はてなキーワード: 橋本とは
千野栄一『外国語上達法』には、ある言語を習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語の基本的文法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的文法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。
「言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなります。しかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」
教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。
1. モチベーションの維持によい
2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音が我流のものになってしまう危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音の重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しのレベルで説いている。
3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。
語学学校のスタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。
シュリーマンのエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマンの朗読を聞いてもらったのだそうである。
寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学のクラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。
ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います。
お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル(学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。
補足ないし余談
・フレンズのDVDで英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。
・英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。
腕を鋏で傷つけられて、来なくなった。
中学卒業までほぼメンバーは変わらない閉鎖的な近い将来が分かりきっていた。
怪獣が何匹もいた。
授業中に座って話を聞けなくて歩き回る子(今思えば多動性だったかもしれない)。
授業妨害は当たり前だった。算数の割合の授業がほぼすっぽぬけてたから塾に行った。
そのころ、ニュースで教育の元の暴力がタブー化されたことを盛んに報道していて、
口で言ってもわからない子がいても、簡単に子供を叩けなくなった。
「殴ってみろよ、クビにしてやるわ」と問題児たちは口を揃えて先生に言ってた。
何人かの問題児以外のその他大勢は、クラスの日常にだんまりだった。
そういうのをとめる子は誰一人としていなかった。
私も含めてクラスの中心人物の「ガキ大将」にいじわるされるのが、
当時はとてつもない恐怖だった。
ガキ大将といっても、恰幅のいいジャ●アン的な感じじゃない。
ハーフで眉目秀麗な男子だった。武道を習ってた。傍若無人だった。
母親が異国の人で日本語がほぼしゃべれず、子供に対して過干渉。
父親がは日本人で異常に厳しく直情的で、同じく過干渉。
そのストレスを学校で発散している、というのがクラスの子供達の中での共通認識だった。
問題のある子とそうでない子を分けてクラス編成し直してほしいという声が上がった。
その場に数人いた私達子供らにとってはすごく嬉しかった。念願だった。
そんな夢みたいな話があるのか?大人ってすごいと思った。
誰かがお母さんにお願いしたのかな?でも、これで、帰りの会が長引くのも、全校集会で怒られるのも、
算数の事業を妨害されるのも、いついじわるされるかこわかった毎日もみんな終わるんだ!と思った。
子供たちだけ別室に移されたときも、皆同じく高揚していた。泣いてる子もいた。やっと開放されると思った。
耳を疑ったのはすぐのことだった。
「他の子供たち(問題児以外)はみんなで支えあっていきたいって、仲間だってきっと思ってる!
そんな子供達の思いを踏みにじるんですか!個性を除外して、認めてあげれない学校なんですか!!」
この一言を言いはなったお母さん、泣いてた。なんで泣いてんだよと思った。
あんたの息子、問題児にいじめられてるって知らなかったのかな?
結局その一言で、淡い夢は終わって、わんふぉーおーるおーるふぉーわんという語呂がよくて気味が悪い
小学校卒業間近、タイムカプセルを埋めたいと皆で担任教師にお願いした。
中学にいっても、問題児たちは相変わらずだった。先生たちは一生懸命だった。
先生は、その子たちにつきっきりだったしね。悲しいよね。手のかかる子ほどかわいいよね。
学校生活の主役は間違いなく彼らだった。さっさとみんなでカラオケにいった。
でもいまは少し太って地元で平和や愛を歌うラッパーになったらしい。ピースフルだね。
取り巻きの問題児たちも、今はどっかで働いて、いまだにみんなでつるんでるらしい。こりないね。
どうなってたんだろうと、最近橋本さんの提案をニュースでみて思う。
それなりにまじめに生徒やってる子の人権は無視されてきたんだし別にいいじゃん。
(問題児をとめない周りの子が一番悪いという持論を展開する大人も一定数いるし)
それでも反対する人がいるのは、世の中の不条理さに慣れておく訓練を、
もう学級目標も、やられたらやり返せ甘えるな。とかにすりゃいいのに。
あのグミの木どうなったんだろ。
4/14 - 4/20 は「科学技術週間」だとかであちこちの研究所が一般公開されています。
http://www.shokabo.co.jp/keyword/openday.html
残念ながら小保方さん(発生・再生科学総合研究センター/神戸)はいませんが、野依さんくらいならそこら辺ウロウロしているかも。
理研大っ嫌いだという人も行ってみてはいかがでしょうか。研究者にバナナの皮投げるとかでもいいから。
見に行く人は事前チェックしてどこを回るか計画を立てておくべし。
http://rtcweb.rtc.riken.go.jp/openhouse26/index.html
wikipediaによるとつくば市には 300 あまりの研究機関があるのだそうで
4/18-4/20 に一般公開する研究機関の数もすごいことになっている。
もう個人の好みで好きなところに行くといいよ。
とりあえず僕の好みだと以下。
http://fanfun.jaxa.jp/event/detail/1436.html
もはや説明の必要がない。
http://www.kek.jp/ja/PublicRelations/Events/ScienceWeek/
ところで毎年売っているグッズのセンスが非常に良いです。研究者が関わっていると思えないセンスの良さ。売り切れるのも早い。
ちなみにここの食堂は「栄養定食を食べ続けた人が栄養失調になった」ことで一躍有名になりました(特定業界において)。
業者さんは毎年のように変わっていますがそのクォリティーは・・・その、察してください。山奥にて安価で食事をつくっている業者さん達の苦労が忍ばれます。
何が言いたいかというと食事に期待しないで。
各研究機関はものすごく離れているので注意。筑波大学内をバスで移動するようなところです。
事前に良く地理をチェックしてください。
当日は無料巡回バスやシャトルバスが走るので各研究機関のサイトで確認して下さい。 (リンク先PDF)
東京と違ってそこら辺をタクシーが走っていたりしません。タクシーは止めるものではなくて電話で呼び出すものです。
万が一の時に備えて携帯に登録しておくといいかも。
松見タクシー - 配車室TEL:0298511432
http://www.miraikan.jst.go.jp/info/1404111216538.html
こちらも説明の必要はないかも。
どこもかしこもSFカッコイイ!いや、サイエンス・フィクションじゃなくてサイエンスそのものなんだけど!
行ったことのない人はぜひ行ってみるべきです。
一般公開に行ったら、そこにいるボスっぽい人に「研究者になりたいです」と声をかけてみてください。
こんなかんじで喜ぶと思います。良い出会いになれるかもしれません。
(ポスドクじゃなくてボスだよ!ポスドクにそんなこといったら涙目になっちゃうかもよ!)
早朝インターネットでニュースをチェックしているとある記事を見つけました。
その記事が文句の付けようのない糞記事だったのでこの胸くそ悪い気持ちを皆さんに共有したい。
「大阪市民よ怒れ!!橋下市長無責任自爆選挙 東京と大阪の、恥ずかしい首長選挙?」
http://toyokeizai.net/articles/-/30408
私は大阪市民なのだが東京で恥ずかしい首長戦を繰り広げているのは存じてます。
大阪市でもあまり誇れないような経緯で市長選が行なわれようとしてます。
しかしまだ告示もされてない選挙に対してなぜこの方は”自爆”と言い切っているのでしょう。
とりあえず記事を開いてみる。
東洋経済オンラインは新聞とは違って多くのインターネットメディア同様筆者の名前が記名されている。
ブラザー・キムという人が書いてる記事らしい。(だれだよそれ・・・)
そして記事冒頭
わたくし、黒春エリトは日本の政界に辟易してかれこれ35年目に突入するわけだが、それは政治家の質が低いことと、馬鹿な順に政治家が当選していくことに嫌気がさしているからだった。”
文章構成がメチャクチャ、前フリと本題が合ってない。
ここで3ページ構成の1ページ目が終わる。
続いて2ページ目
いやいやいやいや・・・
この方は結果を事前に決めつけてしまう傾向にあるようですね
もしくは舛添氏が当選して橋本氏が爆死する未来が見えているのでしょうか。
そしてちょこっとだけ橋下氏批判
”橋下氏は一連の未熟な言動やメディアに対する幼稚な攻撃性で国民からは単なるコメンテーターに戻った方がいいと思われていると思うのだが、既にどうあがこうと政治家としてのパワーの源泉である信頼と民意を失っていることに気づいていないのが、不思議でならない。”
「思われてると思うのだが」ってどうしようもない決めつけが再び炸裂
民意を失ってると書いてあるが橋下氏を選んだのは我ら大阪市民の民意なんですけどね
他の政党が負けるのが怖くて候補者を擁立しないので今のままだと橋下氏の不戦勝です。
そう大阪の首長戦が恥ずかしいことになってるのは橋下氏よりもはるかに
”橋下氏は、「世界中のエリートの働き方を一冊にまとめてみた」を読んで、反省すべし”
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HD09Z1K
著者:ムーギー・キム
ステマのために大阪市民よ怒れとか言って煽ってきてることに猛烈に腹が立ちました。
”常に敵が必要で、名指しで批判して記者やメディアに圧力をかけるという暴力的な手法で有名な橋下氏には、ぜひ名指しでこのコラムを批判していただきたい。そうすれば炎上商法でまた私もヒト儲けできて大歓迎なので、次に名指しで大げさに批判される際はぜひ、このコラムと「セカエリ」を批判していただくようお願い申し上げたい”
ようするにメチャクチャな批判をして橋下氏が釣れたら本の認知度が上がってラッキーってことですよね。
東洋経済オンラインはビジネス系の質の高い記事を配信してくれるので大好きだったんですけど
こんな意味の分からない質の低い糞みたいなステマ記事を載せるとは・・・
という東洋経済オンラインにガッカリした話。
研究費を壁紙に流用したのではないかと勘ぐられる方もいらっしゃるようなので知っている事だけ解説します。
僕は部外者なので、もっと詳しい人が書いた方がいいと思うのですがとりあえず。
理研(和光)では新しく研究室を作るとき、配線、配管から購入する机まですべてボスが設計します。
実験にあわせて研究室を1からデザインできるので実験系の人に大変好評のようです。
(小保方さんは神戸の方なので断言はできませんがおそらく同じではないかと思います)
ちなみに理研にはこれ以外にも、「科学者の楽園」にでてきたものが形を変えながらも残っているようでちょっと感動します。
話がそれましたが、上記理由のせいで研究室の姿はかなり個性豊かです。
僕の知っている中で変わっていると思った研究室を紹介してみます。(部外者なのであまり多くを知りませんが)
1. 理研(和光)本館1階、入ってすぐ階段前の研究室(名前失念しました。すみません・・)
そしてすごくおしゃれ。「働いてみたい世界のオフィス」に載っていそうなかんじにおしゃれ。
見る機会があったらぜひ。
2. 橋本研(弦理論の橋本幸士さんです。今は阪大に移られているようですが)
壁一面黒板。壁の色どころか壁がない。
個人的に一番ワクテカします。こういうところで研究してみたいですね。
ttp://d.hatena.ne.jp/D-brane/20100821
ちなみに橋本さんはパワーに満ちあふれていて、blog を読んでいると分野を超えて勇気ややる気をもらえます。
研究者の人は読んでみるといいかも。
長くなりましたが、みなさん 一般公開にでもいってみませんか?
特に理研(和光)はかなり力を入れていて、「研究者が全力で作った文化祭」が楽しめますよ。
理研(和光)の次の一般公開は 2014/4/19 のようです。
http://www.riken.jp/pr/events/
食堂は長蛇の列なので注意。時間ずらすとかお弁当持って行った方がいいかな?
東京周辺の方はどうぞ。
神戸(小保方さんのいらっしゃる方)の一般公開は、ちょっとわからないのですが10月くらいでしょうか。
http://www.cdb.riken.jp/openhouse/13/
神戸市周辺のかたはどうぞ。
電王戦以前にも、将棋に興味はあった。 子供の頃は親となんどか指したし、高校の頃も何十戦か友達と将棋を指した。
だが、定石を覚えるのが面倒だし、強い人相手だと同じ戦法で延々ボコされたりとつまらなかった。
漫画では、ハチワンダイバーは面白いなあと見ていたし、ハチワンダイバーを理解するために、『最強将棋 激指スペシャル2』という、基本的な定跡をだいたい網羅していて、将棋ソフトまでついてくる本を買って、一応戦法の種類はだいたい把握した。
その程度の知識だった。
電王戦が始まる1年前に、『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』というのを読んでいた。 どうやら、10年後にはコンピューターにプロ棋士は勝てなくなるぞ。的な内容だった。 正直、うさんくさかったw 内容も、どうやったらアルゴリズムがよくなるか?について書いてあったが、『そんなんで勝てるの?』というのが正直な感想だった。
確かに、将棋24で勝ちまくるのは可能だろうけど、プロって本当かよという印象。
だが、電王戦で、「はじめてプロ棋士が負けた!」 → 「おいおい、速効次もかよ!」 → 「え???塚田プロって昔すげえ強かったんじゃ、、、ひきわけ?」 → 「はぁ????A級がボコられた??? A級って一番強いんじゃなかった????」
と、ものすごくびっくりした。
正直、その時は、A級の三浦ってだれ? 塚田ってどのくらいの人なの? 橋本より強いのって出てるの? 船江って人はどのくらい強いの? とまったく理解していなかった。
理解していなかったが、ツイッターや2chでおもしろ半分で煽りまくっていたw
『プロは雑魚w』 『あと数年でスマホにもかてねえゴミどもw』 『プロ削減しろ、終わったんだよ』 『どーでもいいから、三浦とかわけわかんねーやつより羽生とか渡辺だせよ、はあ?森内???だれだよそれ、しらねーよ、そんな聞いたことも無いゴミ』
みたいな。
いやもちろん、ネタなんだけど。
そういうレスであふれかえっていたので、なんとなく便乗した。 とにかく、「真剣にやってて、ガチ天才と言われてる奴らが惨めに負けていくのが凄く楽しい」というルサンチマンだった。 「所詮人間の天才なんて、こういうアルゴリズムの数量押しの凄く低い段階なんだよw」という感じで溜飲を下げていたのだと思う。
その後、A級、B1,B2棋士をだいたい覚え。 それぞれの将棋の戦法もある程度覚え、狙いも覚えた。 将棋の歴史や、戦法の趨勢も、まあまあ把握した。
で、ハム将棋にはほぼどんな戦法でも完勝するくらいにはなった。
将棋講座なり買って読むし、NHK杯も見るようになった。 棋譜を漁って見ることも覚えた。
なんというか、普通に面白い。 人間がコンピューターに負けたとか関係無く、すげえ面白い。
てか、コンピューターに人間が勝てないってのは、当たり前というか。
まあ、人間はプロ同士でも、「詰みを逃した」とか、「終盤よく分からない」とか普通にあるけど、ソフトは演算で全部読むから、そりゃミスらない。 下手したら、30手くらい読むわけで、将棋がせいぜい100手~200手で終了するゲームだということを考えると、そりゃ終盤は勝てない。
じゃあ、中盤はどうだろう?
中盤ってのは、プロの腕の見せ所だけど。 プロ同士でも、「ミスの少ない手」を選び続けるということが多い。 そう、ミスをしない手を選び続けるわけだ。 コンピューターの場合「ミスをしない」のは当たり前だし、「ミスを全部潰した上で、画期的な手も読むことができる」というアドバンテージがある。
そうなんですね、プロ同士では、お互い人間だから、「ミスをしない手を選び続ける」ことがそのまま優位性につながるけど。 vsコンピューターだと、相手はミスをしないのに、こちらはミスをしないことに気を遣うだけでなく、相手に良い手を指させない事まで考えないといけない。 vs人間にくらべて、読む量や精度が格段に求められてしまうんですね。 人間相手だとあり得ない精度をやってくるわけで。 中盤は、コンピュータが強いというよりは、「人間にとって不利すぎる相手」になってしまう。
じゃあ、序盤は? そう、序盤こそ勝ちうると思います。 コンピューターは、所詮序盤は人間の人まね段階です。 ここで、「新構想」とかで勝ちうるってのはあると思います。 ですが、「新構想」ということは、「研究が整備されていない」ということです。 研究が整備されていないものをミスなくさせるでしょうか? あやしいですね。 ですから、新構想でコンピューターに勝つというのは、厳しい。 さらに、新構想なんてあるなら、vs人間でのタイトル戦に温存するわけですよねw
さらに、時間。 人間同士で4時間持ちなら、 お互い4時間めいいっぱい使って、8時間だけど。 コンピューターは4時間も使わないわけで。 結局人間にとって不利。
結局、コンピューターと人間がやるにするには、あまりにもコンピューターが有利すぎる。
ってことで、ハード貸し出しとか、当たり前だと思いますよさすがにw 人間は見えないところでハンディあるわけですから。
①序盤の構想 → かなり新構想とかが出るわけです、何がでるかな? 相手の研究を外すためにどんな戦法を出してくるのか? 鍛えてきたのか? なんというか、カードゲームで、『どんなデッキ構成で挑むか?』というメタゲーム的なおもしろさがあります。
②中盤の勝負 → 中盤では、ミスをしないこと+終盤への構想や形作り がなされます。 パワプロで言えば、選手選びに近い感覚でしょうか? 投手の控えやバッターの並びなどで試合結果が変わるので、ここでの考えが大事です。 守備と攻め、両方を考えてメンバーを組むみたいな。 また、ここでも新手ってのが頻繁に登場するので、そういうワクワクがあります。
③終盤の勝負 → 実は、ここが面白い。 終盤って、格闘技に似てるんですよ。 『相手を責め続ける』&『自分も致命傷を受けないようにかわす』これがギリギリまで続きます。 約30手ほど、ギリギリの攻防が続きます。 攻めがキレたらホボ負けますから、攻めを切らしてはいけないので、駒を得ながら切りながら攻めまくります。 また、相手が攻めてきたら相手の攻めを切らすまで受けます。 ボクシング的なおもしろさです。
④漫画のようなおもしろさ。 いやーホント、序盤中盤終盤、全部面白いのが将棋。 マジで漫画か小説で、ものすごい傑作を読んでいるようなおもしろさです。 ホント漫画みたいなドキドキワクワクの場面、行き詰まる戦闘シーン。 そういう感じです。
コンピュータが強いとか関係無く、普通に面白い。 でも、コンピューターが指しても面白いんですけどねw確かに。
⑤人間同士の戦略 → メタゲームがホント凄いゲームなんですよ、将棋って。 「相手はあの戦法しかしてこないから、この戦法」とか、「あの人には勝率悪いから、研究で研ぎ澄ませたこの手を打って困らせよう」とか、「自分にとっての大一番以外の対局では磨いた研究を使わず、自分にとっての大一番だけ研究を放出しよう」とか。 そういうのがホント面白い。 その場だけの勝負じゃなく、研究段階で、カードゲームのデッキ構成があるんですよ。 ただ強いデッキを用意するんでなく、『相手によって対応を変える』というメタゲームがあるんです。 これは、コンピューター将棋にはなかなか見られない。
みたいな感じ? まあ、調子とか、運とか、あるけどさ。
2ch名人 っていう将棋の2chまとめサイトにハマって2ヶ月のにわかなんだけど、こんくらいの認識やけど?
大地、中村、菅井、天彦 とかの若手強豪? あたりの実力はよく分からない。
一二三とか、教授(勝又)、森下、あたりの有名どころの現状の位置付けはよく分からない。
昔名前をよく聞いた、
あたりもよくわからない。
1位 森内(名人戦以外は勝率5割という名人らしからぬ成績だが、名人戦の7局だけでは他の戦いで隠していた研究手や手法を一気に解放のパターンで名人を羽生さんに渡さない)
3位 羽生(羽生マジック、序盤定石はずし、中盤無理責めから手が無くなって負け とファンタジスタ)
正直、定石を覚えるのがめんどうで将棋の魅力まったく分からなかったけど
①序盤
定石がいくつかあって、「横歩」「矢倉」「居飛車アナグマ」等々
覚えると、プロが、『新手』を指したとき興奮するし、どの戦法を出すかという『読み合いや、研究してきた隠し技、必殺技』の押し引き(格ゲーでコンボを覚えたあとにどこでコンボをだすか? 新しいコンボの瞬間を使うか? ってのに似てる)
玉の囲いにも、だいたいどの囲いがどれくらいの手数でどれくらい固いか?が分かっていて、その堅さが終盤の責め合いでの盾になる。 盾の堅さを取るか、相手の盾をはぐことに力をいれるか、盾放棄して責めるかがおもしろい。
②中盤
発想力、駒の損得、お互いの攻めの着想。
だいたい、これらを読み切った上で、「ミスが少ない手順」を踏みあう。 という形が多い。
③終盤
序盤作った囲いの堅さと、その突き崩し合い。
攻め手を潰しきったらほぼ勝ち。
このあたりは、「詰み」、「詰めろ」、「必死」、「詰めろ逃れ」などの合理的な読み合いになる。
中盤は3手先も分からないが、終盤では、「19手詰め」「35手詰め」などが発生するので、それらを合理的に読み切る。ここがプロはすごいw
今はソフトで、「あ、詰みが発生した」って分かるけど、本当に詰みなのか、分からない。 だが、プロは本当に19手詰めとか読み切ってるw
だいたい、19手詰めが始まって、13手詰めあたりになって、投了が発生する。(つまり、詰みが発生しても気づいていないことも結構ある、だが、詰み筋はちゃんと攻めている)
詰み逃しは、そこまで多く無い。
どーも、戦法はよく分からない。
若干、
「昔は居飛車アナグマでz(絶対に詰まない)をつくって、終盤有利に押す」→「藤井システムによって、アナグマが組まれる前に攻める手法によって、振り飛車側が有利に」→「居飛車側の対策が進んで藤井システムが下火」
「横歩取り戦法(角道を止めたはずの歩を取ることで、歩1枚の得を主張) は難しい」
「ゴキゲン中飛車 は強い」
「右四間 はアマチュアでは雑魚狩りで好まれるけどプロは使わない」
くらい?
最近は、囲いの堅さより、終盤の攻め合いで手順を決められるほうが有利っぽい? だから、攻める側(=攻めるタイミングを一方的に作れる)ほうが有利?
http://ameblo.jp/don1110/entry-11695197467.html
2013年5月4日 東京・日比谷公会堂での講演から 五井野 正
1997年3月に、ロシアのヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院で糖尿病の重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者、さらに は末期がんの人たちに、私が発明したGO Pで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)
当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間のドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体 (創価学会) から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。
ですから現在においても、政党 (公明党) までも持つこの某宗教団体 (創価学会) から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。
それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかしロシアの国家サイドがそれ から必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体 (創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。
私の医学や芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ共和国では、私を サポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしま い、それを知ったガン患者の家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)
というのは、 今までラトビアやロシア、ウクライナなどでは、厚生省と病院とウイッピー総合研究所で臨床実験の契約をした後に、病気の治療をしていたからです。ところが メリック博士がマルタで、悲しんでいる患者の家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかしマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからメリック博士にビザが下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいまし た。
このようなことがあるので、某宗教団体 (創価学会) のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者の家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体 (創価学会) が私に圧力をかけないように頼んでください。
そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験が必要になってきます。そのためにはまず、 効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアやラトビア、ウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークのコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。その結果、がんに効く画期的な治療薬として証明されたために、ヨーロッパのテレビやラジオで取り上げられ、スウェーデンやデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれからが世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。
私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しかも自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何と かしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。そんなときにオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たこと があります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。
その後、その女性がよくなってヨーロッパに旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビアの病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院 とラトビアの国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所の合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。ラト ビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のときは患者は6人と記載されていまし たが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらにテレビでドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎに なりました。(写真18)
ところが、日本の外務省に巣食っている某宗教団体 (創価学会) のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者の要望を放り出し、GOP の臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビアの通訳が、ラトビア駐在の日本大使館の人間と一緒にいるところを見 かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳の仕事を断ってくるようになりました。
それから後の話ですが、エリツィン大統領が 1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィンの病気は秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医はアメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。
彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病 名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファッ クスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。
モスクワに出発する前日、東京のロシア大使館で新任の駐日ロシ ア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と 興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りま した。そして飛行機がモスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。
私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎 えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうし て「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車に スタッフとともに案内してくれました。
大使の専用車に私たちが乗っても、日本の大使館員たちは何も話しかけてきません。
私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといな くなり、私たちは花束を持ったロシア国立芸術アカデミー副総裁と事務局長など一行の歓迎を受けました。
私がアカデミーの人たちと話 していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せ てボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボの新車はVIPしか乗れなかった)
また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しかも私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かさ れました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領は奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しく なったのです。
エリツィン大統領は「北方四島を日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアのテレビで語った
その後 1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本とロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長の三塚大蔵大臣や外務省の東郷 次席公使、それにペンクラブ代表や日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しまし た。私はその時にロシアの教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。
エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、 日本・ロシア・アメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすで に住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本がインフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから、日本は10年間で1兆円かけて もいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11 月15日『ウイッピータイムス』発行。写真19)つまり20年間かけて、北方四島に芸術の国、文化の国をつくろうという話です。
エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しかし日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)
ところが某宗教団体 (創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員と外務省が何度も邪魔を しました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本とロシアは平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・ あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページで五井野正博士特別寄稿の記事から”北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。
そのことを、当時のロシア問題の関係者で外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本でニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本のマスコミは某宗教団体 (創価学会) からアメとムチで支配されており、某宗教団体 (創価学会) の会員たちがマスコミの社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります。
(日本の某宗教団体 (創価学会) の政治的妨害で、日本は境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約も反故(ほご)になってしまったという事実は、日本のマスコミ界では今でもタブーとされています。)
book 『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol1』
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/91560568?page=1
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
モヤモヤ超大作「マン・オブ・スティール」のスーパーマンが煮え切らない件
昨日から上記のエキサイトレビューのマン・オブ・スティール感想文(あれをレビューとは言いたくない)とそれに対する批判が話題になっていたので前から思ってたことをなんとなく書いてみる。
いわゆる秘宝系というか町山氏柳下氏あたりのフォロワーにありがちなパターン。
・B級映画大好き
特にB級アクションやゾンビ映画など馬鹿映画と呼ばれるものが大好き
まあこれはネット上じゃどこもそうだろうけど
そういう時「だけ」面白い奴も多々(破壊屋が面白いのって幸福の科学映画ネタとダメ邦画ランキングだけでしょ)
・悩むヒーローは嫌い
・反原発
他にもいろいろありそうだけどもうめんどくさいのでこのくらいに。
箇条書きマジックもあると思うけどそれでも似たようなのばっかだなと。
秘宝系の特色はよくも悪くもキネ旬的なお行儀の良さを捨ててつまんない映画のスタッフに「よくもこんな駄作作ったなバカヤロウ!」と言っちゃうレビュアーの感情を表に出すとこにあると思う。
(この手の映画誌が黙殺していたB級映画の発掘再評価とかも功績としてあるけどここは今は置いておく)
でもそれは批評性を失くしたただの気に食わないものを罵倒するだけのレビューとは呼べない感想文になる危険性と表裏一体で今回のスーパーマン評はまさにそれ。
「おのれノーランお前のせいでこのヒーローも破壊されてしまったぞ!」という恨みつらみを吐き出しただけの文はレビューとは言わない。
ちなみに今出てる映画秘宝10月号の柳下氏のマン・オブ・スティール評は同じくノーランへの怒りに満ちていますが、これは評として成り立ってると思います。
うん、やばいよね。実際あれだけヘビーユーザーだった自分も全然使わなくなった。
ブクマしない、コメントも書かない、そもそもアクセスしてない。
何でこうなったんじゃろ、あんなに愛してたのになあと10分ほど思案した結果、今のはてブの暗い雰囲気を嫌って離れたという結論に至ったのでメモがてら書いてみる。
Facebook等の外的な要因は確実に影響しているでしょうが、ここではあくまではてブ内部についての要因を探ってます。
例えば。
橋本大阪市長や前石原都知事に対して毎回蔑称タグをつけて反発する人達。
こういう(言葉はちょっと悪いけど)低俗なユーザーがこの3年ほどで極めて目立つようになってきた。
全体に占める低俗ユーザーの割合が確実に増えてるし、彼らの蔑称タギングのスキルも年々向上して匠の領域に入ってきた。タグだけで人をイラつかせる匠の業。凄い。
はてブのトップページを開くとすぐに蔑称タグが目に入ってくるけど、それって異常だよ。もう慣れた人もいるかもしれないけど、それは感覚が麻痺してると思った方がいい。はてブが好調だった~'09ぐらいまでも当然この手のユーザーはいたのですがそこまで目立ってなかったなあ。
この手のユーザーに共通している性癖は、自分が敵認定している対象(中韓、自民党、橋本市長、マスコミ、警察、ブラック企業etc)に関係する情報であれば、それが例えどんな情報であろうとも蔑称使って反応する点。発言の中身や、思想などは二の次。敵視対象が絡んだ瞬間に頭が沸騰して蔑称を使って否定に走る性癖があるわけです。これはもう知能の多寡の問題ではなく性癖なんだろうと思う。
坊主が嫌いなら袈裟も憎しみの対象になってしまうようなユーザーが近年間違いなく増えてる。
絶好調だった頃のはてブはコメント欄が大変有用な場になってた。たったの100文字を駆使して議論が交わされる事も。気付き、ひらめき、バランス、そういったものが溢れてた。理性的で本質をえぐるコメントがキラ星のように煌めいてたし、感情的なコメントは逆に埋もれる傾向にあった。
今のブコメはヘイト(hate)だらけ。ヘイヘイホー状態。ヘイト丸出しの扇情的なコメントが人気コメントの上位を占めちゃってるわけです。そこには以前のように気付きもひらめきもバランスも無く、ただただ感情的で扇情的でヘイト丸出しのコメントが溢れかえってる。これじゃあ段々と場が荒んで荒廃するのも無理は無いでしょう。事実自分もほとんど見なくなった。一部の技術系タグをRSSで補足してるぐらい。
今のはてブって見れば見るほど気分が荒む。ネガティブになるというか、何か創ろうとか何か新しい事を探そうとか何か議論しようとか、そういう生産的な雰囲気が全く無くなったよね。偏執狂な人が扇情的なヘイトコメントを付けて、そこに似た趣向のユーザーが涎垂らしながらスターをつけてる。あかん。あかんよ。コメント欄を見れば見るほど自分が馬鹿になるんじゃないかっていうレベル。
あとさ、netwatch系のブログも人気過ぎる。家入とかイケダハヤトの動向を一挙一動観察して馬鹿にするようなnetwatchブログを、自分の貴重な人生の貴重な時間を割いて読んで、それ10年後に何が残るのって思う。いや確かに面白いんだけどね。誰かを馬鹿にして気分はスッとするのかもしれないけどさ。でもそんなんばっかりネットで読んで時間潰すのってそれ異常だよ。神経麻痺してるよみんな。
例えば去年はてサとか呼ばれる人達がバッシング浴びてて大人しくなるかと思ったら、ほとぼりが醒めたら相も変わらずヘイトコメント連発してるじゃないですか。ネットで敵視対象に対してヘイトコメントで鬱憤を晴らすっていう生活習慣が、右な人も左な人も同じように骨の随まで染み付いちゃってるんだろうなと。それが性癖なんでしょう。性癖は治せませんからね。もう彼らのような連中が居着いている限り、はてブの再成長フェーズなんてものは望めないと諦めるしかないんじゃないですか中の人。UIとか全然関係無い。ユーザー側の問題。残念。
自慢じゃねえが1作も読んだことねーよwww
「キスすら描けませんでした」
「知人はトランスジェンダーを扱ったせいで賞に落ちたと聞きました」
海燕「同時代のこの作品では事後にザーメンがたれてくる描写があります」
「君の事はあきらめた!」
「私に諦めさせた人間は君が初めてだ!」
wwwwwww
くっだらねーことで間違いを認められないダサいおっさんですね。ただの。
俺だって心底どうでもいいわw
この橋本というオッサンがすげーみっともなくてだせーと言ってんだよ
橋本に粘着してる低能どもは、きっと橋本作品が好きだったんだろうな
幻滅したこと自体には同情せんでもないよw
涙拭けよw
どこが小説家らしいんだよ。
誰が見ても途中からずっと逃げ腰&不機嫌なのに
揚げ足取りにすらなってない、相手の挙借に意味不明な言いがかりをつけて
お前の言う「小説家らしい幼さ」って具体的に何?
適当に言ってんじゃないなら具体的に言えるよね?
何がどう「相手を追い詰めて」て、何がどう「理屈バカ」なんだよあれが。
っつってるだけじゃん。
一応、ラノベの歴史に関わる事実について正否を争ってるんだから
「橋本先生の顔を立てて」「そういうことにしちゃおう」というような話題でもない。
むしろ何度逃げを打たれても威嚇されてもなあなあにせずにこの一つのことを聞き続けたのは偉い。
だいたいこんなの橋本が
「私の印象違いでした、ごめんちゃい」で終了じゃねーか。
なんでそんなことについて、
「事実と違うんじゃないですか?」と突っ込んだだけの奴が
追い詰めただの理屈バカだの言われなきゃならねーんだ。
この場合、追い詰めてねーし理屈なんかどこにも捏ねられてねーし。
はっきり言って悪い印象しか持ってなかったし、
ぶっちゃけバカだと思ってたし今もまだ思ってるけど、
あのやり取りでカイエン側に落ち度は一個もねーよ。
水道橋氏の降板って、あの番組以前に決まっている可能性はあるのかしら。
というか、テレビってあんな感じに番組中に降板とか決められるものなの?
だとしたらそれはとても非常識にみえる。
しかし、それよりももし、降板がすでに決まっていて、
その降板の理由をあたかも現役の政治家の発言が理由のようにして辞めるように振る舞ったのだとしたら、
印象操作として見過ごせないレベルではないだろうか。(政治家の評価云々は別にして)
水道橋氏のような芸人の世界観には、プロレスのような、真実よりも伝説を重視するというか、ストーリーの裏を暴くのは野暮というか、そういう世界観みたいなのがあって、
本人は黙ったまま、こうして匿名の場所でさえ論じられるような演出ができたことで十分満足できるのだろうし、してやったりな気持なのかもしれないけれど、
結局のところ、橋下氏に対して失礼な振る舞いだし、橋本氏を選んだ市民にも失礼な態度に帰着するのだと思う。
橋下氏からしたら、ふだん言いたい放題言ってるコメンテータのいる番組に出演して、少し皮肉めいた言い方をしたら、その発言で誰かが辞めるなんて、トラップ以外の何ものでもないよなあ。こんなの、公共放送がやっていいのかね、と思う。
以下ははてな等で行われる「私モテ」に関する想定問題集と推奨される回答。
1. もこっちのキャラ造形は「泉こなた」を連想させる。オタクキャラであったこなたと同様にオタクはもこっちに自己投影している。オタクの自己愛が駄々漏れである。幼児的だ。未成熟だ。許されない。このような作品を見ているオタクは成熟するべきだ。
2. 私モテの主人公の内面は男オタクである。しかし外面は女性として描かれている。つまり喪女を消費して搾取している。私モテは男性オタクによる性消費である。このような作品を見ているオタクはジェンダー的に正しくない。差別者であり政治的に許されない。自己反省をするべきだ。
3. 私モテは女性性を搾取している。女性へのヘイトスピーチである。このような作品が作られているのが日本のオタク文化の構造的問題である。慰安婦問題にも通じる構造である。差別的社会構造に加担するオタクは許されない。自省するべきである。ジェンダーについての勉強が足りない。反省が足りない。差別的社会構造を野放しにしているどころか無邪気に構造から産出された差別的偏見的抑圧的作品を消費することで構造の強化に加担しているオタクに表現規制に反対する権利はない。オタクの自省の無さが橋本と石原を産んだ。反表現規制は笑うべき論だ。
4. モテない男が空想の中で女性に自己投影をしている。これは女性の女性性を消費する行為だ。更にはトランスジェンダーに対する差別でもある。現実で努力とリスクを負うこと無く空想を愉しむ行為は自らの男性性からの逃避である。男性が持つ加害性に対する自省が足りない。市民社会の一因として男性の加害性に向き合い男性としての自覚を新たにせよ。それが男性として生きる道である。それが男性としての責任である。男性性からの逃避は許されない。お前は男だ。男としての自省が足りない。男として生きろ。男の責務を忘れるな。お前は女ではない。お前は女にはなれない。染色体から逃げるな。男性ジェンダーから目を背けるな。逃避するな。空想に逃げるな。男の義務を果たせ。現実と戦え。
5. 非モテ男という自らの現実を空想で女性に投影している。自傷的自己愛に耽溺する行為である。非モテのウィンプ性が駄々漏れである。お前たちは堕落した醜いウィンプだ。だがしかし実のところお前たちはマッチョであり強者なのだ。オタクが好む作品がその事実を示している。私モテを見ればわかる。お前たちは自らのマッチョ性から目を背けている。醜いナルシズムに浸る行為であり許されない。自らの強者性と無自覚な加害をウィンプの態度で覆い隠しているのだから単純な暴力よりも邪悪である。私モテを見ることは女性へのDVに等しい。現実と戦え。成熟しろ。自省が足りない。反省するべき。
6. 私モテは学校で孤立している黒木智子が自分は男にモテないのが最大の問題と思い込んでいるように描いている。したがって私モテは男女二元論的ジェンダー規範に加担している。私モテは異性愛社会の権化だ。つまり同性愛者に対する差別である。セクシャル・マイノリティへの配慮が足りない。政治的に正しくない。自省しろ。反省しろ。お前が同性愛者あるいはその他のセクシャル・マイノリティだとしても異性愛社会の差別的構造を内面化しているだけだ。可愛らしさを是とする理想化された女性像に囚われた同性愛者でありながら非モテ的心性に共感するお前は黒木智子に対する自己投影を行いジェンダー規範を強化している。許されない。お前のしていることは抑圧移譲だ。お前は女性への抑圧者だ。お前は社会の生き辛さを強化している。差別的社会構造への加担者である。許されない。反省するべき。自省しろ。
7. 私モテ読者は女性への抑圧者だ。見ればわかる。作品が示している。おまけに日本社会の差別的抑圧的社会構造に加担する無自覚な加害者であるオタクが邪悪な欲望に塗れた作品を描いて消費することで抑圧された女性の苦しみを搾取している。私モテが存在することで女性が生き辛くなる。許されない。自省しろ。反省するべきだ。私モテは性差別でありヘイトスピーチに等しい。更にはセクハラである。私モテの存在が性暴力である。辛い。苦しい。規制しろ。焚書するべき。されたくなければ自省の態度を示せ。お前たちは政治的に正しくない。女性へのヘイトスピーチを娯楽として消費しているのだから規制されて当然。自省しろ。反省しろ。
8. 以上のように私モテが差別であり偏見でありヘイトスピーチであり抑圧であり生き辛さを生み出す邪悪な社会構造の根本原因であることが理解された。お前たちは何故自省しないのか。反省しろ。自省しろ。弱者に対する態度を示せ。被差別者に対する態度を示せ。マイノリティに対する態度を示せ。私モテはウィンプを偽装したマッチョであり弱者を偽装した強者であり無自覚な加害者であり無自覚な差別者であり無自覚な偏見を眼差すひ弱で醜い零落したいじめられっ子でぼっちの気持ち悪いモテないオタク男が性欲に塗れた自らのナルシズムを慰撫するために作り出した黒木智子という自傷的自己愛のカリカチュアを性的に愛でるオナニーであり即ち女性のモノ化でありハラスメントであり性的搾取であり性消費であり性暴力のイコンなのだ。私はそれを指摘した。故に私は道徳的に正しい。倫理的に正しい。政治的に正しい。私こそが弱者の擁護者でありマイノリティの庇護者である。だがお前たちは邪悪だ。許されない。自省しろ。反省しろ。お前たちが悪いのはどう考えてもお前らが悪い。許されない。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。自省しろ。反省しろ。
1.
うるせえ死ね
2.
うるせえ死ね
3.
うるせえ死ね
4.
うるせえ死ね
5.
うるせえ死ね
6.
うるせえ死ね
7.
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8.
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