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はてなキーワード: 気づきとは

2020-11-20

anond:20201120225653

そういって、実は興味があるんでしょう?

じゃないと食いつかないものね。素直になりなよ

愛してることに気づき

2020-11-19

合衆国大統領選挙不正への眼差しと態度について

 以下の記事のごときものは、自分管理するブログを持っているから、そこで書いて発表すれば良いのだろう。だが、私のブログは人の訪れるものでない。そこでよりは人の目に触れて、多くの人に読んでもらえもするかと想像して、ここに投稿する。

 大統領選投票日以降、いわゆる確実な証拠を挙げよとの要請を口にして、あちこちから報告される選挙での不正に関心を向けることを否定し、さら不正に目を向けながら、大統領選帰趨について論評することを控えるべきであるとする人たちがいる。

 この眼差しの持ち方と態度を守る人たちの中で、次のような人たちのことは、私は特に気にしない。例えば、バイデン民主党候補応援している者、トランプ大統領の退場を望んでいる者。これらの者たちがそうあるのは当然のことであろうから

 私が気になるのは、トランプ応援しているし、トランプ大統領の2期目に期待していると口にして、しか不正への関心を抑制し、それから視線を外して、どちらの候補大統領になるか、もはや自分たちの論評すべきものでない、と口にする者たちである

 代表として上念司、奥山真司の二人の名前を挙げておこう。とは言え、この二人に限るわけではない。彼らは、他の者たちよりは多少は筋道立てて、先の眼差しと態度をとる理由説明しているから、私には扱いやすいのである

 ところでお気づきの人もあろう、私は Youtube虎ノ門ニュース、アメ通 Live をこの一年、大変勉強になると感じて視聴してきた。加えて、上念司チャンネル文化人放送局DHC テレビニュース女子なども、興味深いと視聴を続けてきている。ついでに加えれば、SakuraSoTV とか、古是三春篠原常一郎チャンネルさらにはラジオ文化放送局、おはようちゃんなども、同じ関心に叶うところから視聴している。つまり私は、これらが人々に伝えて、解説する時局、情勢の認識批評が、現状の政治社会を、他のところでのものよりよく捉えていると評価しているし、自分理解を形作る参考にしているのである

 さてそれで、先の二人が自らの態度について言うところは、いくつかの論点から成り立っている。ここで彼らの議論論点全てを取り上げはしないし、そのまま辿ることもしない。同意できるところをあらかじめ挙げておけば、未確定情報に振り回されないようにすべき、選挙不正の論評にいたずらに促されて米国への評価自体を損なってはならない、などの主張を、私もしかるべきものとひとまずは同意しよう。

 だが、総評的にか、つけたりなのか、まるで根本的な姿勢の取り方の如きに、私たち米国大統領選挙権があるわけではない、他国指導者選択であって自分たちの指導者を選ぶわけではない、かように申し立てるところは、さしあたって尤もなことと感じながらも、何かうまくいなされた気分を覚えてしまう。

 さらにまた、不正については、裁判で決することができるのだから、その判断を待つべである不正は訴えることができるのである裁判を起こす権利が彼らにはあるのである三権分立が云々と教え諭されるところになると、いやどうも不正目眩して冷静さを見失っていましたと反省させられる。

 がしかし、先のいなされた気分の中で、この反省を自らに強いてみると、何かおかしものしかもどこか剣呑さを持ったものが潜んでいる不安に、私は囚われるのである

 それが何かと自らに問うてみるに、例えばこんな風に先の主張を言い直してみよう、すなわち、他国重要政治選択は、他国民の決めることであって、こちらが論うことではない、他国政治不正については、他国政治制度か、なんらかの強固な社会規範解決するのを、こちらはただその行く末を見ているべきである、まずはこのように言い換えてみよう。

 そして、他所の国や社会存在していると知らされたり、生じつつあると報じられたり、行われる可能性があると訴えられる不正について、私たちは須く他国政治解決に待つべきなのである他国政治社会能力に期待すべきなのである、このように答えて恬然自若としているべきなのであろうか、このように問うてみよう。

 この記事主題であり、私が気にかかるところの、大統領選挙での不正に対する眼差しと態度に沿うならば、この問いに対しては、然りそうあるべきである、と肯定的に答えることになろう。

 ここに私の不安は、むくむくと大きな黒い影となって、私の胸を塞いでくる。

 なんとなれば、それならば中国でのウイグル人の例の話題や、香港のことも、同じような態度をとって、それらは中国政治選択政治能力処置すべきことであって、不正だの不正義だのと感情を昂らせるようなことではない、中国政治解決に期待して、その帰趨を見ているべきなのである、このような主張も肯定してしまうことになるからである

 中国共産党独裁で、人権もないが、アメリカ民主主義国で、権利と法とがあり爾斯く斯くと言っても、なんの反論にもならない。何故なら、不正からは目を逸らして、ことの成り行きを待とうと説く者たちは、その態度から当然引出される主張として、バイデン大統領就任することになったならば、そうなった米国を見据えて、どう米国と接していくか、どんな外交技術でもって日本国益を実現させていくか、このことに注視せばならないとも力説しているのである

 ここで再び指摘しよう、それならば中国の例の件についてもまた、中国でどんな推移を経ていくのか、それを見定めて、その上で、どう中国と接するか、どんな外交でもって日本国益を実現させていくか、その工夫に腐心すれば良い、かように唱えるのが主張するところに忠実な態度であると言わねばならないかである

 我々は米国民ではない、だから米国大統領選について、なんら口を開くことはできない、物を言ったとしても、なんの意味もない、かように言うならば、これと同じくまた、我々は中国人民ではない、中国人民の状況について、なんらの口を開くべきでもなく、他所の国の我々が何かを指摘したとしても、なんの意味もない、このように言うべきことになるからである

