はてなキーワード: 下層階級とは
頭脳明晰な美男美女が自由恋愛によって結婚し子供を産む事によって今の高学歴男女は全てを兼ね備えた美男美女ばかりになり
そうでない下層階級との間に遺伝子格差が生じるという現象、まあ確かにそうなのかなーとは思うけど
ただ、遺伝子「格差」と言えるのって、今のうちだけじゃない?とも思う
だって就職氷河期以降は、そもそも勝ち組しか結婚できず、負け組は子孫を残せない世の中になってきているし
今の三十代以下にはパワーカップルは存在してもウィークカップルは存在しないから
個人的には今の二十代はまだかろうじて負け組両親から生まれた不細工な若者も存在するけれど
十代やそれ未満になると町を歩いていてももはや可愛い子しかいないように見える
https://twitter.com/nobutaro_mane/status/1707020158383071341
文章を読んで感じたのは圧倒的非モテ性だ。まずは外見を大人っぽくした方がいい。ナメられやすい容姿をしてるんじゃないのか。
その中身のウジウジしている様子を見抜かれていて、下に見られているだけだ。
ウジウジするな。努力ぐらいみんなやっている。お前の努力と他人の努力の何が違う。他人も努力しとるわ。
「お前らよりもよっぽどやっている」という傲った感情が構築する言葉選びが他人に言葉の刃を生成させ、それがお前にウザいという感情を呼び起こさせている。
テメーが努力できたのは環境のおかげだ。磔にするぞ。お前は中卒でひーひー言いながら猜疑心をぶつけ合う闘争に明け暮れるような人生の中で同じことが達成できたか?
理系がどうのとか文系がどうのとか言っているのはインターネット上ではそこそこに多いが通常は一定以上の層だ。
下層階級のうすらとんまどもの嫉妬にまみれた攻撃ぐらい冷ややかに流してみせろ。「そうなんですよ〜!!!!運が良くて!!!」と流せない程度には承認欲求と自己愛にしがみついているようにしか見えない。
なぜその汚らしい狭い価値観から作られた嫉妬を、奴らの名状しがたい称賛だと考えられないのか?
幸運に感謝しろ。結局のところ、自分が自分で全力の努力を尽くしていないことを見破られて、それを突きつけられるのが嫌なだけだ。
なぜ「草wwwwwww」ぐらいに流せない?お前の心の持ちようがウジウジしていてミジンコだからだろう。
だからお前に言うのだ。奴らはよくわかっている。
そしてお前はなんか嫌な奴なのだ。嫌いたくなるような奴なのだ。だからうっすら嫌われて斬られている。
痩せろ。
追記: とはいえ女性が抱える地獄は問題であり、日本社会に広く蔓延する病気のようなものである。女性であるというだけで努力や成果を不当に評価されていることは確かであり、是正必須である。反論すれば直ちに異常者・狂人・頭のおかしいフェミニストのレッテルを貼られるような状態は世界の潮流とも合っていない。基本的に日本社会は野蛮なのだ。しかしそうした蛮人どもと付き合いながら生きていくことを選んでいるのだから、より高貴な知性を身に着け、泰然自若としていればよいのではないか?
差別されているどころかやりたい放題
https://twitter.com/MORI_Natsuko/status/1661740258424422406?s=20
@MORI_Natsuko
乳がん闘病中の朝日庵さんに寄ってたかっていやがらせしている男たちが、LGBT活動界隈ゲイだということは、異性愛者の皆様は覚えておいたほうがいいですよ。このような者どもがLGBTの人権人権叫んでいるのです。しかも、うち一人は地元共産党(
@jcp_cc)のお偉いさんのご子息ですね。
朝日庵
@asahian222
私の最寄り駅を特定したとか得意気に言ってるバカどもが気持ち悪いから、
プロフィール変えた。
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@MORI_Natsuko
トランス女性(身体男性)の女子スポーツ参加について疑問を呈した共産党員も、このゲイ活動家が「牛久の森川」と名乗って接触したとたんに、あわててツイ消しした。共産党(@jcp_cc)って、偉い地位にある党員には一子相伝の技でも伝わってるのか? 共産神拳とか?(苦笑)
こーいーにゃん1963
@giogiogiga1
酷い😾🐾
@OY3SC1hXAdVJ3Ma
5月26日
ごんごん
@P3wH0kFssoXIgot
5月26日
LGBT法案推進派の心の底には、女性を最下層階級にしたいと考えてる人が多いと思う
こんな感じじゃないのかな?
法制化したら、こうなるよね
サバ🐟
@yousaba22
5月26日
ほんとひどい
Z世代が人の家に行ったときにまずすることといえばWiーFiを繋ぐことである。これはその家の主から切り出すのが基本だが、待てない奴は自分から「WiーFiどれ?」とネットワーク選択画面を開きながら聞いてくるものである。
しかしその友達は5回以上我が家を訪れているにもかかわらず、一向に繋ぎたい様子を見せることはなく、なんだったらある時はYouTubeでちいかわのアニメを見てケラケラと笑っている有り様だった。こんなしょうもないことで貴重なデータ通信量を消費していいのかと心配になり、WiーFi繋げる?と聞いたが、大丈夫!と返された。
昨日、意を決して聞いてみた。なんでうちのWiーFi頑なに繋げないの?と。
そういうのがあるのか!
