はてなキーワード: フローレンスとは
一時期西友のBGMにフローレンス&ザ・マシーンのShake It Outって曲が採用されていた。
その賛美歌風の力強い曲調が好きで、店頭で耳にして以来今までよく聴いていた一曲だ。
私は英語話者ではないので注意深く聞き込まなければ洋楽の歌詞なんてわからない。もっぱらイージーリスニングで聴き流すばかりだったこの曲に対し、次第に私の中で「おそらくこういう歌なのだろう」という勝手なイメージが確立されていった。
物寂しい導入部、それを覆すようなサビの大合唱から、Shake It Outは椎名林檎の「人生は夢だらけ」やレ・ミゼラブルの「夢破れて」のような曲だとみなしていた。夢にひたむきな女性の生き様を歌った歌なのだといつの間にか決めつけていたのだ。
ボーカルのフローレンスはこれまで色々苦労していて、やっと掴んだバンドでの栄光に喜びを抑えきれない様子を歌っているんだというストーリーを妄想しながら、私も「Shake it Out〜」とサビを口ずさんだりしたものだ。
しかし最近になって「この曲の歌詞は『別れた彼ぴっぴのことなんて忘れてしまいましょー』って意味なんだよ」って意味のツイートをちょくちょく見かけた。たしかに「Shake him off」とか「It's a fine romance」とか一節にあるのでそういう月並みなラブソングなのかもしれない。
そう思うとすごくしょうもない歌に聞こえてきてだんだんと聴く回数も減っている。
そういえば何年か前に福山雅治がラジオで「『ホテルカリフォルニア』がドラッグを断ち切れない男の哀歌だと知って気持ち悪くて興醒めした」と話していた。なんでも熟年のカップルが穏やかにホテルカリフォルニアでお泊まりデートする渋い(?)曲だと思っていたそうだ。
それを聞いて、むしろ薬中が苦悩しのたうちながらも生きている様を歌った曲であるほうが余程良いのになと当時の私は感じていた。
そしてイケメン街道まっしぐらの福山雅治としょぼくれっぱなしの私とでは、生きてきた世界も物の見え方もやっぱり違うのだなと妙に感心してしまった。
46人。収束が見えてきている。
無闇に自粛延長するのでは無く、段階的解除の基準とマイルストーンを提示するべきだ。
小規模事業者にとって自粛要請の延長は、即事業の死だ。休校延長は、子どもたちにとって学校福祉の欠落を意味する。
恐怖に煽られた政治では無く、理性と戦略に基づいた政治を。 https://t.co/9KWU3OkZs0— 駒崎弘樹 ( Hiroki Komazaki )@フローレンス「コロナこども緊急支援プロジェクト」 (@Hiroki_Komazaki) 2020年4月30日
専門家委員会というのは日本から馬鹿を選りすぐって集めているようだ。新感染者数の絶対数が、母数が10倍になって同じ水準なら、勢いは10分の1になったことになる。義務教育も終了していないのか。 https://t.co/JjAeBHZ1IK— 馬場正博 (@realwavebaba) 2020年5月1日
東京 新たに165人の感染確認 都内計4317人に 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200501/k10012414211000.html
草。
14日後に結果が出ると言うのもこのコロナ禍のいやらしい所だと思う。
確かに政府会議なんてそれこそ御用学者とかが大半だし、医療関係の件でも政府関係は酷い代物も事実多いけど、コロナ禍については医者とかもそこまでする必要性がない事は判っていて、多少きつめな発言をしているのは事実としてあると思うよ。
何せこの通りすぐに油断や慢心をする人が多すぎるからね。
その辺と経済の調整は本来政府の仕事なんだけど、それをしていないからこそこうしてこの手の医者叩きもするのだろうなと思ったりもする。
流石に1年は言い過ぎだとは思うけど、この手の油断や慢心するのが多いと言う理由も判る気もするよね。
それと経済系の学者とかコンサルタント等の人達が何かこの時とばかり叩いていたけど、こいつらはこいつらでダメダメなのは今までを見ても判る事だからなぁ…。
