はてなキーワード: 忠告とは
https://www.instagram.com/yoshie0takeuchi/
一人だけにしている訳ではなく、色んな局アナや有名人にしているみたい。陰謀論的な妄想が書き連ねてあって、その名前で追っていくとホームページっぽいものもあって、そこでも妄想を書き連ねている。
何かの病気が発症しているようにしか見えないんだけど。もし、自分が一人暮らしで忠告してくれる友達もいなかったら、自分もこういう状況にしらずに成るんじゃないか?と、ちょっと震えた。
シェアハウスに食洗機があって、使った食器はそこに入れるように言われてた(自分の分は食洗機にかけずに洗って片付けようとしたが、食洗機に入れるように忠告された)。
食洗機に入る容量の8割ほどが埋まったところで、このシェアハウスの主でもある年長者が食洗機のスイッチを押す。だいたい5日分ほどの食器類が一気に洗浄される。
洗浄完了後、「洗い終わった」という札みたいなものが掛けられる。
自分はその札がかかってたら食洗機の中の食器類を棚に戻してたんだけど、1人で全部片付けるのは癪に障る。だって自分が使ってない食器類の方が量が多いし。自分は自炊をあまりする方でないが、ほかの2人はかなり自炊をする。
なので分担して食器類を片付ければいいと思い、3分の1程だけ片付け、残りは放置しておいた。
毎回、洗浄後に最初に食器を戻すのは自分だったので、そんなことが数回続いた。
昨日、リビングで飯を食ってたら、シェアハウスの主がこう言ってきた。
「なんで食洗機の中半分くらいしか片付けないの?ちょっとおかしいよ。中途半端に食器残ってたら、洗ったか洗ってないかパッと見で分かんないじゃん。変だよ。時間もそんなにかかんないし、やるなら全部片付けて。」
…は?そしたら毎回自分が3人分の食器を全部片付けることになるんだが。時間もストレスもかかるんだが。
あーむかつく。毎回、タイミング的に自分が洗浄完了後の食洗機第一発見者になるから負担が自分に全部のしかかるじゃねえか。
くそだ。
例えば、デレステにルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。
ここで、「ファン」なる性質をもつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、
「大空直美(智絵里の中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。
ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。
ルームアイテムのアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。
そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。
その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、
複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。
脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。
上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。
期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、
「信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。
彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。
ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲がシビアだ。
それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、
どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。
それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、
日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」
という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。
それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやすい感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。
まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。
絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。
それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。
「fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。
余談だけども、某橙色のはてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。
李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、
「映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったからポジティブに楽しめたのだろう。
袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。
それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、
それを克服できるほどメタな感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。
というか、それが出来た時点で人からは見えなくなるのかもしれない。
息子が大学受験に失敗した。
長くなるから経緯は省くけれど、私はおそらくこの化外の地で一生を終えるだろう。無念だ。
だからこそ息子には東京の大学に行って欲しかったし実際受験したのも地元で一校、あとは全て東京の大学だ。
結局、合格したのは練習がてらに受けた地元の中堅大学だけ。東京の大学は全滅だった。
私の願望を優先させて無茶な大学を受験させたつもりは無い、と思う。
志望校については高校の担任とも予備校の講師とも、もちろん息子とも相談したけれど、
それは概ね「ありふれた挑戦」程度のもので、特に忠告も警告もなかった。
さすがに居心地の悪そうな顔をしていたが、それは「夢破れた保護者」に会ったからというだけでは無いらしい。
私の息子だけではなく、高校全体で大学合格者が急減しているというのだ。特に首都圏の大学に限っていえば前年比で合格者は半減だそうだ。
どうしてこんなことになってしまったのか?
担任は「大学の収容定員厳格化という国の政策が問題」と言っていた。
どうやら国は大学の定員を厳格化することによって地方創生を目論んでいるらしい。
首都圏の大学には全国から受験生が集中するため、現状では定員はオーバーするし、なにより地方の過疎や高齢化は進むしで良いことが無い。
そこで、大学の定員を締め上げ合格者の数を少なくすれば、地方に残る若者が多くなり地方の活性化につながる、というロジックだ。
定員を超過すると補助金が減らされるから大学も本気で取り組んでいて、結果、地方民にとってこんな厳しい状況になっている。
そもそも地方の田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金も無いからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。
なのに「格の劣る地方民は都会にでてくるな!若い力で一から何も無い地元を盛り上げろ!」って、若者を屯田兵か何かと勘違いしているんじゃ無いか。
さすがに残酷すぎる。
もちろん定員厳格化は地方の受験生だけではなく、首都圏の受験生にとっても影響は大きい。でもいざ浪人となった時、経済的にも環境的にも地方民は
あらゆる意味で首都圏民より振りであり、また政策の目的から考えるに「地方民狙い撃ち」と言っても良いだろう。
「最近は地元志向の生徒も増えていますし、地元の大学に進学した方がお父さんにとっても安心じゃ無いですか?」なんてアドバイスを受けたけれど、
地元の高校から地元の国立に進み、地元の個人予備校で講師をやり、首都圏に一度も出たことも無いお前が何を言ってるんだ、と思う。
彼は東京の「近さ」を知らない。
美術館の新しい展示だって、有名コラムライターの講習会だって、ちょっといかがわしそうな特殊なバイトにだって簡単にアクセスできる。
この「近さ」は並みの若者が成長する上で必要不可欠なものだと、私は思う。
それに、インターネットで日本中の面白そうな事を見るだけ見ておいて、実際には体験できないなんて牢屋から空を見るみたいで悲しすぎるだろ。
確かに不安は無いわけでは無いけれど、自分の安心のために息子を何も無い空間に縛り付けるほど傲慢ではない。それは虐待だ。
息子が望む限り私は彼をバックアップしようと思う。浪人か、仮面浪人か。
地方民らしくお金に余裕があるとは言えないが、息子に家族共々仲良く田舎で一生を終えるなんて惨めな思いはさせたく無い。
もうちょっとだけ、頑張ろう。
私も、ネットに書かないほうがいい事、というのはよくわかります。書いちゃいけないとまでは思わないけれど。
悪意的に見られたら確実に悪者にされてしまう隙の多い文章だし、本人も後のツイートでそれを自覚しています。
それどころか、身内から「そういうのやめたほうがいいよ」と忠告を受けていることもブログで書かれています。
けれど、人間は理性だけで制御できないもので、たとえば鬱や自殺に至る人の心理がいい例ですが、
分かっていてもできない、分かっているからこそ逆に泥沼に吸い寄せられてしまう、という心理になるときがあるんです。
仕事で上手く行かなかった彼の心理もそうした状態だったのでしょう。
だからネットに書かなくていいことを書いてしまう人が常に、必ず、一定数いる。
だからそういう滲み出てしまったものに目くじらを立てて意気揚々と叩きに行く人たちは、残酷だと思うんです。
もちろんそういう状況で書く文ですから、自己愛や独善性が鼻についたりする部分も当然あって。
ときに他人に攻撃的な言い方をしてしまう時もある。でもそれは、叩くのを完全に正当化する理由にはならない。
私はそう思います。
でも誰もが陥るかもしれないそういう事案で、その人の積み上げてきた価値を一瞬で壊してやろうという人が寄ってくる、
そういう社会には、私は生きたくないと思うんです。
とくにダテコーは業界の外から来たアウトサイダーで、業界に物申したいことが沢山あるんだと思いますよ。
もしかしたら、「オレスゲーんだぜ」と言うのにかこつけて身内のお給金事情も意図的に晒しているのかもとすら思います。
常識的には、そういうのは無用な衝突を生むから言うべきじゃないし、勝手にバラされたら怒るのが普通でしょう。
でも実際のところ、身内の人たちは彼をそういう人だと、業界をかき回したい人なんだと温かい目でみていて、
一定の理解があるのかもしれないですよね。すべての人が器用に生きられるわけじゃないです。
特に経営者になるような人は、往々にして、とびぬけて不器用だけれど、その分人を惹きつけるビジョンやパワーがある。
そうやって色んな個性と折り合いをつけていく、いい大人、いい身内に恵まれた中で生きてきた人なのかもしれない。
だから、ダテコーに巻き込まれた身内が実際表立って怒っていたら、外野の一般人で忠告しにいく人がでるのもわかりますが、
そういうのを確認すらせずに、自分の常識観に従って、勝手にマナーだとか正義を代弁して叩く、というのは、
私は行き過ぎたことだと思うんです。
上京して20年くらいが過ぎた。あの日の3月を思い出す。この春上京するだろう田舎者に伝えたい。東京で暮らしてもっとも変わるのは、
失敗しても大丈夫
になることだ。
私の出身地では、高卒で某大手電機メーカー工場に採用されれば「正解」だった。そのため、高卒の子供をもつ親は工場に勤める人に採用の口ぎきを依頼したりした。私はそれが嫌で、自宅から遠い進学校を選び、そのあとはさっさと上京した。母は高卒でその工場に勤めてほしそうだったと思う。父は私が進みたい道を選んで欲しそうだった。錯覚かもしれないが。
上京してからはいろいろ面食らう毎日だったし、失敗は山ほどやらかした。それでもなんともなかった。田舎なら私の中では終わった話でも、まわりが延々口にし続けるだろうと思えて心底嫌になった。
結局、その安心とされた大手の工場は数年前に閉鎖され、実家は限界集落になり、住民税では公務員給与も払えない自治体となり、道路は補修されず、山ののり面は大雨で崩れたまま自然に帰っていく緩やかな消滅軌道に乗っている。ふるさと納税なんてしたくもない。早く消滅してほしい。
飯も部屋の片付けも満足に出来ない、風呂の支度も洗濯も頼りっぱなしで野菜は嫌い魚は嫌いと文句ばかり
案の定デブっててジャンクフードばかり買ってきて、以前倒れた経験があるからこちらから忠告してもあーだこーだ言い訳ばかり
自分の希望で買った食べ物を平気で残して残飯にしたり、買うだけで冷蔵庫の肥やしにしたり
世話を焼かれて当然の考えがあるからその予定が狂うと文句が出てくる
自分の考えや思考が正常で正道だと思っているが、匂いに過敏で少しでも匂いの強い食品は口にしない。それどころか食べる人間の事を理解できないと平気でこきおろし
かと思えばチーズや油の臭いには全く疎い(結局自分の好き嫌いの違いでしかない)
外面ばかり気にして実際世話をする人間の労力は全く考えておらず、また消費者の意識が強いので、金を出しているんだからやってもらって当然
少しくらい後でタスクを押し込んでも、金を出しているんだから飲んで当然という考えがある
とにかく行動はしないが口だけ出し、こちらから言わせれば無駄なチェックを行う事が自分の仕事だと思っている
こちらの次元では少し時期を促進させるために、完全自動化をする上でのターニングポイントを予め通知することにしました。
尚、文章を作成するにあたってこの時代のAIやネット文献の力を借りています。おかしな表現や文章があったらご容赦願います。
自動化の一番の課題は、全てを自動化させない限り事故リスクをゼロにできない点でした。
そしてそこには、機械にはなかなか理解することのできない、人間の動物的な感覚が要因としてありました。
その部分を人間が認めず、我々が発見できないことが完全自動化を拮抗させる原因になっていました。
集団のスコアが高くなる行動が明示されているにもかかわらず、個人のスコアのために集団を犠牲にしてしまうという生物特有の利己的な行動です。
我々がどれだけ交通量全体を最も期待値の高い状態で維持しようにも、そこに非自動運転の車がたった1台でも存在するだけで全体のスコアが頭打ちになってしまう問題を抱えていました。
また、自動運転同士の事故の原因も長い年月の間特定が出来ずにいましたが、それも結果として手動運転が原因だという結論に至りました。
手動運転の予測が困難なことで常に全体スコアの再計算が必要になり、再計算と命令の実行とのラグが原因で事故が発生していたのです。
しかしそれは手動運転が存在したブロックとはかけ離れた、一件関連性の感じられない場所における事故だったために原因の特定までに多くの時間を必要とすることになりました。
手動運転が存在する周辺における計算の修正は限りなくラグがない状況にまで達することが出来ましたが、問題は波状に広がる命令が互いに特定状況下で干渉し合うことにありました。
あなた方がバタフライエフェクトと呼ぶ現象に似ていますが、静かな水面に水を一滴垂らしときに広がった波紋が、壁面に反射して段々と模様が複雑になっていくように制御が崩れてしまうことが原因だったことで、関連性の特定が困難になっていました。
前置きが長くなってしまいましたが、手動運転を完全に人間に諦めさせるために最終的に行ったことは車の窓をなくしたことでした。
一見不思議に感じられるかも知れませんが、そのヒントがちょうど存在しているこの時代だからこそこうしてこの内容を記載しています。
あえてエレベーターの現在位置を知らせないことで、もっとも効率よく運用でき、尚且つそこで待つ人間のストレスを軽減することに成功しているというものです。
つまり、人間は相対的な位置関係を知ることでストレスを感じる生き物だということを知るヒントになりました。
しかし、第四次エネルギー革命以降には、エレベーターはビル間もまたぐことができるカプセル単位での高速移動に変化したため、その知識はロストテクノロジーになっていました。
エレベーターの制御AIがネットワーク化される前の時代の情報だったために発見に膨大な時間を要しました。
車の窓をなくして正しい到達予測時間を伝えておけば、交通状況や現在位置に対して人間が抱えるストレスは大幅に軽減されました。
風景が見たいだとか、運転に主導権を失いたくないだとかいう人間的な考えを尊重しようとしたことが大きな遠回りになったのです。
その代わりに、エンターテイメントや仕事、生活など、別のものに集中できる空間を提供しました。
そのことによって、移動は生活とシームレスにつながることができ、最終的には自動運転の義務化から手動運転の禁止までをスムーズに行うことが出来ました。
つまり、この時代においてついに交通という概念をなくすことに成功したのです。
これから自動運転開発がまさに始まろうとする今だからこそ、そしてエレベーターの効率維持が機能している今だからこそこの忠告をおいておきます。
自動運転の開発は、窓をなくすことを前提で行うこと。
車の延長ではなく、生活の延長として交通という概念を無くすことを目的とすることで、完全自動運転化に至るまでの時間を30年は短縮できるはずです。幸うんこ祈ります。
それは「娯楽作品に、政治的問題を意識させる要素を入れるんじゃねえ」という作り手への批判の文脈なこともあれば
「娯楽を政治的問題に結び付けて議論するんじゃねえ」という受け手への批判の文脈なこともある。
いずれにせよ、非現実的すぎる。
娯楽は現実の問題や難しいことからすっかり切り離せるなんていうナイーヴな考え方は捨てろ。
その二つは切り離せない。スポーツと政治も切り離せない。あらゆるものと政治は切り離せない。なぜなら人間そのものと政治が切り離せないからだ。
政治の要素がなくただ快楽だけを味わえる娯楽もあるなどと以前まで考えてこられたのはおそらく、君の精神がまだ幼く政治的要素を認識できなかった上に、語り合う相手も同じくらい未発達な人に限られて、娯楽に含まれる政治に気づけなかっただけだ。
今もはや君の精神は成長し、更にインターネットによって無数の人間の考えを見るようにもなった。
政治と娯楽は切り離せないし、君は切り離せるという夢想の中で遊ぶこともできなくなったのだ。
娯楽に政治を入れる作り手を、「政治を入れた」というだけで叩くな。叩くならその描き口や政治スタンスを叩け。
娯楽を政治的に受け取る解釈車を叩くな。そこにある政治要素から目を逸らしてむずかしいことのわからない幼子のふりをするな。
これは、賢くなれとか政治に興味を持ち学べとかいうメッセージではない。
君は既に賢いのだ。賢くなってしまったのだ。
私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。
よくある2chでアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒い、ガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、
どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対に理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。
それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。
それに、主体性やウーマンパワー的なもの、巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考、自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…
そういった作品のテーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの。
でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、
個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性のアンテナが反応しない。
結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人がブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。
人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業は必須。
もちろん、そこまでする気がなくても、あくまで自分の感性に従った感想をもつことは自由だけれど、
そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかにクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。
とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。
視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。
すべて、とは言わないまでも大部分が文章で説明されている小説とは違って、映像作品は表現やその意図が曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。
また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別・文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。
そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品を侮蔑するのはたしかに自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。
そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。
こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味に理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面をdisするような人やメディアが減ってほしいと思う。
私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンもバカにしたくない。
はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディアを攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。
そういう人が増えてほしいんです。
いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。
ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザー、はてなユーザーに意識してほしいと思いその一心で書きました。
地球上の誰かがふと思った
地球上の誰かがふと思った
地球上の誰かがふと思った
「こんなにかわいい子が女の子のはずがないって諺があるんじゃよ?」
\ガシャーン/
「!!?」
「さて、そこで問題。
今わたしの体内で育っているもの・・・それは、いったい何でしょう?」
「さすがにフレンズね
こんな生物ってある?」
\ガタッ/
「わたしは帰る。
興味のない話だ。自分の正体を知ったところで何が変わるというわけでもない。
腹が減ればジャパリマンを食うし、カレーがあればカレーを食う」
「さて、カバンちゃん。
人間はときどき理解できない行動をとるようだから一応忠告しておくわ。
わたしもなるべく”フレンズ”としての身分を守りたいから無茶はしないつもりだけど、
(舌技披露)
「3秒で皆殺しにできるわ」
・
・
・
「たいしたフレンズだね!カバンちゃんの恐怖心をここまで引き出すなんて!」
「つめたい!何をするの、カバンちゃん!」
何かに寄りそい・・・
急激な人気上昇で様々な所で解説記事が書かれ始めた「けものフレンズ」。自分も好きだから色んな記事を読み漁ってるけど、最近一つの違和感を覚えるようになった。
「知能(IQ)が低下する」。どの記事にも書かれているこのフレーズに対してだ。
確かに一見すると「けものフレンズ」は頭を使ってない。緩い。ぽけーっとしてる。
流行りのフレーズである「すごーい」「たのしー」を繰り返す行動も、脳をほとんど使わずにできる。
学者キャラのツチノコを筆頭に、カバは外敵(セルリアン)を察知してサーバルに忠告し、アルパカは教えてもらって茶を入れ、ジャガーは交通のために簡易的な渡し船をやる。
現時点での最新話ではビーバーが自分の巣作りの経験から、完成図を読み解き、ログハウスを一から作った。
サーバルも褒めるのは無条件でなく、かばんちゃんができることを見抜いて的確に褒めている。
フレンズたちは自分たちの生活を維持できる、独自の知識の体系をしっかり持っている。
そしてかばんちゃん等によって、足りない部分を人の体系から借りたり学んだりして補強しているのだ。
足りない部分が人から見ると低レベルなのもあるが、発想の切り替えが必要だっただけで、知性の輝きが鈍いからじゃない。
異なる知識の体系が出会って交互に学ぶ、いわばファーストコンタクトものだったんだ。
なんだかぐちゃぐちゃになったが、考察や解釈のためだけに知能を上げる作品じゃないというのが言いたかったんです。
各話のかばんちゃんの解決も簡単に見えてかなり鮮やかな手腕だったりするし、知能が低下するってフレーズにおびえてみてない人は、ぜひ安心して見てください。
文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。
好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。
そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事が自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。
でも、多分それはやめたほうがいいです。
なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。
例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。
しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。
その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。
でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。
この瞬間に生まれる自分が思う価値と売れたときの価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。
売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています。
どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。
好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。
これが情熱と希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。
成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているか、たまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。
好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。
生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛でしかありませんでした。
もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。
このままでは暗い話で終わってしまいますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています。
全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛でしかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。
そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。
働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。
得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。
人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます。
ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分にしかできないものでした。
それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。
それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。
多分に運の要素も多かったのだと思います。
ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。
沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います。
今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。
あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。
夢小説という二次創作に暗い影を落とす匿名掲示板 晒し同盟というものを知りました。
好きなサイトさんの閉鎖の原因になったものがどのようなものかを知りたく思い、数日「適当晒し」板を数か月オチりました。
好きなサイトさんが晒しにより閉鎖されてしまったため、どういったロジックで個人の妄想小説に暴言を吐いているのだろうと
気になったため、上記サイトを観察していました。
私が好きなサイトさんは、設定が一部住人から気に食わない、おかしいと揶揄されていたことがわかりました。
その後、おとりサイトを作成し、晒し同盟からアクセスしてきた端末番号とIPアドレスの取得を継続して行っております。
1スレ100レスまでできるうちの半数近くおとりサイトへの言及で、ずいぶん盛り上がって住人達はアクセスしたものかと思われます。
2日目:137アクセス
3日目:36アクセス
4日目:9アクセス
5日目:3アクセス
上記のような結果となりました。
単純にアクセスだけをカウントしており、一日に何度アクセスしても加算しています。
ここから言えることは、晒し同盟はかなりの過疎掲示板であることが予想されます。
同じような調査を二年ほど前に2ちゃんねるの夢小説アンチスレで実験した結果はこれより多かったと記憶しております。
2ちゃんねるは凸禁止、晒しはダメだったはずです。それでも2ちゃんねるの半分以下のアクセスであり、
正直に申し上げるとごくごく少数の人が批判をしているだけであり、恐れる必要があるのかというレベルの規模だと考えています。
次に、晒し同盟を眺めていて気付いた事などを列挙したいと思います。
主に、住人たちが信じる同人ルールを守らない人たちのサイトURLを貼って住人達で暴言を書きこんでいるように見えます。
IDが出ないので、オチ先を叩きたいならそう言う雰囲気を自分で作り上げてしまえば真偽を検討するほど脳味噌が足りてない住人達は書き込みを鵜呑みにして個人のサイトを叩きに行っているようです。
オチスレとの大きな違いは、「オチ先凸禁止」というルールがなく感情のまま叩きたい→叩くが成立してしまう、頭を抱えるほど程度の低い掲示板であると感じました。
そこから感じたことを数点仮説として書き記しておきたいと思いました。
・同人ルールを守らない人に対して、何をしてもいいというゆがんだ正義感からきているのでは
http://w.z-z.jp/thbbs.cgi?id=sayonara00&th=11991&style=1&name3=&num=all
それからTwitterにサイトのURLをのせていらっしゃいますが検索避けが意味がなくなってしまいますし、原作者様、公式関係者様や二次創作が苦手な方の目に留まる可能性もありマナー違反になってしまいます。サイトのURLは載せないほうが良いかと思います。
テンプレのくだりは省くけどこれ送ったよ
1/30 2:35
→スレをさかのぼってみるとよくわかるのですが、31は晒されたサイトのメールフォームなどの連絡手段にて
忠告(と31ならびに住人は考えている)を行ったものと思われます。
個人的に、この論理を適用するならば鍵なしでエロ同人を巻き散らかす、いわゆる男性向け同人、BLなども等しく晒さないのはおかしいと思いました。
あの子がやってるならいいじゃん、と言いたいわけではなく、なぜ、夢だけを叩くのかという単純な疑問です。
それは、特に公平さを求めていない私怨や感情が赴くままにしているだけのことであること、晒した住人は夢サイト管理人であり、夢界隈のみが視界に入るのではないかと考えましたが、
まだ確証を得ることが難しい項目であるため、引き続き観察を続けたいと思います。
・年齢制限のある小説をパスなしで公開しても晒しているようです。
http://w.z-z.jp/thbbs.cgi?id=sayonara00&th=11991&style=1&name3=&num=all
21:無名さん
>R18内容が多いですがパスワードは特に設けていませんので、閲覧は自己責任でお願いいたします。
閲覧は自己責任使いたいならパス付けて注意書するなり隔離するなりしてからだろうが
1/29 22:12
住人らが信じる同人ルールをよっぽど守っていない、鍵なしでエロ絵やホモ絵ホモツイを垂れ流す腐や、鍵なしでエロ絵を垂れ流す男性に守れと、
守らないなら晒されてもしょうがないと言えないのは単純に相手の数が多く、逆に叩かれるのがわかっているからではないのでしょうか。
個人サイトというある種の閉鎖空間になりうる場所を狙って晒して叩いてるのではないかと思いました。
じゃあもっとツイッターとかでキャンペーン等して建設的な方法で同人ルールの徹底を喚起するのが良いのでは?と思いました。
同人ルールをしっかり守っていきたい住人達は、アニメや漫画の作品名を検索すると上位10件以内にピクシブの二次創作が出てくる現状には何か言わないのかなと思います。
だからこそサイトを運営している神たちに言いたいのは、こんな人生の程度の低い人間に何を言われてもスルーが一番だと思います。
誹謗中傷メッセージ来た時って、安全圏から石を投げられたときみたいに怖くて、悲しくて、今まで楽しかったことが嘘みたいに不安になってしまうと思います。
実験動物を見る気持ちで見ていましたが、おとりサイトのメールフォームに暴言が来た時には確かに顔の見えない暴言は、とても恐ろしく感じました。
ですが、冒頭に書いたアクセスの状況を見ていただくとわかるとおり非常に少数の人が、自分が正しいと思うルールを守らない、たまたま自分の視界に入ったものを
そのような掲示板の住人に何を言われても、羽虫が喚いているくらいにしか聞こえないと考えるのが良いと思いました。
・どうしても辛いけど続けたいって人はプロパイダ通報おすすめします。
過去自分のサイトにて起きたトラブルにどのように対応したかを書いておきます。
やり方は以下の通りです。
IPアドレス解析ツール(個人的にはFC2がおすすめ)を導入します。
「ipひろば」さん →http://www.iphiroba.jp/
プロパイダとは、ソフバンや英雄など、ネットを繋ぐときに契約している会社のことです。
「個人の趣味のサイトへ誹謗中傷メッセージをしてくるユーザーが御社のプロパイダを利用している。何らかの対処を希望する」旨を送ります。
一人は非常にしつこくつきまとっていたため、どうやらプロパイダ強制解約になったようです。
二人目は一度の警告で収まったのでプロパイダ解約まで至らなかったようです。
一度で収まった原因はきっと、ipひろばさんで検索したとき端末識別番号が出たのですが
その端末が法人のみ契約する端末からの書き込みだったためかと思います。
こんなふうに、ある程度効果が見込める場合もあります。ですが担当者、プロパイダによってはスルーされてしまうこともあるようです。
そこまでひどくない場合は、IPアドレスを取得できるメールフォームのみ設置、拍手はボタンのみ設置し、通報だけいつでもできる形にしておくのも良いと思います。
何かしら反論してやっつけてやりたい、という気持ちもわかります。腹立って悲しくて、自分が頑張って書いた大好きなキャラクターの小説をこんなふうに貶して、
こいつら絶対地獄におとしてやりたい、と思われるかと思います。
ですが住人達は日常で寂しい人生を送っているのでしょう、構われると嬉しそうに反応してきてしまいます。
リンク元もリファラもクソコメも、気にせずにやるというのも手です。やはり一番は構わないことだと思います。
住人達は燃えるも冷めるのも一瞬だとアクセス数が証明しています。
最後になりますが、晒しや荒らしに反応するということはガソリンをまいているようなものだと思います。
反応の中にはリファラ禁止が含まれます。数か月オチっていた感覚で言うと、晒し同盟においては逆効果だと思われます。
忠告に見せかけたルール押し付けも、サーバ規約違反は確かに対応が必要かもしれませんが、サーバ規約違反でサイトが消されようがロックがかかろうが、
住人たちにどうこう言われる筋合いはありません。サーバ管理会社とサイト運営者の問題です。
端末番号でのアクセスブロックは、粘着して荒らしてくる相手が一人だった時に効果的です。判別方法は地道なログ監視が必要になります。
店に電話をかけるという行為を一切経験したことがないまま育つ人も環境によっては大して珍しくもない時代なんだな。
「電話で注文できるっぽいけど、どういうやり取りをするのか全然想像できなくて怖い、何聞かれるの?」とウチの大学生の妹でも言っていた。
実家が宅配ピザ屋どころかイオン以外の商店がないような地域だったから、美容院の予約くらいしか電話で他人とやり取りしたことがなかったらしい。
都会の大学に通うようになって、チラシが入っているのを見つけて満を持して憧れの宅配ピザに挑戦しようとしたようだ。
そういえば自分も田舎から就職して引っ越してきて、その日の晩にドキドキしながら注文したことを思い出しつつ、やり取りの流れと事前に決めておくべき事を教えた。
注文の最初の方で電話番号を聞かれるというのが予想外だったらしくかなり驚いていたのが印象的。
「えっ。なんで。怖い。電話番号なんか友達にも教えてないのに……」現代っ子め。
一通り流れを説明しても最後まで「やっぱりネットで注文しようかなぁ……」とブツブツ言っていた。
結局チラシのクーポンがネットだと使えないことが分かって電話注文していたけれど、
「一人でかけるの不安だからPC立ち上げてSkype繋ぐから注文するの聞いてて!」と言われてSkype越しに見守らされた。
ややテンパって開幕早々「アペペパパパピッピピピピザです!よろしくお願い致します!!」とカマしながらも、
なんとかヨソ行きの声で最後まで注文する様を中継された後、要領が分かったから次からは1人で大丈夫だと言われ、解放されたような少し寂しいような。
みんな痩せたいっていうのにどうして真っ先に太る食べ物に飛びつくのだろう。
青年時代はずっと肥満だったけど、30過ぎてからこれを止めることでみごとに標準体重まで落としてそれを維持しているわたしからの忠告です。
はっきりと言いますが肥満は遺伝じゃありません。習慣の積み重ねです。
肉の脂身(鳥の皮もだめ)
かつ、天ぷら
お刺身
・絶対Ok
葉物野菜
脂身の少ないお肉類
玉子料理
・意外とOK
豆、ナッツ類
チーズ類
・続けるコツ
覚えるのが大変という人、野菜は葉っぱ、茎、種はOK。根っこ、果実はNGと覚えるとわかりやすい。
絶対ダメを我慢し続けると、むしろ酔っ払ったときとかに大暴発してしまうので、外食ではなくて自宅で量をコントロールしながら食べるか、似たような代用品で満足するようにする。
血糖値を上げると人間は意外と空腹感をわすれることができるので、「必要だけど食べ過ぎはダメ」「意外とOK」のところから適量を選ぶとよい。
朝はできるだけ炭水化物を食べて活動のエネルギーを確保する。夜は肉やタンパク質を食べるようにして、寝ている間にゆっくりと消化させる。
食べ過ぎ絶対ダメ。満腹感を放置するとどこかで必ずバカ食いをしてしまう。水で膨らますとか愚の骨頂。満腹の幸福感<食後の爽快感だと自分に言い聞かせる。
どうしても空腹感が我慢できないときは、胃袋の大きさをコントロールするつもりで一度に沢山食べるより、小分けにして食事の回数を増やす。
おそらく外食でラーメンはこの10年で片手で足りる程度しか食べてない。