この友達というのは親が病院をやっていて実家が太いため、ちいかわの件では自分は心の中で、こいつは月に20GBぐらい契約しているから余裕があるのだろう、と思っていた。そこが想像力の限界で、とはいえWiーFiを繋げるに越したことはないだろう、と思っていた。
しかしそんなことはなかった。スマホにWiーFiを繋げなくてもいい世界というのがあったのだ。我が家のNURO光を接続するよりも四方を駆け巡る5G電波を拾ったほうが快適ということである。
俺はこの一件から、現代っ子の育ちの違いはWiーFiに対する価値観で測れる部分があると考えた。
中流家庭は格安SIMの月1桁GBでしのいでいるためすぐ「低速かかった」とか言うし、人の家に行ったらまずWiーFiを繋げにかかる。
ちょっと階級が上がると月2桁GBに契約していたり特定のサービスの通信量は加算されないプランに契約しているため人の家に上がっても相手から切り出されるまで別にWiーFiを繋げなくてもいいやという顔をするし、低速かかった、なんてことは言わない。
上流家庭は使い放題プランである。この層は平気で外でYouTubeやTikTokを視聴し、インスタライブを行い、動画のストーリーを躊躇なく投稿する。
下層階級はどうか。彼らはよくわからないSIMと契約し、そこらへんの怪しいフリーWiーFiを拾っている。動作のもったりしたイヤホンジャック付きのよくわからないAndroid端末で読み込みの遅い画面を眺めている。
昔は人の家庭の経済状況を測るには子の礼儀作法を見ていたようだが、令和のそれはWiーFiに現れる。
「わが子から育ちの良さをにじみ出させたい!」と思っている親御さんは心に留めておくといいだろう。そして使い放題プランを契約しよう。それができないのであれば、残念ながらその家庭からはにじみ出るものはないということである。
パヨク以外のまともな考えを持った人は、学歴と家庭の収入に密接な相関があることを知っている。家庭が裕福なほど高いスコアを獲得する可能性が高くなる。
裕福な親は子供を受験対策の塾に参加させるだけではなく、ダンスや音楽レッスンを受けさせたり、ゴルフなどのエリートスポーツをさせたり、英会話スクールに通わせることで状況を有利になるよう訓練し、本物の善意ではなく下層階級に対する関心を示すために善行を積むように仕向けるのである。
そして授業料である。学生を入学させることのできる家庭は裕福であり、その他の貧乏人はローンを組むなど不利な状況に立たされる。この点から言っても、支払い能力を持つクソエリートの方が入学させる可能性が高くなるのである。
頭のおかしい評論家は、この不平等について「能力主義ではない」と嘘を吐くが、「男性の方が能力が高い」といった理由で医大が女性を差別するのも能力主義の不正が蔓延している一つの証拠である。
意見の相違はあるが、能力主義の連中は「能力を評価することは公正であり、能力に基づいて入学者を判断すべき」などと傲慢な態度を取る傾向にある。
暗黙の了解として、「実力主義で入学した者はそこから得られる利益を享受する資格がある」などと、弱者への差別を加速させるようなことを共有しているのである。
こんな考えが正しいと考えるのが、つまりリベラル派、パヨクである。少なくとも米国の政治論争で証明されている。対立はここ数十年の不平等の広がりに端を発している。誰がどの大学に入るかによって、より多くのことが左右されるという事実がある。
最も裕福な10%の人々の有名大学への進学がより重要視されるようになったのである。
50年前、大学への入学はそれほど困難なものではなかったとされる。4年制大学に進学するアメリカ人は5人に1人以下で、進学する人は自宅近くの大学に入学する傾向があったようだ。大学のランキングは、現在ほど重要視されてなかった。
しかし、経済的な不安だけがすべてではない。トップに立つ者は、自分の成功が道徳的に正当化されると信じたいものである。実力主義社会では、勝者は自分の才能と努力によって成功を勝ち取ったのだと信じなければならない。
連中はますます傲慢になり、自分たちの力で成功したのだという誤解を招いてしまうのである。
東大入学のために浪人する馬鹿について考えよう。彼らはエリート大学への入学がもたらす実力主義的な名声、つまり幻のようなものを求めているのである。
門をくぐった学生も、自分の力だけで入学できたとは言い切れない。親や教師は誰だったのか。自分だけの力ではどうにもならない才能についてはどうだ?たまたま持っていた才能を開花させ、それに報いてくれる社会に住んでいた幸運はどうだ。
競争的な実力主義の中で勝ち残った人々は、競争に対して見えないところで恩義を感じている。実力主義が強まるにつれて、その努力は私たちを吸収し、恩義は見えなくなる。不正行為や賄賂、富裕層への特別な特権がない公正な実力主義であっても、傲慢な連中が自分たちの力で成功したという誤った印象を持つのである。
これは自己欺瞞であるだけでなく、市民感覚を腐敗させるものである。自分たちのことを自分で作ったものだと思えば思うほど、感謝や謙虚さを学ぶのが難しくなるからである。感謝や謙虚という感情がなければ、共通の利益を大切にすることは難しい。
現代の政治においても、誰が何に値するかについての議論が盛んである。表面的には、これらの議論は公正さについてである。望ましい財や社会的地位を得るために競争する機会が本当に皆に平等に与えられているのか。