はてなキーワード: 実践とは
返答ありがとう。
> 理解していない人の理解の助けになればいいかと思って書いた
> ブコメの id:lady_joker のブコメなんで、この人が奥さん?を念頭に置いているのか親とかを念頭に置いているのか俺にもわからん
推測だけど、奥さんでも親でも一緒だと思うよ。
要は、頑張ってご飯を作って「さあどうぞ」って持って行った時って、往々にして相手を喜ばせたい、相手にサービスしたい、
という思いがあるから作っている、と容易に推定できるんだよ(もちろん、究極的には確認しないとわからないけど)。
ごはんを提供することで、相手が喜ぶ顔を見る、ということがモチベーションになっている人は結構いる、ということ。
その人の、そういう世界観は、必ずしもあなたの世界観とは合致しないかもしれない。
そうだとしても、まずはその人(コミュニケーションを開始した人)に合わせるところから始めるのが、大事。
パスを出す側も、受ける側も、ちゃんと「パスしよう」と考えないと、パスが成立しないじゃない?
今回のケースでは、明らかに「受け手側」が「出し手側」を意識していない事が明らかだったので、
それを指摘した次第。
ニール・シュトラウスの「ザ・ゲーム」という本で説明されているPUA(ピック・アップ・アーティスト)という考え方だ。
PUAについては、「ザ・ゲーム」を読めばわかるのだけど、
さらに、このベースになっている心理学的モデルが、神経言語プログラミング、通称NLPだ。
NLPをざっくり言うと、催眠術で使う言語アプローチをベースとした心理モデルで、今一つエビデンスが取れていない脇の甘さでも有名だ。
ただ、実務上、非常に使えるモデルであるため、話し方教室やコーチングスクール、営業向けセミナー、自己啓発セミナーあたりでよく(NLPと呼ばずに)引用されている。
(メンタリストDaiGoが使っているメンタリズムも、NLPをかなり参照している)
ここでは別にNLPを学んで欲しくてこの話をしているわけではないため、一部のエッセンスを伝えるにとどめる。
ラポールとは「かけ橋」、相手との心が通じ合った関係を築くことができている状態を指す。
ラブラブなカップルが、ペアルックにしたり、言葉遣いや雰囲気が似てきたりすることがあるじゃない?
ラポールを取るためには、被験者が言語的、非言語的に発している情報にシンクロすることが重要だ。
NLPでは、その技術を最初にトレーニングする(ペーシング、リーディング)。
その成立過程で、カール・ロジャーズの提唱した「傾聴」という概念を参照している。
そのため、NLPでは相手の話を積極的に聴くことで、相手とラポールを築くことを学ぶ。
さて、
> 「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」とはしょっちゅう言われていたので、その度に
> 「なるほど、俺が何考えてるかわからないんだね」と返してはみたんだけど
とあるけど、「お前が何考えてるか全然わかんねえよ」と相手に思わせてしまった状態からは、
ラポールの構築は、可能ではあるものの、手間がかかるもの、と思った方が良い。
相手に「何考えているかわからない奴」という評価が出来上がっているので、
そこを緩めるほど多くのコミュニケーションを取る必要があるからだ。
可能であれば、早い段階からラポールを築いておくことが望ましい。
相手の評価が固まる前の早い段階から、相手にマッチするようにしていくことで、
「お前の考えている事、よくわかるわ」にしていくことが、より容易になる。
NLPに限らず、この手のスキルは、実際に使えるようになるまでの訓練が必要だ。
コーチングスクールや話し方教室など、「実際に対人練習ができる」場所に行って、
そして型を身につけたら、日常のコミュニケーションで実践していく。
日常の膨大なコミュニケーションで試行錯誤することで、「型」が実際に使えるものに変わるからだ。
「コミュニケーションができるようになりたい」という渇望があれば、どうにかなると思うよ。
学童や小学校の昼食時間、子ども同士の会話を減らすようプロジェクターで映画を流す……って自分は良いアイデアだと思うんだけど、そういうコメントには必ず「私が子どもの頃は食事中のテレビ禁止だった」「ながら食いの習慣が付くのでは」みたいな反論が付くよね。
食事しながら何かをするのはマナー違反だからって理由らしいけど、外でひとり食事してる大人を見ると大抵がスマホを見てる。大学生からサラリーマン、下手すりゃ定年迎えてるような年齢の人まで。それで子どもには「ながら食いは駄目!」ってよく言えるよなぁと思う。
手で箸持って口に食べ物を運びながら、耳にイヤホン突っ込んで視線はスマホの画面に。平日のランチ時間なんて、そういう人ばっかりだよ。スマホ見てなくても本読みながら、とか。
子どもの頃に知識として身につけておけば、大人になってからは実践しなくていいものなのか?
もうよく分かんないな。
前にも書いたけど
そもそも「義務教育(高校も含む)に△△を入れろ」って主張する奴って、当然学校のテストは全部100点だったし、あと道徳の授業で教わったことは一字一句漏らさず実践してきたんだろうなって突っ込みたくなるんだよ
そんなわけないじゃんね
どうせ公教育の内容より、入試に何が出るかの方がよほど大事だったくせに
初心者への添削やアドバイスをやってる人で、学び方などがロジカルなので上手い人なんだろうなあ、と思いつつ動画を聞いていたが、なにか内容に違和感がある。数日後Pixivを拝見すると、ちょっと神絵師とは言えないレベルで閉口までとは言わないにしても正直尊敬するほどでもない。検索するとやはり山ほどいるアンチ。
1番は正しいとも言える。ただし2番めをふんふんと聞いて氏の絵を見るとかなり違和感が出てくる。
まずさいとう氏自体神絵師ではない。はっきり言ってルーキーレベル。その内情の殆どが立体が取れずペタッとしている件。これはつまり1番めをおろそかにして勝手に2番めを実践してるから、という事がはっきりわかる。そして何よりまずいのは、できないからまずは模写するのであって、できない時点でできない絵を別角度から描くということ自体不器用な人には難しい。違う絵柄には方言が存在していて、その方言を別角度から理解して描くという事自体応用力がある。つまり初心者~中級者というターゲット層に適してない。
そもそも氏自身の上達が遅いのだから、練習法にも説得力は生まれない。
そうですかぁ?という素直な感想。下手な絵が自分の手から出てきたら一瞬で理解できますよね。一生懸命取り組んでも頭打ちなものには時間をかけるだけ無駄、このくらいの認識は最大でも三年やってりゃ身につくこと。サラッと描いうまい絵が出てくる人は詳細に描いてもうまい。常識的な話。
最近のイラストはかなりマシだけど、この人の自己申告どおりに考えたとしても画力はジワのび。言ってしまえば普通だと思う。あと風景にごまかしが多くて決定的に描けない人だとも思うけど、彼いわくモンスター絵師から人物絵師になったということで、風景はノータッチなんだろう。デザインは豊富なので記憶力がいい人だし、加工は上手。ただし加工に頼って彩色がいい加減で浅いもののほうが多い。欲しい絵はDLしちゃう人だけど、この人のはもうちょっと待ってからかなあ、という印象。全体的に言って背景の描けないさしみん(たいら)くらい。
すべてが悪いわけじゃなくて、何が悪いのか逐一メモする、原因追求するというあたりは共感する。みんなやってるしあたりまえなんだけどね。はっきり言って。そこは初心者向け動画だから仕方ない。この人流に無意識で反復するのは意味ないよ、と言ってるのはわかる。さらに、自分なりに描いているときこそが一番弱点が露呈しやすいから、実践しつつ復習する態度もわかる。これは本当に重要。ただしそれだって基礎がないとやっぱりイロハのイから無理。
氏の言ってる内容で最大の問題だと思うことが、模写から違和感を探して原因と結果を書き込む、という練習法を否定してること。個人的に言えば模写から成り立ちを逆算してメモするほうが10倍勉強になる。
界隈でよく言われてることが売名野郎ってことなんだけど、ここはプロとして食ってゆくためにやってるのでうまくやってると思う。ただ納得はさせてほしいかなあって。
分厚いが読みにくくはない。オブジェクト指向やパターンを実践的に学ぶ本。読めたら読め。
"Clean Code"ではなくClean Code"r"。(どっちも同じ著者。)
あなたがプロのプログラマであるなら、上司や顧客に対してウソやごまかしを行ってはいけない。
ウソをついて、その尻拭いを上司に任せるのならば、あなたはプロ意識を持ったプログラマではない。読め。
もしもあなたが「アレクサンダー大王の生まれた年」や「五大湖の総水量」、「2004年時点の米ドルの総通貨流通量」について、
"90%確か"な見積もりをつくることが出来ないのであれば(つまり、「90%の確かさでこの中に正解があると言える下限と上限を示すこと」ができないのであれば)、
あなたは見積もりという行為を誤解している可能性がある。読め。
「pythonで何か書く行為はプログラミングではない」と感じる人々がいるらしい。
「プログラミング言語を直接変更したり自作したり、メモリを弄ったりしない(できない)のならプログラミングではない。それはただのpythonスクリプトキディだ」みたいな。
ぜひnand2tetrisを実践し、pythonコーディングはプログラミングであることに気づいて欲しい。楽しみのために読んで欲しい。
良くないコードとは何かを学んだ方がいい。
世の中良くないコード(を変更する仕事|が生産される状況)の方が多いんだから。読んだ方がいい。
製造業、飲食業など難しい業種もあるが、政治家はなぜ一切出来ていない気がする。
国会議員の一日は勉強会、会議や面談など、十分リモートで出来るものではないか?
【参考】国会会期中の国会議員の1日https://careergarden.jp/seijika/ichinichi/#%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%A5%AD%E5%8B%99%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
頭の良い人たちが集まっているのに、なぜ率先して出来ないのか。
自分たちが出来ないことを国民に押し付けてるようにしか見えないし、それが腹立つ。
思っていても実践出来ない政治家の方もいるのかもしれないが、出来ない何かが存在するのだろう。
なんとかしてよ、ドラえも~ん!!
元・友人は今でもVtuberをやっている。私は性根が腐ってるので供養としてここに書き散らす。
【追記】思ったより読まれていて自分の悪文が恥ずかしくなったので、半分の長さに整えた。1万文字バージョン読んでくれた人ありがとう、書き殴ったの読ませてごめんなさい。
スポーツをやってた。サッカーってことにしておく。(例えに良いので)
そいつがVtuberになって活動をはじめて、練習をすっぽかすようになり「サッカーの大会にはもう出なくていいのか?」と聞いたら「がんばる」と言っていたが音信不通に。
「サッカーがんばろーぜ!」って盛り上がってたのは私だけだったようだ。つまり片想いでフラれて今これを書いている。
長文読みたくない人向けに、↑ただこんだけの話だとお伝えしておくな。
あとはこれを書いてる私の性格の悪さだけが感じられる、くわしーい仲たがいの流れ。
私は新卒カードをブラック企業に切る→給料未払い起こされて退職→生活保護手前のフリーター。
履歴書のみで見れば(成人してからまだ若いのに学校や会社のリタイア経験があるという点で)お世辞にも優良とは世間から思われないであろう2人。私はCに仲間意識を持っていたし、時々将来のこととか生活の行く末を、チームの中でもCだけと語り合うことがあった。
私とCのなりたい職業は同じで、昨年私がなんとかその職業につけた。サッカーコーチの職だ。
それをきっかけに年齢やら職業を意識したCは、私に「まだ募集があるようなら、私もその職場で働きたい」と、場合によっては紹介を希望する発言があった。私もCが同じ職場で働けたら楽しいだろうなと思ってた。
履歴書の内容がよろしくないので、せめて面接で話せる経験を増やそうとCと話し、田舎の大会より少し大きい大会に出ることにした。サッカーコーチ目指してます! とか言って、アマチュアのサッカー大会すらほとんど経験したことないってどうかと思ったので。
Cは大学でも寝坊やレポートのギリギリ提出をするタイプで、普段も大会1か月前からしか本腰の練習をはじめなかった。しかし今回は大会の半年前からしっかり体づくりや練習をしたい、サボりそうであれば声をかけてくれと本人も意気込んでいた。
Cは他のメンバーへの教え方がうまかったり、良いテクニックを持っていたのでチームでも慕われていた。チームの皆は「体力づくりやってますか、先生?」「先生は今がんばってる最中ですもんね~」とか言って声をかけてた。
正直にいえばその時点でメンバーの皆が「ん????」と思った。
Cには幼なじみがいて、バーベキューが好きな人らしくCを含めて「バーベキューの会」を開いていた。手先が器用なその人は、最近Vtuberにはまったのをきっかけに、自分でもVtuberモデルを作ったのだった。そして「バーベキューの会」のメンバーにもモデルを提供し、Cもモデルを貰っていた。
Cは「基礎体力作りとか、モチベがあがらないからさ。筋トレ動画とか、ドリブルとかシュートの練習動画を上げることでモチベを維持しようと思う」とチームにV名などをLINEしてきた。
CのVじゃない個人Twitterのつぶやきが私のタイムラインに流れてきて、生活の合間の時間は全部、機材の調達や撮影、動画資料作りに費やしているのが垣間見れた。週に3~4本は動画を投稿していた。
キャラのプロフィールには「大会に出るのですが、体力がヤバめ……。一緒に体力づくり&もっとボールと友達になりましょう!」と書かれおり、キャラとしての定番挨拶も「みなさーん、ボールと友達してますか~?」だったが……。
肝心の動画では「30分、筋トレします!」→自分の筋トレグッズ語りを25分、残りの5分で「雑談多めになりましたね。ちょっと集中!」と、ゆーっくりとした有酸素な腹筋を数回して終わり。
ドリブルやシュートの練習動画では、自分が憧れてるプロ選手のフォームの美しさを語る以外は、ほとんどボールは蹴らずに鏡を見ながら「体の重心が……」「いやもうちょっと足を……」と時々つぶやくのみ。30分間ほぼ無音・無言。ボールと友達、おまえが一番できてないぞ……という感。
ちなみに動画説明欄には「ボールを蹴る音、ASMRにもどうぞ」と書かれていたため、ASMR好きの私はASMR(をがんばって撮ってるYoutuber)をなめるなと静かに怒っていた。その怒りは一番どうでもいいのだが、その内、「#30日間おすすめのプロテインについて語るチャレンジ」「ホラーゲーム実況します!」という、定番のYoutuberな流れになっていった。
しかしモデル作者の幼なじみさんやそのフォロワーがCを褒め、グッドボタンを押していくので、Cは大満足の様子。
チームの私たちは黙って静かに見守っていた。逆に誰も何も言わなかったからか、Cはなぜかチームの私たちは、誰も動画を見てないと思ってたようだ。
チームのメンバーは呆れはしたが、「でも今回はCもちゃんと大会に出たいはず、本当にがんばらないといけない状況になったら、Cもさすがにがんばるでしょ」「やればできる子なはずだし……」と、まだ『仲たがい』まではいかなかった。
甘かった。
決定打になったのは、全部で3点あってその1。
Cに「私たちも動画を見ている、このままでは良くないと思う」と伝えた。
「もともと就職の話もあってCをメインに予定を組んでたから、このままだと大会への出場キャンセルも考えることになる。大会4日前のキャンセル期限までに決断したい」「できないことはできないと言ってほしい。それで友達やめるとかはない」と釘をさした。
Cは「こういうことをはっきり言ってくれる友達を持てて良かった。今、LINEを読んで泣いてます。動画の投稿頻度は落とします。できないならできないって言うし、正直に素直になります。私も自分の人生をかけるつもりです」と返してきた。
このやり取りの翌日。
「大会が近づいてきたので、実況プレイはお休みして、練習動画だけにします~」とは言っていたが、いつも通り筋トレという名の雑談動画を上げたCがいた。
更に数日後に投稿された動画では、よりによって家の階段から落ちて足をくじいたと告白。家の階段から落ちたのも、実況プレイをしていたゲームをやりこんでいて、徹夜して、寝不足が原因で足を滑らせたそうだった。
「全治2週間ぐらいなんでまあ……大丈夫です!」と語るC。
「いやいや? それなりの怪我で、大会出場に関わりそうなのに、なんでこっちに一言も報告してくれないんだ?」となる私たち。
これでCを心配するよりも、その誠実性の無さ(&先日LINEで泣いたとまで言ったのはなんだったのか)に抑えようのない怒りを持ってしまった。
更に数日後。Cは夜更かしをしていることをTwitterで語っていた。
足をくじいたからどうせ練習できないしと言って、生活リズムがおかしくなるレベルで、ずっとぶっ続けで野球のドラマを見ていた。
そしてくじいた足が治った頃(※大会6日前)に動画を上げ、「野球のドラマなんですけど、体力づくりの練習法が出てきてて、ありだなと思ったんですよね。今からこれやって、体づくりはじめます!」と動画で言った。
まず大会2週間前~1週間前の貴重な時間を、ドラマの視聴でつぶしたという事実。
またその練習法をやってるメンバーは実はチーム内に既にいた。そいつは1年前からコツコツやってて、やっと実践に活かせるようになってきた感じだった。そういうメンバーがチームにいるのを、Vtuberとして生活しすぎて、忘れたらしかった。
なんというか……本当にチームの人間が動画を見ているのも忘れているらしかった。そういう言い方をするのは、そのメンバーの努力を軽んじてるようにも聞こえた。Cはメンバーに対して、悪く受け取るなら『自分が参考にするところはない』と軽い見下しを持ってるのかと思った。
空しかった。Cとチームをやっていることが空しかった。また心が離れた。
大会の5日前にチームのLINEで「動画とか全部見てるよ。とてもメイン選手で出れる状態じゃなさそうに見えたけど、Cはどう思ってる?」と訊いた。
でもそのLINEは、いつもより既読が1足りなかった。Cの既読が付かなかった。
日付が変わる深夜0時までまった。絶対にキャンセルできない日にもなった。チームのメンバーが知ってる連絡先に連絡したが、応答はなかった。
これで、チームの全員が怒った。Cとは7年ほど付き合いがあって、人生のそれなりの相談もし合う仲だった。Cが自分の向き合いたくないことと私たちを天秤にかけて、私たちを無くす方を選んだ事実がそこに転がってた。
自分の見ている前でレスしている以上面識は生まれているじゃないですか
別に昔の「会って話そうぜ」みたいなことをいうこともないんですけど
ここの一連をみてキモキモ虫と思われても仕方ないとは思いますよ
(いやいやヒールを演じてるわけです)
最近Twitterでプログラミングスクール入って人生失敗したという嘆きを、よく見る。
転職率9割以上でもSESなら年収落ちてしんどいだけだし、キャリアアップの機会ないじゃん。
専門実践教育訓練給付金の対象だからハイクオリティ!とか無責任なことを言うアフィリエイトサイトの見つけたけど、その理屈で言えばExcel講座だってハイクオリティですよ。笑(そういう講座も選ばれてるので)
アフィリエイターがお金目的で煽っている現状もあるのだけど、そろそろ取り締まるべきだと思うのだけどな。
https://masa-lab.hateblo.jp/entry/2018/07/07/141126
https://note.com/dnbeatyourself/n/ne609bdf71e36
勝手にやるべきではないと思うよ。素人が考えた案なら専門知識を持った人や文献、インターネットなどで確認、裏付けをとってから実践すべきだろうね。
当事者意識を持って能動的に動くってことはそういうことだと思うよ。
俺が言いたいのは、不安を抱えながらもこれから現場で自分の使命を果たすために真剣に働こうとしてる人に対して「自分ができることは何もないから...」って言葉がすごく相手の神経を逆撫でする言葉・姿勢であるってことなんだ。
相手の気持ちに寄り添う気遣いや姿勢がなく、まさに自分中心でしかいられない幼子的姿勢であろうと。
そんで大層なことしろってことではなくて、できる範囲のことをできる分だけやればいいんだよ。
必ずマスクきっちりつけて外出します、ってだけでもできることを1つ確実にしてる。
世のため人のためにという思いだけで、実際は人のためにならないことをしてしまっていたり、大衆の気持ちにそぐわないことをしてしまうなら正否を問わず反発はある。
本当に正しいのならだんだん結果が出てくるとともに、後に日本中の皆から感謝されるだろうね。
いまよく見返すと書かれてる文章内の単語を表面的に捉えて反応してしまった感もあるし、卑怯者と言われれば反論したくもなる気持ちもわかる。けど元増田寄りに考えると上記のように思った。
新年も明けたことだし、この1年新たな目標を立てて生きていきたいと思ったので、絵の練習を始めることにした。
コロナ禍によるリモートワーク下で生まれた可処分時間で多くのアニメを視聴して、作品をただ消費することから生産することへの欲求が芽生えたし、
また、最近見たホッテントリである以下の記事に触発されたのも大きい。
【https://note.com/enzen3852/n/na1fecd0ac10b】
練習するにあたり、萌え系のイラストがある程度自在に描けるレベルを目標として定めることにした。
萌え系といっても幅が広いが、プリキュア・アイカツ・ラブライブあたりの『これぞ萌え』と言わんばかりのビビッドな絵柄も習得したいし、グラブルの皆葉英夫氏あたりの油彩風の重厚でアーティスティックな美少女画の絵柄も習得したい欲がある。よって、そのどちらも、あるいは、その中間あたりの絵柄の習得を狙いとして定めたい次第だ。
我ながら随分と曖昧な目標ではあるが、とにもかくにも大体そんな感じのロールモデルを設定して練習を開始し、今日は以下の2枚を描いた。
【https://www.pixiv.net/artworks/86735932】
【https://www.pixiv.net/artworks/86736089】
今をときめく美少女系イラストレーター森倉円氏のイラストの模写と、筋肉練習という、イラスト初心者向け指南サイトや教本で多く紹介されている入門メソッド(好みのイラストの模写+人体構造の学習)を踏襲したオーソドックスな練習内容だ。自分の元々の作画スキルは高校時代美術部に在籍して最低限度のデッサンを心得たことのみで、当然ながら漫画イラストのスキルは無い。だからこそ、デッサンノウハウが活かせるイラスト模写は実践が比較的容易で、萌え絵の地力を固める足場として最適だと感じた。
練習絵の投下先としてはpixivを選択。最初は普通にはてなブログで始めようかと思ったが、練習内容の振り返りのための絵の網羅性・俯瞰性の高さからpixivを選んだ。ただ、pixivは絵に長文を添えて投下することにはあまり適していないので、絵の練習内容や振り返り、改善点を言語化するための文章スペースとしてはてなブログも並走させるか思案中。ただ、実ははてなブログは既に別ジャンルの記事を書く場として一応保有しているので、別のブログが良いか。(pixivだが、いわゆる『タグ汚染』としてユーザーの検索結果の邪魔にならないよう、有名版権キャラの練習絵を描いたとしても作品名タグは一切付けず、ただ最低限『練習』タグのみ付けて黙々とやっていくつもり)
そんなこんなで始めた萌え絵の練習だが、休日はなるべく多くこなして画力を速成したい。なので、この正月休みはずっと家に篭ってひたすら描くつもりだ。三が日が終わるまでにどこまで練習を積み重ねられるか、ゲームのスコアアタック感覚で楽しんでやっていきたいと思う。
例のホッテントリの記事に倣い、100日、あるいは、任意のn日(比較的長期間)練習して成果が見えたら、それをまとめた記事も書いてみたいと思う。
2021年は始まったばかり。今年の終わりまでにどれだけ上達できるか、まあ楽観的にやっていこう。
より実践的なアドバイスをするとやな,実際に住んでる場所を正直に役所に届け出るのはやめとき。
そして,ストーカーとか毒親というものの執念は住民票や戸籍を見れませんという程度のハードルだけで防ぐのは厳しい。
今までに契約した電気,電話,水道,銀行,クレカ等々をとっかかりにして,親族であることを盾に情報を聞き出し,断片的な情報をつないで正解にたどり着くことがある。
これも,これら各社が持ってる書類に答えが載っていることが原因だ。
そこでこうする。
1.A住所への転居届を役所に出して住民票に載せたうえで閲覧制限かける。
郵便局の転送先情報というものはかなり強固で,ほぼ開示されない。
3.上記契約は可能な限り解約して別会社で契約しなおす。住所はAということにしておく。
旧会社に住所変更を届け出ると漏洩の可能性があり,BはもちろんAすらも教えない方がいい。
俺が本物の科学的で合理的で健康的な食事ってもんを見せてやりますよ
大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。
しかし家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。
図書館で栄養学についての本を読み、古今東西の人間がどのような食事を行っていたかを文化人類学から学んだ。
遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球の常識や文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい。
これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養素から逆算して何を食べるか考えるようになった。
そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人の食事摂取基準」だ。
日本中の専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である。
食事摂取基準は学校の給食、病院で実施される栄養指導の根拠となる科学的データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。
我々のような非専門家の凡夫どもはテレビで流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報に右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。
専門家が無償で公開してくれる科学的データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。
俺はさらなる情報を得るべくインターネットで検索した。しかしその時代のインターネットはすでに書き散らされたゴミで汚染されていたため、英語で食事に関する疫学研究を漁った。
さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理の工程を極力少なくする必要性があった。
そのような中で生み出され、適時改良されてきたコスト(お金、手間)が極力かからずパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。
精製されていない炭水化物:オートミール 100g コスパと手軽さ
炭水化物:パスタ100~180g GI値を考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強
肉:鶏肉 調理が面倒な場合はプロテインで代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える
果物:バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取量200g推奨
その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚 オートミール用に乾燥ワカメ、乾燥シイタケ、卵
まるで栄養を摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。
その通りだ。
しかし、人間が毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素な食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別なものを食べていた。
良妻賢母教育を受けた専業主婦が料理する近代の都市部上級国民限定の文化に過ぎない。
しかも、厚労省の食事摂取基準や世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロの栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊が大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般の家庭料理では到底不可能だ。
だいたい、普段は質素な食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。
こういうドケチ人間でも、旅行では外食や中食をするが、最初は快楽が大きくても長期の旅行の場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれと脂肪だけだった。
そんな状態で我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミールの安心感。
学生時代は毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。
毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。
しかし、あなたは毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?
もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。
それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料や材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金や時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要なタスクに振り分けると良い。
一人暮らしの自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、
・そして実際に調理すること
の3つがめんどくさいというものだ。
この合理的食事においては日持ちする材料を一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。
レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程が単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。
焼いたり茹でたりすると過程で栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。
欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。
日常的に嗜好品でストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である。
健全な環境下では月一、自分はクリスマスにケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。
カフェインも毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。
タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的にデバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。
丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状で頭痛や吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。
これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。
元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。
人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近はコロナでステイホームしているのでFitbitで心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。
一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中の音楽が聞けるし、アマプラの映画もドラマもアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。
・幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人の説教や体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。
・有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧な感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動=心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動=心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。
・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。
・有酸素運動の時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分
https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267
人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業にお金を費やしても満たされることはないんよ
元増田を「資本家が考える理想の労働者・奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。
労働ですり減った精神に塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想の存在なのではないか。
イギリスの食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市に移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。
日本の大学生(私大)への仕送り額は1994年の12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。
これからは一人暮らしの貧乏大学生が外食(牛丼屋等)やコンビニ弁当、カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。
家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。
今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報が簡単に手に入るようになった。昔は食材の栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogleで検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準を目標としてアプリで個々の栄養素別に計算することができる。
現在の社会状況に適合できていない近代的食文化ではなく、これからは上記に類するような”科学的で合理的で健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。
しかし、少なくとも現代の金銭的時間的知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題や人手不足の解決にも寄与することになるだろう。
諸事情でこのような食事をする必要に迫られている人間、面白そうだからやってみたいという奇特な人間、日常で得られる快楽やパフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。
なぜ自民がどれだけダメでも野党(特に民主)に票が流れないのか、の話がここんとこバズっていたけれど
イデオロギーの話が多くて、割と重要だと思うのに地方組織の話があまり出てこないので、私見をまとめてみた。
地方の有権者は国政の問題より、自治体の運営実績を判断基準にしている人がけっこういるのだけれど、この層をほとんど取れていない。例えば2019の統一地方選の結果(リンク先)見れば一目瞭然で、対抗軸が自民VS自民(県連)かVS保守系無所属ばかり。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_election-local20190408j-01-w600
統一地方選はそれだけで普通の知事選より8%投票率上がるから、本来野党に有利なはずなのに土俵にすら上がれていない。知事のうち野党系(民主以外&元野党現無所属も含め)は相乗りまで加えても11(山形、岩手、東京、埼玉、大阪、静岡、石川、長野、滋賀、愛媛、沖縄)。民主除名→自民推薦の青森入れても12。うち、東京・大阪・滋賀は地方政党。
元々民主党は国政選挙のための政党で、地方は国政選挙の下請くらいの扱いをされていた。例えば2009年の地方選ではその地方の問題ではなく政権交代を中心に訴えたし、国政候補者選定も地方議員からの抜擢より公募が重視された。そのうえ政権喪失後は中央で数合わせの離合集散するたびに、地方組織はダメージを受けて立て直せないまま弱体化していった。
対して自民は、この手の離合集散から無縁だったおかげで地方組織は温存されたし、影響力を失うこともなかった。公明党がいるのも大きいが。結果地方での存在感は、大げさに言うと自民系の内紛の際の数合わせのコマか、国政選挙の時だけ湧いてくる連中、にまで落ちてる。
おまけに、中央と地方の人材の流動性も自民より弱い。地方組織が弱いから地方で絵が描けず、中央から人も来ず、勝負できずにジリ貧の悪循環が続いてる。野党で例外は維新(大阪限定)ぐらいか。「大阪」があるからそれがショーウィンドウ兼補給基地になって中央でも存在感を維持できてる。
これらのために地方から上がってくる情報の質と量と多様性が自民に遠く及ばないことも、民主政権の失敗の原因の一つになったと思う。陳情や会食もはてなだと嫌われているが、地方から情報を吸い上げるパイプにもなっているわけで、それを否定するなら代替システムを用意すべきだった。この懸念は政権奪取前に一度議員や秘書と話しする機会があった時に言ってはみたんだが、どうも危機感をもっていないようだった。
残念ながら、当時の民主が選んだ「生の情報不足をメディアと理論で代替する」方法は地方との軋轢になって噴出したし、思い込みで動く口だけの連中というイメージを広めてしまった。
政権を失ったあと民主が取るべき方針は、地方組織を地道に構築して知事の座を取って実績を積むことで、野合して看板掛け替えることではなかったんじゃないか。自民が強くなったわけじゃない。保守系無所属知事の増加が、「自民も野党も支持できない(でも強いて言うなら民主以外)」って声の反映だと思うし。
どぶ板しろとは言わないが、特に民主系はもっと地方に張り付いて運動家以外の声を聴いて「野党も地方を救える」って絵図を書いて実践する体制作れないとこの状況は変わらないし、なにかの間違いで政権取れてもまた失敗する可能性が高いと思う。