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2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃん遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-05

anond:20180205154059

春になったら大学生って授業やゼミ・実習、バイトサークルとかで、メンバーが、ちょっとずつ変わるもんじゃないのかな?それに、元増田子は、何かしら誘われたら、足を運びそうなタイプそう。

2018-02-03

anond:20180203110550

税金高齢者を支えている」と思ったら大間違い!

実は勤労世代も5人に2人は逆に社会に支えられている

890~920万円程度の所得があって初めて

社会に貢献している人」

税金を納めているからと文句を言える人」

ということになってしま

やまもといちろうゼミ

https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson2/

2018-01-31

小規模単科大学デメリット

学食がショボい

ゼミ選択肢が少ない

授業の選択肢が少ない

知名度が低い

とにかく設備がショボい

マンモス大学に憧れる

研究室ゼミで誤解を解こうとしたら「それ言うな」と教授に制された

卒論発表に向けて研究内容について議論するゼミがあった.

B4の後輩が発表担当だったんだが,教授(60代)が発表スライド中の図について理解しがたい点があったらしい.その点について発表者の後輩に質問した.

その点についてかくかくしかじかと返答していたが,どうも要領を得ない.教授と発表者の後輩との会話がかみ合っていないようだ.

どうやら後輩は教授に指摘されている問題点を取り違えているらしい.

そもそも教授が指摘している内容は以前ゼミで同様に問題になった内容であり,その後輩もそれを受けて納得できる説明を返していた.

教授と後輩のやりとりはヒートアップし,「そもそも○○(後輩の名前)の研究姿勢には問題がある」「この時期でこんなのも出来ないと何事か」と全員の前で叱る始末.

今目の前で起こっている無意味な後輩と教授の小競り合いをやめさせなければならない.

さっさと研究内容の議論論点を戻して意義のあるミーティングにする必要がある.

から言った「それって後輩君も前も言ってたけど,○○という問題はXXということじゃなかったっけ」

あくまでも後輩向けて言ったつもりの言葉である教授に指摘されてる内容とそれに対する回答を示した.

すると教授が俺に向かって言った「お前!それを言うなよ!」

正直そんな返答があるとは全く予想していなかったから,その時何が言われたか理解できなかった.

俺が発言意図を掴めず唖然とする中,後輩と教授の小競り合いは続いていった.

状況と発言鑑みるに,教授は後輩に「質問内容を正しく理解して適切な回答をする」ということに気付いてもらいたかったのだろう.

この点については以前から教授が口を酸っぱくして言っていたことだった.この姿勢重要性についても十分同意できる.

後輩がその気付きを得るチャンスを俺が潰してしまった,ということになるのだろう.

しかし,今は卒論提出間際で時間が無い.

「私が何で怒っているかわかる?」的な意地の悪い指導をやっている暇があるのだろうか?

アホらしい

無駄地雷を踏んでしまった

この教授が「日本人は全く生産的ではない」と言っているから余計やるせなくなる.

もうこの教授意図を全力で忖度するのがこの研究室の最大目標になっているような気がする.

さっさと就職したい…けど企業でも日常茶飯事なんかな.

でも同じ地獄なら金が貰える地獄のほうがいいや.

2018-01-29

取引先の担当社員をどのようにたしなめるべきか迷っている

半年くらい前から取引先の担当者新人らしい人に代わったのだが、仕事がとにかく雑である関係としては基本的こちらが発注する側、相手が受注する側。取引自体は長年やっている会社

メールレスポンスが悪い。

見積依頼のメールなどを送ったあともすぐに返信がない。急ぎではないのでまあいいかと待ってもなかなか返事が来ないので、二週間くらい経って「あれはどうなりましたか?」と送ると、「現在検討中です」とやっと返ってくる。更に二週間くらい経って「検討の結果いかがですか?」と送ると、「今やってます明日メールで送ります」と返ってくる。検討中なら検討中と返事がほしいし、時間のかかる作業でもないので、忘れていたようにしか見えない。

・待ち合わせや来社に必ず遅れる。

来社以外にも、都合上別の会社に二人で向かうことがある。そのときも道順も知っているはずなのに、毎回5分から10分程度遅れてくる。そして会うと伏し目がちに「待ちました? じゃあ行きましょうか」と悪びれた素振りもない。

・念を押したことを忘れる。

「今回は通常時と違うので、絶対に間違えないでくださいね」と電話口とメールで伝えたにも関わらず、納品時のチェックでそれが分かる。電話で「至急送りなおしてほしい」と伝えると「え? そうなんですか? じゃあ送りなおします」と返答がある。何度も言ったはずだが。

・連絡が遅い。

納品直前になって「納品ちょっと遅れます」と連絡が入る。なぜかと問うと「ちょっと忙しい時期で……」と言われる。日数的な余裕を持って発注しているので遅れることはそこまで問題ではないのだが、事前に分かっている障害ならば、もっと早くに連絡してほしい。


主な点を挙げるとこの4つ。一度や二度ではなく、毎回これが発生する。以前はその人の上司が直接担当しており、そのときスムーズに何もかも進んでいた。そのため社風ではないと思う。

何度かその上司と会ったときにも「忘れられたのかと思いましたよー」とか「もう少し早く伝えてもらえると、こちらも対応やすくて嬉しいのですが」とか伝えているのだが、改善される様子がない。ただメールに関して、当初は担当者同士のみのやり取りだったが、必ずCCでその上司が入るようになった。

その新人の彼の名前検索してみると、大学時代ゼミリストが出てくる。恐らく本人だと思う。年度を見ると自分と年が同じっぽい。彼に経歴を聞いたりしたことはないため、新卒なのか中途なのかまでは分からない。相手結構大きい会社なので、異動で最近来たのかもしれない。自分も異動で今の部署に配属されており、入社からずっとやっていたわけではない。しか社会人年数は恐らく同じなのに、何でこんな簡単なことができないんだ、とは思う。そういう病気か? 病気だったらどうすればいいんだ。

相手が社内の人ならきちんと「こうした方がいい」とはっきり伝えられるが、社外の人に対してそのように言うのはどうなんだろう。というか、今までも遠回しではなく、ある程度はっきり伝えてきたのだが、どうにも変化がない。現時点でもメールが滞っている。もちろん急いでいるなら電話で急かすのだが、一応余裕はあるので待っている状態だ。

タスクが宙吊りになったままになっているのが嫌だし、もちろん取引先はそこだけではないので、なるべくてきぱき仕事を進めたいのだがどうすればいいんだろうか。

anond:20180128230623

私は長岡教科書と白チャート、平行してアオイゼミだった。

教科書教科書ガイド、傍用問題集(と解答集)が割とメジャーらしい。教科書を扱ってる書店で売られてる。

金をかけたくないなら、Youtubeに授業動画が転がってるし、教科書レベルなら解説サイトが色々ある。

高校数学の美しい物語受験の月、KIT数学ナビゲーションなど。

2018-01-24

大学図書館にまともな本が無い

司書の話がバズってるので便乗して書き込み

とりあえず、ここで伝えたい事はブコメトラバで「皆さんのおすすめの本を教えてください」ということです。

↓以下駄

大学情報系の学部にいるんだけど、設備が酷い。

学内無線が通ってないどころか、作業スペースも1GB もないかUSBを持ち歩かなきゃいけない。

というのはまあ慣れるんだが、図書館に本を借りて勉強しようとしても、情報系まともな本が置いていない。

大学の利点といえば、高い本をただで何冊も読めることだと思っていたのに、なんだCS5フォトショイラレ2010年頃のMOS教本ばかりが並んでいる。

挙句の果てにはiPhoneの使い方などの本ばかり。高校のほうがもっとマシな本が置いてあった。

ということで最近友達と結託して図書館に何冊か技術書などを買ってもらえるように届け出を出している。

最近届け出を出して入った本は、リーダブルコード・入門 Python 3・みんなのPythonGitが、おもしろいほどわかる基本の使い方33Atom実践入門など色々ある。(友達が凄い出してたけど、僕はあまり把握しない)

僕の周りはとりあえずPython適当数学計算とか、あわよくばアプリ開発などをしてみようと思って活動しているかPythonの本の届け出が多い。

だけど、他の知り合いや他ゼミの子の話を聞くと、プログラミングをしたいけど何から始めたら良いかからないと言う子が多かった。

から、何をしたいか決めて、言語も決めて(気に入らなかったら変えても良い)とりあえず何か初めてみようと言う提案をした。

自身Pythonの次はRubyもやってみたいと思ってるからもっと他の本も欲しい。

こういう活動をしていたら、情報系の学部生はあまり図書館に届け出をしないらしく、だから本が足りないと司書の方に教えてもらい、何か必要な本があればドンドン教えて欲しいと言っていただけた。

から大学初心者から上級者までとりあえず幅広く(出来ることな就職してからも苦労することのないように)対応できる本を入れてもらえるように申請を出そうと思ってる。

でも、僕の知見は広いとはいえず、出したのもそのGitなどの本ぐらいであまり貢献できてない。

はてなにはエンジニアの方などのユーザーが多い印象があるので、ご教示いただければ幸いです。

大学卒業できなくなった

卒業論文を提出したら「これでは単位を認められない」と指導教官教授)に言われた。

認められないと必須単位がもらえず、留年または中退となる。

わたし哲学を専攻していたが、学ぶうちに「おもしろいけど意味あるんかなー」みたいな疑問が湧いてきた。

そのうち2年になり3年からゼミ研究テーマも決める必要がでてきた。

わたしは少し考えて一番世の中に役立っていないと思われる研究をしている先生指導教官に選んだ。

特定されそうだが、その先生中世イタリアオペラ美学みたいな、

「それ日本人研究する必要ある?」みたいな誰もが疑問に思うテーマ研究していた。

3年生の間は原著論文にもあたり、まじめにやっていた。

4年生になり、自分卒論テーマを「日本にやってきたオペラ大衆芸能との関連性」とし、

相互に与えた影響などを調べて、そこそこの評価を得た。

あとは推敲校正して出すだけでよい段になり、ふとこんな無意味なことをやってていいのかな

という当初の疑問をもっていたことを思い出した。

そこで、いままでやっていたことは無視をし、

年末年始の間に、「いか日本人イタリア文化研究することに無駄が多いか

というテーマリライトした。

そこで1行目にもどることになる。

話し合っても、認めない教授には、

「ここでわたし卒論を認めないと、2年間のあなた指導が役に立たなかった証明になりますよ」

と言ってやった。無言だった。

2018-01-23

anond:20180122222620

ゼミによると思う。教員指導力とか、運でこういう空気は成立させられてしまう。

さすがにまとめサイト云々を見るとマーチよか下だろうかと勘繰ってしまうが

2018-01-22

anond:20180122222158

流石にニッコマレベルでも真面目連中が集まるゼミならこれよりナンボもマシでしょ

2018-01-21

異世界ペルーの思い出と共に

過去に一緒に仕事した人の中に、地方ワンゲル出身だった人がいる。その人は海で釣った魚を自分で捌いて食うのが趣味だった。無人島に一人で何泊かしたり、一週間連続風呂に入らないで爪真っ黒で会社に来たり、居酒屋で刺し身喰ってみんな食中毒になったのにこの人だけ平気だったりとちょっと変わった人だった。無人島の話を聞いた時に、学生だった頃ゼミの先輩が探検部だった事を思い出した。この人が言うには「W大探検部は突き抜け過ぎて有名ですよ、憧れてました」というくらい凄い部らしい。確かに死者も出したしな(後述)。

 探検部の先輩の話はすごかった。中国少数民族自治区に行った時は、日本パスポートではまず入れてもらえないから偽造パスポートで入って、でも出る時は少数民族パスポートでは出る理由尋問されてバレるから日本パスポートで出ようとしたんだけど、入境した記録がないからしばらく拘束されて大変だったとか、当時まだ鎖国してたラオスに入った話とか、ゲリラと一緒にマシンガンを撃ってきたなんていう自慢もしていた。「英語で"Hello"なんて言った日にゃ撃ち殺されるところもあるからな」とも言ってたけど流石に盛ってるだろそれは。

 という話を同級生のTにしたところ、「俺もすげー探検部にお世話になってる」と言い出した。こいつはカヌークラブ(だったかな?)だったんだけど、こいつも異常だった。子供の頃からの夢が「アマゾン川カヌーで下ること」だったといい、カヌークラブに入ったのはカヌー技量を身につけるためで、探検部にしょっちゅう顔を出して過去の先輩がアマゾン川に行ったとき情報勉強させてもらって、この前の夏休みペルーに行ってきたところだという。

 この話の数年後、"ペルー早稲田大学探検部員殺害事件"が発生する。Tが殺されていたかもしれないし、逆にTが探検部に提供した情報が彼ら被害者の興味を惹きつけてこの事件が起きてしまったのかもしれない。もちろん事件で悪いのは加害者だし、Tがしたことに非があるとは思っていない。そのTの話がとても興味深いものだった。

 彼はペルーでの日々を日記に書いていた。俺はそのコピーを一部もらっていたのだが、残念ながらなくしてしまった。おそらく実家引っ越しの時に捨てられてしまったんだと思う。もしTかこのコピーを持っている人がこれを見たら是非連絡してほしい。次の話から当時の記憶を頼りに少しずつ書いていこうと思う。

2018-01-18

「勝たないと気が済まない人」の増加

「ゼミの方針は何?」と訊かれた。あるとしたら、「論破禁止」。だって、誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから。 - Togetterより。

高橋源一郎さんのツイート: "この前、ある人から「高橋ゼミの方針は何ですか?」と訊かれました。一つあるとしたら、「論破禁止」ですね。だって、誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから。そうならないようにです。もちろん、これは自戒としていうのだけど。"

ネット上でも、良く「論破」という言葉を使う人は居る。
そこで、「論破」という単語辞書で引いてみた。「議論して相手の説を破ること。言い負かすこと。」と書かれていた。
相手を負かす事」なのだ

2chTwitter等が普及するに連れて、ネット上での会話で「論破」を好む人は増えたと思う。
言い換えれば「相手を負かす事を好む人」…、「勝たなければ気が済まない人」だ。
いや、そういう人はネットが普及する以前から存在したのかも知れない。だが、ネットが普及する前はそういう人が目立つことは無かったのだろう。

「勝たなければ気が済まない人」の増加に対して思う、「勝つ事に固執せず、偶には負けてみても良いんじゃないかな?」

少し違うけれど、似た様な事を書いている人が居た。
ネット社会の弊害と利益

2018-01-16

anond:20180115192216

しょせん「本気」「熱意」なんて気持ち問題証明なんかできやしないのだから、段階的に往復するようなやり取りがあった、というくだりを仕立てるのがいいと思う。

言い換えると、「建設的な取り組みをした分野」でいい。

  • バイトの例
    • 塾の講師をしていて、生徒から質問や彼らの成績の変化を見て、指導に反映させていくと、良い反応があった(成績が伸びた)ので、それを別の生徒にも……
  • ものづくりサークルの例
    • 販売している時に、お客さんの反応を見て、次はこういうものを作ってみようと思えた。そして実際に要望があったものを作ったら、それをまた届けることができ……

まり、「自分活動」「他人への影響」までで話を止めずに、「その時の相手の反応」が「次の自分の行動を変えた」というところまで話す。かんたんに「本気っぽい」「まじめっぽい」になる。

これが表れるなら、お題目はなんでもよくて、人間関係の話でもいい。

自分にとっては人間関係をとても大切にする時期だった。友人の悩みを聴く機会があり、自分が思うことをきちんと、ていねいな言葉で伝えると、やはり友人の気持ちが楽になったり、あるいは一緒に次の行動につなげていけた」的な。いや、これはあんまりうまくないけど。

書いてて思ったけど、これはPDCAサイクルだな。その「サイクル」のところにフォーカスしてみる、というのをひとつおすすめしてみます

anond:20180115192216

ごめん揚げ足取って申し訳ないんだけど

「知ったこっちゃない」ね。言わんこっちゃないと混ざってるんだろうけど

それは置いといて、ゼミのことを上手く話せば何も問題ないと思うよ。

女性文系で、御行と言っているか銀行一般職勝手仮定するけど、

周囲大手銀行一般職行った子はみんな取り立てて何かに取り組んでる様子なかった。バイトほとんどしてなかった。

その代り、増田のように言われたことならそれなりにまじめに取り組める人。だから就活にもまじめに取り組んでたんだろう。

2018-01-15

本気で何かに取り組んだことある

ない。なくてもそう困らないだろうが、困っているので書いている。

就活である

学生時代に力を入れたこと、すなわちガクチカを3つは用意しとく必要がある。たいていはバイトサークル学業

もうこの1年ずっと悩んで、延々と悩み、悩んでる間に何かに取り組めればよかったのだろうけど、まあそんなことはなく、そして今死にそうになっている。

適当に嘘でも書ければいいのだが、やったことがないのだから全く想像出来ないし、就活サイトに載ってるのはやれ部活大会だであまりに現状と離れておりどうしようもない。

ほんとやばくて、支離滅裂なのは分かってるけど、なんかもう、なんでもいいから、増田に助けてほしい。助けてください。



バイト

塾講やってる。嘘。やってた。都合が悪いので続けてる体で行く。

塾講ってさあ、どこに本気出すの?ないし努力するの?

教材は塾が用意してるし、誰がどのテキストを使うかは塾長の指示だった。

教材作ったことにしてもいいけど、もし「見せて」なんて言われたら詰むので、そこは諦める。

ぶっちゃけ本気を出すのは生徒の方だ。

いかに本気を出させるか?勉強モチベをキープさせるか?なんて問うことは出来るけど、んなもん、こっちの知らんこっちゃない。

それは親と学校仕事だ。

塾はあくま勉強の補助(うちはそういう塾だった)で、せいぜい週に一回会うぐらいのバイト子供にしてやれることなんて何もない。

そいつの成績が上がろうが志望校に受かろうが、結局そいつがちゃんとやったってだけで、こっちには何の影響もないんだよ……

困った。


サークル

ゆるい物作り系に入ってる。もうこの時点で詰んだ気がする。詰んでる。でも体育会系とかなんか人多いとことか無理して入ったら、きっと私のことだ、辞めてただろう。しゃあない。

大会とかない。これと言った仕事もない。

学祭で作ったもの売ったりとかはしてた。あ、これアピール行けるっぽくない?

でも何をどうアピールするんだ。そりゃ作ったからには売るだろ。

別に売上の目標とかないし、そもそも売るためじゃなくてなんとなくの集まりだし。

一応合宿もあったけど、日程決めて宿を取るくらいしか仕事はない。

ちょっと前ならその日程決めだって大変だっただろうけど、今はラインカレンダーに丸付けたらおしまいだ。

困った。


学業

言うまでもない。

いやまあ、GPAは4超えてるし、成績は悪くはないと思うが、特別良いとも思わない。周りのGPAもそんなもんだし。普通

レポートは言われた資料読んだり美術館行ったりでちょろちょろって書けばよかったし、試験は一晩か二晩徹夜すれば成績来るような授業ばっかり取ってた。

なので「じゃあこれ知ってる?」なんて突っ込まれたりしたら一巻の終わりである

あ、ゼミグループ論文があったけど、まあそれは苦労したけど……

苦労は苦労でも、フリーライダーが多かったとかリーダーと連絡がつかなくなったとか、アピールしたらまずい苦労である

困った。




とりあえず思いつくだけのガクチカを挙げてみたけど、なんというか、ダメである

いやほんとどうすればいいんだろう。

からボランティアでも行く?どの?何のために?手遅れである

なんで今さらこんな困ってるかって、週末に模擬面接があるからだ。

短期インターンエントリーだったら何となくそれっぽいこと書けばよかったけど、流石に模擬面接でそれはやや困る。いやかなり。

人事の方も「とりあえずガクチカ深堀りする」って言ってたし。

まあ最悪上手く答えられなくても、本面接ときにちゃんと出来てればいいのだろうけど、それでもやっぱりある程度ちゃんとしておきたい。

私は御行に入りたいが、御行は私でなくてもいいのだ。

企業が「こいつなら雇ってやろう」と考える何らかの基準があって、それを満たしてるかはかるためのガクチカなのだ

からこんなんじゃどこにも入れない。それは困る。

私には趣味があって、それにお金がかかるので、お金が欲しい!!!働いてでも!!!

御行の収益やすので雇ってください、と言っても雇われないだろう。

だってこんなガクチカじゃ、到底売上に貢献出来るような人材には見えないし。

しっちゃかめっちゃかだし、どうしろってんだとしか言えないだろうけど、とにかく助けてください。

2018-01-14

黒塗りについての学者見解

ゼミで聞いてみた

まあ、名前言えばみんな知ってるくらいの大学社会系の学部

詳しくは身バレが嫌なので控える

曰く、肌の取り扱いについても文化の差が大きくて

白人黒人マジョリティの国ではお互いを真似ることができない

からこそ明確な断絶が起こる

一方、東洋人がマジョリティの国では白人黒人の肌の色を真似ることはごくごく当たり前の文化として定着してる

この文化の違いについては、学術的に答えが出てるらしい

文化相対性と言ってどちらが優れてるとか劣ってるってことはない

もの食べるのに、手で食べる箸で食べるフォーク食べるのに優劣はつかない

から、肌の取り扱いについても他の文化圏での取り扱いに口を出すべきではないし

どちらかに合わせるべき物でもないということになるらしい

俺はなるほどなと思ったんだが、かしこはてな民はなにか反論できる?

