はてなキーワード: 憎まれっ子世にはばかるとは
色んな「本当は大っぴらに告発したい、皆に酷さを広めたい、けれど言うと消される…」って感じのものが、ついに我慢の限界で告発されたり公開されたときに
その後に起こることを見るのが好きなのよ
一番見てて気持ちいいのが「告発者が消される、潰されるパターン」、書いた告発が不自然に消されたり、訴えられたり、告発者がいきなりごめんなさいしてネットから消えたり、最悪不慮の事故やリアル行方不明になったり
もうね、たまんねぇ、「結局力のある人間に逆らえず、潰されちゃったねぇ?」ってニチャニチャ出来る、ご飯無限におかわりできちゃう
必死に上げた声をかき消され、叫ぶ口を閉ざされた光景は絶頂モノ、メシがうまくて仕方ねぇ
被害者叩きの追い打ちもいいなぁ、お前らの特技だろう?ネットみんなが敵、みんなにボコされ被害者の心が死んでいく
うまいいいやややややあああ!!!うますぎてふりかけがほしいわぁああああああ!!!!
次に、弱者の復讐や道連れが見事に決まり、潰そうとした側が社会からリンチされる羽目になる流れ
これも最高なんだよ
驕ってイキッて偉そうにしてたやつが落ちぶれて、無数の人間にボコされる様は勃起が止まらん
助けてくれぇ!おチンチンが破裂してしまう!!精子がとめどなく作られているのを実感している!!!!精子が!!個々の意思を持ち始めてる!!!
どちらが不幸になろうとも、俺の飯は美味く俺のチンコは勃起していく、強いて言うなら被害者側が苦しむ方がより気持ちがいい
人の悲鳴が俺の歓声、人の涙が俺の水分、誰かが苦しめば俺が幸せになっていく
こんにちは、あっしは人の不幸でしか自分の幸せを実感できないクズでございやす、クズは死ななきゃ治らない、だから死ぬまでこんな感じ
ハーイ!今年の厄落とし終わりっ、俺はクソみてぇな性癖暴露してスッとしたし誰かはこれを見てきっと不快になったろう
憎まれっ子世にはばかる!万歳!俺を恨んでる人間よ!今日も俺は楽しく元気に生きてるぜい!悔しかったらかかってこい!
ああん?「中二病は卒業しろよオッサン」だって?フッ…†暗黒のサイコパス†である†選ばれし者(ドミネイター)†たる俺には…褒め言葉だぜ?
…とまあ、俺が気持ちよくなるために気持ち悪く露悪的に書いたが、要するに「他人の不幸は蜜の味」ということで
そしてその不幸のきっかけとして、「苦しんでた人間の切実な告発」が最適だということ、それだけ書けば説明できる話
でも俺はソシオパスなので気持ち悪い長文をこうやって書き残すよ、みんなを不快にするためにな
死んでほしいだろうけど俺は元気に五体満足で生きてるわ、残念だったな
これからも生きるぜ、死んでほしいやつは指くわえてて見てくれ
なんか人間性としてはどうよと思う人が出世したり成功してる世を見るに、
憎まれっ子世にはばかるは正しいと感じたので、
自分はgood die youngで早めに死んだほうが色々な社会的責任も放棄できるしいいよな、
と思っている今日この頃でした
じいさんが死にそう。
90になるじいさんだ。
元気がなくなってて、下血したので検査したら、腎不全に胃がん疑いにがんの全身転移疑いだそうだ。
がんの検査は体力的に耐えられないだろう、ということでやらないことになった。
この冬乗り切れるか。
悲しいような気もするが、ついに来るかという実感の方が大きい。
じいさんはろくでもないやつだった。
若いころから金遣いが荒く、実家の資産は全部なくなったしまった。
女遊びも激しかった。ばあさんは大変だっただろう。
定職についてない時期も長かった。
タクシー運転手だったり、送迎バスの運転手をちょっとやってた記憶しかない。
実家には畑に田んぼと農地がたくさんあったが、じいさんが農作業しているところはほとんど見たことがない。
トラクターで耕すぐらい。
根っからの怠け者だった。
趣味はパチンコで、酒を飲み、たばこを吸い、テレビを見て過ごす、ろくでなしだ。
じいさんとの思い出は特にない。
ばあさんはこんな野郎に嫁がなくてはならなくてかわいそうだった。
このばあさんでなければこの家は続いておらず、俺が生まれることもなかった。
ばあさんには感謝してる。
ばあさんはすっかりぼけてしまっていろんなこと忘れてしまっている。
かわいそうに。
じいさんがいない悠々自適な時間を楽しんでほしかったが、憎まれっ子世にはばかるだ。
そういうやつはしぶとい。
大人しくなると情が沸くもので、いざ死ぬとなると寂しいものだ。
母も憎たらしいと思っていただろうが、腐っても自分の父なので最近は甲斐甲斐しく面倒を見ていた。
最後は看取ると言っていたので、満足だろう。
娘が生まれたのでこんな世の中じゃなきゃひ孫見せてやりたいところだが、
双方リスクが高くて踏み切れない。
ばあさんには見せてやりたい。誰だかよく理解できないだろうけど。
落ちも何もない。
さくらももこの死に対しては、その思いはひとしおだった。
「憎まれっ子世にはばかる」の通り、さくらももこは長寿を得て、90歳、いや100歳まで生きるものだと考えていた。
大往生を遂げるまでは、殺しても死なないものとさえ思っていた。
生きて、生き続けて、いつかはその醜悪な性格がようやく世間にも明らかになり、老害として皆から嫌われて、それでも生き続けて、死ぬときには「ようやく逝ってくれた」と全員が胸をなで下ろし、喜ばれる、そんな死に方をしてほしいと願っていた。
その願いは打ち砕かれた。
食や健康に関するデタラメを書き飛ばし続け、どれだけそのデマが否定されても頑として認めず、さらにデタラメを書き飛ばし続けている船瀬俊介のせいではないか、と疑っている。
「ヒカルランド」の出版物は以下の通り。著者をざっと眺めれば、どういう出版傾向かは分かるだろう。
「船瀬俊介とガン(治療)」に関しては、googleで検索してもらうのが一番早い。
リンクをここに貼りたくないので、ここでは貼らない。
さくらももこは船瀬俊介と小林健の共著のカバーイラストを描いている。
さくらももこ 公式ブログ - 白鳥さん62歳。 - Powered by LINE
こうしたつながりの中で、さくらももこは船瀬俊介に吹き込まれたのではないだろうか。
ガン治療について、デタラメを吹き込まれたのではないだろうか。
さくらももこは船瀬俊介から吹き込まれたデタラメなガン治療もどきによって死んだのではないだろうか。
さくらももこは死んだ。
船瀬俊介は生きている。
船瀬俊介には「憎まれっ子世にはばかる」の通り、長寿を得て、90歳、いや100歳まで生きてもらいたい。
大往生を遂げるまで生きてもらいたい。
殺しても死なないでもらいたい。
生きて、生き続けて、今でさえその醜悪で下劣で誤った思想は世間に明らかになっているけれど、なお老害として皆から嫌われて、それでも生き続けて、死ぬときには「ようやく逝ってくれた」と全員が胸をなで下ろし、喜ばれる、そんな死に方を、さくらももこの代わりにしてほしいと願っている。
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
人として備わってる筈の、倫理観ってものが他人の真似だから、今回の反応になるように思う。
ちょっと発達障害もちの人間との親和性が高いので、書いていく。
(はあちゅう氏が発達障害もちだと断定している訳でもなく、単純に共通点として読んで欲しい)
それと私はASDとADHD混合型。記憶領域に問題があり、物事の流れを組立てたり、順序立てて説明出来ないので
前提としてアスペルガーは、健常者と違って倫理観が身に付きにくい。
健常者ならば倫理観と心情が結び付きやすいのだろうけど、そもそも感じ方が違うアスペルガーである。
子供のころから「なんで友達と一緒のことが出来ないんだ」と言われているので、人から”怒られた”ことを
基準に”他人はこういう事で悲しいと感じたり嫌だと思う”と経験している。
それと自分には関わりあいがない事でも、周りの人間が怒ってたりすることを、”いけないこと”と判断する。
なので繰り返し他人から、怒られ、不快を訴えられるため、自分の感情を基準にはせず、”他人の倫理観”を基準に
物事を判断するくせがつく。健常者と違い、子供のころから自分のやることの大半が、”おかしい”と指摘され続ける。
正直人格否定に等しいことを常に要求されるので、かなり苦痛だ。
自分が好ましいとか、必要に思っている人以外の苦言を聞く”余裕”がない。
なので指摘してくる対象者が、自分にとって有益な人間かどうかで選別するようになってくる。
たとえば会社で自由気ままに振舞える人間をみつけて、その人がなぜ自由でいられるのか処世術を習得するのに近づく。
”社会的立場”があり、”周囲から認められている人間”の発言を、鵜吞みにする。
”成功”していて”周囲に人が必ず集まっている”ことが判断基準だ。
個人には興味がないが、コミュニティには憧れがあり、所属していることに執着する人が多い。
なぜかというとコミュニティに所属したいタイプのアスペルガーは、つまはじきにされることにトラウマがあり
自分のまわりに人を集めるために、地位を獲得したり、場を作ったりして他人の注意を惹こうとすることで
前提として”一生嫌われ続ける人間”のため、”好かれる”ことや”羨望を集める”ために人生を捧げるひとも多い。
上記のため、強者の人間の価値基準や怒られたことが、”倫理観”の前提になる。
これはアスペルガーの人間か生きていくための、切実な”基準”だ。
自分の気持ちを見なかったことにしたり、否定し続けた上に成り立ったものだからだ。
怒られるたびに、傷つきながら手に入れてきたものだ。
簡単には手放せないし、生きていく基盤だ。
違うと言われれば、足元が崩れるような不安にも襲われる。
だからはあちゅう氏が、”自分の周り”では童貞は”ステータス”であり、人を不快にさせるつもりでは
彼女がせっせと積み上げてきた”倫理観”が、一部の人の為のものだったことだったからだ。
とても困惑していることが伝わってくる。
謝罪に抵抗があるアスペルガーの人が多いのだが、岸氏に差し出した友人に謝罪出来て
連絡を取り合っているからだ。
そうゆう訳で一生嫌われることを課された人間から、言えることは
今後は
ぐらいだ。
今は受け止める余裕もないし、有益かどうか選別も出来ないだろう。
岸氏のことを告発した貴方は素晴らしいし、応援している人も多い。
それに貴方は舞台から降りれば、不特定多数に嫌われ者あつかいされることは無いだろう。
いつだって降りてもいいのだ。
そのうえで、先日亡くなった野村幸子氏のように、憎まれっ子世にはばかるを体現して
ネットを賑わせてほしい。
この文章は個人的な経験によるアスペルガーの特性の一部であり、うまくできているひとも
いれば、もっとうまく出来ない人もいる。というか個人の感覚なので、全般に当てはまらない
ことを改めて書いておく。というか、アスペルガー全員に当てはめないで欲しい。
呪いはある。恨みつらみはそれを買うような真似をするとやはり蓄積されていくし、結果、呪われたからとしかいいようのない不幸な目にあうということはある。
ところが、「憎まれっ子世にはばかる」という言葉もまたある。あれだけ人をないがしろにしているわりに天罰や呪いにあうことなく長生きしている人。
たまに図々しすぎてクチを開けたままになるような言動や行動をとる人がいる。こういうときに人は唖然としてその人への感情が追いつかない。また、恫喝をし続けることによって思考を奪うというのも常套手段だ。
こうすると、人はうらむことを忘れてしまう。
これが憎まれっ子世にはばかる理由ではないかと仮定する。
この場合の対策法はタイトルにある。だから、無法や野放図な行動や言動をしている人に対してきちんと心のなかで「死ね」と恨みを積んでおくことが大事だなと思った次第だ。
これからネットでトンチキなことを書いている人にも丁寧に「死ね」と思うことにする。それを直接コメントしないように気はつける。
パーソナルスペースが狭い人が嫌い。
電車とか喫煙所とか立ち飲み屋とかみたいにある程度の人数が自由な位置に立てるような環境において妙に近くに陣取るやつがいる。
別に混んでるわけでもないのに肩や背中がこちらのグラスやスマホに時々ぶつかるぐらい近くに立つ。あとあと混んできたときのために詰めて場所を利用しようとかそういうシチュエーションですらない。
ぶつかりそうなぐらい近くに立つという事自体は法律に違反しているわけでもなく、マナーとしてしてきするにもやや微妙なのでこちらが我慢するしかない。場所を移動して逃げられるときは逃げたりもするがなんかシャクなのでできれば逃げたくないのだが、逃げるスペースが無い(壁側やコーナー側に自分がいるとき)はどうしようもなくてこまる。
なんつーか、憎まれっ子世にはばかるというかガサツで無配慮なやつが得をするのは嫌だなあ。
こういうのがめんどくさそうで若い時からシェアハウスとかは興味がありつつも入居する覚悟は決まらなかった。だって風呂や便所を汚しまくるやつが「オレは汚れてても気にしないよ。別にいいじゃん」とか言い出したらこちらだけが嫌な思いをし続けるんでしょ。ルールでがんじがらめにされた世の中も嫌だけど、こういう「気にしない人間」だけが得をしていく世の中も嫌だ。
「罪悪感」てのは、自分のふるまい・行動に拠って(といっても、道徳的に良いとか悪いとか関係なく)周囲の協力を得られなくなった、受け入れられなかった、ハブにされたときに感じるやるせなさだ。
「罪悪感」は道徳と結び付けられていることに世間の定義ではなっているが、そうした関連もなく植えつけられていることもあるだろう。
立派な子供も、ふざけた親・教師・同級生らのせいで罪悪感だらけで疲れ果て。一方で、まわりに相当迷惑をかけていながらも、ちやほやされていつもごきげんな人も。盗人猛々しいとか、憎まれっ子世にはばかるとか、いい人は早く死ぬとか、そんな類じゃないかな。
裏を返せば、個人が持つ贖罪意識と、その人物がまわりに与えてきた被害の量とは、案外関係がないのかもね。
よくわからないけどいつも何だか責められているような意識を持っているあなた、大したことないんだよ。あなたの生い立ち上、まわりが冷たくて非協力的な輩が多数だったってことかもよ。で、そんな中でも、自分に味方してくれた人もいると思うんだよね。そういう人を思い出すだけで、少しは休むことができる。
言い方が悪かったな。モラルのある若者も、モラルのある老人もいるが
その人達が社会システムの隙間を突いて悪さをするせいで社会負担になっていて
結局は モラルのない人が社会全体を崩壊させようとしているんだけど
結局これって教育のせいだよね。
若い人についてはバカッターなどと呼ばれたりするのを見ていると、普通にモラルのない人はいるなとおもうし
他にも山のように事件を起こしている。老人もね。
あとバブル期なんかは他人を搾取して当たり前という人ほど出世しやすかったからな。
社会の上部にいってしまい、あとはなんだろう。搾取のシステムを作り上げてしまったからな。
いい人ほど早死して、憎まれっ子世にはばかる用に社会システムを書き換えられてしまった。
憎まれっ子世にはばかるクソッタレな世界から、少しでも公正な世界になったことの喜びを皆でわかちあおう。