2019-11-30

悩むか悩まないか

悩まない人は総じて「嫌われ者」である - 心の教科書

悩むことと責任を結び付けたことはこれまでなかったで新鮮だった。共感はできないけど。

嫌われるとか、無責任だ、と結びつけることでは人は育たないと思う。

全く異なる考え方で生きているので、参考にはならないだろうけど

俺は比較的、能天気なほうだと思っている。

ただ、悩みから逃げていると思ったことは一度もない。

あらゆる課題は、トリアージキモだと思っているだけだ。

日々、生きているといろいろな課題、困難、イライラネガティブ事柄にぶつかる。誰しもそうだ。

しかし、目の前に現れた課題を、どうしよう!どうしようといっていてもしょうがない。

重要性の選別が必要だ。

俺なりの基準はこうだ。

1ヵ月後、1年後、3年後、その問題重要意味を持つかどうか。

場合によっては、状況が変化して、一か月もすれば意味をなさない、あるいは忘れてしまっていることもあるだろう、であれば、一か月後に忘れるようなことを今悩むのは無駄だ、というような視点でみている。

大きな歴史の流れのなかで、コップの中の嵐に過ぎないことであれば、悩むのはやめようと思うだけだ。

人を育てるときに、重要なのは無責任とか倫理を説くことではなく、

トリアージ判断材料となる事実淡々とみせていくことだ。あとは本人の気づきを待つ以外にやれることはない。

でも、面白いことに、同僚や上司からみると、俺は細かい仕事の出来具合などに悩んで大局を見失っているようにみえるらしい。

支援とは

復旧復興支援レポートを読んで思ったのは

フルパッケージ支援というおせっかい依存を育むだけなのでは?

かえってパーツパーツで相手が求めているかゆいところをかいてあげるほうがいいのでは?

ピンポイントで今のタイミングで優先的にほしいものというのがあると思うのに。

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