はてなキーワード: 最後の手段とは
『世界の中心で、愛をさけぶ』は、片山恭一さんの青春恋愛小説です¹。主人公の坂本悠太と秋山莉子は幼なじみで、高校生になってから恋に落ちます。しかし、莉子は白血病で余命わずかだと知らされます。悠太は莉子のために奮闘しますが、最後には彼女を失ってしまいます²³。
ブラックジャックを登場させるとしたら、どんな役割がいいでしょうか?私は以下のような物語を考えてみました。
悠太は莉子の病気を治すためにあらゆる方法を探しますが、どこも手遅れだと言われます。そんな時、インターネットで噂されている天才外科医・ブラックジャックの存在を知ります。ブラックジャックは白血病も治せるという噂がありますが、その代償は高額な手術料です。悠太は必死にお金を集めようとしますが、時間がありません。
そこで悠太はブラックジャックに直接連絡を取ります。自分の身体や臓器を売ってでも莉子を救いたいと訴えます。ブラックジャックは悠太の想いに感動し、無償で手術を引き受けることにします。しかし、手術に成功するかどうかは神のみぞ知ることです。
手術当日、ブラックジャックは莉子の体内から白血病細胞を除去するために特殊なレーザー治療器を使います。しかし、レーザー治療器が故障してしまいます。ブラックジャックは冷静に対処しようとしますが、時間切れです。彼は最後の手段として自分の髪や爪から作った針で莉子の体内に刺します。これが奇跡的に白血病細胞を消滅させる効果があったのです。
手術後、ブラックジャックは悠太と莉子に笑顔で報告します。「君たちは幸せになりなさい」と言って去って行きます。悠太と莉子は涙しながら抱き合います。「ありがとう」と言います。「愛してる」と言います。「世界の中心で」と言います。
ブラックジャックの特殊能力と、最後の謎の「世界の中心で」というセリフにクスッとしました
https://fonts.google.com/noto/specimen/Noto+Sans+JP
いつもは当たり障りのない文例が使われていたんだが、今見ると文例が世界人権宣言の序文になっていた。
太字で言われると圧が強い。
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、 諸国間の友好関係の発展を促進することが肝要であるので、国際連合の諸国民は、国連憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、 よって、ここに、国連総会は、 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この人権宣言を公布する。
等のこれらの条件がすべて揃っていても落ちるカードというものが存在する。
審査の厳しいプラチナカードに通ってるのに他会社の平のカードの審査落ちた!という現象が発生する。
この4つの発行会社の審査はクレディセゾン(旧キュービタス)で行っていて、独自の信用情報持ってるんじゃないかと言われている。
ビューカードはビックカメラSuicaカードなどが該当。(イオンSuicaカードなどは提携カードのため審査が別)
大学生の場合は審査がガバガバだが就職した瞬間に謎審査になる。
就職した人間は属性が低くても通ったりするし、高属性でも通らなかったりする。
ただ、オリコ通ってビューカード通らないとかもあるので3社一律ではない模様。
セゾンはSAISON CARD Digitalだけ審査がゆるかったり。(ただ属性が低すぎると枠が5万円)
普段イオンカード使うような人間かどうか見てるんじゃないかと言われている。
信用情報が汚れていても通ることもある。
あらゆるクレジットカードが通らなかった人の最後の手段のひとつ。
まあ、そういう場合は利用可能額が5万円だったりするんだけど。
枠が10万円のアメリカン・エキスプレス・ゴールド・カードも存在する。
これ通らなかったらデポジット型クレジットカードに行くしかない。
JCBオリジナルシリーズとか三井住友は謎ではないがまあまあ厳しい。
JACCS、DCカード、エポスカードあたりは多重申込にかなり厳しいので絶対に多重申込は避けるべき。
多重申込して審査落ちると一生審査通らないとかあるので。比喩なしに。
信用情報汚れているかどうかはCICとかJICCを開示すればすぐわかるのでクレジットカード通らなかったら見たほうがいい。
どんなカードでも学生のときはゆるいので就職前に作っておくのがおすすめ。
JCB カード W、ビックカメラSuicaカード、三井住友カード ゴールド(NL)あたりは作ってなくて後悔することありそうなので学生が作るならこのあたりかな?
