「小杉理宇造」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小杉理宇造とは

2023-09-22

anond:20230922171540

それまで英語がさほど堪能というわけではなく、もともと洋楽好きだったこから英語の歌は耳で覚えた適当雰囲気英語で、それでも割と発音がいいと言われていた。そのためあくま我流の、レコードから耳覚えのある発音英語曲を歌っていた[2]。山下はそのことが不安で不満だったこから、この際にと1か月の間、本アルバムオリジナル曲作詞を行ったアラン・オデイ(Alan O'Day)に歌入れに立ち会ってもらいつつ、英語発音を徹底的に矯正してもらうことにした。当時ディレクターだった小杉理宇造は、あまりの厳しいトレーニングぶりに、もう少し抑制するように話したところ、アランは「いや。これはタツが徹底的にやってくれと言っているから、僕だってそんなにやりたくはないんだけれど、やってるんだ」と答えたという。山下はそう言った記憶はなかったが、「初めからいろんな事を指摘されたので、ならばこの際だから徹底的に自分発音を治そうと思って、自分がそうやってアランにお願いしたのだと思う」[3][4]と回想している。その結果、発音は大幅に改善され、それ以降は安心して英語の歌が歌えるようになったという。

2023-09-20

ジャニーズを熟知した新社長

https://www.sanspo.com/article/20230920-DYG42ZBAXJOUFNLJVE2GSXAZLY/

また、タレントマネジメントを行う新会社芸能界ジャニーズを熟知した外部企業から新たに社長招聘する可能性が高い

ここで小杉理宇造が颯爽と復帰し実質スマイルカンパニーに吸収…あるとおもいます。これなら達郎夫妻もニッコリだね! なんの問題もないよ!

2023-09-13

anond:20230912224017

白波瀬もそうだけど小杉理宇造も色々知ってるよね

金屏風の仕掛け人だし

2023-07-12

ネット週刊誌は「ジャニーズ事務所と仲の良い山下達郎が、ジャニーズ事務所批判した松尾潔を、不当に解雇した」という根拠のない憶測をしている。それについて反論をしたい。

山下事務所松尾とは、松尾顧問料を支払う形での業務提携であり、雇用関係にあったわけではない。松尾所属アーティストだったわけでもない。弁護士同士の合意文書存在しており、手続き問題はない。松尾との契約終了は事務所社長判断した。山下社長に対して契約を終了するよう促したわけではない。山下松尾は何も話をしていない。山下松尾はもう長いあいだ会っていない。年にメールが数通という関係である

松尾が、ジャニー喜多川の性加害問題に対して、憶測に基づく一方的批判したことが、契約終了の一因であったことは認める。契約終了の理由は他にもあるが、その事については触れない。

ジャニー喜多川の性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなかった。山下あくま楽曲提供者であり、ジャニーズ事務所の内部事情などまったくわからない。小杉理宇造から内部事情を明かされたこともない。ジャニー喜多川による性加害が本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことである被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係調査というのは必須である。だが、山下事件について何も知らないのだから、性加害問題についてコメントを出す立場にはない。

数々の才能あるタレントを輩出したジャニー喜多川の功績に対する尊敬は今も変わっていない。ジャニー喜多川から、数多くのタレントたちとの縁をもらい、時代を超えて長く歌い継がれる作品提供する機会をもらったことに、心から恩義を感じている。だが、山下個人としてジャニー喜多川尊敬していることと、山下が性加害を容認することとはまったくの別問題である山下は性加害を擁護しているのではない。

また、ジャニーズタレントたちに対して、山下が敬意を持っていることにも変わりはない。ジャニー喜多川の性加害問題があったとしても、山下ミュージシャンという立場からジャニーズタレントたちを応援していく。タレントの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが山下の本分である。そうした姿勢を、ジャニーズ事務所への忖度だと解釈するのなら、そういう人たちには山下音楽不要である

2023-07-11

松尾潔小杉周水を誰から守りたかったのか

「涙を流しながら解約の弁をくり返す彼に、ティッシュ差し出すぼくまでもらい泣きしたのは一生忘れられないだろう。ぼくは周水くんも守りたかった」

ここ不思議でさ。なんで契約切られた人間自分を切った社長を守りたがるの?誰から守るの?世間の目?山下達郎小杉理宇造ジャニーズ事務所?なぜ一緒に泣くの?