どのゼミに入るか迷っている(慶應義塾大学商学部

昨日、ゼミ説明会に参加してきました。

「何かを身につけて卒業できること」「ゼミ生の雰囲気が良いこと」などを条件に絞り込み、50近くあるゼミの中から、今5つのゼミで迷っています

http://news.fbc.keio.ac.jp/~fbc-zemi/seminar.html

小野晃典研究会

http://news.fbc.keio.ac.jp/~onosemi/

学生の本分は勉強であることを考えると、しっかりと学問に励めるという印象です。学会での発表や、大会への出場、英語論文など、本当に充実しているゼミだと思いますゼミ生の方が、自信を持って説明しているのが好きです。

清水研究会

http://www.keio-shimizu-semi.com/

高校生の頃、オープンキャンパスにも参加したことがあるゼミで、やはり教授ゼミ活動内容が面白すぎます所属しているゼミ生の方も、学生生活を充実させているようで、キラキラ眩しいキャンパスライフにも憧れます

山本研究会

http://isamuyamamoto.com/wordpress/

ゼミ生の方の振る舞いがゼミの魅力をまさに体現されています。私の話を聞きながら、何を話せばより良いゼミ選びができるかを一緒に考えてくださり、ゼミ生の方とお話しする度にゼミ選びが前へ進む実感があります経済学あくまツールというのも共感しています

・田邉勝巳研究会

http://news.fbc.keio.ac.jp/~winsnake/professor.html

オンとオフの切り替えができる、スマートで要領のいいゼミ生ばかりでかっこいいです。三田に入るとすぐに就職活動が始まることを考えると、身につく力と、得られる意識の高い仲間がものすごく魅力的です。アットホーム雰囲気も好きです。

牛島利明研究会

http://gyuzemi.jp/

学問領域にとらわれず、「社会」を意識して、学生からこそできること、学生のうちに身につけておくべき力を大事にしているゼミだと感じています。どのゼミ生の方も個性的で行動力があるところが好きです。

これらのゼミ卒業生の方がいらっしゃれば、実際の経験を踏まえたアドバイスいただきたいです。

その他のアドバイスも大歓迎です。

2018-01-11

友人のLINE自己紹介欄が凄かった。

親戚への当て付けとしか思えない内容。

彼女の連絡先を知ったのは大学ゼミで。最初の一度だけ、交換したような気がする。

明るい髪色で、ゴスロリのような格好でアイラインのどぎつかった彼女。ボソボソと吃り、何を言っているのか聞き取れなかった。

家庭内不和があったんだな。でもそれを内外に知らしめる彼女は酷く惨めに見えた。

同時に、自分も怒りをSNS上に吐露する形で発散しても良いのだと気付いてしまった。

体裁を傷付けないやり方で。赤の他人から励ましが来ない方法で。だって、憎い人は憎いもの自分が一番可愛い

2017-12-31

anond:20171231142351

外の先生は何も言わない。

中の先生も何も言わない。

教官も優しい。

そして、永遠に終わらないポスドク生活

中の先生批判が無かったら、人生詰んじゃう学生大量生産されると思うから

スレ元の批判なるもの必要ものだと思うよ。

公衆面前で、仮に"ケチをつけただけ"なら、ちょっと理解はできない。

人の目が全く気にならない人なのか、いやな奴、ケチをつけるような奴と思われたい人なのか?

私のいた大学でも、論文発表なりゼミ輪講なりでも基本的に叩かれてたし、教官の務めの一つかと思うけど。

逆に学生程度が、発表で褒められたら気持ち悪くてしょうがないし、そいつはむしろ見捨てられてるんだと思うわ。

(もちろん、やさしい先生もいたけどね。)

あくまで私の考えではね。

"指導教官"に嫌われて卒業一年延びた知り合いがいたけど、あれはアカハラだったんだろうと思う。

中身の詳細までは知らないから、はっきりとは言えないけど。

アカハラパワハラはいかんよ。というか、そういうのは反吐が出るほど大嫌い。

ただ、いかんだ嫌いだ言ったところで、何にもならない。

というか、悪いけど、これがアカハラかと大いに疑問。

落雁

2017-12-27

未熟者、クリスマスに振られる。

28歳にして、初めてのちゃんとした彼女だった。



相手はかなり高嶺の花だった。同い年だが、かなり格上だった。


今年の5月ごろにアプリ出会い8月から付き合い、落語バレエミュージカルと楽しく過ごした。

クリスマスイブも楽しくデートして(正確に言うと、したつもりだった)、翌日のクリスマスの夜に振られた。

年末にかけてあまり会えずにいて、予感はあった。

付き合う前に、相手Amazon Primeおすすめ映画として「(500)日のサマー」をあげてしまった。まぁ、その辺りからそんな結末の予感はあったのかもしれない。

絶対にうまくいかないなぁ、などと考えてしまっていた部分はあり、自分自分で嘘をついてしまっていたのかとも思う。

とまぁ、強がってはみたが「振られた」と言うショックは自分の生きてきた28年間の中で初な訳で、尋常ではないダメージを受け、かなりボロボロな感じである。(仕事には支障をきたさぬようにせねば)


しかし、そのショックを受けたことで、改めて自分自身を気付かされた。

中途半端で幼稚であまちゃん」な自分を。


改めて生まれてこのかた、なんとなくで大体であったんだなぁと思う。


幼少期にヴァイオリンを仕込まれ、好きでもなくなんとなく続け、ヴィオラになんとなくたどり着く。なんとなくなので、結局のところさほど上達もしていない。速いパッセージ日和るし、音程も外すし、そもそも読譜尋常じゃなく苦手だ。幼少期の指番号で弾く感覚のままなので、弾いててすぐにお手上げになる。

どこかで、歩みを止めて変えなければいけなかった。ただ、してこなかった。


中学受験に塾に通わされ、ドリルなどさほどやらなかっったが、なんとなく慶應入学した。しかも補欠合格だった。それから、何か究めんとすることもなくただなんとなく過ごした。

中学自由研究では賞をもらったし、高校の時には論文が全校生徒から選ばれ冊子に載った。すごく頑張ったと言うか、なんとなくやって、グータラして乗り切れてしまっていた。

そのままエスカレータで、大学に入った。経済学部だった理由は多分明確にはなかった。なんとなくカッコ良いかである。そのまま、普通に進級した。3年になった時、就活を目の前にして自分の中に迷いが生じた。このままで良いのかと。そして、留年した。


留年したら、何か変わるか。

そんなことはなかった。


元来の自分の人付き合いの苦手さが増し、ゼミもなんとなく抜け、授業にも一切いかなくなった。

2回目の3年は、多分一切単位を取らなかったと思う。当然また留年した。

そして、3回目の3年は卒業しなくちゃと言う気持ちで通った。なんとか4年になった。

ただ完全に人とは話してなかったと思う。コミュニケーションがとにかく苦手なのだ


心配した母親セミナーに連れ出し、そこでの恩師との出会いから多少元気になり4年の後半社会復帰し、人との交流もする様になった。

ただ、就活をしていなかったため、独学で公務員を目指すと言う名のもと空白期間をし、試験の落ち着いた夏就活をしてみた。公務員試験勉強の数的処理がIT親和性が高そう、なんかITかっこいい。そんな感じで、面接を受け、今の会社へ入った。小さい会社だが、社長が魅力的な人だった。


そして、社会人生活が25歳の秋から始まった。


ITと言うと聞こえは良いが、SIer下請け孫請けと言う様な会社だった。クラウドシステム構築を行った。1ヶ月目にはテスターとして駆り出され、4ヶ月目には大手SIerに常駐した。

駐中コミュニケーションが苦手で、人に聞いたりするのは苦労した。

1年がたった頃、常駐を終了し、自社での持ち帰りの開発案件に参画した。

とにかくがむしゃらに働いた。

10から24時、土曜・日曜日も出たし、徹夜作業もした。


開発は楽しかった。

ただ、その中でもやはりコミュニケーションは苦手だった。人に聞く、相談するのは苦手だった。

開発の他に、テスターマネジメントを頼まれたが十分に期待に応えられたとは言えなかったと思う。


結局自分自身マネジメントできていない。なんとなく辿り着いて居るやつには、人を管理すると言うのは荷が重かった。遅延させ、徹夜&増員で事態は乗り越えた。


その後、去年27歳の秋、とある大企業に常駐する様になった。

常駐先の男性のチームリーダーがとにかく魅力的だった。パワフルで、カッコよかった。

緊張しながらも、意見をしていき、そのリーダーに認められ、案件としても拡大していき、自社の仲間も一緒に常駐するまでになった。


そのリーダーは色々教えるのが好きで、本当に色々教わった。

自分も成長した気でいた。


そして、今年の5月彼女出会った。

ちょうど自分に自信がついてきていたし、付き合うとこまで行ったのだろう。


そんな5月、憧れのリーダー転職を決めて去って行ってしまった。

ショックだったが、仕事はそう言うものなのだろうと思い、自分がそのリーダー役割をと思ったが、所詮は成長した気だけであり全然ダメだった。

要件定義マネジメント能力・育成・ロジカルどれもこれも未熟者半端者だった。元来のコミュニケーションの苦手さが原因かもしれない。

プロジェクトがポシャったり、遅延したりした。


とまぁ今まで大体が、なんとなく流されてたどり着き、失敗してもそれで良しとしていた。

中途半端でちゃんと継続して地肉になっていない、変わっていないそんなまま、今になっていた。


プロフェッショナルとしてとことんやっていたのか。

ちゃんと成長してきたのか。身につけてきたか

ダメだったのだろう。不十分だったんだろう。


自分ダメさが、彼女に振られることへ繋がったのだと思う。


職場が元リーダーがいなくなり刺激的でないとかは言い訳だろう。

自分が至らない部分が多いのだろう。

自分自身に甘えて居るのだろう


しっかりと目標を立てて、考えて計画して行動する。成長する。


来年クリスマス、その時もおそらく彼女はいないと思う。ただ、ちゃんと成長した大人になった自分になっているはずだ。そして、振ってくれた彼女にも感謝できるくらいの器量はありたい。

20代もあと2年弱。もう時間はない。

2017-12-26

K先生のこと

私は某大学経済学部のKゼミ所属している。数ヶ月前、ゼミスピーチをするという話になり、私はゼミ指導教員であるK先生のことについて喋ろうと思った。口下手なので原稿を書くことにした。しかし、スピーチは結局無くなってしまい、そして今日まで原稿を書いたこともすっかり忘れていた。

今日、そのK先生学食で見かけた時に、原稿存在をふと思い出した。これを書いた時の気分がよみがえってきたので、その原稿をここで供養した次第である

普段、何かを書くとき時間をあけて冷静になった目で推敲を重ねるのだが、これだけはどうしても書いた時の気分を残したかったので、このまま載せることにした。そんなわけで読んでくれるひと、読みづらかったらごめんなさい。

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K先生のこと

みなさんはKゼミに入ってK先生に何か教えてもらったことはありますか。

僕が思い当たるのは、レポート発表の後のコメントばかりです。あるいは中間報告での指導とかも。正直、僕はこれといって何かを教えてもらったことはない気がします。K先生はあまり教育に熱心な先生ではなかったと思いますしかし、K先生から学んだことはたくさんあります今日はその中のひとつエピソードを紹介します。

僕は学食晩ご飯を食べることが多いのですが、たまにそこでK先生を見かけることがあります。四年間の学生生活で五十回は見かけたと思います

K先生を見かけるうちに、あることに気付きました。先生はいつ見かけても本を読みながらご飯を食べているのです。本を読まずにご飯を食べているところは、僕の知る四年間でただの一度も見たことがありません。一度も、です。十回見かけたくらいまではすごいなあ、とだけ思っていたのですが、二十、三十を超えると軽く感動を覚えました。

こんにち、ご飯を食べながら本を読むような学生先生を見かけますか。いつ見ても片手に本を携えているのはK先生以外見たことがありません。

行儀が悪い、といえばそれまでですが、学問教養に対する向き合いかた、ご飯を食べているときでも本を読んでなにかを吸収しようとする知的純粋さのある姿勢を見て、心底尊敬しましたし、僕もそうなりたいなあ、と思ったものでした。おそらく当の先生はそんなことは露も知らなかったと思いますが。

最初の教えてもらうことと学ぶことの話に戻るのですが、教えてもらったことというのは案外すぐ忘れる気がします。僕は毎回のK先生コメントはあまり覚えていません。みんなもきっとそうだと思います。でも、自分で学んだことというのは自分の中で深く根差している気がします。僕が暇さえあれば本を読んで何かを吸収しようという姿勢になれたのは、K先生のその姿勢を間近で見ることができたという幸運のおかげでもあります

最後になりますが、僕の好きな哲学者ウィトゲンシュタインというひとがいて、彼が「語りえぬもの存在する。それはただ示される」というようなことを言っています本来文脈とは異なる解釈になるのですが、教養の意義を説いては本をたくさん読めと言われるよりも、黙ってただ本を読む背中を示す先生を一度見る方が、本を読むとはどういうことかを学べるのではないでしょうか。そのような、ただ示される姿勢――大げさに言えば生き方は、誰かの語りから教えてもらえるものではなく、自分勝手に学びとるしかないものだと思います。そして僕はK先生学問教養に対する姿勢を見て学ぶ機会があっただけ、この大学に来てよかったなあと思えます

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もしもこのスピーチが実現したとしたら、何しろ口下手な私のことだから、それはきっとつまらなく冗長ものになっているだろう。実のところ、私はK先生を本当に尊敬しているということを、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。

K先生はあまり目立つ先生ではないのだが、学部先生の中では一番すごい先生だと思っているし、そのすごさにみんなが気付いていないことがなかなかもどかしく、これを書いたのかもしれない。とすれば、その想いはここで達せられたことになり、そして、いつかほとぼりが冷めたころ、K先生には何も言わないままこの記事を消すのだろう。

