2017-12-26

IT企業をやめた話

 IT企業を辞めるまでの体験談をここに書こうと思う。

 3年前の大学4年生の4月、まだ内定がなかった。同じゼミ就職希望組は全員内定があったこともあり、相当焦っていた。大学内で会社説明会が行われる時は積極的に参加した。5月最初内定が出た。自分内定が出たことにより安堵してそれ以降の就職活動はやめてその会社に行くことにした。

 2年前に入社式があり、当時は社内でプログラミングし、何かシステムを作るんだなと漠然と思っていた。だが現実は違った。入社式のあった週の金曜日大阪に行くことになった。大阪に行き面談し、客先での了承が降りればその会社が勤務先になるのだと言われた。当時は相当混乱した。IT企業正社員内定=社内で作業と思っていたのだ。実際に金曜日大阪のある会社に行き面談を行った。面談で言われたことはCは出来るかということや長時間働くことは出来るかのような内容だった。自分はCに関しては大学の授業でやった程度なら出来ると答えた気がする。それ以外のことは確か元気が無さそうに否定的なことを言った気がする。正直もうほとんど覚えていない。結果その会社に行くことはなかった。

 

 次に別の会社面談することが決まった。2社目の面談が決まるまでは社内でCの勉強をしていた。面談ではpythonは出来るかと言われた。当時の自分pythonをやったことはなかったが一生懸命がんばりますと言ったら受かった。2週間後からはその会社派遣契約で行くことが決まった。そしてここは8ヶ月で終了となった。この8ヶ月間はほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 次の会社面接するのは2ヶ月後だった。Androidの開発のプロジェクトに参加するということで、大学の授業でJava勉強をしていたのでそこに決まった。だがここで主に行ったことはCentOS環境構築とドキュメント作成だった。Javaほとんど使わずに5ヶ月で終了となった。この会社はおそらくSES契約だった。SES契約についてはあとで説明する。ここにいた5ヶ月間もほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。

 3社目はC#を使う会社だった。小規模な社内で使うツールを1から開発するというプロジェクト技術者的に成長できるだろうと思っていた。このプロジェクトも客先での作業だった。ここで作業していて最初は忙しかったが、段々他の人の作業を待つことになり時間が出来た。時間が出来た結果、帰属意識を考えるようになった。自分はいったいどこの社員なんだろうと。自社の正社員なのだろうけど、実際に行く会社も違うし、指示を受けるのも他社の人で自社との関わりは数カ月に一度様子を見に来るのだけだった。

 ここのプロジェクトに参加したときプロジェクト説明が書かれた紙を渡された。その紙のあるところにSES契約と書かれていた。自分なりにSES契約について調べた結果、派遣契約をせずに派遣として他社の社員を使うものなのだろうと判断した。正確にはみなさんの自身の手で調べてほしいと思う。そしてこのIT業界では殆どプロジェクトでこのSES契約が使われていることを知った。

 3社目も5ヶ月で終わった。

 4社目はJavaを使い、大規模システムの一部機能の開発を行うことだった。2社目と違い、本当にJavaのしかもかなり難しい知識必要となり、かなり勉強になった。だが、ここもSES契約で客先での作業だった。この頃になると自分自分の働き方に嫌気がさしていた。正社員入社したのに実質派遣という。同じフロアの別の人を見れば正社員で、しか客先常駐せずに働けているのに何が違うのだろうと。結果は自分の入った会社が間違えていたのだと知った。そのため今月で辞めた。



 ここで一つ謝らなければならないことがある。タイトルにはIT企業をやめた話とあるが、正確にはSES企業をやめた話であるIT企業をやめた話にしたほうが沢山の人が見てくれると思うからこのタイトルにした。

 この業界にいたからわかるのだが、SES契約をメインの事業として収益を上げるのと、自社システムを開発して製品として売るのではまったくビジネスモデルが違う。SES契約のメインの事業は単なる派遣である。だがITに詳しくない人(別業種)からすれば全てIT企業として統一されてしまうのである

 自分プログラミングが好きだから約3年間働くことが出来た。だが、同じ業界自分と同じ状況で働けなくなった人を何人も見てきた。今SES契約メインの会社で働いている人は本当に今の働き方(派遣のような働き方)でいいのか考えてほしいと思う。

 今大学生でこれからIT系に行く人は自分と同じ目に合わないでほしいと思う。実質派遣なので勤務地はコロコロ変わる。3社目から通勤時間が片道2時間を越え、まともに睡眠時間を確保することができなかった。通勤時間が長かったのもつらかったが、それ以上に暇なのがつらかった。客先での作業を例えばその月の10日に終えたとして次の案件が来月に始まるとしたらその間ずっと放置であるさらにその上に日報週報の提出を求められれば何も書けないのである。それ以上につらかったのが、PCが用意されていなかった時である。その会社プロパー作業PC申請が遅れた結果、プロジェクト開始と同時にPCが用意されておらず、PCが無いけど定時まで客先にいてくださいと言われた時はほんとうにつらかった。PCがなければ何をしているかというと虚空を見つめるだけである。それがだいたい三週間続いた。

 

 プロパーといえばIT業界ではプロパーはまったくプログラミングが出来ないと言われているが、自分の印象では半々が出来て、半々が出来ないという感じだった。おそらくこれはIT業界多重下請け構造のどこらへんに客先常駐するかで変わると思う。この業界にいて未だに分からないのはプロパーSES契約で来ている人に直接指揮命令している人って偽装請負ってわかっているのかそれとも偽装請負と知らずに指揮命令しているかってことです(本人達に聞く勇気はさすがに無かった)。自分がもしプロパー偽装請負って知っててSES契約で来てる人に直接命令したら多分罪悪感で潰れてしまいそうと思った。

 長くなりましたが最後に言いたいことはSES企業は滅んでいいよってことです。               おわり

  • お疲れ様でした。

  • 33歳ならすぐに就職できると思う。 でも大抵はこういうパターンだからな。そこは覚悟して欲しい。 https://anond.hatelabo.jp/20171226182859

    • なかなか過酷そうですね。 しかし今の状態を考えるなら雇ってもらえるだけでもありがたいものです。 ちなみにプログラムミング経験がないのですが、そんな人間でも雇ってもらえる...

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