はてなキーワード: 月並みとは
ヤフコメの関連ニュースに「日本も核武装を」とか頓珍漢なこと書いてる人が散見されるのを昼間見てたんでなんとなくそれについて思うところを……。
その昼にもエントリ書いたんだけど、日本が核兵器禁止条約に批准しないのは「禁止条約批准国たちというくくりに入るほうがリスク」だと勝手に思ってる。あと、あの条約を締結することで保有国や他国軍を世論で牽制しあってる生ぬるい集団の中にわざわざ非戦国家が入って行くか? と言われれば、なんか違うよなあと感じるけどどうですかね。
ところで、再び日本に核攻撃が来るかと言われると「21世紀に入ってから今までの流れ考えると微妙」というのが自分の意見。日本列島というのは大陸から見ればまあ欲しい立地なのはわかる。ミサイルを持っている周辺国、中露韓(半島全体も考慮に入れる)は攻撃を仕掛ける理由は十二分に持っている。しかし、ここで列島に攻め入るのに核弾頭を東京にすぐ落とすかと言われると微妙で、あんまり現実的ではなさそう。単純に面積が必要とされているのではなくて「太平洋に面する使い勝手のよい港」とか実用的なものを求められているのではなかろうか。だとすると核攻撃なんてしたら、土地が使い物になるまでに待ち時間が必要なので、撃つ側も核攻撃を有効な選択肢の最上位に置いてはいないと考えてる。
日本にまた核が飛んでくるという可能性は「無」ではないが優先順位は低い、として、じゃあなんで争いの当事者でもないのに核廃絶のメッセージをずっと発信してんだっていうのは「現場に立ち会って唯一知っている立場なので知らせるのも唯一この国しかない」っていう単に責務としてだと思う。軽んじている訳ではなく、救われたり称えられるものでもなくても背負わないといけない使命なんだよね、という、なんか月並みな落としどころですんません。
ルックバックの修正については、描くことも自由で批判することも自由で、その上で修正することもまた自由なあたりがややこしいんですよ
本質を言うと、障害とかの話題は教育や受ける人間のリテラシー学習の方でどうにかするべき話なので、描くことが悪い!と言い始めると言い始めると際限がない(月並みですが)。
正直障害者がこういうことをしかねない!という描写はよくないという話は、分かりやすく不良の格好させたキャラがしっかり悪いことをするのもよくないっすねという話になる
で、日本はいつもこういう描写規制の際ヤンキー漫画を絶対棚上げするので、どうも場当たり的というか「話題に乗じて事を為して正義を貫いた実績を得たい」というエゴが見えてならない
確かに全体で統一しましょうねっていうのも危うい方向性ですが、こういう「何を描いてよくて何を描いてはいけないのか」という話は毎回芯を食わない表面的な部分だけで変なジャブを撃ち合うだけで、落とし所も気持ち悪くなる
正直いまネットで元気な30代40代くらいの人たちが「教育に失敗された」集団じゃないかな…というのが自分の結論なんですけれども…
修士は推薦で内定とってたけど辞退しD進、修了後は別の会社で社会人している。
月並みに言えば、その研究室が過去Dをコンスタントに出してるか、その後の進路で困ってないか。
あとは所属専攻で関連する業種でパッと思い付く研究所を持つ企業があるか。アカデミックに残るつもりなら教授のコネクション(他の大学との連携等)があるかどうか。
残念ながら進路は狭くなるのは間違いない。その後会社に入るなら敢えてこの道を選んでも得することはあまりないが、この先もおそらくは研究が続けられる。それが人生のモチベの主ならやってみるのも一興さ。
追記)
内定後辞退について、会社によってはネガティブなことは言われるだろうけど、進学が理由である、内定式前である場合はそこまで言われないかな。自分の場合はメール一本でことなく終わった。同じく論文通ってて、それで決心ついた、くらいの心境変化とか書いたかも。
ただ、その会社で来年の推薦枠が減らされることも考えられるので就職担当にはしっかり伝えること、あとは今後も含めて教授とも相談することだね。それで助けがないならいくと苦労するだろうし、その探りとしてもいいかもね。
どちらにしてもアホなんじゃない?
こんなところで晒してるのもアホだし、変に装ってるのもアホ
もっと言うならそういう手段を取られても全然嬉しくないことよね
作者的にはなんでもないこととかいうのが出来ないからこんな場所でこんなやりとりしてんのに
俺からすれば三年かけて完結まで導けて凄いというのは本音よ、それはホント。
まぁ、作品をコテンパンに批判されたかったのかしら?とは思うよ
あそこだけでもまだ正直だと思うし
アホとしか呼べないだろ
追記:
なんか言及してる増田がアホすぎるから昨晩見てアホらしくなって放っておいたけど
横から入ってきて何を書くかと思ったら、ここは増田君の家の鏡じゃないんだけど
もう一度鏡に向かって同じこと口にすればいいでしょ
こっちはね、『三年も面白くもない作品作って無駄な時間を過ごしたね』ってアホな発言を繰り返す奴に
『面白くなかろうが作品を完成させるのは作家にとってとても大事なことだよ』ということを一番根元のツリーに書いてあるんだから確認ぐらいしてくださいと指摘してたら
『実は俺作者かもしれないです』とかいうもっと大馬鹿なことを言及してきたので
『自分の愚かさ加減を棚に上げて他人のフリをするどころか作者のフリをして何になるのよ。
仮に作者だとして、作品を作って完成させることが当然だと考えてるなら作品を完成させられずに終わったやつなんていくらでもいるし、どんな名作でも絶筆があった中で、佳作が駄作かわからんがただ一つの世界の完成形を出せたのは率直に偉いよ。
でも作者であったのならこのタイミングで出てきてしまうことで、「作家にとって一つの作品をまともに終わらせることで何でもない時に終わらせきれなかったことを後悔したり別の作品を作る時にチラついたりしなくて済むこと」がわかってないのは残念だよ。
そして作者じゃなくて何度も馬鹿だと言われて「いや俺作者だから」で黙らせられると思ってるならホント例えようのない程下劣な馬鹿だから』とお返事を返したのに
俺が優しくないって?丁寧すぎるほどだぜ
いや別に優しさとかに拘ってはないのよ、言及しまくることで荒らしが助長されてー、って威力業務妨害かもねってチラつかせて引くようなら大したことする気もないじゃない
三年かけて作品を作ったこと、三年を何かに注力して一つの完成を臨んだこともない、今この瞬間にカタカタ入力して導入から入ってエピローグまで書けるはずなのに書く努力をしなかった奴らが増田でピーチクパーチク騒いだだけで作者がボロ布になるとでも思ったの?
増田に自分の作品晒してんのに?その程度も予測できない覚悟のない奴の方が問題だろ。
それでも一つの完成はとても凄いのだから褒めたのに、なんか当然のことだと思ってるの?
