2017-06-15

表現の自由信者の救いがたい傲慢

クジラックスマンガの件で過去の例に漏れず「表現の自由信者ネットであふれかえっていて本当にうんざりしてる。

あいった事件の後でなおも迷わずに「表現の自由を守れ」と声高々に主張する方々に聞きたいのだが、君たちはその発言が「表現の自由を守るためには、多少の公益子供安全を損なう結果になっても仕方ないと思ってます」と言っていると同義だとちゃんと理解しているのだろうか?別にコレについては批判するわけじゃない。権利を守るというのは時としてそういうモノだ。たとえば凶悪事件犯罪者人権を過度に守ろうとするとその犯罪被害者人権侵害することが多々あるし、音楽書籍などコンテンツ著作者権利利益を過度に守ると、今度は消費者不利益をこうむることなど多々ある。すべての権利平等尊重するのは不可能で、片方の権利を過度に守ろうとするとそれに相対する別の権利侵害することになるからだ。だからそういう意識があって「表現の自由」を訴えているならいいのだが、どうもネット書き込みの大半からはこういう葛藤など一切感じられず、純粋に「表現の自由を守ることが絶対正義」と信じて疑わないような連中が多すぎるんじゃないか?と思ってしまう。

しかに「表現の自由」というのは近代社会の中では守られるべき価値観の上位にあがるものである。なぜなら「表現の自由」は往々にして「権力監視」「権力から自由」に密接に関係してくるから国家権力暴走を防ぐには必要不可欠である。ただ「表現の自由」の名の下になんでも表現していいというわけではない。たとえば欧米では表現の自由」のなかに児童ポルノレイシズムを煽るような表現には厳しい制限がかかる。児童ポルノコンテンツ欧米人には子供しか見えないアニメ顔のエロコンテンツは所有しただけで逮捕される国も珍しくないし、ヒトラーの「我が闘争」は発禁扱い。ヘイトスピーチデモ表現の自由には認められない。少なくてもクジラックスマンガをこれらの国で自主出版でもしたら確実に逮捕事案である。これを「表現の自由なんていって欺瞞じゃないか!」と批判するのはお門違い。だって表現の自由」は絶対的ではないんだよ。

ここまで書くと「それじゃ殺人レイプ描写がある小説ドラマ映画規制しろよ」などと反論してくる連中がでてくるだろう。まったく馬鹿げた反論だ。一口に「殺人シーン」といっても、その作品内の背景とかストーリー上の設定などで意味合いがまったく変わってくるからだ。たとえば同じ惨殺シーンでも「羊たちの沈黙」のように主要登場人物の異常性・神秘性を演出するために使われたり、戦争映画のように人間が虫けらのように殺される描写戦争凄惨さ、残酷さを演出したり、または復讐ジャンル映画では家族を殺された主人公がどれほど強い動機相手復讐していくか演出するなど様々である小説ドラマ映画殺人レイプシーンが許容されているのは、人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要からである。それにこういった作品でもどのように陰惨に殺害されたか、激しくレイプされたかなんて長い尺をつかって表現するコンテンツなんてごく一部だ。(「食人族」とか)

もちろんその殺人シーンやレイプシーンが「ストーリー上それは必要不可欠なのか」「ただの過剰演出ではないか」という疑問は常につきないものだが、今回のマンガの件ではその議論以前の問題である概要を読むだけであれは「未成年女の子大人が騙してレイプする行為を楽しむコンテンツ」以外に何者でもないことが明白だからだ。だからもしあの作品を他の実写映画でたとえるなら女性女の子もつ親御さんにとっては「ストーリーなど特になく、哀れな被害者凶悪殺人魔に追い詰められジワジワと惨殺されていく映像を延々と見せられるだけ」な内容と同義である。君たちが「表現の自由」の名の下に守ろうとしているコンテンツとはそういったモノなのだよ。

ただああいった作品が実際に性犯罪を誘発しているか?という疑問はさすがにわからないとしかいえない。もちろんゼロはいえないだろうが、それ以上の事は調査する人のバイアス価値観によってどちらにも転ぶ内容だと思う。これについては結論はでないだろうから議論するのは無駄だと思う。ただああいった作品自主出版はいえその気になれば個人で入手できる状態だという事実の一つ一つが日本性風俗文化を少しずつ形成しているのは間違いない。

児童ポルノ児童買春について絶対的に厳しい価値観欧米(かといって厳しくすればするほどその禁忌を破ろうとする人間がでてくるのも悩ましい)にとって、先進国でありながら日本性風俗のゆるさはやはり衝撃的だろう。風俗禁止法というものがありながらソープみたいなサービスが当たり前のように存在し、AKBみたいな大半が子供しか見ないような女性グループが下着がもろに見えるダンスをしながらテレビで踊っている。これらから彼らが感じることは「法律上では児童ポルノって駄目だけどさ、本音では若い子のほうがいいっしょ?20代30代のおばさんより10代の女の子のほうが興奮するよね」という空気ではないだろうか?欧米知識人日本性風俗文化軽蔑するのも無理はないと思う。

さてここまで長々と書いても、大半の「表現の自由信者には俺はただの欺瞞者で権力者側の規制賛成論者にしか見えないのだろう。別にそれはどうでもいい。ただ最後忠告するのは、これからも「表現の自由」で何やっても許されるのが当然だと思っていたら、最後にしっぺ返しを食らうのは君らだということだ。今回のような事件は単発であって欲しいと願ってはいるが、もし何かの間違いで1年の間に何回も立て続けのように起こったら、それこそ日本世論の大半は一気に「あん児童レイプ助長するようなマンガを許すな!国はちゃんと規制しろ!」に傾くだろう。そのときネット住民や一部の知識人馬鹿の一つ覚えにように「表現の自由重要さ」だけを訴えたところで大半の世論からは「ただのロリコン似非リベラル」のレッテルしか貼られないだろう。そもそも児童ポルノ関係では日本よりはるかに厳しい欧米のほうがちゃんとメディアによる権力チェックができてるんだから、「エロコンテンツ規制を認めたら権力暴走を招く」論はまったく理屈が通ってないのである

もし俺の予想するような最悪なシナリオがおきて日本性風俗に関する規制が厳しくなったとき、おそらく君らは日本人不寛容さ、無教養を嘆くんだろう。違うから。君たちの救いがたい傲慢さが原因だよ。もし今後も欧米よりもゆるい日本独自性風俗表現を守っていきたいと思うなら、むしろ君たちこそが行き過ぎた表現にはちゃんと警告をだして業界内で自浄作用が起こるように注意しなきゃならない。「こりゃ論理的やばいだろ」ってコンテンツ見つけたら乙武張りに「超えちゃいけないライン考えろ?」って冷や水ぶっかけ努力を続けないとならないんだよ。

ま、たぶん無理だろうけどね。

  • つまり、クジラックスの漫画に犯人が捕まるという結末さえあればOKというわけだね。 人間のコアな部分を演出するには、時には人間の暗黒面をちゃんと見せることも重要なのだから...

    • >つまり、クジラックスの漫画に犯人が捕まるという結末さえあればOKというわけだね。 ぜんぜん違う。 仮に「犯人が児童レイプ魔になった経緯」を描くといった趣旨のストーリー...

  • 概ね同意しますが人間の暗黒面の存在を創作で伝える必要性は全く無いと思いますね。 そういうのは犯罪心理学など学問の形で教育させればいい。 表現の自由は何をしてもいいわけで...

  • 表現の自由の無制限性は規制されてもいいけど、界隈じゃ羊たちの沈黙よろしく残酷表現を見せたかったという意図があることになってるらしい。作者はガチロリではないんだそうな。...

  • 表現の自由を規制していようがいまいがレイプするようなクズはレイプをするというだけの話を理解できないバカ。性犯罪の作品が抑止に至っているのか増長に至っているのかがわから...

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