2020-07-19

三浦春馬さんの訃報で起こった心境の変化

私はツイ廃ツイッター廃人だ。

日中、暇があればスマホを握り、ツイッターを眺め、くだらないことを呟き、フォロワーと会話したり互いにいいねを付け合い馴れ合っている。

絵師でもない、

インフルエンサーでもない、

ただのひっそりとした非公開の愚痴垢だ。

そんな私は昨日の三浦春馬さんの訃報Twitterタイムライン上で知った。

別段三浦春馬さんにこれと言った思い入れはない。

演技の上手い美しい人で、

時折バラエティなどに出るとその真面目さや繊細さが目立つ素敵な人だと認識していたくらいで、

彼が出演している作品をチェックしたり映画舞台に足を運んだ事もない。

しかしたら出演していたドラマちゃんと見た事すらないかもしれない。

私にとって彼はそれくらいの人だ。

だが、それくらいの人のはずなのに、私はいま彼の死にものすごくショックを受けている。

今まで自分は軽くサイコパスなのではと思っていた。

三月の暮れ、志村けんさんが亡くなったときも「あぁ残念だな」と思った程度で、

志村けん訃報を聞いて泣いている」

「悲しくて仕事が/家事が手につかない」と言っている一般人の呟きやインスタのポスト理解できなかった。

もともと身内の通夜葬式でもお経の最中うたた寝をしてしまうくらいの人間なので、

私は今後芸能人訃報を聞いても対岸の火事という感じで心が揺さぶられることなどないのだろうと達観していた。

そんな私がなぜか今ものすごいショックを受けて、ツイッターで一切くだらないことが言えなくなっている。

なぜだろう。

昨日の音楽の日城田優さんの歌唱ももらい泣きしてしまった。

もちろん城田優さんのファンでもない。

Twitterを開く気になれずなんとなく5chの芸スポスレを見てみると、

志村けん訃報を聞いたときの私のように

ファンでもないのになんでそんなに悲しんでるの?」という書き込み散見していた。

今もモヤモヤは晴れず、なぜだかずっと落ち込んでいる。

有名人自殺の後には後追い自殺が増えるというけれど、

後追いなんかではなく、

ただ何の思い入れも接点もない私がここまで落ち込み引きずるんだから

これがトリガーになり向こう側へ自分もという気持ちになる人が出てくるのはわかる。

何の責任とか誰のせいとか、原因なんて本人にしかからない。

しかしたら本人もわかっていないかもしれない。

私が今理由がわからないまま落ち込んでいるように、

誰にも本当の事なんてわからない。

綺麗事を並べても、汚い事実を探し出しても、もう真実なんてわからないのだ。

いろいろな意味で、出来るだけ多くの人が早く日常を取り戻せますように。

私はこのままTwitterをやめてしまうかもしれないけど。

  • 黙れ女。左足壊死ニキのザーメンでも飲んでろ

  • 私も大ファンだった訳ではないですが、心に穴が空いています。嘘だったと思いたい

    • イケメンの死は嘆く癖に ホームレスがのたれじんでるのはスルーとか 良い性格してますね

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん