千野栄一『外国語上達法』には、ある言語を習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語の基本的文法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的文法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。
「言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなります。しかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」
教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。
1. モチベーションの維持によい
2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音が我流のものになってしまう危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音の重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しのレベルで説いている。
3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。
語学学校のスタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。
シュリーマンのエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマンの朗読を聞いてもらったのだそうである。
寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学のクラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。
ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います。
お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル(学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。
補足ないし余談
・フレンズのDVDで英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。
・英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。
寸劇が大事というのはわかるかも 高卒でしかも英語赤点だったけど、ネトゲで外人とあそんでたら 英語のブログ読んだり、フォーラムに書き込んだり、軽い会話くらいなら苦労しなくな...