はてなキーワード: 権威とは
御田寺圭(白饅頭@terrakei07)及び「ただしさに殺されないために」に対するデビット・ライス(ベンジャミン・クリッツァー)の批評について
https://note.com/katotoorera/n/n69b752f88f02
「何かを批評する時、何らかの根拠(理論や思考システム)や価値判断の基準(善悪)が必要である」
病んだ細胞は救済せず淘汰すべき、といった風な優生学や国家有機体論ごとくのものをしばしば見かけることだ
確かに
・理念的根拠が示されていない(迫害目的だなど叩かれるようなことは言わない)
・科学的根拠なし、あるいは偽造統計、捏造事件の使用(権威的な機関ほど有利だろうね)
・「枚挙に暇がない」などの被害度曖昧変造レトリック(「権威が言うんだから」のどこに信頼性があるのか?)
ぶっちゃけ欧米国家は人権保護の劣った国に武器を売りつければある種の同罪になりかねないこともあり、人権保護を求める
一方欧米武器業界は反欧米感は困るので、内国分断する言論をはらまき、反欧米武器輸入論者の分母を減らしたい可能性はある
ただ武器や技術の購入を求めたいから、劣った国の構造的不景気問題などは無視だ(円安のときにドル借款を返済させるのは、わざとではないと主張しながら)
巧みなことだな
なんでやらないんだ
「時は幕末。京の都では、新選組の活躍によって幕府の権威が揺るがされつつあった頃である。
その年、一人の女が京の街に舞い降りた。名は、真野亜希子。後に『黒魔女』と呼ばれ恐れられることになる人物である。彼女はある日、京都所司代に仕える父に連れられて、江戸へ向った。目的は一つ。幕府の中枢にいる松平慶永に、ある提案をするためである。その内容は、将軍・徳川家茂を天皇家の養子にし、『徳川将軍継嗣法』を作るというものだった。真野亜希子はこの難題に対して果敢に立ち向かい、見事その役目を果たした。しかし彼女の行動には大きな謎があった。実はこの案は、彼女自身のアイディアではなく――」
美和子はそこまで読んで画面をスクロールさせた。すると本文が表示された。
「真野亜希子は、当時会津藩藩邸に住んでいた斎藤弥九郎から聞かされた話を参考にしたと言われている。そしてその話は、彼女の父親が会津藩士であったという事実を示唆している。果たして本当に真野亜希子はただの民間人だったのだろうか。あるいは、彼女が密かに『バテレン降魔術』を学び、それによって得た力で徳川政権転覆を企てたというのは考えすぎなのだろうか。
いずれにせよ、彼女は会津戦争の後、姿を消し、二度と姿を現すことはなかった。しかし真野家の家族構成は現在も不明のままであり、彼女が残した日記などの遺品も発見されていない。また、彼女に関して、いくつかの伝説が残っているが、それらの全てが真実かどうかは、今のところ証明されていない。だが、仮に全て事実だとしたら……
黒魔女は今もなお、この国のどこかで息を潜めているかもしれない……」
…なかなかの力作じゃない。さすがは元文学少女ね。
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。
なんかの形で時代の淘汰から免れてきたものが有名になるんだよね。理由はいろいろ複雑なことだし、今更無理にラベル貼ったり剥がしたりしなくていいと思う。なんであれ面白みや普遍性を見出されたなら、それは重要なものだから。小林秀雄は柳田國男が役人をしていた頃の事件の記録、山の人生(山の木こりの子どもたちが手ずから斧を研ぎ、生活に困っている父に「俺たちを殺してくれ」と頼んだという話)を引き合いに出して、田山花袋の小説はウソのくせにコセコセして小生意気で、こんなものが本当の文学であるはずがない、柳田さんなら鼻で笑うだろう、と詰っていた。ものを作るときや、それを認めたりなじったりするには時間とエネルギーが必要で、ものは向けられたそれらを溜め込む性質があるのだと思う。君の目に蒲団を叩き込んだのは田山花袋というか、昔の人々の時間のでっかい塊だよ。奥付のむこうに人がいっぱい立っていて、一番奥に紫式部が座っている。彼女の権威を信用しろ。
いや実際はぜんぜん違うのかも知れないけど近い要素が沢山有る。
いや違うな。
やっぱぜんぜん違うわ。
決定的な違いがあった。
・マーベリックは飛び続けることを誇りに思う
・ククルス=ドアンは戦いの匂いを疎ましく思う
全く逆だ。
表向きは平和な時代に危険地帯(DANGER ZONE)に舞い降り世界に降りかかる火の粉と戦うことを選んだマーベリック。
戦火の吹き荒れる世界の中で安全地帯に引きこもり自分たちに降りかかる火の粉だけを払い除けるククルス=ドアン。
何が違ったんだろうか。
まあ、作られた国でほぼ間違いないだろうな。
戦勝国アメリカは軍人を肯定しハクトウワシの意匠を崇拝する、敗戦国日本は軍人を軽蔑し旭日に辟易する。
ジオン公国の兵士は偽りの権威にヘコヘコしているだけのシミッタレの勘違い共であり、トップガンは偉大なる勝利者達を先導する人類のエースだ。
その絶対的な差が生き残り続けたベテランの魂に全く違った姿を映し出す。
鍛え抜いた力に誇りを感じ背筋を伸ばして後進を育てるマーベリック。
戦いののおろかを恥じ丸めた背中ごしに敗戦国史観を伝えるククルス=ドアン。
旧世代機を狩る二人のベテランパイロット、その背中から伝わる世界観があまりにも違う。
かたや実写のマッチョな男たち、かたやアニメで主人公はウラナリだ。
俺たちにとって母国語で作られたのはどちらだ?
悲しくなるぜ。
負けた国に産まれたというだけで、悲しくなる。
『80年代には海外では見直されていた「生活習慣病」という考え方』
https://news.yahoo.co.jp/articles/5015da26607a03ab2fd804f94bd39019607c12f9?page=3
ーー先生が立て続けに、「生活習慣病」について書いた論文を読んで驚いたのは、当初、アメリカでは真逆の発想で導入されたという事実です。1950年代から60年代にかけて公民権運動が活発になった時に、自由主義思想の広がりと共に広がったと書かれていますね。
《生活習慣病概念は自由主義的自己決定権意識と結びつくことで、自らの将来を自らの力で変えることができるという「健康版アメリカンドリーム」として米国の市民・政府・科学者の間で広く受け入れられたのである。(『糖尿病プラクティス』38巻2号)》
元々は、「生活習慣病」は、「専門家に縛られず、自分で自分の未来を切り開く」というアメリカンドリームだったんです。当時の発想としてはすごく良かったし、その考え自体は今後も活かすべきだと思います。
これ凄く重要な指摘だな
なるほど、「生活習慣病」という発想も、元々はそこまで悪いものではなかったんだね
パターナリズム(父権主義)に対する反抗の趣旨を含む概念だったと。
でも今は寧ろ逆だよなあ
そもそも医療医学分野の医学知識と論文研究というオリジナルの権威ある情報があるわけで、感銘受けるべきものって本来はこっちだよね
データ改ざんされていたため未接種の方がコロナに感染しやすいように見えていた。
5月11日に修正され厚労省の見解は「わざとじゃないもーん」。
まぁそりゃいい。
いつものことだ。
月刊保団連2021年11月号「新型コロナウイルスワクチンにおける情報公開」
にて、厚労省コロナ審議会で報告される接種後死亡数は有意に多く、そしてそもそもデータがなんか変で、
「ワクチン接種に何かしら関連すると考えるのが自然」と述べている。
さらに2022年1月の時点で接種歴/感染数の統計が不自然であることを指摘し始めている。
正式に厚労省に指摘したのはいつごろか不明だけど、恐らく4月には指摘してる。
厚労省が訂正したのは5月11日
この日はどういう日かと言うと、翌日12日が参議院厚生労働委員会で薬機法改正案の質疑、採決
委員会質疑と本会議はセレモニーでもはや覆しようがないタイミング。
コロナワクチンは申請から承認までわずか2か月で特例承認されたが
その反省も踏まえ曖昧だった緊急事態への法整備をしようという改正案。
かといって早い段階で変なデータが出て医薬品承認の慎重な取り扱いが再議論されるのも避けたい、絶妙なタイミング。
まさにそらみろ案件。
データ訂正が一か月早かったらこの法案は通らなかったかもしれない。
この法案さえ通ってしまえば接種/陽性統計なんてどうでもいい。
接種者/死亡率なんてのも、今まで隠してたけど、出てきたら阿鼻叫喚始まるでw
改ざん担当役人は二階級特進させて詰め腹切らせて美味しい天下り先
いつもの絵
河野太郎(通称デマ太郎)は「そんな統計知らん、関係ない、ワクチン有効性は変わらん」と強弁している。