 名前を挙げた二人についてみれば、上念司不正に対する感情を、自らにおいても他者においても、抑制せねばならないと留意するところから、先の態度を唱えているように見受けられる。その抑制理由も、私かに慮れば、納得できないものでもなく思える。しかしながら、政治への冷静さを得るための距離を取らんとして、政治的無関心・アパシーへと導く主張に近づいているように、私は思うのである。そして私がこれについて恐れるのは、政治不正への無関心を理屈だてる主張の、その一歩先に、人々の無関心によって批判されることなく、剥き出しの欲望自由になっている、そんな地平が広がっていると考えているかである

 他方奥山真司については、私の貧しい知識ながら理解する地政学よりして、選挙での不正といったものも、人権侵害といったものも、そうした政治価値に反することや、あるいは何かしらの理念に悖ることなどは、さしあたって考察の中になく、いやおそらく関心を向けるところですらなく、そんなことはどうであっても、つまり習近平中国共産党独裁国家らしいあり方をし続けていくのに対して、またバイデン米国民主党主導で営まれていくのに対して、日本国が自ら所持し、かつ国際的に構築できる政治的な力・リアルなパワーを行使して、日本国益を実現していく道筋を見つけることが、彼の主たる関心であり、もしかしたらそれが全てではないかと思える。

 いつ頃までのことであったろうか、昔は、ジャーナリズムというものが言われていて、それを実践するに努めたテレビ新聞報道では、何かしら政治不正が行われている国が、ことの重要性に応じて、熱心に取材され、分析され、そして批評されて、テレビ番組や新聞記事となっていたものである

 一つの話題が集中的に報じられるときには、国際世論喚起という風に目的づけか性格けがなされたもので、問題ある国に対して、国際社会には厳しい批判非難が湧き起こっているぞと感じさせて牽制を与えることで、その国の不正が深刻なものとならないように働きかけるのだ、そんな意義づけもなされていたと覚えている。

 今から思えば、そうした国際報道も国際規模でメディアを利用しての政治工作、そんなものと感じないでもないが、たとえそうであれ、米国の今回の大統領選挙では、こんな不正、こんな暴力、こんな悪事が行われているのだと、盛んに話題にするならば、外国でそんな風に言われてしまっていることが、よしやごくわずかなものとしても、それなりの牽制になるだろうと、やはり私は思うのである

2020-11-18

anond:20201118133422

見た目だけじゃ評価はできない。

キズナアイ動画をどれくらい見た?

キズナアイパフォーマンスのあり方は総体的に見てかなり模範的だし、それをずっと貫いている。

YouTuberの例にもれず今風のラフな砕け方は多々あるのでNHKアナウンサー的な模範性とは異なるが、パフォーマーとして大人だなと感じさせる自立した個人感が初期のVには多かった。

あとキズナアイ独自志向としてかなり外向きであり、オタク系以外の多種多様コンテキストと関わり合おうとしている。

後発の「Vtuber」がその高邁さを汲んでいれば、現状のようにはならなかっただろう。

いや、そもそもフォローできなかったのだろう。企業が食いついてワナビーがその傀儡にされた時点で、自立した大人には成り得なかった。

そして企業たちはみな気づき始める。「これ全然からんぞ」と。「○億円投資したのに全然回収できんぞ」と。それで元増田が「真理じみた事実」と表現した路線へ行かざるを得なくなる。

見た目なんかよりも行動が過激になっているということの方がはるかに重大な問題だ。おそらく元増田もそう見ているように思うし、問題意識には共感できる。

色で例えるなら、キズナアイや初期のVが提示していた世界観女性が自ら描くパステルピンククレヨン世界視聴者脳内が染められていく感じであって、

後発の生配信主体でASMRやら吐息やら悲鳴やらを男性が「えっちだ」と感じる目線プロデュースされ演じているのはネオンにぎらついたビビッドピンク世界観。酔わせに来る感じだ。

もちろんそういう露骨なVの配信結構YouTube側に止められたりしているんだが、いやアンチ粘着して通報して止めさせているのかもしれないが、いずれにしろYouTube側が諸手を挙げて推薦しているわけではないというのは元増田とは見解が異なる点ではある。

おめシスなどがYouTube仕様変更を頻繁に動画解説していたりするが、そういった流れを見てもどちらかというと「あまり良くは思っていない」感じがする。

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-17

ベンチャーから日本大企業転職して3年経った

とある日本大企業転職して3年経った。この3年、失望し続けることばかりでつらくなってきたので、ガス抜きにここに書こうと思う。

私は以前、とあるメガベンチャーに勤めていた。仕事ハードであったが、充実していた。結婚子供が生まれ育児しながら仕事をしていくのは少し難しかったため、業務時間が短く、保証も充実している日本大企業転職することにした。

大企業仕事はお遊びだった。偉い人のお気持ちをまとめて、要件らしい何かを書き、それをベンダーに丸投げする。仕様書も、テストケースも、負荷試験も、自分たちでは何も理解していなかった。ベンダーから成果物を、何も理解せず、検証もせずに受け入れていた。当然いくつかのプロジェクト最後になって破綻し、すべての責任ベンダーに投げていた。

私は以前の会社で、すべてを実施していた。そのため、それらをそれなりにこなせる私は重宝された。私は入社して数ヶ月でプロジェクトリーダーになり、そのプロジェクト成功させた。私が最初にいた企業では当たり前水準を満たさないようなものだったが、それでもこの企業では大きな成果だった。それ以降、数日おきに偉い人が自分の持っているプロジェクトについて意見を聞きに来るようになった。

私が彼らに話したのはシンプルな話だった。有名なマネジメントの本をよく読み、その知識を元にベンダーとよく話し、彼らの言葉をしっかりと理解し、無用な負荷を与えないように最も重要課題にのフォーカスできる環境を整える。本に書いてあることをちゃん実践する。それだけだ。それだけのことが、驚くほど彼らには伝わらなかった。最初プロジェクト相談だけだったのが、計画書、仕様書テストケース作成仕事が回ってくるようになった。倍以上の年齢の人が仕事を渡してくるのだ。当時20代の私はうまく断ることができなかった。平日は深夜まで働き、休日も多くを仕事に費やして、なんとか回るような状態だった。

そして気がつけば、2つのプロジェクトリーダーとなり、3つのプロジェクトアドバイザーになっていた。だが当時20代の私は、肩書のない平社員のままだった。平社員の私が私よりも数段上の役職人間に、彼らのプライドを最大限守りながら業務指示を出していた。

アドバイザーとしての仕事は、偉い人の非現実的妄想を聞いて、それを現実的な着地点に収める計画書を作るといったものだ。偉い人は自分で依頼した仕事について、何も理解していない。そのため、ベンダーから成果物も私が検品し、何も勉強していない足りない頭でも理解できるように解説して渡した。仕様書通りの成果物ベンダーから提供されたときも、偉い人間が癇癪を起こし、やり直しになることもあった。

この大企業は、若者たちの多くが優秀だった。みな学習意欲が旺盛で、プライベートでは様々なプログラミング言語クラウドについて学習し、今の仕事に取り込むために知恵を振り絞っていた。若者達は多くを学んでいるため、上の人間の間違いによく気づき、それとなく指摘した。上の人間知識では勝てないので、怒りの感情でそれに対処した。若者達は今の仕事で実績を作ったあと、AmazonGoogle転職していった。残されたのは、学習する習慣の無い、高学歴で、間違いを指摘するような精神性を持たない者達だけだった。

この企業年功序列であり、優秀な人は見切りをつけて退職していく。そして、学習意欲のない、無能で、間違いを指摘しようとしない人間のみが残る。そして残った無能人間が偉くなっていく。きっとこれを止める手立ては何もない。これが3年間の間に私が認識した、日本が誇るとある大企業の現状だ。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-16

この日本公然重婚が許されている「一般男性」さんとはどんな人か

趣味芸能ニュースを視聴してると、芸能人結婚相手として「一般男性」さんという人がちょくちょく出てきます

なぜか誰も指摘しないようですが、この人は確実に重婚していますよね。私、おかしいと気づきました。

芸能ニュースを見ていれば確実に気づくことなのに、視聴者はおろか結婚する芸能人自身もそのことにどうして気づかないのだろうか。いや気づいている。

しかも、「一般男性」さんのお相手芸能人に次ぐ芸能人ばかりだという、誠にうらやましい限り。どのように多数の結婚生活を維持しているか気になるところ。

それなのに、この人は未だにどこの馬の骨ともわからぬ謎に包まれ存在そもそもなんで謎は「包まれる」のか解せぬ。謎は布かなんかなのか。謎は馬の骨でも包むのか。大きな議論を呼びそうです。

フリッパーズ・ギターリアルタイム

愛聴していた人間のひとりとして、ソロでは圧倒的に、永遠に残る音楽の純度、強度を備えている(少なくとも志向していると感じる)小山田圭吾Cornelius)派だったんだけど、小沢健二の方はもろさとはかなさゆえに人間のある種の普遍性をあらわしていて、それが支持されているのに気づき、おれは好きではないけれども、ああこちらも別の意味永遠に残るんだなと「強い気持ち・強い愛」を聞き返して思った。

2020-11-15

anond:20201115140308

おらノンフィクション増田

お前の望んでいたノンフィクションだぞ?

だがこれはきっと嘘松だ。

分かるか?

ノンフィクションってのはそれが本当はフィクションじゃないかとの戦いに心がすり減らされるんだよ。

スポーツの決定的な名シーンの裏で、怪しいトトカルチョヤクザマネーが踊っていないか想像しろ

人間が生み出す物語に、本当に筋書きがないのか、嘘がないのか、そんなものがお前に分かるのか?

お前の信じるノンフィクションなんてのは、多くは半分フィクションなんだよ。

テレビカメラナイフで刺される男の姿を刃物を携えた加害者として映し出し「THIS IS MEDIA」と注釈がついた画像を見たことがあるか?

あれなんだよ。

お前の信じているノンフィクションだって、無数の脚色や都合のいい切り抜き、そして羊頭狗肉フィクションがついてまわるんだ。

なんでお前がフィクションを嘘っぱちと楽しめなくなったのか教えてやろうか?

それはお前がノンフィクションは嘘じゃないって本気で信じてるおこちゃまからだ。

成長しろ

サンタはいるし、サンタはいない。

その境界認識した時、お前はノンフィクション盲目的にノンフィクションと思うことの愚かさに気づき、そして全てがフィクションであるのなら、フィクションから楽しめないと思う自分の浅慮を知るだろう。

せっかくだ。今ココで越えていけ。

お前の過去をな。

この嘘松を通して感じ取れ。

フィクションノンフィクションサンタ非実在実在認識するということの本質

https://anond.hatelabo.jp/20201115023607

anond:20201115223218

ルーチン系の仕事

でも発見気づき)も、頑張りも、やりがいもあるよね。

能率よくこなす工夫もあると思うし。

2020-11-13

anond:20201113163703

花子は結託していろんな人をハブってきたけど、

光子別に結託して花子ハブったわけじゃないし。

ただ、みんなが 花子のように悪口を言って他人貶める人間と親しくする必要がない と気づきを得ただけだからねぇ。

それに、人生挽回のチャンスなんてほとんどないことが多いもんだよ。

特に人間関係においては。

2020-11-12

認知症の父に会いに行ってきた。

2017年2月下旬、父に認知症疑惑が浮上。父を始め我が家は色々と問題がある家族で、疑惑が出るまでも紆余曲折あったがそのことは今は書かない。

私の父への感情は愛憎入り混じるというのがぴったりで、ここ何年も疎遠だった。最初検査には私が連れて行った。でもその後は姉に丸投げした。

私の中で最強で最恐な存在自分勝手わがまま子どもっぽい父。まだ若いのにアルツハイマーになってかわいそう、どころか、勝手に忘れていくなんてずるい、勝手しろと思った。

今思うと私は完全に現実逃避していたし、同じく愛する気持ちと恨む気持ち共存していただろう姉には悪いことをした。

2018年9月までは一人暮らしをしていたらしい。その後病状が思わしくないとのことで、入院施設への短期入居をするがやはり自分勝手わがまま性格が災いして施設を追い出されたりしていた。何回か会いに行こうと思ったが、姉からたまに報告を受けるだけだった。

2019年6月デート中に突然姉から電話。駅の喧騒で細かいところは聞こえなかったが、病状の悪化ひどく本人の原型がわずかかもしれない、このままだとあんたは忘れられてしまうかもしれない、会ったほうがいいと言われる。

2019年6月29日 わざわざ恋人レンタカー施設へ連れて行ってもらう。交通の便が悪く私は運転できないから、というのは言い訳で、単に1人では心細かったしまドタキャンしてしまうかもと思った。

施設に着くと、父はおやつを食べていた。私を見つけるやいなや、「ヒロ〜遅いぞ〜待ちくたびれたぞ〜」と文句を言うが、顔は嬉しそうにニヤついている。

3人で一緒にイオンに行ってコーヒーを飲み、ギターの弦が欲しいというので買ってあげる。たぶん1人ではかえられないけど。

車の降り方、割り箸の割り方などを忘れている。人格は機嫌の良い時の以前の父で、よくしゃべっていた。遠足の子どもかってくらいはしゃいでいた。恋人運転する車の中で歌い出す始末だ。

今度はカラオケに連れてってやろうか、なんて言って別れる。

から聞いていたより元気そうだったので、そんなにショックは受けなかった。こんなに喜んでくれるなら、また来てやってもいいかなと思った。

2019年9月23日 2回目の訪問。父の部屋に行くと爆音テレビを見ていた。わたしに気付いてもテレビを消さないので、テレビを消してと頼んだ。父は、「ヒロが来るとはな」と笑った。

他の家族から聞いていたように、やはりギターの音がおかしいという話になる。デジタルチューナー調子おかしいと。デジタルチューナー電池を買って一緒にチューニングしてあげる。でもうまくコードが弾けていない。たぶんそもそも押さえの指がおかしいのだと思う。Cが何かはもう忘れているのだろう。お腹減った、食事が足りないというのでコンビニで甘いパンを買ってやった、貪るように食べていた。

またそんな日を空けずに来てやろう、少しギター練習して次はコードを弾いて見せてやろう、と思った。

その後繁忙期に入り、まぁいっか、そのうち行ってやるか、と思っていた。

ところでの、コロナ

しばらく面会は禁止と聞いて、少しホッとした自分がいた。会いに行かなくてもそれは私のせいじゃない、と。

でもコロナ騒動がなかなか収まらず、春が終わったあたりでだんだん不安になった。いま父はどんな状態なのだろう、私のことは覚えているのだろうか。

10月末、調べてみると16日から厚労省が面会を段階的に解禁するよう通達を出していた。数日後、電話をして予約をとる。外出禁止飲食物差し入れ禁止20分のみ、だそうだ。

そして今日202011月22日仕事前に片道1時間かけて向かう。

施設に着くと玄関前で待っていた。帽子かぶってリュックを背負い腕時計を身につけ、ぼーっと立っていた。とにかく萎んだ、という印象だ。散歩などできやしないのに出かける気満々な出立に、滑稽さと悲しさが同時にこみ上げる。

私に気づき、でも一瞬私が誰かを認識するのに時間がかかったようだった。私が持っていた大荷物を指差して「こ、これは?」と聞いてきた。自分への差し入れだと思ったのだろう。「ごめん、お父さんのじゃなくて仕事道具。」

そのあとロビーで話す。よく見ると、萎んだというのはただの印象ではなく事実かなり痩せた感じがした。手の甲が皺々でカサカサだ。表情も暗く乏しい感じだ。うまく言葉が出てこないようで、あれこれはマジでやばい?と焦ったが、少しずつ普通っぽい感じで話し出す。

コロナから外に出れないこと、20しか面会ができないことを伝えると、子どものように唇を突き出した。「早くどうにかなってくれなきゃな」とコロナのことはわかっているようだった。

20しかないし父の存在曖昧というような様子に話すことに悩み、とりあえず何か困っていることはないかと聞くと、相変わらずギターチューナーの話をする。

「部屋にも行けないので見てあげられないよ、そのうちね。」

ふと、「今何歳?だっけ?」と聞いてみる。どのくらい忘れたのか確かめたい。

「えー?50くらいじゃね?」まさかの大幅なサバ読み!思わず「いや64歳くらいじゃない?」と突っ込んでしまう。

なんだかショックを受けたみたいだった。忘れたことに気づくの嫌だったんだな、ごめん。

チューナー以外に困ったことがないか聞くと、「特にない。でも肩が痛い」と言う。

揉んであげようかと一瞬思ったけど、父の体に触れるのが急に怖くなってやめた。子どもの頃はよく揉んであげていた。父が揉んでくれることもあった。父の体の感触を私は覚えている。でも手の甲のカサカサを見ていると、あの時とどう変わっているのか実感するのが怖くて、揉んであげるよと言い出せなかった。

とにかく肩がここから上がらないんだよ、としきりに肩を上げ下げする父に、揉んであげるよの代わりに「枕が合わないのかね?」と言うと「そうか、枕か」と妙に納得したように呟く。

「今はどんなの使っているの?」

「どんなのって…枕だよ」

「綿?」そう聞くと、まるで私が外国語を言ったような空気になった。

あんなやつだよ」と、ロビーの角にまるまった白いシーツを指さした。「シーツの枕」と、父は言った。

そうか、父にとってはもう枕はシーツの塊なのだ。中に何が入っているのかはわからない。いや、それ以前に枕とは中に何かが入ってるものだ、ということ自体を忘れたような感じだった。

元気な頃は、やれ冬は羽毛だ夏は蕎麦がらだ、パイプは安っぽくて嫌だとかうるさく、一時期はテンピュールにハマって家族全員で使っていた。そんな調子であらゆる点でこだわりがありめんどくさい男だったのだ、父というのは。

試しに、テンピュール って知ってる?と聞いてみる。「知らないなぁ」「そうなんだ、宇宙飛行士のために開発された素材でね、体の重さと温度で使う人の首にあった形になるんだよ。冬になると固くて石みたいだけどね!」と言うと笑った。かなり興味を持ったようだ。やはりこういうの、好きなんだね。同じ人だ。

「でも肩凝りにはいいよ」と言うと、明後日の方を向いて「誰か買ってくれないかなぁ」などと言う。直接は頼まないのがプライドの高い父らしい。

はいはいボーナス出たら買ってあげるよ」と適当に返す。

その後何度かチューナーのくだりを繰り返し、あっという間に20分すぎた。「そろそろ時間だ」と言うと「もういいよ」と父は言った。その反応になんだか寂しくなる。もういいんかい。まぁ、少し疲れたのかもしれない。またね、と言って別れる。

私は本業仕事が長期休暇のときテンピュールのお店で短期バイトしている。父の影響で私もテンピュール好きだから説明に熱がこもるのか、よく売れる。次にバイトした時、社割してもらって買ってあげようか。でもそのことは父には言わなかった。

最後まで父は私の名前を呼ばなかった。施設を出てから、なぜだかとにかく胸がつまり涙が出た。

あれだけ憎たらしかった父だが、なぜだか最近は良いことばかり思い出す。

次は名前を呼んでもらおって、あとは肩を揉んでやろうと思う。

悲報】 約15年続いた『アニメBDDVDの売上を見守るスレ(通称売りスレ)』、時代の流れに負け配信を見守るスレに変わってしま

1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です 2020/11/12(木) 20:22:15.51 ● BE:765383483-2BP(2000)

今までのスレタイ

【速報】アニメDVDBDの売り上げを見守るスレ41728

http://refugee-chan.mobi/test/read.cgi/urisure/1605147762/

本日変更

【速報】アニメDVDBD売上・配信興行収入を見守るスレ41729

http://refugee-chan.mobi/test/read.cgi/urisure/1605156431/

7 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です 2020/11/12(木) 20:24:47.76 BE:765383483-2BP(1000)

大体の流れ

鬼滅の刃円盤があまり売れてないので爆死・失敗認定する



しか鬼滅の刃がネトフリやアマプラといった動画配信サービスの力で社会現象になる



円盤オワコンなだけなことに気づきスレタイ変更へ…

https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1605180135/

anond:20201111193404

元々は虫よけでそこから当たりにくくなる(殺菌作用)を気づき直接調理にも使うようになったと思われる。

2020-11-11

梅田ダンジョン攻略法が死んでる

ネット、主にブログに溢れる梅田ダンジョン攻略法

気づきのようにSNSインスタあたりに人々が流れたためにブログに書いてくれる人が減っている。

でも需要があるので無いわけではないのだが…ここ1年で梅田ダンジョンに大きな変化が起きた。

それは「第十五章 泉の広場消滅」だ。

あることにはあるのだが、様変わりしていて画像を見てもその場に行っても「ここが泉の広場だと…?」状態になり、

もはや目印となっていない。

梅田地下街を制覇するには泉の広場が不可欠だ。梅田セーブポイントとも言われていた場所だ。

明日梅田用事がある。

行き方を調べたところ泉の広場が目印になっている。詰んだ

ダンジョン攻略法更新を祈っている。

ちなみにアニメイトが数年前に移転したのだが、攻略法には「アナスイ店舗」が載っている。

アナスイは今年閉店したし梅田エストはリニューアルして見た目からちょっと違うので、これからは気を付けてほしい。

「次章 うめきた2期開発 始動

2020-11-10

複数人旅行に行って、僕はその中の美人女の子と相部屋になる。そして二人で部屋に引き上げて、これからセックスするんだなあと思ってるんだけど、女の子が別の男を部屋に招き入れてしまったので、僕は脱いでた服を着直す。

そこで僕は、ああ、この女の子は僕とセックスたかったわけじゃないんだなと気づき、あたかも初めからそれを知っていたかのように振る舞う。という悪夢を見た。

2020-11-09

ATSUGI炎上以前以後

ATSUGIの件があって以降、私にも変化があった

タイツメーカーって、そんなにいっぱいあったんだ」という気づき

冬は、ほぼ毎日タイツを履いているが、メーカーを全く意識をしていなかった。

消耗品から、ワンシーズンで捨てても惜しくない価格帯で、色がおかしくなくて、温かそうなもの適当に買っていた。

から、昨年買っていたタイツはどこの生まれか、正直わからない。

かに言えるのは、温かったことだ。

この冬、タイツが積まれワゴンを見る目が変わった

そこに女性がいるなら女性と話そう

仕事をしてて思うんだけど、女性女性同士助け合わないと、やっぱり既得権益層の男性よりすごく不利。だから女性女性同士助け合おう。ということにようやく気づいた話です。

割とでかい男性社会的会社総合職で、もう20年目の中堅の女です。女性の少ない業界(10%ほど)なので、弊社でサバイブしている先輩方は男勝りな名誉男性タイプが多く、結婚出産退職した先輩や同期も多いです。社会の、そして弊社の女性差別は根強い。構造的な女性差別はまずとにかく数を増やすことで改善すると私は思うので、自分裁量範囲意識的女性の後輩は男性の後輩よりよく面倒を見るようにはしていました。大したことはできてないけど。女性は在職してるだけで業界の男女比率改善に貢献してるし、男性社会で生きているというだけでも同程度の成績の男性より頑張ってると思う。

ところで、取引先も男性ばっかなんだけど、最近たまに女性がいる。これまで付き合いのあった男性担当が今年入社した新人ですって女性を連れてきたり。でも私、何も考えず、今までの担当、つまり男性と引き続き話をしてたんですよね。それでいつのまにか元通り男性担当けが来るようになった。

転出入とかで担当が変わる時、取引先に挨拶に行くじゃん。最近気づいたんですけど、そこに担当者の男女がいた場合、弊社の男性男性に話をするみたいなんですよね。最近上司と同僚に人事異動があったんだけど、皆取引先の男性担当と話をしてる。それはもともとは私が「この件〇〇社さんは誰に聞いたらいいかな」って聞かれた時に「私はいつも男担当者さんとやりとりしてます」って言ったせいもあるし、ただ男女どちらでもいいのにあえて女担当者に連絡することでセクハラ関連リスクが増えると考えてるからかもしれない。わからない。とにかく、みんな男担当と話をするようになった。

これさ、〇〇社にしてみたら、女担当より男担当の方が仕事してて取引先の信頼を得てるように見えるよねということにようやく気づきました。後から採用された女担当は、同期の男担当に比べてこういうところでも不利になってるのかもしれない。いや、私の案件は主担当でないだけで、他案件ではバリバリやってるのかもしれないけど。そうであることを祈ってるけど。

今は反省してます。今年の春に取引先の新卒の女新担当さんが挨拶に来てくれたタイミングで「じゃあこの件、今後は女担当さんにご相談しても大丈夫ですか?」って言って、その後基本女担当に連絡するようにすれば、その後彼女御社で多少やりやすかったのではないか?そういうことの積み重ねで女性業界で生きやすくなり、弊社でも御社でも人数が増えていくのではないか彼女最近見ないけどどうしてるんだろう。

男性男性担当の方が話しやすいのはわかる。あい女好きから女性営業あてがっとけみたいなこと言われるようになると、男性本人もあてがわれる女性営業も不幸だし、万が一にもリスクを避けようというのはまあいいよ。

でもそれなら尚更、男社会で生きてる女達は弊社御社の垣根を超えて助け合った方がいいよね。取引先の対応一つで社内での評価はかなり変わってくるんだから、そしてまず業界における女性比率を私は改善したいんだから、今後は弊社の女性の後輩だけでなく取引先の御社女性に対しても、意識的対応していこうと思います。具体的には、出来るだけ女性と話すようにします。

私はミサンドリストではないよ。男社会で生きてくのは大変だし、今私がちょっとでも業界の、ひいては社会構造女性差別を改善することで、私や後輩や取引先の女性や私の娘など、全ての女性男性と同じ程度に仕事やすく、生きやすいようにできればいいなと思ってるわけです。今現にすごく不利な立場に我々はいるわけだから、助け合おう。そこに女性がいるなら女性と話そう。同じ成績の男女なら、私は女性を推薦する。明日から

シスターフッド観点から、既にそうしてる女性は多いのかもしれない。私が気付くのが遅かったかもしれないなとも思っています。あと、出来たら男性にも意識的にそうして欲しいよね。今の、例えば政治行政やいろんな分野での男女比率おかしいと思いませんか?少し比率改善するためにしばらくの間、女性の少ない業界意識して女性を選ぶようにしてみませんか?そうすることであなた配偶者や妹や娘や女性である世界の半分の人達が生きやすくなり、イライラしなくなり、周囲に優しくなり、その結果男性であるあなたも今より生きやすくなるのではないでしょうか?

道のりは遥か遠いかもしれないけど、私に出来ることをすることで、その先の女性差別の解消につながることはあると思う。アメリカではすでに女性副大統領にまでなってるんだし、我が国でそれが出来ない理由はない。これは平凡ないち会社である私に出来る草の根活動です。

2020-11-08

anond:20201108140107

男は自分ターゲット外と宣告されるような奇天烈不快要素のあるPRを偶然目にしたとしても「ふざけてんなw」と思うくらいで

自分の興味ある界隈がしつこくそういう路線汚染されつづけない限りどっちかというと面白がるくらいのノリになりがちなんだわ

まして自分からそういう不快PRを探して見に行ったりもしないしな

あいくら俺でもニコ動公式共々淫夢厨に占拠されたと薄々気づき始めた頃には、ゼロ年代のうちにあそこは去ったけどさ

人間関係うまくやるには友好的な態度よりは強いことがよっぽど効果あるんだよなと今更思う

こちらがどんなに誠実な態度を取っても評価には結びつかなかった

が、いい加減バカにした態度にむかついてちょっと強めに意見したら掌返し

友人付き合いも同じ立場でと振る舞っていたらモラハラ紛いの態度を取られる

が、こちらが目に見えて強い立場になると分かりやすく友好的になる

そんな人間関係ならもう要らないと思う

周囲の人間と友好的な関係気づきたいなら、まず強くあれ

弱さを見せると軽んじられる、取るに足らないものとして扱われる

2020-11-07

anond:20201107053636

元増田さん。あなたがこのような問を立てたくなる気持ちはわかりますが、この問は無駄です。

本丸モラルだけどマーケティングの話は絶対手放さない、2つは不可分である、が本音です。今回騒いでる人たちは、この2つを分けるつもりはさらさらないはずです。

なぜわけるつもりがないかについて説明します。


男の人にはわからないと思うけど、女は一点でも明確に勝てる理屈があれば、極論全部それにつなげるというやり口を好みます

今回の件でいえば、モラルの方で苦しくなったらマーケティングの話に誘導し、そちらで文句言われなかったらモラルの側も勝ったと言うことにするのです。

自分ちょっとでも不利になったら、流れぶったぎってでも「でもアツギマーケティングひどかったよね?それを責めるのおかしい?」につなげます。都合の悪い話は一切付き合いません。

