欧米人は、日本人に、「武士道」だのなんだのと、オリエンタルなものを、東洋の神秘(苦笑)みたいなものを求めるらしい。太平洋戦争などで命懸けで戦闘をしたり特攻をしたり(つまり自爆だ、自爆攻撃)した理由も、武士道だだのなんだのと言う。切腹だの自決だのという面がやたらと強調されている。
しかし、日本兵が命を捨てた理由は、武士道なんかではなくてむしろ、儒教なのだと思う。
例えば、「天皇は国家の家父長なのだから、天皇のために粉骨砕身、命を懸けるのは当然」という理屈が出てくる。また例えば、「男は妻子や父母・兄弟姉妹を護衛するものなのだから、戦場に赴いて命を懸けて戦うのも当然」という理屈が出てくる。
欧米人(とりわけ英国人など)が「武士道」だとか言うときには、騎士道が念頭にあるだろう。その騎士道というのは本質的には、主君と騎士の間の契約でできていて、個人の論理である。
それに対して儒教というのは、個人の論理ではなくて、家・血族の論理、個人ではなく全体の論理である。儒教の価値観というのは、時空を超越している。個人の観念も、現在の観念も超越する。個人の観念から跳躍したところに価値観があるから、個人を捨てて尽くすのも不可解ではない。過去現在未来という時間の壁も跳躍してしまうので、自分ひとりの人生どころか、何十年後でも何万年後でも先の発想をする。(儒教というのはそもそも例えば、先祖から子孫の血族代々を通じることで不老不死になる(永遠の命を得る)という発想だ。)おそらく、国歌の「千代に八千代に」のような時間感覚もその発想から来ているのだろう。
実際には、国家や社会というのは、個人の集積でできている団体だ。家というのも、家族ひとりひとりの集積でできている。だから、全体のために個を捨てろというのを強調して偏向すると、結果的に全体も破綻する。自滅だ。
ただ、現行憲法ができるまでは、日本国の主権者は天皇だった。民主主義国では主権者国民であり国は国民で構成される団体なのだが、国民主権でなく天皇主権だった当時の日本では、極端に言えば、国民はコマ、鉄砲玉だということにまでなりかねない。だから実際に、多くの人が命を懸けて、そして、死んだ。我々は、同じ国家の家族を、仲間を、死なせた、殺した。
初めて使う上、まだ高校生なので文が稚拙かもしれないけど許して欲しい。
察してって何を?あなたの心の内なんて私にわかるはずがないでしょう?
わかってほしいのなら携帯で文字を入力して私に見せるか小さい声でいえばいいだろ。
しゃべれないわけじゃあるまいし。
で、なんだ。あんたは⚪︎⚪︎はもっとうまくフォローするとか地雷を踏まないとか私に嫌味ったらしく言う。
何がしたいの?あなたは私になにを求めてるの?
私が嫌なのでしたら変な気を使わないで話しかけてこないでください。
一緒に帰ろうとか言わないでください。
あとね、あなたの脈絡のない話に付き合わされるのはもう飽き飽きです。
そんなに人のことが気になるの?どう見られてるか気になるの?
直接本人に聞く勇気がないのはわかるが、何故解決しようのないことを
私に相談してくるの?あの人私のこと嫌いかもとか知ることかよ
そんなことに脳使ってるからいつまでも番数さがってんだよ。人に言うまえに自分で自分のこと察しろ
見下すのもやめてもらえませんか
いい成績とったら勉強してないからで誤魔化すのやめてもらえませんか
あんた何のためにここに来たんだよ勉強するためだろ?
それに出会い厨じゃないんだからさ、人の連絡先すぐ聞くのってどうなのよ
正直気持ち悪いです。
深く入り込んでくるやつも嫌。土足で踏み荒らす輩。過去のことはどうでもいいよ。いちいち聞いてこないでよ
トイレくらい1人で行かせてよ。束縛しないでよ。私だって本読んだり勉強したいんだよ
こんなこと言っておきながらいざ1人になるとたまらなく人が恋しくなる自分も嫌い
昔はこんなんじゃなかったはずなのに
失礼しました
はてブのコメントを見て、とんでもないドラマなんだろうと思って観てみたんだけど、どこがひどいのかさっぱり分かりません。
もしかして、観ずに書いてるの?と思って。
これは、ポスト自身が「親と決別するために、唯一もらった『名前』を自分で捨てた」って言ってます。
最初は自虐的に名乗ってるんだと思ったけど、最後の方では、自分の運命を受け入れてこれから幸せを掴むんだ!という意思を感じました。
と思ったんですが、最後の最後に他の女の子から「本当の名前はゴニョゴニョゴニョ」っていうシーンがあります。
ここは、「親からもらった名前が気にいらないなんて!」と感じる人が居るかもしれません。(最初のほうでも、「月姫と書いてカグヤって…DQN!」ってシーンがあるので、いわゆるDQNネームに関する問題提起をしてるのかも?)