2023-07-09

問題松尾潔vs山下達郎ではない

双方とも、本丸小杉理宇造だ。

松尾批評家として喰っていく都合上、彼が裏で手を回したとしか考えられないジャニーズ関連の言論弾圧は受け入れられない。かといって松尾にとっても正面を切って彼を敵に回すのは部が悪いんだろう。

松尾はこれを理解していて彼と最も近い存在である達郎をリングに引きずり出した。いや、ひょっとすると達郎が加勢して共に小杉理宇造を打倒してくれるかもしれないと期待したんだろう。蓋を開けたらあの通り。彼は小杉理宇造を「ビジネスパートナー」と呼んで庇ってしまった。

ジャニー喜多川への達郎の評価は、それこそティーンの頃から堂本剛のような存在の成長を近くでみていたら掌を返して否定するようなことはできないだろう。自己保身もあるだろうが、達郎が迂闊なメッセージを発すれば彼の存在人生否定することに繋がりかねない。これに関しては同情の余地があると思う。

問題は、いくら恩義があるとはいえ小杉理宇造について無批判でいられるとする態度だ。彼から性加害の事実を知らされなかったからと言い訳するなら、なぜ今それを責めようとしないのか? 旧ジャニーズエンタテインメントの社長ビジネスパートナーとまで呼ぶなら、そのパートナーである達郎はこの言論弾圧にどうして無頓着でいられるのか? 知らぬ存ぜぬに終始することなく、正しい判断ができる立場にあると松尾が踏んだのが達郎だった。が、その願いは敢えなく裏切られてしまった。

この話で何がしんどいかというと、小杉理宇造の息子で現社長SHUSUIだ。スウェーデン人脈を生かして現地の作家陣とコライトした楽曲をJに提供成功させることで、それまでの歌謡曲にはなかった制作方法を本格的に導入した実績があり、家柄とは独立評価されるべき業績と言える。この一連の展開によって、それも単なる親父のコネ仕事が貰えてただけだろうとなりかねない。家業を継がされてしまったばかりに、親父の意見造反も出来ず、業界の先輩にも頭が上がらない状態でたいへんな板挟みにあっている。社長としての権限があるはずの彼だが、Jと心中する地獄の道の舗装破壊するルートは、どうも初めから存在していなかったらしい。

あとはもう転がるところまで転がったらよいと思うが、問題にすべきはスマイルカンパニー小杉理宇造とその院政体制である

他の部分で盛り上がるのは不毛だと思うよ、という話。

2023-07-08

山下達郎小杉理宇造中森明菜松本人志大崎洋と宮迫博之

https://note.com/eclipse1228/n/n548a742c5a0b

これを読んで、はぁ、構造似てるなぁと思った。

山下達郎松本人志

小杉理宇造大崎

中森明菜宮迫博之

こんな感じちゃう

山下小杉ラインが長年の盟友関係でがっちり義理で結ばれてるラインで、小杉ジャニーズとべったりだから、勢い、山下達郎もそこに忖度竹内まりやアルバムライナーノーツ山下達郎中森明菜の駅の歌い方をきつめにくさしてるのがなんとなく頭に残ってたんだけど、小杉中森明菜近藤真彦の件で暗躍していたとかいう嘘かほんまかわからん噂を見て、あーそうなんかって数十年の時を超えて、俺の中で伏線回収した。中森明菜ってジャニーズにとっての邪魔ものからジャニーズ忖度した小杉忖度した山下達郎もこんな感じで、悪口ブーストかかるんかぁと。知らんけど。

