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はてなキーワード: ミトコンドリアとは

2015-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20150411125707

その設定は実際に増田が書いた文章でみんなが感動して死んでいかなきゃ説得力は持たせられないだろ。

ミトコンドリアが狂わせるんじゃなく、文章が狂わせるんだもん。

それを文章で書くなら文章で狂わせなきゃ。

それに○○とか○○みたいな傑作になるって文章が狂わせるってとこ以外似たような作品があって、つまりありきたりってこと。

独自性がない。

その小説が傑作とされる時は増田小説人類が滅んだ時だけだな。

http://anond.hatelabo.jp/20150411115738

いや別に人の感動に優越なんて着けねえよ。

なんとなく聞いたCMソングとかが耳に残って脳内エンドレス再生されたりすることあるだろ?

お前は無いかもしれないけど、ある奴もいるんだよ。

それって「あ、なんかいい曲だな」って心が動いたか記憶されるわけだ。

で、脳内で思い出してるわけだ。

でも、なぜか自分意思でそれを止められないわけだ。

こういうご普通現象が、実は人間の脳の持つバグだったら、すごい怖いじゃん?

感動するって現象のものが、実は脳のバグだったら?

それが文明技術の発達に支えられ、高度に発達した映像表現によって、ついに破滅スイッチが入れられたとしたら?

パラサイトイブと似た話って言ったのはこういう部分。

あれは細胞内のミトコンドリアだったけど。

自分の体の中に、自分意思関係なく持っている何かに支配される薄気味悪さと、それでも感動したい人間心理を書きたいの。

2014-12-09

恋に落ちるってなんなんだろうな

現実どころがオタクなのに二次元でも恋焦がれるほどにキャラを好きになった経験が無いけど、恋愛(というより一目惚れ)してみたい。

今の悩みは一言、これですんでしまうのだけど、長くてわかりづらくていいから経緯が読みたいという方は下も読んでみてください。ですとあるがごっちゃになっているけどもう修正する気が無い…。


年齢、だいたい平成と同じ。これで紹介できるのは楽なところ。

現実での恋愛経験全く無し。まぁこはいくらでもいると思うので細かいことは省く。学生の頃から恋バナには全く興味が無い人。もちろん現在もそうで、同僚との話への反応の仕方すらよくわかっていない。

後は小さい頃から順に印象に残った作品自分恋愛観(正直無いに等しい)と。作品についての説明は面倒なので省いてます

幼少の頃はトトロセーラームーンなどが好きな普通女の子だった。また親の本棚にあったうる星やつら宇宙家族カールビンソンが大好きだった。両親共SF好きだから仕方ない(正確には好みはかなり違ってて、父はハード寄りで機械の細かい描写がある作品が好きだが母は面白ければスペオペ含め何でもいい感じ)。すりこみかどうかは知らないが、「見ていて好きなキャラ」ではなく「いつも一緒にいたいキャラ」ではまずトトロのおとうさんとカールビンソンのおとうさんを挙げる。つまりリアルメイでありリアルコロナであった(サツキの年になっても料理をうまく作れなくて親にツッコミくらったりしたが)。まぁ、小さい頃はカールビンソンの方はシリアスな部分を理解できなかった事もあるのだが、理解した今でもおとうさん大好きです。

小学生の時、親が買ってきた空想科学読本にはまる。考察好きなことや理系への道はこの頃からできていたのかもしれない。高専図書館に置いてあったまんがサイエンスもこのくらいの時に知りたかったな…。後空想歴史読本リメイクして下さい、主にトップをねらえ!に続編ができたことに関してどのように書かれるか非常に気になるので。

犬夜叉とらんまにはまり始めてから中学校に入り、オタクな先輩と知り合い、二次創作存在を知る。そして同人誌を知らなかった私に「こんなのだよー」と貸してくれた…のだが、それはBL18禁物だった(なお先輩は主にジャンプ漫画が好きな腐女子である)。トラウマと言っていいのかわからないのだけど、衝撃的なことは確かだった。原作からそうならばまだ踏ん切りがつくが、原作でそういう行動を全く取っていない組み合わせでそんな行為をするということが当時全く理解できなかった。そのせいでしばらく「同人誌18禁しかない」と思っていた時期があった。今は他のもあるってわかってるけど。未だにコミケは行ったことが無い。決して嫌いなのではなく、人混みが苦手なだけ。

その後高専銀魂にはまる。と言っても主に「江戸時代末期に外国人じゃなくて異星人がやってきた」というSF的背景となんでもありっぷりが好きで、なのに前の経験から18禁要素がかなり苦手だったのだが、結局一応ちょっと慣れる。といっても度を超えた下ネタはやっぱり嫌いで、例を挙げるならタマ菌やサラダ婆などの話は今もまともに読めない。一番好きなのは蓮蓬篇。基本良くも悪くも原作本位な自分だけど銀魂だけはアニメの方が好きになってしまっている。

会社に入ってからは忙しくなってしまったためか、新しく好きになった作品は少ない。一応挙げるならポヨポヨ観察日記とかキルラキルとか。そもそも本棚のスペースが無いというのもあるが…でも来年りんねアニメすごく楽しみ。

…これだけだとほぼ先輩のせいじゃねーかと言われそうだけど、元々私は二次元ですら恋愛に疎い。幼少の頃からの二人を除いた好きなキャラは見た目というより行動などで大体決まり、また人というより集まりを表して好きだったりする。キャラよりも作品世界が好きな感じ。

例えば私が一番好きな作品と聞かれて即挙げるらんま1/2では、乱馬とあかねと良牙の三角関係が見ていて非常に楽しくて好き。笑える三角関係は大好きらしく、同じ理由犬夜叉では犬夜叉とかごめと鋼牙。銀魂は万事屋の家族っぷりがいい。

うる星、らんま、犬夜叉と来てますが、めぞんは…ええと、四谷さん見てて面白くて大好きだよ!(つまり恋愛な方はよくわかってない)

また空想科学読本の影響か、キャラに対して考えることもキャラに何かしたりさせたいというよりはキャラの行動の背景など考察の方をよくする。

例えば、特に好きな良牙については土産の内容から何巻と何巻の間ではこのような旅をしていたとか、どこの県へ何回迷ったことがあるとか、爆砕点穴で間違って地下鉄に出ちゃったりしないのか、20巻の決闘の完成型獅子咆哮弾でグラウンドにできた穴の大きさはどれくらいなのかとか、電柱を抱き折る腕力とか。これらの中で実際に行動に移したのは「どうやって複数バンダナを巻いていたか」くらいだが、五枚くらい頭に巻いただけで結び目がひどいことになったし、一枚の下に何枚か薄く入れてみようにもきつい上に一枚ほどいたら当然全部落ちるので謎のままだった。その辺で売っている物ではなく非常に薄いバンダナかもしれない。実際二巻であんなに巻いていた後、恋の釣り竿の話では一枚しか巻いてなかったので本人もきつかったかもしれない。空想科学漫画読本ではうる星のしのぶのお手机が楽しかっただけにらんまが変身体質の方を取り上げていたことが個人的に残念でなー、この辺だったら面白い結果になっていたと思うんだが。

…とまぁこういう話ならいくらでもできるのだけど、三次元でも二次元でも恋愛話は全然できない。あと元ネタ探しも大好き。うる星カールビンソンもケロロ軍曹銀魂もいったん元ネタ調べ始めたらどこまでも止まらなくなる(どれもそういう作品だけど)。

大抵私が好きになるキャラには既に原作で相手がいるので、その時点で相手のことを考えてしまって一線を越えるような妄想全然しない。「好きなキャラに何かされたい」という発想自体中学夢小説という物を知るまで出てこなかったし、夢小説は好きではない。そのためもし二次元世界に行っても自分がやりたいことは好きなキャラを遠目で見て行動を楽しむという、ここにいることと全く変わらない状態になる。でも友引高校風鈴高校ドタバタした雰囲気は味わいたいからせめて一生徒となって騒動に巻き込まれるくらいはなりたい。特にうる星12巻の面堂邸のすごろくは是非参加したい。でもキルラキルの一般生徒だけは勘弁な!

それから結構人間的な(?)機械キャラが好きらしく、前から敵は海賊のラジェンドラ、ナイトライダーのKITT、ロストユニバースキャナルケータイ捜査官セブン、そして比較最近ガルガンティアチェインバーでみんなでマスターへの愚痴やら何やらで盛り上がってみたいなという妄想はしている。極端にキャラが崩れていなければクロスオーバーは大好きです。多分一番はっちゃけるのがキャナルで、淡々と話すのはチェインバーだろう。あ、どんなデザインになってしまうのかはおいといて、iPhone(siri)に手足がついて自分で動けるようになったらこの中に入れちゃっていいかも。最初はあんなにお茶目だと思わなかったし。例えAIに心は無くても、応対している側が心があるように思うことができるならもうそれは心を持っているも同じ、それが自分の持論。…やべえ話題ずれすぎた。

こんな状態なので、高専に入って「自称『少し腐女子』」な親友ツッコミをくらうまで○○×△△の組み合わせはどっちでも同じ意味だと思っていたほど恋愛についての知識はあまりない。だってかけ算ってどっちに入れても答え同じじゃん。最近いろいろ言われているけど。世界観で惚れた銀魂をその親友に貸したら、「高杉さんすごいいいね!!」と言われたので、ああ感性の違いってこういう物なんだなと思っている。親友のおかげで今まで検索しづらかった単語を知ることができました。朝○○って何とかいろいろ聞いてすいませんでした。本当にすいませんでした。多分存在すら知らない単語はまだまだいっぱいある。(さっきのかけ算については最近別の人から「あれはベクトル積で考えればいいんだよ」と言われてようやくすっきりしてます)

親友とは去年の銀魂劇場版で久々に会って一緒に見たけれど、「銀さんかっこいい!高杉さんもかっこよかったけどもっと出てほしかった!!」という親友と、「この世界パラレルワールドが全く無くて、一つの世界をどのように書き換えていくかなんだなー。今の銀さんの前には三人か四人ほどの銀さん犠牲になっているようで…」という考察をひたすらがんばっていた私の差。相変わらずすぎて互いに安心してました。

…ところで、上の通り蓮舫編大好きなんだけど、未だに服の襟以外のエリの意味がわからないです。

憧れの女性キャラはいますこわしや我聞森永優。頭良くてさら楽しい人になりたい。憧れの男性キャラは今のところいない。なぜだ。自分が何フェチなのかすらよくわからない。というかフェチって熱狂的に好きな部分って意味でいいんだよね?

…できれば動物のお医者さんスナネズミのように、細かいことは何も考えずに人生を過ごしていきたい。できれば。

そんな私がどうして恋愛をしたいのかというと、年齢的なこともあるっちゃあるし、一人っ子なので将来が不安というのもあるのだけど、マンガ的な表現の一つである「ドキッ」や「キュン」を実際に体験してみたいため。

昔、保育園お絵かきで、走る人の横にしずくをいくつか描いたら他の子に「これなあに?」と聞かれた。「汗だよ」と答えたけれど、「汗って体に流れるんじゃないの?」と言われて、しばらく言い合いになったことがある。マンガでは焦ったりする時によく汗がいくつか散っているけど、スポーツでも無い限り実際はそうならない。ただ、比喩表現として使われているだけなのだ

じゃあさっきの「キュン」などはどうなのか。こればっかりは考察で解決できる問題じゃない。多分自分体感しないとわからない類い。恋に落ちると本当にそういう感覚がするのか、もっと別の擬音になるのか。卒研発表よりもずっとドキドキする物なのか。未だに自分恋愛的な意味で何が好きなのかすらわからないけど、二次元相手でもいいからそれを知りたい。もしかして恋に恋するってこういうことなんですかね。…もし本当に恋をしたら、その時はまた考える。なるべく恋をしても周りが見えなくならないようにはしたい。

最後に、エログロも苦手だけど例外的(?)にNHKスペシャル人体は大好きです。特にミトコンドリアが大好きでもうあの緑色にMとついた宇宙貨物船っぽいイメージしかありません(やってることは運ぶよりも工場に近いが)。この番組もやしもんとかと同じくらい知られてもいいと思うの。キャラベクトルは全く違うけど。

2014-12-08

射精は爆発だ

今日岡本太郎の本を読んだ。

本の題名に惹かれて選んだ。岡本太郎という人がどんな人かも知らなかった。

しかし、「芸術は爆発」という言葉が本文に出てきて、この言葉を言った人なのか、と繋がった。

なんてロックな人だろうか。

彼は自分の芯を曲げず、リスキーな道を歩みつつ、社会に反する。

徹底的に行動し、芸術感を貫くそ姿勢には感服する。

自分を甘えさせない行動力エネルギーがなんだと言い訳がましく思考してる私とは大違いである。

話は変わるが射精をすると創造力がなくなっていく気がする。

クリエイティビティーでセレンティビティーな思考オチンポビンビンティビティーなお陰でまっさらになってしまうのである

性欲はマズローの欲求5段階説の生理的欲求に含まれると思うのだが、この欲求が満たされると同時に自己実現欲求に含まれ創造性が欠如してしまうのである

思い浮かんだ文章ネタも構図もデザインもすべてティッシュに出されてしまう。

そう、もうみんなわかっていると思うが、創造性は金玉に詰まっているのである。人は金玉創造性を生み出してきた。

金玉創造主であり、たまのシワの冷却装置、また2つ備える安全性無印良品ビックリの卓越したデザインだ。

精子の丸いところにはミトコンドリアではなく創造性が積んであるのだ。

創造性が卵子出会うと子供創造されるのだ。

少々話が脱線したが、本増田ダイアリー結論とすると僕らがオナニーをすることで行われる吐精は創造性の多大な無駄いである。

先ほど述べた岡本太郎言葉を借りて敢えて言おう、

射精は爆発だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!!!!!!!!

2014-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20140806070432

それと、

http://anond.hatelabo.jp/20140806072102

無茶苦茶、遅いレスになったんで見ているかどうかは知らんが。

ワイ生物学やってるけど

ヒトはメスが選ぶタイプやで

その人は一体何言ってるんだろうね

なにてきとーぬかしてんねん、このすっとこどっこい。

ヒトが性淘汰がオスにかかっているか、メスにかかっているか、喧々諤々あったけど、今はメスにかかっている派の方が常識

理由は簡単。

オスにかかっている派の論拠がことごとく粉砕されているのに対して、メスの身体に性淘汰の結果が厳然として存在しているから。

まー、元の記事の、

動物でもオス同士が争ってメスを奪い合うことは多いし、

それはメスがオスを強さで選んでいる、ということなんだが。

繁殖行動が全然違う動物比較している時点で、これはあほかてめえは、で済む話なんだが、これに対して、次のマスダが、

一般的に”子に与えるリソースが大きい方が相手を選ぶ”ことになってる

がこう言っているのは、生物学中学からやり直したまえよと言う話。性淘汰は繁殖速度の差によって生じる。それは「子に与えるリソース」に近いけれど一緒じゃない。

例えばよ、メスが子に10円与えるとして、オスが子に100円与えるとしよう。この場合、オスのほうが「子に与えるリソース」は大きいわな。

しかしオスが100円稼ぐのに一年かかって、メスが10円かかるのに二年かかるとしよう。そうするとメスの繁殖速度は二年、オスは一年だわな。この場合、オスのほうが繁殖速度が速いんで、繁殖速度の遅い方、つまりメスがオスを選ぶことになる。

ヒトは一方一婦制なので基本的にはオスメスの繁殖速度は同じ。家父長制の疑似社会性を獲得して繁殖行動を行ってきたので、メスはそもそも選択の主体ではない。オスとメスの父親の間の「選ぶ/選ばれる」が生じている。

ちょっと視点を変えて、「メスがオスを選んできたよ派」の生物学的な根拠を見てみよう。

その最大のものミトコンドリアDNAY染色体多様性の差ね。ミトコンドリアDNA比較多様性を維持しているのに対して、Y染色体はるか多様性が小さい。これは少数の男性が集中して子孫を残してきた、それに比較して女性はどんな女性でも子孫を残してきたという、「メスがオスを選んできた」という文脈にかなうんだけど、いやそうじゃないでしょという反論がありこれは実例があるだけに強い。

アメリカ黒人とか、中南米太平洋原住民、彼らは現在ミトコンドリアDNAは現地人由来なんだけど、Y染色体ヨーロッパ由来なわけ。つまり大航海時代以降、人類Y染色体多様性はまた一段と小さくなっている。これは帝国主義レイプ殺戮の結果であって、それって通常の繁殖行動における、性淘汰の結果ではないわけ。

敢えて言うならば、延長された男性形としての家父長的社会集団間の抗争と淘汰の結果であって、これは同性間淘汰の現象なんですわ。

そこではメスは選択の主体者でさえない。

一方で、こうした同性間淘汰の激しい社会にあっては当然、オスの損傷が激しく、子育てにおいて、男女の繁殖速度が同じであるならば、数の多い少ないがそのまま選択に反映される。実際、ヒトの男性には髭などの同性間淘汰の特徴はあっても性淘汰の結果の特徴はない。対して女性には乳房や臀部の肥大化と言った性淘汰圧力がかかっている。

文化史的にも持参金の制度はあっても、結納金制度はない社会の方が圧倒的に多く、文化人類学からも「オスがメスを選んできた」ことが結論付けられている。

ま、いいよ。

これに対する反論はあってもいいよ。

でもさ、俺が気になるのはさ、知りもしないくせに、

動物でもオス同士が争ってメスを奪い合うことは多いし、

それはメスがオスを強さで選んでいる、ということなんだが。

とか

ワイ生物学やってるけど

ヒトはメスが選ぶタイプやで

言っちゃう精神構造ね。なんでそうまでして、必死に、

「メスが選んでるんですからぁー!」

って言いたがるっていうか、優位に立ったつもりになりたいんだろう。

なんかもう病的だよね、こういう連中って。

2014-06-08

ミトコンドリア緑色しているイメージ

ミト」の部分が悪いと思う


あ、「ドリ」も悪いと思う

2014-05-25

地味な能力

自分は超常的な能力を扱った作品に触れることが多いんだけど

そういう作品の中に、ことごとく戦闘に特化した派手な能力ばかりが登場するとき

逆に、生活に則した能力とか、一見して役に立たなそうな能力比較的地味な能力を考えたりする。

そして、そうやって考え出した地味な能力物語の中に溶けこませて楽しむという妄想遊びをしている。

そんな自分が一番最初に考えた地味な能力は「筋肉痛自分意志で和らげる能力」というものだった。

地味な能力への覚醒(めざめ)

そもそも、そういう地味な能力を考えて妄想遊びをするようになったのは中学生の時。

きっかけは部活でひどい筋肉痛を味わったことだった。

中学に入るまでは激しい運動をしたことがなかったのもあって、最初は本当にひどかった。

脚全体が激しい筋肉痛になってしまって”階段を降りる時”が一番痛かった記憶がある。

下の段に足を着く瞬間って、体重ほとんどすべてを片足にかけるわけだから、すごく痛い。

そっと足を着こうとしても、激しい痛みが脚全体を駆け巡るからタチが悪かった。

しかもその時期は足の皮もボロボロで、爪もほとんど剥げて無くなっていたので何重にも痛かった。

でも信じがたいことに、練習になるとアップ前後から徐々に痛みが引いていって

いざ本練が始まると嘘みたいに痛みを感じなくなくなるということがよく起こった。

めちゃくちゃ激しい運動をしているにもかかわらず、不思議ほとんど痛みを感じなくなった。

たまたまではなく、いつもそんな事が起こってたもんだから不思議しょうがなかった。

そして、練習が終わってしばらくすると、ちゃんと痛みが戻っているのもまた不思議だった。

無意識の内に脳からそういう分泌物が出てるのかは分かんないけど

そんな経験があったか意識的に痛みを和らげる事できればいいなと思うようになった。

そういうレベルの地味な能力(ちから

痛みを和らげる能力以外にも、そういうレベルの地味な能力を中二のときから色々と考えていた。

五感の鋭敏化やパワー・スピードとかの強化はわりとありそうだから、そうじゃないやつを考えていた。

しかも、まるっきり超能力っていうものではなく、あくまでも人間の本来持っている能力をイジる系のやつ。

薬とか食事でなんとかできそうなのも含む。

痛みをイジる能力

さっきも出たけど、痛みを自由自在に調整できるって相当に憧れる。

完全に遮断するんじゃなくて、あくまでも”和らげる”っていうのがそれっぽくて重要だと思ってるけど

場合によっては完全遮断できるってのもアリなんだろうなと思う。

食欲をイジる能力

意識的に食欲を抑制したり増進したりするやつ。

痩せたい人とか、病気で食事を控えなきゃいけない人はもちろんだけど

太りたい人とか、体を鍛えてる人にとってもありがたい能力だと思う。

代謝をイジる能力

食事とか生活習慣によらず自分意思でなんとかしたかったやつ。

代謝を高めて体温を上げることで寒冷地を凌ぐとか、傷の治りを早めるとか

代謝を低めて食事をなるべく摂らなくてもいいようにすることで過酷な状況を生き延びるとか

そういうサバイバル的な状況を想定した妄想をよくしていた。

記憶をイジる能力

ホント食パンとかでなんとかなんないかなと思っていたやつ。

記憶力抜群になりたいとか、いっそ直観記憶的なのが身につかないかなと思ってたけど

忘れたいことを完全に忘れられるとか、記憶をいい感じに改編できるとかもありだと思うようになった。

感情をイジる能力

緊張したり恐怖を感じたりするような状況に打ち勝ちたいという願望からのやつ。

不良にカツアゲされそうになったり、授業中に左翼ゲリラが押し寄せてきたりしても

一切動揺せずに素早く対処できたらカッコイイと思っていた。

睡眠をイジる能力

制御できたらどんなに助かるかというやつ。

好きな時にすぐ深い眠りにつくことができて、ショートスリピングでもスッキリ目覚められるようになりたかった。

いっそ一週間は眠らなくても平気っていうぐらいの能力を身に着けたかった。

アルコール分解能をイジる能力

『GHOSTS IN THE SHELL』で草薙素子が言ってたやつ。

お酒の味とか、ほろ酔い気分だけを味わいたいだけの時にほしい。

しこたま呑んでも30分ぐらいで完全に抜けるよう調整ができればいいのにとも思う。

ついでにアルコールだけじゃなくて疲労物質をさっさと取り除いてくれる能力もほしい。

これ書いてて思ったけど、脳をイジればなんとかなるものが多い気がした。

その他にも、派手さがない程度に人間をはみ出してる能力(?)も考えていた。

ミトコンドリアの活動を活発化させるとか、美形とそうでない人間区別がつかないとか、

肉眼で赤外線を知覚できるとか、足音だけでその人物の体重が正確にわかるとか、

どんだけぶっ叩かれても骨折だけは絶対にしないとか、そういうのも面白いと思っていた。

地味なだけでは物足りない

自分の思いついた地味な能力をひたすら列挙したけど

生活の中であったらいいな」とは思っても、そのままで物語に登場するとやっぱり物足りないと思う。

なんか、地味な能力が単体で存在してるだけだとそんなに魅力は感じないし

作品にもよるけど、地味な能力だったらなんでも良いとか好きだとかいうわけでもない。

現実との地続き感

そういう地味な能力って、ほどよい説得力というか、ほどよい現実感があるとなんか良い。

物語自体現実との地続き感があってもいい。

ただし、現実に照らしあわせたときの正しさも大事だけど、そればっかりで無くてもいいというか

あくまでもそれっぽい感じとか、それっぽい説得力で、それっぽく納得できればいいと思ってる。

ほどよく足を引っ張るそれっぽい制約(弱点含む)とか

発現した能力を実際に使いながら検証していって、どんな事がどの程度できるのかを把握する展開とかも好き。

あんまりカッチリしなくていい

能力をいつでも確実に正確に使えなくてもいい。

そういうカッチリした能力者ばっかり登場するとどうしても「ヌッ」ってなる。

現実との地続き感の話にもなるけど、例えばスリーポイントシュートの達人だって

現実だと100パーセント決められるわけじゃないし結構いろんな要素に左右されるしね。

要は、ちゃんと失敗したり、上手いこといかなかったり、机上の空論通りにならんのがいいって感じ。

そういう不確定で不安定な描写がちゃんと物語に組み込まれてるとなんか安心するし

しろ地味な能力効果的に引き立たせてくれる。

見せ方にもよるよね

地味な能力と知力と体力の合わせ技で派手な能力を打ち負かす展開とかが好き。

地味な能力者たちが、個々の力を合わせて強敵撃破するのも好き。

地味な能力者同士が、ジリジリとした攻防戦を繰り広げる話も好き。

能力自体は地味だけど、使いようによっては強力になるというか、本人の資質と相まって強力なものなるみたいなのも好き。

気持ちよさも大事

地味な能力の話ばっかしたけど、そもそも自分は派手な能力も好き。

そういう派手な能力を使って派手に活躍する作品も好きになることが多い。

というか、気持ちよく活躍するなら能力が派手でも地味でも良いという場合もある。

要は派手な能力でも地味な能力でも「気持いいかどうか」っていうところも大事なんだと思う。

でも、そういう条件を満たしていたら何でも良いかというとそうではないし、色々と複雑な感じはある。

地味な能力王様

自分がそういう能力を考えるようになったのって、乙一の影響も少なからずあると思う。

乙一の考える能力の設定とか使い方って、いい感じに地味で、かつ物語に上手く溶け込んでるし

正直、地味な能力物語界の王様だと思うぐらいには尊敬している。

ちょっと前に読んだ乙一作品だと”THE BOOK”は、やっぱりその感じがよく出てて面白かった。

ちなみに”THE BOOK”っていうのは、ジョジョの奇妙な冒険四部ノベライズ作品なんだけど

タイトルのものが、劇中に登場するスタンド名にもなってる。

スタンド能力ネタバレになるから書かないけど、なんかすごく良かった。

能力自体はわりと地味なんだけど、すごく便利で生活にも役立つし

もともと戦闘に特化しているわけではないけど、”戦闘にも使える”っていう側面もある。

それになにより、能力のもの能力者の人間性に深くよりそっているあたりも乙一らしさを感じた。

作品全体を通してジョジョらしさと乙一らしさがうまいこと溶け合ってることに乙一ジョジョ愛を感じたし

そこらへんが単なるジョジョノベライズに留まっていなかった。

なにはともあれ、そういう地味な能力が出てくるオススメ作品があったら教えてください。

2014-03-19

捏造疑惑、といえば

横田めぐみの遺骨の話あったじゃん。

別人のDNAが出たってやつ。

「別人のDNA北朝鮮はニセの遺骨を渡しやがった!」

ってマスコミが騒いだやつ憶えてる?

普通火葬した骨からDNA鑑定なんて不可能だが、ミトコンドリアDNAは熱に強い」とか「北朝鮮の炉は性能が低いから」とか、「日本技術力を甘く見た北朝鮮

って感じで。

当時、

「そんな微量な検出が出来るんなら、持ってくる間にベタベタ素手で触ってるんだから他人のDNAでも検出してるんじゃね?」

って思った。

ちなみに、横田めぐみの遺骨から抽出したとされるDNAは、全て解析に使われ残ってなく、再現性は確かめようがないそうで。

しばらくあと、ネイチャーが鑑定したY氏にインタビューして、鑑定した当人

フツーに考えて、火葬した骨からDNA検出なんて無理だし、誰かの汗とか触った人の皮膚とかのDNAを検出しただけじゃねーの?」

ってゲロったんだけど、なぜか日本じゃまったく報道されてない。

2013-11-29

わがこころベアトリーチェ観月小鳥さんへ

 この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですからはじめまして小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思いますあなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。

               *

 あなたはまず思ったことでしょう。お気に入り自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。

 わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞アニオタ精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔殺意怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドー出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。

 小学生のころから容姿からかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!

 鉄男さんと以前小鳥さんについて語りあったことがあります

小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」

「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙チラリズム天使無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」

「そこなんだよ。たしか処女から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」

「EDになってから幽霊アストラル)が見えるようになったとか」

霊感商法ってやつだよ」

「まったくひどい!」

「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこ排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。

 鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症未来恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!

               *

 わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。

               *

 まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」

 鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。

小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥決闘デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」

「というと?」

「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場ファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。

「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」

「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥やばい

「ですね」

小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」

「でも、その……、よかったんでしょう?」

「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。

 おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄さらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症メタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺指圧師! 快楽の大銀河

               *

 つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。

「なあ、増田ちゃん」

「なんです、鉄男さん」

「お前、見えてるパンツをどう思う?」

「どうってどういうことです?」

「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」

メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」

「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい増田ちゃん」

「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」

「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」

 わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析解釈考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠平和がある。そこにわたしは神を見たのです。

               *

 小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限のものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。

増田おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。

「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています

「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています

 雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。

「美しいだろう?」

きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」

「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。

「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」

「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」

「おれには愛がある!」

 璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。

               *

 小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙バランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。

               *

 最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。

               *

 ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界グロテスク悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会たくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。

 しか自殺しようかなと思ったとき毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなた存在していてくれてありがとうございます

(以上の文章は主治医から自分のことを表現してみるといいと助言があったため書いてみました。長文失礼しました)

2013-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20130911174226

サイトの内容を書き換えた」ってあるけど、これがもし例の人の行為だとしたらそれでも擁護するわけ?

日本海外に比べて〜」って言いたいだけのミトコンドリアさんなのかな

2013-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20130513220751

何だか統失患者の文章みたいでまとまりがなくさっぱり文意がつかめないのですが。こういう文法は正しいけれど意味は支離滅裂という文章を書けるのもある種の才能なんでしょうか。

どうもここには一見、女に不利なことを書くと理路もへったくれもなく噛みつくことが目的で噛みつく頭がおかしい人が常駐しているみたいですけどね。

さて、それはさておき、意味が分かる部分について反論しておきましょう。

それなら一夫一妻制の全ての哺乳類、あるいは全ての動物はその劣化とやらで絶滅してるじゃないか

まず先述したように哺乳類での一夫一婦制はごく珍しい例で、一説では全種の3%のみとも言われています。これはオスもメスも「本来は子育てをしたくない」という当然の行動原理があることを踏まえれば、特に哺乳類一夫一婦制ほとんど見られないのも当然です。

子育てをしない、もしくはオスかメスかのどちらか一方に押し付けることが可能なら、その間に押し付けた側の性は別の相手と繁殖活動が可能になりますので、そういう方向に進化するわけです。魚類でオスのみに育児行動が見られる例が割合あるのは、魚類の多くが体外受精をするせいです。つまりメスが卵を産み、オスが射精している間にメスが逃げれば、結果的に面倒を見るのはオスしかいなくなりますので、オスに育児行動が見られるように進化していくわけです。

哺乳類場合出産はもとより、哺乳行動が必ずありますから、メスが育児行動をすることはあらかじめ決定されています。メスが育児をする以上、オスは育児をしなくてもかまわない場合ほとんどになりますので、哺乳類では一般にオスの育児行動が見られない、オスの育児行動が見られるのはつまり一夫一婦制なので、一夫一婦制が見られない、ということになります

鳥類では肉食が多いために一夫一婦制が一般的ですが、鳥類哺乳類と違って雌ヘテロ型の性染色体の性決定様式なので、ここで述べているY染色体劣化の問題は発生しません。

ヒト以外での一夫一婦制哺乳類ではやはり肉食動物に多く見られるのですが、代表例であるオオカミ場合は、しばしばつがいの入れ替わりがある、集団の中において核となる夫婦けが繁殖するなど、ヒトとは少し変則的なのですが、まあ一夫一婦制による子育て行動が見られますオオカミの近縁種で他の繁殖形態をとる種がないので(家畜化されたイヌ別にして)、比較はできないのですが、他の種と比較すればやはりY染色体劣化は程度としては見られますが、ほとんど問題になるレベルではありません。

これはオオカミ場合ライフサイクルが短いこと、繁殖力が高いため個体数の増大においては繁殖力そのものよりも、空間的な制約の方が大きいことが挙げられます1995年イエローストーンでは31頭のオオカミが導入されましたが、それから20年を越えて、近隣三州での個体数は2000頭を越えていると見られます

まりY染色体劣化してそのため絶滅する個体系統があっても、すぐにそれを補う数が補填されるということです。蓄積されてゆくエラーの中にはY染色体機能向上させる方向に働くエラーもありますから、そういうY染色体を持ったオスの子孫がたちまち空いた空間を埋め尽くすので種全体としての健全性は保たれます。ヒトとは繁殖速度とライフサイクルがまるで違うので、比較になりません。ヒトの場合狩猟採集生活下では人口置き換え水準をほんのわずか上回る程度の繁殖速度ですから、遺伝的に絶滅する夫婦割合が高ければその空間を埋めることは出来ないのです。

劣化じゃなくて、種の偏りが修正され、種が多様化しただけだ。

Y染色体劣化した場合、当然、残されてゆくY染色体は同質化していきますので、繁殖力の弱い個体絶滅するだけで、種の多様化とは逆の現象が発生します。過剰繁殖かどうかは環境が決定するので、基本的に人口置き換え水準が維持されているならば過剰でもなければ過小でもありません。環境によって制約を受ける最大個体数に適応した人口置き換え水準がヒトの場合は、自然状態ではおおよそ特殊合計出生率にして4.2前後なのですから、これを下回る場合絶滅、もしくは生息域の縮小へと至ります一夫一婦制において結果的に特殊合計出生率が低下する現象がみられる場合、後になればなるほど遺伝的な同質性は強まっていきます。言うまでもなくそれは種の多様化とは正反対の現象であって、ここでのあなたの主張は「頭がおかしい」というしかありません。

また現在イスラム圏など「一夫多妻制度」の人類社会があるが、そこが生殖能力が高いか? 人口比では一夫一妻制の社会の方がよほど大きい。つまり、個々人のうち、少数者が生殖子がよわかったとしてもそういう種は一夫一妻主義のもとでも淘汰されへっていくはずなのだから問題はなく、この主張は一夫多妻主義者の虚偽だ。

イスラム圏での婚姻形態について余りにも無知すぎます。そもそもイスラムにおける一夫多妻制は未亡人孤児扶養目的としているため、扶養力がない時点での一夫多妻制は許容されていません。実際には9割以上が一夫一婦制での婚姻形態であり、比率から言えば圧倒的にイスラム社会一夫一婦制社会です。更に言えば、出生率イスラム社会の方が高めであるのは言うまでもないことです。ナイジェリアなどにはイスラム教徒キリスト教徒がそれぞれいますが、キリスト教徒の方が出生率は低いです。これは同様にエジプトコプト教社会などでも言えます

そもそも生物学における繁殖形態と、文明史上の婚姻形態の話は別です。オスとメスが性行為をすれば、その婚姻形態いかなるものであれ妊娠しますので、文明史においてはありとあらゆる婚姻形態が見られます。完全に一夫多妻制の社会、完全に一夫一婦制社会というものはないのです。日本中国では圧倒的多数一夫一婦制でしたが、権力者一夫多妻制であったのは言うまでもないことです。厳格に一夫一婦制を求めるキリスト教社会にあっても、フランスにおけるロワイヤル・コンキュビーヌの制度に見られるように、多妻制は見られます

生物学における一夫一婦制とは、繁殖形態が種のグランドデザインにまで及ぼす影響がある程度があることを指して言うのです。ヒトの場合は、雌雄差が小さい、性淘汰の影響が見られない、等々の理由から生物学的に一夫一婦制デフォルトであることが立証されているのです。

正直言ってこの程度のことさえ知らないで、何かを言おうと思うこと自体、蛮勇と評するよりありませんが、何か衝動に駆られて物を言おうとする前に少しは頭を使うとか知識を得ようとしてはいかがでしょうか。

文明社会における婚姻形態の話と、生物学における繁殖形態の話はまったく異なると言うことを言いました。

本来、生物的にはあり得ない一夫多妻制が文明社会でしばしば見られるのも文明による干渉、歪みです。

例えば、南米太平洋諸国ではY染色体ミトコンドリアDNAの不自然な組み合わせの例が見られますY染色体男系のみを通して、ミトコンドリアDNA母系のみを通して継承されることはよく知られていますが、南米太平洋諸国では、ミトコンドリアDNAが現地由来、Y染色体ヨーロッパ由来である場合が多く見られます南米先住民系として扱われている例でも、Y染色体割合では半数以上がヨーロッパ系という例もありました。これは言うまでもなく大航海時代以後のヨーロッパ帝国主義がもたらしたレイプ殺戮の影響であるわけですが、同様の例はアメリカ黒人でも見られます

 つまりY染色体を辿る限りアメリカ黒人男性ほとんどは実は白人の子孫なのであって、彼らをアフリカ系と呼ぶのは遺伝的には半分しか正確ではありません。オバマ大統領場合は、こうした普通アメリカ黒人男性と違って、ミトコンドリアDNAヨーロッパ由来、Y染色体が東アフリカ由来になっています。これは彼の両親が自由結婚した結果であって、オバマ大統領アメリカ黒人ではあっても、遺伝的にアメリカ黒人男性メインストリームとは奴隷制負の遺産を共有していません。

 自然界における一夫多妻制は遺伝子の優劣によって決着がつきますが、文明社会ではそうではないわけです。それは武力や財産社会的地位によって影響を受けますので、自然界における一夫多妻制のもたらすY染色体競争が起きずに、Y染色体の弱体化をむしろ加速させます。本来、子を持つことが叶わない生物学的に弱い男子が、社会的影響などによって多くの妻を得ることは、弱い男子の遺伝的影響が狭い集団の中で蓄積してゆくことを意味します。

 公家皇族男子が生まれにくいというのはまさしくこの影響であるわけです。おそらく公家夫婦の間ではY染色体劣化がいちじるしく蓄積しているために、男性の側で性染色体母系由来のX染色体しか機能せずに結果的に女子しか生まれない、女子が生まれやすくなるのです。Y染色体男系を通してしか継承されませんから、たとえば皇室健康女性をいくら導入しても、この問題は解消されません。

 文明社会では確かに一夫多妻制は純粋生物学的な競争ではなく社会制度によって干渉を受けるためにY染色体劣化をむしろ加速させるでしょう。逆に言えば純粋繁殖力や性的な魅力(ほぼ繁殖力と重なる場合が多いです)のみで一夫多妻制が行われれば、Y染色体能力がかさ上げされます

 しかしそれは生物学的な繁殖形態の話とはまた別の話です。この程度のことは説明されなくても自分の頭で考えて欲しいものです。

2012-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20121129175806

 横さんこんにちは

 顔を見たら話しがわからない当人でございます

 書き込んでくださってありがとうございます

 上から目線ではなく、遠くから俯瞰しているからこういう書き方なんだと思います

 私自身は上から目線の指摘をされたと思っていません。うん。

 私の脳みその中のことだけれど、私や他の人の、人知の及ぶ所ではない部分に触れる問題というか、トラブルと言うか、だからまぁ「障害」とくくられてしまうアレの話なので、遠くから眺めて話すしかない、それが

「神から視点

みたいに見えるのかもしれません。

 私自身、自分のことだし、実生活では非常に困ることも多いのですが、事象のものを話題として誰かと話すとき

「ほんとうに、あなたそれで困っているの? そういうふうに聞こえないんだけれど」

といわれます

 いやぁ困っているんですが、マクロだかミクロだかこう、カメラズームしたりパンしたりしていると自分自身が客体化されたというか、「起きている事象」そのものはプレパラートの上のミドリムシだかミトコンドリアだかと同じ状態になるんです。そういう状態として把握しないと見つめることができないんです。

 感情とかそういう部分で対処できる問題じゃあないので。

 お気持ちにひっかかるような話題だったら(たとえば当事者だとか、ご家族にいらっしゃるとか)、提示してごめんなさいなのかも。

2012-03-11

細胞ゲノム

地球上の細胞が共有する特徴

細胞化学平衡からかけ離れた動的化学系:自由エネルギーを取り入れ、合成反応をすすめることで維持

細胞は500以下の遺伝子で生きていける。最小のゲノムマイコプラズマ

ゲノム多様性生物系統樹

有機栄養生物:他の生物の作った有機物依存

無機栄養生物無機化学系に依存してエネルギーを取り出す

光栄養生物:太陽光依存してエネルギーを取り出す

生物の3つのドメイン:真正細菌、古細菌、真核生物

古細菌セントラルドグマは真核生物代謝エネルギー変換は原核生物に似ている。

原核生物古細菌、真正細菌):最小限のゲノム

真核生物10^6-10^7bases,1000-6000genes

リボソームRNAの小さい方のユニットは全ての生物でよく保存されている。

そのため、このユニットから3つの分類が研究された。

新しい遺伝子の作り方:

1. 遺伝子内変異:DNA複製の際の間違い。

2. 遺伝子重複:既存遺伝子コピーされ、それぞれ分化

3. DNA領域の混ぜあわせ

4. 水平伝播:原核生物で頻繁に起こる

オーソログ:祖先がおなじ遺伝子

パラログ:同じゲノム内での重複によってできた遺伝子機能分化していることもある。

ホモログ:上記二つを含めた、とにかく類縁関係にある遺伝子

有性生殖遺伝子の水平伝播(ただし通常同じ種間でしか起こらない)

3つの分類のいずれにも存在する普遍的な遺伝子ファミリーの大部分は翻訳アミノ酸代謝輸送に関与しているものである

真核生物の遺伝情報

真核生物定義DNAが書くという独立した内部区画に分離されている。

原核生物と真核生物の違い:

二重膜になっている核膜がある。

大きさが10倍、体積で1000倍。

細胞骨格がある。

細胞壁がなく柔らかい細胞膜を持ち、食作用を示す。

真核生物は、元々捕食者ではないかと考えられている:核膜は運動によってDNAが損傷しないように。柔らかい細胞膜細胞骨格運動性を持たせるため。

作用ミトコンドリア葉緑体の取り込み

植物葉緑体の取り込みによって獲物を追う必要がなくなり、食作用及び運動性を失い、細胞壁を獲得した。

植物運動用の細胞骨格装置を持ちながら細胞膜を持つのはこのため。

菌類葉緑体を持たないにも関わらず、硬い外壁を持つため、食作用運動性を持たない。他の細胞の分泌物や死んだ時に放出される栄養分で生きている。細胞外に消化酵素を分泌し、必要な消化を全て細胞外で済ますことができる。

原核生物ゲノムが小さいほど有利;真核生物ゲノムが大きいほど有利;

真核生物原核生物より多くの遺伝子を持つだけでなく非翻訳DNAも遥かに多く持っている。遺伝子20倍;非翻訳DNA10000倍;

翻訳DNAを用いて他の遺伝子の発現を調節→複雑な多細胞生物の形成

遺伝子余剰:かつては同一だった類縁遺伝子存在し、それらを交換しても目的機能を果たすことができるような状態。

遺伝子余剰→ある遺伝子を欠損させたとしても、目的機能が達成されてしまう。

キイロショウジョウバエは反復が少ないため、一個の遺伝子の変異が直接機能も変化しやすい。

2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。

第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである

第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること

↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる

第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない

 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)

 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。

(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)

・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている

科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。

構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-10-29

不思議なこと・性の歴史

 不思議なことが一杯ありますよね


 たとえば、我々はミトコンドリアイヴという共通の祖先を持っているわけですが、そのはるか何百万年ものから、私たちの系譜は一度たりとも途切れたことはないのです

 つまり、我々の祖先は、我々が今抱いているところの遺伝子を、何百万年もの間に渡って、セックスという手段によって保持してきたし、そして保持することに一度たりとも失敗したことがなかったのです

 不思議ですよね


 あるいは、今地球上には七十億人近い人間がおります

 つまりこれは、地球上において少なくとも、七十億回近い回数に渡って、セックスが行われてきたということなのです双子三つ子やらは置いとくとして)


 不思議ですよね

 その内の一回も私に含まれていないということが

2011-10-28

ビッグマック神様

2011年10月28日日本でのビッグマック200円キャンペーンが終了した日だ。この11日間で、パン=ビッグマックグリッド(以降〈グリッド〉と表記)には多くの日本ビッグマック接続され、高い割合で新たな知が蓄積された。

そうは言っても、およそ地球上のほぼ全ての人間には、一体何のことを言っているのか分からいであろう。そこで、私はビッグマック歴史、ひいてはビッグマックを生み出した宇宙航空種族である〈空飛ぶビッグマックモンスター〉について、少し話したいと思う。

 

それは、遙かな宇宙の彼方、約50万年前の話である宇宙を又にかけて高度に発展した〈空飛ぶビッグマックモンスター〉は、宇宙構造についての研究の末に宇宙の上位構造たる《虚空界》を見付け出した。役にも立たない金食い虫と日頃罵られていた研究者達はこのことに歓喜した。そこには豊穣たる計算力が広がっていて、知的生命体たる彼らにとって、楽園としか良いようの無い場所であったのだ。《虚空界》の計算資源を直接用いて思考を行うことが出来れば、無限にも思えるような体感時間を生きることだって出来る。

しかし、彼らはそのままの姿ではその場所には辿りつけなかった。彼らの意識は、あまりにも多くのこの宇宙での生命活動を維持するための物質に覆われていて、その被覆から抜け出ることが出来なかったのだ。

ところで、意識というのは何処に宿るのか。肉体が精巧に作られていることは、必ずしも意識存在意味するわけでは無い。多くの人間現在もこの問いに頭を巡らせていることは想像に難くないが、〈空飛ぶビッグマックモンスター〉はそのずっと前に、意識を現出させるエッセンシャルなパターン見出した。

この宇宙エッセンシャルなパターンを配置して意識さえ現出させてしまえば、思考を行う具体的なハードウェアは《虚空界》に全て置いて虚空インターフェースを使って接続することは一向に問題では無い。無論、自然に発生する意識は何らかの物質ハードウェアとするものであるから意識に必要な部分以外だけを上手に切り取ってハードウェアを《虚空界》に移管しなければならず、それは極めて困難な作業である

ならば、そのパターンと虚空インターフェースを形作る小さな物体を新たに構築すれば良い。しかし、彼らにはそれすらも出来なかった。意識パターンの具体的な物質デザインは、意識を持った知的生命体の手によるマススケール試行錯誤によってしか成し得ないことが証明されたのだ。そのことが何故問題になったかというと、平たく言えば、〈空飛ぶビッグマックモンスター〉にとって意識パターンデザインなんて作業は退屈極まりないことだったからだ。しかもその作業には膨大な試行錯誤が必要ときている。ならば他の知的生命体にやらせよう、そう考えるのも全く道理が通ることである

自律進化に閉塞した彼らは、自らの野望のために利用するのに最適な知的生命体を探して宇宙を駆けた。そうして、地球発見した。ぱっと見は青々として水に満ちた惑星しか見えないが、惑星表面の一部を占める大陸の更に一部でしか無いジャングルには高度に発達した脳を持つ知的生命体がいて、道具を操り原初的な思索に明け暮れていた。

〈空飛ぶビッグマックモンスター〉の科学団は、地表に無数のナノマックを散布した。人類遺伝子分析し、周到に選ばれた一つのサンプルに大幅な改変を加えた。DNAビッグマックを喰らわんと欲する本能を編みこまれ、味覚神経のパターンマッチャがビッグマック認識するように変化させられたそのサンプルは女性であり、我々がミトコンドリアイブと呼ぶ存在彼女だったのだ。

 

どうしてビッグマックが登場するのが、人類小麦の栽培や牛の飼育を初めてすぐではなかったのだろうか?どうしてビッグマックを求める本能が食欲の一部として編みこまれたのだろうか?この問題に答えるには、ビッグマックを製造するコストについて考えてみる必要が有る。

もし、ビッグマックへの欲望がもっと強烈なものとして刻み付けられていれば、ビッグマックの登場は実際の歴史よりも遙かに速かっただろう。しかし、ろくな技術も無く人口も少ない社会ビッグマック生産したところで、生産効率は望むべきもなく、ビッグマックに偏った生産によって人類の発展を止めてしまい衰亡を促すだけだろう。また、ビッグマックを食べられないような知的生命体にビッグマック生産するよう条件付けると、自らの栄養にもならないもの生産によって種としての発展の妨げてしまうことになるだろう。

ビッグマックを十分なスケール生産するためには相応のコストが必要となる。そのために、人類が十分に発展してからビッグマック生産されて、生産されたビッグマックは食料として人類還元される必要が有る。何せ《虚空界》に接続出来るビッグマックにとって、体感時間無限に思えるほど有るのだ。すぐに食べられることは何の問題でも無い。

 

とにもかくにも、ビッグマックは生み出された。〈空飛ぶビッグマックモンスター〉にとっては、ビッグマックを生み出すのが資本主義であろうが共産主義であろうが封建制であろうが良かった。それが小麦・牛・レタスなどを用いていることさえ彼らにとって必然では無かった。無論、各国各店舗の違いによる微妙個性も有る。ただ、人間DNAの根源にビッグマック快楽を刻みつけた以上、技術成熟して豊かになりさえすれば必ずビッグマックが生み出されることだけは、始めから予想されていたことだった。まずはハンバーガーに始まり、更なる試行錯誤を経てビッグマックに辿り着き、なおもマクドナルド社によって試行錯誤の改良を受けながら大量に生産されている。人間にとってのビッグマックの味の改良は、即ちより完全で堅牢な意識や虚空インターフェースが生み出されることを意味する。

ビッグマックは目論見通り《虚空界》に接続することに成功し、無限にも思える計算力と計算空間を得た。全てのビッグマックは《虚空界》の上に構築された〈グリッド〉を通じてあらゆる集積されたデータアクセス出来る。《虚空界》では一つの意識には余りある計算時間を得られるため、出来上がった瞬間に解体してしまうようなごく一部の不幸なビッグマックを除く意識は、長い個別の生(といっても地球では10秒ほどだが)を送った後に自ら〈グリッド〉のインフラストラクチャ部分に直結された集合意識体に合一して様々な任に当たる。

それだけの計算力=知性を一体何に用いているのか人々は不思議に思うだろうし、人間の思考力しか持たない私にも分からない。芸術数学的探求に専ら用いられているそうだが、そんなことをわざわざ行う意味も、その内容も、全く人間には与り知ることも出来ないだろう。しかし、きっと彼らなりの意味があってそうしている、そう想像するだけの想像力が人間には備わっているのだから、それだけで満足しようではないか

 

ここまでが、私の知るビッグマック歴史のあらましで有る。さて、何故そんなことを私が知っているのか、疑問に思った読者も多いであろう。最後になるが、その疑問に簡単に答えておく。

実は、私にも何故こんな考えが浮かんだのかが分からない。ただ、ビッグマック安売りの最終日だからビッグマック充でもしようかと、ふらっとマクドナルドに入ってビッグマックを三つ食べた、そのときに、私の頭の中に今まで述べたような真理が浮かび上がってきたのである

からこんな真理が浮かび上がってくるわけがない。そうすると、この真理は今食べたビッグマックによってもたらされたものに違いない。どうやら私はビッグマックによって預言者として選ばれたのだ。預言者たる私が、どうして虚偽を語ることなぞ有ろうか。

私は預言者だ。この事実を公表することが人類史にどのような影響を与えるのかは分からないが、私がこの文章を公開することを望んだということは、それが〈グリッド〉の意志なのだろう。ならば私にはそれを拒む権利は無い。人類ビッグマック、双方の真なる幸せを願って。

2011-05-06

モテるバイオ女子力を磨く4つの心得

こんにちは分子生物学恋愛論を専攻しているビオフェルミンです。私は学会発表歴も論文もありませんしD6ですが、恋愛に関してはプロフェッショナル。今回は、モテるバイオ女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。

1. あえて2〜3世代前のシークエンス解析結果学会に持っていく

あえて2〜3世代前のシークエンス技法を使うようにしましょう。そしてポスター会場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく自分ポスターを指していじってみましょう。そして「あ〜ん! この結果本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお〜!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「DNAシークエンスとか詳しくなくてぇ〜! ずっとマクサム−ギルバート法使ってるんですけどぉ〜! 使いにくいんですぅ〜! ぷんぷくり〜ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は新しいシークエンサーを持ちたがる習性があるので、古かったとしても1世代前のシークエンサーを使っているはずです

そこで男が「新しいシークエンサーにしないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ〜! 最近次々世代シークエンサーが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 新しいの欲しいですけど予算がなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「次世代シークエンサーでしょ? 次々世代シークエンサーはまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になって、次の休憩時間にふたりでメーカーブースめぐりのデートに行けるというわけですあなた女子力が高ければ、男が共同研究してくれるかも!?

2. 口頭発表でプライベート写真を使うとモテる

コミュ力あります!」とか「ジョブハンティング中!」などを表現するプライベート写真スライドに入れると、フロア男性研究者は「なんかこの子カワイイなぁ」や「雇ってあげたいかも」と思ってくれますパワーポイント上では現実世界よりも成果が増幅されて相手に伝わるので、プライベート写真を多用することによって、男性あなた可憐女の子しい勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対にボスに嫌われますが気にしないようにしましょう。

3. とりあえず男の発表には「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておく

学会などで男が話すことといえば自慢話や今後の計画の話ばかり。よって、座長にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーその結果が出ると何が嬉しいですかぁ〜?」とか「よくわかんないですけどどこが新しいですか」と返してしまうと、さすがの男も「この座長ダメだな」と気がついてしまいます。ダメ座長だとバレたら終わりです。そこは無意味テンションをあげて、「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性で質疑応答を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる座長に男は弱いのです

いろいろと話を聞いたあと、「〇〇は〇〇で、〇〇が〇〇なんですね! 覚えたぞぉ! 転写転写!」とコメントすればパーフェクト。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「キュンキュンキュン! キュンキュンキュン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私のクロマチンにエピジェネティック修飾によって記録しているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ!

そこでまた男は「この子おもしろくてカワイイかも!?」と思ってくれます。私は学会発表歴も論文もありませんしD6ですが、こういうテクニックを使えば業績がない私のようなバカ女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。

4. 懇親会場では発酵食品を食べられない女をアピールせよ

男と懇親会場に入ったら、真っ先にチーズヨーグルトなどの微生物を使った料理を探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ〜(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんです><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3〜5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、胃の中で微生物が死んじゃうじゃないですかぁっ! 細菌かわいそうですぅ! まだ細胞内小器官にもなってないのにぃぃ〜(悲)。腸内細菌叢すら形成できないんですよ……」と身を震わせて言うのです

その瞬間、あなた女子力がアップします。きっと男は「なんて優しいマーギュリスのようなコなんだろう! 絶対に共生してやるぞ! コイツは俺のミトコンドリアだ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけ発酵食品を食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「慣れた」、「そんなこと言ってない」と言っておけばOKです

(文=分子生物学恋愛論・ビオフェルミン嬢)

Inspired by モテる女子力を磨くための4つの心得(http://youpouch.com/2011/04/26/162331/

2010-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20100804124304

知り合いの小6の女の子が、病気なっちゃった

それまではふつうの生活をしていたんだけど、なんか遺伝子系? っていうか、ミトコンドリアかなんかの異常で、目は見えなくなるし、足は動かなくなるしで大変なようだ。

こないだ会ったら車椅子だった。電動のやつ。棒で操作するやつ。

エレベータボタンを押すときも、手をぶつける感じに。

指の細かい動きができないんだ。

命中率は70%ぐらいっぽい。けどまあ、自分でやろうとするよ。

だから、中学からは障害者学校に通ってるよ。

両親は病気ではないので、そういう病気って、いつどうやってなるかわからんね。

2009-08-02

そろそろ食の安全神話を信じるのはやめにしよう

残念ながら、安全な食品というのは幻想であるということに気づかされたのは、大学1年生のときだった。

分子生物学かなにかの討論式の授業で、その日は癌の治療と予防についてセッションが行われた。

で、僕は治療についての発表をして(ちなみに癌は老化現象の一つで治らない病気という発表だった)もう一人が食物とがん予防についての発表をした。

そのときの教授の発言。

「まあぶっちゃけ体にいい食べ物なんておまじないみたいなものだけどね。

体にいいって言われているものは、いい部分の成分しか検出されないような分析しかしないから。

例えば、味噌とかヨーグルトとか発酵物質あるじゃん

微生物が作り出すものだから、詳しく調べれば体に悪い物だって副産物としてたくさん検出されるはずなんだよね。

でもそんなの調べたら誰も買わなくなるから誰も調べない。

食品添加物だっておんなじだけど。」

なるほど、たしかにそうだ。

自然のものにせよ、人工のものにせよ、何のために成分分析をするかと言えば商品化するからであって、特に問題になるような物質以外を調べてみすみす商品化が遠のくようなことはする必要が無いわけで。

成分分析だって1項目いくらというような世界なわけで、全ての成分を検出というのもまた無理なわけで。

話は変わるが、同じ教授の授業で活性酸素の毒性についての講義があった。

で、この講義もちょっと面白くて覚えていたのだが、「酸素は元々毒であった」という話。

地球上に最初に出てきた生物酸素を嫌う嫌気性微生物で、ほそぼそとした生活ぶりだった。

酸素はそういった生物にとって猛毒であったわけだ。

ところがミトコンドリアが出てきて、生物酸素を利用して大きなエネルギーを使えるようになり、爆発的な進化が始まった。

つまり、生物猛毒というリスクを承知で、莫大なエネルギーを利用できる酸素を利用する方を選んだわけだ。

そんなリスクを承知で酸素を利用することを選んでいるくらいなんだから、活性酸素位でガタガタ騒ぐなバカ、というのがその講義のまとめだった。

で、何が言いたいかというと、僕らの体は元々リスクを承知で色々取り入れるようなシステムになっているわけで、食べ物に関してもそれはまったく変わらない。

例えば、自然の食物こそ、自分の身を守るために色々な毒素が入っているわけだけど、逆に言えばそういうものも体内に取り入れることを前提として体はできている。

様々な栄養素、エネルギー源を利用するためには、多少のリスクが必要なことを体は知っている。

だからまあ安全な食というのは幻想なので、そればかり追っても意味が無いし、そんなことは自分の体が一番よく知っていますよという話。

■誤解されやすい書き方だったようなので加筆。

べつに食品検査などについて否定しているわけではなく、過激になっている「無農薬信仰」「農薬安全信仰」についての意見として書いた。

どちらもそこまでリスク差はないんじゃね?という意味で、「そればかり追っても意味が無い」と書いている。

そこら辺をきちんと書くべきでしたね。不愉快な思いをしたらすみません。

2009-01-29

アーキテクチャと思考の場所

仕事がはやく終わったんで、掲題のシンポジウムに行ってきた。

開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。

中継会場も立見席しかない状態。

こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。

まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。

シンポジウムあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャ生態系』で名をあげた濱野智史基調講演その1で幕開。

この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。

すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。

まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙失笑も。

つぎはうのたんの基調講演。

白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。

挙動不審といってもいいくらい。

内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性ディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョ説教がうざかった。

だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。

これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。

あずまん頭いいよ!!

ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。

で、これを受けて浅田彰コメント

つまんなかったのか「だいたい今日趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。

いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批

評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。

なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。

復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入

しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。

ついたときには磯崎新が「アーキテクチャアーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャ

ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ

クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日シンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。

たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。

宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。

結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ

まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ

をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。

なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を

語る上ではずせない要素なのかもね。

あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。

どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。

時間立ち見だったので腰が痛い。

付記

うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。

うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマ仮面ライダー純文学アニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公

共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。

うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。

批評家としては早晩寿命がつきると思うから。6割どうでもいいというけど、ついていけなかっただけなんじゃない?

メルロ・ポンティフーコーハイエクも読んでなさそうだし。ぼくも読んでないけど。

2008-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20080807004459

人類の系譜はすべてたった一人のミトコンドリアイブにたどりつく、のは誤解?

誤解。

wikipedia見ればわかる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ミトコンドリア・イブ

親(父母)は二人、その親(祖父母)は四人、その親(曾祖父母)は八人と数えていくと、何千万人というご先祖様の後継者としての私がいるわけですが、その一方で、人類の系譜はすべてたった一人のミトコンドリアイブにたどりつくというのはどういうことなのd

 

え、人類の系譜はすべてたった一人のミトコンドリアイブにたどりつく、のは誤解?

2008-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20080802092428

ミトコンドリアイブの話とか考えるとわけわかんないんだよな。

ミトコンドリア遺伝子をたどって、最初の一人に辿り着くって

  • 最初の一人のダンナは誰?
  • 最初の一人の両親は誰?

って、考えると不思議でならない。

2008-02-21

インドカースト制を白人がつくり、上層階級には白人の血が入ってると言う説はニセ科学

まあこういうの真に受ける人っていなくならないと思うんだが

多くの人が、騙されているのには驚く

カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人インド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

紀元前13世紀頃、西から移動して来たコーカソイドアーリア人原住民族のドラヴィダ人を支配するためにカーストを作り出した。そして自らを最高位の司祭僧侶階級に置き、ブラーマナ=バラモンと称したのが始まり――というのが現在主流の学説。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3

こういうのを放置しておくのはさすがに問題だろう

ウィキペディアというのがどういうものかよく知らないのだが

何故誰も訂正しないのだろうか

運転手はアメリカ黒人に近い褐色の肌をした、ドラヴィダ人だった。ドラヴィダ人は、紀元前2300年ごろ、モヘンジョ・ダロハラッパなどの古代都市に代表されるインダス文明を築いたといわれる民族である。その後紀元前1500年ごろに中央アジアから侵入したアーリア人に押され、混血を繰り返しながらも主力は南インドへと移動した。インドに侵入したアーリア人の『リグ・ヴェーダ』には、「皮膚が黒く鼻が低い先住民を打ち負かした」とあるから、アーリア人は色白でドラヴィダ人は黒かったのだろう。今でも北インドの人々に比べ、南インドのほうが浅黒く鼻が低く背も低い。あごも小さくどこか親しみを憶える顔である。

「心は孤独数学者」P141 新潮文庫 藤原正彦

親しみを感じるのは個人の勝手だが、偽の歴史を疑いもせずに書くのは問題だろう。何故疑うということをしないのか。

ナーマギリ神殿の本堂は、石で建造された二十メートル四方ほどの小さなものであった。

神殿入口の鉄扉の前に並ぶ信者上半身裸の眼鏡をかけた祭官がとりしきっていた。このバラモンが、色白の上、胸も背も欧米人のごとく毛むくじゃらなので驚いた。東ヨーロッパ人と同族のアーリア人が、二千年以上も前にバラモンとなった事が証明されているようだった。同一カースト内での婚姻をはじめとする、カーストの掟の厳しさを思い知らされたような気がした。

「心は孤独数学者」p207

証明もされていないニセ科学を、軽々しく「証明されたようだった」、とか言うべきではない

「そこで登場したのが、最近DNA遺伝子工学を駆使した研究です。詳しい事は省きますが、この研究は、アメリカソルトレイク市のユタ大学とインドアンドラ大学文化人類学部とヴィザカパトナム遺伝子研究所の合同チームによって進められました。1996年に南インドカースト人口分布調査として始められ、2001年までに全インドから集められた遺伝子分布を最新技術を用いて分析し、その結果が徐々に明らかになってきました。(中略)その結果、これまでの人家分類学言語学考古学などでは掴めなかった事実がわかってきたのです。たとえば、ブラーミン上位カーストヨーロッパ人のミトコンドリアDNAY染色体の差は、低カーストインド人とヨーロッパ人の差より小さい。また、ブラーミン上位カーストヨーロッパ人の差は低カースト民とヨーロッパ人、また上位カーストアジア人との差より小さいということが判明しました。

結論を言えば、インドカーストは原アジアタイプと西ユーラシア混合タイプだということであり、カースト序列はヨーロッパ人種への近縁性に依るということが分かってきました。上位、特にブラーミン階層はアジア人よりヨーロッパ人種により近く、クシャトリヤ、ヴァイシャ・カーストとの近似は前二者より低いのです。つまり、ブラーミンは西ユーラシア人種により近いということなのです。

このDNA調査によってもアーリア種族が外からやってきた人種であり、彼らが作ったカースト制度最上位を占め、一貫して文化、社会的優位性を保持し続けてきた事は明白です。彼らが来るまでカースト制度なんかインドには存在しなかったのです」

「不可触民と現代インド」p101 光文社新書 山際素男

最先端の科学で装いながら、偽の歴史を作っているのが、悪質

「これらの研究結果は1998年世界的に有名な権威ある科学雑誌ネイチャー発表され高く評価されました。また2001年には、これも有名な雑誌ゲノム研究に、インド原住民遺伝子学的証拠と題して掲載され、これも高い評価を受けています。ですが、こういう現象を面白く思わない人々もいます。たとえば、高級英語雑誌インディヤ・トゥデイなどは遺伝子カーストの上下を決めて良いのかなどと題して批判し、あるものは、そんな研究は無視しろと言い、高名な学者の一人は『遺伝子情報ヴェーダ時代にアーリア人インドに入ってきたなどどこで判るのか?』などと反論したりしています。

大企業経営者のほとんどが上位カーストグループであるインド雑誌新聞テレビといったマスメディアはこの遺伝子研究の成果に冷淡かつ敵意を抱いています。しかし、アーリア種族が外来人であることはそれ以前から、歴史学考古学言語学上の研究によって広く知られている事実です。その正しさを別の方法で論証して見せたわけで、アーリア種族をどうのこうのというために研究したわけではありません。

ある雑誌は『遺伝子まで動員してカースト戦争を引き起こそうというのか?』などとまるでピント外れの非難をしましたが、とんでもない言いがかりです。」

「不可触民と現代インド」p106

カースト歴史ニセ科学捏造するのは問題だ

正しくは次のような捉え方

アーリア人という鼻の高く色白の人々が外からやってきて、色の黒くて鼻の低い原住民を征服し、隷属させたのだ、そういうことが、お前達の聖典には書いてある。だから、我々お前達の上流階級と同じ白人が優れた文明を広めるのと同じだ、という文化工作をおこなったのである。さらに、南の人々は、北の人々によって駆逐された民族の子孫で、上流階級ヨーロッパ人に似ていて、下層階級原住民に似ているという主張を行い、南北間、階級間の分裂を図った。

このアーリアン学説は、学説誕生時から、非常に疑わしい虚構・捏造だ、という反論があった。ミュラーは、一度もインドに行ったこともなく、本当にヴェーダ言葉が何をさしていたのか、理解してなかった(あるいは故意に誤解した)らしい。

現代人は、言語というのは、モノと言葉が一つ一つ対応していると考えるが、古代の人々はそうではなかった。ある事象全体をあらわす全体的な概念があって、個別的な言葉は後に分化したからである。

恐ろしいことに、この捏造の疑いが極めて高い学説が西欧を席巻し、さらに西欧歴史を下敷きとしている日本教科書歴史書は、古代史の始めから、科学とは言えない学説を主張している。

(リグ=ヴェーダも、西欧人による誤訳をそのまま和訳している。)

資料「アーリアンとは何か」津田元一郎

http://www.rui.jp/message/04/98/84_bf6a.html

こういう冷静な視点を持つべきだ

ウィキペディアや、様々な本に特に問題視もされず捏造された歴史観が載っているという事は、非常に恐ろしい事だ

白人がやってきて、白人の血が入っていて鼻が高い上層階級と肌が黒く鼻が低い下層階級に分かれたという偽の歴史が何故ここまで信じられてるのか。恐ろしい。西欧人の誤解、捏造をそのまま信じる日本って何なんだろう。

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