学生時代から何一つ完成させたものも、ネットで発表出来るものもないじゃないの。
少なくともこのツリー上で俺はこれが出来たぜと書いてる奴がいないのよ。
僕も君も他の増田も含めてね。
で、横から入ってきてお前は賢くないだのなんだの荒らしを助長してなんだの。
あのね、このツリーの根元の元増田にした質問から分かれていった枝含めて全員馬鹿なのよ。俺がした「大事なことだよ」の短めの回答含めてね。本当はそこで「ふーん」で終わるもんだと思ってたら予想以上に馬鹿だったもの。
で、このツリーの先っぽも根元も元増田の作品以外にまともな作品は置かれてないのよ。
ぜーんぶ僕は馬鹿なので一日も一年も三年も同じようなものだと思ってますって書き込みばかりだよ
その最中に何も作ってないのに、だ。
仕事すらもまともに出来てなさそうだな、と思うよ。
俺にも増田にも出来る行為なのに、わかんないです、すばらしいんでつか?こんな無駄な行為大事なんでつか?とか書かれて
もう増田書くことやめて夢見てる方が三倍ぐらい君にとって有用なんだけど、わかる気がないならそれもわからんかってなるよね
荒らしなんだからわからせなくていいとかいう時代遅れな話はいいです
やかましいんだよ、他の作品に迷惑がかかるだのなんだの書いてちゃんと元増田も読んでないようなのは
こと増田に晒してしまって月並みな荒らしが最終的に「オラの人生なんだったんだろ」とつぶやいて終わりそうな書き込みをしてるから「今君が否定したのはやろうと思えば君でも出来る行為なんだよ」ってずっと書いてんのよ
アホがレスバが勝ちたいがマウントがとかそんなのはどうでもいいの、そんなもん俺もお前も単なる文字なんだよ。今、この場では。
お前らアホの荒らしはいろんな場所を荒らしすぎて最終的にどこにもいけなくなって首括って死ぬだけになるんだからその前に遺書の書き方ぐらい綺麗にわかりやすく書けるようになれってずっと書いてんの
それが一片の詩になるのか、興が乗って人生を賭けた長編大作になるのかは俺が知ったこっちゃねえ話なんだよ。
俺は低脳先生を見てきてて、それを断ち切ろうとして失敗してる奴らを見てきてるからな。
じゃなくてこんなところで何の為にこんな低レベルなものを褒めそやしてるのかの意味をわかってもらわなきゃダメ
俺たちはずーっと何のプラスにもならないゼロにもマイナスにすらも至るやりとりをしてないのに
仮にマイナスに振り切っても二、三年臭い飯食うだけとかいうこれまたしょうもない場所で
アホらしいよ全く
横から入ってきた増田がその程度のレスバの考えしかないのも含めて
なんかズレてるなと思ったら俺はずっと危機感を煽ってるのにそれがわかってもらえてなかったんだよな
三年なんてあっという間だぞ
その間にお前は何をするんだよ
三年前とこの三年間、お前の手元には何が残ったんだよ。
作れよ。気付いたら十年経って何の形も残らないままになるぞ。
菅首相「7月末目標」に躍起 「総力戦」の高齢者ワクチン接種(時事通信) - Yahoo!ニュース
2厚労省をうまく動かせないので、なぜか総務省を活用し、自治体から反発を受ける。
武田総務相から「7月末に高齢者ワクチン接種終了命令」全国の知事、首長が怒り心頭【メール入手】 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
3目標達成が難しそうだと聞き、焦る。
1日100万回接種、掲げたが 焦る首相、再三の電話 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
【独自】「ワクチン足りず、医療従事者用を回せ」国が高齢者接種の7月末完了で“脅し” 自治体が反発〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
5河野大臣「効率性より平等性の方を重んじる自治体が多かったのは誤算だった」
ワクチン予約の混乱「僕の失敗です」 河野大臣が陳謝 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
町長ら先駆け接種「公平性に反するなら遺憾」 官房長官が言及(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
ワクチン高齢者接種「さば読みいっぱい」 秋田知事、7月末まで85%に:時事ドットコム
8「え、そんなに遅れる所あるの!」
そう、ちょっと思ったんですよ。人間嫌いなものだから常々思ってたことなんだけど、コロナでハッキリした。「日本人、そんなに上等な生き物じゃねぇな」って。だってそうじゃん、「自粛」って言葉に甘えたり、「自粛だからいいや」ってなったり、「もう我慢の限界ですね」とか言ってみたり。安きに流れやすいにもほどがあるでしょ。どうしてこんな状況で飲みに行こうと思えるのか、どうして旅行になんて行けるのか、どうしてそういう自分のエゴに観光地の住民とか帰省先の住民を巻き込めるのか。「自分は感染しない」「自分は感染させない」っていうその自信、どこから来るんですか?木星電波でも受信してるんですか?
結局のところ、根底には責任の波及を逃れたがる日本人の悪癖があるんじゃないかって思う。それと、ビックリするほど簡単な方に流れる人間心理。日本人は集団心理の怪物だって思ってるよ私。「自粛」って言葉は正にそれ。「自ら」やるものだから、言う側に責任はない。押し付けではないですよ(だから100%の補償とか出せません/だから批判する自分は悪くない)、そんな言い回しに聞こえてくる。ハッキリ言って陰湿。「自粛要請」「自粛しなさい」ってものすごい矛盾じゃん。その人が必要を感じて主体的に止めるから自粛なんだろうが。その結果が「自粛しろ」って指さす人と、「自粛だからいいじゃん」って飲んだり旅行行ったりする人の対立構造。ついでに「政府が悪い、自〇党を潰せ」とツイッターデモなるものをやる人たち。もうね、アホかと。
いやまぁ分かるんですよ、そうなる気持ち。こっちも卒業式と入学式とその後の同期との関りとその他諸々ぶっ壊されてるもの。冗談じゃねぇよって思うけど、だからこそ「それでもここまで他粛できてきたな、もう少しいけるわ」って思うわけで。自粛じゃないです他粛です、だって自分の関する余地なく無くなったんだもの。でもさ、それで「我慢の限界」って言ってどうすんの?そうやってズルズルと感染の輪を繋げて現状を引き延ばして、来年の卒業式と入学式と以下略もぶっ壊すのか?あとはどうしようか、「感染拡大はワクチンの普及率が問題で~」とか「政府の対応がマズイんですよ」とかテレビに出てる人間みたく分かった風に言うか?冷静に考えれば分かってくれると思うんだけれど、ここまで誰一人得をしてない。そりゃお互いフラストレーション溜まるよ。
冷静に考えて欲しい、その前に自分たちの責任なのだと。自動車運転過失致死傷罪がどんな刑罰になっても、結局のところ交通事故を起こすのは運転手じゃないか。君たちは交通事故が起こるのを「政府の刑罰規定が軽いからだ」って言うか?(制度上規定される)上流の行動が下流をある程度規定できる、それは間違いない。それで感染が収まるように誘導(そう、政治は誘導しかできない)できていれば完璧だった。が、残念ながら現状はそうではない。寧ろ逆と言ってもいい。
この点は確かに政府が悪いよね、分かる。正直色んな方面への"配慮"が透けて見える杜撰な対応は、あまりにも市民感覚の欠けた意味不明なものだって誹られても仕方ない(だからと言って官僚を批判するのはお門違いだと思うけどね)。だとしても、下流にいる我々一般市民の行動で何とか出来たことは、本当に何もないのか?ちょっと気を付ければいいんじゃないのか?多分、今休業要請食らってる経営者の人達はこう言うべきなんだ。「お前ら利用者が情けないから、自分を抑えられないから、こうして長々と商売あがったりの憂き目にあわなきゃならないんだろ」「本当に店を想うなら、しばらくテイクアウトだけにして引きこもっていてくれ」って。皆悪者になりたくないし客を減らしたくないから言わないんだけど。「政府」っていう格好のスケープゴートもあるし。
こうした悪癖がもたらす一番の害悪が、全員もれなく損をするっていう今の結果。一時の楽を求めたせいで感染は収まらない、だから店を閉め続け、飲み会旅行を断念し続け、ついでに色んな行事を諦め続けなくてはならない。仕事も上手くいかなくなるかもしれない。これで得をするのは、地球侵略を企むインベーダーくらいでしょ。『宇宙戦争』よろしく、そこらのバクテリアでそんな連中が死滅するのを待つべきなんだろうか?