現在、生活保護を受けていて、障害年金を申請しようか迷ってる。
一応、生活保護は建前上、全ての使える制度を使った上で、最後の手段で利用すべきと言う大前提は知っているので、迷う余地なく申請しろってのが模範解答なのは分かってる。
ただ、躁うつで躁状態の時、金遣いのコントロールができないと言う割と致命的な問題がある。
これで失敗したことは数え切れないし、病識がない時は躁状態の時に大きい買い物をして、うつ状態の時に物に囲まれて呆然とすると言ったこともあったし、それで200万くらい借金を作って自己破産した。
障害年金は3ヶ月に一回の支払いと聞く。手元に3ヶ月分の生活費があって、もし月初で躁状態になった時、金遣いのコントロールができないと破滅する可能性がある。
だから月々最低限の金だけ受け取れる生活保護の方が、使いたくても使う金が無いことによってコントロールがしやすい。
それでも制度上の隙間をついてる訳だし、何より全額生活保護と言うのは、体面上もよくない。
幸い、ちょっとした仕事もできており、月5万~10万くらいは稼ぎがある。
障害年金を受ければ、家賃分以外は仕事の稼ぎと障害年金で賄える。少しは体面も保てる。
それに生活保護は基本使い道は生活費のみ、最低限以上の貯金もできないし、自己投資も禁止されている。
生活保護に頼り切りではいつまで経っても生活保護から抜け出せない。使い道の自由な障害年金で自己投資してもう少し稼ぎを増やせれば生活保護を脱出できるかもしれない。
しかし、そのもしかしてと言う希望の為に、破滅する危険性を取るべきか、どうか悩んでる。毎月の支払いにしてくれるならすぐにでも申請したいのが本音なのだが、3ヶ月分まとめて支払いと言うところでどうしても躊躇している。
前略
人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、
中略
よって、ここに、国際連合総会は、
社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。
https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/
生家は漁師を生業としており、親父は一般的にイメージされるガハハと笑うような快活明朗なタイプで、根性論が大好きだし息子娘問わず鉄拳制裁なんて日常茶飯事だった。
ただ一応は男女の線引きがあったような気はしていて、女兄弟は納屋に閉じ込められる程度の折檻は受けていたものの、男の俺のように木へ吊るされるとか海へぶん投げられるみたいな折檻を受けていたようなことは無かったように記憶している。
親父は子供をハチャメチャに殴り倒すみたいなことは無く、鬼の形相で強力な一撃を食らわし「反省せい!」とか「何やっとるか!」みたいに檄を一言放って作業場や寝室に籠もるというような人だった。
その後にお袋や祖父母が何が悪かったのか説明をしはじめて「お父さんに謝りに行こうね」と説得されて謝りに行くのが常だった。
まぁ冷静に考えると幼児の頃から高校生になるまで常に「強力な一撃」と感じたということは、おそらく年齢や体格に合わせて力加減をしていたのだろうと今なら想像付くが、当時はそんなこと気付かないので、ただただ親父が激怒するほどの大変なことをしてしまったのだなと思っていた。
俺の妻が妊娠したとなったとき、親父は気分が良くなったのか酒の進みが早く酔いが回って口が軽くなったのか「あのイタズラ坊主が」と言っていたのが実に印象深い。
そして「男らしく振るまえ、力の使いどころは考えなきゃいけない」と続いて、最後は「男の暴力は凄く大事なものだ、大切なものなんだ、宝物なんだ、その意味を考えろ」と言った。
はてなで過ごすと暴力なんてものは絶対禁忌で、どんなことがあろうと、例えそれが正義であれ悪であれ行使すべきものではない、何なら暴力は絶対悪と思いたくなるが、俺の親父は「暴力は宝物」と言う。
その価値観の違いに混乱するけれど、親父が亡くなって子供がある程度大きくなった今ならば親父が何を言いたかったのか何となくわかる。
男にとって暴力とは最後の手段なのだ。
大切な人々を最後、極限的に守らなければならないときに行使するのが暴力。自然が先祖が神が人間の男に与えた大事にとっておかなければならないのが暴力なんだ。
だからこそ、暴力をみだりに行使することは非難されるべきであり、だからこそ宝物なんだと俺は思う。
親父が強力な一撃を放ったあと作業場や寝室に籠もってしまったのも今ならわかる。
息子をぶん殴るなんて何と心苦しく、そして愚かな行為なのか。それ以外の選択肢を取れなかった自分が何と情けないことか。
酔った勢いではじめて親父が理想と考えていた男親の姿を知ることが出来た。
親父は折檻を適切な教育とは思ってなかったんだ。ただそれしか方法が思い付かなかったから咄嗟にやっていただけだった。
俺はもしものとき暴力を行使できるのか。
そうならないようにすることが本当に大事だけれど、暴力によって息子を静止し、そして暴力によって息子や妻を脅威から逃がすことができるんだろうか。
たぶん俺の親父は躊躇せずやれるだろうけど、息子である俺はどこか躊躇してしまうだろうと思う。
幼少期に親父が俺へ対して「俺からは力の強さを、お母さんからは優しさを継いだ」と評価してくれたけれど、俺は親父よりも肝っ玉が小さいので優しさというのはオブラートに包んだ表現だったんだろう。
暴力を考えること、暴力の行使とは実に難しい、俺は度々そう感じる。
本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済の専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにはフランス語を原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語はメジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。
ピケティの本が世界的な話題作であるなら尚更、フランス語と経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語からの翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系の感覚。「アイスランド語の推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語の経済学書」だったら、日本にはフランス語の専門家は大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚がマジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済的メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)
結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳は原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、
場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学に所属してて碌な研究費ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。
(理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコーの思想を研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力」概念をドイツ史研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料をちゃんとドイツ語で読んでるなら理論は日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)
なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品(ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究はあくまで原典に依拠して行うもの、原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田は経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学や統計学を踏まえずになされた経済学研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。
とまあこのような思想に対して、何ができるだろう。抑え込めば文字通り自爆するだろう。周囲の人々の肉は飛び散るだろう。
弱肉強食、金持ちだけが投資でますます金持ちになる世界を強固にしようとすればするほど、これからテロリズムとの戦いは苛烈になるだろう。パンドラの箱は開かれた。どれほど抑圧された人間でも、最後の手段を持っていることを私たちは皆わかってしまったのだから。
テロリストを社会に包摂するということは何を意味しているのだろう。カネのないものにカネを、職のないものに職を与えることだろうか。絶望しているものに寄り添うことだろうか。無限に寛容になることだろうか。わからない。少なくとも、そういうことが完全にうまくいっていれば、今回のようなことは起こらなかっただろう。
力で現状を変更したいという誘惑に私は駆られる。私にも許せない人間がいるから。だが、テロリズムを礼賛する人間は、明日の満員電車で隣の人間が爆発する事態を想定していないことを思い出す。誰もが加害者にも被害者にもなりうることを。
民主主義を信頼することだろうか。心を強く持って、今こそ共同体の維持に向けて行動することだろうか。私はどちらかといえば、そういう立派なお説教は苦手だ。そういうお説教をする人間は概してテロリスト予備軍の本当の苦しみなど分かりもしない人間だと思うから。
人間であること。苦しみを苦しみとして分かち合うこと。宗教なしにそういうことができるものかどうか、わからない。わからないが、自らの呪いに耳を澄まし、自らの憎しみに、怯えに目を凝らし、自分が本当に恐れていること、どうしても守らねばならないと感じることを自覚し、外に目を転じた時、苦しんでいるもの、ナイフを取り出そうとしているものがどこにいるのか、今よりも見ようとすることしかできないように思う。
「どんなやつでも暴力はだめだ」「これはテロ行為なので許されない」って声が多いけど……。
自分は、テロというよりクーデターに近いとおもっている。絶対的に賛成はしないが、犯人の気持ちもわかる。ウクライナの民主主義を守るためにプーチンを暗殺するのも絶対に許されないテロ行為か?
いかなるときも暴力はだめっていう人に訊きたいんだけど、だったらどうしたらいいの?
憲法を守ろうとしない人物が権力を持ったら、どうやって引きずりおろせばいいの?
司法に任せる? その検察が権力者の言いなりになってるんだよ。
選挙で引きずりおろす? その選挙で買収して裁かれないんだよ?
逮捕には「犯人を守る」という目的もあることを改めておもいだした。
検察がちゃんと仕事をしていたら、今回の事件は起きなかったんじゃないのか。検察にも原因の一端はないのか。
有権者を買収するとか、国会で嘘をつくとか、憲法に規定されているのを無視して国会を開かないとか、さんざん法を無視してきた連中が都合のよいときだけ法に守ってもらえるとおもうのはちょっと虫が良すぎるんじゃないですか?