「感情移入」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感情移入とは

2016-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20160804174700

そういう前提に感情移入できないというのはあったのかもしれない

ここ最近評価される映画って現実味ってキーワードっぽい

ズートピアとかバットマンとか、何これファンタジーじゃんで終わらない追体験的な感情移入できるもの評価されてる感じ

自分ズートピアは何これ嘘じゃんで終わったけどシンゴジラはまあまあ楽しめた

でもよくよく考えたらシンゴジラ現実味はまだまだ足りてないのかもしれないって感じがした

ノンフィクションにはそこまで興味ないけどギリギリまで超現実っぽいファンタジーを見たい

パシフィックリムはあまりきじゃなかった。二足歩行ロボットで戦う意味がわかんないし。それ言ったらエヴァもなんだけどアレは元々巨人ベースにしてるからアリなのかもっていう

2016-08-03

https://note.mu/ohanhan/n/nb4c6e4657b25

是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて

1)現実(日本)VS虚構(ゴジラ)のキャッチコピーについて

この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。

まり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。

作中でも語られる通りに代替可能キャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。

さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。

(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊日本中が集結)

シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界シンジ綾波笑顔に集約されてしまう。

熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。

感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。

それを「ないかダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。

そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりもったいない

2)キャラクター家族について

兄弟恋人家族。当然いるだろう。

矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。

だが本作で書かれているのは理想国家であり、登場するのは理想公務員たちだ。

ゴジラが本性を発揮し、津波地震原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、

言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災原発事故対応する日本国家だ。

から彼らには徹底的なリアリティ必要とされ、ストイックさが求められる。

悲劇に立ち向かうたびに恋人電話して、励まされて頑張る、だとか

田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの

よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員からだ。

書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。

「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動安易ナショナリズムを刺激し、

また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ

それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。

詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。

3)スクラップアンドビルドへの違和感

震災直後のテレビ報道を見てもらいたい。

朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン

街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。

バラエティ番組自粛CM自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者行方不明者。

確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手同調する人は多かっただろう。

だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、

悲しみは絶え間なくやってくる。

そういった中で明るい展望見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。

また繰り返すように、本作は理想国家公務員たちが作り上げた理想災害対処である

4)作戦微妙

「うまくいくのかいかないのか」は勿論重要煽りポイントだ。

書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。

対立相手作戦説明

→②主人公が対案説明

→③話が折り合わず決裂。主人公が対案を実行に移す

→④予期せぬアクシデントが発生する

→⑤とっさの機転で切り抜ける

→⑥無事に悲劇回避する

→⑦対立相手に認められる

が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。

まずは②にあたるものが本作にはない。作戦目的以外、つまりどう実行するか?の点について、

本作では最後まで伏せられている。

本作では、作戦自体カタルシスなのだ

自衛隊ゴジラ誘導し、

新幹線在来線爆弾としてゴジラにぶつけ、

発破をかけたビルゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。

ビル鉄道に「日本技術力、ひいては日本のもの」を読み取るのもいい。

(今までゴジラ破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)

もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラ東日本大震災と重ねているはずだ。

そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば

読み取り方を完全に間違えている。

本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災メタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と

前半までに否応なしに畳み掛けることで、

本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。

最後

書き手は「私は震災家族を亡くしている」などという設定があれば、

「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもできる」という。

仮に本作がゴジラ映画初体験だったとしてもだ。

上陸した第二形態に押し流される車

・押し潰される団地

炎上する東京

・頻出するガイガーカウンター

・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作

ここまでされても「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、

ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋リテラシー問題だ。

褒める褒められないの視点に立ててすらいない。

問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。

もちろん、書き手否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。

からもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。

映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。

一回で全てを理解してしま自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから

監督が語った「見終わったら、ぜひみなさん議論してほしい」というのは、恐らくそういう意味なのだ

シン・ゴジラいまいちだった派としてシン・ゴジラ批判批判しておきたい

ネタバレがっちり含みますので嫌な人は見ないように。

シン・ゴジラいまいちだった派の全員がこのような意見だと思われるのは心外なので批判しておきたい。

絶賛されている『シンゴジラ』が個人的に58点の映画だったので海に身を投げたい | 二十日・de・おぼーん | note

とにかく登場人物にまったく感情移入できない

登場人物感情移入するつくりではないのだから当然のこと。

政治描写に絞り込むために背景はあえてオミットされていると見るべきだ。

かと思えば「大統領になりたい」だの「総理になりたい」「幹事長になりたい」だの政治的野心をのぞかせる台詞ポンポン出てくる

これはナイチンゲールなどが言う「構成員自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」と同様のことではないかと思う。

政治家は、名誉欲や出世欲、あるいは「国を守りたい欲」といった個人的欲望によって仕事をしている。

それは「人のために働く」ことと相反しない。

あえて「無私無欲な英雄的人物」を描かないことがリアリティを生んでいるのである

現場にいる主人公たちが簡単に「スクラップビルド」みたいなことを口にするのもどうかと思う。

これもつまり政治家という「キャラなのだと思う。

廃墟となった町を前に、ことさらに嘆いてみせるのはニュースリポーター仕事であって、政治家のやることではない。

終わったことは終わったこととして、いかに立ち直るかを考える。

という割り切り、切り替えの早さを描いているのではないか

カタルシスを生むはずのヤシオリ作戦

前段の「感情移入」もそうだが、「主人公には感情移入させねばならない」「物語カタルシスを描かねばならない」という観念に囚われすぎている。

こういう物語だったらこう描くべきだよね、という気持ちが先行しすぎているタイプ批評家であるように感じる。

シン・ゴジラは「リアル政治ドラマ」と「フィクション特撮映画」を描いた物語なのだ

からこれだけ綿密に取材して政治家官僚キャラ作りをしてきたくせに、

フィクション側の画面へ行った途端に「無人在来線爆弾」なんてものが出てくる。

その構造批判こそすれ、ヤシオリ作戦のもの荒唐無稽さに突っ込むのは野暮である

主人公作戦チームってあれだけ人数いるのにマキ・ゴロー博士暗号解読して凝固剤の生産を手配しただけで実は大したことしてないよね

その二つだけでも十分なうえに、ヤシオリ作戦立案したのはあのチームでしょう。

解析したゴジラ遺伝子データから放射能除染できる

あれはゴジラ放射性物質半減期が短かったという話で、ゴジラ遺伝子データから除染できるという話ではなかったと思うが…

全然ハーフに見えない高圧系女子石原さとみが「40代大統領になるのがドリーム」とか言ってるけど、アジア丸出しの顔でなれるわけないだろとか

女性アジア系で若年、というハンディを乗り越えたいからこそのドリームなんじゃないですか。

この人、10年前にも「黒人がなれるわけないだろ」とか言ってそう。

「本当に怖いのはゴジラじゃなくて人間」とか言わすなよ

まったくだ。

ゴジラの造形は最高

腕が小さすぎない?

曲もいいし

冷静になるとああまで過去作をオマージュする必要もなかったんじゃないかという気が。

特撮だっていい

放射火炎以外のCGがしょぼかった…

http://anond.hatelabo.jp/20160803115905

それ「感情移入」や「共感」を用いて説明すべきことじゃないよね

http://anond.hatelabo.jp/20160803115030

主人公がウジウジしてるのが嫌い、ってものすごく主人公感情移入して見ているように読めるけど

[]松原利光「リクドウ」

それなりにおもしろ

高橋ツトムアフタヌーンで連載してるブラックボックスっていうボクシング漫画と、テーマとか主人公の設定とかちょっとダブった

でもこっちはちょっとあしたのジョーっぽいところもあるな

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるもの輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。

ふーん

爽やかスポーツボクシングマンガではなく、エロスアンドばいおれんすって感じだから、万人にはおすすめできない感じかなあ

いまんところどのキャラにも感情移入しづらい

主人公空っぽに見えて得体のしれなさがあって、多分この主人公が負けても読者はなんとも思わないんじゃないかなって感じがするくらい

2016-08-01

シン・ゴジラ」に一般市民が出てこないわけ

みなさん、もう「シン・ゴジラ」は見ました?自分は「島本和彦氏の敗北宣言」(http://togetter.com/li/1006140)を知って、興味がわいたので今日見てきました。

結果、自分としては大変おもしろかったです。傑作だと思います

しかしながら、見る人を選ぶ映画のようで、例えばYahoo!映画での評価(http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9/354182/review/)は1と5が目立つ結果となっています。その中でこの映画欠点として言われている理由ひとつに「一般市民登場人物がいなくて感情移入が出来ない」というものがあります

確かに、この映画の中では一般市民群衆として描かれるだけで、主要人物としてはもちろんサブキャラとしても出てきません。出てくるのは政治家官僚自衛隊員ぐらいです。庵野監督がどういう意図でこういう構成としたのかは知る由もありませんが、ひとつ可能性を思いついたので書いておきます

みなさん2011年3月11日に起こったことと、それに続く数日のことはまだ覚えていらっしゃるでしょう。

この映画の中の一般市民はその時の私たちです。

津波に町が呑みこまれたり、原発屋根が吹き飛んだり、放射性物質の飛散状況を気にしたり、そのくせ月曜日には会社学校普通に通っていた私たちです。知らないことな映画スクリーン上で俳優が演じて見せることに意味があるでしょうが、見る人が既にそのような体験をしているのなら、不必要ということではないでしょうか。

そういう意味では、実に日本人に向けた映画だということが出来ると思います

2016-07-13

マクロスデルタ、頑張ってるのは伝わってくるけどいまひとつ話が魅力に乏しい感じあるのなんでだろうって呟き。


SF要素。ディティール、日常破壊世界の謎とか。

日常破壊はあったけれども。楽園のような場所破壊されてもあまり感情移入できないし思い出にひたってもくれなかったし、戻る為に?か海が赤くなったりとか海猫が浮かんでたりとかそういうのもなかったし…分かり合うために敵をガチの敵にしないため?

世界の謎には一応まだ期待してる。敵の本拠地やら船やらはすごく好き。仁王立ちは当然好き。遺跡うんぬんには期待してる。

あと宇宙であまり戦ってないのもSFっぽくなくなってる一因ではあるとは思う後半に期待。

キャラ個性描写

キャラは出番の少なさ故に逆に個性あって描写も絞られているけど、メイン3人が何が譲れなくて何を一番大切にしている人なのか今ひとつ共感できてない。

…とはいえ話が面白ければそれはっていうのもあるから今のところ保留。

強いて言うなら、ミラージュさんは実力コンプレックスもちならマックスと比べられたからって理由付け入れた方が楽しいのにって思う。

あとカナメさんが縁の下支えすぎ問題人足りてないの?ワルキューレ慰問っていうよりは完全に人員扱いだったのも驚いた。

■歌エネルギーっぽい。

7と似た設定だなって思ってます。長々と時間使ってじわじわと話入れてった7と比べるのも如何な物かと思うのである程度は流すとして。

強制ゾンビ設定なのにいまひとつ怖くないのなんでだろう。最初から対抗手段があるからだろうか。

戦場使用される歌。

歌で異文化交流シリーズテーマから戦場鼓舞の歌って基本的シリーズ否定的に描かれている印象がある。歌が好きだから戦争への「使用」を拒む。歌は異界との繋がりとして描かれて、味方以上に敵に向けられる。…って考え出したら、ワルキューレの歌に対する考えがよく分からなくなってきた。治癒を伴うとはいえ、応援歌の側面が今回は強い。というか異文化交流以前に、敵に対してあまり主人公陣が興味もってない印象がある。いっそフレイヤの幼馴染とか過去話とか入れといて欲しかった。

あと今回対抗手段に立てられていく過程すっ飛ばしてるからアイドル格好してる説得力が薄いね…。

…あと、シリーズ共通の「バルキリー」があるのに「ワルキューレ」と名づけたのは、気持ちは分かるにしてもどうかと思う。


いろいろ書いたけど、戦闘描写ものっすごく格好いいので楽しんではいます

ほんと戦闘機バルキリー格好いい。ガウォークの扱いも格好いい。マクロスはやっぱりミサイルだよ格好いい!

