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はてなキーワード: 感情移入とは

2016-09-09

どこにでもいる地味な人間主人公っていう図自体感情移入のし易さを優先した王道設定としか思わないな

家族愛恋愛モノをテーマにした邦画少女漫画を見て

「泣いた。家族恋人を大切にしようと思った」

と仲間同士で前向きに話してる女子高生リア充カップル自己投影スイーツの私スゴイアピールノロケと叩き

アニメゲームスタッフキャラクター神聖視して宗教のように勧誘拡散するのが男女問わずキモヲタってイメージ

2016-09-08

ヒネたおっさんが「君の名は。」を見て感動した話。(ネタバレあり)

先日来各所で絶賛されているのを見て小馬鹿にするつもりで映画館に足を運んだ。

馬鹿にするつもりと言ったらなんだが、聞けば主人公高校生ラブストーリーらしい。良い歳のおっさん感情移入出来る気はしない。

己の高校時代のことを思い出してみても、当時好きだった子の事など遠い記憶の彼方であるし、今思えばあの頃の自分他人の事など本当には好きではなかった。ただ己の欲望と願望を他人にぶつけようと踠いていただけだ。大体の高校生はそんなものだろう。

そんな未成熟感情の発露を崇高なもののように扱われて感情移入出来るわけがない。

実際に鑑賞した感想としても、主人公の瀧くんとヒロインの三葉ちゃんがお互いをなぜ好きになるのかさっぱり理解できなかったし、そもそも二人のパーソナリティもあまり掴めないままだった。喧嘩っ早い、都会に憧れているなど、所謂どこにでもいそうな少年少女と言う程度の描写を逸脱するようなものは皆無。そんな二人がファンタジックな要素による出会いと別れを経て、ずっと想い続けていた、しか記憶もおぼろげな名前も忘れてしまった相手に五年も経ってから再会を果たすと言う展開になるのだが、高校生時代の好いた惚れたを五年も引き摺る人の気持ちは正直さっぱりである。あと主人公が序盤密かに想いを寄せていたイケてる(死後の世界)お姉さんのイケっぷりも非常に幼稚に思えた。これ見よがしに婚約指輪をチラ見せさせながら「貴方幸せになりなさいよ」とか就活中のガキに言い出す女、「アイタタタタタ」。

とまあ、実にこんな具合だったのだが、しかし凄く感動させられた。何故か?

主人公たちの相手への想いが茫洋として定かではなく、別れねばならぬ理由も状況に由来するもので、しかし逢いたいという気持ちだけは残っており、ついに巡り会える。この構造により見ている俺は己の人生於いて別れてしまったがしかし逢いたい気持ちの残っている誰かのことを想起させられてしまった、この映画を見て感動している人の多くは似たような感覚があるのではなかろうか?瀧くんも三葉ちゃんも感情移入やすキャラではない、実際俺は先述のように全く感情移入していない。だがこの作品重要モチーフになっている組紐が表している"縁"というものは、つまり出会いと別れの結びは、誰もが心に抱えているもので、おっさんおばさんこそ特に思い当たる節がある類の事柄だと思う。

まり今作は中年向け映画だということを主張したい。

まりフィクションを見ている時に自分体験が想起させられることはない、飽くまでフィクションとして、作者の狙いや他の物事と照らし合わせてその作品が持つ意味を読解するのが常だが、今作では見事にしてやられてしまった。

これは作り手の狙い通りなのだろうか?

2016-09-06

浜崎あゆみトレンディエンジェル

の対談がLINELIVEでやっていたので観た。

よく考えたらあゆがこんなに長い時間喋ってるのを初めて観る。

んで観てたらあゆ斎藤恋人並みの対応をしていて驚いた。つまらないギャグでも大声で笑ってあげる、あーんしてあげる、自宅にカレーを作りに行く約束をする、下の名前で呼んであげる、等々。

あれで惚れない男は居ないだろう。視聴者斎藤感情移入してニヤニヤしていたに違いない。斎藤も終始デレデレで何にもできていなかった。

歌詞から想像していたイメージとかなり乖離していたので驚いた。こんなに恋愛肉食女子的な感じだったとは。

んでその後GACKTとの対談をニコ生でやっているのを見たら、今度は浜崎あゆみの方が終始デレデレで、すさまじいヒエラルキーだな、と思った。

2016-09-03

感動ポルノに感動できる人と嫌悪する人の差

直観だけど、共感羞恥共感羞恥)を感じる人は嫌悪派だったりしないか

怒り新党】『共感羞恥』というあの現象→分かる分からないで盛り上がる人々「ツイッター民に多い気がするのはなぜだ」

http://togetter.com/li/1016242

要は「相手気持ちになって考えちゃう人」とか「感情移入し過ぎて考えすぎる奴」なんだけど

自分脳内相手障害者側・その親族番組側)のシャドーを作ってしまって、その気持ち無駄に察して「うわぁ」ってなるんだよね

ゲッペルドンガーなんかもそんな感じ

http://i.imgur.com/SKBW89c.jpg

こういう人は、ペットショップの中で狭いケージに入れられている動物なんか見ても辛くなるタイプ

面白いのが「とても共感はするけど、素直に受け止めるタイプ」も居て、こっちは感動派だと思う

感動派は相手体験自分事のように置き換えて考えるんじゃないか

誰かが頑張ってると、応援されたような気持ちになるし、応援されると頑張れる

俺なんかはスポーツ応援をする時に、ゲッペルさんと、周囲の人と、応援される側と、対戦相手シャドー脳内でゴチャゴチャ言ってくるから、素直に「頑張れ」とか言えない

応援ソングとかはその点いいよね)