医薬品は独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)が審査し結果を厚労省に報告して厚労省が承認する。
この「PMDAの審査報告書」で有効性が確立している。証明されている。
公的なエビデンスがある、権威ある組織が緻密に審査し作った報告書だと。
ところが通常何年もかかる申請承認をわずか2か月で通してるわけで、
様々なプロセスが省略されている。
承認後もデータを集めてPMDA/厚労省に報告しなさいと付帯条件をつけて承認してる。
つまり治験データは訂正されてない、有効性があるとの結論もそのまま
たった数週間の極少数の臨床で確認された有効性、これがいまだ有効だと、それが結論だと。
河野の言い分。
うへっ
何かしら病気になったら年単位で当面飲み続ける必要があるもの、
あるいは数日、数回飲めば終わるもの。
6か月の数え方は月初めで一か月進む。
1月15日に服用したら6月1日には六か月目という数え方。
つまり6月15日なら五か月しか経ってないが厚労省的には6か月、短期使用の二度目となる。
コロナワクチンは接種三回目と言うてるが法的には二度目の1回目。
最大のネックはガン原性。
薬が癌の原因にならないか。
癌は薬を飲んで翌日に発生するようなものではない、年単位での観察が必要。
話を戻す
グローバルスタンダードに寄せる意味があるわけだが、
そだね、
日本は世界一の長寿国、お薬大好きなアメリカが先進国では寿命ワーストなわけだが。
なんだ、みんな早く死にたいんだね、だってこんな絶望の国、さっさとリタイアしたいよね。
わかる
例えば風邪をひく、
風邪とは熱が出て体の節々が痛む、炎症なわけで
ならば熱を下げて炎症を取り除けばいい、解熱剤と抗炎症剤で「治す」、これが西洋風。
次に似たような病原体が来ても即座に戦える。
薬を飲んで熱が下がると人は治ったと考える、西洋医学の方がポピュリズム的にはウケる。
厚労省の役人、医学研究者もバカではない、東洋医学の方が優れているのは百も承知だが
市井では、「海外ではあの薬が使えるのになぜ日本では未承認なんだケシカラン」
臓器移植、脳死議論も同じ、死の定義は神のなんちゃらとかそういう議論をしていたが
確かに臓器移植をバンバンやれば寝たきりで可哀想な心臓病の幼い女の子は救える
ところが、ロクな事にならない、皆保険制度なんて早晩破綻する。カネが足らん。
全体を幸せにするには医療効率の良い、コスパの高いところに使うしかしょうがない。
だから臓器移植は適度に抑制する必要があり、制度設計に落とし込んでる。
さて、医薬品緊急承認、治験にクソ時間がかかると評判の悪い日本の薬事行政。
こんだけ前振りすりゃわかるだろうが、結果として日本人を救ってる。
先端の医薬品をガシガシ使っても国民は幸福にならない、寿命の延びそうにない
んなことわかってるの、だからこれまで厚労省の役人たちは抵抗して、グダグダ治験を強いてた。
承認プロセスや基準を諸外国並みに下げ医薬品の開発から収益化までを効率化させたい。
セルフメディケーションを推進するしかない。それも現実としてあるわけで。
高機能な先進医薬品を積極的に導入し、マクロ長期的には国民の寿命伸び率は鈍化するだろうが
ま、それもしょうがねぇわなと。
緊急なら3日で承認されるものが、なんで通常だと10年かかるんだ。
こういう議論に必ずなる。
冷や飯食わされてる河野もいずれ返り咲きは狙ってるだろう。
政治的にね、まぁいろいろあるでしょうw
多方面に貸し作っといた方がいいわなw
なんでワク信 vs 反ワクの話になるのw
どっちでもいいじゃん、
ワクチンを信じて打ちたい奴は打てばいい
理由あり無しに関わらず打ちたくない奴は打たなくていいじゃん、なぜこれ対立すんのw
コロワクに関してはこんな不誠実があるよねって話の一つに過ぎない。
データ訂正のタイミングと薬機法改正の日時があまりにもアレなんでね、書きたかっただけ。
まぁそのうちどこかの雑誌やら詳しく書いてくれるだろうけど。
データ訂正・薬機法改正絡みで指摘してるメディアはまだ無さそうだし。
あと、厚労省はコロナ死者のワクチン接種状況/年齢別データを出してない。
これもそろそろ出てくる、もう隠す理由は無いから、エグいデータなわけだが
楽しみだねって予想です。
君らが普段がなり立てる「正しさ」というのも、結局君らの忌み嫌う軍事力に支えられた部分が大半で、戦争に負けたらもう何もかも吹っ飛ぶ
その程度の危うさでしかない
だからこそ、平和や正義を語るなら、軍事を無視するわけにはいかないわけだ
そりゃまあ軍事力以外の宗教的権威とか、そういうのが存在しないとは言わないけどさ
俺らの分際で非武装や中立なんか唱えたところで、そんなんどこの誰も評価したりはしないの
ノーベル賞の面汚しみたいに言われるあの平和賞ひとつだっていつまでもくれやしない、それが西側諸国にとっての9条の価値というものだろうよ
原発事故めぐるTBS「報道特集」に波紋。「福島の若者が甲状腺がんで苦しんでいる」因果関係は国連組織が否定、批判も
https://www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/hodotokushu-tbs
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/hodotokushu-tbs
「ファクトチェック」を売りにしたいBuzzFeed。蒸し返されるのを嫌がるのは、科学的でもなんでもない。それに訴訟を起こした人のドキュメンタリーなら、当然の構成。/ この記事でも都合の悪い情報を省いたりしてない?
実際、福島ではどうなの?放射能と若者の甲状腺癌の増加は相関関係にあると考えるのがまともだと思う。なのにそれを否定することに一生懸命になってる人達がいるよね?差別と絡めて火消ししてるイメージしかない。
よっぽど都合が悪いのか岩波「科学」2022年4月号の甲状腺がん特集に触れない否定派。公害事件に被害者バッシングはつきものだが、水俣病の熊本大学医学部など公害に肯定的な研究者も叩かれがちである。
フクシマは放射能汚染されていることは事実なのに、というか日本の東半分一体が、逆になぜ影響はなかったと否定しようとするのだろうか。過剰診断で片付けられるなら簡単だよね。
福島と同じ規模と精密さで検査をすると、他の都道府県でも同じくらいの割合で、甲状腺がんが見つかると思います。←なぜ九州や沖縄で同じような検査を(統計的な数値がわかる範囲で)しなかったのか。結局そこにつきる
この件詳しくないが、UNSCEAR自体が論文のチェリーピックしてんじゃない的な疑惑もあるみたいで、権威で押してるけど科学的といえるのか様子見→https://twitter.com/jun_makino/status/1528536458969387009
国連もこの記者も医者もこの放射線では絶対にこのガンにならないって断言すればいいのに(´・_・`)〇〇%以上の確率でありえない無視していいからなったというのは言いがかりってなんで言わないの?
文章の組み立てとして「あの頃はこう思っていたが、今思うと間違っていた」という形になっているのだから、中段の意見がどれだけクリティカルだろうと記事全体の主張は後段の方。
単純にこれを読めと言われたら記事全体を読んでしまうのが当たり前で、「あぁ本業で下積みの足りないやつは外様の人間を恨むけどそれは未熟な意見なんだな」と思うほかない。
要は引用がヘタ。
DJ松永の記事の中段だけ100万回読め、後段で否定されてるけどそれはこれこれこういう理由で無効だから気にしなくていいみたいなだっせえ引用をするか、
この件に関して世論は納得しており、「ドワンゴなら安心」という意見も散見されるが、私は喉に小骨が刺さったような感覚が抜けない。
大筋は私もいいと思っている。
・ドワンゴと「ゆっくり」の大元ネタである東方シリーズ作者のZUN氏はコミュニケーションを取っており、二次創作的な著作権の観点からはこの対応に問題はない。
・「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であり、その筋で有効な手段ではある。
・「実用上」どこかの企業なり個人が独占防止のために商標を持っておくことは確かに有効ではある。
「ゆっくり」は確かに東方シリーズの二次創作であり、ZUN氏の寛容さを前提にした文化ではある。
同様に、ドワンゴが提供するニコニコ動画を下地にした動画文化がなければ、「ゆっくり」はここまで発展しなかった。
しかし、「ゆっくり」動画を作り、視聴してきた数多のオタクたちも同時にいたからこそ、「ゆっくり」は育てられたのではないか?
「ゆっくり騒動」と比較して並べられるギコ猫や電車男のような2ちゃんねる発のコンテンツも、著作権に寛容な環境と、ユーザーが育て上げてきたものである。
いちユーザーの視点から見て、「ゆっくり」とは誰かが作り上げたものでなく、みんなで育て上げていったものであって、
誰かがその権利を持つことは、その権利の主張や使用料の発生がなくとも、私は頷けない。
https://kai-you.net/article/83717
ドワンゴは
「『ゆっくり茶番劇』は動画のジャンルやカテゴリー、動画の内容を示す表示として広く一般に使用されている文字列であるという認識であり、特定の企業や個人が独占すべき文字列ではない」
と説明しているが、「『ゆっくり』関連用語の商標出願」はしている。
これは単に矛盾している。
また、ドワンゴという企業体が存続できなくなった時の商標をどうするかについても説明されていない。
よって、ドワンゴの
「『ゆっくり』関連の文字列について、ドワンゴは将来にわたって一切の権利行使をしないことを約束する」
も、ドワンゴという企業体が吸収・合併・解散したのちに存続するかどうか、誰に権利が委譲されるのかという保証がない。
ギコ猫騒動の顛末として、2ちゃんねる運営であるひろゆき氏がギコ猫を始めとしたAAを商標出願しなかったように、今回もいちいち出願する必要はない。
なぜなら、「ゆっくり」にまつわるこのような騒動が実績として生まれた時点で、今後商標出願を通すこと、ひいては出すことも難しくなるはずだから。
「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であるものの、このデモンストレーションには実質的に意味がないと考える。
確かにドワンゴという企業はニコニコ動画という形で「ゆっくり」文化に貢献しているわけだが、その実は「営利企業」である。
ギコ猫騒動を通してタカラ、エイベックスなどといった営利企業の横暴に怒りを燃やしてきたにも関わらず、
「これまで文化に貢献してきたから」という理由で、今回はいち営利企業に全幅の信頼を寄せて商標権を任せよう、という思考は私には信じられない。
こんなやり方はいち企業の権威的なやり方にすぎない。オタクの文化は原理的に突き詰めてオタクたちの手に委ねられるべきだと考える。
なんなら、「ドワンゴが商標登録するなら、模倣犯は全部ドワンゴが倒してくれるからいいや」くらいに思ってるんじゃないか?と思う。
自分の手で戦えよ。
作業しなきゃなのに
助けて
増田を 10年 やっとるワシも、幾度となく沼を経験してきた。
その度に増田の存在を憎んだものじゃが、あるとき脱出方法を思いついて以来、悩みから解放されたのじゃ。増田は、人の時間を喰らうバケモノから、やりたいときにやればええ、気楽な娯楽に戻った。
ありったけの技巧を込めて、増田で積んだすべての経験を活かすべく、本気で増田を書く。
まずはテーマの選定に気合を入れる。皆が興味のある話題を選んでいるか。その分野で高い解像度を発揮できるか。
読者に伝えたい内容が目に留まるようバランスに注意を払って、構成を練るのじゃ。
タイトルは頭に入りやすいか、タイトルだけ読む連中も祭りに加われるような軽さがあるか。冒頭に引き込むようなフックはあるか。
説得力を持たせるための権威づけはあるか。自分の強みを明かしているか。逆に無意味なマウンティングはないか。
言わんでええことまで言ってないか、すなわち、ブックマーカーの「まとめ作業」をおのれが代行するような愚を犯してないか。
聞き慣れないフレーズを慣用表現に置き換えて。読み飛ばしてもいいパートはそうだと判りやすくするんじゃ。
同じ単語の繰り返しはないか、指示語は最小限か、「だが」などの否定語は極力削られているか、語尾は多彩になっておるか。文章のリズム感は十分か。
末尾にスルーされないための、何かひとこと言いたくなるような煽りはあるか。
すべてのチェックを終えたら、再び最初に戻って検討し直す。何度も何度も繰り返す。
最高傑作を生み出すべく、情熱を注ぎ込むのじゃ。ひとつの増田を書くのに 12時間 かけてええ。
これが増田を止めるコツじゃよ。
学生の時に理数系科目は大の苦手だった。
