はてなキーワード: 原住民とは
鉄 銃 疫病 みたいなタイトルの本を書いたやつが
原始的な暮らしをしていた部落の人たちに対してインタビューをしてた
ずっとお金というものを知らずにその原住民同士の小さなコミニティに暮らしてたんだけど
その地域が文明化されたことで初めてお金というものに触れてその概念を理解して実際に貨幣経済の中に組み込まれて生活するようになった
そういう人に話を聞くと
お金というものを知る前の自分の経済的な感覚というものがどういうものであったか
最早よく思い出せないと言うんだ。
確かに ずっと お金というものがない社会 で 長い間暮らしてきたんだけど
お金というものを知って 実際に使うようになって それから以後のことは
はっきりとわかるんだけど
それ以前の お金がなかった頃の
自分の中の 経済的な観念というものがどういうものであったのか
そういう何だか恐ろしい ことが書いてあった
ものすごく馴染みやすい精度で すぐに私達の心は 貨幣経済と 混じってしまうということなんだと思う
確かに 私達も 小さな子供の頃は お金という概念を理解できていなかったと思う
それは幼少の頃だから というのも もちろん あるけれど
それだけではない なにか 混じってしまって以後は純血を取り戻せない なにかが あるような気がする
自民総裁選で、麻生太郎の動向がいまいちはっきりしないが、そろそろ高齢で
写真だけ元気なのが報じられてても誰も気づかないよなぁ
実はもう入院しているとしたら、医療業界のお得意のアレで殺されちゃうかもしれませんよね
ご本人自身がよく使ってた手かもしれませんけどね
政治家の相手は、精神攻撃が大得意な米軍ユダヤ教授なのだから、わが身にも大事件が起きないわけがない
自民の派閥システムを破壊して麻生にショックを与えるのは容易なことだろう
アホな小泉純一郎の息子を次期首相に立てれば、これほど操りやすいことはない(すでに妻は外国人)
天皇制度と先進国にチューチューされても喜んでいる、素朴な原住民の島
米国は、日本政府に輸入材合板、輸入材タイヤ、輸入ジア自動車製造をやらせて買いたたいてきたろ
自民総裁選で、麻生太郎の動向がいまいちはっきりしないが、もう高齢で政治家意識も消えてきたんかな
写真だけ元気なのが報じられてても誰も気づかないよなぁ
政治家の相手は、精神攻撃が大得意な米軍ユダヤ教授なのだから、わが身にも大事件が起きないわけがない
自民の派閥システムを破壊して麻生にショックを与えるのは容易なことだろう
アホな小泉純一郎の息子を次期首相に立てれば、これほど操りやすいことはない(すでに妻は外国人)
天皇制度と先進国にチューチューされても喜んでいる、素朴な原住民の島
米国は、日本政府に輸入材合板、輸入材タイヤ、輸入ジア自動車製造をやらせて買いたたいてきたろ
今どういう気持で生活してるの?
煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。
ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人のブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。
結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊を肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的な思想を表現することが目的だったのかということ。
もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。
制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体や当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。
まさか第三者がブログで検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。
それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。
あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?
勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。
そう感じるのは当然個人の自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまったことは否定ができないから。
問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。
この違いが解るかな。
「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。
今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。
「差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別を目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。
この違い、わからないよね。
わかってるくらいなら、あのブログのあんなブコメにスターなんて集まらないのよ。
ここで質問です。
事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?
差別主義を批判しているつもりが、自分が差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう?
受け入れられないですよね。
だからいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。
そういう意味では、あのブログは差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈を説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。
「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものでしかないわけです。
ちなみに自分はMrs green appleの擁護者ではありません。
実際に被害者の存在する歴史問題を、自らの勝手な解釈で矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義者であると思います。
多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。
あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。
今でも元気に振り回してるんでしょうか。
都会からなんらかの理由で田舎に移住してきた人はそれまでの生活を変えたくがない思いで田舎の都会化を望むけど
そんなことになったら田舎くさい風景と文化と原住民を見て癒されたいという都会の観光旅行がまるっきり成り立たなくなるからまず無理だろうね
そもそも増田という場所はフリーレンより漫☆画太郎の方が面白いよねと本気で語り合う場所だったのに、
それがいつの間にかフリーレンのことしか話題に上らないような場所となり、「石鹸はどれが良い?」みたいなどうでもいいライフハックできゃっきゃっ盛り上がる場所に成り下がっている。
そういうのは別の場所でやってくれ。いくらでもあるだろ、そういうことを楽しく語り合う場所というのは。
ここはそういった場所じゃない。それはホームレスが屯する高架下でネイルアートを自慢し合うようなもんだ。ティーピーオーをわきまえてくれ。
そういったマジョリティが我が物顔で跋扈するので俺みたいな原住民は土地を追われ、数多のエグザイルを生み出し、彼らは罪悪感を覚えないどころか気にも留めない。
そして俺らの増田をせせら笑い、同情するのでもなく共感するのでもなくブクマをつける。その感情を表すのに適切な言葉は「侮蔑」ということにも気づかぬままに。
別に見下されることに腹を立てているわけじゃない。そんなことには慣れているからな。俺が憤るのは、それに対して無自覚だからだ。
それでもいい。もういいよ。こんなことしたって無駄だ。そんなこと、分かってるよ。
それでも言わせてほしい…ああ、昔は良かった…ほんとうに良かったんだ。
俺はもう立派なロートルで、老兵は死なずただ消え去るのみというやつかもしれない。
それでもさ、思い出すんだよ。昔のことを。あの殺伐とした、それでいて心地の良かったあの頃を。
拠り所を求めて、初めて増田に来た頃のことを。
だがその故郷は、もうどこにもない。
怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯』から、そう遠くない海上に、コロンブスの時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。
セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。
ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つの島からなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスのファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。
どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。
そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ。
1777年7月、ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸で奴隷の仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。
カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。
こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。
“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死に進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。
この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷のほとんどが変死している。脱水症などで奴隷が輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。
入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体が発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身と下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。
船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。
つまり「黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請の手紙が届き続けていたからなのだ。手紙は1777年の8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書は英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。
手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。
ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。
セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。