はてなキーワード: レポートとは
この文章では、人種差別に関する実体験を綴る。もしあなたがこのような話題にトラウマがある場合、無理に読み進める必要はない。
私は20代の日本人女性である。先日ヨーロッパのとある国の大学院を卒業し、就職活動を行った。
ヨーロッパには、日本のような新卒一括採用システムは存在しない。企業が出している求人広告に応募→書類審査通過の場合のみ企業から直接連絡が来る→面接→採用、というのが基本的な流れである(大学のキャリアセンターを通す場合や特殊な業界の場合は異なるパターンもある)。
私は大手就職情報サイトである求人広告を発見した。その求人は私の大学での専攻と非常に親和性が高い内容だった。具体的な仕事内容については言及を控えるが、小さなスタートアップが私の住む都市で事業を展開することになり、プロジェクトをサポートするスタッフを募集する、という感じ。検索すると普通に会社のホームページも出てきたし、活動記録やネット記事、代表のLinkedInなどもヒットした。私は迷わずに応募した。応募は、その就活サイトを通じて行った。
すると、しばらくしてそのスタートアップの代表本人から連絡があり、面接審査に進めることが決定した。大学卒業後なかなか仕事が決まらなかった私は、このチャンスに少なからず期待していた。
面接が行われたのは中心部にあるシェアオフィスの一角だった。面接は代表自らが行っており、オフィスにいたのは彼だけだった(同じ部屋にもう一軒別のオフィスが入っていて誰かが仕事をしていたが、ドアで仕切られた向こうにいたので話してはいない)。代表の話によれば、この街に越してきたのは先週で、まだスタッフも全く揃えていない状態だという。実際に部屋の中は殺風景で、最低限のデスクやPC、ソファがあるのみだった。代表は40代半ばくらいの白人男性で、ネルシャツにカーディガンを羽織っていた。話し方も落ち着いており、ふつうの人に見えた。
面接は至って普通に始まった。代表は今回のプロジェクトの内容を私に説明し、大学院での専攻内容やこれまでの職歴について質問してきた。しかし、話し始めて30分ほど経った頃、とても腹の立つ出来事があった。彼が、アジア人を侮蔑するジェスチャーをしてきたのだ。少しでも海外経験がある人なら、どんなジェスチャーかピンと来るだろう。両手で目を細めて吊りあげる、あれだ。
アジアについて話し出したとき、彼は無意識のようにそのジェスチャーを行った。話の文脈からいうと私を個人攻撃するつもりではないように見えたが、少なくとも非常に不愉快だ。若い人などがギャグのようにこのジェスチャーを行うことはあるが、まともな常識を持った人ならこんな仕草はしない。このジェスチャーを行った時点で、それは教養ない差別主義者の証拠である。私はその場で危険な雰囲気を察知し、「あとで連絡します」などと適当に話を濁して面接を切り上げてその場を立ち去った。悲しい気持ちでいっぱいだった。
面接終了から1時間後くらいに、代表から再びワッツアップ(ヨーロッパのLINEみたいなテキストアプリ)で連絡があった。「あなたの専門分野に近い領域で仕事をしている知人もいますのでよければ紹介します」といった内容だった。私は、当たり障りのない返事をした。すると彼は、続けざまに日本についての話を始めた。「最近新聞で見たんだけど、日本って・・・」というような感じだ。3、4通に渡って日本経済に対する持論を展開したあと、彼は突然こんなテキストを送ってきた。
ものすごく腹が立った。日本人の私を面接に呼んでおいてこのような態度とは、何だろう?バカにされていると感じ、すぐにこのような返事をした。「私はあなたが想像するとおり、典型的な日本の若者です。残念ながら私があなたのプロジェクトに参加することはありません」
すると、彼の態度は文字通り豹変した。続けざまに、彼からはこんなテキストが送られてきた。
「あなたは面接中とても大人しそうに見えたけど、本性を隠していたんですね」「僕の優しさを攻撃性の欠如だと勘違いしないでください」「私の知人は、日本人は〇〇人に対して最も差別的な民族だと言っていました」「あなたは差別主義者のようですね」「僕はあなたと話して、自分の白人としての誇りが傷つけられたと感じました」
はっきり言って、この男が私に何を言っているのか全く理解できなかった。私は白人に対する差別発言はもちろん、如何なる人種に対しても何の言及も行っていない。ただ面接に行って仕事の話をしただけだ。しかし彼の逆上は止まらず、さらにこんなテキストが送られてきた。
「あなたは最低です」「あなたを差別主義者として警察に訴えます」「僕は差別犯罪を通報するアプリを持っているから、今すぐあなたを通報できる」「あなたをfuckする」
相手は話が通じる状態ではない。私は気が動転する中、彼にひとことだけ「why」と送信した。すると、それに対する相手からの返信は恐ろしい内容だった。
「僕は〇〇(とあるアジア系企業)が大嫌いなんだ」「〇〇人(その企業が本社を置くアジアのとある国)は大嫌い」「〇〇人は、腐った魚ペーストの臭いがする」
背筋が凍った。彼は気が狂っている。まともな人間ではない。明らかに私およびアジア人に対する激しい差別的感情があり、テキストを通じて私を脅迫・攻撃している。このテキストを受け取ったのは彼のオフィスから程近いカフェだったのだが、私はすぐに窓の外を見渡し、奥の座席へ逃げた。まるであの男が窓の外に立ってこちらを見ているような気がしたのだ。
気が動転していた。何より恐ろしかったのは、この男が私のCVを手にしているという点だ。CVとは欧米で就活時に使う履歴書のようなものなのだが、そこには私の名前、メールアドレス、電話番号、住所などさまざまな個人情報が書いてある。もしこの男が本当に私を犯すつもりだったらどうしよう?家までつけて来たら?待ち伏せされたら?
私が真っ先に思いついたのは、警察への通報だった。ヨーロッパでは、この手の脅迫や暴力はヘイトクライムと呼ばれる。もちろん立派な犯罪だ。震える手で警察に電話をしたら、男性警官が出た。詳しい会話は割愛するが、緊急性のない事件だと判断され、「明後日あなたの家に伺ってお話を聞きます」と約束した。
警察への通報後、私は卒業した大学の緊急サービスに連絡をした。健康相談やメンタルケアについて、24時間通話可能な窓口である。とにかく帰り道が不安だったのと精神的に動揺していたので、その旨を早口で話しまくった。窓口の担当者は警察への相談を勧めてくれ、最短で家に着くルートの検索なども手伝ってくれた。幸い私には同居人がいたので、彼女に最寄りのバス停まで迎えに来てもらった。その日はまともな食事も喉を通らず、夜も全く眠れなかった。
警察が来たのは週末だった。男性2人、女性1人が私の部屋まで来てくれた。私はワッツアップの履歴を見せながらことの経緯を説明した。彼らは真剣に話を聞いてメモをとり、証拠としてテキストのスクリーンショットを撮った。また、彼の名前や会社名などを控え、レポートを作成して記録を残した。警察の指示によって私は彼の電話番号、メールアドレス、SNSなどすべてを着信拒否した。また、警察は彼が求人広告を掲載していたサイトに連絡し、広告を削除した。彼の脅迫はとても卑怯だが、これは単に若いアジア人女性を傷つけたいがための悪戯な犯行であり、実際に家まで追ってあなたを襲う確率は非常に低い、というのが警察の見解だった。身の安全を保持するため、私が彼の犯行を警察に通報したということは決して外部に漏らさないことを約束してくれた。彼からその後連絡が来ることはなかったが、私は1か月以内に全く別の場所へ引っ越した。
私は、まさか自分がこのようなヘイトクライムの被害者になるとは想像もしていなかった。しかも就職の面接官、大手サイトで見つけた求人でこんなことが起きるなんて。まるで50年代のような差別的言動、30通を超える言いがかりのメッセージ、レイプを連想させる脅迫。精神的なダメージは計り知れず、しばらく携帯を見るのも怖かったし、SNSなどにこの事件について投稿することもなかった。
普段の私は、とても明るく元気な性格だ。友達もいるし家族との関係も良く、自己肯定感も高いと思う。私の周囲の人も口を揃えてこれに同意するだろう。しかしそんな私でさえ、この事件当時は性格が変わった。「こんな暴言を吐かれるなんて、私が悪いのかも・・・」そんな考えが頭をよぎったのだ。冷静になってみれば、私には何の落ち度もない。ただ求人に応募し、面接に行ったら、面接官の頭がおかしかったという話だ。しかし、アジア人であるという変えようのない事実を理由に差別されたことで、私の誇りはひどく傷つけられた。この男が狂ってるんだ、そう頭では理解していても、感情はしばらくグチャグチャだった。生まれて初めて、ベッドの上で「死のうかな」なんて想像した。本当に、人生の中で最も傷ついた出来事だった。
ひとつめは、「人種差別は犯罪である」ということ。とくに日本人は、この辺の意識が薄い気がする。これは私たちが他者を差別してはいけないということだけではなく、「自分が他者から差別されたときに怒っていい」ということである。私は迷わず警察に通報した。「これぐらいのことで・・・」なんて迷う必要はない。警察はきちんと調書をとり、クリミナルレコードを作ってくれる。とくにヨーロッパでは、この手の犯罪に対し警察は動いてくれる。すぐに逮捕には至らないまでも、記録が残るだけで全く状況は変わる。何より、私は精神的な安心を得ることができた。
今回のケースの場合、面接でジェスチャーをされた時点で彼にもっとはっきり否定的な態度を取るべきだったという見方もあるだろう。しかし、相手のテリトリーであるオフィス内、しかも体格差のある男性が相手だったため、感情的な反応はリスクが高すぎる。脅迫メッセージなども慌てて消してはいけない。あとから、証拠として提出できるからだ。とにかく、自力で解決しようとせず、警察を頼ってほしい。
警察に通報するのが最もおすすめだが、どうしても勇気が出ない場合は大学のホットラインなどでもいい。とにかくSOSを出し、怒り、差別主義者たちにNOを突きつけること。
ふたつめは、自分を責めないこと。差別犯罪に巻き込まれたとき、精神的な負担はあなたが思うよりずっと大きい。自分の国籍、性別、セクシュアリティ、容姿など、自分で選ぶことのできない部分を攻撃することはとても卑怯だ。激しい悪意を向けられた時、人間の心は深く傷つき、自分を愛することができなくなる。私は警察と話している時、メッセージの内容を反芻して頭が混乱し、支離滅裂な言葉で説明をした。あまりに動転していたので、私は思わず警察官に「ごめんなさい、この国の言葉が上手くないから、私の言葉がわからないですよね」と謝った。すると警察官は、「何を言っているんだ。あなたの語学力はとても素晴らしい。何の問題もなく聞けています。私たちは、あなたがどんな被害にあったか理解できているんだから、あなたは大丈夫」と返してくれた。この言葉を聞いて、それまで一滴も流さなかった涙が堰を切ったように溢れた。
悪いのは差別主義者だ。そのことを決して忘れないでほしい。あなたは悪くない。あなたは美しい。他人に何を言われても、何をされても、あなたの心も身体もあなただけのものだ。
私は現在、とても元気に暮らしている。新しい職場にも恵まれた。正直なところ、今も時々あの男の顔を思い出すことはある。しかし、新しい年の訪れとともに、前向きな気持ちで歩き出したい。
はてブをよくご覧になる方は、とんだ先で何を見ているかを選んでください。
(例:読売新聞、Zakzak、リテラ、アノニマスポスト・シェアニュースジャパン・痛いニュースなど)
B-7 D-7 の「資本がはっきりしない」というのは運営者が誰の資本によって運営されているかが不明であることを意味します。広告は除きます。
ありがとうございました。
https://this.kiji.is/581526968514757729
さすがブクマカの皆さんはリベラルで、人権講師に「この中にも○○がいる」と言われても動じない方ばかりなんだな。
皆さんには信じられないかもしれないが、世間はそこまで同性愛を理解していない。
同性愛を、同和地区の人、在日外国人など、見た目でわからない被差別者に言い換えてもいい。世間はブクマカの皆さんほど理解していない。
私の友人に、性的マイノリティ人権講師をやっている人がいて、私はそのサポートをしている。講演のあと、アンケートをまとめたりする。(以下アンケートの回答は原文のままではありません)
アンケートでは、児童生徒が否定的な回答をすることはまずない。記名で先生が読むアンケートだからということもあろう、模範的に答えようとする子供がほとんどだ。
・かわいそうだと思いました
講演の中で、「クラスメイトの皆さんと変わらず仲良くしていたいと思っているのに、ゲイかもしれないと疑われた時点でよそよそしくされる。それはとても辛いのです」と伝えているにもかかわらず、だ。「自分たちはカミングアウトをしなくても、皆さんと一緒に普通に生活しています。多くの当事者は、特別扱いされたいとは思っていません」と伝えているにもかかわらず、だ。
子供たちの多くは友達に優しくあろうとしているので、アンケートの答えが点数稼ぎばかりとは思わない。きっと本心でそう思ったのだろう。
でも、そんな、腫れ物に触るような対応を誰が望む?
ブクマを読んでると、子供たちが何らかの手口で当事者を燻り出していじめる場面を思い浮かべたのかな? と思えるものが結構目についた。子供がそんなことやるのはどう考えても悪だし絶対ダメだ。
実際の現場でおきることは違う。
「このクラスにもいるかもしれないんだって」「もしいたらどうする?」「あの人"そう"っぽくない?」「かわいそうだし、優しくしてあげる」
そんなような会話が、数名の仲のいいグループ内でなされる。そのグループの中に当事者がいる可能性に気づきもしないで。
これまで隠してきた当事者は、ますます「言えないな」となる。隠さなきゃいけないなら友達じゃないって? 誰だってすっごく仲いい人にだって打ち明けない秘密の一つや二つ持ってるでしょ?
あるいは、クネクネと「実はおれ、ゲイなのよん。差別しないでね〜ん」なんてウケを取ろうとする子がいる。その場に当事者がいる可能性に気づきもしないで。助長される「いじめ」はこんなふうに、特定個人相手ではなく自覚なく行われる。諫めると自分が疑われるかも、と思って、周りも笑う。当事者ならなおさら、怖くて抗議できない。
何クラスもを一度に集めた講演会で、数分から数時間程度のお話を聞いただけで深く考えることができる子って、実際すごく少ないんですよ。上っ面の理解で、インパクトのある「この中にもいます」だけが印象に残る。当事者探しは教室で「お前か?それともお前か?」なんてわかりやすい方法じゃなく、それこそ LINE のグループなんかでヒソヒソやられるんだ。クローズドの当事者がそのグループにいたら? 自分が疑われなかったとしても、「この中にだけは当事者はいないだろう」を前提にされている空気にすり潰される思いをする。
(すり潰される経験があまりに多すぎて諦めている人もいる。すり潰されているのは自尊心で、人生を大きく左右するのに。)
性的マイノリティ人権講演は、自治体や教育者対象のものも多い。児童生徒よりも、講演後アンケートの回答はばらける。大人は自分の部下や子供からカミングアウトされたら? ということを現実的に想像して答える。
・うちの生徒にはいないが、今後の参考に
とても現実的だと思う。自分は理解していても周囲はそうじゃなく、変えていく力はないと思っていたり、自分の偏見が拭えないことに悩んだり、どこか他所ごとだと思ったり。社会の現実はこうなんだ。
実際、近しい人が当事者だと気づいたときに戸惑わないと言える人はどのくらいいるのか?
(戸惑ったら「戸惑った」ってリアクションしてもいいと思うけど。なかったことにされるよりずっといい)
世の中はまだまだこんなふうで、子供たちはそんな世の中で成長しているのだ。
理解の浅い段階で「この中にも同性愛者がいる」って言葉を投げかけられると、当事者が不安とショックに囚われる。当事者でなくても立場の弱い子供にも、しばらく友達との会話が恐怖になる可能性がある。
しっかりとした性的マイノリティ教育(その他人権教育)が行われていれば、子供たちは、自分の周りにも当事者がいるかも、という前提で人と付き合うことができる。「この中にも同性愛者がいる」とわざわざ言う必要がない。
児童生徒向けで、全体講演のあと、クラス単位や希望者のみなど、もう少し少人数で距離も近くして講義を行うことがある。質疑応答の時間も設ける。子供たちの姿勢が違って、上っ面だけじゃなくしっかり理解しよう、受け止めようとして聞いてくれる。その後、アンケートよりもずっと長文のレポートを送ってくれる。
・もし友達にカミングアウトされたらどうすればいいかって考えていたけど、その人にいつもしてるみたいに言葉をかければいいんだなと思いました
・将来自分が同性を好きになることもあるかもしれないから、今はそうじゃなくてもふざけてネタにするのはやめようと思った
・性的マイノリティの人がその場にいたら言えないようなことは、誰の前でも言ってはいけないと思いました
講師は「この中にも同性愛者がいる」とは絶対に言わない。「同性愛者にはこう接しなさい」と言うわけでもない。人と人との関係の、答えのない問いを、一緒に考えていこうね、と伝えただけだ。
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
何なんだよお前ら!!!!
意識高い旧帝大や駅弁の建築系や都市計画系、経済系、デザイン系の学生をインターンと称して集めて、無給労働させてるだけじぇねえかよ!!!!!!!
有名なNPOから派遣された学生インターンが、10名中9人が途中で離脱するって、どんだけブラックなんだよ!!!!
地方創生とか、地方再生とか、公民連携とか、地域活性化とかお前ら言ってんのに、街が幸せになるまえに、中で働いている人間が無給で働かされて次々に不幸になってるだろうが!!!
それで地方創生のセミナーやって、業界の実態に無知な人間を連れてきてまた繰り返すのかよ!
それを指摘した自分に都合の悪いツイートを次々ブロックするなよ!
自分の過去の成功事例をセミナーで御託並べて自信満々に吹聴しているけど、実態は既に縮小や撤退して失敗してんだろうが!
本当に成功している事業している人間が、いちいちセミナーで「私は儲かってます、成功してます」って言わないだろ!そんなの典型的な詐欺だろ!
事業で成功していたら、セミナーや講演会ばかりしてないだろ!!!!!自分の事業に専念しろよ!!!!!
他のコンサルが噛んだ案件、失敗事例をレポートしておきながら、他のコンサルトうちは違いますって客に伝えて、自分ところの失敗した事業を棚に上げんなよ!都合の悪い情報隠蔽するなよ!
他の人の成功したプロジェクトを、あたかも自分の成果のようにメディアに掲載してるが、お前が何やったかはっきり言えよ!!!
むしろ、そのプロジェクトは、他の人間が時間と労力をかけて出した成果だろ!!!!
勝手に手柄横取りして自分の実績に見せかけんなよ!!!!!詐欺だろ!!!!
意図的に自分の周りに沢山の仲間がいるように見せかけて、Facebookやツイッターのトップ画像を、セミナーの集合写真まんま載せてるけど、実際は2,3名のただの零細企業だろ!!!!
学生をただで働かせて拘束時間メチャクチャ長いのに、金払えよ!!!!
Twitterで「地方の海産物うめー」って写真付きでつぶやいてる暇があったら、金払えよ!!!!
「半年間みっちりやらないと意味ないです!」なんてただの無給労働の奴隷だろ!!!!!
そんなことしながら、他の地方創生コンサルが社会人を1年間無給で働かせるのを批判して無自覚だなんて、お前はサイコパスかよ!!!!
そうやって大喜びしてる人たちって、このレポート客観的に見たことあるのかな?
もともと男性が支配的だった領域(お仕事とか政治とか)ばっか見てるんだよ。
あの指標の言いたいことは、女性が経済や政治に食い込めてない、であって男性が家事や育児をしていない、とはこれっぽちもいっていない。
残業時間、自殺率、通勤時間、性犯罪被害、育児への関与、家事への関与、多くのフェミニズム、アンチフェミニズムな人らがすごく気にしてるこれらの指標については何も言ってないの。
もしこれらの指標を取り入れたら、今のトップランカーたちもどうなるかなんてわかりゃしない。
だからあの指標をみて「やっぱり日本は女性差別大国ですね」と鼻息荒くしてる人らはなんでそう思うのか説明して欲しい。
個人的にはデータを見た時、男女間の差別はかなり激しいと思った。けど、日本人女性の感じてる差別の中の半分も現してないんじゃないかな、と思ったよ。
「今年も終わりだなぁ」
普段はこんな事言うタイプ(※)でも無いのになぁ、と思った。師走のそわそわした感じが、何か影響したのだろうか。
(※)...あく4倍
「あーあ、腹減ったな〜」
グゥ、と4回お腹を鳴らしながら笑った。これはいつもの愛してるのサインだ。
いつかクジャクの求愛行動について2人でレポートをまとめていた時に、彼が唐突にやり始め、今も続いている謎の行動である。
「ねぇ、みほは何が食べたい?」
いや知らんし。
「ねぇってばー」
知らん知らん、話しかけんなって
「ちぇっ、これで通算会話0記録164日目かぁ」
ポケットからA4のノートを取り出し、へたくそなピカチュウを描く彼。
「本当に、今年も終わりだねぇ」
「そうだね」
学校司書の仕事には、一般的な図書館で発生するような、資料の貸出・返却などカウンター業務やリファレンス、棚に戻す配架業務などがあります。そしてさらに、児童・学生を対象とした学校司書ならではの業務が加わると考えてください。
カウンター業務
カウンターでは、貸出・返却の手続きはもちろん、生徒たちからの問い合わせに答えたり、資料の検索をしたりする、いわゆるリファレンス業務があります。
生徒たちは一般の利用者と異なり、「自分は何のために、どのような資料が必要なのか」が自分自身で整理できておらず、漠然としていることがあります。「夏休みの宿題として」「社会科の調べ学習で必要」「レポートを書くための下調べ」「単純に興味がある分野だから」など、様々な理由で図書館を訪ねてきます。いきなりパソコンに向かって検索するのではなく、きちんとインタビューをして「何のための資料探しなのか?」を知ると、ぴったり合う資料を提供できますよ。
また、学校の先生たちも、授業で使う資料やネタ探しに来ることがあります。
生徒や先生の質問に的確に対応するため、どの教科書で、今はどんな内容を扱っているのか、どの先生がどんな課題を出しているのかを常に把握しておくことも大切です。日頃から、先生たちともコミュニケーションを深めておきましょう。
資料管理
司書の業務として、資料の購入・廃棄などの管理業務があります。
予算の限りがあるので難しいことも思いますが、全学年の生徒が読めるような資料がバランス良く棚にあるか常に把握して選書(購入する資料を選ぶ作業)をする必要があります。例えば、小学校1年生が読むような本ばかりでは、高学年の生徒は退屈して読むものがなくなってしまいます。逆に漢字が多かったり、難しい言葉を使っている資料を、低学年の生徒は読めません。もちろん、自然、科学、歴史、芸術、昔話、エッセイなど、各ジャンルの資料がある程度そろっていることが望ましいです。教科担当の先生がいればよく相談をして、購入する資料を決めるのが良いでしょう。
子どもたちが読む本にも流行があります。これをある程度把握して棚に揃えておくと、子どもたちが図書館に来るきっかけにもなります。とはいえ、昔から読み継がれている名作や古典の良さもあり、読む力がついてきた生徒にはぜひ勧めたいので、古くなっても廃棄資料に回らないよう十分に気をつける必要があります。どうしても状態が悪くなってしまった場合は、新品を購入可能か確認してからが良いでしょう。
その他の業務
生徒たちが本に親しみ、図書館を利用するように、図書館外での能動的な活動も必要になります。
読み聞かせや読み語りは、読書が苦手な生徒にも物語の世界を体験してもらう機会になります。民話などの内容を全て暗記して語って聞かせる「語り」など様々な形態があるので、自分に合った方法を選択してください。
ブックトークという、1つのテーマに沿って本を紹介していく方法もあります。物語に限らず様々な資料を連続して紹介でき、生徒たちの好奇心をかき立てる効果があります。
また、小学校高学年以上になれば、生徒たちがお互いに本を紹介することもできるようになっていきます。代表的なのは、課題の1冊を決めてその内容について語り合う「読書会」ですが、各メンバーがおすすめの本を持ち寄ってプレゼンし合う「ビブリオバトル」も流行しており、生徒たちが読書を楽しむ場を企画・提供する実行力が司書には求められています。
また、「調べ学習」の図鑑などを使って調べ物をする需要も増えています。百科事典の使い方や、辞書・辞典の引き方をレクチャーする機会もあるので、スムーズにできるようになりましょう。
学校によっては、新刊案内や図書館だよりといった印刷物を作成・配布する場合もあります。図書室に来る習慣がない生徒たちも興味が持てる情報発信を心がけて行います。
そうなの? 見た感じ2018年度のレポートは全年齢者における中等教育を受けた人の男女比率、だったけど、2020年度は中等教育に所属している人の男女比、になっているから上の理解で問題ないと思うんだけど。
使っている規格はどちらもISCED 2011で、2と3は中学、高校に該当すると思うんだけどなぁ。
まぁ日本の男女差の問題は政治領域と経済領域でひどいから、教育分野はそこまでフォーカスしなくてもいい気がするんだけどね。楽観的な考えかもしれないけど。
元データ(Global Gender Gap Report 2020)見たけど、これレポート側の誤植じゃないの。
Enrolment in secondary educationの項目は確かに128位になっていたけど、Enrolment in primary educationは1位。
いやいや、普通に考えて中学・高校(secondary)と小学校(primary)で男女の比率変わらないでしょ。。。
このレポートもしくはこのレポートがデータ元にしているユネスコ統計の間違いでは。
※ちなみにEnrolment in tertiary education(高等教育=大学)は108位。前回(2018)は103位。
先日、大学の課題レポートで必要だった為、母方の祖父に自分の人生史というものを紙に書いて写真に撮って送ってほしい、と頼んだ。
私は地元から上京し、一人暮らしをしているため、LINEで母に伝えた。
私が想像していたのは
といった簡潔的なものであったが、母から送られてきたのは、ビッシリと文字で埋められたノート数枚分の写真であった。
どうやら母が昔レポートを書いた際に、祖父が自分の人生史について既に書いていたらしい。
「もっと簡単なものでも良かったんだけどな」と思いながらも、祖父の人生史を読むのはとてもワクワクした。何故なら私は祖父の人生をあまりよく知らないからだ。
私が知っていることは、「手に職をつけていて、もう85歳を超えるのにまだ現役で働いていること」や「パチンコやタバコ、お酒が好きであること」くらいしかない。
小さい頃は、祖父と遊んだり一緒に出かけたこともあったが、小学校高学年くらいからはめったに関わることがなくなっていった。
また、祖父は見た目がかなり…と言っていいのか分からないが、みすぼらしい。祖父と祖母が住んでいる所は掃除があまり行き届いておらず、害虫が度々出現する。(私はこの害虫をひどく嫌っている為、あまり祖父達のいる所に行くことは無い)
どんなことが書いてあるんだろうか、と思いながら写真のノートを読んでみる。
内容は祖父の生まれた時から、結婚し子どもが生まれ、一家の父となるまで、記憶やその時感じたことを書き記しているものであった。
恐らく、祖父と何も関わりのない人が読んでも「ふーん、こんな人生だったのね」くらいにしか思わないだろう。
しかし、私は最後のページを読んでいる時には、涙が出てきそうになっていた。
何故泣きそうになったのか、自分でもよく分からない。ただ、自分は本当に祖父のことを知らなかったのだな、と悲しくなってしまった。(こう見えても、祖父からとても可愛がられて育ったのだ。なのに……)
祖父の人生は、特別な何かが起こっていた訳では無かったが、その文章の書き方から感じ取れる人柄や時々入る祖父の感情といったものから、一人の人間として今まで生きてきたことをしっかりと感じることが出来た。
祖父だけじゃなく父母や兄弟も、おそらく自分史を書かせて読んでみると、「こんな生き方をしてきたんだ」と初めて知ることが沢山あるのだと思う。
悩むことと責任を結び付けたことはこれまでなかったで新鮮だった。共感はできないけど。
嫌われるとか、無責任だ、と結びつけることでは人は育たないと思う。
全く異なる考え方で生きているので、参考にはならないだろうけど
日々、生きているといろいろな課題、困難、イライラ、ネガティブな事柄にぶつかる。誰しもそうだ。
しかし、目の前に現れた課題を、どうしよう!どうしようといっていてもしょうがない。
俺なりの基準はこうだ。
1ヵ月後、1年後、3年後、その問題が重要な意味を持つかどうか。
場合によっては、状況が変化して、一か月もすれば意味をなさない、あるいは忘れてしまっていることもあるだろう、であれば、一か月後に忘れるようなことを今悩むのは無駄だ、というような視点でみている。
大きな歴史の流れのなかで、コップの中の嵐に過ぎないことであれば、悩むのはやめようと思うだけだ。
人を育てるときに、重要なのは、無責任とか倫理を説くことではなく、
トリアージの判断材料となる事実を淡々とみせていくことだ。あとは本人の気づきを待つ以外にやれることはない。
でも、面白いことに、同僚や上司からみると、俺は細かい仕事の出来具合などに悩んで大局を見失っているようにみえるらしい。
フルパッケージで支援というおせっかいは依存を育むだけなのでは?
筑波大には「総合科目」という、まぁ教養みたいな感じでさまざまな分野(他学類)の授業がとれる科目があるのだが、
その授業は割と甘めで、出席+簡単なレポートだけで取れてしまうものも多い。
しかも、総合科目は「必ずこれをとれ」という全学生に共通する講座はなく(「ほんの」一部は共通の必修がある)、選択式だ。そのため、割と自分が好きな科目で組めてしまう一面がある。
ほかの大学は知らないが、「歴史」や「古典」は雑学だからイラネ、みたいに切り捨てることができるわけで、これって教養の勉強にもならないのではないかと思った次第。
リベラルアーツ教育をガチでやらないと、いろいろとゆがんだ方面に行ってしまうのではと考えてしまう。そもそも、オウムの一件で「科学的な知識」だけで倫理をもたない危険性を反省して大学で教養科目の充実が図られた、みたいな話を聞いたことがあるので、もっとマジメに大学の教養を組んだほうがいいんじゃないか。
差別と表現規制の話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現は
という.
この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民にエビデンスを提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいかに知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.
ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口にエビデンスといっても質の強弱がある:
I | システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
II | 1つ以上のランダム化比較試験による |
III | 非ランダム化比較試験による |
IVa | 分析疫学的研究(コホート研究) |
IVb | 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
V | 記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
VI | 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
もちろん,社会科学分野では完全なランダム化比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学の研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制の議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンスを提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である.
宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士の発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスがフェミニスト側から提示されることは現在までない.
と,有害性は明らかであるとする.自治体のガイドラインは炎上しないためのHow toであり,これに抵触したからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連のポスターですら,形式的にはガイドラインに抵触することが指摘されている:
https://togetter.com/li/1425795
こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか.
キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。
「性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実の性差別・性犯罪を助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイのイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.
https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560
ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞のサイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期の自分は、やっぱり傷ついたから。
自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがときに女性をいかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分の趣味にケチつけられたら、腹も立つだろう。
ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.
千田氏自身は,法規制を求めているわけではなく「市民的公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民の議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民の議論の補助となるエビデンスを提示してもらいたい.
今年の4月,フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字を引用し,現在の社会にある男女差別を提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想で同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンスを提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制でエビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである.