです。ヘタすれば赤字。
このガチガチの行動制限により妙な圧迫感が生じます。にんじんをもらえないクエストなどは受ける気にすらなりません。クエストでの討伐対象モンスターとエンカウントできないだけでイライラしてきます。いちど道を間違えただけでスゴく損をした気になりますし、進路やイベント消化の効率性を確認しながらのプレイが基本になります。
マップ上にランダムで強敵モンスターが発生し、それに挑戦できる事がありますが、スタミナの無駄撃ちになるので邪魔なだけです。倒してもどうせスカウトできないし、できても肉がないなら失敗するだけです。「もしかしたら強力なモンスターが仲間になるかもしれないし、せっかくだし戦ってみよう」ってのは普通なら非常に面白く感じていたであろう要素ですが、試行回数が保証されないだけでこうも魅力が消え失せるとはなかなかの発見でした。ムダな寄り道で世界を見て回るなんてRPGの楽しみ方は今作とは無縁です。
試行回数と確率の両方に強烈な制限をかけることで生まれる圧倒的な閉塞感! こんなに息苦しいゲームをプレイしたことはかつてありません!
もはや言うまでもありませんが、今作の要素はすべてクソとクソと合間のピーナッツで構成されています。ゲームバランスも例外ではありません。
まず最初に気がつくのは経験値テーブルです。必要経験値1レベルごとに加速度的に増えていきます。このため、弱い相手と戦い続けてのレベル上げがほとんど無意味になり、常に格上の相手に苦戦し続けないといけなくなっています。
そこに追い打ちをかけるのが各種パラメータの仕様です。まず現状でほぼ無意味とされているのが防御。相手の通常攻撃ダメージを減らしていますが、特技ダメージには関与できません。痛恨の一撃を受けた場合は防御を無視してダメージが通っているようです。信じられるのはHPのみです。
賢さの数値がありますが、何をしているのかはよく分かりません。いくら賢くなっても呪文の威力は増えません。別の呪文を覚えたりもしません。
素早さも何をしているのかが分からない数値です。回避率はべつに存在しますし、行動回数にも関係していないようです。
MPもほとんど必要ありません。戦闘中には無制限かつノータイムで道具を使用できますので、MPが無くなれば補充すればいいだけです。むしろ、無駄に特技を連打できなくなるのでMPは最低限のほうが便利です。
攻撃はさすがにある程度は機能していますが、常に挑み続けることになる格上の相手の防御は貫けず、1匹づつちまちま殴るだけの通常攻撃では役に立たなくなっていきますので、これも無視していいでしょう。
意味があるのはHPと特技だけです。HPが上昇する性格で、範囲攻撃の強力な特技を持っていないモンスターは存在意義がなくなっていきます。
弱いモンスターを強く育て上げる道が、絶望的なまでに高い確率と試行回数の壁に阻まれている以上、パーティを強くする手段は最初から強いモンスターに課金アイテムを大量に投げるしかありません。全てのクソが絡み合って最悪の集金システムを練り上げています。相当の手練です。
シナリオ? 演出? 今作に隙はありません。完全無欠です。
メッセージスピードは変更できません。会話スキップもできません。何かあるたびにスットロく表示される文章を読まされます。あの聞き慣れたドラクエ会話音が嫌いになっていきます。
宿屋音なんかもスキップ不可能です。教会ではまとめてモンスターを生き返させることができず、複数死んでいたなら一匹ごとに短くない復活音を最後まで聞かされます。
と言うかスキップ可能な演出のほうが少ないです。あらゆる操作にもっさり感がつきまといます。
スタミナ回復のにんじんに至っては1つ使用するたびに回復演出が入ります。まとめての使用はもちろんできません。持ってても使わなくなります。
シナリオは未実装部分が多いので詳しくは話しませんが、全く欠片も先が気にならないので精神衛生にとてもいいです。まるで学年誌を読んでいるような懐かしい気分になれました。
坊主が憎けりゃなんとやらで、ゲーム的なお約束として突っ込むのが無粋な部分にも怒りが向かっていきます。
馬車の中には重量関係なく50匹までモンスターを詰め込めるのに、なんで外に出てパレードするメンバーに合計重量で出撃制限があるの? 逆じゃないの? 自力で歩いてる子たちの重量なんて馬車に関係なくない? どこでも自由にパーティ編成できるってことは全員と一緒に行動してるんだよね? 馬車の中ではみんなモンスターボールにでも入ってるの? 体格やなんかでパーティ構築に制限をかけるシステムを何も考えずに引っ張ってきたんだろうけど、馬車から飛び出てきた途端に重力の影響を受け始めるって物理法則おかしいよ? ちょっと文言を置き換えて主人公の指揮能力とかにするわけに行かなかったの? 馬車には何でも入るのがドラクエの定番だから?
酒場で受注できるクエストの内容がことごとくファミコン世代のお使いイベントなのもドラクエの定番だから?
伝言を頼みたい? 「アリが10匹」? 「ありがとう」? よーし遺言はそれでいいの?
キングスライムの王冠の形を知りたいから特定の道路で3匹殺してこい? 口頭伝聞で形なんか分かんねえだろ自分で見に行けよ? つーかいまその生物この場にいるから節穴かっぽじって好きなだけ見ろよ! 観察したいから殺せってサイコかてめえ! つーか場所も殺傷数も指定の必要ねえだろうが!
依頼人にクエストの内容を聞いた後で紹介料を取られるってどういうこと? 子供に頼まれて「甘い蜜」を運ぶのになんで金を取られんの? 誰にどういう金の流れがあるの? 依頼人が目的地に先回りしてるのは嫌がらせ? そのアイテムいま俺が持ってるから直に手渡しさせてよ? 枯れた湖に蜜を流し込み続けて甘い湖を作るってアタマいってんのこの子? 酒場で金払って人を雇ってさせる仕事かこれ?
馬に人参ぐらい好きなだけ食わせてやれよ! なんで農作物が貴重品なんだよ!
肉なんて野生モンスター掻っ捌けばいくらでも手に入るよな!? 「やせいのにく」ってそういうことだろ!?
運搬系クエストはルーラ使えば済む話だろ! 討伐系クエストはほとんど場所指定の必要ねえだろ! つーかいくら殺してもモンスターなんていくらでも湧くじゃん!
味方モンスターつまめんのならまず敵をつまめよ! 吊るしあげていたぶり倒せよ!
見つめるだけでどんなモンスターでも従える奴が仲間として馬車に乗ってるのになんで俺は肉を投げてスカウトなんかさせられてんだよ!
ドキドキプリキュアの敵がやっていることをやればいい。
ドキドキプリキュアを見ていない人間はまずいないと思われるが、一応説明する。
幹部達は、人間の心に自己中心的で身勝手な欲望が芽生えた所に、そのエゴイズムを増幅させるように囁き、欲望で黒く染まった「プシュケー」を抜き出して「ジコチュー」を造り出す能力を持ち、ジコチューを利用して破壊活動させ、キングジコチューの復活のために必要な「ジャネジー」の収集を目的としている。
以上Wikipediaより敵が行う行動の説明。
一読してわかりづらいため以下具体的に説明する。
クルマも来ていないし、渡ってしまおうかと考える(=自己中心的で身勝手な欲望の芽生え)。
そこで普通は「いやいやクルマが来ていないからって信号無視しちゃだめだ」と自制する心理が働く。
しかしドキドキプリキュアの敵はその一瞬のエゴイズムを抜き出し、増長させる。
この場合だと、信号なんか無視しちゃうもんねーと言っちゃって暴走する敵=ジコチューがつくりだされることになる。
閑話休題。
そうすれば、賛否両論あれど、過激な意見にはブクマがつきやすく、ホッテントリ入りも容易だ。
ああ、こんなにも有用なドキドキプリキュアというアニメはなんと素晴らしいのだ。
見ていない人間は人生を10割損していると言っても過言ではないだろう。
学校の授業がそうだったように、何かを学ぶにはテキストという文字情報と、それを説明する音声情報の二つ以上の感覚器官からインプットする方が効率が高いとされている。
そりゃ多角度から学習した方が覚えられる事は多いけど、それが効率が良いかどうかは疑問な所。
授業にはそれ以上に、やる箇所などをきっちりと説明してくれる、その時間を「授業時間」として強制し、
その学習に当てる事が出来る、と言うのが最大の利点であって、
テキストの上に音声としてインプットする、ものでは無いと思ってるけど。
それなら、ビデオでもテープでも、インプットとして教材があればそれは非常に有用だということ?
勿論、それが無用だとは言わないけど、はっきり言って効率悪すぎて使う人は居ないだろう。
授業の意味を考えた時、インプットとしてよりは、そう言った、時間的強制と、インタラクティブにできる事、また、自分だけで学習してたら見落としてしまう部分を網羅してくれること、
が大きな意味を持つと思うんだけど。