いい加減さ、「ちょっと考えればこっちの方が得」っていう選択肢を取るようにしましょうよ。別に「皆の幸せを思って、思いやりある行動を」なんて言うつもりはない。そんなの偽善だし、何のインセンティブも無い(多分これでやる気の出る人は、とってもいい人だ。そういう貴方は是非とも自分を誇りに思ってほしいし、友達にいるなら一生の友人にするべきだ)。でも、自分やその周りの利得っていう考えなら違ってこないか?誰も得しない、もれなく貧しくなる社会。そんなの、当然ながら誰も望んでない。そのくせ今そうなっている。とっても残念なことに。ちょっと考えれば路上飲みなんて家で飲めば必要ない。ちょっと考えれば自粛警察なんてただの偏狭な輩だと気付く。ちょっと考えれば、「自分は仕事が無くなったんだぞ」って言って人を批判しても自分の職が見つからないって分かる。道徳とか倫理でなくてもいいから、そんな判断をしてみてほしい。「今度飲み会しようと思ってたけど、それぞれ好きな一品テイクアウトして宅飲みにするかな」って、ただそれだけでいいんです。それで世界はマシになる。
最後に言っておくけれど、僕は思いっきり日本人です。生まれも育ちも地方都市の一般市民。だから東京と大阪が今てんやわんやしてるのも、そのリアリティを知っているかと言われればまったくもって知らない。学生だから、職を失った人の辛さなんて知りようもない。幸いなことにそれでもなんとか回るくらいの環境だから、この状況下で生きるか死ぬかって人の気持ちも共感できないかもしれない。でも、あれこれ制約をくらってて生きづらい状況に辟易してるっていうのは、皆さんと共有しているつもりです。液晶に向かってやいのやいの言って世界を変えられる人間なんて、まずいない。でも、自分の行いを少しだけ見つめ直すことは誰にでもできる。月並みだけれどそんな風に思ったので、慣れもしない増田を書いた次第です。
背景がよく分からないけれども、もしそんなことを言う面接官がいたとしたら地雷臭がするからだと思うけど。
地雷臭ってよく怒るとかよく泣くとかもあるけど、他の要素にどんな時にどう言う理屈でどう感じるのか分からないってのがあると思う。
まぁそ言う意味では感情を言葉にできないってのが原因はあってるか。
多分ほとんどの学生は月並みな話もできないし、たぶん増田もやろうと思ってもいざやろうとしたらできないから。
あと
思ってもないことをたくみに話す学生も周りにいなくはないが、私にはそういうマインドコントロール力や知識は残念なことに備わってないし、彼らとは仕事に求めるものが違うと思うので実行しようとも思えない。
みたいに他者を極端に印象悪くてギラギラした邪なキャラにして、自分はそうでないって逆の方に極端にしちゃってバグっている印象。
もともと女性一般から広くモテたいとか、誰でもいいからセックスをしたいとかさせてほしいとか、社会から魅力的な男性として認められたいといった願望はない。俺が惚れた女がたまたま俺に惚れてくれないという状況がン十年続いているだけだ。しかし世間一般ではその状況こそ恋愛弱者とされているのだろう。俺からしてみれば弱者という自覚などないしこうした現状を特に気に病んでもいないが、うるおいのない人生であることもまた事実だ。たしかに人生はパサパサだ。顔は脂でネチョネチョしているが。さて、独り身の男がうるおいのない人生に慰めを見出すとしたら? もっとも手軽な手段は読んで字のごとく自慰である。というわけで、ここから先はオナニーの話をします。恋愛弱者論は出てきません。お引き取りください。
100%イマジネーションだけで登頂できる程度にはまだ元気な私だけれど、もちろんよいおかずがあればそれに越したことはない。私の世代の男性はさまざまなおかずで食事をしてきた。うつろいゆくエロメディアの変遷をすべて経験してきた。いや、ピンク映画は経験してないか。まあいい、それはさておき、自宅の電話線に通信モデムが接続されるまでの長い長い間、私の主食は紙媒体だった。エロ本、エロ小説、エロマンガである。劇画タッチの暗くて薄汚いエロマンガに代わってアニメ調のかわいらしい絵柄の美少女エロマンガ雑誌が続々登場し、それに夢中になったりもした。アダルトビデオもすでに文化としては大輪の花を咲かせていたが市場的にはレンタル専用の位置づけで、日々の主食とするにはコストがかかりすぎるごちそうだった。どんなに気に入った作品でもレンタルは返さなければいけないし、セル用VHSともなると1本が1万円以上したのだ。
こうしたおかず環境はインターネットの登場で激変し、通信環境やパソコンの処理能力の向上でもう一度激変した。このあたりの変遷はくだくだしく振り返る必要はないだろう。かつて、何世代ものダビングを経て裏か表かすらよくわからなくなった飯島愛のビデオに目をこらしていたことを考えると、常時接続のネット回線からフルハイビジョンの無修正動画が無料でドバドバ降ってくる現代の状況は「隔世の感」などという月並みな言葉では語り尽くせない感慨がある。「この世の春」が少し近い。
もっとも、この変化はあくまでも量的な変化に過ぎない。ガビガビの飯島愛とフルハイビジョンの七沢みあの違いは、端的には解像度と入手性だけであり、メディアとしての質的な差はないと言える。どっちも同じ動画だ。そこには、かつてエロ本(静止画)に代わってエロビデオ(動画)が登場した時のようなパラダイムシフトはない。作品の内容についても同様である。80~90年代のAVに比べると現代のAVは内容がめちゃくちゃに高度化していて、とんでもない美人がとんでもなくエロいことをとんでもない演技力でやってのける時代になったが、これとても地道に連続的に向上していった結果であり、その間に何か飛躍があったわけではない。
この先もこういう線形な向上がひたすら続くんだろうな、と俺は思っていた。モデルはますます美人になり、エロ演出はますます洗練され、解像度は4K、8K、16Kとますます向上し……そのうちテレビも買い換えなきゃだな、と。この先に非線形な、飛躍をともなうパラダイムシフトが起こるとは思っていなかった。