そして、何も説明できていないのに「は?モラルでも100%勝ってるんだが?」などと言い張るのです。これを相手うんざりして自分の言い分を認めるまで続けるのです。

女なら大半の人はそうするでしょう。私だってそうします。 これは相手から愛されている間はとても有効戦術からです。 



今回、企業やらかしたことに対して批判の声が強い、批判する人がやたらと強気なのは気づきかと思います

これは、たとえモラル側での指摘が微妙でも、マーケティングの話なら絶対に勝てるとわかっているからです。

そして、女としてはこの状況なら必ずといってよいほどこの2つをわざと混同します。なぜなら目的は正しい議論をすることではなく相手を屈服させることだからです。それでもまだ相手を屈服させようとするならましな方で、ネットだとさらにひどいです。人と関わり合いにならなくてもいいことに自分脳内精神勝利するためだけとか、相手への嫌がらせをするためだけにこういう態度をとる人もいます

から女同士の時はモラルの会話で盛り上がり、批判されたら「私達は企業マーケティンを批判してるだけですけど、なにかまちがってますか?」としらばっくれます。 これは半ば自覚的にやってます






実際にこういうしらばっくれたことを言ってる女の人をたくさん見かけたか増田さんは「どっちなんだよ。はっきりしろよ」と迫っているのでしょうが、はっきりするわけがありません。わざと一緒くたにしてるのですから

女としては日常的にこの手を使います。とても効果的だからです。

なので、男性の方々は、なにか明確に負ける要素ができた時点で全面敗北を認めるか、このやり口をやってくる女性最初から話をするつもりなどなく男を屈服させたいだけなのだということを理解してシャットアウトするしかありません。


くれぐれも、2つを切り分けた丁寧な議論ができることなど期待しないでください。わからなくてやってるのではなくて、わざとやってるんですから

女はこういうやり口を好むということは知っておくとこの先の人生理不尽にやり込められることは減るでしょう。



よく思い返してみてください。こういう人見かけませんでしたか

私はフェミニズムにあまり興味がありませんが、たまに目に入ってくるフェミニズムに関する会話を見てると、議論の途中で流れぶった切って

「でも○○は悪いよね?」

みたいな話をしだす人必ずいますよね。

アツギの件でも、マーケティングの話する人はまだマシで、もっとひどいのになると「女性レイプ痴漢被害者の数が」とかみたいなことを言い出す人がでてきます。賭けてもいいです。絶対にこういうこと言い出す人がいるはずです。

似たようなことは私もしますが、ここまで来ると流石にオエッてなりますね。

こういう人たちは、人の話を全く聞く気がなくて、この「魔法のコトバ」で男を屈服させることだけが目的です。自分魔法少女になったつもりなのですね。なので、こういうことを言ってる人を見かけたら、いい年して魔法少女ごっこやってる痛い人、位に思って優しくしてあげてください。 ※


※半数以上の女性がこういうことをやる、という話であって女性が全てそうではないですが、どう表現していいのかわからないので以下の主語は女、とさせていただきます主語かいと思ったら各自適切な主語におきかえてください。普段から主語がでかいってコメントで指摘してる人、当然適切な主語を当てはめられるから言っておられるのでしょうから

※なお、この戦術用法容量には気を付ける必要があります。 最初愛情を盾にして理不尽手段として使っていたはずなのに、有効からと言って使いすぎるとだんだん感覚がマヒしてきてこれが当たり前になります。そしてしまいには「私のこの言い分を受け入れてくれないのは相手が私を大事にしてくれないからだ、バカにしているからだ」と考え出し、メンヘラになりますネットでよく見かける、何に対しても過激にキレまくってしまう女はこの手法におぼれて魔法少女から魔女になってしまった人たちですから相手にしてはいけません。


/(^o^)\ この増田に「こんなの男女の問題じゃないわバーカバーカ」って一秒で返せない残念なコメントが多くてはてなくんさぁ、そういうとこだぞ。

2020-11-04

プリキュア映画感想無駄に長い)

映画プリキュアミラクルリープ〜みんなとの不思議な一日

見てきた。

テレビでは初代〜フレッシュゴーゴーあたりまでしかちゃんと見てなくて、今回の映画ミリしら…までは行かないけどペギたんというのがいるくらいしか知識なく行った。

なんかもうね、はじめからじわじわ涙が滲みっぱなし。

小さい子供たちに「映画館では静かにしてね」を語りかけるキャラマスコットたち。子供たちはきっと「うん!わかった!」って意気込むんだろうな。鬼滅の影響か、プリキュアスクリーンは客がそれ程いなくて、自席からは親ごさんたちの背中しか見えなかったけど。

子供たちの反応を想像するだけで涙ぐみそうになるし、もっと小さい子のぐずる声もまた良い。親御さんは周りに気を使って困ってるだろうな、と思いを馳せる。

映画館ではスマホを切っていたから、あやふや記憶しか書けないのが残念だ。実況したいくらい楽しかった。

まずはペギたんかわいい

の子ちょっと真面目なのかな?そして桜の描写がきれい。これ春に公開する予定だったやつ?

恒例の、応援グッズもちゃんと出てきた。今回は声を出しちゃダメで、「心の中で応援してね」と最初のお願いのときに言われてた。あ〜でもきっとクライマックス応援したくなるよねえ〜!でも心の中で!

              

プリキュアのオープニングソングも良い。声ものびやかで強く、曲は転調とかやや技巧的で歌い甲斐がありそう。サビに入るところでカタルシスがある。

              

映画で知ったけど、今のプリキュアって舞台地方都市なんだね。信州とかあたり?の観光地の隣の町くらいの雰囲気?ですごくよい…。そうだよねえ、プリキュア見てる子供日本全国にいるんだから舞台東京都下のおしゃれ住宅街みたいなところばかりじゃなくていいよね。もしかしてしっかり所在地の設定あったりする?聖地巡りを想定してるとか?(調べてない)

              

そして、今回の映画過去プリキュア総出演じゃなくてスタートインクプリキュアHUGっとプリキュアが出てくるのね。スタートインクルの、TOKYO MXのゆめらいおんみたいなスカートの子がいる〜!と嬉しくなった。キラやば〜〜!

              

ゲストキャラミラクルン、クックルンみたいな名前やな…みらいが来るからミラクルンなのね。

基本ミラ〜しか喋らないけど要所要所で話が通じるように少し喋る。ぬいぐるみサイズのペギたんたちと並ぶとさらお人形さんサイズで縮尺あってるか不安になるけど、主人公のどかちゃんの手のひらサイズらしいので合ってるっぽい。主人公名前映画でしったよ!

              

モブキャラが合体して襲ってくるの、妙な既視感あるな〜、アレだ、あの形は使徒っぽい。てか、エヴァ以降ああいオブジェ的造形の敵って割と一般化してるんです?それとも親世代に訴求するべくあの形なんですかね?

プリキュアたちそれぞれの変身バンクも堪能しました。いいねぇ、各キャラを区切る枠にお花やら星やらが散って華やか!スタートインクルはセラムンかぶらないように名前を良く考えたんだろうねえ。キュアソレイユが好きです!

戦ってる時にHUGっとの男の人(よく知らない)どっか行っちゃうというか元からいなかったような扱いなのはチトもやるな…。

              

ボスリフレイン、でかい!?……いや、そうでもなかった。目がいろんな色が入ってて、小さい子には怖いかも。今よく考えたら、あの目は時計だね。

リフレインのシーンに出てくる時計機械重厚でかっこよい!

(以降、ネタバレするかも。)

              

リフレイン下半身ウエットスーツのような、魚河岸の胴付き長靴のような…肉厚で防水性ありそうな。中身の質量感はあるのに、そこに生身の人間身体は感じられない。どっかで見たことある。腰つきがベルク・カッツェみたいだ。中性的ではないけど。でも人間ではない感は目もそうだし足がずっと爪先立ちなのとかでもわかる。あ!あの爪先立ち、あれも時計の針じゃんね?!今気がついた。

              

のどかは何回か土曜日を繰り返し、毎回ちょっとずつ変化する。繰り返してることに気づきパンを焦がさなくなり、水たまりにハマるのが片足だけになる。ついには巻き込まれではなくて自分意思で最終決戦に臨む回にはパパの見た映画名前ママ同窓会に行くのもわかるし、交通事故は未然に防ぐしサブミッションオールクリアだ。ゲームで習熟してくみたいに。

それは繰り返しだけど繰り返しじゃない。ちょっとずつ前に進んでいるんだ。

              

SF的には〜〜あ〜〜う〜〜、ほかの2チームのプリキュアたちの記憶は……、繰り返しで分岐ごと消滅するのはそこまでの人格の死では?特にこれから時間が戻るよ!私達は忘れちゃうけどまた一緒に戦おう、みたいなシーンは、えぇそれでいいの?その意識消滅ちゃうけど大丈夫?!と思っちゃったけどまあそれ言い出すと収拾がつかないので棚上げする。

              

何も知らない3回目くらいのスタプリ・ハグプリたちに事情説明するとすんなり受け入れるのもまあそうだよね。黄色い子の説明メタっぽくて笑った。「あなた達がプリキュアだって知ってるし何なら私もプリキュアだし〜!」みたいな。

              

そして明らかになるリフレイン目的動機ちょっと泣けるのは個人的に似たような思い出があるからだな…

今、少子化からそういう親御さんも多いんじゃなかろうか。

リフレイン動機は迫る破壊から自己保身というより郷愁にしがみつき幸福過去に留まりたい成長拒否と思えるが、確かに日々すくすくと成長する小さな子供たちとその親御さんにとっては、あってはならないのぞみだろう。

けど、リフレインて「過去精霊」とか言ってませんでしたっけ?!仕方なくね?そもそもそういう存在なんじゃ…と少し思ったり。

              

でもまあ、プリキュアたちは皆の応援もあり、だって私達はプリキュアから!って一瞬初代から総出演ピラミッドもあってリフレインを倒し、お大事に…ってキメて、大団円

ここで同窓会に出てたママ登場して、小学生ママたちの幻影と穏やかな微笑みのリフレインミラクルン。このシーン、リフレインは口元だけなんだけど、それがよかった。うまく言語化できないけど。

              

同窓会ママたち(ママ同窓生がでてくるわけじゃないけど)視点二次創作をすごく書きたくなった!

どんなに過去幸せでも、一歩を踏み出したから今がありのどかちゃんがいるんですよ、てな話が書きたくなるね〜。

              

そしてエンディング。踊る踊る。みんなで踊る。楽しい。泣ける。

結局何が泣けるのか全然説明できなかったけど、いちいち「おお!」「よい!」と心の中でつぶやきながらうるうるし続けていた。

              

しかったです。

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