はてなキーワード: 忠告とは
これは食わず嫌いのような初っ端の拒否ではなく、複数回経験した上での考え。
もちろん、鬱病から回復した人にはまともな人も多いのも真実です。
うちの会社で、急に一人辞めることになり求人募集をしたんだけど、応募してきたのは2人。
一人は大手の企業で営業をやっていたという人物。もう一人は、やっぱり大手の企業の窓口をメインで担当していた人。
どっちも履歴だけ見れば、それなりの実績はあるので可能であれば2人とも雇用しようという話になりました。
しかし、大手営業マンは面接で会話をすればするほどに問題が発覚してきた。客をゴミのように扱うようなそういう表現です。
匿名掲示板で言えば、書き込んだ人不特定多数に対し、クソだのゴミだの死ねなどといった乱暴な言葉づかい。
これは要らない。と不合格通知。後日、若干揉めましたが要らないものは要らない。
問題はもう一人。見た目は温厚で真面目な感じで好感が持てた。
タイトル通りに避けたかったのですが、部長の一声で雇用させることに。
なんで避けたかったかと言うと、あの病気から立ち直った人は温厚だったり真面目そうに見える反面で
ちょっと嫌なことが有ると死にたい…辛い…を繰り返すだけになります。(過去に鬱病を黙って入ってきた3名が皆同じ)
暗いことを考えるともっと落ち込んじゃうし明るいことを考えようか!とフォローしても駄目。
それどころか、勝手な理屈をマシンガントークでぶちかましてくるので話にならない。
長期間に渡ってフォローしても何の効果も無い。それどころか周りにも鬱が蔓延する。
一種の感染病に近い事を無意識に行われるので避けたいわけです。
部長も何度となく同じことを繰り返しているのだから、もっと考えてほしいと忠告はしましたが
結局、人事側の責任にされるだけになるという。今回また一人、雇用を切る事になります。
鬱病者が可哀想だ!と思う人も多いでしょう。その人が本当に治ったと自覚できているのなら多少のことで再発させないで欲しい。
こちらはまともに働いてくれれば、それだけで良いんです。週に一度一時間程度しか残業しない会社です。
福利厚生もちゃんとしている。普通に働いていれば何の問題もない会社です。
しかし、鬱病の人が再発させた挙句に会社の中を憂鬱な雰囲気にして周りを感染させるのはいただけない。
確かに精神的に辛いことがあった上での状態だったろうし大変だったでしょう。
だけど、それは他人へ影響を及ぼす必要はなく自分で抱えるものです。
自分が強くなろうとしなけりゃ治らない問題ですし、再発も自分で抑えなきゃならない。
それができない限りは、どんな優しい職場にいっても少しのことで再発するだけでしょう。
Aとは会社の同期。
Aの不倫相手はスポーツジムで知り合ったという30半ばの会社員。(前彼は出会い系サイトで知り合ってるから、本当かは知らん)
自分は不倫は理解できないため、当初はやめなよと忠告してたが、Aは一向に聞かない。奥さんが冷たいから仕方ないんだ、とかいって聞かず、何度はなしても伝わらないため、自分も諦めて不倫否定するようなことは言わなくなった。
Aは不倫相手の職場に押しかけたり、朝早くにモーニングコールかけたり(不倫相手は嫁のいる家で寝ている)、不倫相手が嫌気をさして相手にされなかった時期にピンポンダッシュしたり、かなりアホ。
不倫相手も不倫相手で、Aの親に挨拶に言ったと思いきや(さすがにその時点で不倫とは言ってないが)、職場や嫁にばれそうになったとたん別れを切り出して一方的に縁を切ろうとしている。
ただ、Aは彼女自身曰わく、大学時代にアメリカに留学して自己主張ははっきりすべきとの信念から、自分が納得行かないととことん詰め寄るタイプ。
なんだかんだで、連絡とりあって会ったりしてるらしい。
4月から異動して、Aと同じビルになったんだが、毎週ランチ誘ってきたり、帰り道(同じ社宅で会社~社宅は1時間以上の道のり)私の姿を見つけると捕まえてひたすら不倫相手のことを愚痴ってくる。
会っても不倫相手は余計なことするだの、もう別れるだの言われる(だが、A曰わく不倫相手も自分の家に居場所がなく、結局あっちから連絡も来たりするらしい)、ひどいよねーの愚痴。
知らんわ、アホ。一生やってろ、と思ってしまう。
Aとは、アラサーながらに自分のことを名前で呼んだり、「だってだってだってー」とかいえる神経からして合わないと思っているんだが(少なからず自分の態度や言動にも出ている)、構わず近寄ってくる。
生物系の研究室で、捏造が生まれるきっかけを見てしまった。その研究室のPIは研究不正とは程遠い性格で、PIに悪意がなくてもこういう状況だと捏造が起こりうるんだなということを目の当たりにしたので、ケーススタディとして書き記しておこう。
PIは専門性に合わせて分業させるタイプであったので、複数の研究テーマにおいて、上流のこの解析はXXさん、中間はYYさんがやって、下流はZZさんが、という風に割り振られていた。その中で、最も上流の過程を担当しているXXさんは、外部からの仕事も含め、大量の仕事に追われて疲弊していた。性格的にNoと言えずに萎縮しやすく、タスク管理が苦手で、積み重なった仕事で完全に首が回らなくなったXXさんは、とうとう、プレッシャーに負けてしまい、やっていなかった予備実験を「やってうまくいった」ということにしてしまった。