ところが2016年になってそれは起こった。アダルトVRの登場である。
それはまさにパラダイムシフトだった。静止画が動画になったあのパラダイムシフトさえ超える革命だった。初めてアダルトVRを見たとき、「これは今までのAVとはまったく異質なものだ」と私は確信した。
VRゴーグルをかけて再生を始めた時、自分は行為の「当事者」になっていた。それまでのAVでは(一人称視点モノであっても)自分はあくまでも「傍観者」だった。見慣れたハウススタジオで繰り広げられている知らない誰かと誰かの性行為を神の視点で眺めるだけの傍観者だ。男優の求めに応じて、あるいは自発的に女優が行う行為の淫靡さ大胆さ、背徳さや不潔さ、それを傍観して興奮するのが従来のAVだ。AV嬢は裸になるのが当たり前だし、裸になるまでのチンケな三文芝居など早送りするしかない。
しかしアダルトVRはそれとはまったく違った。なぜか間取りをうっすら知っている家の中に自分はいて、目の前にはめちゃめちゃきれいな女の子がいる。冬服に変わったばかりで今タンスから出してきたようなブレザーの制服を着ている。樟脳のにおいがしてきそうだ。その子がこっちを向いて「うふふっ」と笑う。こちらもつられてつい笑ってしまう。「ンフッ」 今までAVを見ていてそんなことがあったか? 俺はなかった。画面の中で何が行われていても、握力と緩急の調整こそすれ、表情は真顔のままだったと思う。
驚くべきは女優たちの演技力だ。アダルトVRは基本的に「女優の一人芝居」である。自分役の男優はいるがただの木偶であり、ストーリー進行はすべて女優の演技に任されている。女優たちはこれを見事にしてのけるのだ。イッセー尾形とまでは言わないが、正直私はAV女優たちがここまでちゃんとしたお芝居をするとは思っていなかった。また、そのくらいアダルトVRは女優の演技力が重要なジャンルなのだった。棒読み学芸会の芝居だとまったく白けたものになってしまうのだ。結果として、ただかわいくてスタイルがいいだけの女優ではなく、きちんとお芝居のできる女優が日々発掘され、適性が見いだされ、人気を得て活躍していくようになった。
一人称AVというジャンルは古くからあるが、久しくマイナージャンルであった。しかしここへきて一人称AVは突然業界のどセンターに据えられることになったのだから世の中わからないものである。
一人称という形式により、2Dでは早送りしていたような行為前後のたわいもないドラマシーンががぜん意味を帯びてきた。この女性は下宿の美人管理人さんで、俺はしがない浪人生。この女性はかわいい妹で俺はモテない兄貴。この女性は神待ちJKで俺は一人暮らしの冴えないおっさんリーマン。2Dではわりとどうでもよかったそんな設定がいちいち重要になってきた。その設定に没入すればするほど、目の前の女性が服を脱いだ時の衝撃と興奮が大きいのだ。もし美人教師やかわいい看護婦さんが「現実に」目の前で服を脱ぎだしたら、誰だってびっくりするでしょう?
風呂上がりでバスタオルを胴に巻いただけの妹が俺のほうに上半身をのり出してきて、急にまじめな顔になって聞く。「ねえおにいちゃん、そらのおっぱい見たい?」俺はあまりのことに声も出せずただブンブンと首をタテに振るしかできなかった。「ほら!」バスタオルの前が勢いよく開かれた。椎名そらの、いつもAVで見ていたあこがれの椎名そらの、あの白くてすべすべしてふっくらとまろやかで、ぷにぷにと弾力のあるかわいい乳房が、俺の目の前でぷるんと揺れた。「あっ、あっ…!!」人は感極まるとカオナシみたいな声が出てしまうことを知った。「興奮する?」「うん…する…する!」思わず答えていた。
目の前に素敵な女の人がいて、自分を信頼して親密に身を寄せてきてくれるあの幸福感が脳を満たす。「幸せ物質」みたいなものがあるとしたらそれが体中を駆けめぐる感じ、2DのAVでは決して味わうことのないゾクゾクする感じがアダルトVRにはあった。もちろん相手が生身の女性だったらその歓喜はもっとずっと大きいはずだが(長いこと感じていないのでどのくらいか忘れてしまった)そんなことはもうどうでもいい。少なくとも2Dにはそれがなく、VRにはそれがあるのだ。
心通じ合うパートナーがいなければこの先ずっと得られないと思っていたあの歓びを、わずかでも擬似的にでも感じることができたし、ゴーグルをかければいつでも感じることができる。そしてこの先まだまだVRゴーグルの性能は向上するし、きっと動画の解像度も上がっていくだろう。素晴らしいじゃないか。コロナにおびえながらキャバクラや風俗に通わなくてもいい。俺はもう、大丈夫だ。これさえあれば、アダルトVRさえあれば大丈夫だとわかった。生きていける。
他者を外部から「インセル」と認定することはナンセンスであると考える、と最初に書いておく(そもそも誰かの独身性がvoluntaryなのかinvoluntaryなのか、当事者以外には判断できるまい)。
これはインセルフォーラムに入り浸ったある一定の期間から得た知見の共有である。
インセルフォーラムでは、一般的な欧米社会での名前とそれにまつわるイメージからいわゆる「強者(白人)男性」はChadやTyroneと呼ばれ、一方女性はほぼ純粋に見た目によって分けられ、最も上位がStacy、いわゆる平均以上〜平均がBeckyと呼ばれることが多いようだ。人種による表記揺れなどは数多くあるが今回は割愛する。
フォーラム利用者の多くは「すべての女性は、彼女自信の見た目に関わらず、現実的な恋愛相手を見つけるよりもほんの一握りしかいないChadやTyroneと寝たがっており、また女性の性的解放やインターネット・デーティングの発達がそれを可能にしている。仮に今ChadやTyroneではない男性と付き合っている女性がいてもそれは金目当て(betabuxなどと呼称される)等の理由であり、彼女らもまたチャンスがあれば迷わずChadらと寝ることを選ぶ。現代社会において自分たちには結局チャンスはないのだ」と信じ、主張している。
彼らがこう語る時、彼らはChadを憎まない。IncelからChadへ注がれる視線はむしろ尊敬や連帯に近い。嫉妬ですらないことも多々ある。女性がChadと寝たがるのは、Chadが悪いわけじゃない。Chadが多数の女性と寝るのも、Chadが悪いわけじゃない。全ては身の程を弁えず、Chadらと寝たがる女が、そしてそれを許すべく変化してきた社会が悪いのだ。
彼らはlooksmatchという言葉も用いる。訳せば「自分と同程度の容姿レベルの異性」といったところで、一昔前であれば自分たち(インセル)にも同程度の見た目の異性=looksmatchが最終的にはあてがわれ、結婚し家庭を築けていた、「普通に幸せ」になれていたはずだ、しかし自由恋愛・社会の変化・フェミニズム等々がこれを崩した、というわけだ。
これは非常に面白いポイントで、彼らの多くは「自分は女とは違い、なにも絶対にStacyと付き合いたいわけじゃない、誰でもいいから誰かに愛されたいだけだ」と主張する。一方で、彼らの語る恋愛はカップル成立で終わることが非常に多い。「めでたしめでたし」的な、「そして二人は末長く幸せに暮らしました」調のイメージを彼らの多くが抱いていることが観測できるのである。月並みな言葉で言えば「恋に恋する」と言ったところなのだが、この非常にセンチメンタルながら切実な「愛されたい」という願いと、その内容物として見て取れる「異性として肯定されたい、性的に欲求されたい」という直球の願いを彼らが裏表として(意識的にせよ無意識的にせよ)使い分けていること、これがとても興味深いのだ。
彼らの「性的に欲求されたい」の奥にあるのは、「性的に欲求されている自分を見て欲しい」なのではないだろうか。だから誰でもいいのだ。恋愛における「相手は誰でもいい」は現実的には美徳でもなんでもないのだが、彼らにとっては真にどうでもいい。惚れた相手に愛されたいわけではなく、誰かに愛される自分を見ている誰か(理想を言えばやはりChadだろう)による尊敬・承認の獲得によって自分を愛せるようになりたい、というのが「誰かに愛されたいだけ」という主張の正体だからだ。だから彼らは、自分は異性に愛されないと苦悶しながらも、女性はすべからく浅く表面的で、そんなものをパートナーとして獲得することに意義を見いだせない、とも毒づくのである。この二つは彼らの中で矛盾しない。
インセルは自分を愛したいのではないか。もちろん、自分を愛したくない人などいるのか?という話にはなるが、彼らの多くは性愛を介さない形のセルフケア、及び自己愛に非常に懐疑的・嘲笑的である。彼らにとって自己愛とは異性からの性的関心の獲得によってのみ得られるものであり、自己愛とは人間に必須のものなのだから、「女をあてがえ」、となっているのではないか。
だから彼らが正しいとか、だから彼らに女をあてがうべきだというのではない。インセルフォーラムの主張の多くは誇張され、歪み、仲間内でのノリが膨れ上がった醜悪なものであり、あなたがもし覗いてみようと思っているならお勧めはしない。ヘドが出るからである。
「ん゛!!!!!!!」のツイートに関して書いてあった増田と大体内容は同じなんだけど、
どうにも推しを好きである事で自己のアイデンティティを確立させたいだけにしか見えない。(特に二次元オタクに関しては殊更)
「〇〇と✕✕の関係性が尊い」だの「△△イベのストーリーで感動して泣いた」だの、どのアカウントを見ても月並み以下の表現しかしていない。
育成ゲームとかやっている人ならば分かると思うが、多くのゲームでは、ストーリー中のキャラクターはほぼ立ち絵のままだ。さらに漫画や小説と違って作れるストーリー数に制限があるため話がトントン拍子で進む。
だからこそ正直、お勧めされてストーリーだけは読んだが、キャラクターが立ち絵のままなため関係性が見えにくく、ストーリーも短い上セリフしかないので変に説明口調で、よく分からず読んだ気がしない。
普段は漫画を好んで読んでいるのだが、漫画では二人の話している表情や体の距離、視線などから関係性が分かるようになっている。そして本編でそこに変化が訪れると確かに「ここの関係性はこの二人にしかないものだな」と思う事もある。
力量不足で立ち絵だけ・会話文だけからは関係性が読み取れなかったのかもしれない。だがストーリーを読んでいる、関係性を楽しんでいるというよりは、台本をそのまま読まされている感覚がした。
いいな、と思う性格のキャラクターはいても尊い!と思える程掘り下げられていない。掘り下げているのであろうストーリーも読んだがそこも薄い。まあそりゃあ練りに練った設定を10話程度(しかもセリフか心情だけ)に詰め込めるわけがない。
よくこんな薄いストーリーとキャラ設定で「尊い」だの「感動する」など言えるな、というのが一番の感想だった。
そして一番驚くのは、twitterのbio欄に好きなジャンルと推しがずらりと並べられている事だ。
そんなに推しというものはポンポン増やせるものなのだろうか。というより、触れた作品全てに推しがいると言われると、「逆に推しを作るために作品に触れてるでは?」と思ってしまう。
先に述べたように、私は漫画を好んで読んでいるが、それらを読む理由のほとんどがストーリーの面白さを気に入っているからだ。
たまに絵が可愛い、好ましい性格のキャラクターがいる、キャラクター同士の恋路が気になる、という理由で読んでいるものもある。
だが、好きなキャラクター、いわゆる推しがいるから読んでいるという作品は一つしかない。
ただでさえソシャゲなんて真っ当に働きながらイベントを走ろうとすれば時間とお金が必要になるのに、そんなに推しがたくさん出来るのか?
やはりいろいろなジャンルに推しというものを作る事で自己の居場所とアイデンティティを確保しているだけなのではないか。
皆が好きと言っているものにはとりあえず触れてみて推しを作ってストーリーについて語っとけ、的な雰囲気を感じてしまったのは私の気のせいなのだろうか。
まあ、いつサービスが終了するかも分からないものによく大量の時間とお金を掛けられるなという感心はした。
※ここでいう女性向け育成ゲームオタクの代表例は姉の事であり、ストーリーも姉のスマートフォンで読ませてもらった。オタク達のアカウントは姉のオタク用アカウントを知っているのでそこから見ただけであり、それが全てとは限らない。
仕事→飽きた
セックス→飽きた
酒→やめた、飽きた
人付き合い→本を読み漁って努力した時期もあったけど自分は雑談や人にさほど興味がないと気付く
結婚→(上の過程で自分は明確に他人に興味ないということが分かってしまったので)どうでもいい
出産→退屈凌ぎでやるレベルのことではない(コスパ的にも道徳的にも肉体的にも)
ファッション→中国通販を知ってからユニクロすら高級に思うようになった
メイク/コスメ→ 美人のプチプラ>>(越えられない壁)>>ブスの諭吉と理解してからこだることをやめた
美容全般→50万のエステより5万のプチ整形と理解してから馬鹿らしくなった
趣味だった映画鑑賞→劇場の没入体験は魅力だがサブスク見放題(月額1000円ちょっと)を知ると一回1900円の娯楽は自分には分不相応だと思った。以来足が遠のく
趣味だった観劇→最前列から見切れ同然の席まで同額とかありえんだろと思った時点から純粋に楽しめなくなった(というかコロナ禍で行かなくても平気だったと気付く)
趣味だったひとり旅→観光客向けのぼったくり店があまりに多くて萎えた、飽きた。(国内のどこも然程景色は変わらないと知ってしまったことも理由)
アウトドア・スポーツ→目的が人付き合いではないのでどれも何回か経験したら単純に飽きた
食→健康志向にこだわるのも飽きた。ただ現代人は食い過ぎだという話はごもっともだと思う
SNS→人の食った飯などどうでもいい
YouTube→上に同じ、教養系は見るが同じ内容が多くて飽きつつある
健康管理→できる範囲の努力はするがそれでも人の致死率は100%だと思うと虚無を感じる
こいつ生きててつまらなそうだなと思われそうだけど実際つまらない。ハマると猿のように夢中になってここまで生きてきたのでこれまではある程度楽しかったのだけど、なんかもう全てに飽きてしまった。
人生は暇つぶしというけれど、これから何で暇をつぶせばいいんだろう。
スポーツ(観戦)→人に興味がないのでどうでもいい、他人の祭り
ギャンブル→一通り経験したがなにがおもろいのかわからなかった、時間と金の無駄という思いが強い
宝くじ→上に同じ
習い事→体系的に知識や専門技術を学ぶ場所ではないと理解してやめた。習い事って『教室』という名前を借りた社交場なんだと気付く、それを求める人たちの集まり(なんでそんなに人は人と交流したいんだろう)
家庭菜園→プロの栽培する大葉の方がずっと美味しいと気付き飽きる
自炊→ある程度できるようになり飽きた
創作→上に同じ、やればやるほど才能の限界を知り飽きる、おそらく承認欲求も薄いので他人に評価される喜びもあまり感じない
宗教→説法にはテンプレがあると高級時計を腕にはめた寺の息子に酒の席で聞いてからこんなもんかと思った。親の葬儀を仕切ったことで本格的に冷めた(布施の内訳を知りたい)。自分は戒名も墓石もいらない、できれば海洋散骨がいい。(八百万の神という概念の懐の深さは気に入っている、だから宗教は一応神道と答えるようにしている。新興宗教にハマる理由がわからない)
人の悩みを聞く→具体的な解決策を提示するなり行動し解決に導く人より、相手の気持ちを肯定し寄り添うポーズを取る人に対して人間は感謝すると知ってから馬鹿らしくなった、なにそれ怖いとすら思う
はてな及びSNSの炎上に参加→人に興味がないのでどうでもいい
人に興味がないことが全ての原因なのかもしれない。どうすればいいんだろう
サブスクじゃあかんのか→Netflixも見るが劇場通いが好きだったから少し趣旨がちがう
投資→ 生活防衛資金以外をインデックスに入れてるから基本やることない、投機に興味なし(マネーリテラシーの勉強はした)
子供/ペット→ どちらかと言えば反出生寄りなので命を自身の成長や暇潰しの目的にする感覚はちと理解に苦しむ。とはいえ子供も動物も好きなので寄付はしたい、将来マインドが変われば養子も大いにありだとは思うし、自分が死んでも世話をしてくれる人間がいるならペットもあり
小説→上手くはないが書ける、上と同じ
整形→した、飽きた、やめ時肝心
アナル開発→男だったら確実にやってた、らんまみたいにお湯をかぶったら男になりたい
俺が悦びを教えてやんよ→たのむわ
倒幕に立ち上がれ→すき
亡き前妻は、それで逝ってしまった→かなしいね、月並みだが奥様の分まで生きてくれ
通院/病気→大病経験済、以来肝が座ってしまった、鬱じゃないよ多分
転職→労働者から労働者にシフトするなら海外移住か起業(後者は向いていない気もする)
出家→前述の通り
ストリップ劇場→楽しそう、行きたい
歌舞伎→一幕見は経験済、コロナが落ち着いたら花道横を体験したい(大向を生で聞いた時は感動した)
「試しにやってみたけど何が面白いのかわからなかった」では? →ギャンブルや不倫はこれにあたるね
ただの三日坊主→経験値0と1は全く違う、三日坊主自体は悪いことじゃない、忘れていたような知識や経験が思わぬところで役立つこともある(Tedのマルチ・ポテンシャライトの概念は救われた)ただ今は三日坊主にすらなれないという話
プロと比較するから悪い→とはいえ餅は餅屋という分野はある、経験した上での見極は大事(香り高い大葉を作るプロ農家はすごい、私にはむりだ)
素人がプロに勝る唯一の武器が時間と愛だろが!→そうだよな、お前みたいな人が近くにいてほしい、すき
お遍路→やりたい
エクストリームアイロニング→なにこれおもろすぎる、やりたい
たくさん釣れてよかったね→前半に下ネタと不倫を書いたら皆読んでくれるかなとは思った(事実だし)にしても伸びすぎだよね
友達いなそう→ははは
捨てるならその命くれ→やだ
■※お礼
哲学やれ2→ 反出生主義を抱えながら脱出するにはどうしたらいいか、というスタンスもあると知った。個人的にこれは考える価値のあるテーマだと思った。あと飽きかけていたYouTubeの教養ジャンルに哲学史が増えたよ、ありがとう
海が山に行け→車飛ばして海眺めてきた、癒
映画館通い再開した方がいい→見る予定のなかったエヴァ行ってきた、(にわかの癖に)綾波の村暮らしやゲンドウの独白が今の自分に刺さりまくってボロッボロ泣いた、映画はいいねリリンが生み出した文化の極みだよ
海外行け→とりあえずTOEICの試験申込むときめたコスパ主義の欠点を生かして受験料を取り返すために勉強に励む(そうしないと飽きるので)
あの日はマジで空っぽになって書き殴ったけど、想像以上に多くの視点から意見が聞けた、ネガティブなコメント含め感謝してる
とりあえずまだ学べることもやれることはあんるだと分かった、ありがとう。
飽きることに飽きたました、人間の致死率は100%なので死ぬまで自分の祭りを楽しもうと思います
こんどこそ終わり
その夫氏の気持ち、めちゃくちゃわかる。俺かと思ったわ。自傷行為こそしないけども。
「旦那が主夫になって妻の自分が働き始めたら男の責任からくる大変さがわかった」
というような内容の投稿があったけど、まさしくその男の責任っていう部分じゃねえかなあ。
そういう状況って多分女の人が思ってる以上にプレッシャーは掛かるんだよね。
家を建ててない俺ですら「家ほしい」って言われるたびに胃がキリキリするもん。
で、その状況で「辞めていいよ」って言われても、じゃあ生活どうすんねんっていう。
自分が働き続けなきゃ今の状況を維持できないのに、そんなこと言われても愛想笑いしかできないんだよ。
どれくらいの収入があるのかわからないけど、生活に余裕がないと余計にね。
プレッシャープレッシャーって言うけど、だからと言って妻や子が枷になっているのかというとそれは違う。
あくまで俺の話だから話半分に聞いてほしいんだけど、妻や子どもってもちろん大変な面もある。
だけどやっぱり精神面を支えてくれる大切な存在だから枷だとは思わないんだよね。
家族を幸せにしたい、美味しいもん食わせたいし、楽しい思いもさせたい。
枷ではないけど、家族を支えなきゃ、ローンを返さなきゃっていうプレッシャーはある。
だからこそ、やり場のないストレスを自傷行為として発散しちゃうんだろうなあ。
だけど簡単には辞められないし、転職だって様々な側面から考えるとうまくいくとは限らない。
職場環境なんかは入ってみないとわからない部分もあるしな。くじ引きみたいなもんだ。
しかもこのご時世だからな。比較的転職が多い方な俺も、今はちょっと避けたいと思うもん。
だから、多分その夫氏からしたら現状は八方塞がりなんだと思う。
せめてそういうプレッシャーから解放される時間が少しでいいから欲しいんだよ。
もちろん、毎日夜一人にしてとは言わない。週に1回、あるいは2週に1回でいいから、
一人でいられる時間があるだけでもだいぶ心に余裕ができるんじゃないかな。
家族に内緒で有給を取っちゃうっていう方法もあるにはあるんだけど、
例えば妻が体調不良で子どもの世話をしなきゃいけないなんていうことも想定すると、
なんつーか、頑張れって月並みなことしか言えないのがもどかしいんだけどさ、
話聞いて、要望を受け入れてあげてほしい。
もちろん、なんでもかんでも無条件で全部受け入れるんじゃなくてね。
それくらいなら平気そうだなっていう範囲でさ。
夜分に失礼します。中谷です。一昨日のまんがタイムきららオープンオンラインで優勝したことを受けて、今まで・大会中に抱いていた思いを吐露してみようかと思います。気持ち悪い部分が多々あるかと思いますので、閲覧される方は自己責任でお願いします。
~開催まで~
自分でも辟易としているのですが、僕は昨年、アニメ『けいおん!』を視聴してから11年を迎えました。当時の僕は小学5年生。『まんがタイムきらら』に触れてからの期間は人生の半分を占めていることになります。時の流れは末恐ろしいものですね。それ以前もゲームや漫画をちょこちょこと読んではいましたが、いわゆるオタクとしての人生はここから始まりました。そこから現在まで、触れていない時期も多かったものの、『まんがタイムきらら』の作品を変わらず大好きでいました。
中高・大学と環境を変えながら、競技クイズにも出会いながら迎えた昨年の5月、コロナ禍で自分の生活が崩壊している真っ只中に当大会の告知がなされました。当時は「頑張りてぇ~」くらいの軽い気持ちでいたのですが、時が経つにつれて「この大会で優勝したい」という気持ちがどんどん大きくなるのを感じ、次第に「何としても優勝したい」に変わるほどになりました。
この大会に向けて準備するにあたり、まず「どういう人がまんがタイムきららオープンで優勝するのにふさわしいか」を考えました。月並みではありますが、僕は「最もきららの作品に触れている人が勝つ大会であってほしい」という結論に至りました。出題範囲は『まんがタイムきらら』と定められている以上、該当する全ての作品が出題されうる大会であってほしいし、そのような大会でこそ勝ちたいとも思いました。
ただ、当時の自分がその条件を満たしていたかと言うとそうではありませんでした。自分が把握しているきらら漫画の体系はあくまで氷山の一角でしかないだろうと思っていました。兄が買ってきた4年間くらいのキャラット・本誌と幾ばくかの単行本・アニメくらいですしね。なので、僕はきらら漫画をひたすら買っては読むを繰り返すことにしました。その過程の中で、自分が持っている漫画を管理するためにKIRARA MENUを全てリストアップするなど、明らかに常人の道を踏み違えてしまったように思います。
『きららファンタジア』は一時期入れたもののすぐに消してしまいました。基本的にスマホゲームに対してあまりいい印象を抱いていないので......。こと『きららファンタジア』においてのみ、完全に公式サイトの情報頼りで知識を得ました。
おかずさんが開催してくださったきららフリバもありつつ、漫画を読み漁り見ていなかったアニメを見つつしていた11月の頃、大会の延期・オンライン化が告げられました。数日前からCOVID-19の猛威が止まらなかったこともあり、どうあがいても避けられない事態ではあったのですが、心にぽっかりと穴が開いたような空虚感を覚えました。
ひとまず予定していた遠征のための準備を全てキャンセルした後、今後の予定を確認すると、大きな選択が迫っていることに気付きました。(今はめちゃくちゃサボっていますが)現在取り組んでいる勉強・3月に控える学生クイズ大会abcの対策・きららオープンに向けた準備。これら三つが共存しえないということです。
結論から先に言うと、僕は断腸の思いでabcを代償にすることを決めました。タスクを同時並行できないという自身の不器用さも関係するのですが、今勉強を疎かにしてしまうと、もう取り返しのつかないことになる気がしたからです。もちろん1月から改めて勉強し直すのも大変であることは重々承知していますが、「この先のクイズ人生の中で大会で優勝する経験なんて一生来ないかもしれないな」という自分の醜い欲が顔を覗いてきたのです。何より、一番思い入れのあるコンテンツに関する大会をふいにしてしまうと、この先自分自身を許せずに責め続けてしまうような気がしました。
オフラインの開催が夢に潰えたことで下がったモチベーションは、そんなこんなでひとまず漫画を読み続けられるくらいには維持することができました。このあたりの時期から、自分でも説明がつかない焦燥感のようなものが常に付きまとっていたように思います。焦燥感は日に日に増していき、自分のきららの知識に全く自信を持てないまま当日を迎えることとなりました。
~大会当日~
いくら生活習慣が崩壊しているといえど、前日から当日にかけては流石に早寝早起きを心がけました。余った時間は『あんハピ♪』の後半を読み返すなどしていました。そんな中大会の始まりを告げる神田君の声が聞こえてきて、そこで初めて「全身全霊で楽しもう」と意識が切り替わりました。
・1R
ペーパーです。前半20問くらいははうんうんと頷きながら解き進めることが出来たんですが、20番代の前半あたりで躓きました。その後は「これ兄が買ってきていたなぁ」と懐かしんだり、「流石にこれは出ないだろ~」と思っていた問題がバシバシ出題されて昂るなど、様々な感想を抱きつつ終始楽しみながら解いていました。本当にいいペーパーでした......。残りの数分は「淑」をギリギリまで考えてひねり出すなどしていました。三上小又さんの由来は知っていたのですが元となった字までは知らなかったんですよね。終わってみてから初めてわかりますが、解答時間が18分に延びてくれて本当に助かりました。
自分が間違えたのは「『ドージンワーク』」「686枚」「新垣柑菜と新垣陽菜」「3500円」「スカート」「ましろ」「仙人ごはん」の7つ。40番以降の問題もちゃんと打ち返せたことがとても嬉しかったですね。作品の内容について問うている「新垣柑菜と新垣陽菜」と「仙人ごはん」、単純に問題文をちゃんと読まずに解答してしまった「『ドージンワーク』」は取る余地があったのかもしれません。
クイズ人生の中で初めてペーパー1位という名誉に預かったので、この時点である程度報われた気分になりました。
・2R
1位なんて取ったこともないので、当然1位インタビューも初めてでした。自分の声はあまり好きではないし話し下手でもあるので、アーカイブを見返すと恥ずかしくて顔から火が出そうです。
早押しについては、ひとまず分かるものを待ってみようと思っていたら『オリーブ! Believe, "Olive"?』問題と『うさかめコンボ!』問題で押し勝てたので勝ち抜け。どちらも数年前に触れていた漫画で、且つクイズの場で正解することなんてないだろうと諦めきっていたものでもあったので感慨深かったですね。勝ち抜けた後も問題を聞いていると、アニメ化・未アニメ化お構いなしに出題され、年代も広く分布しており、まさしく僕が思い描いていた理想通りの問題群でした。開始十数問でそのことが分かり、この大会を100%楽しみきることが出来るよう準備してきて良かったと心の底から思いました。
・3R
アニメ化・未アニメ化を問わず漫画を沢山読んできたので、未アニメ化のコースが答えていて最も楽しいだろうと判断しました。
蓋を開けてみると、開幕から連続で誤答......。本当に危なかったです。後の方の「『二丁目路地裏探偵奇譚』」は覚え間違いで仕方ないとして、前の方の「赤門大学」はただただ不用意な誤答でしたね。以降は誤答しないように注意を払い、「『リリィ』」「『スイートマジックシンドローム』」「千薪」「『女子大生生活様式』」「『空色スクエア』」を正解して勝ち抜け。先ほどの正解と合わせて、見事に一昔前の漫画しかありませんね。僕が一番好きな漫画である『なでしこドレミソラ』の問題はこれ以降も最後の最後まで自分の手に渡りませんでした。悲しい......。
キャラクタークイズ、普通クイズ、ビジュアルクイズのどれもとても楽しそうでしたね。今の自分だと普通クイズはあまり対応できなかったかもしれないですが。ビジュアルは観戦しながら自分でも解いていたんですが、台詞を問うクイズが悉く分からなくて面白かったですね。色々な漫画を読みたいとの思いを優先させたあまり、それぞれの漫画に対する時間は相対的に減ってしまっていたのかもしれません。まとまった時間があれば好きな作品くらいは読み返したいものですね。
・敗者復活
『きららファンタジア』をやっていないので、2問目で普通に間違えました。後夜祭で読んでくださったときも3択問題は全然正解できなかったので、単に3択問題に弱かっただけかもしれないです。つくづくストレートで準決勝に駒を進められてよかったと思いますね。
・準決勝
ボードクイズということで、一癖も二癖もある問題が出題されました。大会を終えて振り返ると、大会を通して一番危なかったのは準決勝だったように思います。後半10問は分からない問題が多く、もし前半で勝ち抜けられなかったら決勝には進めなかったです。それに前半で運よく正解できた問題も難しい問題が多く、自分の行いの何かしらが欠けていたら正解できなかったものばかりでした。せっかくなので、正解した5問についてそれぞれ所感を書いていこうかと思います。
〇カラーページがそのまま収録
最後に『GA 芸術科アートデザインクラス』の単行本が挙げられていたので、その特徴を書けばいいかなと思いました(多分「カラー絵が多い」みたいなふんわりした答え方をした)。『GA 芸術科アートデザインクラス』のカラーページは芸術についての情報に溢れているので、特に印象に残っている方も多いのではないでしょうか。朧気ではありますが、『夜森の国のソラニ』もカラーページが多かったように記憶していました。
〇「エトワリアのサンタクロース」
「『きららファンタジア』初のイベント「エトワリアのサンタクロース」で報酬として交換することができたキャラクターは、サンタクロースの衣装に身を包んだ誰でしょう?(週刊きららvol.3)」という問題を過去に作っていました。『きららファンタジア』を実際にプレイしてはいないのですが、ポツポツと問題を作っていたら正解に辿り着きました。正に「自作は身を助く」ですね。
〇『わかば*ガール』
今までのきららアニメをまとめていた時、このクールだけやけに多いなぁと驚いた覚えがあります。そのクールに放送された3つの作品全てを覚えているわけではなかったですが、前の二つとは明らかに異質なものを答えに残すだろうとの考えから正解することができました。
〇榎戸駿
ふとした拍子にきらら展のあの映像を作ったのは誰なのか気になって調べていたので、「早押しで眉毛と聞こえたら押そ~」と冗談交じりに思っていました。流石に難しすぎるだろうと当時の僕は自分自身に半ば呆れていましたが、まさか出題されるとは思わなかったです。
きららフリバの時に『ゆるふわ革命』が答えになる問題を聞いた覚えがあったので、答えに「きらり」が含むことは早い段階で分かりました。ただ、シンキングタイムの最後まで『まんがタイムきらり』にするか『まんがタイムきらりMAX』にするかで悩みました。悩みに悩んだ末、本作の掲載誌を信じて後者を選びました。掲載誌を信じて良かった......。正解音を聞いたとき、めちゃくちゃガッツポーズしてしまいましたね。
・決勝
準決勝の問題が難しいものばかりだったので、決勝はどうなるのかと冷や冷やしていました。未アニメ化作品についての知識は他の方に負けないという自負はあったので、難しいにせよ易しいにせよ、基本的にはアニメ化されてない作品を待つスタンスで臨もうと思いました。
最初の数問を聞くうち、2Rの問題とそう変わらず最高の問題群だなと感じました。大好きな作品2つをパラレルで並べた「コラージュ」や数年前に出会った作品(『アクアリウム』『ぷらいまりィずむ!』)など、一つひとつを噛みしめながら答えていました。学校の名前がヒロインの名字と一緒だったことで反応した『恋愛専科』を答えてリーチになった次の問題が、
という問題でした。当日に読んでいた『あんハピ♪』、それも当作品の中で一番好きな人物を答えて優勝することができました。ボタンを押して解答するまでの間、これまできららを読んできた日々が駆け巡り、万感の思いでしたね。
~最後に~
「大会のため」という面もありはしましたが、大会の準備期間に膨大な量のきらら漫画を読むうち、改めて『まんがタイムきらら』という雑誌が大好きなのだと気付かされました。『まんがタイムきらら』は創刊以来、「希望、夢、勇気、ときめきを与える」というコンセプトを変わらず掲げています。初めて『まんがタイムきらら』に触れて以来このコンセプトから力を貰い続けてきましたし、この雑誌が続く限り、これからも僕は『まんがタイムきらら』から希望や夢を貰いながら生きたいと、強く、強く思います。
最後になりましたが、厳しい情勢の中開催まで漕ぎつけてくださったスタッフの皆さん、全ての参加者、そして『まんがタイムきらら』に携わった全ての方々に最大限の感謝を申し上げて筆を置かせていただきます。