三上博史「さあ泣け!そしたら食べてよし!」(今日はマキが来て最初の日。これからつらい事もあるだろうけど、くじけるんじゃないぞ!そのために、一発かましてやろう!)
ポスト「(ん?ああ、いつものあれね、こうでしょ?)う、うう…うううう…うわーん」
三上博史「ん!(ちょ、なんだよおまえ…おれがかまそうとしてるの分かってるくせに…)」
三上博史(うわあ、マキとポストが喧嘩してるよ…)「どっちが先に手を出したんだ?」
ポスト「私です」
三上博史(良かった…いきなりマキを怒るわけにもいかないし)パシッ!(うわあ、殴っちゃった…ごめんよ)
演出家(今時バケツの水持たせるってのは、さすがにギャグとしか思われないだろう)
三上博史(あの優しそうな夫婦の所から逃げ出したって…どうしたっていうんだよ…心配で、もう2時間も玄関で待ってるよ…)
ガラガラッ!
三上博史(うわあ、岡持の中でラーメン散乱してる…怒られると思ったんだろうな…でも、あの夫婦なら、こんなことぐらいで怒るはずがない)
「おい、ここにはもうおまえの居場所はないぞ!」
男の子「うう…」
ガラガラッ!
ラーメン屋夫婦「ごめんね、いきなりお父さんお母さんなんて呼べるわけないよね…」
三上博史(よかったよかった)
三上博史(小学生の女の子がこんな時間になっても帰ってこない…マキは来たばかりだし、心配でしょうがない…もう三時間も玄関で待ってるよ…)
ガラガラッ!
三上博史「なにやってたんだ、こんな遅くまで!」
ポストたち「…」
三上博史(この様子を見ると、マキに何かあったんだろう…でも、女の子同士、なんとか解決したみたいだ…しかし、他の子どもたちの手前、このまま許しては…)
演出家(さっき一回使っちゃったけど、今時バケツの水を持たせて立たせておくって罰は、ギャグにしかとらえられないですよ、三上さん、バケツで!)
これ実際に観たら、一番悪く描かれてるのはマキの母親です。
→施設に預けた(というか、行き場がなくなって知らない間に預けられてた)娘を訪ねる
→「彼の傷が治ったら結婚するわ。あんたは邪魔だから施設で生活してね(^^)」
鬼畜だわ、これ。
でもこの人の件のツイートでの反論を読んで感じたのは
「ああ、この程度で飯食えるんだ」ってこと
文章の構成能力がなくても相手の読解力のなさのせいにしてしまえばいいんだよね
でもこの人の件のツイートでの反論を読んで感じたのは
「ああ、この程度で飯食えるんだ」ってこと
文章の構成能力がなくても相手の読解力のなさのせいにしてしまえばいいんだよね
でもこの人の件のツイートでの反論を読んで感じたのは
「ああ、この程度で飯食えるんだ」ってこと
文章の構成能力がなくても相手の読解力のなさのせいにしてしまえばいいんだよね
ほっともっとのから揚弁当は、注文してからすぐに出てくる場合がある
これは事前に作り置きしているからなんだけど、揚げたてと作り置きでは美味しさが全然違う
注文時に「揚げたてで」と付け加えれば揚げたてが出てくるらしいが、なかなか言えないものである
出来れば、言われなくても毎回揚げたてを出して欲しいところですね
浣腸してもらえば?楽になるぜ
「ありがとう」「ごちそうさま」はお手軽で無料のマジカルワード - 斗比主閲子の姑日記
以前アプローチしていた女の先輩のくちぐせが、まさにこれだった。
俺「先輩さいきん連絡くれないッスね?ひょっとしてお仕事大変なんですか」
俺「そうですか?本当に体には気をつけてくださいね」
先輩「ありがとう」
俺「先輩たまにはウマいもん食ったほうがいいっスよ。先輩の好きな食べ物ってなんです?」
俺「先輩先輩!こんどの土曜日、上野のどうぶつえんに行きませんか?先輩どうぶつ好きでしたよね」
俺「え、それじゃあ日曜日はどうです?ダメなら来週の土曜日は?」
先輩「ありがとう、最近忙しくて、休日は少しでも休みたいから…」
返信のペースはだんだん遅くなり、やがて連絡がつかなくなった。
…でも、先輩の「ありがとう」「ごめんなさい」は辛かったな。
考えたのだが、このような使い方は女性特有のものなんだろうか。俺の周りの多くの女性が、こういう使い方をしている。
確かに、話をさっさと切り上げたいとき、とりあえず相手の顔を立てたいときには、「ありがとう」「ごめんなさい」は有用だ。
だが、言われた方は自分の善意を無視された印象を受ける場合がある。