まっちゃん大崎さんに忖度して、宮迫を結局全然すくわないのと構造似てると思った。

まぁでも強いもの同士で仲良くして、そこの義理の結果として、弱いものがわきに押しやられるのって嫌な話だな。

2023-07-07

山下達郎小杉理宇造近藤真彦中森明菜についての簡単な年表

1975.4.25 シュガー・ベイブが「DOWN TOWN ⁄ いつも通り」 でエレックレコードからレコードデビュー

1976.4.1 シュガー・ベイブ解散

1976.12.25 山下達郎小杉理宇造の尽力によりアルバムCIRCUS TOWN」でRCA ⁄ RVCからソロデビュー

https://www.musicman.co.jp/interview/19480

1980.12.12 近藤真彦が「スニーカーぶる~す」でRVCからレコードデビュー

1981.9.30 近藤真彦シングルギンギラギンにさりげなく」発売 B面「恋のNON STOPツーリングロード」の作曲編曲山下達郎

1982.2 小杉理宇造がRVCから独立 アルファ・ムーン設立 山下達郎移籍

1982.5.1 中森明菜が「スローモーション」でワーナー・パイオニアからレコードデビュー 

1982.6.30 近藤真彦シングルハイティーン・ブギ」発売 A面「ハイティーン・ブギB面Momoko」共に作曲編曲山下達郎

1984.9.13 近藤真彦シングル永遠に秘密さ」発売 A面「永遠に秘密さ」の作曲編曲山下達郎B面One more time」の作曲山下達郎 編曲山下達郎馬飼野康二

1984.10.24 近藤真彦との交際を噂された中森明菜が「ザ・トップテン」の公開生放送近藤真彦ファンから帰れコールを受ける

https://m.bilibili.com/video/BV11K4y1E7rm

1985.1.26 近藤真彦中森明菜主演映画「愛・旅立ち」公開

1986.12.24 中森明菜アルバムCRIMSON」発売 10曲中「駅」「告白」「OH NO, OH YES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲が竹内まりや作詞作曲

1987.4.29 中森明菜が「夜のヒットスタジオ」で「OH NO, OH YES!」を歌う

https://youtube.com/watch?v=3srAJ5bXpRk

1987.8.12 竹内まりやアルバム「REQUEST」発売 中森明菜への提供曲「OH NO, OH YES!」「駅」のセルフカバーも収録

1987.10.17 中森明菜東京厚生年金会館コンサート 「ミック・ジャガーに微笑みを」を歌う

https://youtube.com/watch?v=tippJz4YGe4

1989.7.11 中森明菜近藤真彦の部屋で自殺未遂

1989.12.28 メリー喜多川の強い勧めで中森明菜デビュー以来の所属事務所研音から独立 小杉理宇造と新会社コレクション設立 しか小杉理宇造はすぐにいなくなりコレクション機能不全に陥る

1989.12.31 金屏風会見

https://youtube.com/watch?v=AzEHq7Pb2f4&pp=ygUP6YeR5bGP6aKo5Lya6KaL

1990 アルファ・ムーンワーナー・パイオニア傘下になる

1991 ワーナーパイオニアワーナーミュージック・ジャパンに改称

1992 中森明菜ワーナーミュージック・ジャパンとの契約を解消

1993.3.31 中森明菜が「夜のヒットスタジオ RETURNS SPECIAL」で「駅」を歌う

https://youtube.com/watch?v=2AnW6M3b-9g&pp=ygUS5Lit5qOu5piO6I-c44CA6aeF

1994.7.25 竹内まりやベストアルバム「Impressions」発売 山下達郎ライナーノーツ執筆 「駅」のライナーノーツ全文

「87年のアルバムリクエスト」のコンセプトのひとつに、「他人に書いた作品自分で歌う」というのがあり、「けんかをやめて」「元気を出して」などと同じく、この作品も、もともとは、さる有名アイドルシンガーのために書かれたものである

まりやは当初、この曲を自分で歌うことに難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的」なアプローチからというのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳には、この曲はとどちらかといえばイタリア風に聞こえたし、また、そのアイドルシンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していたこともあって、ぜひとも自分の手でアレンジしてみたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでこぎつけた。

その後このヴァージョン有線放送で1位になるなど、今では竹内まりや代表作のひとつとなっている。メデタシ、メデタシ」

1995 小杉理宇造ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任

2003.11 小杉理宇造ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長就任

2013.11.28 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談

https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02

クリス ここまでは若くてかわいらしいアイドルにピッタリな曲が多いんですけど、「駅」とかはまた違いますよね。

竹内 「駅」は確かに違いますね。頼まれときから明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて。そのマイナーメロディ雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う……というストーリー彼女写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタ歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体面白かった。

クリス 明菜さんだから浮かんだ曲。

竹内 本当にそうなんですよ。明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます自分で歌う曲じゃないからこそ、ああい哀愁メロディにしたわけですから明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ」

2023-07-01

山下達郎

ジャニーズの件で逃げたとか言われてるけど

元々そんなもんだろ

小杉理宇造と組んでジャニーズに曲提供してる時点で

べったりなのはわかりきってる

ジャニ喜多川とも懇意だったわけで

知らなかったなんて考えられない

あえてコメント出すことはビジネスパートナーの損失を考えれば

ありえないし、虎の尾を踏む社員はクビにするのあたりまえ

いままで騒がれなかったのが不思議だよ

松尾潔って一般的に名の知れてる奴だったっけ

2016-12-09

SMAP解散報道における8月10日から13日の時系列が奇妙。

同年8月10日午後4時3人のメンバー社長解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長SMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。



8月10日の件】

週刊新潮2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散魑魅魍魎」という記事掲載された。記事は「総力取材特集」と銘打っている。しかしこの記事はいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。

記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこ記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。

そして翌日午後4時、蓋を開けてみるとジャニー氏の元に木村以外の4人がやってきて1時間半近く面談。(p.25)

この「翌日」は2016年8月10日のことであるしかしこの日はジャニーズグループABC-Zのコンサート国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数ファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバー面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?

この8月10日ジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソース事務所であるSMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこ情報提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所経済的損失は計り知れない。もし16時からジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?

8月12日の件】

8月25日発売の「週刊文春9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソースであると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長ジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。

12日にジャニーズ事務所からSMAP解散」についてマスコミレクチャーがあったことは、芸能レポーターTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所マスコミレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。

しかし、12日は中居TBSリオ五輪生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である

12日に香取が収録したのは8月24日放送佐々木健介とのロケと、8月31日放送渡辺直美とのロケの2本である佐々木健介8月12日ブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ますとあることから、昼の12時ごろにはロケスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木香取、及び番組レギュラー山崎弘也の目撃談がTwitter投稿されている(この日のロケフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木香取山崎の目撃談がTwitter投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。

その後、20時過ぎには代々木公園渡辺直美香取山崎の目撃談がTwitter投稿されている。その後渋谷ロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎番組宣伝するための動画撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。

注1:

8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、

解散発表前日の十三日朝、リオ五輪番組に出演するために自宅を出た中居を直撃した」(p.29)

というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である

文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。

8月10日から13日の件】

報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。

10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚コメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事であるジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレント意志尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日スマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。

しか事務所は翌11日には役員会を開いて解散正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉メンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉ハワイ家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。

そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属中居櫻井TBS日テレ五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。

どのように発表するか、CMスポンサーTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。

注2:

「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所

連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)

2016-08-17

小杉理宇造氏が文春に2度目の登場

彼が手掛けたとされる中森明菜金屏風事件1989年12月31日、今回のsmap解散日が12月31日演出が同じであれば、また惨劇をみせられる。

人の心を壊す程の陰湿なやり口は許せないが、メンバー一言も語らせない力の源泉は何なのか?

 
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