ちなみに感動派の人は嫌悪派のことを全然理解できないと思うが

嫌悪派も感動派のことを「この人は本当は嫌がってるに違いない」なんて傲慢に決めつけてる節がある

そして全部理解した達観野郎は「本人が良いって言ってるならいいだろ」とか言い始める

あと蛇足だけど

嫌悪派は登場人物の行動と心理が不一致な点が面白い作品とか好きなんじゃないか

感動派は複雑な不一致とかよりも、分かりやすい方が好きそう

ツンデレで言えば、前者がツン:デレ=9:1 後者がツン:デレ=5:5

___

さら蛇足だけど

テレビで、ストレスについての動物実験を見て

A:猿が自分ケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス

B:猿が、隣の猿のケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス

を測ったらBの方が長くストレス下に置かれるみたいな内容だった

まり猿は、相手の猿の気持ちになって強いストレスを受けたことになるわけで

大分本能に近い脳の機能なんだよね

と同時に、感動ポルノが感動と一緒に、いかストレスをばら撒いてるかもわかると思う

2016-09-02

君の名は。見てきた

君の名は。見た。

ネタバレはないとおもうですよ。

結論から言うと、見ても見なくてもいい映画だった。毒にも薬にもならないかんじ。

あと個人的には「恋愛映画としては共感できる(感情移入する)フェーズが足りなくて、エンタメ映画としては盛り上がりがいまひとつ足りない」という印象。おびにみじかしたすきになんちゃら。

時かけとかの他の青春エンタメに比べて力強さがないというか、薄い気がする。スパートかけるところで妙にサラーッとしてる。もっと焦らせたりドキドキさせたりして欲しいところで綺麗な映像です〜美しいやろ〜って感じになるから拍子抜け。

Yahoo!映画評価4.6と高いし、友人におすすめされたので見てみたけど、正直真新しさはなかった。

相変わらず美しい背景(パワーアップしてる)と心象映像?はものすごくて結構楽しめるけど、夢中になったりワクワクドキドキする感じはほぼない。若い子ががんばってんなーって感想になる。

あんまり映画見てない人や中高生なら十分楽しめるだろうなーというのもわかる。でも残念ながらこのパターンなんべんも見てるから、うまく乗せてくれないと乗れないんだよアラサーは…。予告編見たときから大体の展開は読めているんだよ…。

ピクサーの、展開がある程度わかっていてもうまく乗せてくれる上、テーマ性も毎度バッチリ脚本演出は凄まじいものがあるなと再確認。あとシンゴジラはそうきたか!って切り口の新しさやパワーがあってワクワクした。

なんで君の名は。あん評価高いんだろ?3/5点くらいでは…。おもしろいけどそれなりの恋愛映画、それなりのエンタメ映画といった雰囲気でした。迷ってる人はBD待ちでいいんじゃないかな…大画面で素晴らしい美術動画が見たい人は行ったほうがよいと思うけど。

生々しく心を動かされたい!って人にとっては微妙なんじゃないかなー。

2016-09-01

ゴジラ見て悲しくなった

あの映画さぁ、出てくる人がみんなエリートじゃん

はぐれものとか鼻つまみ者って言われても官僚だったり大学准教授だったりするわけだろ?

こういう人が国を動かしてるんだなー、自分には手が届かない世界だなーって思っちゃうんだよね、感情移入の前に

せいぜい自分なんてゴジラが来たら逃げ遅れて死ぬくらいしか役割ないわ

http://anond.hatelabo.jp/20160901162758

わかる。

お前とはもう少し深い話がしたい。

二次元百合エッチ別になんでもいい。穂乃果と真姫ちゃんとか)を見ながらオナニーしている時、

自分立ち位置はどこなんだろうなって思う。そこにはまったく感情移入が無い。

感情移入自分と置き換えられる男の存在)は必須ではないのかもしれない。

あるいは、俺は真姫ちゃんになっているのだろうか。

うーむ。

元ネタ知らずにたのしめる薄い本って実はすごく貴重だったんだなと気づいた

好きな作家が俺の知らない(興味ない)アニメのウスイホン書いてたから読んでみたけど、まったく興奮しなかったんだよ

絵は自分の好きな作家の絵柄なのに

俺にとっては感情移入度がかなり大きい

客観的に見てすごく絵がうまくてエロくても、どっかの知らん誰かがセックスしてるだけに見えて、なんか入り込めない

AVに似てる

二次元だけで抜くようになってだいぶたつけど、AV見たらそんな感じになる

完全に自分とは関係ないとこでパコパコやってるだけみたいな

伝わるかな―

http://anond.hatelabo.jp/20160901094133

気付いてしまった?

あの人は、人を弱らせたり殺したりすることでしか感動させられない。

それなりに登場して感情移入した人が病気になったり死んだりすれば、そりゃ誰だってじんとするさ。

春が来てずっと春ならそりゃいいさ。

30歳にもなれば、身近で悲しい出来事もいっぱい出て来る。

二次元でそういうのが要らなくなったのだろう。俺はそうだ。

二次元ではせめて明るく楽しい感動がほしい。だーまえは要らない。

だーまえが楽しめなくなった自分が悲しい

はじめてエロゲやった次がAIRだったか最初は大好きだった

中3だった

インストールしたはいいけど、

当時よくあるCDDAによるBGM再生CD持ってなかったらBGMがでなかった

それでも面白かった

Kanon大人になったら絶対やる!って思ってたけど、高校在学中に友達が持ってたから借りてプレイした

AIRほどのインパクトはなかったけど面白かった

タイトル画面から一気に心をぎゅーっと持ってかれる朝影好きだった

大学ではAIRの完全版が出たから買って初めて音楽付きでやった

最初プレイより別に感動しなかった

音がなかったからこその感動・若い時の体験の鮮烈さのほうが大きかったんだろう

それからクラナドを借りてプレイした

だいたいは楽しめたけど、長すぎてちょっとしんどかったのと、最後グランドエンディングっていうんかね、あれで子どものともやが父親と手を繋いでる一枚絵の感動がやばい!!!ってのが世の感想の大半を占めてたけど、自分はまったく感動できなかった

唐突に感じられて、は?としか思えなかった

ちゃんと感情移入してプレイしてればそうはならなかったのかもだけど

そこから

世間一般鍵っ子感覚がズレてきたのは

その後リトバス買ってプレイしたけど、徹頭徹尾まったく合わなかった

薄ら寒いギャグだーまえ野球ネタおしつけ、友達グループ馴れ合い・・・

とってつけたようなネタばらしと感動の押し付け

もう自分だーまえ卒業していた

少しセルフ擁護するなら、リトバス普通恋愛ゲー、ハーレムゲーというよりかは同性の友達多数がいるってのもでかかった気がする

kanonnairクラなどはなんだかんだで同性ほとんどいなかったし、東鳩から始まる親友一人だけ、もしくは同性ゼロとかもザラだったし

こんなゲームをやる人間にとってリトバスはまぶしすぎただけなのかもしれない

そんでリトバスの頃には、それを楽しむオタクライト化・リア充化してて、教室の隅っこで固まってるオタクグループしかプレイしないものではなくなっていたのかもしれない

まあそんなのはどうでもいい

年をとったせいか、他にもいろんなえろげーしたせいかラノベ深夜アニメをよく見るようになったせいか、とにかくだーまえ感性に合わなくなってしまった

AB!のアニメも一応全部みたけど、最初から最後までいまいちだった

おふざけとかギャグレベルがことごとく低く感じられてしまった

リライトプレイしていない

俺の中のだーまえKanonAIRクラナドで終わった

あ、智代アフターは一応やった

ラストラストトンデモな終わり方する以外は空気作品だった

でもこれをきっかけにマルマルアフターってのが一時期増えてた気がする

ああ語れば語るほど思いがあふれてくる

自分にとって大きな影響を与えてくれたのは確かだった

ただ世間ずれしてしまった自分はあまりも無邪気すぎる世界は受け付けなくなってしまった

one同棲MOONも、大学ときに買ったけど結局プレイしないまま終わってしまった

今やるエロゲーといえばたまに出るランスくらいだ

普通恋愛エロゲー深夜アニメラノベマンガ境界ほとんど無いに等しくなってしまった今では、

多くの著名なライター一般に行ってしまい、エロゲーというフォーマット以外で彼らの作品に触れることができるようになってしまった今では、

陵辱とか一部のジャンルのためにしか、わざわざエロゲーをやる意味がなくなってしまった

そして自分は陵辱とかはそんなに興味がない

30で独身なのにこんなこと書いてる場合じゃないのに俺何やってるんだろう

こんなんだからいつまでたってもダメ人間なのに

今はマンガばかり読んでる

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160831154158

元増田評価が変わらないのは、彗星軌道が気になっていないからだろ。

さなかったら、少なくとも彗星軌道が気になってる人の評価はその分下がるよ。

気になる人がごく少数だから作品評価に影響ないという人が多いだけで、例えば、劇中で1日30時間生活していたら「いやおかしいだろ」って皆思うよ。

全てを厳密に表現する必要はないけど、作品に影響でない範囲であれば、なるべくリアリティを持ったほうがより感情移入できるよねって話。

知性や知能のくだりはよくわからんが、「知識」は影響するだろう。気になる以前に気づくことができないからさ。

2016-08-29

けいおん三部作蛸壺屋)の感想

もう8月も終わるので、読書感想文として蛸壺先生同人を読み返したことを描いておこうと思う。

この作品が、蛸壺先生の他の同人と一線を画し普遍的な魅力を醸し出している原因は、そのテーマ設定にある。一言で言えば「オトナになるってつらい」ということ。唯の才能というものが全面に出ているけれども、私が心をえぐられたのはそこではなく、オトナになったけいおん部の面々がそれぞれの道を歩むということだ。

とあるごとに、このマンガは読み返してみるとハッとさせられる。以前は、未来が怖いと泣き叫ぶ澪に感情移入していたが今回は、必死に道を進むうちに踏み誤ってしまったあずにゃんに不本意な進路を選ばざる負えなかった自分を重ねてしまって...泣いた。

三流にふさわしい...おめでたい脳みそだな!