多用するのは注意した方がいい。
…いや、まあ上のやりとりは、俺のアプローチが強引だった(で、メチャメチャ気持ち悪い)っていうのはわかっているんだけどね(^^;
http://morahara.nukenin.jp/99ijime/gamansinaihitowoyurusenai.htm
※上記より引用
五歳児の大人の性格的特徴の第一は、まじめで憎しみを持っているということです。小さい頃から、自分の中の自然な人間性を否定され、したくないことを強制的にさせられたことで憎しみを持っていますし、またそれだけに、同じように嫌なことをしない人を許(ゆる)しません。たとえば、鉛筆をイヤイヤ削(けず)らされた子は、鉛筆を削るのを忘れた子供に鉛筆を貸しません。
※
このURLに書いてある「5歳児の大人」というのが、もろ自分のことのようだった。
「なんで自分ばっかり」という心理になるのも、普通の人は許容できることが許容できず生活の些細なことに苛立つというのもすごくよくわかる。
かといって子供のころ、なにかめちゃくちゃ我慢させられたというような記憶はないし、同じように育った兄弟は普通の「大人」だと思う。
なんで自分はこうなのだろう。生まれ持った性格的なものなんだろうか。
問題は、これの「治し方」はいったいどうしたらよいのか、ということ。
今29歳になって、会社やプライベートで色々な経験をして、やっと少しずついろいろんなことを許容できるようになり、昔より他人に優しくなれたと思うけど、
やっぱり同年代の人とかにくらべ、他人の行動に対する許容範囲が狭いし、優しさも足りないと思う。
正直、もうちょっとどうにかしたいと思っている。
いとこが痴漢にあった。
そりゃ痴漢が悪い、悪いけどさ……
逃げ出すチャンスもいくらでもあったしそもそも断ることもできたのにノコノコついていって
猥談にも付き合ってお茶して手握って、おっぱぶみたいなことまでしてさ……
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」の一話をネット見ました
中止要請については以下
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140116/k10014543211000.html
ドラマで描かれる“ポスト”というあだ名を持ち、ドラマで差別的発言を受ける子供という表現が、
フィクションと断りを入れていたとしても、“赤ちゃんポスト”という言葉で現実に照らし合わせることが容易にでき、
そして照らし合わせると、著しく少数の子供に限定されるということだ。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けらた幼児は現在75人の10歳にも満たない児童も存在する。
そのうち芦田真菜演じる“ポスト”に近い年齢の子供も少なくとも数人実在することは想像に難くない。
そして、彼ら全員が芦田真菜演じる“ポスト”のように「親に捨てられるのではなく親を捨てるんだ」という発言を
できるほど強靭な(不自然に大人びた)精神を持っているわけではない。
(「こうのとりのゆりかご」を運用している病院から中止要請があったということは、子供たち(と病院)に前もって
何らかの断りも入れていないということだろう。僕個人としては上記の理由でドラマを中止すべきだと思う。あまりにも杜撰な制作だ。)
女性に対するフェミニスト団体などがあるわけでもないので、声を上げて抗議をするのは困難である。
一部の大人、子供もが無批判に見ている可能性も十分あるので、偏見につながる可能性も十分あるだろう。
何より、放送が話題になって実在する“ポスト”への(杜撰な)取材をしたいというマスコミも現れるかもしれない。
また、ドラマの大まかなストーリー、芦田真菜さんが演じる主役の名前(あだ名)ぐらいは
スポンサーの広報も知っているはずなので、よくこのドラマを“提供”しようと思ったなと思う。
テレビは本、映画、ブログといった能動的に選択する他の表現とは違い、
電波を国に借りて放送しており、チャンネルも10程度という選択肢のとても少ないものである。
視聴者が段違いに多く影響がほかの手段に比べて大きいのだ。
病院が中止の申し入れをしたということは、
この申し入れが「こうのとりのゆりかご」(とおそらくそれに預けられた子供)がマスコミの好奇の目にさらされる、
という危険性を冒しても、ドラマは中止されるべきだという決断を下したのだろうと思う。
だがテレビ局の対応はあまりにも稚拙だ。放送中止を申し入れている病院側との話が成り立っていない。
「ドラマでは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』という
趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っています。
日本テレビは実際に存在する児童養護施設にいる“子どもたち”をどう思っているのだろうか。
おそらく彼らは視聴率さえ取れればいいのだろう。
この発言は番組さえ見てもらえれば後は「こうのとりのゆりかご」等に偏見を持たれようがどうでもいいと思っている、と捉えられても文句は言えないだろう。
また仮に、このドラマがこのまま放送され終了した後、病院側に差別的だと捉えられ抗議されたとしても、
関係者は同じ「そういう受け止め方をされたのは残念」という言葉を繰り返すだけだろう。
http://daily.co.jp/gossip/2014/01/17/0006642533.shtml
日本テレビは、少なくともドラマのチーフプロデューサー(制作責任者)に実際に病院の代表者に合ってもらい、ドラマでの意図を説明、話し合いをさせるべきだ。
そもそも僕はこのドラマが養護施設と子供ではなくDVシェルターと女性を舞台としており、
ドラマでの施設長の子供に対する大声での差別的発言が、支援者の女性に対する二次被害的を発生させる暴力的な発言に
置き換えられていたとするなら、それだけで批判がそこら中から起こっていると思う。
(養護施設での虐待などのの問題があるが、DVシェルターでの二次被害などの問題がある。リンクは古いが以下。)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以下一話を見た感想
―21世紀で一番泣けるドラマ
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」での公式サイトにあるイントロダクションの最後の一文である。
おそらくこの一文がドラマを表しているのだろう。
ドラマでの“ポスト”というあだ名や、差別的な発言をするのもすべてあなたを最終回で泣かせるための装置に過ぎないのだ。
陳腐な不幸系の脚本、それをごまかすための差別的な台詞、過剰な演出、子役の一発芸的な“演技”しか見せ場のない映像、
時間の過ぎるのが中学生の頃の授業のように遅く僕は見ていて退屈で苦痛でさえあった。
ただ単純に制作者にドラマを作る能力が無いのだろう、醜悪なドラマだと思う。
(主題歌のコトリンゴさんの曲と芦田真菜さんの演技をする能力はこのドラマにはもったいない。)
ただ、テレビ局の思惑通りこのドラマを最後まで見る視聴者は泣くだろう。
だが、そのうち何人が、ドラマだと割り切って見ているのか、
1人の人を愛する時点でこの世は不平等だ。
差別して1人を選んでいるのだから。自然と魅力のある、生命力のある異性を探す。
この世で本当に差別なく全ての人を愛することができる人は子孫を残さない。
よって、この世で差別が無いことはありえない。
結局、生きるように、子孫を残すようにプログラムされている自らの身体、拘束感。
元沖縄県民だけど産業なんて碌なモンないから基地が無くなったらそれこそ県内に出回る銭が8割ぐらい減って
先日、太平洋戦争の最後の帰還兵の小野田氏が亡くなったそうだ。まっさきに大きく取り上げたマスメディアは、東京新聞とワシントン・ポストだった。
その小野田氏であるが、上官から任を解かれてその「30年戦争」を終えて帰国した時、日本社会はすっかり様変わりしていた。良く言えば復興と経済成長だけれども。悪く言えば、アメリカナイズだ。
小野田氏が若者だった頃の日本は戦前・戦時中だったわけで、当時の日本社会はまた別の意味で異常だった。だがその戦時中の異様な雰囲気とはまた正反対なのが現代日本の姿だろう。「30年戦争」をしていなくたって、戦争経験者の多くが、戦争が終わった途端に価値観がひっくり返ったと述べている。