2016-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20160707113655

物語としてのハッピーエンドならいいというわけないだろ

エピソード登場人物全体の話をしている。

極端な話、マンガ最後のこまに「Fin」って入れれば全部ハッピーエンドだよ。

物語としてのハッピーエンド、そんなのはから変えられる記号に過ぎない。

ハッピーエンドかどうかはキャラを中心に語るべきもの

ぶっちゃけた話、例え死んだとしても恵まれて本人が幸せを感じているのならハッピーエンド扱いできるよ。

自体はどんな人間にも訪れるものからな。

 

そうではなくて選択して必死になって努力したにも関わらず

無駄だったり裏目になった状態のまま絶望して死ぬ、そういうキャラのバッドエンドが許せない。

悪人因果応報でそうなったら感情移入してても許せるよ、

善人や好感触キャラには当然感情入るに決まってんじゃん。

 

というかハッピー・バッドって個人に集約されるものからキャラ基準しか語れんのだが。

2016-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20160630235133

俺は近所にもう一部屋借りたよ。スペース足りないは甘え。

ただ、ディスク入替問題感情移入を阻害するので同意

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160630111512

どうせ妄想なんだから、思い浮かぶ顔を自分にすげ替えて、盛大に楽しめばいいじゃないの。

AV男優さんだって、そういう感じでしょ?ただ、AVでも男優さんが個性主張されるのは個人的には好ましくない気はするけど。イレズミとか派手目のピアスとか丸坊主とか、変に体鍛えてきたマッチョっぽいとか。感情移入しにくいと。

2016-06-28

アスペ発達障害病院逝けという人へ

アスペ発達障害って直せないんでしょ。原因すらよく分かってないんでしょ。

で、医者が何ができるの? コミュニケーション能力挙げるクスリとかあるの?

何それ覚醒剤とか?

病院逝ってどうすんねん。てか病院通い続けてたけど何にもならんかったわ。デプロメールなんの役に立つんじゃい。

他人気持ちを考えるようにとか散々説教されたけど、そのやり方はわかんねーっつってんだろ。

やり方が分からん、っていうとそれは障害があるからっていわれる。どの病院いっても同じようなもんだった。

結論からいえば、俺の場合人生ゲームとして考えて、人間関係演劇だと思うことにした。

心を開くことより、心を見せかけることが大事だと気づいた。俺の本心は伝わらないし、俺は他人本心絶対にわからないから、無理しないで表面的な付き合いで満足することにした。感情を分からせようと必死になることをやめた。そうしたら露骨に俺を拒絶する人は激減

なぜか?しらんけどそもそも誰も俺本人は関心ない。ただ危害を加えなければそこにいてOKってわけだろう。

それに気付いたら簡単だった。ようは思ったことを口にしない。動く前にすこし考える。迷ったら周囲をよく観察して、それでもわからないときは聞く。

ただしなんでも聞くのはダメ。できるだけ必要最低限のことだけ聞く。すこしやり過ぎなくらいメモを取る。苦手な雑談自分の話をせずに「へー」「あー」とかあいずち打ってれば8割はOK。残り2割はウソでもポジティブなこと言ってればとりあえず間に合うっぽい。つまんない、っていうかわりに面白いゆーてれば相手は満足するし平和

そのくらいを気をつければ大丈夫最近バイトできるようになった。まあ、深夜のコンビニバイトだが、だいぶ進歩したぜ。

だけどさ、何でこんな簡単なことを医者ですら教えられないんだ? バカなんだろうか。

いや俺は外国人みたいなもんだからな。言葉が通じないんだろう。親にも人間関係演劇だ、って言ったらびっくりされたしな。なんでびっくりされるのか納得はいってないが、まあOKOK。

はいえ、ここまでくるのは大変だった。けど最近はわりと楽しいし、金稼げる様になったから好きな本買えるようになって更に人生楽しい。今は森博嗣にハマっている。当然登場人物には感情移入できんけど、この作家文章文字の並びがキレイなんだよ。

浮気って

2ch浮気がどうこうってスレのまとめを見るのが好きだった。浮気された方の人間感情移入して、かわいそう、浮気した奴殺してやりてえなって思いながら読むのが大好きだった。当時は10代だったけど20代もそこそこになって、ちゃんとした気持ちというか、こうあるべきみたいな道徳観を作り上げたつもりだったんだけど、浮気をしてしまった。

まさか自分が、殺してやりてえと思ってた立場に落とし込まれると思っていなかった。私は、ダメだとわかっているけど、大抵のことを人のせいにしてしまう。浮気を始めた理由も、付き合っている人にひどいことを言われたタイミングで運良くアプローチしてくれた人がいたからだ。少し綺麗な表現をしたけど浮気浮気である社会的には悪いことです。

浮気相手にも付き合っている人がいたが、どうもその頃別れそうだったみたいだ。その少し後別れてしまった。浮気相手は、私に、相手がいても好きと言ってくれた。でもできれば別れてほしいとも言われた。しばらく二重生活を続けていたが、ある時そういう自分に疲れてしまって、付き合っていた人にしばらく離れてみようと言った。

それから浮気相手と思いっきり楽しく過ごしてみた。その浮気相手にも嫉妬心が生まれしまった。その人に異性の影があるとどうしようもなく辛くなる。それから自分の付き合っている相手と、浮気相手と、天秤にかけるようになった。どちらも本気で好きになってしまたから。なんで相手は1人でなきゃいけないんだろうとかバカなことも考えるようになった。

今、結婚するならどっちだろう、とかい選択に苦しめられている。どっちも別れて新しい人探せばいいの?全部私が悪いのに、全て人のせいにしてしまう。自分幸せになれるのはどちらだろうという基準しか考えられない。2つの選択肢しか物事を考えられない。視野が狭い。どちらにも深い傷を負わせてしまっている。

2016-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20160622003021

なんか楽しそうね。

人の情緒を「改善」すること是非はともかくとしてだけど、貴方の夫のように「情緒が足りないっぽくて全然泣かない人」が、よく感動して泣くようになったケースを知ってる。

その人はドキュメンタリー(社会に疎外された人がテーマの物とか)や社会科学系の本を浴びるように享受した結果、「明日は我が身」と他者感情移入する機会が増えたと言っていた。泣く能力後天的に開発した事例。

2016-06-21

ズートピアの残念だったところ

http://anond.hatelabo.jp/20160619102437

男だけど、楽しかったよ。

 

ウサギがあっさりと許された場面にがっくりしたのは同じだけど、

元増田と私とでは、見方が少し違うみたい。

(長文ごめんなさい。以下、ネタバレ

 

キツネがあっさりと、本当に信じられないくらいあっさりと許したのは

私も最大限の違和感を感じたよ。

ほんと肩透かしがひどすぎて、椅子からずり落ちそうになった。

 

そもそも、そんなに簡単ウサギを許すことができるなら、

キツネあんなにひねくれ者にならなかったはずじゃないか

 

だってウサギ出会ったことで

キツネはもう一度人や夢を信じてみようと、

考えを改めはじめたところでしょ?