この言葉自分の心に突き刺さっている。

けいおん三部作は言うまでもなく、蛸壺先生最高傑作だ。というか、これからけいおん三部作を超える同人を作れないだろうと思うと哀しいが、いずれまた心の傷をエグって塩を塗りこむような作品を読めることを期待している。

君の名は。』と『シン・ゴジラ』を比較して

改めて気付くのは、映画リアリティには2種類あるということだ。

シン・ゴジラ』におけるリアリティは、ゴジラというフィクションを本当に存在するものかのように描くことだ。

そのために庵野監督官公庁に対する徹底した取材を行い、3時間映画匹敵する台詞量(情報量)を早口映画に織り込んだ。

他方、『君の名は。』が目指したのは、フィクションを徹底的にエモーションで押し切ることだ。

本作では中盤で大きな謎が明かされるのだが、それは主人公たちのこれまでの行動に大量の矛盾点を生じさせる。

また、問題解決策も、どうしてそうしたらそうなるの?という理屈はまったく科学的でない。結末も言ってしまえばご都合主義的だ。

しかし、本作では(少なくとも観ている最中は)これが気にならない。

主人公たちに感情移入した観客たちはジェットコースターのような感情の起伏に振り回され、こうした些細な点が気にならなくなるのだ。

マッドマックスを3回見て思った居場所のなさ

昨日、マッドマックスの3回目を見た。見たと言っても途中でやめてしまったが。

初回はどちらかというとブームが終わった頃に見た。

レビュー記事にはできるだけ目を通さないようにして、ほぼ自分感性だけを頼りに見たのだが正直な感想面白くなかった。

面白さがわからなかったと言ったほうが正しいだろう。

そのうちに今度はアカデミー賞を取った。

まり世界的に評価されたということだ。だからもう一度見た。

何か見落としているシーンやメッセージ性があるかもしれないと思ったからだ。

初回に見るよりも登場人物関係性や世界観理解できた。

初回では理解できなかった言わんとすることも少し見えてきた気はした。

ただ、それで尚更評価を落とした。

しかしそれ以降も絶賛の声は途絶えなかった。

マッドマックスといえば最高の映画。最高の映画といえばマッドマックス

なぜ自分がそれを理解できないのかが不思議で仕方なかった。

それで今回は、様々なレビュー解説にしっかりと目を通してから見ることにしてみた。

何がそんなに絶賛されているのか、分かった上で見たかたからだ。

演出の完成度や演技の素晴らしさを絶賛する記事が山のようにでてきた。

マッドマックスが完成された作品であることはよく分かったのだが、肝心の、なぜ最高なのかはあまり見つけることができなかった。

そうして3回目を見始めて思ったことは、作品内における居場所のなさだった。

登場人物は全員が狂っていて、それでいて全員が自分けが正気だと思っている。

大半の人間世界が狂っているからとそれを受け入れようとするが、その中でも飛び抜けて狂っているマックスとフェリオサが、狂った世界さらに狂った方法で抗おうというのがこの映画といっていいだろう。

マッドマックスの名の通り、全てが狂っているのだ。

では果たしてこれは虚構世界の話だけだろうか。

違う。マッドマックスはまさに世の中をそのままに写しただけの話だ。

現実でも世界は狂っているし人間も狂っている。その中で自分けが正気だと信じているのだ。

狂気こそが正気であるし、狂気の中にあれば正気こそが狂気なのだ

この理不尽狂気に囲まれているつらい現実必死正気を保とうとしている中で、なぜそんなものを娯楽映画の中から暗喩として発見しなくてはいけないのか。

登場人物の誰ひとりとして感情移入もできなければ、むしろ現実存在する狂気に置き換えて穏やかな傍観者としてもいられなかった。

この映画を娯楽として楽しめる行儀よく生きてきた人間にはわからないことかもしれない。

結論に至ることができてよかった。やはり狂っているのは世界のほうだったじゃないか

2016-08-25

AV見る時って誰視点

色々なAVを見て回っているんだけどなかなか自分好みの作品に当たらなくてなんでだろうって考えてたら他の人とは視点が違うんじゃないかという結論に達した次第。

それで気付いたのは、自分は挿入されている女優視点で見ているということ。

同性愛とか受け願望があるわけではなくて、女優気持ちよさに同調するような感じ。

証拠に、男優の声や息遣い不快しかないし、アナル開発をするつもりも一切ない。

かといって自分女優気持ちよくしているような気分になって興奮しているのとも違う。

あくま女優がどれほど気持ち良いのかを自分に置き換えて興奮している。

それで、いつも女優2人の3Pもの見てて思うのだけど、どうして挿入されていない側の女優男優を愛撫するのだろうと疑問だった。

そこで挿入されてる女優を愛撫したらもう頭のなかぐちゃぐちゃになるくらい気持ちいいんじゃね?って思うんだけど、そういうAVって実際ほとんど見たことがない。

AV男性のものからって、男優側に感情移入されるものとして作っているのかもしれないけどみんなそれを望んでるのかな。

男優目線視聴者目線、NTR目線いろいろあると思うけど、女優目線って変?

2016-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20160823143352

それで、なぜ

米軍を中心とした国連軍の飽和攻撃でも駄目だった!」

「ゴッジーラは…化け物か…いや…神…か…」

「我々はゴジラに対してなすすべがないのか…!?

オーマイゴ…オーマイ…」

日本!お前だけが頼りだ!」

「頼む!!」

「サムラァイ!」

GO!ヤシオリサクセン!」

って流れにできなかったというと

今の日本世界危機を救えるだけのイメージがあまりにも現実とかけ離れすぎてたから。

もうこの一点に尽きる。

昔のロボコップ3の敵役が日本産忍者ロボット時代ならまだしも

GDPアメリカのみならず中国にも負け、

国債は膨らみ年金問題も山積み雇用は増えず非正規の救済もなく移民を取らない代わりに国民全員が奴隷化していく斜陽の国。

日本もまだまだしてたもんじゃないなと傷の舐め合いでシックスセンスし合うような国力だと客観的判断してるから

なので今の日本人日本人世界を救ったなんてストーリーは到底受け入れられないし納得されない。

せいぜい板挟みされてこき使われて泥被らされてる中でストロー使って新鮮な空気を吸えましたくらいの落としどころじゃないと共感してもらえなかったってこと。

それが核使えば終わるだろうな=バンカーバスターでのダメージ有効描写、との東京なくなっちゃうらめえええ電車アタックストロー注入!ってオチ

空想ですらヒーローになれない国。

世界はちゃんと救う方法はあるけど自分たちが被る泥を減らすための努力しました、というだけの話。

電車アタックなんてこれがインドネシア中東に出てきて応用できるわけないじゃん。

完全に日本という特殊環境下でできた作戦

未来的にも救ったのはマジで日本だけなんだよな、これ。

から電車の無い田舎感情移入できないって日記があったんだよ。

冷却液なんてデータもらった国はどこでも思いつくわけだし。

日本世界を救った!って話を見せられると恥ずかしくと顔赤くなる国。まだまだ恥は捨てたもんじゃないな。

そんな国の状況と国民性によって不幸にも最後で捻じ曲げられた脚本

俺がシン・ゴジラで一番悲しかったのがこれ。

 

どこまでも自虐体質。

そのくせ変にプライドが高い。

まさにシン・ゴジラを持ち上げてる層の性格ターゲットにしてる。

庵野の得意分野だな。

なので冷えた目でしか見れない人はとことん違和感しか目に写らない。

 

最後の人間が出てきそうなのも本当にこの後無事ゴジラ解体できるのか?という日本人の詰めの甘さを臭わせるエンドにしか見えない。

何度もいうけど冷却後の対応について何も話されてないのがもうね。

考えるのがめんどくさくなった感がパない

http://anond.hatelabo.jp/20160823113750

ウルトラマンからの流れだろうけど動きがなんかちゃっちいんだよね。

軽いというか巨体が動いたら街がどうなっちゃうのぉん?!みたいな疑問の答えがなくて

ただノコノコ歩いてるだけ。

地面にあれだけの熱量ぶっかけても地盤沈下せずにちょっと焼けるだけで済む。

あいう細かいところで感情移入できなくなるんだよなあ、

パシフィックリムと比べたら悪いけどCGの出来以外でもそういうところが駄目だと思った。

エヴァと同じで重さを感じられない。

重さを感じられない巨大物に神々しさとかを感じない。憧れも無い。

http://anond.hatelabo.jp/20160823013053

原作改編する必要ないんだよな~

アニメカットしまくりのくせに設定はあります、みたいにせこさが見えてて

微妙にもやる

原作小鳥普通に主役のはずだし、むしろここに感情移入するキャラなんだが…。

2016-08-22

シン・ゴジラ後乗り感想

あんまりにも絶賛以外の初期批評ボコボコにされるのを見て恐れをなし増田に投下する所存

ネタバレあります

矢口描写

現実派の赤坂理想家の矢口という対立描写がされていたが、矢口が非常にできる人オーラを出しているのであまり対比が感じられない。

冒頭で矢口が巨大生物云々という空気の読めない発言をするが、観客からすれば「真実」を指摘しているわけで、この時点での矢口の未熟さを感じる人はあまりいないと思われる。

赤坂が「空気を乱すな」とたしなめるが、この時点で赤坂矢口感情移入する観客からすれば嫌な人でしかない。

その後も矢口は周囲のフォローを受けながら巨災対を回していくわけだが、失敗描写殆どないのでやはり矢口は有能に見えてしまう(よく見ると矢口1人では全く回ってないのだけれど)

よりわかりやすく示しても良いと思った。決定的な失敗をするとか、巨災対に陰口言われるけど成長して信頼されるとか。

はいえ、現状の構成にも利点はある。矢口感情移入すれば(そしてそれは容易であるヒーローとして楽しめるし、深読みすれば矢口成長物語としても楽しめるので。

実際この2人と、矢口-松尾コンビのやり取りは楽しく見ることができた。

■カヨコ

さんざん言われているけれど、やはり浮いている。怪獣映画であるとしても浮いている。たまにゴジラが一番リアリティないだとか、ヤシオリに向けたリアリティラインの降下要因だとか言われるが納得できない。

対人物と比較したときにカヨコが浮いているのは紛れもない事実である

人とゴジラ対話してチームでも組むならカヨコの存在違和感いかもしれないが、そんな荒唐無稽なことは起こらない。

ゴジラリアリティがないからカヨコにリアリティがなくても良いという主張は、実質映画の全てを免罪し映画自体評価を下げてしまうのであまりよろしくないと思う。

カヨコがいたかリアリティが感じられなくなりヤシオリを素直に楽しめたか?NO。

あのテンプレアメリカンキャラ付けルー語は勘弁して欲しかった。

個人的には老獪な紳士とかだと良いなぁと思います萌えるので。

ゴジラの生態

これはこの映画最大の魅力ではなかろうか?

前段で書いたこと、これから後段で書くことはあくま映画をそれっぽくするためのオマケ。

ゴジラの設定は最高だった。あのぶるぶるするちょっと残念なサンショウウオが画面に現れたときですら大興奮だった。その後のそれっぽい科学説明科学的に正しいかは問わない)もそれに拍車をかける

絶望感を盛り上げるWho will know (24_bigslow)/悲劇(熱線の時のBGM)もいいが、 Persecution of the masses (1172)/上陸も不気味さと不安感を煽る絶妙音楽だと思う。

日本武力の総力を投入しても基本的にはただ平然と前進し続けるゴジラ。お決まりの「やったか!?」。この古典的台詞ですら場面を盛り上げる。

そして熱線。かっこいいの一言に尽きる。まずガスをはき出してそれに引火し、炎が収束していくあの描写オタク心を存分にくすぐってくれた。ギャレス・エドワーズの熱線描写で大興奮していた自分にとって、あのシーンだけでもこの映画価値がある。

ガメラ2ラストのような火の海の中で暴れ続けるゴジラを遠くから描いたカットも最高。そして全てが終わった後、エネルギー切れのロボットのように眠りにつくゴジラ。1連の流れは”美しい”の一言に尽きる。この場面だからこそWho will knowも生きる。いきなりIf I died~で始まる歌詞無駄示唆的でよい。

その後東京にたたずむゴジラを見たときは少々ギャグっぽいなと思ったが、熱線を掃き終え眠りにつく描写のかっこよさはそれを上回る。

熱線描写までは積極的破壊をしないところも評価したい。サンショウゴジラはただ進んでいるだけだが、それだけで甚大な被害をもたらすという絶望感は心地よかった。それは見慣れたゴジラの姿になっても変わらない。

従来策のように、なんでビルに戦いを挑むのかと思わせられる部分はなかった。

■前半と後半の乖離

前半部分の完成度の高さに比べて、映画後半はどうしても見劣りする。

ゴジラという強大な存在感に支えられていた映画が、外国という相手しかも顔も言葉も見えない!)にその対象を変えたことで一気に魅力が薄れてしまった。

この映画に出てくる外国人は、漫画テンプレか、顔の見えないよくわからない相手である。正しく世相を反映しているのかもしれないが、ずいぶんと内向的な描き方だと感じる。

さて、後半魅力が薄れた理由は核攻撃とそれに対する主人公達の反応に説得力がなかったからだと思う。露悪的な見方かもしれないが、突然嫌悪感を前面に押し出す主人公達の反応があまりにも唐突に感じられる。

攻撃有効性は巨災対の中でも認められている。勿論自分絶対にノーだが、この映画は前半で日本にとって東京いかに大切かを延々としゃべらせているので、地方在住の自分としては「地方だったらここまで抵抗するか?」と穿った見方をしてしまう。

理想化の矢口の反応はわかるが、ここで赤坂感情的になるのも解せない。日本人皆の共通認識と言えばそれまでだが、もっと説得力のある反対理由が欲しかった。ぶっちゃけ核がゴジラにきかないのでは...?という手応えが欲しかった。

既に東京ゴジラにより破壊汚染されているわけだし。

ヤシオリ作戦カタルシスに欠ける。絵のシュールさも勿論、電車爆弾程度でゴジラが転ぶのか?と思ってしまう。脚本の都合上仕方ないかと思うが、観客に仕方ないと思わせている時点で失敗といえる。

地面を爆破してバランスを崩すとか、そういう描写の方が説得力があったかもしれない。

口に散水車で液体を流し込む絵もあまりにもシュール。ヤシオリというかヤケクソ。

前半は素晴らしく没入感のある映画だっただけに、後半冷めてしまったのは本当に残念。とはいえ前半があったが故に後半もまあ許せるかぐらいの気分にはなれるし、この映画を良作たらしめている。

政治云々

初代ゴジラには議会ゴジラ情報を統制したい与党っぽいおじさんと、事実公表しろと迫るおばさんのやり取りがあったりする。

一方シンゴジラでは政治描写殆どない。基本的には現内閣とその下部の各省庁から集められたチームが職務をこなす様であって、あれは行政と呼ぶべきだろう。

ゴジラが海に帰った後、国会でのやり取りがあっても良かったかも知れない。それこそ初代のようなやり取りを。民主主義云々言うのなら国会野党を欠くのは片手落ちである

科学者へ無邪気な信頼を置いているのも気に掛かる。今作はわかりやすいほどに震災モチーフと言われているが、であればあのとき科学がどういう状況だったかを考えるとこの映画は無邪気すぎる。