IT企業をやめた話

 IT企業を辞めるまでの体験談をここに書こうと思う。

 3年前の大学4年生の4月、まだ内定がなかった。同じゼミ就職希望組は全員内定があったこともあり、相当焦っていた。大学内で会社説明会が行われる時は積極的に参加した。5月最初内定が出た。自分内定が出たことにより安堵してそれ以降の就職活動はやめてその会社に行くことにした。

 2年前に入社式があり、当時は社内でプログラミングし、何かシステムを作るんだなと漠然と思っていた。だが現実は違った。入社式のあった週の金曜日大阪に行くことになった。大阪に行き面談し、客先での了承が降りればその会社が勤務先になるのだと言われた。当時は相当混乱した。IT企業正社員内定=社内で作業と思っていたのだ。実際に金曜日大阪のある会社に行き面談を行った。面談で言われたことはCは出来るかということや長時間働くことは出来るかのような内容だった。自分はCに関しては大学の授業でやった程度なら出来ると答えた気がする。それ以外のことは確か元気が無さそうに否定的なことを言った気がする。正直もうほとんど覚えていない。結果その会社に行くことはなかった。

 

 次に別の会社面談することが決まった。2社目の面談が決まるまでは社内でCの勉強をしていた。面談ではpythonは出来るかと言われた。当時の自分pythonをやったことはなかったが一生懸命がんばりますと言ったら受かった。2週間後からはその会社派遣契約で行くことが決まった。そしてここは8ヶ月で終了となった。この8ヶ月間はほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 次の会社面接するのは2ヶ月後だった。Androidの開発のプロジェクトに参加するということで、大学の授業でJava勉強をしていたのでそこに決まった。だがここで主に行ったことはCentOS環境構築とドキュメント作成だった。Javaほとんど使わずに5ヶ月で終了となった。この会社はおそらくSES契約だった。SES契約についてはあとで説明する。ここにいた5ヶ月間もほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 3社目はC#を使う会社だった。小規模な社内で使うツールを1から開発するというプロジェクト技術者的に成長できるだろうと思っていた。このプロジェクトも客先での作業だった。ここで作業していて最初は忙しかったが、段々他の人の作業を待つことになり時間が出来た。時間が出来た結果、帰属意識を考えるようになった。自分はいったいどこの社員なんだろうと。自社の正社員なのだろうけど、実際に行く会社も違うし、指示を受けるのも他社の人で自社との関わりは数カ月に一度様子を見に来るのだけだった。

 ここのプロジェクトに参加したときプロジェクト説明が書かれた紙を渡された。その紙のあるところにSES契約と書かれていた。自分なりにSES契約について調べた結果、派遣契約をせずに派遣として他社の社員を使うものなのだろうと判断した。正確にはみなさんの自身の手で調べてほしいと思う。そしてこのIT業界では殆どプロジェクトでこのSES契約が使われていることを知った。

 3社目も5ヶ月で終わった。

 4社目はJavaを使い、大規模システムの一部機能の開発を行うことだった。2社目と違い、本当にJavaのしかもかなり難しい知識必要となり、かなり勉強になった。だが、ここもSES契約で客先での作業だった。この頃になると自分自分の働き方に嫌気がさしていた。正社員入社したのに実質派遣という。同じフロアの別の人を見れば正社員で、しか客先常駐せずに働けているのに何が違うのだろうと。結果は自分の入った会社が間違えていたのだと知った。そのため今月で辞めた。



 ここで一つ謝らなければならないことがある。タイトルにはIT企業をやめた話とあるが、正確にはSES企業をやめた話であるIT企業をやめた話にしたほうが沢山の人が見てくれると思うからこのタイトルにした。

 この業界にいたからわかるのだが、SES契約をメインの事業として収益を上げるのと、自社システムを開発して製品として売るのではまったくビジネスモデルが違う。SES契約のメインの事業は単なる派遣である。だがITに詳しくない人(別業種)からすれば全てIT企業として統一されてしまうのである

 自分プログラミングが好きだから約3年間働くことが出来た。だが、同じ業界自分と同じ状況で働けなくなった人を何人も見てきた。今SES契約メインの会社で働いている人は本当に今の働き方(派遣のような働き方)でいいのか考えてほしいと思う。

 今大学生でこれからIT系に行く人は自分と同じ目に合わないでほしいと思う。実質派遣なので勤務地はコロコロ変わる。3社目から通勤時間が片道2時間を越え、まともに睡眠時間を確保することができなかった。通勤時間が長かったのもつらかったが、それ以上に暇なのがつらかった。客先での作業を例えばその月の10日に終えたとして次の案件が来月に始まるとしたらその間ずっと放置であるさらにその上に日報週報の提出を求められれば何も書けないのである。それ以上につらかったのが、PCが用意されていなかった時である。その会社プロパー作業PC申請が遅れた結果、プロジェクト開始と同時にPCが用意されておらず、PCが無いけど定時まで客先にいてくださいと言われた時はほんとうにつらかった。PCがなければ何をしているかというと虚空を見つめるだけである。それがだいたい三週間続いた。

 

 プロパーといえばIT業界ではプロパーはまったくプログラミングが出来ないと言われているが、自分の印象では半々が出来て、半々が出来ないという感じだった。おそらくこれはIT業界多重下請け構造のどこらへんに客先常駐するかで変わると思う。この業界にいて未だに分からないのはプロパーSES契約で来ている人に直接指揮命令している人って偽装請負ってわかっているのかそれとも偽装請負と知らずに指揮命令しているかってことです(本人達に聞く勇気はさすがに無かった)。自分がもしプロパー偽装請負って知っててSES契約で来てる人に直接命令したら多分罪悪感で潰れてしまいそうと思った。

 長くなりましたが最後に言いたいことはSES企業は滅んでいいよってことです。               おわり

2017-12-24

メリー処女

学生時代は夢見がちな小デブ喪女ピエロとしてブイブイ言わせていた。彼氏が居ない。好きな人少女漫画の彼。太った。たったそれだけのネタを繰り返し、ゼミでも女子会でもSNSでも笑いを取っていた。嘲笑だろうが苦笑だろうが別に良かった。エンターテイメントとして消費されることで、無味無臭なこの人生意味を持たせたかったのかもしれない。

  

2015年祖母が死んだ。

かなりの大往生だったのもあるし、遠方に住んでいて関わりが薄かったのもあるかもしれないが、悲しい以上にいいなあという気持ちが沸いた。

大勢の子どもとさら大勢の孫に見送られ天寿を全うした祖母尊敬した。

そこではっとした。彼女の孫である私は就職してX年。二十云歳にもたって彼氏ゼロのド処女だ。このままじゃ独りで死ぬしかないし、親に孫のひとりも抱かせてやれない。

祖母は片手で足りないくらの子を産んだ。既に母が自分を産んだ歳になっていた。

私は焦った。子どもが欲しい。

もともと子どもが好きで、漫然と産みたいな~とは思っていたけれど、このときはっきりと思った。産まなければ。

行きずりの男とではない、家庭をつくり子どもを産んで親を、そして天国祖母安心させたい。あと自分の老後のこともある。

そして私はそれから合コンと聞けば飛んでいき、友達からは男の紹介を募り、挙句婚活サイト登録したりして本腰を入れて彼氏を探すことにした。

 

彼氏がいない、彼氏ができないとは言っていたがなんのことはない。本気を出してなかっただけ。

そして一年後の2016年クリスマスイブ、初めての彼氏ができた。

 

 

相手は同じ歳、同じ血液型、おおらかで優しい人だ。趣味もそこそこ合って、2人ともおしゃべりなほうではないけれど無言も苦にならない(少なくとも私は…)穏やかな時間を過ごせる人。ちょっと不器用なところがあるけれど、そんなところも可愛い。あと多分童貞だ。

 

2人とも仕事が忙しく、住む場所はそこそこ距離が離れていた。だから会う回数はそれほど多くなかったし、お互い連絡不精でLINEすらままならなかったけれど初めての彼氏から何が正解かわからない。

童貞に違いないと思っているが、聞いたことはない。けれど、こういうの不慣れだからと言っていた。私も初めての彼氏、彼にとっても、多分初めての彼女。2人らしくゆっくり進んでいけばいいし、連絡も会うのも、2人のペースでいい。

 

そして1年。気づけばまだ処女だった。

処女どころじゃない。ファーストキッスも、それどころか手を繋いだことすらない。

 

 

?????????

