はてなキーワード: 実践とは
深酒だった。金曜夜、仕事納め、屋外ビールフェス。コロナのこともあるので、あくまでひとりで飲むだけのつもりでした。楽しく気持ちよくなっていたのも束の間、気が付いたら泥酔していました。突っ伏したテーブルにそのままごぶごぶと嘔吐。食事はしていなかったので、ひたすら液体を吐きました。駆けつけてくださった友人に、救急車を読んでいただきました。
どのくらい呑んだの、と隊員に聞かれました。ビール3杯ほどです、と答えると「たったそれだけで?弱い方なんですか?」と聞かれ、わかりませんと答えました。あとから冷静に振り返るに、日本酒1合とビール(度数10%)をプラカップ2.5杯だったかなと思います。膿盆に吐いた泡は黒っぽくて、たぶん血だったんだと思います。
しばらく点滴を受けて、家族の車で帰りました。
救急車は初めてだったですけどひどい深酒は数年おきにやっていて、帰宅した途端にフローリングに突っ伏して嘔吐まみれとか、一晩中シャワーを浴びてガスが止まるとか、そういう経験があります。2年に1回くらいの頻度で、次第にひどくなってる気がする。次はそろそろ死ぬんじゃないだろうか。
酒が好き。味というより、酩酊するのが好きなんだと思う。初めて酒を飲んだ時、鬱みたいな世界がやっと好きになれたような気がした。あの幸福感が忘れられなくて、それが欲しくてでも酒にはどんどん耐性がつくから、酒量が増えて死に近づいている気がする。
自制を試みて、深酒をするたびにもう二度とこんな飲み方をしないと思って、確かにしばらくは適度なほろ酔いセーブを実践するけど、2年くらい経つと結局同じ、いやもっとひどい飲み方をする。もう以後1滴も飲まない以外に治す方法が思いつかない。でもあの強烈な多幸感が忘れられない。
ご存知のとおり、「名は体を表す」とは、名前がその人の実態を表しているといった意味のことわざだ。
そのわりには、「名前負け」(=実態が名前に追い付いていない)なんて言葉もあったりして、その有効性はいまいち疑問符が付くところではある。
しかし、「名前」というのは親からもらう本当の名前だけではない。
実は、「名は体を表す」ということわざは、本当の名前ではなく、あだ名に関して極めて有効なのである。
すなわち、適切なあだ名を付けることによって、身近に居る他人の性格を上書きすることができるのだ。本当である。
そういう問いを持ったのならば、そもそも他人の性格というものに対するお前の認識が間違っている。
お前が変わるんだ。
ところで、私には「増田っち」とか「増田ぴー」とか「増田りん」とか、かわいらしいあだ名を他人に付ける習慣がある。
いや、家族や友人、同僚にそういうあだ名を付けるわけではない。
怖そうな上司、疎まれている他課の人間など、嫌な人間にそういうあだ名を付けるのだ。
親しい相手ではないので、もちろん面白半分でそんなことをしているのではない。
先ほど挙げた「名は体を表す」の機能を期待してのことだ。
さて、なんであだ名ならば「名は体を表す」ということわざが有効なのか。
それは、他人の性格が自分というフィルターを通して知覚するものだからである。
そのことは、「本当は良い人」が悪い人、というよく知られた事例でわかるだろう。
他人の性格のうち、自分に知覚されない部分(=「本当は~」)など、自分にとってはまさにどうでもいいのである。
そうなると、他人に対する自分の知覚を変えることと、他人の性格を変えることは、自分にとっては全くのイコールだ。
あだ名は、他人の性格を直接操作するわけではない。お前自身の知覚を変える道具になるのだ。
自分にとって嫌な相手を、「増田さん」や「増田課長」などの無味乾燥な呼び方で呼ぶと、その嫌な性格が何のフィルターもなく、自分の知覚に飛び込んできてしまう。
すなわち、柔らかいネーミングを付けて、相手の性格まで「名は体を表す」のだと錯覚すれば良いのだ。
そのネーミングにより、相手はゆるキャラか何かのように知覚され、その本当の実態は見えにくくなるだろう。
(ちなみに、その相手本人に、その珍妙なあだ名を伝える必要は無い。
要は自分の知覚さえ変わればいいのだから、本人に伝えなくても、同僚とのおしゃべり、なんなら独りつぶやく中で、そのあだ名を呼べば十分だ。)
あだ名を呼ぶたびに、嫌な存在とのギャップに滑稽さを覚えるようになる。
そうやって滑稽さを覚えると、そのあだ名をまた呼びたくなる。
すると、自分の会話や想像の中で、その人物の登場回数が増えてくる。
そうでなくとも、嫌なはずの本人に会った際、含み笑い(「増田っち」のくせに生意気な!)を感じられるよう、自ら習慣付けられる。
すると、その相手に怒りを感じるのも本当に馬鹿馬鹿しくなり、コミュニケーションもいつしか苦痛ではなくなる。
「バカの壁」と言われる通り、コミュニケーションの壁となるのは、本当は自分の知覚の方なのだ。
しかし、きっかけ無しにそれを自ら認識し乗り越えることは容易ではない。その壁は大きすぎて、壁であることさえ気づかない。
その壁を、滑稽さを覚える→また呼びたくなる→含み笑いを感じる→コミュニケーションの苦痛が無くなるという、
あだ名がもたらすラダーによって、壁を壁として認識しないまま駆け登るのだ。
自分には、相手に対する滑稽さという悦楽を感じさせながら、「バカの壁」という自分の思い込みを乗り越えるための道具なのだ。
すなわち、かわいらしいあだ名は、相手を内心馬鹿にしながら、自分を馬鹿な内心から切り離すために有効な手段となるのだ。
その「名」は、お前の認識する「体」を変えるのだ。
お前が変わるんだ。
「表現のための実践ロイヤル英文法」から第19章 比較をやりました。
まず比較の表現が形容詞だけじゃなく副詞にも適用できるってことが自分のなかで言語化できていなかったのに気づいた。
それから形容詞については限定用法(名詞につくタイプ)と叙述用法(補語になるタイプ)の2つの違いが大事になることがあるので、やっぱりこういう文法上の名前というかカテゴリーをちゃんと意識しておくのは大事なんだなあって思いました。
あと慣用表現が忘れてたり初めて見たものが多かったので覚えておかないと。
学生時代から「〜すればするほど…」っていう表現、形としては覚えられるんだけどいざ使ってみようとするととまどう場面が多かったので、これを機にちゃんとモノにしよう。
それからちがうもの同士の比較じゃなくて、おなじもののなかでの比較に使う表現。
窓は横幅より縦幅のほうが長い、とか
なになにはAというよりBだ、みたいな。
とくにこれは more 原級 than のかたちで表現されるので全然忘れてたなあ。
とりあえず、今日は充実。
コメントや反応ありがとうございます。
全て目を通して、実践してみました。
後期高齢者を含めた餅つき大会は、おそらくですが27日か28日だろうなと思います。
29日はくもち=9=苦労するものをこねる?からダメという話を聞いたような記憶があります。
27か28に餅つきをしたとして、それから万が一餅つき大会参加者から新型コロナウィルスに対する陽性反応が出たとすると?
感染者が急増するのは大晦日付近ですね。想像すると恐怖しかないので、今年は餅を買おう!とも電話で伝えました。
祖父母と親戚たちですね。私の両親はまだ現役で働いているので餅つき大会メイン層の親族から、こいつ頭狂ったんじゃないか?という扱いを受けました。コロナに移ると怖いから餅つきには来ないでね、とも言われました。
餅つきには行かないし、そもそも私は今年の一月から一人暮らしですし。同一市内に住む親兄姉とも数ヶ月直接会ってないんです。
コロナがうつると怖いと言われ、万が一新型コロナウィルスの陽性反応が出ても私が医療従事者だから大丈夫といわれ。
そもそも論ですが高齢者に餅は危険。それなりに危険。毎年餅で救急搬送される人がいるほど危険。
あとは広島市内のこと。大きな救急指定病院が一時的にですが救急受け入れ禁止になりまして。もちろん他の病院が対応するわけですが、新型コロナウィルスだけでなく事故や緊急の病気に対する対応が……ってなるんです。もう疲れました。文字が散らかってるのはこれが限界です。この表現が限界です。
西日本豪雨の時も忙しかったけれど、今はその比じゃなく忙しい。20代の下っ端なのでいつ仕事を辞めてもいっかと思っていますが私が辞めると他の同僚にしわ寄せが確実に行くなと思うと仕事を辞める決断も出来ません。思考回路が止まったまま仕事して一人暮らしの家に帰って休みの日に祖父母と親族に餅つき大会は今年は小規模にしよ?と提案しています。
何が言いたいかわかんなくなって来ましたが、医療従事者に向けて拍手とかしなくていいから。
今年は同居家族以外が集まって餅つきをするのを禁止にしませんか?
聞けば一般企業で年末に餅つき大会をする会社もあると聞いて……え?会社で餅つくの?と思っています。
餅は餅屋でいいじゃない。
最近お菓子作りに目覚めているのだがこれがうつ病経験あり家では何もしたくない系ワイに革命を起こした。
まず分量を量ったり混ぜたりなんとかしているあいだ、心を無にして集中できる感覚がして素晴らしい。
隙あらばネガティヴ思考を発動し、不安になりがちなワイにはちょうどいい。
あとなんか仏教の本に書いてあったんだが、同時にふたつのことをすると効率がいいように見えて結局どちらも中途半端になるとの言葉をワイは大切にしている。
音楽を聴きながら勉強し続け、第一志望の大学に落ちたワイにはなんとなく納得できる言葉である。
純粋に物事に集中することは誘惑の多い現代では難しいかもしれないが、ぜひ実践してみたいところだ。
おっちょこちょいの自覚があるやつとか本当に心を無にして集中したほうがいい。
でも世の中のオカンとか子を面倒見たりしながら家事してすごいよな。これがワイの精一杯。
そんなこんなで淡々と決められた工程を進めていくと、そろそろ焼きますよってところまで行き着く。
オーブンの余熱は忘れがちだが現代のテクノロジーは余熱にそんなに時間はかからないので気にしない。
いよいよオーブンにinしていく。
30〜40分とかクソ長い時間待てるわけないじゃんと思うじゃん。
しかしお菓子作りの良いところはこの時間にタラタラと片付けができることである。
普通の料理は作って食べてタラタラして皿を洗うモチベはゼロになる。
お菓子は違う。焼き上がるのを待つのがダルすぎて片付けができる。
ガチすごい。
しかも食べたら甘くてうめえ。
自分の手で作り上げた感動もある。
うつになるようなやつはだいたい根が真面目で失敗が恐かったりすると思うけどお菓子は失敗しても気にするな。
失敗する練習だと思って傷付かずに受け止めよう。ウケる失敗した〜って脳内ギャル錬成しよ。
しかも食べたら消えるのがいい。失敗作とか微妙に納得できないやつが形でのこるのつらいもん。
そして自分で作るとわかるけどガチお菓子作るのは手間かかって大変なわけだけど、世の中これを仕事にして頑張ってる人がたくさんいるんだよな。材料作ってくれてる農家さんとかもさ。砂糖ザラザラ使うけどさ。大変だよね。
いっしょにおいしいって言ってくれる人がいればいちばん最高。
ちなみに、お菓子を作りたくなったらまず道具をひと通り揃えてしまうのがおすすである。
なにかが足りないとマジでやる気が起きん。あれ買わなきゃならないしめんどくさってなる。
ガチ工学部だったから周りは非モテ男子ばっかりで、中には結構恋愛工学に手を出すやつもいた。本読んだり、実際に書いてあることを実践したりね。
何故かそういうことする奴はちょっとデリカシーが無いというか、人付き合いがそもそも苦手な人間が多くて、ナンパに成功する→お茶する くらいまでは行っても彼が本当に求めるものには達せてなかった。
くん‐れん【訓練】 の解説
[名](スル)
それはともかくとして
人間関係において、学生時代の振る舞いを「訓練」とか思う輩が、「実践」なら成功できると?
そんな裏表のあるやつには表面上の付き合いしかできんよ
マニュアル通りに行う仕事は得意なので、なんとかこれまで社会人をやってこれた。
一方で、面白い話をしたり何かを応用させることが極度に苦手。(特に対人コミニュケーション)
高校時代、好きな人に「現金5万円あげるから付き合ってくれ」と言ったらドン引きされた。
お金で釣っても仕方ないと反省し、二人きりで話すことができるくらいの女性に突然告白したら普通に断られた。
告白する文化は高校生まで。大学生からは先に体の関係を持ち告白は意思確認とネットに書いてあったので、様々な女性の家に侵入したが、当然童貞が何かをできるわけもなく、普通にトランプとかで遊んでいた。
わからない。
受験勉強や就職活動は、成功までのプロセスのこと細やかな手順を社会が教えてくれたので、そこまで苦労はしなかった。
それに比べて、こと恋愛においては先生も親も誰も教えてくれない。
友達に恋人と付き合ったきっかけを聞いても「雰囲気」とか「フィーリングが合ったから」など曖昧な答えしか返ってこない。
ネットの記事や恋愛本を読んでも、「関係性はカップル次第」「大切に思う気持ちが一番重要」「恋人が欲しいという雰囲気を出さず、趣味や仕事に力をいれて余裕感を出しましょう……」
私が求めているのはこのような曖昧な言葉ではなく、詳細なデータが載っている解説書である。
例えばだが、
・1日3回目が合えば、LINEを送っても邪険にされない確率70%以上。
・デートに誘って3時間以内に返信が返ってきたら、手を繋げる可能性80%以上。
・次のリストの30項目の内、20項目を満たしているのならば、告白しても付き合って貰える可能性90%以上。
そのようなデータ本があれば、期待値を計算しつつ次の行動に移れるのだが。
どうも女の子は「女の子の扱い方」が上手い男が好きらしいが、その具体的な取り扱い方法は探してもあまり載っていない。これもリストアップして欲しい。
また、仮に恋人ができた場合のHな雰囲気の持っていき方も懇切丁寧に誰か教えて欲しい。
一度勉強しに風俗へ行ったが、ドアが空いた瞬間ディープキスをされベッドに押し倒されたので何の勉強にもならなかった。
書店に売っている恋愛本は精神論ばかりで、どうしてこうも実践に役立つものがないのか本当に理解できない。恋人を作る、いい関係に発展させる具体的な手順が広く共有されれば少子化問題にも良いと思うのだが。
子供(3歳2ヶ月)の通う保育所でコロナ感染者がでた.幸いながら子供は濃厚接触者には該当しなかった.
ただ,念のためPCR検査を行うということで,即日検査キットが家に届けられた.唾液を採取し提出するものである.翌日回収しに来るとのことである.
で,問題はこのPCR検査での唾液の採取である.大人であれば一瞬で終わるこの作業,3歳児に対して行うのに非常に苦労した.同じ保育所のママさん方と色々と情報交換したので,その内容をまとめようと思う.
第一波,第二波は言ってみれば(当事者には申し訳ないが)ある意味テレビの向こうの世界での出来事であった.ただ,第三波は,知り合いの職場にもコロナ感染者が見つかったり,ニュースでもごく身近なところで感染者が出たり,背後ににじり寄ってきている感じがする.
メールにて,保育所の職員にコロナ感染者が出た旨の連絡がくる.保育所はしばらくお休み,自宅での保育をお願いする旨の連絡あり.
突然のことながらも仕方ない.
メールにて今後の対応(保育所のお休み,濃厚接触者の調査など)についての連絡あり.これまでにいくつか取るに足らない連絡はあったものの,第一報から初めて実のある連絡.兄弟も自宅で保育せよとの指示.まあ当然か.
ただ,この程度の連絡は前日の夕方にでも可能ではないかと思う.
メールにて濃厚接触者ではない旨の連絡が来る.ただ念のためPCR検査はするとのこと.調査の過程は気になるものの気にしないことにする.
玄関先に検査キットを置かれ,担当者は少し離れたところから「お取りください」との指示.感染を避けるためとはいえ,あまり気分の良いやり方ではない.このやり方以上に良い方法は思いつかないけど.
どうもスポイトを注射と勘違いしているみたいで,このあとは何を言ってもだめ.ここまでの拒否反応を見せられるとは思わず敗北.
父よりもみかんが大好きなくせに頑と聞かず.敗北.
皆まで言わせてもらえず,敗北.
私,妻で寝込みを襲い,スポイトで唾液を採取しようと試みるも,口にスポイトが触れると顔を背ける,手で払いのけるなどで採取できず,敗北.
保護者LINE(保育所の同じ組の親のグループLINE)でぼやく.他の保護者も苦労していることを知る.
おはように対して,いきなりペーしない宣言される.心が折れかける.
同じクラスの子(採取済み)のお母さんからテレビ電話のお誘いあり.ありがたい.
テレビ電話で友達にがんばれーと言ってもらうも,うちの子どもは私の後ろで固まったままで身じろぎもせず,敗北.
保護者LINEに採取できた,できていない,こんな方法を試したなどの報告あり.励ましもあり,折れかけた心を建て直す.
スポイトを注射と勘違いしている子が他にも数名いることを知る.スポイトが役立ったという連絡はなし.
まだ採取できていない旨を伝えて再度来てもらうようお願いする.
保護者LINEに,採取している子どもの様子の動画が投稿される.
朝ごはんの時に,泣き落とし的にお願いしてみると,発奮された様子で頑張る宣言.
口をグチュグチュさせ,自宅のコップに唾液が採取できた.一滴.それ以降はイヤの一点張り.
いや,それ全く足りないから...
もう諦めの気持ちが大きくなってきている.
穏やかに応答してくれたものの,やらないというのは確定路線のよう.敗北.
妻が何もつけずに歯磨きをして唾を出させる.泣き叫ばれながらもコップに出させようと試みる.
何度も歯磨きで出した唾を飲み込まれながらも,採取に成功した.
採取したあとの本人は「取れたよー!」と自慢げ.
他の保護者からも,シリコンスプーンを噛ませてスプーンでの採取やら,アイスの透明スプーンでの採取などの報告あり.
スポイトは誰も使ってない様子.スポイトを怖がったという連絡はあるが,役立ったという報告は少なくともこのクラスではなかった.
ある日Twitterで、「夫を松潤扱いしてみた」というブログを拝見した。
ただ私を松潤扱いしてくれるような人は周囲にいない。
では自分で自分を松潤だと思いこみながら生活してみるのはどうか………いや、無理だ!!!ゆで卵嫌いだし、あそこまでストイック生活できない!!
早速松潤になることは諦めたが、他のジャニーズになりきって生活してみるのも面白いのではないかと考えた。
そこで厳正なる審査を経て、選ばれたのはSnow Man向井康二氏だ。
2 タイ語喋れる
3 服装が好み
5 個人的に好き
4に関して。
私はとてもとてもズボラだ。とにかく部屋を片付けられない。掃除機がかけられない。布団から出られない…と言った悩みを抱えている。
しかし雑誌等での発言を見る限り丁寧な暮らしをしていそうな向井康二になり切れば少し改善されるかも知れない。
(なお今回の向井康二生活は、雑誌などで見かけた向井康二エピソードを元に「康二くんならこうするのでは?」と想像しながら行ったものであり、必ずしもこれが向井康二さんの生活であるとは限りません。もし全然違うやんと思われる向井康二さんがいらっしゃいましたらひっそりご連絡ください。)
少し前のnon-noでモーニングルーティンを教えたくれたのでそれを参考にしながら1週間を始めた。
普段なら5度寝するところだが、今の私は向井康二。2度寝でちゃんと起きて、朝食。
雑誌にはカプチーノとヨーグルトと書かれていたが、ヨーグルト嫌いなのと朝からカフェイン取ると気持ち悪くなるのでスムージーとパンで代用。実家生活以来の朝食だった。
この日は大学の授業があったので日中はそれに専念することした。
夜は友人と夕飯に。そこで大変なことに気がつく。
「カメラ忘れた…」
向井康二ならきっとこういう時もカメラを持ち歩いて写真を撮っていただろう。その友人が普段私が被写体として撮影してる友人だったので、余計悔しさを感じた。
帰宅後は酒のせいもあってメイクも落とさずそのまま寝落ち。やっぱ初日から100%向井康二にはなれない。無理ない範囲で適度に向井康二要素を入れていくことを決意した。
久しぶりにパックなんぞしてみる。パックするとなんか肌の調子が良くなって気分が上がるような気がしないでもない。
昼は暇だったので、Weiboの投稿を真似て数年ぶりにギターを持ち出して弾いてみた。難しくて早々にやめた。
夕方は久しぶりにスーパーへ。朝食用のパンと夕飯の食材を購入した。久しぶりの自炊、意外と楽しいかも。
夜もパックして、就寝。パックした自撮り写真をノリで室龍太的存在の先輩に送ってみた。
この日は向井康二氏のようにお風呂上がり以降スマホを見ないことを実践してみた。
寝る前にブルーライト見なかったせいか、いつもよりすっきりとした目覚めだったような気がする。
この日は母の誕生日だったので、少し照れ臭いがテレビ電話してみた。普段LINEで済ませがちだが、悩みの相談乗ってくれたりアドバイスくれたりと、たまには電話してみるのもよいなと思った。来月帰省することを決意。
大学の講義を終えて暇だったので、カメラを持ってお散歩へ。何気ない景色をフィルムに収める。身近にSnowManという最高の被写体がいるなんて向井康二羨ましいなとふと思った。
夜も引き続き自炊。ついでに友達からおっそわけしていただいた"つけのも"も頂く。いや逆ゥ!!(CV.向井康二)
そういや向井康二さん、ベッドの上コロコロするって言うてたな…と4日目にして思い出す。試しにコロコロしてみたら、まあ色んな髪の毛やらなんやらひっついてくるわ。
普段あんま気にならないけど、たまにはコロコロするのもいいなと思った。
ついでにカーペットもコロコロ。久しぶりにコロコロ使ったから、コロコロくんも目が回ったことだろう。
この日はリモートではあるが久しぶりに働いた。家の中で数時間働くだけで疲れるのに、コンサートやリハーサル等何時間も動き回るジャニーズの皆さんの体力半端ないなと尊敬した。
夜は友人とディナー。今回はちゃんとカメラを持ってきた。ちょうどフィルムを使い切ったので、その足で現像に出した。データ楽しみ。
この友人は宮舘涼太さん的な子で、なんと言うのか独特で面白い子だ。ちなみに彼女は馬術部なのでリアル白馬の貴族だ。いや、普通に一般市民やけどな!と私の中の向井康二がツッコむ。
วันนี้จกินอาหารกล่องวันกับเพื่อน.
ฉันกินพาสต้า
(私はパスタを食べた)
กลับบ้านและเรียนภาษาไทย
(家に帰ってタイ語の授業を受けた)
สัปดาห์นี้ฉันเป็นโคจิ
(今週私は康二だ)
พูดภาษาไทยได้นะ
(タイ語喋れるよ)
แค่ยังไม่เก่งค่ะ5555
(でも上手ではないんだけどねwwww)
5555555555555
(だから多分この文章も間違ってると思うと言いたかったが上手く文章化出来なかったので取り敢えずタイ語のwにあたる5((タイ語で5はハーと言い、それを連続させるとhahahaとなる為。ん、なんか突然ジェスさん出てきたな。))を生やしてみる。)
ここ最近タイ語の授業がついて行けなさすぎて、苦手意識を持っていたけど、今日の私はタイ人のオカンを持つโคจิ。やればできるっ!!とはいえやっぱり躓いてしまった。難しすぎるやろこの言語。でも明らかにタイ語能力は向上してきた。この調子で頑張ろう。สู้ๆ!!!
朝食時に紅茶を淹れてみた。なんかちょっとだけ生活がアップグレードした気分。
この調子で部屋もアップグレードしてみようと思い、地層のように溜まっただしっぱなしの洋服をひたすら整理することにした。
洋服好きの彼は収納にも拘っているようだが、今持っている設備ではそれを真似することは出来ないので、代わりに愛情持って服を畳んで、いつもより丁寧にしまった。ここでふと気がついたが、これはもはや向井康二でもなんでもない。普通の人や。
でも普段避けがちなことでも、「今日の自分は〇〇(本名)じゃないから!」という意識を持つと、第三者的視点から自分の行動を見つめ直すことができるような気がする。普段の自分ならなんとも思わないけど、もし別の人がこの部屋の有様をみたらなんと思うだろう…と考えると自ずと次の行動が見えて来るような気がする。知らんけど。
こうしてもはや向井康二だか誰だか分からないけど、私以外の私になった私は久しぶりに洋服が散乱していない床を目にすることができた。
ついでに地層の底から化石という名の無くしたと思ってた指輪を発掘した。
君にいいことがあるように…
この日も朝食はトーストfeat.紅茶。やっぱ紅茶って美味しいなと思った。
昼過ぎ近所に住む友人を呼び出してお散歩がてらミニ撮影会をした。うん、最強にかわゆいお写真撮れた。二度目になるが、最強の被写体が身近にいる向井康二さん羨ましい…とはいえ私の友人もSnowManに負けないくらい最強の被写体だけどね!とSnowManに対して謎の対抗意識を燃やす。
話は変わるが、自分の撮った写真を喜んでくれる人が存在するだけで、カメラマンやってて良かったなと思う。私の場合喜んでくれるのは被写体のみだが、向井康二氏の場合被写体となったメンバーの他に大勢のファンも喜んでくれるのだから、きっとカメラマン冥利に尽きるんだろうな。うーん、やっぱ一度ガチで向井康二になって、各方位に喜ばれるようなお写真を撮りたい…
今日は夕飯の時間が短かったので、グリーンカレーとそうめんでちゃちゃっと。そう、松竹座でお馴染みのアレだ。たまたまそうめんとグリーンカレーあったので組み合わせみたら美味しかった。タイでもこんな感じの組み合わせ食べたことあったな…とふと思い出す。
巷でいう"担タレ"のようなことをした1週間だった。
結末を一言で言うと「私は向井康二にはなれなかった」一方で、「苦手なことをそれが得意な人になりきって行うと少し苦手意識が薄れた」ような気がした。
人は往々にして「自分は〇〇だからできない」と決めつけて、可能性を自ら狭めてしまうことが多い。私も朝起きられないことや、部屋を片付けられないことがもはや自分にとってのステレオとなっており、自らそのステレオタイプ化した自分を打開することを恐れていたのかもしれない。
私はこのある一種のズボラさの原因を、性格云々ではないところにあるのだと予想している。それはきっと医者に行くと診断が付くかもしれない。薬を処方されることでマシになるものかもしれない。
ただ私は怖いのだ。
仮に薬を飲んで整理整頓できる規則正しい人になったとしたら、果たしてそれは私なのだろうか。
今まで積み上げてきた「私」という人格はどこか消えてしまうのではないか。
それが異様に怖いのだ。
しかし短期間だけ別の人に"なり切れば"、元の自分の人格を持ったままいつもとは違う行動を起こす勇気が出るのだ。
今回たまたま選ばれたのは向井康二氏だったが、別に芸能人でなくても良い。身近な友人やアニメキャラ、妄想上の人物でも良い。
そと間だけでも自分が苦手なことが得意な人になり切ることで、少し勇気がでたような気がした。
他人に完全になり切るのは最早本人からしたら恐怖だろうし、自分の人格そのものを否定することになるので、推奨は絶対にしないが、短期的に誰か別の人物になり切って行動するのは良いかもしれない…と思った1週間だった。
大学に入って、教師になるために子供と関わろうと思って塾でバイトを始めた。私が入った塾は、初めは個別担当で、半年から一年経ったら集団も持つという方針だった。
宿題やってきた?この問題といてみて、すべてのわたしの発言に全く反応せず、80分間ずっと座っていてどうしようもなかった。休憩中同じ学校の友達とははなしてたので喋れないというわけではなかったんだろうけど…
親友と席替えで離れてしまった腹いせに、担任の授業のことは意図して授業崩壊を起こしていることを楽しそうに毎回話してた。離れた親友と大声で話しているらしい。やんわりと注意すると、「なにが悪いの?席をはなしたあいつ(担任呼び捨て)が悪いんじゃん」と言い放つ。
英語だと英単語、国語は漢字の宿題があり、毎回授業始めに覚えているかテストがある。それにめっちゃキレられた。モンペいわく、単語は塾で覚えさせてこいだそうだ。80分の授業にそこそこのお金払ってるけど全部単語覚えるために消費してええんか?この時は初めてすごく怒鳴られて心が折れた。
(基本電話対応、保護者対応は社員がやって学生はやらないのだが、この日は生徒の授業に合わせて乗り込んできたのでどうしようもなかった)
勉強の仕方はいろいろある。私にも私なりのやり方があるし、生徒にもあって然るべきだ。ただ、自分のやり方を確立できてるのなんて、都立上位校を狙う生徒くらいで、そういう子に限って自分のやり方に拘らず貪欲に私にやり方を聞いて実践してきたりする。親御さんたちも穏やかで、連絡票も普通だった。
問題なのは勉強ができない子とその親。できないくせに文句だけはすごい。偏差値が上がらないことをすごく言ってくる。多分、親も勉強は反復練習ということを知らない。習った日はできるのは当たり前で、それをどれだけ持続させ定着させられるかはが重要なのだが、できない子の親は週に一回80分通うだけでできると思ってる。単元を定着させるまで扱えば他の単元が進まないし、基本定着という作業は自己作業なの理解してほしかった。
一対一の個別授業なのに、授業始まって5分で突っ伏して寝る。毎週。起こしても起きない。じゃあ10分だけ寝て後は集中しようと言っても起きない。
どうすればよかったんだ。
I am play tennis. みたいな。
これに関してはわたしの実力不足もあるが、「正解の文を書けなくてもいいから、be動詞と一般動詞を同じ文に入れるのだけはやめよう」ということを一年経っても定着させてあげることができなかった。
5分が限界だった。
勉強の面白さを教師と生徒で共有でき、生徒に授業崩壊やいじめを起こさないモラルがあり、学生として過ごしてた間モンペの噂は聞かない環境で6年を過ごしてきたわたしは、教師というものを誤解していた。
もちろん、お金を払って授業を受けている子に対し、教育をしていくのは私の仕事だった。でも、無理なものは無理だったのだ。
例えば、授業中全く反応しない生徒にはどうすればよかっただろうか?怒る?親に相談する?反応がなくても教え続ける?心に傷があるのかもと推測して反応がなくてもなにか話しかけ続ける?1週間80分の関係でなにができたのだろう。
この子がクラス40人の中にいたら、1週間に80分もその子に時間をとることはできないだろう。そしてそれが問題になった時に教師は責められる。
元担任の先生に教師を目指すのをやめたことを告白したとき、あなたたちの担任をしてた時は楽しかったけど、若い時はいじめ問題や学級崩壊に悩んで髪の毛がすごく抜けて休職したことがあると聞いた。あんなにパワフルで素敵な先生ですらこんなになるなんて絶対わたしには向いていない職業だったのだ。
教職の授業で、学校のテーマパーク化みたいな文章を読んだことがある。内容はそのまま、学校はテーマパークと化し、親たちは何でもかんでも要求するというものだった。
途中で気づいて諦めてよかった。
悪くない皮肉だ。
だが、給料あげないと売り上げが下がるでしょ。
給料を上げたほうが全体が良くなることは、フォードが実践して、リターンのほうが大きいことが判っている。
BIは現状、公平になるリターン(=治安の向上・QOL向上など)リターンに対して、リスク(=税金拡大or公共サービス減・労働者の減少・経済の縮小と国際競争力鈍化など)がでかいと見られており、だから全員が及び腰になっている。
社会実験とか試算とかはしてるみたいだけどね、いまのところフォードみたいな良い結果はでてないね。
だから実現されないというわけだ。
大事なのは分布の下位の生徒であっても将来の生業にむけての準備をすること
大学行った方が収入が高くて楽な仕事につけるのかもしれないが、工場やエッセンシャルワークだって大事な役回りだ
(そうした職種の人が満足な収入を得られているかどうかは議論が複雑になるので、ここでは触れない)
読み書きそろばんと言われるが、識字と四則演算ができれば最低限の社会人としては十分であるのだ
低学力層には、受験のための数学、理科ではなく、現業職に就いた場合に必要な実践的な実習を施すべきではないのか?
地頭が優秀にもかかわらず出自によって低学力層に編入されてしまった生徒は見る人が見れば一目瞭然だし、そういう人を救い上げるのこそ教育の使命なんだから個別対応でいい
数年前「自分を大事にしてくれない人間とは縁を切ったほうがいい」を実践したら友達0人になったよ
元増田です。ありがとうございます。
自分の考えに賛同していただいて嬉しいです。ですが、そのまま自説が正しいと受け入れてしまうのは自己を正当化しようとする流れに陥ってしまうので、少なくとも同じ認識の方が一人はいるのだと思うに留めます。
自分が間違っているという前提に立つことが、「えげつないほど面倒くさい」というのは、おっしゃる通りで、意思決定や仕事が他の人と比べどうしても遅くなってしまうという問題を抱えています。おそらく「卑屈」などと言われてしまう原因には、文脈に応じて考え方や行動を簡潔にすることができない協調性のなさが原因なのかもしれません。あなたの言葉から、そのような可能性を考えることができました。
最後に、「卑屈」という人との付き合い方については、おっしゃるように距離を置いていく方が心の健康のためには良いのかもしれません。ただ、そういう人は親類であったり、仕事関係の人である場合もあるので、実践はなかなか難しいところです。また、そういった方は私を尊重しようという感情ゆえにそう言ってくださっているようでもあるので、断ち切り難いという心情もあります。自分の考えや行動の改善という課題だけでなく、対人関係の課題も考える必要があることを学びました。ありがとうございます。