あのとき間違えたものも正解したものもいた。にも関わらず今作の巨災対の科学への絶対的信頼は怖い。

彼ら・彼女らは行政人間ではあるが同時に科学知識を持つ専門家としても描かれている。そのギーク達が超人のごとき活躍。本当に福島を扱いたいならあまりに呑気ではないか

これは穿った見方をすればギークが有能な指導者に見いだされ日本を救う物語とも取れる。この設定は映画の魅力を損ねるわけではないが、高める訳ではない。

また日米の主役である矢口とカヨコは両者とも世襲政治家で若くして高い地位についている。きっと矢口支持率も高いのだろう。親の七光りも存分に使っている。

これが皮肉なのかどうなのかはわからないが、その上矢口は(危機はいえ)小休止時にシャワーもせずに働きづめで有り、皆もそうであることを賞賛する。

庵野が描いた主人公がこのような仕事人間なのは興味深い。

総評

良作。見て損だと思う事は絶対にない。見た人を必ず楽しませてくれるはず。

一方で気になる欠点存在し、その欠点を吹き飛ばすには後半の尻すぼみもあり傑作とまでは言えないと思う。

シン・ゴジラそんなに言うほど面白くはないけどそれでいいんじゃね、

俺はスペック的には映画をよくみる一般人アニメディズニーくらいしかみない。そんな俺が思ったシンゴジラ面白い/面白くない論争のこと。映画は月に20本くらいはみる。平日の夜毎日見てるから多分そのくらい。うちにTVないしやることもないからいつも見てる。とはいってもみてるのはハリウッドの有名ドコロが多い。

面白くなかった

まりにも周りで絶賛するひとが多いもんだからシン・ゴジラ映画館にみにいったんだけど、正直俺としては大して面白いと思えなかった。邦画にしてはいいできだな、すごい、と思ったくらい。面白くなさについて細かいところはもう挙げられつくしいるからざっくりというと。

人が死ぬ描写がない / 災害の規模が小さい

人が死ぬ描写がない。描写ってのは別に死体を見せろ、ってわけじゃなくて、主人公(級の登場人物)の同僚やら友人とか家族死ぬ所。ハリウッドとかだとそうやって観客を感情移入させるんだと思う。次に災害の規模も小さい。東京破壊されるのはリアリティあるけど、前述のポイントがあって感情移入がそんなに進んでないのに東京がガシャガシャやられても、そんなに恐怖湧いてこないし、災害の規模も結局東京まりなんだよな、って。俺は東京住まいだけど東京滅んでも京都あたりに首都移せばいいんじゃね、くらいの発想になっちゃハリウッド脳。

この映画、全体通してとにかく絶望感が少ないと思う。絶望インフレしたハリウッドパニックアクション映画を見慣れていると、「このままでは復興にすごくお金がかかってしまう」みたいなネガティティじゃ絶望全然ない。2012とか世界だいたい滅ぶ。

解決策地味すぎ

地味すぎわろた。

シン・ゴジラ = パニックアクション映画 - アクションアニメ

とまあ俺はあんまり好きではなかったんだけど、それに対する問題は多分俺のみかたと事前情報にあったように思っていて。みんなが「絶望する!」「ゴジラ怖い!」って煽るもんだから、俺は(勝手に)シン・ゴジラを「できの良いパニックアクション映画」だと思ってみにいった。でも、フタを開けたら全然そんなことなかった。

ここ、大事なとこだと思うんだけど、シン・ゴジラアクション要素ってすごく地味。自衛隊バンバンやってたけど、リアリティ出すためなのか詳細な描写で引き伸ばしててむしろダレた。あとインデペンデンス・デイ(1)ならあの時点で核使って失敗して、絶望を煽ってる。

解決策が地味なのも、すんなりうまくいっちゃうのも、シン・ゴジラって映画にとってアクション要素によるエンターテイメント性が二の次からだよな、って思っていて。今更だけどシン・ゴジラって、ゴジラという非日常に対して政治という日常的なアプローチ戦う政治家の姿を描いているんだよね。それは3/11への皮肉なのかなあ、とか考えたりするわけだ。重要なところを人の想像力に補わせるような、ストーリーラインを重視した映画とか、日本アニメちっくなストーリーで作られてる感じ。「なにを今更」って言う人も多いだろうけど、ここが多くの論争のポイントなんじゃないかって思ってる。

から、そういう意識で観客自身ストーリーとか意図を深掘りする気持ちで見に行けば、楽しく鑑賞できるんじゃないかなって思う。

B級映画だけど…

率直に言って映画というエンターテインメント産業の中で考えると最高ランクの出来の映画ってわけじゃないと思う。とはいほとんどの邦画ハリウッドB級映画に遠く及ばない出来でつまんない。そういうその他大勢邦画にくらべればすごく出来が良かったと思う。テンポが良くて、ダラダラするシーンが少なかったのはほんとに好印象。続編を作ってこの資産を活かすべきだと思う。

