はてなキーワード: タイムラインとは
下手か、してないかのどちら。これに限る。
いい作品は必ずリツイートされる。なぜなら物申したくなるor自分のタイムラインにスクラップしたくなるものだから。これは絶対にそう。SNSはそんな複雑ではない。
いいものを描(書)いていてリツイートされないというのは他人にとっていいものではないor下手だからだ。そういう作品がリツイートされるにはどうすればいいかというと普段から自分がリツイートしてるかどうか。それをしてないなら一生リツイートなんかされない、されるわけがない。
描(書)いても、いいねされる止まりの人間は自らリツイートをしろ。リツイートした半数は、やってもらったから返さなきゃとおもうものだ。ただ描(書)いただけではリツイートされる理由がないのだという己の力量を認め、リツイートされる作品を学べ。
きっかけはTwitterのタイムラインに流れてきたエッセイ漫画。拒否反応が出てちゃんと読めていないけど「〇〇で××だったけどこの一言で完璧主義者をやめられました!」「ゆっくり休んだら精神が回復しました!」というものだったと思います。
しかし本当に「がんばらなくても死なない」という考え方で全員が救われるのでしょうか?
私は「自殺しないこと」を頑張っています。通学途中車の前に飛び出したい、踏切を越えて電車に轢かれたい、包丁で動脈を切りたい、校舎の4階から飛び降りたい……そういった衝動を必死で抑えながら、ただ「好きなもののファンコミュニティから自殺者を出していろんな人に迷惑をかけたくない」という一心で日々を過ごしています。
精神科には何年も通っています。副作用に苦しみながら薬も飲んでいます。カウンセリングも受けています。けれどこの希死念慮はどうしようもありません。
そんなギリギリの、文字通り「がんばらないと死ぬ」生きている人たちに、「がんばらなくても死なないよ!」という言葉は果たして本当に救いになるでしょうか?
この世にはどうしようもない事情で「頑張るか、死ぬ」の二択を突きつけられている人間がいます。その事実を頭の片隅に置いてくださったら嬉しいです。というか置け。
どういう気持ちでいるん?
なんかTwitterでバズってる同人女の愛と憎しみとemotionalをリアルに描写してるおもしろい漫画。
おけけパワー中島がタイムラインに颯爽と現れみんなの話題をかっさらって行ったとき、「つらい」と言ってミュートワードをガチ決めたり、その話やめてと嘆いている同人女がタイムラインに散見された。
おけけパワー中島の漫画はそのあとも回を連ね、更新されるたびに話題をかっさらって行っているが、そのたびに「やっぱり合わない」「無理になってきた」「いっそイライラし始めた」いう同人女(ROM含む)がちらほら爆誕し始めている。
無理だと言う女たちはだいたい全員、
進行形でどこかの神を愛したり憎んだりSNSの評価に怯えたり鍵垢で見ず知らずの気に入らない絵師や字書きを叩いている共通点があったけど、やっぱりそういうことなのだろうか。
私のタイムラインだけだろうか。
ん??????????????????????????????????????????????????????
https://help.twitter.com/ja/using-twitter/advanced-twitter-mute-options
ツイートに見たくない内容が含まれていたときのために、特定の単語、フレーズ、ユーザー名、絵文字、ハッシュタグを含むツイートをミュートする設定があります。ミュート設定を行うと、そのようなツイートが [通知] タブ、プッシュ通知、ショートメール、メール通知、ホームタイムライン、ツイートへの返信に表示されなくなります。
注記: キーワードやハッシュタグのミュートは通知とホームタイムラインにだけ適用され、検索ではそれらを含むツイートが引き続き表示されます。ミュートしたキーワードやハッシュタグの通知は、自分宛ての返信や@ツイートに加え、それらに対する他の利用者からのいいね、リツイート、返信、引用ツイートにも適用されます。
一日中、暇があればスマホを握り、ツイッターを眺め、くだらないことを呟き、フォロワーと会話したり互いにいいねを付け合い馴れ合っている。
絵師でもない、
インフルエンサーでもない、
ただのひっそりとした非公開の愚痴垢だ。
そんな私は昨日の三浦春馬さんの訃報もTwitterのタイムライン上で知った。
演技の上手い美しい人で、
時折バラエティなどに出るとその真面目さや繊細さが目立つ素敵な人だと認識していたくらいで、
彼が出演している作品をチェックしたり映画や舞台に足を運んだ事もない。
もしかしたら出演していたドラマをちゃんと見た事すらないかもしれない。
私にとって彼はそれくらいの人だ。
だが、それくらいの人のはずなのに、私はいま彼の死にものすごくショックを受けている。
三月の暮れ、志村けんさんが亡くなったときも「あぁ残念だな」と思った程度で、
「悲しくて仕事が/家事が手につかない」と言っている一般人の呟きやインスタのポストが理解できなかった。
もともと身内の通夜葬式でもお経の最中にうたた寝をしてしまうくらいの人間なので、
私は今後芸能人の訃報を聞いても対岸の火事という感じで心が揺さぶられることなどないのだろうと達観していた。
そんな私がなぜか今ものすごいショックを受けて、ツイッターで一切くだらないことが言えなくなっている。
なぜだろう。
Twitterを開く気になれずなんとなく5chの芸スポのスレを見てみると、
「ファンでもないのになんでそんなに悲しんでるの?」という書き込みが散見していた。
今もモヤモヤは晴れず、なぜだかずっと落ち込んでいる。
後追いなんかではなく、
ただ何の思い入れも接点もない私がここまで落ち込み引きずるんだから、
これがトリガーになり向こう側へ自分もという気持ちになる人が出てくるのはわかる。
誰にも本当の事なんてわからない。
綺麗事を並べても、汚い事実を探し出しても、もう真実なんてわからないのだ。
この文章は実際に起きた出来事をもとに書いています。誰かを批判したり糾弾する意図はなく、事件の備忘録として秘匿で公開することをご了承ください。
また、特定を防ぐため一部事実と異なる記載もしていますが大元の筋は変えていないつもりです。
SNSで死んだはずのフォロワーが転生した。ちょうど一年前の7月の話だ。以降便宜上転生する前のそのフォロワーをAと仮称する。
Aとは今から三、四年くらい前にTRPGのセッションで知り合い、何度かオンラインで卓をし、作業通話などを行ったこともあった。声を聞いたり私生活を聞く限り、とても若いなという印象があった。
今から一年前の5月。その日は私と何人かのフォロワーがプレイヤーとしてAにTRPGシナリオの続きを回してもらう予定だった。ところが時間になってもGM(ゲームマスター、シナリオ進行者のこと)であるAは現れない。連絡しても反応がない。心配に思いつつシナリオ進行者であるAがいない以上卓を行うことなどできないので結局その日は解散となった。
Aのアカウントが沈黙して数日後、Aの親族を名乗る人物がAのアカウントを使いタイムラインに投稿した。なんでもAは腹痛で病院に運ばれたのだという。さらに数日後、A自身が自分の身体に癌が見つかった、初期の発見ではあったが命に関わるものだという旨のツイートをした。
この話を聞いた時、私よりはるかに若いAが重い病を患う事実は正直にショックだった。A本人からはしばらく卓ができない旨の謝罪があったがそれより元気になってほしいと思った。私自身、昔上司を癌で亡くした経験があり、癌の恐ろしさはある程度知っているつもりだった。癌というのは本当に、ぞっとするほどあっという間に命を奪う。
しかし、Aの体調によりAとの交流がストップし、AとはSNS上のタイムラインを見るだけのやりとりとなった中で小さな違和感が芽生え始めた。