それに今回経済に関してはこのコロナ禍においてはまず麻生大臣が碌に企業に対しての補償をしなかったのが一番悪いよ。
これまでの経緯を見ても海外でもこの繰り返しがあるのは事実だし、日本においても3月の事例を見れば良く判る事だから。
これを見ない限り本当に減っているのか?検査数が減っているのか増えているのか?等の判断が出来ないから良くなったのか悪くなったのかの判断がつきにくいのも事実なのだけどなぁ…。
単に同じ件数を検査して、感染者数のグラフの高低差あるだけなのか検査数がその日は少ないから減っているのかと言うそのまともな判断さえできない。
何にしてもこのコロナ禍に関しても偽善者共がコロナ禍を悪用して、非難中傷を盾にネット規制を推し進めようとしたり、パチンコや風俗等の特定産業潰しに利用しようとしていたりするのが胸糞。
保育士グラドルの姿態は心理的虐待(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200225-00164618/
この記事。
消えちゃってるのでやり玉に挙げられたDVD紹介記事の方もリンクしときます。
擁護多いが、リンク先見ると、保育士設定で園児に脱がされたり園児の父と絡むストーリーの動画で、実在の園児に触られるエピソードまで語ってた。単なる兼業グラドルならともかく、これは保育士の仕事踏み台にしすぎ
ダブルワークで片方の仕事の経験や肩書をもう片方に生かすことの何が悪いのか。
いたって当り前のダブルワークの強みを生かしてるだけ。
片方をもう片方に生かすことは「踏み台」なのか。
お答えください。
保育士かグラドルかその両方の職への偏見を持ってないと成り立たない論理に見えるけど大丈夫?
あと、「単なる兼業グラドルならともかく」って言い方から見るに、単なる兼業グラドルでも本当は適切じゃないというお気持ちっぽい。
そこもなんで適切じゃないのか説明してほしいナ。
やり過ぎって何?
具体的に言ってほしい。
はしたない?
けがらわしい?
うわあもうグラドルに対してもAV女優に対しても蔑みのお気持ち満点ですよね。
リベラルぶりながらちょっと油断するとこういう差別丸出しコメントに星が集まるからほんとはてな民は頭悪い。
「年長さんの子には逆に「触っていいよ」と追いかけると逃げる」え、これ合法なの。
2020/02/26
年少の子は「やめてね」といえば素直にやめるけど
年長の子はそうではないので逆に「よーし触ってええぞ」と追いまわしたらお触り癖が治る
という保育士の知見を披露してるだけだったけどちゃんと読めてんのかな。
自分の体を触らせようと年長の子を追いかけてからかうのはやめて。恥ずかしがらせて遊ばないで。スキンシップの方法は他にもあるでしょ。宣伝のために大げさに言ってるのだろうが気になった。
保育園のエピソードとして「触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)」と明かすなど、園児にも大人気のようだ。
こうよ?
"触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)"←これは男性保育士が言ったらダメ感が分かりやすくなるやつだよね…つまりダメ
ふざけて金的やカンチョーとかしてくる子供(男性にもそういうセクシャルないたずらしてくる子は普通にいる)に
「よーしじゃあもっとやれ!」って追いかけまわすみたいな話でしょ。
単純にこっぴどく怒るよりも自分で「セクハラは恥ずかしい気まずいことだ」と感じさせる方が
性についてへんなトラウマにならずに躾られるという気遣いでしょうがよ。
つーかそもそも普通、保育士の体験談をそんな変な意味にとるか?
グラドルというもう一つの職業に対する偏見が読解力をゆがめてません?
仮にこの江藤というグラドルが映像ソフト内で痴女みたいなキャラを演じてるとしても
ねー。
なんだかんだグラドルみたいな仕事の女を見下してんだなーってのがよくわかる。
グラドルなんかやってるハシタナイ女は子供に悪影響だしセクハラして楽しんだりしてそうだと。
叩いてる人達こそグラドルや女性保育士に対する偏見がきつくね?
仮に読まずに叩いてこうなってるんでもやっぱり偏見が相当出てるよね。
子供を盾にする論調は基本信用できない法則/園児が傷つくとしたら周りの悪い大人が先生はこんな悪い事をしてると吹き込んだ場合では
だよねえ
まさにこのブコメの指摘するような、
はっきり口にしないけど明らかにグラドルを「悪い仕事」と思ってないと出てこないような批判ばっかだよねえ
「リスペクトがない」っていうのはセクシーな映像ソフトに使うことが?
なんでリスペクトがないと?
え、じゃあグラドルがダブルワークの職を生かすこと自体がそのもう一つの職の尊厳を貶めるってこと?
プロの保育士がガキのセクハラ矯正法として語ってるのに知見でないとは一体。
グラドルやってるようなふしだらな保育士の言うことだから知見とはいえないってことっスかあ?
まあ一旦「セクハラだー!」って叩いちゃうと引っ込みつかなくなるんだよね。
この人だけじゃない。
"触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)" / ああそういうことか。なるほど。
そーす
古代ギリシャや日本の「ぺデラスティ」(成人男性と10代の少年の社会的に認められた恋愛関係)を研究する教授を解雇しろとの声が高まる [377482965]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1577736060/
1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:00.01 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Students Want Thomas Hubbard Fired for Work on ‘Pederasty’ but University of Texas Says It’s Protected Speech
2 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:11.87 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
テキサス大学の学生グループは、古代ギリシャの「ぺデラスティ」(成人男性と10代の少年たちの社会的に認められた恋愛関係)について広範囲に渡って書いた古典教授の解雇を求めています。
学生は、Thomas Hubbardの学術研究は「10代の少年に対する暴力犯罪の擁護者」であり、小児性愛を促進するオンラインコミュニティで称賛されていると主張しています。
衝突について最初に報告したThe Austin American-Statemanによってレビューされた文章の中で、UTの教養学部の古典学教授は、古代社会の男性と少年の肉体関係を「適切な学習経験」と呼びます。
それとは別に、2010年に、Hubbardは、古代の若い男の子の性的同意を分析する記事を書いたと伝えられており、現在の同意年齢法は禁止に匹敵する「素朴で独善的な時代」の「悲しい副産物」と呼んでいます。
Hubbardは査読雑誌「Thymos: Boyhood Studies」に「現代アメリカ法は、後期ビクトリア朝時代と進歩主義時代の思想的先入観と時代遅れのジェンダー構造に由来する『性的関係に対する子どもの無能力』に基づいている」と書いたと報道された。
「私たちは少年と少女の「同意年齢」は異なる事を考慮する必要があります」
3 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:22.18 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Students for Safetyと呼ばれるグループは先月、Hubbardが「未成年の少年を捕食することを望んでいる人たちのコミュニティを促進するために彼の立場を利用し」彼の著作が「これらの違法行為を奨励している」と主張するプレスリリースを発行しました
「10代の少年に対する暴力犯罪を擁護する者には、明日の指導者に教える権利はない」とこの発表は述べています。
「テキサス大学は、学生の安全、健康、福祉を念頭に置いていないことは明らかです。」
「私たちは、この男性が小児性愛を促進するために彼の地位を使用している間、我慢することを拒否します」とグループは言いました。
Hubbardに対する告発を率いる学生の1人であるSarah Blakemoreは、The Austin American-Statemanに、教授の「アカデミックライセンス」は「法律違反」を促進するため、公立大学では容認されるべきではないと語った。
Hubbardの研究は、North American Man/Boy Love Association (NAMBLA) を含む男性と少年の関係を促進するオンラインコミュニティで好意的に受け取られていることを引用して、Blakemoreはこう付け加えました。
「世界最大の小児性愛者擁護グループが私の本を支持するなら、私は人生を再考します」
4 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:31.38 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Hubbardは、The Daily Beastのコメントのリクエストにすぐに応答しませんでした。
The Austin American-Statemanへの声明の中で、古典教授は「少数の学生」の懸念を却下し、「この主題に関する私の執筆の全範囲の慎重な調査に基づくものではない」と述べた。
彼の作品は、NAMBLAの「法改正への特異なアプローチ」を実施せず、メンバーの性的指向を共有していません。
Students for SafetyのプレスリリースがソーシャルメディアでUTの学生に配布された後、Hubbardは書面によるQ&Aで自分の研究を擁護し、ぺデラスティは小児性愛とは異なると主張し、「同意年齢がより低年齢の国で精神的健康への悪影響の証拠はない」と示唆しました」
Hubbardは「私は主に古代ギリシャ、「小児性愛」(精神医学の診断および統計マニュアル第5版で定義)が文化記録の一部ではない、について書いています」とハバードは言いました。
「古代ギリシャ、漢王朝中国、ルネッサンスフローレンス、サムライ時代の日本、同様にメラネシア、アジア、アフリカの部族文化などの複雑な歴史文化で実践された、思春期の男性の恋愛的交際「ぺデラスティ」の非常に異なる現象について議論します」
さらに、「10代のセクシュアリティをどのように規制し、法律違反を処罰すべきかは、研究者と公共政策の専門家の間での正当な研究と議論の分野です。
そのような議論には、歴史的および異文化間の証拠がある」と加えました。
(以下略
大坂なおみさんのシャイで謙虚な性格を見てアメリカの人たちの多くがカワイイと言っている。
そして、今まで日本人は謙虚でシャイだからダメなんだというような主張で日本人を批判していたの人たちの一部には、大坂さんのことを性格含めて絶賛している人がいる。
?
やや強引な結論になってしまったことは否めないが、現実というのはテニスラケットの網の目のように絡み合っているということだ。
言い換えれば、現実というのはラケットの網の目のように整然と編み込まれているわけではないということだ。
ムムッ!
では私はトイレットペーパーから綿棒を紡ぎ出す作業がまだ残っており多忙を極めるのでこれにて失礼する。
なお、米国在住の方や旅行・出張等で滞在している方は、フローレンスの被害にくれぐれも気をつけるように!
駒崎ではない!
ではさらばだ!またお会いしよう!
フハハハハハ
?
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
・・・・・
以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
「離婚案件で妻はDVをでっち上げるだけで完勝する」&「妻側の弁護士が悪知恵を授けている」と主張している人たちの主張パターンをそのままなぞっているだけ。
「俺が負けたのは、司法が腐っていて、妻の弁護士が悪辣だから」と自己認識したい人たちなんだろうね。
DVをでっち上げて離婚しようとする妻がいないという話ではない。そういう妻はいる。でも、そういう妻はこういう書き方はしない。
だって、文章中に妻に同情する要素が一切ないでしょ?夫がどういう人か分からずのっぺらぼうでしょ?
DVでっち上げ妻であっても、もちろん夫が嫌い。だから、夫を悪く見せたがる。些細な問題を誇張してでもね。思い込みかもしれないけどね。それでも、たとえ増田であっても夫が悪くない、何て絶対言わない。
私の主張は嘘や矛盾ばかり。
とは絶対書かない。
子には何年も会わせてもらえない。・・・
面会交渉については裁判所は必ず実施する方向をどんどん強めている。幼児の場合、子の心情も関係ないしね。
「フローレンスの駒崎さん」なんて法の成否に全く影響力なし。増田が嫌っているだけ。
実はこの「葛藤」や「敵対関係」は私が作ってるだけで実際には夫に非なんか一切無いんだけど勝手にこう解釈してくれて、私の我が儘じゃなく「子供の福祉のために」面会をやめろと言ってくれる。
増田にはなくても、本当に「葛藤」や「敵対関係」を抱えている夫婦なんていくらでもいるんだけど、そこに思いが至らないのは……
そう、「俺が負けたのは、司法が腐っていて、妻の弁護士が悪辣だからだと自己認識したい人たち」の議論パターンだから。(増田個人がどういう立場なのかは分からないけどね)
子の教育方針などで夫と口論するうち、子を夫と切り離し自分だけの好みの方針で育てるために離婚したくなった。
我ながら我が儘だけど。
もともと夫とソリが合わず孫の顔さえ見てればいい人たちだから、実家は当然、全面的に私の味方。
それで思い切って、ものごころつく前の子を連れて実家に戻った。
実家のサポートでいろいろ生活が成り立つようになったので、女性に寄り添い女性の言い分を通してくれることで有名な離婚弁護士さんに相談。
こんな内容を書く。
1. 一方的に自分の意見を通そうとする我が儘で暴力的な夫から激しい言葉のDVを受けた
2. 子に対する具体的なDVはなかったが今後そのおそれは十分にあり、私に暴言を吐く姿を子が見てトラウマになっていること自体も含めて。子との面会は困難
なぜこうするかはちゃんと理由があった。
家庭裁判所や調停委員は事実関係を調査せず双方の主張を聞くだけ。
明らかにこちらの言い分に嘘や矛盾があっても、それを指摘する夫の反論の激しさは「夫婦間の葛藤」の存在を証明することになるので、むしろ好都合。
それだけでは不安であれば、婦人相談所にDV被害の相談に行き「配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書」を発行してもらえばよい。
この証明書の発行には証拠不要。事実確認はおろか夫側の見解聴取もない。
これは「相談があったことの証明」だが、実務的には「DVがあったことの証明」として役所や裁判所で通用する。
(内閣府男女共同参画局通知 http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/kanrentsuchi/pdf/01/n_29_20140930.pdf ここには『この保護に関する証明書は、配偶者からの暴力を理由として保護した者に対して婦人相談所等が発行するものであり、配偶者からの暴力があった事実を証明するものではないことを、念のため申し添えます』と書いてあるが、調停委員が知らないばかりか家庭裁判所裁判官も知らないほど、この注記は知られていない。)
これから別居中にじっくりと子に夫の恐ろしさを教えておけばよい。試行面会の頃までには子が勝手に夫を怖がるようになってくれる。
どんなに夫が子煩悩だったとしても、3歳くらいまでの記憶は綺麗さっぱり消える(「幼児健忘症」。病気ではない)。
夫の写真も見せないようにする。仮に子が「パパは?」と訊いたとしても、キッと睨むだけで子は「この話を母親としてはいけないんだ」と学び、保護者である母親の気に入る子になる本能で、勝手に父親を嫌いになる。
3.は実入りを少しでも大きくするため。
離婚をしてしまうと受け取れるのは養育費だけになるが、婚姻をかたちの上で継続しておけば相互扶養義務に基づく婚姻費用の分担を請求できる。
このアドバイスのとおりにやってみると、面白いように周りが全部こちらの味方になってくれた。
誰も私を疑わない。
いや、疑う流れにはときどきなったけど、疑うそぶりを少しでも感じたら
「私を疑うなんて酷い」
と泣いてみせればその話はぜんぶ立ち消えになった。
私の言い分の嘘や矛盾を夫が長々と説明しても、どんな証拠が出てきても、「そんなことはない」と言えばいい。
そう言うだけの方が良いのだ。
「証拠対証拠になると不利なので、こちらからは証拠を出さない」
夫がどんなに苦労して物的証拠を出しても、裁判官や調停委員はそれを採用せず、私の口頭の主張ばかり採用する。
子には何年も会わせてもらえない。・・・
夫が怒り始めるのも当然。
でも、
「すぐそうやって怒り始める人で大変だったんです」
と言えば1.や2.の間接的な証明にもなる。
しかも、
という裁判所独特の言い回しで、面会させない理由にしてくれる。
いい気味w
女>>>>>>>>>>>男
とあらかじめ決まってる。
夫が年収高かったおかげで20万強の婚姻費用を毎月受け取ってる。
保育所には例の「証明書」を見せれば最優先で入れて貰えたので、自分の勤めの収入も十分。
((嘘扱いされるのが癪に障るので追記注釈。実家のサポートで暮らしていて収入ゼロのうちに婚費決めさせたのと、娘がDVトラウマで今後も働きに出られないかもという主張が通って、夫の年収1300ちょっとだったけど算定表ほぼ満額が取れたんですよ http://www.courts.go.jp/tokyo-f/vcms_lf/santeihyo.pdf 現実の裁判所が嘘みたいだからしかたないんだけど、無闇に嘘扱いしないでね))
さすがにこれは酷いということで国会でも「親子関係断絶防止法」が議論になってるけど、たぶん通らない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170308-00068455/
裁判所の調停や審判に持ち込まれているような場合、夫婦間でかなりの葛藤があって、敵対関係があって、持ち込まれるのが大半なんではないですか?そういう場合に面会交流を継続するのが、本当に子どもの福祉にかなうのか、慎重に考えるべき
実はこの「夫婦間の葛藤」や「敵対関係」は私が作ってるだけで実際には夫に非なんか一切無いんだけど、勝手にこう解釈してくれて、私の我が儘じゃなく「子供の福祉のために」面会をやめろと言ってくれる。
夫はこれからどう出てくるのかな。
「会わせろ」と連絡してくるのを警察に相談したらストーカー扱いしてくれたので、今はそれもない。
当たり前だよね。
少しでも振込を怠ったら私から会社に連絡がいき、給料を差し押さえられるんだから。
弁護士にきいたら、次の裁判ものらりくらりやってれば絶対に勝てるんだって。
ただ、一生ずっと面会ゼロにするためにはひと工夫必要らしいので、今それをやってるところ。
その中身は内緒だけどね。
この国は最高。
どーも、互助会増田です
以下読む価値なし
どうすればコメント書けるのかわからなくて、これで間違っていたらすみません。
「もうちょっと生きてみようと思います」と言ってくださっているので大丈夫かもしれませんが
おばさんからもお便りさせてください。
フローレンスのことが出ているようなので
全国医療ケア児者支援協議会http://iryou-care.jp/のことはご存じだと思います。
全国重症心身障害児(者)を守る会http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/
どちらでも、相談に乗ってもらえるでしょうし、同じ立場のお友達と話すのが
私の場合は一番気が楽になりました。
緊急というか「もうどうしても無理、死にたい!」と思ったら
またお近くの重症児施設http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/shisetu.pdf
の相談室に困っている旨、電話で問い合わせをしてみてください。
けっして我慢しないで、ありったけぶちまけて助けを求めてください。
一般の病院では施設と連携のない所もありますので、その時は直接連絡してもいいと思います。
重い障害の子どもたちとお母さんたちを心から応援してくれている人たちが必ずいます。
思っていた自分の人生設計がすっかり狂ってしまって悔しい思いをしてきました。
本当のことを言うと「この子が死ねば私は楽になる」って何度も思いました。
でもそのあと「ああ、この子が死ななくて良かった」とも思いました。
「お母さん、もう楽になっていいよ。ありがとう。」みたいに。
小さい頃施設に預けていて、自分に余裕ができて在宅になった方もいます。
ずっとおばあちゃんが面倒をみてお母さんが働いているおうちもあります。
これからは障害児が生まれてもお母さんが働ける時代が来ると信じています。
どうかお母さん諦めないでください。
短い間だけかもしれないお子さんとの今も大事になさってください。
絶対に死んじゃ駄目ですよ。
それがね、わかるようになりますよ。
ほんの少しずつだけど成長していくんですよ。
<元増田へ:追記あり>重度障がいの子どもを介護してかれこれ十数年経過の私が登場。
大丈夫?しんどいよね。産んでまだ数ヶ月じゃほんときついと思う。
ほんと、出生前診断にすがる人多いけど、あくまでマクロ的に捉えてないと、検査では分からないものの方が多いんだよね。
その辺理解してる人少ないんじゃないかな?自己責任だろとか必ずしも高齢だからとか一概には言えないのよ。
ウチもおもいっきり医療の必要な子だからもちろん外でなんて働けてないよ。
あんなに「無理、育てられない。もう死にたいし、死ぬ」って思ってたのに、今ではかわいいんだから人間って不思議だし厚かましいよね。
でも、それまで偽善的に繋がってた人間関係がすっごくクリーンになって、良い意味で人は一人で生きてけないんだなあ。って思えたかな。
それまで当たり前と思ってた価値観とかが覆るから、いろんな事がみえてきたりもするんだよね。
それと、こういう子がいるとほんといろんな人(保健師とかね)がうちに来るから、いい意味でも悪い意味でも放っとかれない。
社会で起きていることや、これからの国の行く末とか、嫌でも気になるようになるからおのずと人任せでいられなくなるよ。
まあ、他人からみれば「人生終わってる」ってことになるんだろうけども。
「子どもはあなたを選んでうまれてきた」って念仏みたいに言われる機会も多いと思うけど、とりあえず何も言い返さず口角だけ上げておけばいいから。
追記:
ただの通りすがりなのに、あけてみたらコレにもたくさんのブクマが付いててびっくりした。
読み返してみたら改めて口が悪くてごめん。昨日のあなたの最初の追記で最後の一行読んでちょっと安心した。
このままFOしようと思ったけど、元増田の後の部分の追記読んでもう少し。
↓これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
私は数ヵ月前に第一子を産んだ。
私20代、夫30代。
だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。
医師や保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。
人工呼吸器をつけていたり、鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。
みんな子供の介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。それが当たり前だって。
片働きになれば、今の家には住めなくなるし相当切り詰めた生活をしなければならない。次の子を持つのも難しい。
だったら、死のうかなって思ったよね。子供と一緒に。
そういうの全部なくして、残りの人生、親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。
あとさ、出生前診断ってよく話題になってるけど、分からない障害の方が圧倒的に多いんだよね。
特に呼吸器とかが必要になるような重い障害って、脳の機能の問題だったり、出産時の事故だったりが多いから
産んでみるまで予想もつかない。
こういう思わぬリスクもあるんだなって、産んでから初めて知った。
せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。
…ってなことを吐き出したくなったから書いてみた。
―――3月7日21時追記―――
凄い数のブクマついてて驚いた。
いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。
医療ケアのある重度障害児育てていると、困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、
どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。
だからこういう形で吐き出した悩みに、多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。
今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップルや夫婦が
いつか重症児の親になってしまった時、もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。
それと、いくつか寄せられた障害児の延命への批判や疑問について。
私のケースだと、出産後に異変がわかって、あれよあれよという間に呼吸器がついて経管栄養がついて、
延命について考える機会もなかった。
「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw
延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、発達が望めないような障害の場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。
そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。
(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)
どんな命でも大切に育てるというのはひとつの理想なのかもしれないけど、
現実を見れば、介護の担い手も福祉のリソースもすべて有限だから。
まあ、子を育てていくうちに考え方は変わるのかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20160229202916
―――3月8日0時追記―――
takehiko-i-hayashiさんにコメントして頂いたチャリティーのリンク先を貼っておきます。
すでに寄付してくださった方もいるみたいで、感謝の思いで爆発しそうです。
障害児保育問題@フローレンス http://florence.or.jp/solution/#col_3
重病児家族滞在施設@マクドナルドハウス http://www.dmhcj.or.jp/support/index.html
―――5月26日追記―――
TBS川畑さんへ、ご本人だという想定で返信
マスメディアにそのような情熱を持った方がいらっしゃることを心強く感じます。
話を聞かせて欲しいとの件は、大変ありがたいお話なのですが、今回はお断りさせていただきたく思います。
ひとつの理由としては、子供の医療ケアが頻回で、時間的にも体力的にも余裕がないこと。
もう一つは、この投稿を通して私の状況が多くの人に届いた結果(それ自体ありがたいことなのですが)
副産物として、まとめサイトや匿名掲示板などで、私だけでなく障害児の親全体を叩くような書き込みが多く寄せられ、少し参ってしまったことです。
マイノリティが世の中に理解を求めるならば、このようなことも覚悟して声を上げていくべきだと頭では分かっているのですが
私が一時、電話で相談をしていた重度障害児の親の団体に「社会福祉法人 全国重症心身障害児(者)を守る会」というものがあります。
http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/
こちらに取材を申し込まれたら私と同じような立場の方がいらっしゃると思います。
私がお話しした方は、入所施設の空きがなく産後30年近く子供の介護をされているという話でした。