 

それが、こともあろうにウサギ本人に裏切られたんだ。

本当なら、しばらく立ち直れないはずでしょ。

 

でも、キツネはあっさりとウサギを許した。ありえないくらいあっさりと。

あの場面で思ったのは

ウサギずるーい」

じゃなくて、

映画スタッフずるーい。時間がないからって超ご都合主義!」

「ま、時間がないかしょうがないけどね。でもずるいな」

だった。

あと、

「正直、キツネウサギが仲たがいを始めたら、上映時間が足りなくなるんじゃないか

 ひやひやしてたから、ちょっとほっとしたわ」

とも思った。

 

そんなわけで、ウサギがずるいとは感じなかった。

彼女なりの精いっぱいの謝意を表したわけだし。

いきなり許されるとは思わないけど、彼女は誠意は尽くした。

 

どちらかといえば、

あの場面で変なのはキツネ側の「理解ありすぎる態度」にあるように見えたよ。

 

私は男だし、歳もいっているので、

やっぱり、子供のころの夢をあきらめたキツネの側に

感情移入やすいのもあるのかも。

 

それだけに、

ウサギに裏切られた後にもう一度失意の底から立ち直って、

ウサギや人や夢を信じようとするキツネの話が見たかったな。

キツネの話が薄かった点だけ、ズートピアは残念だった。

(あと、子ぎつねをもっとたかった。子供時代カワイイ

・追記

> 夢だった警察やめてるし、許すだけの時間が経過した、と解釈しているよ!

そうですね。

実際には、結構時間が経っているのですよね。一旦、地元に帰ってますし。

時間が経って、(ウサギ生活場所も移って)

ふたりとも心の整理ができたんですね。

2016-06-19

ゼルダ新作のプレイ動画を観て

ゼルダ新作のプレイ動画を観た。

動画を観る限りではリンクゴブリンを殺しまくっていた。

そのゴブリンはそれなりの文化レベルを築いていそうだ。

これだけ観ると、リンクゴブリン一族を襲って殺しまくる殺戮者にしか見えなくて、感情移入できる気がしないんだよなぁ。

モンスターハンター最初チュートリアル無抵抗草食動物を殺すことに抵抗を感じたのと似ている。

この感覚自分だけだろうか?

2016-06-17

[]

白鳥異伝を読んだ。久しぶりの読書。読みきった充実感はあるけど、荻原規子小説自分には合わないのかもしれないと思った。

少女主人公から仕方がないのかもしれないけど、白鳥異伝も少女小説っぽいなって感想を持った。生まれ持った使命や純真恋愛などもろもろもの要素を練り込んだ大作になっていたと思う。

空色勾玉よりかエンターテイメント性に指針を振っていてので読んでいて楽しかった。特に小倶那の出生および悲劇的な運命は読ませるものがあったと思う。本当に可哀想男の子だった。

一方の遠子なんだけどすごい癖のある人物で困った。最後の方は好きになれたけど、中盤は本当にきつい。菅流に指摘された通りの思い込みの激しい人物で、なおかつ直情的なもんだから本当に共感しづらかった。初めに少女小説的って言ったのはこの遠子の性格が原因。彼女感情移入できるならかなり楽しめる作品なんだと思うんだけど、自分には難しかった。

また遠子に限らず、登場人物が揃いも揃ってものすごく感情に忠実なもんだからわず突っ込みたくなった。激情に駆られても理性が勝って冷静な判断をする場面が、殊に遠子に至っては殆ど無かったんじゃないかと思う。何やってんだよと何度か思ってしまったし、またこうなるのかとうんざりすることも多かった。

また古代日本舞台にしたファンタジーから当然とはいえ、折に触れて運命やら定めやらのキーワードが出てくるのも辛かった。その運命なり定めなりにしても、内実をある程度明らかにしてくれていたらすんなりと読み込めるのだけれど、ぼんやりとぼやけたままある状況下に陥ったのはお前の運命なんだよみたいな流れが出てくるのでもやもやした。まあ運命やら定めって言葉はそのように使いのが普通なのかもしれないけれど。

これら二つの気になる箇所が所々で悪魔合体たかのような読書感を与えてくるもんだから閉口してしまった。もちろんそのように感じる方にも問題があるんだけど、なかなかに辛かった。二度目読むときはその時々の登場人物が抱いている本当の感情がわかっているから楽しめるような気がする。一度目は文章だけを頼りに頭空っぽにして読んではつらいと思う。いろいろ想像して書かれていな本当の気持まで読まないと楽しめない小説なのかも。

その他の人物について。菅流がとびきり良い人物だった。喧嘩っ早くておちゃらけてて尻が軽いのに、面倒見が良くて優しい菅流は遠子と小倶那のいいお兄さんになっていた。七掬や武彦みたいな年長者たちは相変わらずどっしりと構えていて頼りがいがあった。

結局この物語大王が糞なのと、百襲姫が狂ってたのが元凶だったのかなあ。妄執というものは何に対してであれ恐ろしいものだと思った。

二巻三部に渡る物語で、それぞれガラリと話の感触が変わるけれど、一貫したエピソードでもって引っ張っていく小説だった。今度は薄紅天女を読む。

2016-06-06

アニメとか映画の中で、急にインフレが爆発するのが苦手

商業的でなければ成り立たないというのは仕方ないとした上で書く。

でも、やっぱりどうしても苦手なのだ

開始直後のつかみってすごく大切だと思う。

何も知らない人間に、丁寧に、でも冗長になることなく、それでいて大胆に物語を伝える必要があるから

多少はえげつないことをしてても(ビジュアル的にも描画的にも)許せる部分はある。

からつかみは多少派手なことをしたっていい。

好きな作品は、そこからしっかりと丁寧に作品を紡いでくれるやつ。

矛盾がないように、それでいてジレンマが生まれるように、じっくりと考えながらゆっくり感情移入していけるような構成が大好きだ。

その完成度が高いほど、で、最後はどうなる?残りの時間だけでどうやって物語を完結させるんだ!?っていう緊張感がたまらなくなる。

そんな時一番許せないのは、せっかく丁寧に紡いできた物語を外側からインフレ崩壊させて解決してしまう瞬間だよ!