AはA自身のSNSによれば抗癌剤による治療を受けているとのことだった。その中でAはかなり頻繁に他のフォロワーと通話を行っていたようなのだ。それも夜遅くまで。私には入院経験がないので病院のきちんとしたスケジュールは把握してないが、就寝時間が深夜に設定されている病院を私は知らない。それに抗癌剤治療はものすごくきついと聞く。それこそ毎日通話する余裕があったのだろうか、と。ただこの時は多少違和感があった程度でAを疑うまでは至らなかった。何よりフォロワーの病を疑うのは失礼だと思っていたから。
一ヶ月後、再びAの親族を名乗る人物がAのアカウントを使用し報告した。Aが亡くなった。
この報告を受けて私の中の違和感は確実に膨らんだ。癌は若い人ほど進行が早いと聞くが、いくら何でも早すぎる。それに腹痛で運ばれたにも関わらずAの親族が告げたAの死因は腹部や消化器系の癌ではなかった。Aの死を悲しむ気持ちと違和感だらけの事実に頭がごちゃごちゃになった頃、同じくAがGMを行った卓にPLとして行き、卓が中断していたフォロワーから連絡があった。「Aのことどう思う?」。
私はAの訃報は悲しいが、違和感があり正直信じられないと答えた。フォロワーも同意見だったようだったが、それ以上言及することはなく、私はAの訃報にお悔やみの言葉を送った。
数日後、SNS上で中断していた長期卓のGM募集をよく見るようになった。私がAの訃報で中断となったシナリオの卓もけっこうあった。私はこれらがAの一件によるものだと知り、その多さに愕然とした。Aは確かに時間のかかるシナリオやキャンペーンシナリオをよく回していたが、とある一人のフォロワーがAに対して6つの中断したシナリオを抱えていると聞いた時は慄いた。
私はAのSNSに連絡を取った。Aの訃報に対するお悔やみの言葉、その上でAに対する違和感、もしAが生きているなら返事をしてほしいこと、もしAが亡くなっておりAの親族がこれを見ているのならこれはAに対する言葉なので返事をしないでほしいことをAの個人チャットに送信した。
Aと私は竹馬の友と言う訳ではない。せいぜい数回遊んだ程度の、何かあれば簡単に縁など切れてしまう程度のフォロワーだ。それなのに今でも馬鹿な連絡を入れたと私は思う。Aにもまだ誠意があると少しでも思ってしまった。この時Aに連絡を入れたことは今日に至るまで誰にも話していない。
私が文章を送信してから三時間ほど後にAの親族から返信が来た。あなたの送った内容に憤りを感じている。私(Aの親族を指す)も嘘だと思いたい。もAに生きていて欲しかった。そんな感じの内容だった。
私が考えていた中で最悪のパターンだった。同時に私はAは生きていると確信した。
私はAに嘘でもいいから生きていてほしかった。だからA本人から連絡がくるのが最高のパターン。次にこのままDMが動かす読まれることなく終わる、もしくは返信なくブロックされるのが想定内のパターン。どんな親切な親族だろうと身内の死を疑う内容の文面にまともな返事を送らないだろうと考えていたからだ。そもそも本人以外返事をしないでほしいとわざわざ書いた。
Aは私という他人の前ですら、誠実なふりをすることすら辞めたらしい。親族という皮をかぶり本当に身内を喪った親族からすれば気分を害する内容の連絡にさほど時間を置かずに返ってきた妙に丁寧な文章、「あなたは誠実な人なのですね」という一文がただただ気味悪かった。私はこれ以上の言及は無意味だと適当に連絡を打ち切った。
それから一ヶ月後、とある匿名アカウントが現れる。警告アカウントと題されたそれにはAが別のアカウントを使い、別人としてシナリオを制作し卓の募集をしているというものだった。死んだフォロワーが転生した。ちょうど一年前の7月の話だ。
私は特に驚かなかったが心底がっかりはしたし憤りもした。新しいアカウントとやらに見に行くと確かに作成したシナリオはAと酷似している。というかほぼ同じだ。もうちょい上手にやれよと呆れざるを得ない。警告アカウントが広まり始めるとAの新アカウント(仮)はアカウントのみ残して消えた。
そこからさらに数ヶ月、とあるTRPGシナリオを目にした。それはAの新アカウント(仮)が作成していたシナリオそっくり、というかほぼ同じで、あっと思った頃には警告アカウントも再び動き出していた。転生、アゲイン。ここまで露骨に分かると笑ってしまう。笑い事ではないのだけれど。
ただ前回と違うのはその新アカウントはめちゃくちゃ人気を博しており、現在に至るまで消えていないということだ。Aが生きていた頃から感じていたことだが、Aには「信者」なるものがいるらしく、以前Aが問題ごとを起こしたときも指摘をした人がAの信者らしき匿名アカウントにものすごく叩かれたのだという。今回も新アカウントにコンタクトを取った末叩かれたり脅迫されたりした人を何人か見た。
地獄への道は善意で舗装されている、という言葉をまざまざと見た。新しいアカウントでのフォロワーは1000人を超え、再びいくつもの長編シナリオを回す予約を取り、さらにシナリオの販売まで始めたAは次はもう転生できないだろう。前回と異なり金銭が絡んでいるのだから。なのに転生したAはまた同じようにいくつもの卓を立て大量の長編キャンペーンシナリオを制作し、そのどれもが制作途中に関わらずすでにプレイヤーを募集している。
私は転生したAを見つけたときとてつもなく怒りの感情があった。他人とのコミュニケーションと信頼の上で成り立つゲームを途中で放り出され、癌という最悪の部類の嘘を吐かれ、批判覚悟で送った文章を足蹴にされた。その上すぐにバレるような形で転生し、なんの反省もなく同じことをくりかえしている。
だが転生を繰り返すAを今はただただ哀れだと思う。嘘をつき続けるというのはすごくしんどいことではないだろうか。それとも息をするように嘘が吐ける体質でもあるのだろうか。それはそれで嫌な人生だ。
私はAと関わりのありそうな全てのアカウントをブロックし、以降は目に入れないようにしている。警告アカウントも流れてきたものを目にするだけで特にリアクションしない。警告アカウントも警告アカウントでAの新アカウントの作品動画に直接警告文を送るなど、段々過激になっていることに少なからず嫌悪を抱いている。これらAに関する一件に触れたくないフォロワーもいる。私は真実かどうか分からない薄い正義より今でも一緒に遊んで元気に生きてくれるフォロワーの方が大事なのだ。
フォロワーがAの新アカウントをフォローしたりAの新アカウントが作ったシナリオで遊んだりすることも特に何も思わない。警告アカウントができた当初はフォロワーへの注意喚起として拡散したりもしたが、フォロワーが誰と何で遊ぶかはフォロワーが選ぶことだ。フォロワーに対する余計なお世話である。
ただ何も思わないっちゃ思わないのだが、新アカウントの動向を軽く見た限り恐らくその人は同じように大量の長編シナリオの予約をしてすっぽかす可能性が非常に高いので苦労するからやめとけとは思う。ちなみにそれなりに募集はかけたが一年が経った今も私達が放棄された卓の続きを行ってくれるGMは見つかっていない。
ここまで書いておいてなんだかAが死んだと嘘をつき、新アカウントで猛威を奮っているという確たる証拠はない。もしかしたらAは本当に亡くなっていてAによく似たシナリオを描く誰かなだけかもしれない。そうであってほしいとも思う。
Aの訃報を聞いた時、嘘でもいいから生きてくれと思った。Aの新アカウントを見つけたとき頼むから死んでいてくれと願った。今はもう嘘が本当か分からない夏の怪談話の一つを手に入れたような気分だ。
私はAの転生を見て様々な学びを得た。計画性なく卓を詰め込みすぎないこと、できないと思ったら素直に申告すること、心からの謝罪の大切さ、過ちを庇うだけが思いやりではないこと、人はそう簡単に変われないこと。
皮肉なことに不幸中の幸いなのはAが家族でも親友でも恋人でもない、ただ数回遊んだ程度の、何かあれば簡単に縁など切れてしまう程度のフォロワーであるということだ。もしも家族や友人がAのようだったらと考えるとぞっとする。家族や友人が善意で舗装された地獄への道を歩いているとき、多分私は何もできない。
せめて、私が大切だと思う人たちが嘘による転生などを行わないことを、嘘の繰り返しで誰かを傷つけないことを、ただただ願う。
コロナの自粛期間中辺りからvtuber見始めたので主ににじさんじとかの感想。
最初は、Twitterのタイムラインとかで前からちょくちょく知名度のとかあったりしてる人の名前とか見かけたり、ファンアートとか流れてきたから存在を知ったんだよね。で自粛期間中に入ってすることねーなになったんで見始めたんよ。
手始めに知名度のある人いわゆるチャンネル登録が多い人から見ててっ、大規模企画とか合って絡みが面白いなーと思ったら知らなかった人のところにも見に行ったりしてたんだわ。でもさvtuberてっ基本的にゲームするだけじゃんそれも許可どりしてなきゃできないとは自分思ってんだけど、ホロライブは今そこら辺でファンとかで許諾の有無とか調べてたりしてるしね。話それたけど対人戦やリアクションの取り方や喋りみたいなとこ工夫がないとめっちゃくちゃつまんないし、一時間ぐらいのかそれ以上の時間生配信の長丁場だから追うにしてもアーカイブとか切り抜きでさえもかなり時間割かないといけないじゃん。そんな時間ないし。主に見てたにじさんじとか今所属が100人ぐらいいるしvtuber業界全体だとどんだけ人いるのか知らないけど100人以上でも見れないのに他に見ることなんて出来ないんだよね。
後企業勢というか有名会社のvtuberさんみたいなマスコットみたいな立ち位置以外のゲームとか雑談メインのvtuberがなにしたいか謎だし今後どんな展開していくのかわかんないんだよね。性癖暴露とかvtuberになる前の話軽率に話しまくってる人もいるけどプライベートな部分晒しまくって病まないか心配にはなる。
スランプなんて言っていいのかわからないけれど、多分スランプになった。
二次創作メインのしがない同人小説書き。同人歴はまだ7年目くらい。筆も遅いので、本を出すのも年一くらい。
誰にも期待されていないし、私の本を待っている人も正直いない気がしている、そういう人間。
スランプというのは、端的に言えば、書きたいものが思い付かなくなってしまった。
アイデアが全然出ないし、よしんば出てもプロットがうまく引けない。
けど中身が思いつかないんじゃあ、どうにもならなくて。
もう半年ぐらいちっとも何も作れずにぐずぐずしてる。
不謹慎というか罰当たりな話だけど、五月のコミケがコロナ騒動で中止になって少しほっとした。
どうにか今の状態を抜け出したくて、色々やってみてはいるけれど、何をやっても迷走している感じしかしない。
もがいているうちに、これまでどうやって小説を書いて、どうやって本を作っていたのかわからなくなってきている。
私って何が作りたいんだろう。
何が作れるんだろう。
そう思ってやってきた。
だから、作れない今の自分には、愛の証明が出来ていないことになる。
そういうことを思ってしまう。
多分、愛の証明ができない分を穴埋めしようとしているんだと思う。
そうかも、と思う。
そうかもと思うからこそ、辛い。
別にそれで食っていってるわけじゃない。食っていけるほどの実力もない。
別に本を作らなくったって、小説を書かなくったって生きていける。
生きていくだけならできる。
でも、されど趣味だとも思う。
こうなってみて改めて実感したのだけど、自分の人生には趣味しかないらしい。
仕事は最低限でいいと思ってる。
特技もない。
でも、その趣味ですら、今は頑張れていない。
タイムラインを見れば、今日も素敵なものを作り、世界へと発信している人がいっぱいいる。
眩しい。
私の焦りは増すばかり。
でも焦れば焦るほど、なにをやったらいいのか分からなくなる。
友人にも、お前は自分を見失ってると言われている。
そこを見失っているから、空回りばっかりしているんだと言われている。
私もそう思う。
この頃、もうこのまま書けなくなるのでは、とすら思ってきた。
それだけは避けたい。
今日も私は空回りを続けている。
お気に入りのフォロワーにブロックされました。当たり前の話ですが、とりあえず偽物を混ぜて話しました。
私がその人や何かとけんかをしたという意味ではありませんでした。私はたくさんのやり取りがあり、少しの間私を許してくれました。私はそれを(広義には)友達だとも思っていました。
きっと出来なかったと思います。チリと一緒です。感情的に不安定な行動の一部または全部を見るのが嫌だったに違いありません。ブロックされる前に、私はDMから別れを告げられました、そして、私がショックでいつも泣いていることに気づいたとき。
Twitterは互換性の問題です。あなたが気分が悪いなら、それはさようならです。それが私が理想的なタイムラインを作成する方法です。私はそうしました。
だから私はまた、他の人が私をブロックすることを受け入れます。ここを無理やり踏み込んだとしても、それはお気に入りのTwitterアカウントではありません。
しかし、それは本当に難しく、苦痛で、悲しいことです。私はまだ他の人が好きです。私は性的な人なので、恋に落ちたことは一度もありませんが、恋に落ちているのでしょうか。まだ他人の心に恋をしているのは痛いです。
私は相手に腹を立てなかったし、気の毒にもならなかった。もっと元気で優しいつぶやきを作っていたらよかったのに。それから彼が彼の心を離れなかったかもしれないことを後悔します。
自分のアイコンも表示したくない場合は、反応せずに通知フィールドに表示されません。少なくともブロックするだけでロックを解除できます。どのように私を許すことができますか?あなたが私にあなたを許して欲しいのは傲慢です。
相手が決めたので諦めるべきだ。しかし、私はまだその人をあきらめたくないです。でも……この一ヶ月くらい頭の中で回っています。
自分が昔勤めていた会社はドがつくほどの営業会社であるR社の出身者が代表をやっていた会社だった。
その代表は事あるごとにエンジニアに対して「お前らが飯を食えているのは営業のおかげだ!!何のんきに昼飯食ってるんだ!!」ということを言うくらいの会社であった。
営業の誰かが数字が伸びていないとわかると会議室にその人を呼び出し、叱責という名を借りた人格否定、怒号、罵声が飛び交う。場合によっては会議室に呼び出さないでその場でこれをやっていることがあり、他の架電している営業がビクッとなっていたり、声の大きさから電話先のお客さんにまで聞こえていたまである。
組織全体のモチベーションが下がったタイミングで社長が発したのが「うちはボランティアでやってるんじゃない。目標未達のやつは全員給与払わない」と全社員が入っているメーリス宛に送ってすらいた。
もちろん、エンジニアもその対象であり、本当に給与は未払いになった。本来は25日支払いだ。月末には支払われたが、遅延損害金などは一切支払われなかった。
この遅延だけでどれだけの従業員が生活に支障を与えたか、代表は一切考えていないだろう。手取りは18万、ボーナスなしの会社だった。貯金なんて月数千円、場合によってはできない人もいる。
会社は強制的に財形貯蓄制度を導入し、これに入らない従業員は査定でマイナスをすると断言していたため、ほとんどの人が手持ちの資金がなかっただろう。
中には家賃の支払いが遅れたり、クレジットカードの支払いが遅れる、奨学金を借りてる人は奨学金の支払いが遅れるなんて人もいたかもしれない。
代表は「社員は家族である。俺が守ってやってるんだ」と豪語していた。どの口が言うんだ、とさえ思った。
話題を少し変える。昨日自分のタイムラインに要約すると「インフラに障害や過失事故が起こったら減給対象になる。減給対象にならない会社に転職したい」といった旨のツイートが流れてきた。
正直目を疑った。その人の会社を調べるとCMも結構打ち出している大手だった。ただやはり営業が代表をやっている会社のようだ。
想定外のアクセスが増えればインフラに障害だって起こるだろうし、歴史のあるシステムであればスケーラビリティを確保するのは難しいだろう。
過失事故についても再発防止策を考えればいいのであって、減給対象となるのは甚だおかしい。
というかそもそも減給を従業員との協議をしないで一方的に下げるのは月給の10%以上であれば労働基準法に反しているのではないだろうか。
いずれにしても従業員からすると気が気ではないし、給与が下がることによりモチベーションも格段に下がるだろう。
話を戻すが、上の方に書いた自分の事例のように仕事がうまくいかないから給与を下げる、支払わないは営業がトップにいる会社の常用手段のようだ。
特にエンジニアという職業は営業から見ると、何をやっているのか理解し難いだろう。判断する材料が既存のコードベースではなく(エンジニア経験のない営業には理解できないため)、スケジュール通りにできているか、障害が起こらないか、といった判断になりがちである。
営業は目に見えないものを嫌う傾向にあるとさえ思う。なぜなら彼らは売上がホワイトボードに書き連ねられており、契約を取れば数字が変わり、誰が仕事をしているか判断をしやすいからである。
目標を超えれば昇給をするし、そうでなければ昇給をさせないといった判断もできる。エンジニアはどうだろうか。スケジュール通りにできるのはあくまで目標で、障害が起こらないのは品質保証だろう。
そう考えるとエンジニアが昇給するのは営業がトップであれば肌感覚で判断するしかない。もちろん判断材料は営業と比べて目に見えないものが対象である。
ここが営業がトップにいる会社は例外なくエンジニアを大切に扱わないといった所以だ。彼らは同族を好み異族を嫌う。
自分たちの判断できないことは営業のノリで決めるのだ。これはCTOが居ても営業がトップであれば変わらない。なぜなら最終的な昇給を判断するのは営業のトップである代表であるからだ。
営業とエンジニアは永久に分かち合えないといっても過言ではない。エンジニアはプロジェクトの成功のため営業に歩み寄るが逆はありえない。
就職・転職を考えている人は一つの判断材料として営業がトップの会社には行くべきではないということを自分は伝えたい。
最初の給与が高くても昇給する可能性は薄く、遵法精神がほぼ皆無である。
遵法精神というと、減給や給与未払いもそうであるが、退職届の提出時の恫喝や、退職を拒否したりパワハラまがいな言葉も浴びせてくるのは日常茶飯事である。
自分も退職届を受理されず、内容証明で送ったことがある口だが、その後に代表から「てめぇふざけんじゃねぇ!家族を裏切るのか?お前みたいなゴミはどこにいっても一緒だぞ」と恫喝されたことがある。
彼らは従業員を家族といいながら辞めれば補填すればいいとさえ考えていて、ただの販管費としてしか見ていないだろう。
この家族の話であったり、裏切るといった話であったり、どこにいっても一緒だという発言は経営者の教科書に書いてあるのではないかというくらいどこの営業会社も言っているので真に受けるべきではない。
こういった会社は職歴が汚れてもいいので辞めるべきである。転職のときに「ブラック企業だったので辞めました」と事情を話せばわかってもらえる。それよりそうやって我慢をしてメンタルを病んでしまえばそっちのほうが転職時に響くのは明白である。賢いエンジニアなら理解しているはずだ。
ちなみに余談であるが、その会社はいろんな電話帳系のページに迷惑電話と書かれており、営業活動が厳しくなったのか社名と電話番号を変更して営業活動をしている。早く潰れればいいのに。
一方でエンジニア経験のある人間がトップの会社であれば、提示給与が高くエンジニアに対しての評価制度も整っていることが多い。
twitterではいくらでも見かけたれいわ支持者なのに、実際の得票では振るわなかったのを見ただろう。
自分のtwitterタイムラインが何らかの世論を代表していると思っちゃだめだし、度を越したフェミかぶれやスピリチュアルアカとかは精神衛生の為にミュートしろ。
朝からWEED(事務所名)所属のレゲエミュージシャンのお気持ちワクチン忌避ツィートが流れて来てウンザリした。WEEDは最高でワクチンはダメなのか…(笑)
好きなフォロワーにブロックされた。よくある話だけど、一応フェイク混ぜて話す。
その人と喧嘩したとか何か大きなきっかけがあったわけではない。いろいろやりとりしていたし、数少ない気を許していた相手だった。(広い意味での)友達とも思っていた。
きっと自分のことが「無理」になったんだろう。チリも積もれば、というやつだ。情緒不安定なところがある自分の言動の一部、もしくはすべてを見るのも嫌になったに違いない。ブロックされる前にDMで別れを告げられていて、気づいた時はショックでずっと泣いていた。
Twitterなんて相性の問題でしかない。気が合わなくなったらサヨナラだ。そうやって理想のタイムラインを作っていく。自分もそうしてきた。
だから相手が自分をブロックするのも受け入れている。ここで無理に食い下がったら、自分の愛したTwitterではなくなる。
だけど本当はつらくてしんどくて悲しい。自分はまだ相手のことが好きなのだ。自分はアセクシャルなので恋愛自体したことないけど、失恋するってこんな感じなのかな?自分はまだ好きなのに相手の心は離れているという事実が、とても痛い。
相手に対して怒ってなんか全然なくて、むしろ嫌な思いをさせた自分が情けなくて。もっと朗らかで、心が和む優しいツイートをすればよかった。そうすればあの人の心は離れなかったかもしれないと後悔している。
自分のアイコンすら見たくないなら通知欄に載らないよう一切反応しないから、せめてブロックだけでも解除してくれないかな。どうしたら許してくれるかな。いや許してほしいなんて、それこそ傲慢だな。
相手が決めたことだから諦めたほうがいい。だけど自分はあの人との縁をまだ諦めたくない。でも……。この一ヶ月くらいずっと頭の中ぐるぐるしている。
そこでいわゆるママ垢・パパ垢と交流しているが、自分のマイノリティさに悩む。
ママ垢・パパ垢の多くはフェミニスト寄りだ。(私の観測可では)
・女性管理職や起業家、政治家が少ないのは女性を下に見る男性のせいだ。
・母親業は言わば家庭を回す経営者であり、年収に換算すると高給取りだ。
・母親にわざと苦労させるために便利なものを作らない(乳首付きの液体ミルクや乾燥機に入れられる高機能ブラなど)
・世の中の男は男に生まれた時点で搾取する側だと自覚して生きるべきだ。
積極的に自分の意見を発信しない人でもこのようなtweetをRTするので、
日々このような発言が私のタイムラインには流れ続けている。パパ垢まで一緒になってやっているのだから理解に苦しむ。
一部理解できるものもあるが、私には到底受け入れられないものもある。
例えば
◆女性管理職や起業家、政治家が少ないのは女性を下に見る男性のせいだ。
というもの。よく聞く意見だが、私は周囲の女性で管理職になりたいという人を殆ど見たことがない。(男性でも多くはないが、女性はほぼいないように思う。)
「管理職になって女子が働きやすいように会社を変えてよ~」と無責任に言われることはよくあるが(私は女)、
自分が出世して会社や社会をどうこうしたい!という人には会ったことがない。
「時短で」「高給で」「好きな仕事ができる」なら女性(自分)でも管理職になれる!バリバリ働ける!と言われても、その仕事は一体何なんだ…と思う。
「激務で」「残業代なく」「責任があり」「好きではない仕事をする」というやりたくない仕事をむしろ男性が押しつけられているのでは?とすら思う。
私はハイヒールも履かなければ滅多にフルメイクもしないが、それで男性から差別や注意されるなど、不利益を被ったことはない。
女性から「ちゃんとしたら可愛いのに」「ネイルくらいしなよ~」などと言われることはあっても。
つまり私はこの圧力を男性からではなく、お洒落好きな女性からこそ感じている。
自分だけチャラついていると思われたくないのか、地味な私を見るのが不快なのか、理由は分からないが。
そもそも多くの男性にハイヒール、パンプス、ミュール…と言った女性物の細かい区別ができるとも思えないし、
派手すぎる、見るからに危ないなど常識から逸脱していない限り、特段の興味があるとも思えない。
「お洒落に興味がない変わった女」というポジションを勝ち取ることで女性同士の面倒なやり取りを回避している。
一番イヤなのはこれだ。
逆にあなた方は日本人に生まれた時点で搾取する側だと自覚しているのか?
育児垢御用達のファストファッションがどんな風に服を生産しているか考えたことはあるのか? スマホがどんな環境で作られるか知っているのか?
なぜそこは「興味ない」「企業のせいであって自分たちはただのユーザー」と受け入られるのに、
たかだか同性に管理職が少ないことや、自由に遊べる時間やお金が少ないことなどを「搾取」と言えるのだろう。
絵本や雑誌記事の写真や、子供向け番組の動画などを平気でアップしたり拡散したりするような人たちに、「権利の侵害」などを語って欲しくない。
これらのことをtwitterでも言えれば良いのだが、スクショを取られ拡散されて炎上するのは間違いないので口をつぐむしかない。
(スクショを取って拡散するやり方もtwitterの規約から逸脱していると感じるし気に入らないが。)
普段は「個性」だ「多様性を認めろ」だなんだともっともらしいことを言いつつ、気に入らない意見は晒し、攻撃し、
世の中の親はこういう思想なんだろうか。
私のように発信できないだけでこちら側も多いのだろうか。
自分の意見が偏っている、おかしい、古い、勉強不足、なのだろうか。
マイノリティ過ぎて辛い。
■追記■
育児垢の全員が過激なフェミニストに見えているわけではなく、育児の愚痴や悩みなど普通の話題の方が多いのは知っている。
私が上に書いたような意見を述べることは理解されないし、許されない空気がある。
一方で、女性の権利、男性の無能さ・加害性は日々賛同意見が流れ、RTもされてくるのだ。だからこそフェミニスト‟寄り”と表現した。
「これだから男って…」「女性ばかり…」みたいなのが圧倒的に多く、あなたの家ではそうなんですね、とはならない。
(そんなことを書いたらクソリプと言われて叩かれるのは目に見えている。)
子供の年齢(月齢)的にまだ復職していない人も多く、一日中twitterに張り付いている人も少なくないので
(彼女たちによれば、「Twitterくらいしか出来ないのであって、母親は24時間休みがない!」)
そう見えているのかも知れない。
■■追記■■
予想以上の返信、ブクマをもらい驚いている。
指摘や批判、同意も含め、私の気持ちを整理する助けになっており感謝している。
まず私はこの話題について誰とも対話が出来ず、心の中で反芻することを続けていた。
そのために、無理にでも逆貼りする癖がついてしまっていたのだと今回気付かされた。この癖は改めていきたいと思っている。
また、性別が同じというだけで「(女性が被害や差別を受けたtweetに対してに)涙が出る…」という育児垢も多くいる中で、
どこか冷めた気持ちで見てしまう自分が辛い、という気持ちでいたので肯定も貰えて少し安堵した。
TLを整理したらどうか?好んでそういう人を見ているのでは?
私の場合、妊娠中からこのアカウントを使っていて、予定日の近い人と無差別にフォローしあった結果、相互フォロワーが300人くらいいる。
初めは妊娠中の悩みや不安、相談が盛り上がっていたのだが、産後一気に「男尊女卑」の話題が増えたと感じている。
フォロワーが減ったことに傷付くtweetもよく見るので、基本的に、妊娠中、育児中の人にストレスをかけたくないという思いから、交流を切れずにいたが、
転生し鍵アカウントにするか、フェードアウトしていくのも良いかなと思えた。
産後に「男尊女卑」を批判するtweetが爆発的に加速したことについて、初めは家事や育児を怠ける夫を一般化して置き換えてしまうのだろうとも思っていた。
しかし、「そんな人と結婚したのが悪い」というコメントに対して「うちの旦那はやっています!一般的な話です!」という流れを何度も何度も見て、
一体これは何なのだろうか、誰との戦いなのだろうかとずっと疑問を抱いていた。
まず、私も痴漢やセクハラ被害、女性を侮辱する言葉をかけられた経験はあり、女性だからという理由で不利益に遭うことがある、という認識はある。
ただ、女性だから不利益に遭う、があるからと言って、「男性=加害者」とは思えず、「加害者の多くが男性だった」だけなのではないか、と思っている。
万引きをする人のほとんどが女性だとしても、女性=万引きをする、とはならないように、
ポテサラおやじがいるからと言って、日本は男尊女卑!にはならないと思っている。
これは確かにそういう側面もあるのだろう。
生物としての正しさがあるのかどうかは分からないが、現在の人間社会においては性役割をなくし、フラットを目指す方向なのだと私も思う。ただ、
「自分が管理職になりたくないのはジェンダー教育のせい」を認めるならば、
「男が家事育児をしないのもジェンダー教育のせい」となるはずだと思うのだが、そこは「男がクズ」となるのが不思議である。
議員や医師、エンジニアになる女性が少ないことは男性からの抑圧だという主張と、
看護や介護、保育に男性が少ないことは女性軽視だという主張が同一の人の中に同時に存在することが不思議でたまらない。
以前パパ垢で「男子トイレにはオムツ交換台がなくて困る」と書いた人が炎上した。
「今まで育児にかかわってこなかった男のせい」
「女性は戦って勝ち取ってきたのだから同じく戦え。女性に便乗しようとするな」
嫌われ、ヘイト、厳しめ…といった、特定のキャラを貶すタイプの創作がある。私はそういったいわゆる「ヘイト創作」が地雷だ。
そうはいっても誰かの地雷は誰かの性癖。地雷作品に入りうるワードはまずミュートして、見てしまってもそっと見なかったことにして対象をブロックすればいいだけの話だ。
ただ、最近はかなりの頻度で自ジャンルのヘイト創作を見かけるもんだから本当に鬱。この前もワードミュートすり抜けしてタイムラインに厳しめ作品が入ってて(しかも結構バズっている)気付かずに最後まで読んじゃってガッツリ地雷踏んで死んだ。しかも一番苦手な断罪作品だった。マジで地雷踏んだなら潔く爆散すべきなのはわかってるけど本気でもう胸糞悪さが頭にこびりついてもうダメ…
しかも私のフォローしてる絵師とかも反応してて、揃いも揃って「解釈一致です!!」って言ってて辛すぎる
キャラの嫌われ系が好きな人の気持ちも分からなくはないけど、それにしたって私が嫌なのはキャラを許せない、貶めたい、そういう個人の許せない感情を他のキャラがそう思ってるかのように代弁させて断罪してるところだよ だって本編では一言も許さないなんて言ってないじゃん、許せない腹立つって思うのは自分の気持ちでキャラの気持ちじゃないし解釈でもなんでもないからアンチ掲示板でやれよ!!!!!!!!!!!!!!
7月8日、推している作家の生存確認やオンラインゲームの告知を見る程度にしか使っていなかったツイッターのタイムラインに一件のリツイートが流れてきた。
その告知を見たとき、私は「やはりな」という感想とちょっとした残念さを同時に感じていた。
なぜ「やはりな」なのか、それはサービス開始前から半分くらいの確率でコケる確信があり、サービス開始後にそれが8割に達したからだ。
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まず、サービス開始前から感じていたことだが、LINEの使用者層とLINEノベルがメインターゲットとする層のちぐはぐさ、これが一番大きなものであったように思える。
LINEを主に使う――のはあまりにも広い層だ、抜粋は諦めよう。その中で特に頻繁に使うのは?おそらくは中学生~大学生であろう。
一方LINEノベルのターゲットは正直言ってとっちらかっている。
後述する残り3割の理由もあり、私はLINEノベルを開けないのでソースは公式ツイッター、並びに実際にLINEノベル上で連載を持っていた作家の発言程度しかないのだが、それでも商業を全面に押し出している割に内容が闇鍋すぎた。
比較的最近のベストセラーや女性向け小説、そして大量のライトノベル。
公式ツイッターはこれらを無分別に告知し、公式サイトにはどんな小説を閲覧できるかすら載っていない。
なにが入っているのか不明瞭かつ、事前情報という明かりすらない。
まさに闇鍋だ。
最低でもオリジナル連載の試し読みは公式サイトに置くべきであるし、告知ツイッターも女性向け、一般向け、ライトノベルくらいには分けるべきである。
ここまでが(最近の情報も混じってはいるが)サービス以前から分かっていたことである。
では、残りの3割にして止めを刺した要因について話そう。
先程は触れなかったがLINEノベルは小説投稿サイトでもある。
まずは落ち着いて「小説家になろう https://syosetu.com/」のトップページを開いてほしい。
次に「カクヨム https://kakuyomu.jp/」のトップページを開いてもらいたい。
最後に「google:LINEノベル」のトップページを――はてどこだろうか?
検索してもそれらしいものは存在せず、公式サイトぐらいしか目につかない。
先程も触れたが公式サイトにはどんな小説が閲覧できるか載っていない、消費者に向けて言っているのは「読みたかったらアプリ入れてね!」くらいである。
そう、情報が不透明な状況下でのアプリインストールの要求(実は今年の4月に共有機能が追加されWEBブラウザでも読めるようになったらしいが共有元が必要な様子なので論外)。これがWeb小説を読むまでにほとんど存在していなかったハードルを非常に高くしてしまった。
Web小説というのは、個人サイト時代から連綿と続く匿名に近い個人が書く、不特定多数が制限なく読む小説である。
商業サイトに掲載の場を移してからもその形式が変わることはなく、サイト会員が小説を載せ、それを不特定多数がデフォルトのWebブラウザで会員登録などせずとも際限なく読んでいる。
今も昔もWebブラウザ一つで閲覧し、小説を書く。最低でもWebブラウザのみで完結するというのが小説投稿サイトの強みである。
作者側に会員登録を求めるのは「書いたのはわたし」の証明に必須であろう。
ならば、読者側にアプリのインストールを求めるのは?「めんどくさい」や「容量制限」などなどの様々な問題が顔を出すだろう。
更に言ってしまえば小説家になろうやカクヨムでスマートフォンのブラウザ上でお手軽に読める物という概念が染み付いている事も敗因の一つだ。
商業小説も掲載している以上アプリのインストールを条件にするのは致し方ないことだろう。
投稿作品や公式連載作品をWebブラウザでも自由に見られるようにすることは技術的に可能なはずだ。
だが、それはなかった。
そこにあったのは、先人のいいところを投げ捨てた投稿サイトであった。
そして、美味しいものが入っていると言われても味がわからず、中身が見えない、誰が何を突っ込んだのかわからない暗闇の鍋に箸を入れる者は減っていった。
これがLINEノベルが失敗に終わった理由であると私は考えている。
カクヨムは小説家になろうの流れを汲み、KADOKAWAが興した小説投稿サイトである。
自社の小説や人気作品の番外編、公式連載などもあり、結構商業的な面がある。(儲かると思ってやっているのだから当然である)
利用料金は(執筆時点で)完全無料、アプリ版もあるが機能的にはちょっと便利レベルであり、スマートフォンでもブラウザ上で閲覧と執筆が完結できる。
要するに上位互換。
推しが死んだ。
それも本当に死んだわけではない。命が尽きたわけではなく人格の話だ。
そのジャンルは未だに更新のある生きたジャンルで、リリースからしばらく経つが人気も高い。
私がそのジャンルに落ちたのは1年ほど前のことでまだまだ新参者の類だ。
でも落ちてからは早かった。
推しに出会い、自分でも驚くほどそのジャンルにのめり込んで何度も同じストーリーを繰り返し読んでは公式最高!推し最高!と萌え狂っていた。
わたしは二次創作も嗜むオタクだったので自分でも推しを書き他人が書いた推しの話も支部の古いものから順にほぼ全てに目を通した。
先に書いた通り人気のあるジャンルだったため公式・二次創作ともに頻繁に供給があって本当に毎日が楽しくて仕方なかった。
推しの変化だ。
二次元のキャラクターは目まぐるしい速度で成長していく。アクション・SF・学園モノ…カテゴリーは様々だが、連載が長引くにつれキャラクターは必ず内心面や身体的に成長していく。
良い成長だけではなく時には悪い方向に向かってしまうこともあるが、不変ほどつまらないものは無いのでそれは話の展開に必要なものだ。そうした成長を見守ることが楽しく胸を熱くさせるからオタクはついつい同じジャンルに長居してしまうのだ。
そしてその日は訪れた。
更新されたストーリー内で、推しが絶対に言うはずのない台詞を口に出したのだ。
絶望だった。
ストーリーが突然グチャグチャになって、推しが支離滅裂なことを言い出したわけではない。あくまでも自然に徐々に推しの中身が異質なものになっていって、私が変化を強く感じたのがそのストーリーのその台詞だったというだけだ。
なんで?どうして?何故そんなことを言うの?
全く理解が出来なかった。変わってしまったと感じた部分は、私が推しに落ちた理由でありその推しの"核"だったのだ。
私はうまく回らない頭でTwitterを開いた。同じように戸惑っている人を探そうとしたのだ。
でも目に入ってきたタイムラインには、
「このページの推しの顔可愛くなかった?」
「今回のストーリーすごく泣けた…。」
といったいつもと何ら変わらない公式への称賛の声ばかりが広がっていた。
どうして誰も推しの変化に気付かないの?自分の好きなキャラクターなのに分からないの?
私が推しの"核"だと思っていた性格は、公式にとっても他のオタクにとっても重要なものじゃなかったの?
私が推しの解釈を拗らせて自分の中に空想上の性格の推しを作り出してしまったの?
推しは絶対にそんな考え方はしないしそんなことは言わない。いつそんな変革があったんだ。
ストーリー初期の推しであれば最新話の推しが言った言葉を絶対に否定すると思う。最新話の推しの性格が初期の推しに反映された場合にこの物語全体が破綻するくらいにはこの固定観念は変わってはいけないものだったはずなのに。作品のテーマだったはずなのに。
そんなことを一人でグルグルと考えて苦しくなって、わけも分からずずっと泣いていた。
例えば、
才能があって乱暴で自分勝手で、だけどたまにぶっきらぼうな優しさを見せるキャラがいるとする。(※これは上で語った推しのことではない)
そうした時に、このキャラを好きになる大抵の人が"ぶっきらぼうな優しさ"に惹かれるとする。ならばこの場合の私は"才能があることを自負している強さ"に惹かれるのだ。だから二次創作で原作の描写以上に終始優しい姿を見せるこのキャラを見ると「解釈違いです!」とそっとページを閉じる。でもどちらの性質もそのキャラが有しているものであってどこを好きになっても間違いではないはずなのだ。
感覚というかそのキャラの重視するポイントみたいなものが他人と違う。
つまり何って私とTLの感想が一致しないのはわりと頻繁にあるということ。
話を戻すと、
そんなことある?
否、そんなことは絶対にあってはいけないし、その場合は解釈違いを起こした私がおかしいのだ!いつだって公式が正しい。だって推しの在り方の正解を知っているのは生みの親である公式だけなのだ。
私の好きな二次創作も公式の原作あってこそのものだから、私はストーリーが更新されるたびに各キャラクターの変化を自分の解釈に反映させてきたし、それはきっとどのオタクだってそうだと思う。
供給をもらうたびに考察して、うまく飲み込めない時には他人の考察を見たりして、自分の中に落とし込んで、その都度自分の中の「好き」をアップデートさせていると思う。
でも私は今回それが出来なかった。
公式が間違っている!なんて独りよがりの最低なことを思ってしまうくらいには納得がいかなかった。
毎日楽しく漁っていたTwitterも支部も、二次創作すべてが見れなくなった。最新話に関係のない時間軸の推しを描いたものでさえ、「でも結局この推しは最新話のような思考に陥るんだ」という負の感情が邪魔して見れなくなった。
疲れているからマイナスな発想にしかならないんだ、時間を置いてもう一回最初から読み返そう。
そう思ってインプットもアウトプットも止めて、身体を動かして美味しいものを沢山食べてどこか退屈なだけど気楽な日々を過ごした。(その間も推しが恋しくなったが私生活に支障があっては困るのでなんとかして推しを脳裏から抹消した。)
そうして約一ヶ月後、もう一度推しと向き合った。が、ダメだった。
離れている間の他人の感想も検索して私と似た人も見つけた。推しと作品の傾向の変化について考察をまとめている人もいた。でもその考察がどんなに納得できる内容でも私はダメだった。
ジャンルを離れてもダメで、新しく何かにハマろうという気も湧かない。
死んだ推しの亡霊を追い求めているのだ。
もちろん前のような気持ちで見ることはできないし、私の許容範囲外なだけでもしかしたら他のキャラクターもおかしな変化をしているんじゃないか?と疑うくらいには公式に対する信頼も無い。今はまだそうはなっていないがもし今後すすんで粗探しするようになってしまったら本当にオタクとして終わりだと思う。
でも、「もしかしたら推しのあの台詞に対する言及が来るかもしれない!」サ終していないから、更新があるからこそ、私はそういった希望を捨てられないでいるのだ。
公式を信頼していないと言いつつ自分に都合の良いどんでん返しがきたらあっさりそれを受け入れられるよう準備をしているのだ。ボロボロになりながら呪詛を吐きながらそれでも追い縋ってみっともない。
だけどSNSで表立って愚痴を言っているわけでもない、公式をsageるようなことも言っていない。このヘドロのような感情を自分の中で室内飼いしているだけなのだ。
耐えきれなくなって開いた穴から毒が漏れ、ついにはこうしてはてなに書き込んでしまったわけだがどうか許してほしい。
恐らく私は公式にどうにかしてほしいわけでもジャンルの人間によしよししてほしいわけでも無いんだと思う。
許してほしい。
死んだ推しの亡霊が見えなくなるまで
その界隈の住人でいることを
どうか許してください。
まずはじめに言います。
何を言われようが構いませんし反論する気もありません。
はじめます。
Vtuberにハマったのは2年前か、そのくらいだと思います。
キズナアイやミライアカリ、そしてにじさんじやホロライブへと興味は移っていきました。
それまで、絵というものは少しだけ描いていましたがそんなに上手いとは言えない出来栄えのものばかりでした。
しかしVtuberのファンアートというものはいくら下手でもゴミカスでも推しからリプ返やいいねが来る。
承認欲求がどんどん満たされていく。
しかしこの欲求っていうのは厄介で、1度満タンになると上限が解放されて今までの行為ではあまり満たされなくなっていく。
心を満たすために、もっといい絵を描いたら推しやファンにも認知されるんじゃないか、そう思って機材も整えた。
数十万とんだね。
そして数ヶ月後、事件が起きる。
その中の一人が私。
動画の待機画面にもサムネにもイラストが使われて完全に認知された。されてしまった。
ただ、うん、いいねだけで満足しておくべきだったんだ。
これ以上何があるんだ?
それから壊れていった。
喜びとして上限値だろうが承認欲求の上限は完全にぶっ壊れた。何をしても満たされない。
心が過呼吸を起こしてるんだ。
なんの喜びもないどころか
そんな考えさえ浮かんでくる。
なんでお前は俺を認知しない
なんでお前は僕を見てくれない
なんでお前は私を
なんで
絵をRTしない、フォロバしない推しは次第に推しではなくなった。
そして今、完全にVtuberへの熱意は薄れた。
最初にフォロバしてくれた「推し」だけを細々と応援している。彼女が笑っていたらそれでいい。
ゴミ共の描くカスみたいな絵だけ流れてくるタイムラインにうんざりしてツイ垢は閉鎖した。
今はただ、イナゴって言われたっていい、ただイラストレーターとして活動していくことを心に決めている。
俺はこの先この満たされぬ承認欲求と共に歩んでいく。
ファンアート、いいよね。どんどん描きなよ。
自信満々に載せなよ。
推しがよろこんでくれるとでも思いなよ。
俺と同じ轍を踏むなよ。それじゃ。
ダ・ダ・恐山のTwitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。
このツイートを最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。
現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元のソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。
爆ハマりした後、腐女子である私はいわゆる「推しカプ」ができて、最初はROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。
しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由に自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。
アカウント作りたてのこの時はフォロワー数10人とかでほぼROM専状態。フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。
でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。
人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。
そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。
そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。
だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。
それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。
※何度も言いますが普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです
相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい。
毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。
けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。
というか大半がそういう人(オタクは考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈や考察が流れてきた。
ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。
すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察や解釈が流れ込んでくる。マジ?
これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。
そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分の解釈や考察がなんだったか分からなくなっていた。
いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。
少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。
それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。
新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムラインに考察・解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。
だからタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから。
もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさらな状態で推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。
書きたいなら書けば?言い方次第でそこまで失礼にはならんし、まあ不謹慎と怒って絡んでくる第三者は確実にいるだろうけど本人は意外と「確かにタイムラインに流れてきたらぱっと見そう見えちゃいますよね」くらいの温度であることもままある
昨今感想屋とか、おけパとか面白い単語が流行っているのだけど、その中でも「こっち側」の人間の意見を見つけられなかったので自分用のメモとして書いておく。
好きな推しCPが出来て、親しい仲間内で同時に作ったアカウントだった。
当初は親しい身内だけフォローして他には誰とも繋がらず、互いに推しの絵を描いたり各々の好きな話をしてキャッキャと遊んでいた。
今思うと、私はこれが好きだった。私の求める二次創作は、好きな絵を描いて、好きな妄想をして、親しい友人と分かち合って、原作を考察したり。それで充分だった。
なので同人誌とかを作る気も起きなかった。神の絵や同人誌を読むのはもちろん好きだったけど、仲良くしたいなんて微塵も思わなかったし。何しろ住む世界が違うので。
ただひたすらそうやって友人と楽しく過ごしていたら、フォロワーが増えていた。
他の友人も新しい友人を作って遊んだりしていたので、楽しそうだなあ、と思いながら絵を見た事がある人を探してフォローを返した。
相互フォローを増やして、楽しく会話した。もちろん以前からの友人とも同じように話した。
フォロー外からリプライも来るので、それなりに返事をした。漫画や絵をアップすれば感想が来るので、ありがたく返事した。
そんな中で、友人から「クソマシュが来た」という報告を受けた。
今思うとこれは「おけパ現象」だったんだけど、つまり私と親しくするな、お前が親しくしていい相手ではない みたいな内容だったらしい。
全然意味がわからなかったが、私は友人が傷つくのは嫌だし、ツイッターで会話するのをやめた。ディスコードで喋ればいいし。
程なくして、私はそのクソマシュを送った相手が最近相互フォローになって楽しく会話をしていた相手だという事に気づいた。
なんでああいうのって匂わせツイートみたいのしてしまうんでしょうね。
「あの人にはいいねするのに、私にはいいねがないのは実力不足なんだな・・・」
今まで自分の事だなんて微塵も思って居なかった謎のツイート群が、友人とツイッターで絡まなくなったら途端に消えたので察した。
ちなみにTLが高速で流れていいねができないなんて普通だし、親しい人間は脳直でリプライできるからすぐ返してしまうだけです。
私が何だかツイッターに違和感を感じ始めていた頃、別の友人が最近始まったソシャゲにハマっていた。
序盤だけでいいからやって!と言われ、推しの論を説かれ、普通に面白かったので面白かった、とツイートした。
友人が描いて!というからちょっと絵も描いた。友人はとってもとっても喜んでいたので私は嬉しくなった。
が、まあこれは予測できた事態なんだけど、「もう〇〇は描かないんですか?!」「ジャンル移動するなら垢消せ」みたいなリプやマシュマロが届いてしまう。おけパ現象も発生した。
意図がよくわからないけど、「〇〇のジャンルは落ち目だから早く覇権の〇〇に移動した方がいいですよ!」とかも来る。
私は自分のジャンルや推しを捨てる気は更々ないし、覇権だから好きになるなんて言う事は全くないので普通に気分が悪い。
ただ、私も不注意だったなあ、と思い、今後一切そのジャンルの話や絵は出さない事に決めた。友人とは鍵垢で喋ればいいし。
それでも推しCPの事は好きなので、絵を描いたりしていたものの、様々な要因から喋りづらいのは事実なので日常ツイートをした。
日常ツイートでタイムラインを流されるのを嫌う人が居るのはわかっている。なので1日2、3ツイート程度。
内容も「好きな服セールで買った」「このお菓子うまい」「髪切った」とか毒にも薬にもならないツイートだった。
ただ不可解な事に、そんなどうでもいいツイートにすら大量にいいねやリプライがついてしまうし、
あげくの果てには「私も同じ服を着たい」「あなたがこのお菓子を食べていたので私も食べた」「同時に髪を切りたい」などとのリプライが届いた。
最初はギャグだと思っていたのだけど、どうやら本気のようで、なんだか私は肝が冷えた。
ライフハックを真似る事は私もあるけれど、私のそれはただの日常行動で、インフルエンサーとして生きている訳でもないし、ただのオタクです。
きっとこれが嬉しい人もこの世には居るんだろうけど、私は単純に怖かった。
なんとなく怖くなってきた私は信頼できる相手だけいる鍵垢にこもり、最終的にインターネットも見ないで過ごした。
私は多趣味な方で、絵を描くのも一つの趣味だと思っている。お金を稼ごうとか、命をかけようとか全然思っていない。
インターネットを見なくても、絵を描かなくても、お菓子を作ったり、DIYをしたり、筋トレをしたり。コロナの中でも楽しく生活をしていた。
親しい人間とはLINEとか、別の媒体で会話をしていたし孤独も無かった。そもそも孤独を厭う方でもないし。
そういう訳で数日後久しぶりにツイッターに顔を出した所、怒涛の勢いで自分の事を心配するリプライがフォローフォロー外問わず届いた。
「死んだかと思った」「あなたが居ない間毎日毎日寂しくて辛かった」「あなたがツイートしてくれないと生きる意味がない」みたいなあまりにも重たい文章が並び、私はちょっと青ざめた。
これが家族とか恋人なら仕方ない部分もある。しかし顔も本名も知らない私にどうしてそこまでの感情を持つのか、理解できなかった。
もうツイートはやめて、鍵垢で過ごそう、絵も鍵垢にアップして最初みたいに、仲間内だけでキャッキャしよう・・・。
そう思って鍵垢で過ごしていたものの、なんと鍵垢を捜索され「どうしても心配だったので鍵垢を見つけて、生きている事がわかって救われた」などとDMを貰った。
ああ、もうだめだ・・・と思った。私がインターネット上で生きている事がもはや義務だった。そんな義務のためにツイッターを始めた訳では無かった。
きっと皆私よりツイッター自体を重たく所持している。そんな中で私がツイッターを軽んじすぎているのかもしれない。それなら尚更よくない。
私が数日間居なくなっただけで大騒ぎしている人々が、私が垢消しした時どんな反応をするか想像できたけど、結局私からしたら顔も名前も知らない人でしかない。
自己中心的と言われればそれまでだけど、私は自分のためにアカウントを消した。
きっと半年もすれば皆新しい神を得て私の事は忘れてくれると思う。
実はこれ、はじめての事ではなくてもう何度も繰り返している。
どうしてこうなるのか自分ではわからないし、人にも相談し続けて来たけれど、皆首をひねるばかりで同じ立場の人間が居なかった。
実際最近の諸々の件を見ても、こっち側の悩みを持つ人は探せなかったし、まあ、言えないよね・・・という部分もある。
ただ少数派でも居るには居るんじゃないかと思うし、あと、もうツイッターのアカウントを作るのはやめよう・・・という誓いを込めて記した。
多分大多数のひとは私の気持ちがわからないし、羨ましい!身勝手だ、享受すべき、なんて考えると思う。
でも私がアカウントを消してしまったのは事実なので、もしアカウントを消して欲しくない神が居る人は、こういうケースも考えて欲しいな、という話。
最後のDMの件だけ説明不足だったので追記するけど、DMは開放してない。
近頃話題の漫画、思うところありすぎて体調悪くなるし、わたしは綾城さんじゃなくておけけパワー中島にクソデカ感情を抱きまくっている。
自カプのおけけパワー中島(以下、自おパ島)マジで何でも褒めてくれる。
自おパ島、突然現れて自カプ者たちの承認欲求をガンガン満たしてくれた。ちょっと感想屋さんも混ざってるかも。でもテンションはおパ島、神にもフランクに話しかけてて、陰の者はぐぬぬ……になるしかない。でも自おパ島は私にもフランクに話しかけてくれるし作品投稿したらRTのあと感想くれるしリプもくれる。あ〜好き。
綾城さんとおパ島が通話してるシーンも覚えがありすぎた。自おパ島、通話してくれる。素敵な自カプが上がってたら教えてくれる。
自おパ島との関係は進行形で続いているし、私と自おパ島だけの関係で言ったら円満というか、まあ、仲良いように見えると思う。たぶん自おパ島はわたしのこと普通に好きなんだと思う。
それなのに私がクソなクソデカ感情を抱いてるのはたぶんもくりのせい、もくり、オタクたちの距離を縮めすぎ。
自カプで交流あって何度かオフで遊んでた神と自おパ島、いつの間にかアホほど仲良くなってた。きのう神と自おパ島がオフで遊んでいるのをタイムラインで知った私はもう……ぐぬ……ぐあ………………誘ってほしかった……でもたぶん仲の良さは比べものにならないんだろうな……とか、神……何かあったら私を誘ってくれていたのに……とか、自分は何もしていないのに少し嫌になってしまって無理。
わたしは匿名でしか感想言わないし、RTしないしリプしないしオフで遊びに行こうよ〜とかすげー仲良くなってからしか誘わないし、そんな神でもないただのフォロワーなわけですが、でも自おパ島……ぁたしにも構ってくれたじゃん…………。
良い作品作りまくって振り返ってほしい神もいないことはない(自カプの神と自おパ島は当然相互だしわたしは片道フォローだしあ〜やだやだ)けど、自おパ島にとっての綾城さんになりたいすぎてなんかもう無理、だって私がジャンル移動したらそこで終わり……
健康に悪くないですか?