 

 

ちょっと私、経験不足でそういう知識少女漫画BL同人誌しかなく申し訳ないのですが、二十云歳の恋愛って、そういうの割とすぐやってくるもんじゃないんですか?確かに少女漫画は手を繋ぐにもだもだしてますけど、でもそいつらは所詮中高生。出てくる二十代はみんな経験豊富な顔して大人ぶってますがな。女子中学生ヒロインアドバイスなんかしちゃってさ。BL同人誌なんかすごいよ。大体付き合うと同時にセックスしてますもん。

 

えー、いや。正直いくら牛歩でも3回目のデートくらいでキスくらいするのかなー、と思ってたし、経験値ゼロはい大人からホテルに連れ込まれることも想定してたんですけど、そう来たか

 

彼氏ができたと言うと、友達はみんな祝福してくれる。

喪女仲間は、完全に非処女を見る目で見てくるし、学生時代には普通に恋愛しつつ今たまたま彼氏がいない友人は完全に非処女仲間を見る目で見てくる。

久しぶりに会った彼氏持ちの友人は、「した後さー、筋肉痛にならない?」とか言ってくる。

え?そうなの?

BL同人誌じゃ腰とか尻とかよく痛いって言ってるけど、筋肉痛の件は存じ上げないんですけど。推しカプがスポーツマン同士だからかな???受けちゃんの趣味筋トレからかな??????

 

からない。

どうしてこうなったんだろう。

いや、どうしてどうにもなってないんだろう。

 

女は盾、防ぐか貫かれるか。

まさか目の前に剣士が立ちながら、攻撃ひとつも受けないとは思わなかった。

貫かれようにも、そもそも剣士が剣を構えてないんだもん。

から当たりにいけばいいのか?処女になんて重荷を背負わすんだよ世界は。

守る方法ばっかりで蹴散らし方教えてくれなかったじゃんかよー!

 

恋人を作ったら、自然消滅するものだと思ってた。処女

 

 

なんだろう。すっごくセックスがしたいわけじゃない。だって二十云年の人生で一度もしたことないし、せずにこれまで生きてきたから、これからもしなくたって生きていけると思う。

けど、この、処女と言う称号。これはなんとかしたい。できるだけ若いうちに、一分一秒でも若いうちに何とかしないと可能性はどんどん低くなっていく一方だ。

あと結婚したいし子どもが産みたいんですよ。この調子大丈夫なの?あれ?子どもってセックスしないとできなくない?じゃあ一生しないじゃすまなくない??

 

とりあえず女側の行動として何があるのかと大好きな襲い受けのBL同人誌を読んでみた。なんか攻めに薬盛ってピッキングして部屋に乗り込んでた。

そんな薬は現実には存在しないしピッキングはできない。はーい、打つ手なし。

 

 

そんな私に朗報です。

2017年クリスマスイブ辺り、ちょっと車で遠出しない?と彼氏

月曜は仕事から23日に出発してさなんて。

 

 

 

きた…………!!!

 

 

付き合って一年クリスマスイブ

遠くまで行って夜まで一緒。パーフェクトだ。こんなの、何もないはずがない。

 

しかし、ルナルナ先生がお前の次の生理12月22日だと告げている。これはよくない。

私は焦って産婦人科に行き、問診票の『性交渉経験』という悪夢みたいな欄を埋めて生理移動のためのピルをぶんどってきた。

うっすらとした吐き気と戦い数週間。前々日から毛の処理を開始し、当日朝には内洗浄までした。ボディスクラブを塗りたくり、ボディミルクもいつも以上に浴びた。よし、生理は来ていない。

もちろん不安もあったけど、覚悟は決めた。バージンさよなら時間だよ。

 

 

迎えた12月23日

彼の車に乗り込んで長い旅。車内での談笑。PAでの買い食い。無言の時間景色を眺めるのすら楽しかった。

 

そうしてついた目的地。そのとき、彼のスマホが鳴った。

昼ごはんのため話題のお店に並びながら彼は電話をする。

会話はわからないけれど、聞こえた単語は『明日』『了解

 

電話を終えた彼にどうかしたかと尋ねた。

平たく言うと、明日、同僚の引っ越しを手伝うことになったらしい。

 

はぁ、

明日ってーと、クリスマスイブですがな

それどころか、付き合って一周年記念日ですがな

 

 

いやいやいやいや、まさかまさかそんな!!

まぁ、ね!別に記念日にうるさくしたいわけじゃないし、大事だよね、同僚。

頼られるのは良い事だし、同僚といい関係を築いているとこ本当にすごいと思う!

ここから地元まで、5時間くらいか明日お昼とかに出発して夜手伝うとか?

えー、大丈夫?疲れとか…。タフだね…。うん…。

 

聞けなかった。そうなんだとしか、言えなかった。

明日?何時?私はどうするの?これからタイムスケジュールを教えて!?

なんて聞けなかった。

そういえば、普通にお泊まりだと思ってたけど…そんな話は一度もしていなかったね。

 

それから、まぁ何事もなかったかのようにおいしいごはんを食べ、きれいな景色をみて…

 

 

そして夜。

さぁ帰ろうかってなった。

 

あ、やっぱ帰るんだ…。

でも既に夜。帰ったら完全に真夜中になってしまう。

私はペーパードライバーだしそもそもAT限定運転を代わることはできない。

私は勇気を出して言った。所詮処女のちっぽけな知恵と勇気だ。けれど、私にとっては決死一言だった。

 

「今から大丈夫?どこかで休んでからでも…」

大丈夫!」

 

もうめっちゃ頼りがいがすごい

 

 

そして出発。

 

 

私も疲れで限界で、度々寝落ちしまっていたけれど、彼だってもちろん限界だったらしい。

正直車のふらつきに気づいていたし、ああ私は処女を失うことなくこの命を失うのかもしれないと思ったりもした。

 

けれど、まぁいいや。

このまま、処女のまま生きていくよりは、彼氏とのドライブ死ぬのも悪くないかもしれない。

寝ぼけた頭はそんなことまで考えていた。

 

 

そんなとき、転機が訪れた。

長く危険ドライブの後半も後半に差し掛かった時、彼がナビを無視したのだ!!!

 

予定では、申し訳ないことに私の地元まで送ってくれることになっていた。

それから少し引き返して彼は自分の家に帰るはずだった。

 

ナビはもちろん、私の家を指示している。けれど彼がそれを無視して進んだ方向の標識には、彼の家がある地名が書かれていた。

 

 

逆転ホームラン

 

完全に眠気が吹っ飛んだ瞬間だった。彼は疲れで限界で、今も車はふらついている。だから意識的にか無意識にかはわからないけれど、自分の家に向かっているのではないか

ただでさえ色々なところを歩き回った上に、長時間運転時間は既に0時をまわりクリスマスイブを迎えている。

一周年だもんね。クリスマスイブだもんね。

疲れたよね、いいよ、このまま彼の家に行って、ゆっくり休もうよ。わざわざ私の家なんて遠回りする必要ないよ。明日自力電車で帰るから

 

 

まぁナビは軌道修正してきて普通に私の家にたどり着きましたけどね。

 

 

最後のチャンスだった。

「うちでちょっと休んでく?」

言ってやろう。言うしかない。これが、最後のチャンスだ。

 

 

でも、我が家は今荒れ放題だった。

今日のためにどれにしようかと迷った服や下着が散乱し、プチシャワーセペの箱は転がっている。

あとBL同人誌も開かれている。

 

 

まぁ、言えないよねー。

気を付けてねと彼を見送り、そして昼まで寝て、泣きながらやけくそでこんなものを書いているクリスマスイブ

 

 

でもね、もし言えていたとして、断られたら。

今度こそ処女は立ち直れなかったから私の部屋が私を守ってくれたんだと思う。

それにね、どれだけ肌のケアをしたって、小デブは小デブなの。

なんなら今最強にフォルムやばい。小なんていらない。デブ

から、今じゃなかったんだと思う。

次のチャンスまでに痩せておくから。部屋もきれいにしておくから

そうして自分を守ってばかりで、一生処女なのかもしれない。

 

 

二十云歳、処女ネタにできているうちは余裕だった。彼氏を作って、合わなかったら別れたらいい。行動すればちゃんと恋人くらいつくれるはず。そう思ってた。実際できた。

で、彼氏ができて、ここからどうしたらいいのかわからない。少なくとも、今も処女だし、来年処女かもしれない。処女のまま、三十路を迎えるのかもしれない。彼氏がいるのに。

例えば別れて、次の人が見つかるだろうか。次の人が見つかったとして、スムーズにことが進むという確証は?そもそも彼に文句があるわけじゃない。私の処女を奪う気がないなら別れましょうなんて言えるなら、そもそももう処女じゃない気がする。

彼も、同じなんだろうか。彼女はできたがここからどうしたらいいのかわからないのかな。

ていうかそうじゃなきゃ困る。このデブは抱けないけど、とりあえずキープと思われているならもう開放してほしい。

 

 

どうしよう、未来不透明すぎる。

N君。もしみていても引かないで。

ただデート中、ちょっと休もうかってなったとき喫茶店じゃなくてホテルに連れてってくれてもいいんだよ。

連れていきたくないっていうならせめて…せめて、結婚のことや子どものことについてどう考えているのか教えて…。

重くてごめん。アラサー女は不安なんだよ。

 

 

とりあえず、食べるものがないから家を出た。近所のケーキ屋にカップルがいっぱいいて砂を吐きたくなったけどそんな権利はない。だって私には彼氏がいる。同僚の手伝いをしている優しい彼氏がいる。ひとりで寂しいけれど誰からも連絡はない。だって彼氏いるから。

はぁ…牡蠣買って帰ろう。

 

 

メリークリスマスイブ

2017-12-18

電通事件のおかげでちょっとだけ救われた話

一連の電通セクハラ事件報道を見て、ちょっとだけ救われたという話。

良い話でも何でもなく、薄汚い俺の心中晒すだけなのでそこは期待しないでほしい。

 

俺は大学ではとてもおとなしい活動をしていた。

まじめに勉強していて、サークルも真面目な輪読ゼミだったので、女を喰っただの何だのという話にとことん無縁だった。

しか就職活動では自分と全く世界の違う人たちとの交流も増えてくる。

リサーに限らず、世の男どもは女を喰い散らかして遊びほうけている、という実態を見せつけられたのはその頃だ。

就職してから電通関係の知人が増えてくるわけで、そういった連中も確かに女で遊びまくっていた。

年代の知人からは「先輩に、女を用意しろと言われるのが辛い」という愚痴も聞いた。

辛いというのは別に女に対して申し訳ないという意味ではなく、先輩が好む女を見つけてくるのが難しいというニュアンスだった。

きっとあいつは先輩の立場になってからは後輩に同じことを要求しているんだろう。

なんていうゲスどもだ、という感覚と同時に、俺には「なんてうらやましいんだ」という感覚も同時に立ち上がった。

俺はそんな良い思いをしたことがないないのに何でお前らだけ、と。

 

その頃、俺には学生時代から6年間付き合っていた彼女がいた。

しか彼女とは一度もセックスたことがなかった。彼女の方がセックスに強い嫌悪を抱いていたからだ。

俺と付き合う前に男で嫌な思いをしたかららしいが、深くは聞けなかったし、聞かれたくないようだった。

から俺はずっと童貞で、社会人になって金ができてからやっとソープ童貞卒業した。

でも電通の連中は、いや世の中の男どもは、金もわずオフィスで堂々と女を喰ってるのか、と思うと悔しかった。

かたや彼女セックスもできない俺、かたやSODの世界を実現できているあいつら、である

 

その彼女結婚してからもやっぱりセックスはさせてくれなかった。

人工授精子供ができたが、あろうことか女の子だった。

の子もいずれゲスな男に喰われてしまうのかという辛さと、そもそもこんな薄汚いことを考えている俺が父親であること自体がかわいそうという気持ちが混ざりあって、素直に喜べなかった。

大体からして、素人童貞のままパパになること自体違和感がある。

妻がもし昔レイプまではされていなかったのだとしたら処女懐胎可能だってある。

かたや中世カトリックもびっくりの禁欲生殖、かたやヤっては降ろさせる電通帝国である

この世にこんな格差があって良いのかという怨嗟が蓄積していった。 

 

そんな折、今回のニュースが飛び込んできた。

はぁちゅうの告発内容は、まぁそういうことはあるだろうな、もっと激しい事例もあるだろうな、と納得だったが、それよりも世の反応に驚いた。

みんな「こんなのありえない」というトーである

#metooタグ流行っているとはいえ、電通ほどひどいケースはあまり見かけない。

誰も彼も、電通いかに異常かというトーンで語られている。

そのことに、ちょっとだけ安堵した。

 

なーんだ、やっぱり電通普通じゃなったんだ。

SODはフィクションだったんだ。

俺の怨嗟は、金のないホームレスビル・ゲイツをうらやんでいるようなものだったんだ。

真にうらやむべきは、普通にただ毎週のように彼女と・妻とセックスができている程度の男だったんだ。

そう思えた。

 

 

娘よ、君はどうか、お父さんお母さんのような歪んだ人間観ではなくて、愛し合える人と存分に性生活を送れるようになってほしい。

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