別に作品名さないけどさ、今まで手持ちの武器でせっせと戦ってたのに突然失われた文明が目覚めてしまって地球を引きで映しながら宇宙まで爆風が伸びちゃうような瞬間だよ!

縛られていたルールから開放される爽快感否定しないよ

所属していたものスケールが大きくなった時の自己肯定感否定しない

でもさ、それをされるとすごく惨めになるんだ

だってバカにしてるだろ

自分たちが生きてる価値観なんて、外の価値観から見たらゴミみたいなんだってことじゃないか

もうイフレを爆発させるのはやめて

大体ほむらちゃんはいつの間にあれだけの兵器をそこら中に仕込むことができたんだってばよ

お願いだから同じ目線のまま物語を終わらせてくれませんか。

2016-06-04

ガルパンを観た

http://anond.hatelabo.jp/20160604210038

劇場版をリバイバルで観てあまり面白くなくてちょっとびっくりした…。見所があまりにもない。

公開時にマッドマックスFRに例えてる奴とかいたけど共通点アクションシーンが多いことだけじゃん…。FRみたいな重層的な優良作と並べるとかさすがに失礼過ぎるだろ。

せめてアクションレイアウトがいいとかビジュアル面だけでも見所があるかと期待したけど、それもなし。ガルパンはいいぞって本当にそれしか褒めようがないからこその言葉だったんだな…と思ってしまったよ。

出来がいいから、とかじゃなくて「売れたから売れた」作品なんだなあとつくづく。

まずストーリーが酷すぎるんだが、これはつっこむ価値すらないっぽいので置いておく。キャラ描写はなく記号性でしか成り立ってなくて魅力的に見えない。

何より驚いたのが、劇場作品とは思えないほどしょぼい作画。始まった瞬間からしかも新キャラの顔が歪んでて、以降も大抵ワンシーンのうち誰かの顔が崩れてた。こんなんで誰から文句出ないの?

画面も全体的に立体感がなくて動きも美術も安い。背動用の3Dも無理にコマ落としたせいでガクガクの動きしてるところばかりで、なんで金払ってこんなもん見なきゃいけないんだと。

肝心の戦車も構図ユル過ぎだし動きはチャカチャカと軽すぎだし、戦闘に緩急がないので平板でダラダラ長いだけ。自慢の戦車戦がこれ?ってレベル

戦闘も行き当たりばったりにしか見えないんだけど戦略とかあったの?それっぽい解説してる人もいるけど場当たり的な戦闘ばかりで、演出全然表現できてないじゃん。これを褒めてる人って他にアクション映画を観たことないのか?

話は置いといても作品のウリの女の子戦車部分がこんな有様。これでファンが喜べてるっていうのが信じられなかった。こんなものを褒めなきゃいけない界隈って奴隷かなんかなの?少しでも批判したら死ぬの?本音が言えない中学生LINEグループか?

作品の質が悪かろうが興業でいい成績残すって海猿とか恋空とかのクソ邦画ランキングしまくる構造と全く同じだよね。

こだわるべき部分すらお粗末なものが売れてしまうと以降の作品の質もどんどん悪くなっていくと思んだけど、マニアオタクと言われる層がこんなので喜んでるんだからそら邦画も衰退するしアニメももうそろそろダメなんだなと思って悲しくなった。

追記

ブコメ

キャラ作画の話もしてますアニメ文脈としても見てるつもりです

・ちなみにTVシリーズは観てます これも好きではありませんが

ブコメ感想リンクを見ましたが何も言っていない文章だなと思いました

・どこが的外れなのかを指摘してもらえたらうれしいです

悪口が多いのはそういう感想だったからです。よかったところもありますが、悪いところと被ってる印象です。ジェットコースター上のチームの俯瞰はい映像だったのにカットが短く、面白さが生まれる前に途切れるのが惜しいと思いました。逆に張りぼてはテンドンし過ぎてつまらなく感じました。戦闘に緩急がないというのはこういう部分にも感じた印象です。フィンランド戦車?は素直に面白かったです。能登は好きです

作品面白くなかった理由を考えたら上記の内容になったのであって劇パトと単純に比べたわけではないです

大衆娯楽というのは本来ストーリー比重が置かれるものでは

市街戦?での主観貧乏ゲームみたいで本当にひどかったと思いますTV版の方が主観による没入感はうまくつかっていた印象です

FRガルパンのどちらが好きかなんて個人の嗜好ですが客観的な完成度ならFRです

ジャッキーチェンは行動の動機付けと観客の感情コントロールを丁寧に重ねているからすごいんです

・そういえば音に関してはデカスピーカーで鳴ってる音くらいにしか感じませんでしたが、これは劇場設備がよくなかったっぽいのと、自分の耳がもともとよくないので触れなかったです

・送りたいところには届いたかもしれないけどきちんと評価はされてないという話です

・いろいろな反応をみて疑問なんですがBDだと作画直されてるんでしょうか。キャラデとかじゃなく普通に顔崩れてるカットだらけだったんですけど

トラバ

ファンの人がなんの批判もなく手放しで最高だとか熱いとかスポ根だとか、FR並だとかフューリーよりいいなどと放言するのは本当によくないと思います心配になります

・もちろんただリアルを追求すればいいとは思ってないです。人物キャラに寄せるのは賛成ですがそれがあのチャカチャカなら失敗していると思います戦車リアルモデリング?と軽い動きがあっていなくて逆に張子に見えるのでいかがなものかという感じです。手間はかかるだろうけど演出にあわせてもっと戦車モデルや動きをキャラっぽく可愛くするとかそういう工夫はして欲しかったと思います

普通に劇パトが好きです。戦車映画ではレッドアフガンパットン大戦車軍団が好きです

FRはそのベタな話を成立させるために大量の設定を詰め込んでいると思いますが、ガルパンストーリーメガネ一人の気分で進行されるようにしか見えなかったです

・競技?

2ch晒しは怖い

・恐る恐るみて大半はごもっともと思いながらも、作画が悪くないという人がいてなんじゃそらとは思った

・支持されてる理由だと思ってた女の子戦車レベルが低いのでこれはいかがなものかと思ったです。ただ艦これのように本編より二次的な楽しみ方が強いのかとも感じます

・真に迫れよ!

演出に合わせて戦車キャラっぽくうんぬんは例えのひとつです。面白くなるならリアル一辺倒でも構いませんが、それよりはキャラに寄せた方が作品とは合っていると思います

・確かにFRとき自分の主張のために都合よく作品解釈を扱う人が大勢いて辟易してこっち来るなと思いました。ただ、FRが好きだから擁護するわけではないですが、もともと映画動画movieなわけで、優れたアクション映画というのはそれだけで映画史的に事件になり得るのでそこのところはちょっと事情が違います。また、そのFRの売上がガルパンに負けたのは凄まじい敗北だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20160605135117

女の子とか戦車とかは好きだし作品の評判もよくてリバイバルまでしてたから、もしかして劇場版面白いのかと思って観に行きました。完全にミーハーです。劇場アニメ100%ファン向けという理屈はわかりません。また、別に言い訳じゃありませんが、正直にいうとそもそも作品を誇大に喧伝していたのはガルパンファンじゃないのとは思うです

■20160604234004

http://anond.hatelabo.jp/20160605211214

・構図のユルさは簡単に例を上げれば、固定の俯瞰で移動する戦車を見せるところです。他にも奥行きを活かせていない構図など緊張感のないものが多いことを指しています

・何も実際の戦車の動きをそのまま見せろと言っていません。演出がヘボと言ってます

・行き当たりばったりの攻撃回避ばかりで、戦闘における展開の緩急が乏しいです。例えば最終戦ではインパクトのあるものを序中盤に見せたため以降の印象が薄れていると思います

・何かでみた、ガルパン戦闘他人プレイするゲームを横で見ているようなつまらなさという評はしっくりきました

まどマギを観た

http://anond.hatelabo.jp/20160606125236

・改変はやめろ。俺に効く

・改変するってことは自分文章同意しないんでしょうけど、本当にあのストーリーとか作画が平均より悪いと思わないんでしょうか。あの戦車戦で満足なんでしょうか

自分文章ってそんなに雑で無内容なのか…新キャラ登場時の顔の作画とか具体的なものも入れたつもりでしたが

http://anond.hatelabo.jp/20160607111745

・素直に実写と比べたつもりはないです。戦車が出てくるものならナウシカとか劇パト2とか、殺陣がありならガンダムとか、大変つまらないチョイスになります普通にアクションの見せ方が優れてると思います

ジェットコースター上の戦闘的なもので言えばラピュタとかこれまたつまらない上に正確じゃない比較もあります

ガルパンにおける戦闘は、丘をとれば有利なのになぜか敵がいなくて怪しいけどとりあえず行っちゃえ で案の定やられるみたいな展開が連続する印象で、作戦意味も薄くなり、観ていてうんざりしました

・アップでは重量感ある見せ方なのにロングではプラモデルのように軽い動きになるなどの演出の差も観ていてどうかと思います

パースをつければ迫力が出ると言わんばかりのダメ画角や、ロングのカットでは奥行きが間伸びしたものばかりなのも緊張感がなくイライラしま

・歪んでるは変な表現だったかもしれませんが、普通にデッサンが崩れてるということです。他人のしかも高評価ブログで失礼かと思いますが、このページの下の方の顔作画とかわかりやすいです

ttp://reviewotaku.blog.fc2.com/blog-entry-1359.html

直リン回避って意味あるのかな?わかんないけど一応念の為

・奥の目が小さかったり立体感おかしかったり、単純に顔や身体のバランスが崩れてる絵が散見されます劇場でこれを見せられ続けるのは正直苦しいです

http://anond.hatelabo.jp/20160607192341

・もちろん、これよりレベルの低い作品もあるでしょうがこれほど売れた作品は少ないですし、そこを問題に思います

・これが例えば戦車ではなくロボットアニメ劇場版だと考えた場合、このレベルストーリー作画、ぎこちない3D演出、行き当たりばったりの戦闘などでは、批判もっと増えると思います

ロボット戦車に変えるだけで批判が減るならこれほど簡単なことはなく、極論ですがそうやって自浄作用が働かず泥沼化しかけているのではと思うととても暗い気持ちになりました

・もちろん褒めるべきところはあるしファンが最高に楽しんだのはいいことだと思いますが、客観的批判はされるべきだとも強く思っています

自分批判客観的だとは思いません

ガルパンが良かったこと

http://anond.hatelabo.jp/20160611073946

・もしかしたら王道・基本の意味自分と違う捉え方をしている気がしました。自分は娯楽作品としての基本、つまり大勢の観客の視聴に耐え得るストーリーのしっかりした手の込んだ作品を考えていますTVアニメ劇場版はいえ、最低限のストーリーの質を要求するのもこの点からです

・他の続編商法といわれる劇場アニメを観ていないので正確な比較はできませんが、ストーリーの酷さやエピソードの薄さなど、ガルパンはそういった王道基本的な部分に気を使えていないことも気にしています

・ただ、Twitterなどを見た個人的感想ですが、ガルパン艦これに近い受け入れられ方をしている印象を受けました。ガワだけを用意し、観客は本編の物語より二次創作的なキャラクターや背景・関係性を膨らませる楽しみ方です。確かにガルパン戦闘艦これとは比べものにならないですし、こういった楽しみ方をするなら作中のドラマエピソード希薄な方が受け手想像やすいと思います。もちろんこれらはただの自分の印象とその感想です

・また、そのガワの出来がよくないことを今まで批判してきましたが、ただ艦これゲームの出来はよくないしイラスト玉石混交ですので、もしかしてこれくらいのバランスの方がいいのか…?大量の新キャラ投入も疑問だったのですが、それなら納得がいく気はしま

・これって昔大塚英志の言ってたビックリマン的な大きな物語的なこと???

http://anond.hatelabo.jp/20160612095429

ガルパンファン比較されたマッドマックスFRはそれができていたということを元増田に書いていました

・しっかりしたストーリーというのは説得力があるという意味です。そのためにエピソードや設定の作り込みが必要です

・8割が銃撃戦や格闘の映画が好きなのですが、基本的ストーリーは出来ています。あまり売れてはいないと思います

アクション映画感情移入重要なため、この辺りはしっかりやることが当然の作業です

劇場版ファンでない人もお金を払って観る可能性がある以上、特殊だろうとファンサービス作品だろうと他の一般映画と同じ批判に晒されるのは前提条件ではないでしょうか。自分もこれがTV特番だったらあの増田は書かなかったと思います

・また、自分ファンなら雑な新作ストーリーを観せられるよりも、序盤のように新旧キャラトーナメント戦とか総集編に新規カットとかの方が嬉しいだろうと思います。もちろん、面白い新作なら言うことはないのですが。面白くないストーリーなら批判すればいいと思います

ファンサービスの例のうちイツワリノウタヒメあの花は観ていますが完全新作ではないし、総集編形式はご新規さんに向けても作られる印象なのでファンサービスとうまく結びつきません

・また、繰り返しで入り組んで申し訳ありませんが、ストーリーなどの基本を置いてもウリの部分のクオリティに疑問を持った、というのが元増田でした。口調がアレですが、ファンならもっとクオリティにこだわるべきだという内容です

劇場版は観ていませんが、例に出てきたラブライブCGクオリティを褒めている人って少数派で、大多数のファン批判的だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20160613215711

ネットではなく紙から情報を得ることを学んだ方がいいのではないかと思いました

トピシュさんのブログを読んで思った事

ドラえもん図書館戦争だけの家庭と、3歳までに1万冊の絵本読み聞かせする家庭

http://topisyu.hatenablog.com/entry/how_to_use_library

ドラえもんは、言っちゃえば、勉強運動もできないのび太によるドラえもんを使った一発逆転ストーリー(とその甥っ子が受け止めている可能性はある)。ドラえもんばかり読んでいることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。甥っ子は学校いじめられていないかとか、勉強ができなくてコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。



なんかずーっと考えてしま文章だ。

まず、トピシュの言う通りドラえもんを読む「理由」を考えるのは、思考実験として面白いと思う。

ただ、そんなの本人との対話無しには、冗談抜きに無限に近い可能性が考えられる。

キャラの絵が好きだから画集感覚で見てる。

しずちゃんの裸が見られるからエロ本代わりに見てる。

ジャイアン感情移入して、理不尽暴力を振るう様に憧れている。

スネ夫感情移入して、色々買ってもらえる裕福さに憧れている。

ドラえもん感情移入して、他人に力を貸せるような技術や力に憧れている。

ガチャマニアで、目を皿にして、ガチャ子が出ているシーンを探している。

実は祖父安孫子で、その祖父世界で一番面白い漫画だよ、と紹介されたから心酔している。

実は前世トキワ荘の座敷童で、あの頃自分が見守っていた若者達の行く末に思いを馳せている。

実は正真正銘のタイムトラベラーでもうすでに自分の居た時間軸では焚書され失われたドラえもんが読めるということがただただ嬉しい。

いやもう、滑稽無糖な理由も含めて、山ほど思いつけるんですよね。

で、これらの理由とトピシュさんの言う

ドラえもんは、言っちゃえば、勉強運動もできないのび太によるドラえもんを使った一発逆転ストーリー(とその甥っ子が受け止めている可能性はある)。

って、そこまで大差のある意見ではないと思っている。

極論だけど、僕が上げた滑稽無糖な理由可能性が”ない”なんてことはないよね、しかもこれは甥っ子の脳内問題なのだから事実としてタイムトラベルできない事とか、事実として座敷童がこの世の中に居ないこととは、これらの可能性が”ない”理由にはならない。

しろ魔女裁判ガチでやるのが人類だし、狐憑きガチでいたのが人類なんだから、甥っ子の頭の中は自由なんだと思う。

要するに「先入観」をどこまで持っていいのか? みたいな話になるのかなあ。

これはもうインターネットリアルタイム発言のやり取りが出来るわけじゃない人らしい発想でもあると思う。

全部を質問してやり取りしてたら日が暮れるから、ある程度はこちらで質問先読みして答えないといけないっていうね。


はいね、というわけで、大喜利始めます

ONE〜輝く季節へ〜は、言っちゃえば、勉強運動もできない折原によるえいえんのせかいを使った一発逆転ストーリー(とその甥っ子が受け止めている可能性はある)。ONE〜輝く季節へ〜ばかり読んでいることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。甥っ子は学校いじめられていないかとか、勉強ができなくてコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。


シノハユは、言っちゃえば、異性愛も近親愛もできないシノによる同性愛を使った一発逆転ストーリー(とその甥っ子が受け止めている可能性はある)。シノハユばかり読んでいることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。甥っ子は家庭で虐待されていないかとか、恋愛ができなくてコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。


クロスボーンガンダムゴーストは、言っちゃえば、ミネバのその先もニュータイプ論もできない長谷川によるサイキッカーを使った一発逆転ストーリー(とその甥っ子が受け止めている可能性はある)。クロスボーンガンダムゴーストばかり読んでいることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。甥っ子はサンライズからF91以降の時代押し付けられているとか、カトキハジメデザインコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。


アクシズ落としは、言っちゃえば、ララァ母親にすることも人類革新題目スペースノイドを引っ張ることもできないシャアによるアクシズを使った一発逆転ストーリー(とシャアが受け止めている可能性はある)。アクシズを落とすことばかり考えていることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。シャアはナナイとの関係がうまくいっていないとか、アムロの嫁のチェーンかベルトーチカコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。

トラフィックス3は、言っちゃえば、エストを自分のファティマにすることもジークのように国を統べることもできないヨーンによるアイシャを使った一発逆転ストーリー(とちゃあが受け止めている可能性はある)。デコースを倒すことばかり考えていることを心配するより、そういうストーリーを心が求めている背景に焦点を当ててみるとまた違った展開もあったかなという気はします。ちゃあは桜子との関係がうまくいっていないとか、姉のアイシャコンプレックスを感じているんじゃないかとかですね。

北海道男児置き去り事件で気づいたこ

私は都内会社員である

友人もいる 恋人は今いないが3度いたことある

一人で過ごすのが好きなたちだ

掲題の事件で私が最も驚いたことは、周りの人がとてもこの事件男の子のことを

心配していることだ

見つかって「よかった 本当によかった」

コメントしていることだ

私は勘違いしていた

私の職場の人がこのニュースに関心を示していたのは、彼が愛情いからだと

思っていた

「いやー見つかって本当によかったですよ 気になってたんです

今朝のニュースでは見つかってなくて、さっきヤホーニュース

知ったんです ほんと良かったな」

どうやら関心を示していたのは彼だけではないらしい

ブコメを読んでも、憶測が外れた奴らにマウンティングしたいとか、親が毒親だとかそういうコメントも見かけたが

やはり多くの人が子男児が見つかったことに安堵していた

事の成り行きに喜んでいた

まりあれか

おかしいのは私か

・ ・ ・

最近ケッチャムの小説を読み終えた

STRANGLEHOLD というやつだ

彼の作品にはクソな人間が沢山出てくる

子供虐待することを屁でもないと思っている奴らだ

私はこのニュース最初聞いて思ったのは

そういう親

虐待するような親だったのかなということだ

よくある話だ

小町でもそういうネタが多い

「あー そういう毒親か あるある

そう思った

続報が出ても、その思いは変わらなかった

その男児について、興味はわかなかった

そんな事件はありふれている

虐待はありふれている

あるある

逆に

なぜ 周りの人は興味がもてるんだろうか

私はその男児のことを知らない 今回のニュースで初めて

その姿を目にしたのだ

なぜ見知らぬ人に感情移入できるのだろう

その男児は、自分にとって、テキスト上の

男児」にしか映らなかった

感情移入 共感の力の差を感じる

人との距離を感じる

自分アスペルガーだと思っていなかったが

その傾向があるのかもしれない


異常なのは自分

2016-05-26

ネットフィクションの内容が批判されていると、すぐに「自分たち現実フィクション区別くらいつけられます」て反発が湧くし、自分もそうあろうとはしているんだけど、

最近読んだある作品は、なんていうか作者本人が現実フィクションを分けられていない感じで、考えてしまった。

登場人物台詞が、まんま作者の思想で主張で、受け手押し付けてるだけじゃないかって。よくあることだけど。

それ読んでると、どうやら作者は本気で、その作品メッセージ性で受け手の何かを変えられると信じてるんじゃないかって感じた。

現実に影響を与えることを目的にしたフィクションというのが存在するのなら、「現実フィクション区別」を本当につけなければいけないのは誰なんだろう。

なりすましデマ風評被害や、創作実話なんかも現実に影響を与えるためのフィクションと言えるし。

作者が「これはただのフィクションで作り話ですよ」って前置きしても、キャラ物語感情移入してしまったファンが、「夢を壊すな」とそれを受け入れないこともあるし。

自分たち現実フィクション区別くらいつけられます」て言うのは簡単だけど、現実はそんな簡単じゃない気がしてきた。

昔好きだったゲームシナリオライターが、たまたまSNSで「自分作品には政治的思想を込めたから、その影響を受けた若者は間違った政治思想には染まらないはず」みたいなことを言ってるのを見て、自分はショックを受けた。

まあ、自分はべつにそいつ意図通りにはならなかったんだけど、まんまとそいつ意図通りに政治的信条まで左右されちまったユーザーはいるのかな?

政治的なことじゃなくても、なんかやたら自分作品バカ若者説教したがる作者ってのもいるし。みんな本当に「現実フィクションは別物」って信じてるのかな?

2016-05-24

[]テッド・チャンあなたの人生の物語」その2

あなたの人生の物語

満を持しての表題作

異星人とコミュニケーションするために言語学者の女性がいろんなアプローチを試みる中で、ところどころに女性の娘へ話しかけるような描写が入る

一見何の関係もないように見えるのに、最後最後でその構成意味がわかったときめっちゃ感動して鳥肌たった

SFお話としてのオチがすごく綺麗につながってて、しかもそれが読みやすさにも寄与する構成になっているという、何重にも考え尽くされた構成

脱帽どころか頭蓋骨外して脳みそ取り出すレベルで恐れいった

どーゆーことかっつーと、娘へ語りかける描写言語解析アプローチフェーズ→の繰り返しなんだけど、言語解析のところはぶっちゃけ読んでて結構きついのよ

からないわけじゃないけど(ここもテッド・チャンのすごいところ。自己満じゃなくて、読者にわかレベルで丁寧に書いてくれる。この話にかぎらず)、

細かすぎて疲れるっつーか、ずっとこの調子で書かれるとちょっとうんざりするなあという感じ

それが娘への語りかけ(これも平易だけど細かいディテールに凝った、感情移入やす描写)がはさまることで、かなり緩和されてるのよ

そんでその構成も、ただの読みやすさのためだけじゃなくて、ちゃんと意味があるの

それが最後最後で明らかになるのよ

もうファーーーーーーーwwwwwwww

ッて感じとうっわまじかよ・・・って感じで思わず本を置いてしまった

SF作家じゃなくて言語学者が書いたのかとばかりに凝りに凝ったディテールの、異星人の言語解析描写は、ほんとやばい

子育てエッセイかな?というくらいの子育てフェーズやばい

全部やばい

いまんとこ面白さは、

あなたの人生の物語>=理解バビロンの塔>ゼロで割る

かな

マジすげえ

もっと早く読んどくんだった

星を継ぐものとか夏への扉なんかより、こっちを先に読むべきんだった

お話としての面白さ・エンタメ性がないとSF小説」と名乗る資格はないと思ってる自分が、まさに求めているものだった

自分が求めていたものテッド・チャンだったんだ

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん