はてなキーワード: 槍玉とは
ニコニコのF1タグで恐らく最大手のあのF1解説動画、動画の内容が目に余るほどにお粗末。「解説」って言っときながら何の根拠もない自分の見解述べるだけとか、事実と異なるどころか真逆の事すら書き始めてて、もうほんといい加減にしてほしいんだわ。見なきゃ良いとかそういう問題じゃなくて、こっちがいくら意味不明な批判してる人間に理屈立てて説明してもキリないんだよね。ぶっちゃけ日本国内で不当な批判してる人間、この人の解説動画とF1Gate.comに毒されてる説マジで普通にあると思うよ。というかこの人がF1Gate.comみたいなアフィもどきの怪しいサイト斜め読みして動画作ってる可能性大。「この動画の情報は真実とは限りません」とか情報を1本の動画にまとめて発信する側の人間として失格な言い訳やめて、ちゃんとチームが出してるデブリーフをしてる動画とか、FIA.comのスチュワードの裁定が書かれてる文書読んでから作る気にはならないの?自分の感情抜きにしてインシデントそのものを論理的に評価する地頭とか持ってないの?はっきり言ってゴ○。無知な視聴者ボイロで釣るだけの商売は楽でいいねえ。
さすがに批判コメだけだとただのアンチと同レベルだから、特に酷かった「解説」をいくつかピックアップしてみた。御本人が見つけた時に、是非参考にしていただきたい。できる頭があったらあそこまで酷くならないと思うけど。
①2019年カナダGP、ベッテルの5秒のタイムペナルティに対して「個人的に厳しすぎる」と言い添える→これは「解説」ではない。これはあなたの感想でしょ。優勝をペナルティで奪われたベッテル可哀想くらいにしか思ってないのが丸分かり。厳しすぎると思うのであれば、せめてその根拠くらい示すべきでは?100歩譲って示したとしても、コース復帰時のベッテルの幅寄せが無ければハミルトンは前に出ていたことが、インシデントが発生する直前のタイムギャップなどから認められたから、スチュワードはタイムペナルティを科したのであって、車両から送られてくるテレメトリーやリプレイから得られる証拠を覆せるだけの根拠なんて、示せるわけないのはほとんど分かりきったことだけど、もし厳しすぎると思うならせめて根拠くらい示さないといけないのでは?ペナルティがレース結果に直接影響を及ぼした時に、よくこのタイプの意見をよく見かけるけど、スチュワードは科したペナルティがレース結果に介入するかは一切考慮しないのは周知の事実。少々話が外れるが、2018年中国GPで、上位2台がピットエントリーを通過してからSCが宣言された時のボッタスとベッテルの「下位ドライバーが有利になった」という批判に対して、故チャーリー・ホワイティング氏が「安全管理が我々の仕事で、結果管理ではない(要約)」と反論していることからも見てとれる。SCが出たタイミングが下位ドライバーに有利に働いたのは文字通り結果論であり、どのタイミングで宣言すればドライバーに平等かなど、考慮するはずがない。これはペナルティを科す際も全く同じ。違反行為の重大さに応じて罰則を科すのであって、レース結果にどう影響するかも考慮してペナルティを科してしまったら、それこそ同じ違反行為に同じペナルティが科されなくなってしまい、この手の文句を言う人間がよくほざいてる「スチュワードに一貫性が無い」状態になってしまうが、それを分かってて書いているのか?曲がりなりにも「解説動画」でしょ?誰もあなたの感想なんて求めてないよ。
②2018年ドイツGP、ハミルトンのピットエントリー侵入後の区分線またぎについて「ペナルティは無かったようです」→これ特に酷かった。FIA.comに、このハミルトンの一連のインシデントについての裁定が書かれた文書があり、そこには「Decision:A Reprimand.(1st reprimand of the current season)」つまり、「処分:勧告処分(現在のシーズンで1回目の勧告処分)」と書かれている。つまり、最初に言った事実と異なるどころか真逆の事が書かれている。ペナルティは科されていないと解説しているのに、実際には勧告処分という罰則がきちんと科されている。ふざけてるのか?ぶっちゃけこの1点だけ取り上げても、いかに適当に動画を作っているかよく分かる。いくらなんでもこれは「真実とは限らない」じゃ通らないでしょ。こちらで確認した限りでは、この件についてなんの訂正削除謝罪も見てないんだけど、どういう神経してるの?もう少し自分の発言に責任持つべきでは?
③2020年ロシアGP、ハミルトンのペナルティに対する無線の内容、表彰台での態度を槍玉に上げる→ハミルトン絡みのどいひーな解説多いと思わなくもない今日この頃。この人もしかしてハミルトン嫌いなだけなんじゃ?と思ってみたり。一応2018年シーズンからレース解説は全部見てるんだけど、おかしなこと言ってる時は大体いつもハミルトンが絡んでる。まあいいや。まず無線について、というか表彰台の態度もそうだけど、相手も人間でしょ?ステアリングを握り続けた手やヘルメットが当たり続けた頭には跡がつくほどの負荷がかかるし、時に3リットルもの汗をかく。精神的にも肉体的にも疲れ果てた状態で、それでも紳士的に振る舞えというのは、この人だけに限らずあの時にハミルトン叩いてた連中も含めて、一体何様なの?と問いたい。一流のドライバーも人間なのだから、時には頭に血が昇るし、悪態をつく時もあるに決まってるでしょ。2019年オーストリアGPのライコネンの中指立て批判した?あれ国際放送だとモザイク入れないといけないくらい下品な行為なんだけど、どうせライコネンはそういうキャラだからとか言って笑ってたんでしょ?2018年ブラジルGPの表彰式でのフェルスタッペンの態度は?批判した?どうせしてないでしょ?オコンにぶつかられて可哀想みたいなしょうもない感情論に流されてたんじゃない?これらの行為もハミルトンの行為も、どちらも同じ「お行儀の悪い」行為なのに、片方は批判して、もう片方はしない、そんな人間に他人の振る舞いを批判する権利なんか無いよ。ハミルトン叩いてる不特定多数の連中もそうだけど、単にハミルトンの態度が気にくわないから批判しているに過ぎない。もし、その態度や発言が不適切と言いたいのなら、それを決めるのはスポンサーやチーム、またはスチュワードなどであって、少なくともあなたでは絶対にない。不適切であれば正されることは、ムジェロでハミルトンが着ていたTシャツの一件が証明している。最も、あなたが自分の品位を下げることを厭わず気にくわないドライバーを叩きたいのなら、好きにすればいいと思う。
粗探しでもこれだけ出てきた上に、レース解説の方は各1回ずつしか見てなくて、F話本編の方は全く確認していないので、2019年イギリスGPのボッタスのタイヤ戦略を「ミス」と評価していた所など、戦略を雑に解説しているところなどをもっと細かく探せばいくらでも見つかると思う。視聴者が1日でも早くあの動画を卒業することを祈ってる。てか、主が下調べしてから動画作れるようになれば済む話でしょ?いつになったら出来るの?あと、ホンダとかフェラーリとかのファンに突撃されたときのために言っとくけど、こっちはハミルトン信者でもファンでもないからね。あしからず。
やっぱり感染拡大のサイクルを飲食店(やホームパーティーなど)での会食が回しているから。
会食で感染した人が持ち帰ってきたウイルスで、職場や家庭内で感染が起きたあとに、
その同僚や家族がまた別の会食に行ってウイルスを感染させていく、そしてそこで感染した人が
こういったサイクルの結節点になっているような業種は少ない。だから連鎖を断ち切れる場所
として飲食店が槍玉にあがるのは仕方がなく、またそれは政治的に弱くていじめやすいからなどの
理由ではない。むしろ、個人経営の飲食店は与党自民党の票田の一つで、これまで対応が
後手後手になるくらいには政治的に手を出しにくいものだった。飲食店規制が一番有効だったであろう
クリスマスから忘年会のイベントシーズンを結局たなあげのまま過ぎさせたように。
さらに、職場での感染が増えているのに、というところで見逃してはならないのは、職場での感染が
業務中に起きたものではなく、懇親会などの会食で起きているようなケースも多いという点。
同じフロアで働いている同僚が感染しておらず、別の階で働いているが懇親会に出た同僚が感染した
結局、飲食店が公害産業になった(これは誰が悪いという話ではなく、現実としてそう変わってしまったということ)
から、鉱山や工場のように種々の規制がかけられるのは仕方がない。公害対策の規制が実質的に廃業宣告
となった企業はこれまでも多くあった。飲食店だけ大目に見ては、そういった企業で働いてた人たちは何で俺たちと
対応が違うのだと思うことだろう。
役割を軸にして考えたとき、(コントと比較すると)漫才ではボケとツッコミの役割がはっきり分かれるパターンが多い。
これは、コントでは最初から最後まで「自分以外の役」に入り込んで「演技」をする形態が主であるのに対して、漫才ではあくまでも「自分」が喋っている体で「会話」をする形態が主だからである。
「だったらコント漫才(M-1優勝者ではアンタッチャブルやサンドウィッチマンなどのネタがそれに該当)はどうなの?」という疑問が当然あると思うが、これも基本的にはボケ・ツッコミ共に自分自身を投影した役であることが多く、純粋なコントに比べると言動にパーソナリティが大きく反映されるという点で違いがある。
つまり、漫才には純然たる役割が決められており、M-1が2001年から開催されひとつの「競技」となっても「ボケ担当の人はひたすらボケ続けるし、ツッコミ担当の人はひたすらツッコみ続ける」という形はしばらく変わることがなかった。
漫才における役割を軸にして考えたとき、まず最初に議題に上がるのが笑い飯というコンビである。
彼らは、最初どちらかがボケてそれに対してツッコむというやり取りが終わったあと、ツッコんだ側が「俺にもやらせろ」と言って役割が変わり、それ以降はツッコむごとに役割が交互に変わっていくというスタイルを持つコンビである。
しかし、ネタ全体の構成を見るとボケ・ツッコミの役割がハッキリと別れており、それが入れ替わるというギミックがなければ比較的オーソドックスなネタであるとも言える。
このボケ・ツッコミという役割を曖昧にした上で主要大会を優勝した最初のコンビは、M-1 2005におけるブラックマヨネーズである。
基本的に吉田がボケ・小杉がツッコミの役割を持ったコンビであるが、この年に披露したネタは後半になっていくにつれて小杉が突拍子もないことを言いだし、それに対して吉田が正論でツッコむというパターンが多く見られた。
これは「平場のトーク(ラジオなど)では面白いのにネタがいまいち」というブラマヨ評に対して彼らがたどり着いた一つの回答である。
つまり、漫才だからといって必ずしも役割をハッキリ分けず、普通の会話のようにボケとツッコミがシームレスに入れ替わるパターンがあっても良い、ということが世間にも認められた瞬間であった。
そして、その漫才における役割の曖昧性が頂点に達したのはTHE MANZAI 2012である。
この中で役割がハッキリと別れたネタをする千鳥はさておき(ここもベタとは言えないスタイルを持つコンビではあるのだが…)、注目したいのはハマカーンとアルコ&ピースである。
まず、優勝したハマカーンであるが、2012年以前は浜谷がボケ、神田がツッコミという役割が比較的はっきりと別れた漫才をするコンビであった。
しかし、この前年のTHE MANZAIで(本人曰く)惨敗したあと、スタイルを大きく変える決断をし、役割も主として神田がボケ、浜谷がツッコミという形に変更した。
そして、このスタイルのネタの中で一番特徴的なのは、神田が女子目線で物事を語ったあと、浜谷が著しく感情的に怒り、それに対してさらに神田が理論的に諭すというものである。
抽象的に言い直すと、本来は単なる導入部に過ぎないネタ振りがボケとなり、それに対してボケに限りなく近いツッコミをして、それに対してさらに言い返す、というパターンを構築しているのである。
彼らもやはりブラマヨがネタの構成を変えた理由に近いものがあり、優勝後に記者が彼らに「どっちがボケ・ツッコミって書けばいいですか?」と質問したというエピソードもあるくらい彼らの役割は曖昧であったと言える。
彼らは、漫才の代表作としてラテン語風の架空の言語を駆使して(しかし、よく聞くと日本語が散りばめられており内容がわかる)しゃべくり漫才など、(自分自身を投影した役割ではないという意味で)どちらかと言うと限りなくコントに近い漫才を得意としていた。
この年に披露したネタは、酒井がよくある漫才のネタ振りを平子が真剣に受け取り芸人として苦言を呈していくというものであった。
これは、見ようによっては役割上はツッコミであるはずの酒井がボケっぽく見え、ボケであるはずの平子がツッコミっぽく見えるネタであると言える。
決勝ではハマカーンに敗れてしまったものの、このネタにより一回戦を審査員満票で笑い飯を退け、決勝に勝ち上がったということの意味はとても大きい。
このようにして、漫才における「役割」を軸にして考えると、いろんなことが見えてくる。
つまり、伝統的な漫才とされているものが、役割だけで見ると必ずしもそうとは言えない(またはその逆)ケースが出てくるのだ。
昨年M-1を圧倒的な評価で優勝したミルクボーイであるが、ちゃんとやり取りがあるという点においては比較的ベタなしゃべくり漫才と言えるが、役割を軸にするとどうだろうか。
彼らのネタはボケである駒場が、母親がなかなか思い出せない物事があると語り、それに対してツッコミである内海がヒントを元に推測する、というスタイルになっている。
ここで、内海のツッコミに注目すると「〇〇やないか!」「〇〇ちゃうやないか!」という最初のフレーズを除き、推測対象(コーンフレーク及び最中)に対してやや偏見掛かった持論を語るという形になっており、取りようによっては最初のフレーズ以外はほぼボケとみなすことも出来るだろう。
ボケである駒場も、特に突拍子もないことを言うわけでもなく、ただ淡々と対象を推測しうるヒントとなるワードを言い、それがツッコミによりボケと気付かされるというスタイルになっている。
つまり、ミルクボーイは役割こそ別れているものの、その境界線はかなり曖昧で、実はツッコミがボケをリードする形になっており、しゃべくり漫才における主従関係が逆転したスタイルをもつコンビと言える。
この、ボケと言えるかギリギリのラインを攻めるボケと、それを埋めるように著しく強いツッコミをするというスタイルをもつコンビは、過去にもくりぃむしちゅー(海砂利水魚)などがいるため、前例がないわけではないが、漫才全体の歴史で考えると十分革新的なスタイルであると言えるだろう。
一方、漫才であるかどうかということが槍玉に挙げられたM-1 2020を優勝したマヂカルラブリーであるが、役割だけを見るとかなり保守的であると言えるだろう。
彼らのネタはボケである野田がひたすらボケ続け、ツッコミである村上が外側で解説に近いツッコミをし続ける、というスタイルである。
つまり、やり取りが序盤とオチ以外存在しないという点が従来の漫才から外れているというだけで、それ以外は至極まっとうなスタイルのコント漫才である。
この「やり取りが存在しない」という漫才の最右翼としてあげられるのがナイツだが、彼らが漫才師でないという意見はほぼ皆無であろう。
したがって、ナイツを漫才師であると評価している以上、マヂカルラブリーのネタを漫才でないと評価するのは無理のある議論と言えるのではないだろうか。
別に4℃とか特定のブランドが悪いというわけじゃないと思うんだよね。
1番の問題は『女性にプレゼントを渡すことの加害性』だと思う。
よく「断ればいい」なんていう人もいるけど、普通に考えて怖いでしょ。「いや、あなたのこと好きじゃないし要らないです…」とか言ったらぶん殴られるかもしれないし。だから気持ち悪いと思いながらも笑顔で受け取るしかない。これは本当にストレスになる。
これは4℃であるから、とかは関係ないと思う。よく贈られる手頃なプレゼントの代名詞だから槍玉に挙げられてるんじゃない?
例として、私が今までもらったプレゼント一覧
・ピアス(100均に売ってそうなヤツ):いやそもそも耳に穴空いてないし
https://caselaw.findlaw.com/id-supreme-court/1766134.html
他はVIANNA STIBAL, THETAHEALINGで探してください。
今年初めから突如現れた新型コロナの脅威の中、大規模クラスター発生をきっかけに当初から何かと注目されてきたライブハウス業界で、長くなるが、今回は自分の身の回りで起こったことについて。
まずは自己紹介。筆者の私はコロナ以前から楽器奏者としてとあるバンドに参加していて、普段から自主イベントを企画したりなど、月に何度もライブ公演の予定が入っているような生活だった。
といってもメンバーは音楽で生計を立てているわけではなく、普段は自営業をやったり会社員をやったり自宅で庭を眺めていたりなど色々で(これは主に私)、基本的にはその合間での活動のため、一般的にはアマチュアバンドと呼ばれる存在になると思う。
コロナが蔓延し始めた3月にもライブの予定は入っており、それはコロナ前に企画されたイベントのため、会場代とライブチケットのバランスなどから狭い会場にキャパギリギリまで客を入れるというスシ詰め状態で計画されていたものであった。
イベントを開催するに当たって、広い会場への変更か人数制限、検温などなんらかの対策が必要なのではないかと、イベント主催者でバンドのリーダー格の人間に提案してみたのだが、なんと必要ないと突っぱねられ、他のメンバーも問題視せずに、そのまま開催されてしまったのだ。
1人でもコロナ陽性者が紛れ込んでいたらクラスター確定の今考えると恐ろしい状況であるが、クラスター発生以前の 3月時点では、ほとんどのライブハウスはそこまで対策が必要とは認識していなかったのだ。
3月を思い出してみてほしいが、公共空間でのマスク着用や、ドアノブのアルコール消毒など今では当たり前に行われていることも、品物入手がそもそも困難だったりなどもあるが、そこまで浸透していなく、それはおそらく音楽以外の他の業界でも似たり寄ったりであったであろうし、そこは後になって責めることはできないだろう。
ただ、何も有効な対策をしないまま、密な空間で来場者同士お酒を飲みながら至近距離で相互に喋るというコロナ前と変わらないスタイルのイベント開催が乱立していた3月〜4月の状況でのクラスター発生は不可避だったと言える。
その後の全国的なコロナ蔓延と緊急事態宣言、クラスター連続発生で、業界全体の危機感、空気感はかなり変わり、配信や少人数での観客を入れてのかなり気をつけて運営していく方向に変わっていった。
夜の街と一緒に何かと槍玉に挙げられ、聞いた話では楽器を持って電車に乗っているだけでコロナをばら撒いていると差別を受けたりなど、そういったこともあったよう。再びクラスターを起こさないために、感染症対策を万全な状態で運営しつつ、国に業界全体の補償が必要と訴えていくような運動も自然に起こっていった。
ただ同時期に、「国が不安を煽っていて実際コロナは大したことがない、本当は大したことはないことで自粛すると経済が死んでしまう」「インフルエンザの死者数の方がコロナより多いので恐れる必要はない 指定感染症か外すべき」などといった楽観論というよりかは陰謀論に近いような説に傾倒してしまう人も現れはじめ、なんと自分の所属しているバンドのリーダー格の人間もそういった説を支持するようになってしまったのだった。
対話を試みるにも、極端な考えに取りつかれてしまった人間との対話は困難であり、自然とそのバンドとは距離を置くようになってしまい、演奏活動にも参加しなくなっていった。
メンバーの一人から報告があり、先ほど書いたバンドのリーダー格の人間から当日熱があるのに、熱があったことは秘密にしてライブに出てくれないかと出演を説得され、不安を感じつつ迷ったが、当日熱が下がったこともあり出てしまった。
その後、しばらく経ってから別件で40度近く熱が出てPCR検査に回されたこともあり、やはり冷静になってあの時のあの対応は不味かったんじゃないかと思い始めたと。
あろうことかそのライブ企画とはライブハウスからの無観客配信とはいえ、ライブハウス支援プロジェクトという名目で行われる自主企画だったのだ。
もしコロナだった場合、客を入れての営業も配信ライブと並行して行われているそのライブハウスの店員にまず感染し、クラスターが起きる可能性も考えられるだろうし、そもそもライブハウス支援企画との名目で自主的に行われるイベントで、主催者側がルールを破るというありえない行為が行われてしまったのだ。
勿論知らされないでテロを決行されたライブハウス側や、他の出演者には落ち度は一切ないし、むしろ被害者であるだろう。
当時この件を表沙汰にするべきかどうかとても迷ったのだが、結果的に何もなかったこともあり、迷った末、今後こういうことが起きない抑止力にはなるだろうから、周りの親しい知人やイベント主催者などにのみ起こってしまった惨状を伝えることだけにとどめることにした。
その後、発熱者に出演強要を迫った本人に連絡し、一体どういうことかと問いただして見たところ、なんと「発熱者が会場にいても、マスクを付けていれば感染しない」専門家もそう言っていると、とあるウイルス学者の書いたネットに上がっている文章を引用して反論してきたのだった。
調べてみると、どうやらそのウイルス学者がいわゆる反自粛派と呼ばれる人たちの理論的根拠となっているようで、発言もよく掘り下げて調べてみると他にも、「老人はコロナにかかっても寿命で死ぬようなものなので、気にせず自粛しないでどんどん活動していけ」などちょっと考えられないことを言っている方で、そしてどうやらライブハウスの新型コロナ感染対策ガイドラインもそのウイルス学者の方が監修に関わっていることがわかり、ライブハウス関係者で反自粛と言われる考えに傾倒してしまう人間少なからずいることに関係しているのかもしれないと考え始めるようになった。
元から反自粛と呼ばれる考えの人が、このウイルス学者の発言を自分の考えの正当性の根拠に使ってるのか、有名大学の教授でウイルス学の専門家という肩書きなのでこの人の発言に妥当性があると本気で信じてしまっているのかは判断できないところがあるが、どちらにせよこのウイルス専門家の言っている「陽性者が隣にいてもマスクしてれば大丈夫」などの発言はまるで現実的とは思えない。そして結構支持している人が周りにいるのが、やばい。
それから数ヶ月、全体的にはかなり気をつけて運営している人が多いにしろ、とある地方で感染対策に不備がある大規模イベントが行われてしまったりと、そういった事例も目にするようになってしまった。なんとなく大丈夫という楽観論も増えてきているよう。
始めに言っておくと公立中学を「動物園」と表現するのは、それが正確かは兎も角許容される事だと思う
ただし普段、表現にそれと同等かそれより厳しい基準で批判を行っていないなら
公立中学を「動物園」と表現してそれへの批判が燃え上がり、擁護する人も出る中で、
私が思ったのは「随分お優しい事だなァ」という事だった
現代において表現するという事はポリコレ等等様々な基準でジャッジされ、炎上させられる危険と隣り合わせという事、その基準から言えば「あんなの燃えて当然」というのが本音だ
例えば漫画やアニメのキャラクターが「公立中学は動物園」と表現したり、作者やアイドルがそういう発言をしたら、当然燃えるだろう
今回擁護側に回ってる人の中にもそういうケースなら喜んで叩く側に回る人、いんじゃないの?とも思う
それがはてブのコメントなら擁護する、というのはどういう事なんだろう?
今回批判の槍玉に挙げられがちな「はてなリベラル」への反感は、そういう事なんじゃないだろうか?
普段は非常に厳しい基準で表現をジャッジし、批判しているのに、いざ自分達がその対象に成ったら急に表現に寛容になる
例え自分が当事者でも、特定の人達を動物に例える表現は本来結構過激な部類に入る発言の筈だ、当たり前に人を傷付ける表現でもある
そこに寛容なのに、じゃあアレ(宇崎ちゃん)は?コレ(キズナアイ)は?ドレ(アツギタイツ)は?ソレ(ラブライブみかんパネル)は?
あなたはそれにどういう態度を取っていたんでしたっけ?
となる
問題なのは動物園発言やそれに☆を押した事では無い、普段表現に厳しいのに自分達だけには寛容、というダブルスタンダードだ
普段表現に厳しくないなら、動物園発言も、それを支持する☆も、問題ではあるが許容される範囲、なのではないか
「自分に寛容、他人にも寛容」より、「自分(とその仲間)に寛容、他人に厳しい」人が非難されるのは当たり前の事だろう
私が切にお願いしたいのはそれだ、「同じ基準で裁いて欲しい」
表現がポリコレ等の厳しい監視の目を向けられる事はもう、諦めている
サッカーをしていて審判がぐでんぐでんに酔っぱらっていたら不安にならないだろうか?それでレッドカード出されたら納得できる?
私達表現者にとってジャッジはあなた達だ、特にポリコレ支持者、リベラルが多いらしいはてなはその筆頭だ
つまり私の不安は「あなた達は酔っぱらっていないか?」という事だ
現状、あなた達のジャッジが正確で、公正で、平等で、恣意的では無い保証は何処にも無い、ジャッジの飲酒検査は完了していない
そこにきて動物園発言だ、「もしやジャッジ、酔っぱらって無いか?」となるのは必然だろう
ではせめて、同じ基準であなた自身や、その仲間、あなたが好きな表現、好きな人を裁いて貰えないだろうか?
あなたがあなた自身やその仲間の審判をゆだねて良いと思える基準なら、ある程度ではあるけど安心はできる
逆にあなたが「いや、自分が対象に成るのは御免だ」と思うような基準は、当たり前だがこっちだって御免だ
そして同じ基準で裁く為に必要なのは、そもそも基準を明確化し、言語化する事だ、まずはそれすら覚束ないジャッジがとても多い(ルールが明確じゃないジャッジ程怖いものはない)
自分が普段表現をジャッジしている基準は、明確に言語化するとどういう基準か?それは不自然な部分や可笑しい部分が無いか、自分に適用しても問題無いか、矛盾は無いか
そういう事を一度立ち止まって、冷静に考えて欲しい
(外国語は知らんが)人間を動物に喩える慣用句、言い回しが今の日本語にどれだけあると思ってるんだ。
過去に自分のクラスで学級崩壊が起きた状況、各々が好き勝手に声を上げて騒いでいるのを「まるで動物園のようだ」と表現しただけで槍玉に挙げられるようなことか?
別にネガティブ/ポジティブ問わず動物を例に挙げて人を表現する機会なんていくらでもあるだろう。
「公立(や公立にしか入れない連中は)はどこも動物園だよ」みたいに対象を広げて言ったならそれは問題にもなるだろうが、自分の経験した1サンプルについて「動物園だった」って表現したのを寄ってたかって袋叩きにする道理が正直分かんないわ。
俺は街中で集団が騒いでるのを見かけたら、多分それが貧困層だろうが富裕層だろうが頭が良かろうが悪かろうが「動物園みたいだな」って感想を抱くと思うし、それが差別的だとは思わない。
ああいうのって騒いでる人の方が対象に差別的な印象を潜在的に持ってて、それが今回の喩えに刺激されたから過剰に反応してるんじゃないか、って考えてしまうよ。
文章を書き慣れていないので読みづらいかもしれませんがご容赦ください。
アニメが嫌いになるので絶対にアニメ業界に入るのはやめた方がいい。
_
数年ほど制作進行を経験して(年数書くとバレるかもしれないから曖昧に)最近退職しました。
絵も描けない、撮影ソフトも使えない人が最初に目指す職種が制作進行になると思います。
_
制作進行は間口がめちゃくちゃ広いです。
_
とかいう『しょうもない』理由で制作進行を志望するのは絶対に辞めてください。
大体のアニメ好きは、
人と関わるのが不得意だとか
制作進行は1話数につき3,40人とコミュニケーションしないといけないんですよ。
あなたに耐えられるんですか?
しかも作画するアニメーターは自分で電話して探さなければなりません。
1話数につき何十人もです。
電話してブチ切れられるなんて毎回ありますよ。(制作進行からそういう電話が毎日入っていると思うのでそれには理解できる。
_
1作品ごとに
プロデューサー1名
デスク1名
設定制作1名
制作進行3,4人
の班が編成されます。
その作品が
全12話だったとして
1話数につき、
少ないと2ヶ月。
僕が経験したのは1ヶ月半の時もありましたが。(これでもスケジュール良い方だと先輩は言いますが。)
_
大体は前話数が終わっていない中で並行して次の話数の制作もしなければなりません。
つまり、
コミュニケーションを取らなければならない人間が約2倍になるし、
動かさなければならない素材も2倍になっているかもしれないということです。
この2話数が終わっていない中で3話数目が動くことなんてザラですので
経験者には全然難しいことではないですが。(面倒にはなります。
僕の同期はこの時点で仕事内容に混乱して辞めていった人が何名もいました。
1日は24時間なので犠牲にしなければいけないのは自分のプライベート時間ですよ。
こんなの、
_
下記が制作進行生活における不満点になるのですが詳細番号順にまとめます。
②少ない休暇(月4日休めたらいい方、その4日の内でも数1日時間会社に行くことになると思う)
③パワハラの横行
④驚くほど幼稚な人間が多すぎる
_
①について、
これはもうどうしようもないですね。
何日も泊まり込むほど忙しいです。
友達と遊ぶ機会も減るし、
忙しくなると、
まぁ、業界歴の長い人は帰れるだけマシなんて良く言うんですけど、
自分の頭がおかしくなっていることに気づけていないだけなのでかわいそうになります..
そんなことドヤ顔で言われてもなぁ...
_
カットの上がりがありますという返答を受けたので制作は回収に行かなければなりません。
片道1時間往復2時間の道を電車や車で移動して現地に到着すると、
本人の口から本当は作業していなくて上がりがありませんと言われて回収できなかったことが何百回とありました。
現地に到着して3時間待ってようやく1カット回収なんて何度もあります。(1話数につき250〜300カットでしょうか。
こんなことは毎話数ありますよ。
自己防衛する手段はこんなクソアニメーター使わずに他の人を起用するしかないのですが、
作業してくれるアニメーターがいない場合にはこいつに依頼せざるを得ません。
_
アニメーターのことも弁護しておくと、
彼らは凄まじい低賃金で働かされています。(制作進行は一応生活できる最低限は給料が出ている。最低限ですよ最低限!。
稼ぐためにはカットを大量に取らなければなりません。
8作品並行作業してレイアウトをひと月に200カットやっている人もいました。(こういう人は稼げないことを理由に大量にカットを取って小学生の落書きみたいな上がりを出してくる。
ですが、
こちらがカットの単価とスケジュールを交渉して『それなら作業ができる』という了解を得た上で依頼しているのに
平気でスケジュールは守らないしクソみたいな上がりを出してくるのです。(例外のアニメーターさんもいますがそういう人はよその会社に完全拘束されているんですよねぇ...
最初に依頼したスケジュール通りに上げられないなら受けるなよ...
_
②について、
これは①で重なる部分も多いのですが事実です。
月4日会社を休めるようになったのも
それ以前には3ヶ月連続出勤なんてザラでしたけど。
正月も出勤しなければならないですよ。
お盆もないです。
_
③について、
これはすごいぞ。
本来アニメーションを作る上で誰しもが対等でないといけないんですけど
制作進行は本当に最下層です。
『まだ俺が作業してるのに帰るの?』とか言ってくるのを
気を悪くしたのかチェックすべき素材が手つかずで残ってて作業が進んでいないとか。
制作進行は昼11時~14時前後に出社することが多いのではないかと思いますが、
作業しているか見張るために帰れないことがあるということです。
女性制作じゃないと嫌だと言って担当になった男性制作に幼稚な嫌がらせをする奴もいるし。
そういうやつは女性制作をつけたらセクハラをするのがバレているから男性制作をつけるのですけど。
そもそもそういう人材を使うなという話ですがそういうゴミを使わなければならないほど
しょうもないですよほんと。
下手なアニメーターの上がりを演出に渡したら物凄い勢いでブチギレてフロア中に響き渡る罵声を浴びせられたこともありました。
そんなん、
これだけ週に何十本もクソみたいなアニメ作品放送してたら上手い人なんかとっくに拘束されて見つかるわけ無いじゃないですか。
愚痴を言いたくのも分かりますがプロなら黙って現状の戦力でいい作品になるように仕上げろよ。
別の人だと『もう終電なくなったから社用車で家まで送れ』とか。(これに関してはこちらの不手際で残って作業していただくこともあったのでやりましたけど。
オールラッシュの時に監督から30人ぐらい他のスタッフが居る前で罵声を浴びせられたこともありました。
ブチ切れて良いのは宮崎駿とか才能がある人だけでしょ。
大体罵声を浴びせて他人を萎縮させて物事を動かそうとする姿勢が幼稚すぎるんだよ。
長くなるのでパワハラの件はここまでで。
_
④について、
アニメーターは社会人経験をしていないので大体子供みたいな人が多いです。(例外はいますよ
スケジュールを守らずクソみたいな上がりだらけです。
まぁこれも練習できる時間も取れずレイアウト作業するしかない低賃金と労働時間のせいだが...それでもそのスケジュールで依頼を引き受けたんだから約束守れよ。
よくアニメーターがTwitterとかでここやりましたと自分の作業したカットを上げてるけど
それ全部演出が動き直して作監が絵を全修してるからあんたの素材跡形もないだろ!と突っ込みたくなる。
演出は、
気難しすぎてコミュニケーションが出来ない人多数。
作画上がりの演出はクソレイアウトが上がってきたらブチギレる人もいる。
ブチギレるのはわかるけど黙って作業してくれよ...
この業界状況を作ってる連中にブチ切れてくれ。
作監は1番負担が大きい部署でそれほど恨みはない。(本当に負担が大きい担当なので...
私が関わった作監さんは良い人ばかりだった。
_
こんな連中が作っていたものを
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最後に、
そういう連中が呟いていることは基本無視していいです。(反面教師として役立つこともあるけど)
そもそもいい年した人間がTwitterで仕事内容や関係者だったら個人を特定できるレベルで
どんだけ幼稚なんだあんたら。
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もしこのダイアリー見ても制作進行を目指そうと思ってるあなた。
Twitterで仕事の愚痴を呟いている人は十中八九『難アリ(業界用語で頭のおかしい人)』なので
まともな人はbio欄に仕事お引き受けできません等書いてます。
犬の画像とかうんち!とかツイートして仕事内容呟いてない人はまともだと思います。
アニメーターでお仕事依頼中というbioが書かれている人は大体下手で仕事がないだけです。
そういう下手な人に仕事頼むと演出と作監からめちゃくちゃ怒られますよ。
あと業界の現状をTwitterでわざわざ憂いている人も難アリ多かも。
講師として学校に行ってる人は上手いから大丈夫だろうと思っても、
本業がダメだから学校で素人相手にしているのではないかと思うような下手な上がりの人もいたかな。(例外あり
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名前が有名な会社に行くことをお勧めします。(あと正社員のとこ探して。まだマシだから。
名前が有名じゃないアニメ会社は労働環境が最底辺になると思うので絶対に志望しないで。(制作もアニメーターもそこは共通
誰もが名前を聞いてあぁあそこね、となるようなところが基本的にはマシかもしれない...まぁゴミみたいな環境だろうけど。
有名な会社でも人をボロ雑巾のように酷使して毎年何十人と制作が辞めるところもありますから気をつけて...
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スケジュールのなさと単価の安さ故に歪んでしまったのかもしれませんが
性格が悪いのはそれのせいだけじゃないですよね。
死んでください。
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最後に、
『アニメ業界は頭がいいやつから仕事を辞めていく』と残った人たちはいいます。
つまり、
残った人たちは人間としてどこかが欠落している人間だと思った方がいい。(もちろん例外もいますけど残っている時点で馬鹿です...)
なぜなら、
制作進行10人採用して次の年に1人残っているかいないかという状態です。
でも大丈夫です。
それの繰り返しです。
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自分は大丈夫だと思って2021年4月を制作進行として迎えようとしているあなたへ。
コロナ禍で職探しが大変だとは思うけど今すぐ辞退しなさい。
アニメが嫌いになるだけじゃなく
アニメが嫌いになるのは本当に辛いことだよ。
他のスタッフの人生など一ミリも気にせず作品のクオリティのみを追求している人です。
何日も会社に泊まり込み異臭を放ってでも作品と向き合うような人です。
僕にはありませんでしたが...
自分のプライベートや趣味が少しでも、少しでも大事だと思ったら立ち止まる勇気が必要です。
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このダイアリーがちょっとでもバズったらTwitterにいる老害なアニメーターとか演出とか動検とか仕上げとかに
嫌だなぁ...
良いリトマス紙になるかもしれないので制作進行は参考にしてください。
そいつら全員社会人経験のない年だけ食っちゃった幼稚なオジサンオバサンたちなので。
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ここに書いたことなんて全体の本当に一部なんだよ。
この何十倍も嫌なことがあったし疲れ果てた。
以上。
構成としては約4%あるのでこれが下がるとインパクトが大きい。
携帯電話事業はちょうど良く認可事業(?)であり、なおかつ大手キャリアはいずれも大きな利益を上げてるので、他の支出よりも介入しやすいとして槍玉に上がったんだろうな。
今回のように理不尽とも言える圧力をかけた結果、携帯代が安くなることで家計の実質所得アップに繋がる。
Docomoもそのあたりをわかった上で、政権への"貸し"として値下げを決めたのかなあ。
その貸しはどうやって返されるんだろうか。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd252410.html
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
ジェリドのせいでやたらと槍玉に挙げられる「汚名挽回」だが本当に間違いなのだろうか?
汚名挽回は間違いだ派はよく「汚名を取り戻してどうすんだよw」と述べるが本当にそうだろうか?
劣勢挽回というコンビネーションがあるが、何故かそちらはスルーされている。
ちなみに以前にTwitterで三省堂国語辞典の中の人は汚名挽回は間違いではないと指摘している
そこで、ジェリドデマが広がる前に書かれていた文章で「ネガティブな言葉+挽回」がどれだけあるか青空文庫で検索してみた。
検索ワードは「挽回」のみで、挽回とコンビネーションされる単語を調べる事にした。
T署の刑事を予算超過に増員しても追付かぬ 殷盛 ( はんじょう ) に、不景気挽回
https://www.aozora.gr.jp/cards/001782/files/56514_65211.html
おまえはわしに代ってこの道場を支え、一時の汚名を、将来の精進で挽回してくれい……と、こういうのだ
https://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52399_49787.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49633_37944.html
衰勢を 挽回 ( ばんかい ) せしめたるものは実に役者絵中興の祖と称せらるる
https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49634_41512.html
頽 ( くづれ ) を挽回する
清水紫琴 誰が罪
https://www.aozora.gr.jp/cards/001146/files/43517_16588.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001402/files/49940_57497.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52413_51064.html
不利を挽回しようとするだけではどうも弱い
https://www.aozora.gr.jp/cards/000055/files/56499_51225.html
となり、全て列挙しているわけではないが山程出てくる。
ちなみに多すぎて省略しているが、青空文庫で「挽回」とのコンビネーションで圧倒的多数派なのが「頽勢挽回」だ。
頽勢(たいせい。衰えてゆく形勢)なので、間違い派に言わせると「衰えてゆく形勢に戻してどうすんだよw」となるが、これが間違いだとすると間違った用法が一番多い用法となってしまう。
「汚名挽回じゃなくて名誉挽回だろwww」と汚名挽回間違い派の金科玉条のように例として挙げられる「名誉挽回」だが、意外にもむしろ少数派で、確証はないが3件ほどしか見つからなかった。(太宰治 善蔵を思う、A Secret Service フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳、正岡容 小説 圓朝)
そもそもこんなものを列挙しなくても「遅れを挽回する」「劣勢挽回」などネガティブ+挽回の用例は身近にいくらでもある。
にも関わらず「汚名挽回」”だけ”がネタにされ続けるのはなぜなのか。
この結果を見てもまだ汚名挽回の汚名は『挽回』されないのだろうか
また、こちらも参照されたし
利益のもととなるのが、情報の非対称性であることもあるし、権力?というかスケールメリットのような事業であるがゆえの構造的非対称性由来であることもある。
後者はすごくフィジカルなものを積み重ねた結果だから感覚的に納得できる人が多いだろう。
でも前者の、情報の非対称性って、そんなに悪いことなのか? 情報をもってないからイコール愚だとは俺は思わない。
情報をもっていないからこそ、その商材まわりのことに煩わされずに生活できているメリットがあるわけだよ。
情報から利益を生み出す人々は、日々それを追って知識を吸収して蓄積していくことに人生を費やしている。
たとえその取引の肝となる情報がやり方さえ分かればネットで一瞬で分かるものだったとしても、素人がそれを真似たものと並べて考えちゃいけない。
ピカソが30秒で描いた絵を「100万ドルです」と言った理屈と同じように考えれば分かる。
だから情報の非対称性を、誰でも簡単にその対称側に行ける簡単なものだと錯覚するのは、ビジネスの根幹に対する侮りがあると思ってる。
もっというと、IT系の仕事を虚業だと言うような人たちと同類の誤解と侮蔑があると思う。
悪意的に都合よく隠された情報の非対称性はたしかに市場の失敗を引き起こすとは思うし、槍玉に挙げられる業界は是正の余地があると思う。
だが情報の非対称性がすべて悪だと言わんがごとき人々があふれることは、ビジネス自体が発生しなくなる経済の失敗につながると思う。閉じて完成された自給自足社会の域までもう到達してるなら、それでもいいんだが。
ノー。
何が問題なのか市民レベルで議論を重ね理解を深めることで、第二の事故が起こるのを未然に防ぐことができる。
あるいは、なんとなく受けた印象でセーフアウトラインを雑に運用してしまうのを避けられる。
「女の子を下から撮った絵はマズイ」… そう受け取っていたら自撮りさえもやり難くなってしまう。女性の生きづらさになってしまう。フォロワーが多い人は特に辛かろう。
槍玉に上がった人はほとんどごく少数だから、気遣う気持ちは優しさだ。
だけどみんなで話し合った結果、実は問題ないとか、そこまで行かずともこの失敗はだれでもありうる、のような結論が得られれば、関係者への救いになるし名誉の傷の癒しにもなるだろう。