XXさんがやろうとしていた実験系はあまりうまくいっていなかったが、元々難しいことが知られている系であったので、判断が難しかった。PIはXXさんが基本的なトラブルシューティングはしているものだと思い込んでいたところが不幸の始まりであった。PIは、XXさんの問題ではなく現象特異的な難しさだとひとまず判断し、本番で下流の実験系(他の複数の人が担当)まで一通りやってみろという指示を出したが、うまくいかなかった。その後、研究室内で問題点を一つずつ洗い出していったところ、結果的に上流過程にも遡り、予備実験のポジコン/ネガコンすら取れていなかった事が判明した。研究の組み立て方も行き当たりばったりでおかしかった。その事実にたどり着くまでが大変だった。忙しい事を理由に実験系の組み方や実験ノートが複雑怪奇になっていて、本人もよくわからなくなっていたこともあり、なかなか基礎データが出てこない。ようやく出されたデータを根気強く追っていくと、さらに別の不自然な点が発覚する。そうなるとPIの叱責を受けたり、他のメンバーに追求される。検証のための追加実験を命令されたXXさんは、実験がうまくいかずに次のプログレスまでにやりきる事ができなかったが、データがないと再び怒られると考えて自分に不利益な結果を隠そうとし、ネガティブなスパイラルに嵌っていった。PIは問題のデータのあぶり出しも「信じたくない」という心情が先で対応が後手後手になったように思う。PIの対応はXXさんの不正を導いていたが、PI自身は無自覚だった。純粋にデータの不完全さだけを気にしていたら、こうはなからなかったかもしれない。ある時、PIがこれは本気でヤバイ、と気づいて、ようやく修正軌道に乗った。
それなりにお金を費やし、関わっていた人々の4年間は無駄になったが、これを放置していたら、と思うとゾッとする。共同研究先には「なにやら忙しくて大変そう」とは思われていたものの、そこまで大ごとだとはバレていないようであった。この研究テーマに関しては膿は出し切ったと思うので、本人もそれなりに反省したようだが、その後のことはわからない。こうなるとこれまでのXXさんの仕事ぶりも気になる。後日、XXさんのかつての所属先の人々にそれとなく愚痴ったところ、やはり似たような問題があったんだなと思わせる雰囲気であった。三つ子の魂百までとはいうが、更生できるのもまた人間だ。XXさんはその分野で有名ラボ出身者であったこともあり、◯◯先生から信頼されている愛弟子で、学振取得者で、と周囲から一目置かれていた。研究の世界で底辺の争いに生き残るにはどうしたら良いか、考えさせられた経験だった。
こういう記事があると、ネット上では「自分のいる環境ではありえない、実験ノートはこう書いてほにゃらら」という人が湧き出てくるのだけど、自分自身はいざ知らず、共同研究者がこういう人だというケースだったら足下を掬われるかもね、と思う。世の中には、悪意を持って研究不正に取り組んでいる研究室もある一方で、この研究室は事件が起きた時の対応の仕方には問題があったけれど、元々真面目に研究する人ばかりだった。XXさんの性格や研究室の状況が掛け算になった結果、他の研究室より不運な方向に転がってしまった。世の中の多くの研究室には大なり小なり似たような課題が潜在的にあるかもしれない。自身の心がけや予防法だけではなく、事件が起きてしまった時にどうするか、というロールプレイングまでしたら良いかもしれない。
< PIとしての教訓 >
・メンバーを疑うと思うと辛いが、データで冷静に議論できる環境を作る事を心がける。感情は抑えて、相手がネガティブデータでも相談しやすい空気を作る。
・PIという上下関係がある以上、自分がどんなに「フラット」に接しているつもりでも、相手はプレッシャーに感じているかもしれない事を忘れてはいけない。
・生物系にありがちな、専門性に合わせて分担する系の研究テーマがある場合、博士課程院生やスタッフについては、自分の制御可能な範囲での研究テーマを推進できるように環境を整えておく事が万が一の保険になる。不正行為に対して、巻き添えを食らった人々の将来を担保することもPIの大事な責任である。
・メンバーの業務量がオーバーフローしていないか注意し、個人の性格に基づいて、それをコントロールするのもPIの責任である。
・同僚を疑うと思うと辛いが、我々はデータ教信者であるので、心情はひとまず脇に置いて、データで冷静に議論する事を心がける。
・捏造を暴くのは憔悴するので、不正に気づいた時点で、自分へのダメージとどの程度深入りするかの対応をよく考えたほうがいい。手を引けるなら手を引く。また不正をしているメンバーがいる事をPIに忠告しても聞き入れてもらえない事がある。したがって、いつでも静かにさっと撤退できるようにしておく。研究室で分業制を敷いている場合には、自分の制御可能な範囲での研究テーマを推進し、業績に影響が出ないようにする。(博士過程の学生の場合には、そもそも分業しないほうが良いが)
アスペの中に一定いる「異常に記憶力が良い」タイプ。細かいところまでパッと見ただけで瞬時に記憶しやがる。
こういうヤツ、マジうざい。
小さい頃から「天才だ」「スゴい」などとおだてられて、甘やかされている。
アスペ的に「ボクは正しい」「ボクと違う人間は許せない」「ボク悪くない」とか思いこんでる。奴らの人生観は強固だ。
人の気持ちが分からない=人の痛みが分からないから、徹底的に、一方的に他人を攻撃できる。しかも一貫している。ロジックも完璧だ。
自分より下の奴は徹底的に見下して攻撃する。上の奴にはペコペコする。
実に面倒くさい。
ま、遠からず人からドン引きされて、孤独な暮らしを送ることになるわけではあるが、東大アスペの被害者になってしまうとたまったもんじゃないわな。
こういうヤツが高級官僚やってるとか、残念な気持ちになるのだが、まあ奴らには空気が読めない=忖度ができないから、そこまで出世はしない。バランスは取れているようだ。
恐らく不可能。あいつが物理的なダメージで死ぬ姿が全く想像出来ない。一応傷つけることは出来るっぽい?
悪魔という設定を考えると普通の人間ではどうやっても太刀打ち出来ないだろう。
心の隙間を見抜かれ話しかけられても徹底的に無視する。話に乗らない。魔の巣にも行かない。
しかし一度目を付けられるとどこまでも追ってきそうなので無駄。
正攻法は結局これしかない。肉体、精神的にも無事で社会的地位も安泰のままハッピーエンドというのはこれだけしかない。
「人の運命を弄んで楽しむ上位の存在」タイプのキャラクターに反撃する方法として比較的有効な手段
喪黒から渡される便利グッズを使い完璧に成功する、反撃の手段として利用して精神的にダメージを与える。
ただし「幸せの頂点に達する→ドーン!でバッドエンド」が話のパターンなことを考えると、よっぽど上手く立ち回らないと出し抜くのは難しいだろう。そもそもドーン!の強制力が強すぎる。
既婚子無しロスジェネ女の、ある種のグチ。
実力を買われ、数年前からプレイングマネジャーとして「部下」が数十人いる。「部下」の半分は年下、残り半分は年上の社員だ。世間でもブラックと認知されている業界なので、多くの女性は耐えきれず、年齢とともに離脱していく。なので業界歴の長い年上の社員たちは、大半が男性だ。
私の年上の「部下」たちは、団塊ジュニアからバブル世代まで。正直なところ、ついこの間まで先輩だった彼らの「上司」として振舞うことに、初めは馴染めず、戸惑っていた。しかし、人間は慣れる。最近は、相手に年長者として一定の敬意を払いつつも、こちらの要求ははっきり伝える「コツ」みたいなものを身に付けた。もちろん、慣れたのは私だけではない。「部下」の方も、自分を追い抜いていった小賢しいブスを「上司」として扱う忍耐を身に付けた。プライドの一部を犠牲にし、会社員として組織の決定に従った。当たり前のようで、なかなか辛い事だったろう。彼らには、その点で感謝している。
問題は、最近加わった「年上の部下」である。「自分より若い女」に追い越されたという実体験を持たずに、女がリーダーの組織に後から付け足された若めのオッサンである。彼らは、もれなく「年下の女上司」を舐めている。あからさまな態度でなくても、彼らの潜在意識から「年下女の言う事なんて聞いてられるか」という嘲笑が滲み出してくる。厄介なことに、彼らは女を蔑視しているつもりは全くない。ごく自然に悪意なく「女の言う事に聞く価値はない」という態度を垂れ流してくる。
そんな態度を取られては正直残念だが、業務に支障がないなら私も我慢できる。私のミッションはチームの業績を上げる事だから、多少腹が立つ態度でも、結果を残してくれるのなら何とか目を瞑ろう。しかしながら、「年下の女上司」の忠告を聞かないオッサンは、顧客のニーズを汲み取るのも下手だ。人の言う事も聞かず、人に尋ねることもせず、顧客に的はずれな提案をして白けさせた挙句が「教えてくれないから」とはどういう事か。何か、お前のその下らないプライドを慮って私に上手く立ち回れと言うのか。
まあ、私は業績が大事だから上手く立ち回って、オッサンのクソみたいなプライドを真綿に包むようにしておだて、何とか上手くやれるように気を使ってやる。オッサンが私のお陰で上手くやれて、それをあたかも自らの実力と機転かのようにふれて回るのも、黙って生温かく見守る。オッサンが何の役にも立たないプライドをギンギンに膨らませて気持ち良く仕事が出来るように、あくまでも目立たず、さりげなく、頭下げて這いつくばって地ならしをしてやる。
でも、オッサンがニヤついて些細なお手柄に酔ってる間に、彼らには出来ない大胆で繊細な決断を下してビジネスを牽引するのは、オッサンより若くて優秀な女の私だ。奴らより稼いで若手を養い、経営を安定させ、雇用を増やし、業界を良くするのは私だ。
私にとって出世はもはや、ミソジニーに対する復讐みたいなものだ。彼らが絶対に追いつけない所まで行ってやろうと思う。そして、邪魔なだけの彼らのプライドを、いつか根元からへし折ってやりたい。はるか上の方から、小さな石を投げる。石は小さいが、重力で加速し、想像を超えた破壊力が生まれる。オッサンのプライドに当たると簡単にぽっきりと折れ、オッサンは二度と立ち直れない。そんなシーンが見られる日を楽しみにしている。
クジラックスのマンガの件で過去の例に漏れず「表現の自由」信者がネットであふれかえっていて本当にうんざりしてる。
ああいった事件の後でなおも迷わずに「表現の自由を守れ」と声高々に主張する方々に聞きたいのだが、君たちはその発言が「表現の自由を守るためには、多少の公益や子供の安全を損なう結果になっても仕方ないと思ってます」と言っていると同義だとちゃんと理解しているのだろうか?別にコレについては批判するわけじゃない。権利を守るというのは時としてそういうモノだ。たとえば凶悪事件の犯罪者の人権を過度に守ろうとするとその犯罪被害者の人権を侵害することが多々あるし、音楽や書籍などコンテンツの著作者の権利や利益を過度に守ると、今度は消費者が不利益をこうむることなど多々ある。すべての権利を平等に尊重するのは不可能で、片方の権利を過度に守ろうとするとそれに相対する別の権利を侵害することになるからだ。だからそういう意識があって「表現の自由」を訴えているならいいのだが、どうもネットの書き込みの大半からはこういう葛藤など一切感じられず、純粋に「表現の自由を守ることが絶対正義」と信じて疑わないような連中が多すぎるんじゃないか?と思ってしまう。
たしかに「表現の自由」というのは近代社会の中では守られるべき価値観の上位にあがるものである。なぜなら「表現の自由」は往々にして「権力の監視」「権力からの自由」に密接に関係してくるから、国家の権力の暴走を防ぐには必要不可欠である。ただ「表現の自由」の名の下になんでも表現していいというわけではない。たとえば欧米では「表現の自由」のなかに児童ポルノやレイシズムを煽るような表現には厳しい制限がかかる。児童ポルノコンテンツや欧米人には子供にしか見えないアニメ顔のエロコンテンツは所有しただけで逮捕される国も珍しくないし、ヒトラーの「我が闘争」は発禁扱い。ヘイトスピーチデモも表現の自由には認められない。少なくてもクジラックスのマンガをこれらの国で自主出版でもしたら確実に逮捕事案である。これを「表現の自由なんていって欺瞞じゃないか!」と批判するのはお門違い。だって「表現の自由」は絶対的ではないんだよ。
ここまで書くと「それじゃ殺人やレイプ描写がある小説、ドラマ、映画も規制しろよ」などと反論してくる連中がでてくるだろう。まったく馬鹿げた反論だ。一口に「殺人シーン」といっても、その作品内の背景とかストーリー上の設定などで意味合いがまったく変わってくるからだ。たとえば同じ惨殺シーンでも「羊たちの沈黙」のように主要登場人物の異常性・神秘性を演出するために使われたり、戦争映画のように人間が虫けらのように殺される描写で戦争の凄惨さ、残酷さを演出したり、または復讐ジャンル映画では家族を殺された主人公がどれほど強い動機で相手に復讐していくか演出するなど様々である。小説、ドラマ、映画で殺人やレイプシーンが許容されているのは、人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要だからである。それにこういった作品でもどのように陰惨に殺害されたか、激しくレイプされたかなんて長い尺をつかって表現するコンテンツなんてごく一部だ。(「食人族」とか)
もちろんその殺人シーンやレイプシーンが「ストーリー上それは必要不可欠なのか」「ただの過剰演出ではないか」という疑問は常につきないものだが、今回のマンガの件ではその議論以前の問題である。概要を読むだけであれは「未成年の女の子を大人が騙してレイプする行為を楽しむコンテンツ」以外に何者でもないことが明白だからだ。だからもしあの作品を他の実写映画でたとえるなら女性や女の子をもつ親御さんにとっては「ストーリーなど特になく、哀れな被害者が凶悪殺人魔に追い詰められジワジワと惨殺されていく映像を延々と見せられるだけ」な内容と同義である。君たちが「表現の自由」の名の下に守ろうとしているコンテンツとはそういったモノなのだよ。
ただああいった作品が実際に性犯罪を誘発しているか?という疑問はさすがにわからないとしかいえない。もちろんゼロとはいえないだろうが、それ以上の事は調査する人のバイアスや価値観によってどちらにも転ぶ内容だと思う。これについては結論はでないだろうから議論するのは無駄だと思う。ただああいった作品が自主出版とはいえその気になれば個人で入手できる状態だという事実の一つ一つが日本の性風俗文化を少しずつ形成しているのは間違いない。
児童ポルノや児童買春について絶対的に厳しい価値観の欧米(かといって厳しくすればするほどその禁忌を破ろうとする人間がでてくるのも悩ましい)にとって、先進国でありながら日本の性風俗のゆるさはやはり衝撃的だろう。風俗禁止法というものがありながらソープみたいなサービスが当たり前のように存在し、AKBみたいな大半が子供にしか見ないような女性グループが下着がもろに見えるダンスをしながらテレビで踊っている。これらから彼らが感じることは「法律上では児童ポルノって駄目だけどさ、本音では若い子のほうがいいっしょ?20代30代のおばさんより10代の女の子のほうが興奮するよね」という空気ではないだろうか?欧米の知識人が日本の性風俗文化を軽蔑するのも無理はないと思う。
さてここまで長々と書いても、大半の「表現の自由」信者には俺はただの欺瞞者で権力者側の規制賛成論者にしか見えないのだろう。別にそれはどうでもいい。ただ最後に忠告するのは、これからも「表現の自由」で何やっても許されるのが当然だと思っていたら、最後にしっぺ返しを食らうのは君らだということだ。今回のような事件は単発であって欲しいと願ってはいるが、もし何かの間違いで1年の間に何回も立て続けのように起こったら、それこそ日本の世論の大半は一気に「あんな児童レイプを助長するようなマンガを許すな!国はちゃんと規制しろ!」に傾くだろう。そのときにネット住民や一部の知識人が馬鹿の一つ覚えにように「表現の自由の重要さ」だけを訴えたところで大半の世論からは「ただのロリコンの似非リベラル」のレッテルしか貼られないだろう。そもそも児童ポルノ関係では日本よりはるかに厳しい欧米のほうがちゃんとメディアによる権力チェックができてるんだから、「エロコンテンツの規制を認めたら権力の暴走を招く」論はまったく理屈が通ってないのである。
もし俺の予想するような最悪なシナリオがおきて日本の性風俗に関する規制が厳しくなったとき、おそらく君らは日本人の不寛容さ、無教養を嘆くんだろう。違うから。君たちの救いがたい傲慢さが原因だよ。もし今後も欧米よりもゆるい日本独自の性風俗や表現を守っていきたいと思うなら、むしろ君たちこそが行き過ぎた表現にはちゃんと警告をだして業界内で自浄作用が起こるように注意しなきゃならない。「こりゃ論理的にやばいだろ」ってコンテンツ見つけたら乙武張りに「超えちゃいけないライン考えろ?」って冷や水ぶっかける努力を続けないとならないんだよ。
ま、たぶん無理だろうけどね。
2chまとめやNAVERまとめは引用だけでコンテンツを作っているが引用元を明記しているので限りなくブラックに近いグレーであるといえるだろう。
だが、そもそも引用元を明記していないまとめブログが増えてきた。YouTuber系のまとめブログである。
2chの転載分に関しては引用元の明記をしている場合が多いが、YouTubeから転載してきたアイキャッチやサムネイル画像には引用元の明記をしていないことがほとんど。
ただでさえ許可なし路上撮影で写り込んだ一般人をモザイク処理もせずうpしているYouTuberの動画をよくもまあ堂々とキャプチャして転載できるもんだなと思うが、きっとリスクを理解していないんだろうな。
奴らの収益柱はGoogleAdsenseなんだからもっと気をつけて運営していかないとアカウント停止になっても知らないぞ。
一応忠告しておく。
http://blog.livedoor.jp/youtube_sokuhou/
http://youtuber-encyclopedia.com/ ←転載画像にウォーターマークを加工するとか正気か?
YouTuber系のまとめを運営しているくらいだから、ヒカルがヒカキンの画像無断転載してプチ炎上した件は知っていると思うが明日は我が身だぞ
「当たり前に知ってるでしょ」とまでは言わないけど、どういうものなのか確認もせずに「ホステル」というだけでコメントしている人が多いように見受けられたので。
自分もどういうものなのかよくわからなかったのだけど、内装にアニメ系の装飾がしてあるらしい、というあたりまでは調べた。
なので、「ホステル」というだけで警戒するべきという忠告は、「アニメ系の内装を期待してそのホステルを選んだ客」に対してはあまり有意義な忠告では無いのではないかと思ったので。
何の装飾もないホステルを選ぶ理由は無くても、「アニメ系の装飾のあるホステル」には興味を引かれてしまう世間知らずもいる、というところまで考えてから、ではどうしたらよかったのか、という話をしてもいいのではないかと。
トラバのアドバイスに従って1項目追記しました。ありがとうございます。
トラバの指摘に従って1項目追記しました。また、ブコメの疑問に応えて1項目追記しました。
ごめんなさい、その文はTakamoriTarouさんの指摘(「追記」で書いてある「ブコメの疑問」)を受けて書き加えたものです。きちんとどこを追記したか書いていなかった私の落ち度です、すみません。
ブコメで指摘された1点(作家のHNを出す必要性)につき追記し、それに伴って本文を並べ替えました。また、「卒論を堂々とウェブに晒せる者だけが石を投げなさい」という文章は「ご自分の卒論を思い返して胸に手を当ててみましょう」と訂正しました。当たり前のことですが、たとえ卒論を書いたことがなくとも、もしくはレベルの低い卒論しか書いていない人であっても、本件論文については存分に批判その他をすることが言論の自由として保障されています。また、「好きな作家さんの作品が読めなくなった」「違法か合法かなんて最初から論点じゃない」「分析だから引用じゃない!」という3項目を追記しました。
「全文を機械分析するなんて引用の範囲を超えている!」「会員制なのに公表してるってみなされるのおかしくない?」「社会調査で研究対象のコミュニティを破壊するのはどうなの?」「「有害」と「猥褻」は違うの?」「じゃあ確実に名誉毀損では?」「あの論文に影響力ってあるの?」「他人の作品が消えてるのに責任とらなくていいの?」「著作権法って個人でやってる創作に過酷すぎない?」「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「それで食べてるプロの作家と素人を一緒にしないで!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」「自分の方が法的には強いと相手に言う時点で恫喝じゃね?」「自分はちゃんと理解してる。理解してないオタクの責任なんて取れない」「研究者はオタクの心がわからないのか?」「ファッション乙」の15項目を追記しました。また、「無断で引用していいの?」「pixivは会員しか見れないけど?」の項目の回答の文言を変更しました。
トラバのご指摘を受けて、「不特定多数」を「不特定の誰か1人以上」に変更しました。ご指摘ありがとうございます。また「なんでも引用していいって研究者の傲慢じゃない?」「黒歴史ノートも引用されちゃうの?」を追加し、「研究者が研究のガイドラインをきちっと作成するよう粘り強く要求を続けます!」の回答の文言を変更しました。「猥褻」について、まあ私も名誉毀損にあたらないとは思うのですが、あたらないと自信を持って言い切ることができないので、この文面にしました。判例などがあればご教示いただけると幸いです。
トラバのご指摘を受けて、「判例はあるの?」という項を追加しました。ご指摘くださりありがとうございます。この事件は知らなかったので勉強になりました。
「引用が自由なら消すのも自由でしょ?」「論文の形にすれば何でも許されるの?」「引用して批判するってひどくない?」の3項目を追記し、「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「ひょっとして黒歴史ノートも引用されちゃうの?」「身の危険を感じる!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」の項目の文言を変更し、著作権に関連する項目の位置を変更、並べ替えを行いました。また、ひとつ上の追記を削除しました。
遅まきながら。私は理性的に「まあ法的には問題ないよね」という話をしていた女性オタクがたくさんいたことを見てきていますし、感情的に「違法だ! 無断引用だ!」とわめいていた男性オタクが大勢いたことも知っています。もちろん、感情的な女性、理性的な男性もいっぱいいました。なので「女叩き」のような意図は(私の主観では)持っていません。ただ、それはそれとして私の筆致が「冷静な俺様が感情的な女を諭してやる」という文脈に回収されかねない、とか、そのように読める、という指摘は、受け止めたいと思います。
ケナタッチ氏の書簡に対する、日本の抗議文がアップされるのをwktkしてまってます。あと前文部科学事務次官が実名で事情を話す覚悟を決められた由、敬意を表しまして、ぜひぜひ参考人招致を実現して頂きたいなと思いますね。
「国連のプライベートの権利に関する特別報告者が懸念を表明されたということですが、政府としてはどのような対応をとられますか。」
「まずですね、特別報告者という立場ですけども、これは独立した個人の立場で、人権状況の調査、報告を行う立場であって、国連の立場を反映するものではない。これは明確に申し上げておく。今回の書簡を受けてですね、政府外務省は、直接説明する機会が得られることも無く、一方的に発出したんです。この点、さらには同書簡の内容が明らかに不適切なもの、でありますので、強く抗議を行ったという、行ってます。それと同時に、テロ等準備罪処罰法案(名前違うよ)というのは、187の国と地域が締結する本条約締結するために必要な国内法整備であってですね。プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約するできる利用がなされるということはまったく当たらないということですを強く抗議したということです。」
下のマニュアルのII methods of work B. Communication 37に、基本的には、レポートに掲載されるまでは機密扱いになるけど、特定の事情で特別報告者が、報告書より前に公開する必要があると判断すれば行うことができると書いてあります。なので、公開するのは全然問題ない。
菅さんの一方的な発出の部分ですが、どれくらい特殊な例なんだろうかと、ケナタッチ氏の場合は、ポストの歴史が浅いので記録がアーカイブされていないのですが、表現の自由に関する特別報告者のComments on legislation and Policyをつらつらと眺めてみると、
http://www.ohchr.org/EN/Issues/FreedomOpinion/Pages/LegislationAndPolicy.aspx
もうまったく普通に、書簡の最後に、この文書はこのウェブサイトで公開しますし、返信も同様に公開しますよ、というようなことが書いてあります。むしろ書いてないほうが珍しい。
アメリカの、宗教的属性で、旅行者のスクリーニングをやることをみとめる大統領令に対しての書簡や、旅行者にソーシャルメディアの情報を提出させる大統領令など、ドイツのインターネット監視の法律強化案に対するコメントでは
最後にお知らせさせていただきますが、この書簡は、特別報告者の任務のために、公に利用可能とするため、ウェブサイトに投稿いたします。
貴国政府からの返信に関しても同様に、同じウェブサイトに投稿し、また通常の表現に関する人権の議会に提出する活動報告書にも同様に掲載させていただきます。
Finally, I would like to inform that this communication will be made available to the public and posted on the website page for the mandate of the Special Rapporteur on the right to freedom of expression:
Your Government’s response will also be made available on the same website as well as in the regular periodic Communications Report to be presented to the Human Rights Council for its onsideration.
これに対して、アメリカやイギリス、ドイツなどの先進国は、形式だけにしても「忠告してくれてありがとう、これこれこういう法律だから大丈夫です。もしもっと疑問があったら答えるよ」とか「忠告には感謝しますが、現在議会で議論している最中で、議会の決定は政府とは独立しているから現段階で、どういう内容の法律になるかは答えられません。もし内容が明らかになったらすぐに情報提供させていただきます」みたいな感じの丁寧な応答がされています。
また先日書いたInvestigatory Powers Billについては、コメントはありませんが、同様にすぐにウェブサイトに投稿されています。こっちのほうが珍しいパターン。
理由を書いてある奴もたまにはあって、たとえば、中国のインターネットアクセス規制に関するコメント(これが中国から見えるのかは気になるね)では
また私は貴国政府に、この法案に関する私の見解をすぐに公に示すことをお知らせいたします。このプレスリリースは、私が、貴国政府と、この問題の疑問点を明らかにするために、コンタクトを取っていたことを示すことでしょう。
I would also like to inform your Excellency’s Government that I intend to publicly express my views on the draft legislation shortly. The press release will indicate that I have been in contact with your Excellency's Government to clarify the issues in question.
まぁ中国だと、こういう意見表明がされたことを自ら発表することなんて無いだろうしね。中国のレスポンスは「中国は法治国家だから大丈夫」見たいな感じで、西欧諸国のような修辞はないのが笑えた。
貴国政府の返答は、人権委員会の判断を仰ぐために作成する報告書にも公開されることになります。
今回の申し立ての重大性、緊急性を考慮しまして、今回の書簡の内容については、プレスリリースを行うこととすることも、貴国政府にお知らせいたします。
The response of your Excellency’s Government will be made available in a report that will be submitted to the Human Rights Council for its consideration.
Given the seriousness and urgency of the allegations, we would like to inform your Excellency's Government that we intend to issue a press release on the issues contained herein.
とこれも一方的に公開書簡を送ってるけど、このときは別に怒った反応はしてない。でもお得意の
「いかなる情報に基づいた書簡かは明らかではないが、特別報告間が得られた情報は正確ではないwhile it is not clear what information the communication based on, the information which Special Rappoteurs obtained is not accurate.」を書いてますね。
https://spdb.ohchr.org/hrdb/25th/Japan_31.01.14_%281.2013%29.pdf
まぁ正直、文章の修辞的な意味での丁寧さの欠如具合が中国の例に近い。
「最後に、立法段階が相当進んでいることに照らしまして、私の見解では、迅速な公共の関心が必要な事項であると判断いたします。ですから私は、プライバシーに関する特別報告者の任務として、貴国政府に、本書簡を公開するとともに、ウェブサイトに投稿すること、そして私の懸念についてプレスリリースをを行う準備をいたしますことをお知らせいたします。またこのことは、私たちと貴国政府が疑問点を明らかにするためにコンタクトを取っていたことを示すものであります。」
と書いているわけで、むしろ丁寧に理由まで書いているという意味では、通例に照らしてなんら失礼な文書ではないと思うわけですが、強くprotestしたということですので、文書の公開が楽しみでならないわけであります。
http://www.ohchr.org/Documents/HRBodies/SP/Manual_Operations2008.pdf
緊急提言として、通常の外交マナーにのっとらない行動もできるとか書いてあるけど、公開書簡はありふれてというか、少なくとも事後的にでも公開されるものは、迅速に公開されるので、まあUrgent Appealだから公開だっていうわけじゃなくって、コンタクトを取ってる証拠として公開するから、ちゃんと答えてよ、ということでしょうね。これによると基本的には60日以内には回答することになってるけど、トランプアメリカとか、中国とかは1年、2年回答してないのもあるし。
特別報告者としての活動による訴追等は受けない、逮捕、拘禁もされない、書いた報告書は誰にも訂正されない、等々書いてあるので、まぁ特別報告者がただのprivate(私人)ちう意味での個人だというのは相当苦しいですなぁ。
http://www.ohchr.org/Documents/Publications/FactSheet27en.pdf
The experts carrying out United Nations human rights mandates
are legally classified as “experts on mission” in the meaning of the
1946 Convention on Privileges and Immunities of the United Nations.
While they are working on their mandates, the experts enjoy functional
privileges and immunities that are specified inter alia in article VI,
section 22 of the Convention. These include:
“a) Immunity from personal arrest and detention and from seizure
of their personal baggage;
b) In respect of words spoken or written and acts done by them in
the course of the performance of their mission, immunity from
legal process of every kind. This immunity is to be accorded notwithstanding
that the persons concerned are no longer employed
on missions for the United Nations;
c) Inviolability for all papers and documents;
d) For the purpose of their communications with the United
Nations, the right to use codes and to receive papers or correspondence
by courier or in sealed bags;
e) The same facilities in respect of currency or exchange restrictions
as are accorded to representatives of foreign governments
on temporary official missions;
f) The same immunities and facilities in respect of their personal
baggage as are accorded to diplomatic envoys.”
まぁ国連の特別報告者の見解がいつもいつも正しいわけじゃないのは当然でしょうから、疑義には正面から答えればそれだけですむのになぁという話。正直、「一方的に発出してー!」って切れられても戸惑うんじゃないかしら。他国の反応を見てみると。
自分の身の回りに起きたケースになぞらえて言うと、最初は本人も周りも優しく忠告したと思うよ。
「最近ちょっとにぎやかなようだけれど、どうしたの?」「眠れないのでもう少し静かにお願いできませんか?」とか。
普通の感覚の人ならハッとして迷惑にならないよう改善に努めるわけだけど、
トラブルメーカーとなる騒音主は口では判りましたと言っていても、じわじわと同じ音量まで近づけてふりだしに戻すか、
そもそも対応しようとしない。(あるいは「ちょっとマシになった程度」にしかならなかったとか)
苦情主が迷惑と思ってない家庭に(例えば深夜のバイクの排気音に困って苦情を伝えたのに夜泣き癖のある子供を抱える家庭に)
「お宅の事も文句を言っていたわよ」等と噂を流して味方に付けようとしたり、
逆に苦情主が出す常識的な生活音や行動にケチをつけだし、被害者ぶったりする。逆切れ、あるいはいじめって奴ですな。
法はべつに人を束縛するためのものじゃない。正しさを押し付けるためのものでもない。
むしろ逆で、たくさんの人が自由に生き、幸せに過ごすためにある。
人を殺すのも自由だし、そもそも意志をもって行動する人間を誰も止めることはできない。
なので、「人を殺してはなりません」というような書き方の法は現代にはまず存在しない。
ただ「その行動が法に触れるものだったら、(発覚したら)規定の罰を受けますよ」というのが法だ。
その罰の存在によって、間接的に行動を制限しているにすぎない。そこに良いとか悪いとかの概念はない。
だから、その意味においては、増田の感じている違和感は正しい。
法を意訳して「○○しちゃダメだ」と読み替えて、法執行者ではない一般人が正義を振りかざすのは、少しズレた行動だと言える
(あとは、規定の刑を終えて出てきた元受刑者をいつまでも悪人だと誹謗し人格攻撃する第三者も、少しズレた人たちだ)。
だからと言って、普通の社会感覚をもっていれば、罰をものともしない行動をとる人を看過できるほど他人に無関心な人は少ないだろう。
自分がおせっかいな忠告しなくとも、あるいは誰も忠告しなくとも、法を犯した人が適切に取り締まられれば問題ないし、それが理想だ。
だが現実の法執行機関(警察など)はそこまで万能ではないから、「忠告をして芽を摘んであげたほうが良いだろうし自分が被害を受ける率も減るだろう」と考える人が多い。
それで「○○しちゃダメだ」という言い方になってしまうだけなのだ。
増田は法の「正しさ」に反感をもっているようだけれど、なぜその罰則が設けられたのか、という意思決定の集合体である法は、先人の知恵の塊のようなもの。
こうした方が社会がスムーズに回るのだと言う決まりは、議会で私たちの代表者によって民主的に決められたものだから、守るべきものだ。
もちろん時代に合わせて適切にアップデートしていくことは必要だけれども、基本的には現行法の意図を推し量って尊重しなければならない。社会の一員として生きる限りは。
法を知り、自分が法を破ったなら罰則を受け入れる、そして破らないように振る舞う、というのは、自分の属する自治体や国やあるいは人類の成り立ちを尊重し、その構成員を尊重するということにほかならない。
極端に頭が良かったり悪かったりしない限り、人間の頭の良さなんてものは大差がない。
始めからテキパキと仕事をこなす同僚を見て、あの人は頭が良いからなんて言葉で片付けてしまってはいないだろうか。
以下のことは頭の良さには関係ないのに人から頭が良いと思われてしまう内容だ。
頭が良くなくてもできることなのでぜひ身につけてほしい。
・準備がしてある
主に建築業などで使われる鉄則の一つに、「段取り8現場2」という言葉がある。
仕事の良し悪しに対して現場で決まるものは全体の2割程度に過ぎず、現場に入るまでの段取りでほぼ決まるというもの。
つまり何も用意せずに現場に入ったところで仕事がまともに進むわけがないということも意味している。
今日はどんな仕事を行うのか、始まるまで何も考えずに待っていたなら仕事は一瞬で準備に追われてしまうことになる。
予定を早め早めに確認することで、出来る限り先回りして準備をしておくことができれば、仕事が早い人にも簡単に追いつけるようになる。
・考え始めるのが早い
準備を大切にすることと似ているが、これはもう少しその場その場で求められる考え方でもある。
例えば、上司に「これについてどう思う?」と聞かれてから考え始めるのでは遅いということだ。
日常生活を思い返してほしい。
毎日のように繰り返される同じ動作は、次の動作に向けて最適化されているはずだ。
それはつまり、意識せずとも次のことに対する思考が開始されているということであり、しっかりと先読みが行われているから動作に無駄がないのだ。
未知なものに対して先読みを働かせることは難しいことかもしれない。
しかし、出来る限り次のことに対して考えておくことを癖づけておくことで、はたからは回転が早い人と同じに見える。
・着地点を考えて行動している
目の前の仕事を目の前の仕事だけだと考えていると、その仕事はその仕事に限ってしかパフォーマンスを発揮することがない。
新人の頃は、それでも全体のパフォーマンスにつながるような仕事の割り振りをされるのだが、だからといってその通りにやっているだけではやはり成長は遅い。
自分が受け持っている仕事が全体に対してどのような影響を持つものなのか、与えられた条件が全体に対してどのような意味を持つものなのか、そんなことを考えながら仕事に取り組むとよい。
そうして仕事の結果に一貫性を持たすことができれば、それは時に与えられた仕事以上の結果を生んだと言うことができる。
・しっかりと観察する
一見同じように見えるものでも、たった一つの条件が違うだけで真逆な答えを必要とすることが日常的にある。
そうした違いを見極めるためにも、色々なものを日頃から観察しておくことで「普通とは何か」を体感的に把握しておくことが重要だ。
そうすれば瞬間的な観察眼の鋭い人間に対しても、同等に違いを発見できるようになる。
ただし、してはいけないことは必要な内容まで端折ってしまうことだ。
プロとアマチュアの違いは、出来上がったものではなく出来上がりまでの時間だと寿司職人が語っていた。
同じ単位時間に同じ品質のものを沢山作れるのであれば、つまりそれはより高い価値を生み出しているのと同様である。
常に作業に取り掛かるときは、どうすれば無駄をなくすことができるか、手数を減らすことができるかを考えていれば、仕事が早い人間に少しずつでも近づくことができる。
これらは常に相関関係にあり、どれか一つを満たすだけでは良い仕事とは言えない。
時間を短縮させるために品質とコストを犠牲にしました→◯時間、☓品質、☓コスト=-1
時間を短縮させるために、品質はそのままに少しだけコストをかけました。→◯時間、◯品質、☓コスト=+1
どれか一つにこだわることで他二つを犠牲にすることだけは避けたい。
これらをまとめると、つまり一言で言えば頭が良く見える人間とは、日頃から考えることに時間を割いている人間と言い換えることができる。
そのちょっとした積み重ねの違いが、長い時間をかけて大きな差になってしまうのだ。
早ければもう間もなく仕事のできない人間同士による足の引っ張りあい、落伍者への引きずり込みが始まる頃だろう。
寂れた居酒屋みたいな小さなコミュニティで圧倒的正義に対して批判することでしか自我が満たせない人間になってしまう前に、予防線型頭の悪いプールからさっさと抜け出してしまおう。
俺もたぶんそうだと思うけど克服してきてる。
買ってきた掃除機を開けて使うかと思いきや、手で開けられないケースだったから放置。
それを子どもの俺がハサミ持ってきて開けて使う。
説得とか相談とかまるで無い。
クルマで公道で部分的に120キロ出すけどどうやったら捕まらないで済むか知ってるのでなかなかつかまらない。
酒飲んで飲酒運転。注意しても聞かないからもう二度と会ってない。
気に入らない飯がきたらキレる。
暴力は一切振るわないが説教の1つもしないが、決めたことは曲げないのでコミュニケーションが取れない。
金の使い方がおかしい。
口ばっかりで理想主義者のくせに行動が伴ってない。
友達がいない。
これでも日本で上から数えたほうが早い大学出てるので変なプライド持ってる。
勉強などの記憶力はいいが人格破綻してるので成果が得られない。
時間を守れない。
同じく相談や説得が無い。
とにかくヒステリー持ちだった。
喧嘩になるとすぐに家を出て行けという。
実際、全員出ていくと今度は戻ってこいと言う。
実際失敗してだから言っただろというと逆切れする。もちろん反省しないので後日同じ失敗をする。
他人を見下して特に男を見下すが女兄弟にも人格否定に近い侮辱的な言い方を平気でする。
記憶力が悪いが発想力はある。
それで離婚してる。
親とはほとんど接触することなくなったが連絡を取るたびに障害者と会話してる気分になって気が滅入る。
こいつらの血を受け継いでるのかと思うと本当に不幸だと思う。
優秀な人間の塩基配列が欲しかったと常々思っているが仕方ないと半ば諦めているところで、
こうやって再認識させられると辛い。
今の周りの人間がみんな仕事できるし人格しっかりしてる分、思い出させないで欲しい。
このせいで昔の自分は本当に不幸だったと思う。
親が駄目だから子もダメになってるのに要らない自己否定を繰り返してた。
長らくWebサービスの受託開発を行ってきてたびたび思わされる「UIを考慮しないで思いつきで付け足されるデザイン」について。
開発当初は、UIを考慮してしっかりと作りこまれたデザインを頂くことが多い。
出来る限りしっかりとそのデザインを実現し、非常にいいサービスが出来たなんて思って保守を行うと、大体がシステム追加が起こる。
まあ、システム追加がサービスを運用していく中で行われるのは、当たり前なのでそれについては何も問題がない。
問題が起こるのはこのシステム追加でデザイナーが不在の場合が多いということ。
費用の面なのか、追加だから適当でよいと思っているのか、大抵のクライアントはシステム追加を行う際にUIの考慮やデザインの再検討せず、いきなり画面仕様をおくってきてこのとおりに実装して欲しいという。
こちらは「デザインはどうしますか?」と質問すると、適当に今のデザインにあわせてくれといわれる。
長らく開発をしてるので、多少のデザインの心得はあるとして当初のUIになんとか合わせて実装すると、やれボタンが小さいとかここの色を変えてくれとか最初に設計したデザインとまるで違う修正があがってくる。
こちらはそこに権限はあるわけではないが、一応忠告としてUIが他のページとあわないので、その修正はしないほうがよいのではと言うが、そんなのはお構いなしにこれでいいんだとごり押しをしてくる。
それはまるで、よく出来た家にプレハブで増築をしてるかのような醜悪さだ。
そこのページの一部だけなら百歩譲って我慢できようが、そのうちにメインのデザインにも口を出してくる。
やれ、ヘッダーの色を変えろや、第二階層メニューを見やすくしろだとか。
それは私の仕事ではないし、デザイナーと相談されては?と伝えても金がかかるからといってやらず、それならと自分で適当にデザインしたものを送ってくる。
きっとそのサイトをデザインしたデザイナーはその代わり果てたデザインをみて驚愕してるに違いない。
私はその悪魔の所業の手伝いをさせられることがいやで、その手の受託案件ではデザイナーも保守運用に当たるようにクライアントにお願いをしているが、それを受け入れてくれるところは限られている。
きちんとUI設計書なんてものが用意されてる案件もあるが、それを無視するクラインは枚挙にいとまがない。
こうして日本のWebサービスはひどいUIのものが量産されてしまうのだ。
ただ、幸いにして最近のWebサービスは自社できちんとデザイナーを入れて、しっかりUI設計をされているところが増えてきている。
まあそうなると開発も自社となることも多いので、受託屋としては仕事がなくなってしまうのだが、それでもしっかりとしたUI設計を行ったWebサービスが増えることを祈るばかりだ。