要は「拝金主義」だ。
以前に堀江貴文氏が「拝金主義者だ」と非難されていたことがあったが、非難する側の人間もやはり拝金主義者だ。つまりは、自分が拝金主義者であるという自覚がないか、もしくは、薄々勘づいてはいるが、その気に食わなさを他人にぶつけているわけだろう。つまりは、自分の汚点を他人に投影しているのだ。
まったく、「バカって言う奴がバカだ」っていうガキの喧嘩みたいな話だが、まったくもってそのとおりで、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだろう。
正直に言って、人間はみんなバカだ。もちろん私もバカだ。ただ、バカの自覚がある奴とそうでない奴がいる。バカの自覚がない奴は救いようがない。
この資本主義・市場経済・貨幣経済社会のなかでは、ほとんどのものごとがカネの理屈で動いている。だから、カネに対して一切関わらずに清廉潔白でいる人はほとんどいないだろう。だが、批判的に自己洞察をして己をただすように努めなければ、救いようのない拝金主義者になってしまう。現に、いまの日本社会は、なにが大切なのかもわかっていない、カネのほうが偉い社会になっているように、私にはみえる。
例えば、原発だとか、オリンピックだとか、「おもてなし」だとか、AKB48とかいうのも、やっぱり、拝金主義じゃないのか? そう言われると嫌悪感をもつひともいるだろうけれども正直に言って、拝金主義なんだと私は思う。私には、例えば、「おもてなし」だとか強調しているのをキモいと感じるし(電通などと、マスメディアと、自民党や省庁が、絶妙に癒着しているわけです、拝金主義のもとに)。
『コミケでの同人誌搬入の仕事』を、某有名人材斡旋会社から紹介された。
私「コ、コミケ? 夏? 早くない? なのは待機列だってまだ出来てないよ」
調べてみると、斡旋会社は『COMIC CITY東京』を『コミケ』と勘違いしているらしい。
ビッグサイト東4, 5, 6ホールを借りきって同人誌を売るわけだから、『コミケ』と混同してしまうのも理解……できないよ!
大違いだよ!
参加者数ケタ1つくらい違うよ!
COMIC CITYは女性向けで、ホモホモしぃ同人誌がいっぱいあるんだぞ!
コミケにはホモホモしぃ同人誌なんて……あるわ。むっちゃあるわ……
すまんかった。欲望のスケールが違うだけで、他はあんま変わんないわ。怒ってごめんな。
風邪を引いた旦那に病院に行けといったら感情的過ぎる人にモノを頼む態度じゃないお願いするならどこそこの病院がいつなら開いていて診察券が要るか要らないかを伝え、などという。
何で感情的になるかって、小さな子供も居るっていうのに二週間も咳は所構わずする、注意するとお前は馬鹿か、見てんのかとキレるし病院に行って早く治してと云っても忙しいからいけるわけないと行かない。寒いのに家ではシャツと年中おんなじ綿の半そでの肌着でだらだらしてて寒いから上に羽織れとやさしく言ったり強く言ったりして何とか着たり着なかったり。挙句に自分のためにそういう事云ってるんだろと。
幼稚園児か。
今日は何も予定がなくいけると思って云ったらキレて俺を隔離したいんだろうなどと云う挙句には実家に帰るとか言う・・・
お前こそ馬鹿だよね~と思うが云わなかった。
きれい好きじゃないし仕事用のスーツも替えなんかいらないカネの無駄だとか云ってよれよれの着てるし一緒に住むまで気がつかなかったけどシャツの襟を下洗いする習慣もない家の人でそれでもきれいなほうを気に入ってこの習慣をいいと思ってくれればいいけどどうも余計なことしてると思ってる節がある。義母は普通に見えるのになぁ・・・でも実家では洗濯は義母だったらしいから・・・義実家訪問をすっごい拒否されるのは汚屋敷なのか????
何でこんな人を選んだのかというと一緒になることを選んだとき、ずっと鬱っぽくなってて自分に絶望してて自分を罰するような気持ちでいたからだ。
まあ、付き合ってたときからこんなこと全開ではないしいいところももちろんいろいろあるけどね・・・
後悔していないとは云わない。
体が弱いだけかと思ったら薬を飲むとか食事に気をつけるとか着るものに気を遣って悪化しないようにするという養生もしないする気もない言われてそんなことはしないといって延々げほげほずるずるとうっとおしい。