2016-08-20

例の貧困JK彼女擁護するはてなー嫉妬が止まりません

http://anond.hatelabo.jp/20160820120834

お小遣いが全く貰えない高校生が目の前に現れたらそりゃ黙りますよ。

自分が遊興費のやりくりに苦労したんだからお小遣いゼロ高校生の苦しみがどれ程のものかなんて言われんでも分かるって。なんてかわいそうなんだと心から同情するよ。

私はね!!!大学生になってやっと初めて手にした金銭的余裕、趣味お金を注ぐことの喜びをこの貧困JK漫喫していて、しかはてなーたちが「別にこんなの普通ですわよね、貧乏人の足の引っ張り合いは見苦しいですわ(オホホ」って言ってるのにすんげーーー腹が立つの!!!!めちゃくちゃ嫉妬してるの!!!!!!!!

君が私は普通生活を送ったって言ったように、私もそう思ってた。でもじゃあ何で『正直、この程度の消費で「豪遊」と表現する界隈が理解出来ない。』がトップブコメになるんですか!おかしいじゃないですか!あんな充実うきうきオタライフは高校生の私には考えられなかったよ。DVDTUTAYAで借りるものであって買うもんじゃなかったし、漫画友達と回し読みするもので自室の本棚にぎっしり並んでるものじゃなかった。高校生あん生活を送れたら間違いなく贅沢でしょ、豪遊でしょ、散財でしょ。ねえ、そう言ってよ!ブルジョワ高校生だったはてなーなんて大嫌いだ!チクショー!

で、似たような怒りや嫉妬を前にも経験したなーって思い出したんだけど、名作映画フットルース」を鑑賞した時でしたわ。

1回しか見てないから(そしてこれから絶対に見返さない、ムカツクから)、あらすじもあやふやなんだけどさ、確か締め付けの厳しい大人たちのもとで高校生たちが鬱屈しながらも最終的に自由を勝ち取るとかそんな筋書きだったと思うの。あれ、1ミリ感情移入できなかった。

だって自由がないわ~」とか言いながら車やバイクをぶいぶい乗り回してるんだよ!?バーに入ってお酒飲んでるし、煙草も吸って。SEXして帰りが遅くなちゃった~☆とかさ。異世界すぎてクラクラした。こういう10代の人生の楽しみ方もあったんだなって嫉妬して悲しくなった。

うん、分かってるよ。自分が叶わなかった青春時代を過ごしている人に老害よろしく嫉妬してるだけだっていうのは。それでもはてぶのマリー・アントワネットたちにはすんげーイライラする。

2016-08-17

無能政治家官僚

彼らによって起こされた問題、あるいは彼らが解決できない問題を、観客・読者が感情移入できる庶民側に立つ主人公側が解決するというのは一つのエンターテインメントの定石ではあるのだけど、一種ポルノみたいな物でもある。

2016-08-15

エロ漫画を読むときちゅういすべきこと

女の子感情移入しすぎてはいけない

たった数ページのカタルシスのためだけに簡単破瓜をチラシ陵辱され初キスをうばわれる

読者からすれば読み終われば抜けば終わりだが作中の女の子それからも長い長い人生がまっている

そういう意味では宇治川先生は誰よりも非実在青少年に優しいのかもしれない

2016-08-14

感情移入させる報道が苦手

https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/family-told-about-their-son-and-hitotsubashi-lawschool?utm_term=.pmMRq1pAE#.tyNb62Laz

この記事を読んで思った。感情移入させる報道が苦手だ。

Aくんとご遺族は本当にお気の毒だったと思う。しかしそれは置いておいてこの記事の書きっぷりが嫌いだ。

被害者の育った家庭はこんなに立派で幸せそうに見える。被害者は愛されて育ったのだろう。被害者は素敵な人柄だったらしい」

記者の「読者に感情移入させるぞ」って意気込みがすごい。こうも記者主観丸出しで書かれると記事全体も相当なバイアスがかかっているんじゃないかと身構えてしまう。

マスコミには淡々事実を伝えて欲しいのだが(どの事実を伝えるかという取捨選の問題はあるにせよ)、マスコミはどうやらそうではないらしい。障害者施設襲撃事件被害者の氏名が公開されなかった時の反発はすごかった。

何でこんなに感情移入を促す報道が嫌いなのかは分からない。多分、人の感情を揺さぶって世の中を変えようとするのって報道っていうか政治っぽいなって思ってしまうからかもしれない。

2016-08-08

シンゴジラ絶賛組との境界

まあ、いろいろあるんだろうが。

小難しい話はどうでもいいので、アクションがババーン!、ヒロインが泣いて感情移入できるのがいいんだよ!

アルマゲドンでも見てろ。

ちはやふるアオハライドやら青空エールやら、ああいった適当青春映画若者を釣るのが今の映画界なんだよ!

→つか、映画ドラマでいちいち感情移入とかしてんのかお前?変態仮面感情移入してからこい。

何度も楽しめる!

→一回でわからないとかなんやその糞コンテンツ

エヴァゴジラやんか!

→いちいち嚙みついてんじゃねーよエヴァオタ。上から目線感想いわないと死ぬ病気か。

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