科目そのものは嫌いではなく、数式やその背景にある論理、仕組みなどは今から勉強して、学び直したいくらいの意欲はある。むしろ、今仕事としてやってることにも関わってくるのでやったほうがいい。
苦手になった背景は科目にあるというよりも、本来科目を教えるはずの理数系教師陣にあると言っていい。何故かは解らないが、理数系担当教師はとにかくハズレが多かった。ほぼ全員解答を間違えたり、少しでも気に触るような理由があると怒鳴り散らすのだ。時には定規で教壇をバシバシ叩いたりして暴力性を示して教室内で自分の権威を乱用してるだけにしか見えない者もいた。結果、理数系科目の時間が来る度に憂鬱になり、理数系を学ぶモチベーションも低下の一途を辿った。
最近は学校から受けてきたトラウマが薄れてきたことと、元々教室の外での分野的には理数系科目の方が向いていたということもあり、あやふやな学びをなんとかしようという気持ちから、ずっと苦手だった理数系と再び向き合いたい気持ちが湧いている。
学校という場所自体を否定するつもりはないが、私みたいな経験をして人生の大切な時間をトラウマに変えられてしまうくらいなら、学校で子供に何を学ばせるか議論するより、学ぶ場と学ぶ方法の選択肢の方を広げるべきではと思う。
第一次黄金期が90年代だったとして、第二次黄金期は2020年代になるんじゃね?
2000年以降、音楽業界はずっと「斜陽」だと言われてきたじゃん。
2010年代になると業界は嵐とAKBに支配されて「誰もが知ってるその一年を代表するヒット曲」すら無くなった。
音楽バブルが弾けて、CDが売れなくなって、客層ごとに流行る曲がバラバラになり、オリコンの権威が低下し、テレビから音楽番組が消えた。
そこからのこれですよ。
90年代における新人発掘ツールとしてのバンドブームや「ホコ天・イカ天」を、ボカロ勢がより大規模なかたちで再現していて、
以前から指摘されてきた「世界はサイン文化で日本は遅れてる」問題、調査班はファクトチェックを行うことにした。
そもそも何故日本では印鑑を捺しまくるのか?と言えば、日本では法律の作成や外交文書の作成の際に国璽と御璽が必要な制度となっており、つまり日本の認証の最高権威がそもそも印鑑なのである。
そこで疑問に思わないだろうか?海外の認証の最高権威とは何なのだろうか?と。
中華文化へ強く影響された文化圏は印鑑が今でも強く残る。特に日本と韓国は日常にまで浸透しているようだ。
イギリスではエリザベス2世女王陛下の封蝋が外交文書へ捺されることとなっており、そのほか貴族、教会、古い商家などが封蝋を受け継いでおり公式の場で使うこととなっている。
つまりイギリスの認証の最高権威とは封蝋である。単に印鑑ではないだけなのだ。
しかもこれはヨーロッパ全土で共通した文化を有するらしくイギリスだけではなくフランスやドイツ、イタリア、スイス、トルコなども公式の場で封蝋を用いることがある。
ちなみに中東も封蝋の文化圏のようだ。古い時代では丸い棒を転がす印章が使われてたらしい。
アメリカはサインだ!と思ったら間違い。
アメリカでは企業や団体へ対して公証人がカンパニーシールとよばれる印章を求める場合があり、このカンパニーシールとはエンボッサー(カンパニーシールスタンプ)と呼ばれる紙を挟み込んで凹凸を作り印影を生み出す機械によって捺される。
例えばアメリカ大統領の印章であるSeal of the president of the united statesのエンボッサーも存在しており外交文書へ捺されるのだ。アメリカには州章や郡章もあるぞ!
なぜ大統領のマークやスタバなどの企業マークが丸いのか?と言えばエンボッサーで捺す必要があるから団体のマークが丸いことがよくある。
そもそもパスポートに入国スタンプ捺されてる時点で「印章捺してるの日本だけwww」ってのはありえないわけで、単に真実は印鑑なのか他の道具なのかという差であった。
しかしまぁ印鑑が面倒くさいというのは理解できるので、どのレベルまで印鑑が必要なのか?という議論は丁寧に進めていったら良いんじゃなかろうか?
外国が印章捺して外交文書作ってきてるのに日本だけ辞めますとはいかないだろうしね。