はてなキーワード: Bumpとは
昨年25周年のツアーsilver jubilee、俺はひとつも行けなかった。悔しいし悲しい、一緒に25周年をお祝いしたかった。もちろん最後の幕張も。
今回のbe thereもチケット1箇所当たったが、まだゼロの人もいれば複数当たっている人もいて、どうなってんだと思っている。倍率がおかしい、サブスクのおかげでファンの数がめちゃくちゃ増えているんだろうな。
藤が丸くなった、と感じることが増えた。それは曲からも伝わってくるし、最近のmcでも、藤がリスナーに慈愛を持って曲を届けてくれていることがよくわかる。藤ももう歳をとったのだと、俺は嬉しくもなる。ほとんど参加できないが、mcの内容をネットに放流してくれる人達には感謝している。ロッキンのも良かったな、文面でも熱くなった。
だからか、藤は最近よく寂しいとライブで口にする。しかもラストのライブだと余計に。
最近Netflixに登録したらBUMPのライブが入っていた、知っていたがライブを改めて見るということがあまりないため特に気にしてなかった。Blu-rayはもちろん買うがコレクションであって、うちには再生できるデバイスもないし、観ることはなかった。auroraarkは運良く大阪に参加した、仕事柄なかなか遠方に参加は難しい。俺はな、同じように仕事の都合がつかない人は医療関係者には多いのではないだろうか。
そしたら藤はアンコールで特別な演出をした、途中メロディーフラッグを口ずさんだ、俺の行った大阪ではなかった。あんなに惜しんで、メンバーやスタッフに無理を言ったアンコールを、俺は見ていない。
悲しくなった、藤たちBUMPのメンバーにとっては長いツアーのそれが最後の1日だろう、でも俺にとっては、他の人にとっても、自分が参加できたらライブが最後の1日だった。複数当たっていたらもしかしたら、でも、俺は1日しか行けなかった、俺にとってのたった1日は、複数行く人やBUMPにとってはただの通過点なんだろうか。寂しいと思ってくれないのか、俺に会えるのはその日だけなのに、と思った。
藤は、お前に歌ってるんだ、と言った。このセリフauroraarkでは全部のライブで言っていたと思うが、俺はこのセリフで、ああ藤は全部の曲を俺に、BUMPの曲に出会ったリスナーに歌ってるんだと実感した。そういう人は多かったんじゃないだろうか、でもNetflixの動画を見たら、結局惜しいのは、最後あの東京ドームにいた人たちだけなんだと、ものすごく、切なくて、悲しくて、苦しくなった。東京ドーム1日目の人は得られなくて、最後の最後の人たちだけが得られるもの。わがままなのはわかってる、でも、俺だって特別が欲しい。
藤も丸くなった、前にインタビューで寂しいなんて言うなよと言っていたのに、今は寂しいと言う。Twitterで藤はどこか悪いんじゃないか、だからあんなに恋しそうにするんじゃないかと言っていた人がいて、俺は少しドキドキした。元気そうで安心した、ずっと元気でいてくれよ、ずっと音楽してくれよ。
それでも、なあ、最後の最後、そこにいない俺たちにはもっと寂しがってくれないのかよ、惜しがってくれないのかよ、俺は通過点の中の1日にしか参加できない。
25周年の時、一緒にお祝い、となっていたけど、現地にいない俺たちは一緒にお祝いできてないことになるのか。俺たちは、silver jubileeに参加できなかった俺たちは、お祝いできてないと感じているよ。しょうがないよな、入れる人数は限られていて、BUMPがライブできる日程だって限られていて、だから当たるも当たらないも運なんだ。仕事で来られない人もいる、そもそも参加できない人もいる、それだけのことなのだ。それはしょうがない、でも、俺は、俺はただ藤たちに、BUMPに、寂しいと思って欲しいのだ。初日にしか参加できなくても、途中の1日にしか参加できなくても、藤に惜しいと思ってもらいたい。
藤が丸くなったのとは対照的に、リスナーの、特に藤たちと同い年ぐらいのリスナー、はどんどんと心が狭くなっていくし思いやりもなにもなくなっていっている。
今はもうやめてしまったがBUMPリスナーと交流する用のTwitterアカウントを持っていた。そこでは割と幅広い年齢の人たちと交流をしていて楽しかったのだが
他にも当たってない人いますし、そういうこと言うのはどうかと思います!私でも当たりましたよ!
など、わざわざ個人の嘆き悲しみのツイートに対してマウントリプをしないと気が済まないのは、大抵藤たちと同い年ぐらいの40代以上のリスナーだった。それを言われて俺が嫌な気持ちになることも考えられない。これをマウントだとわからないでやってるからタチが悪い、もちろんわかってやってる人もいるだろうが、ほとんどはそんなつもりないのだ。
一方俺と同い年ぐらいか20代のリスナーは、そんなマウントを取るようなことはわざわざ言ってこない。
藤が歳をとってラストを惜しがるように、リスナーも同じような気持ちになって後がないと感じているのだろうか。それにしたってわざわざ行けない人や悲しんでる人にマンウト的なリプを送るのはどうかと思う。黙っていられないのか。
もしこの増田に批判的なことを言う人がいたら、わざわざ批判的なコメントをしないと気が済まない人がいたら、きっとあの人たちと同じような人なんだろうな。
あー本当に「考えて喋ってるふりしてるだけ」なんだなあ……まあキャバクラとかの技術もこれと同じなんだろうな。
遠目に見ていると完全に誤魔化されているんだけど、本人からしたら「僕の話ちゃんと聞いてくれてる!嬉しい!」なんだろうな。
でも冷静に考えると一部が完全にデタラメなんだよね。
「君の手を離さないよ ずっとそばに居るから」という部分は、ポケモンがポケモントレーナーに対する忠誠心や愛情を示しています。
こんなのあったか?
スゲーよ。
知らない奴は騙せそうなラインで知ってる人間からすれば嘘っぱちすぎる。
アカシア知らん人からすればほぼ同じ歌詞に見えるだろうけどこの2つはぜんぜん違うから。
生き物同士の関係において「どんな最期が待っていようと」⇔「もう離さない」というのは矛盾してる。
何故なら喧嘩別れがあるし、たとえばバイバイバタフリーなんて明らかに神回だけどあれは物理的に手を離したことで実現したわけで、ポケモンとの絆を歌っているのに永遠の束縛関係は違うんじゃねって一瞬なる。
「そういった過去が確かに存在したこと」だったら、未来に何が起きても変わらない。
この歌詞は「ポケットモンスターという作品とともに歩んできたあの思い出は、いつか「ゲームなんてくだらねーよなー勉強と投資と子育てしようぜー」になっても消えないんだよ」という意味。
たとえそこで昔ポケモンマスターだった人が「ポケモンwwwwwだっさwwwwこんなの大人になってもやってる奴知的障害者wwww」とか言って回ったとしても、子供に新作のポケモン買ったりしてるうちに「またやってみるか。GOぐらいだったら」となったときにちゃんと過去で待ってるよって意味だから。
「特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい 君がいることを 君に伝えたい」の部分が完全に双方向になっていて、「君がゲームを楽しいと思って遊んでいるとき、ゲームはそれを楽しんでいる君のことを見ていたよ」っていう意味で、それぞれが「楽しいという気持ち」で確かに結びついていたことが、思い出という特等席でずっと変わらずにそこにいるんだって意味なの。
アカシアはね、今ポケモンが好きな人だけの歌じゃないの、昔好きだったけど今プレイしてない人も、おとなになった今は子供だましと見下している人も、全部全部ひっくるめて「一度でもポケモンが好きだった時間がある人」全員に向けて歌っているわけ。
ポケモンシリーズという長い時間の中、ずっといっしょに居た人もいれば、途中で離れた人、途中から入ってきた人、離れたあとずっと戻ってこなかった人、色んな人がいるけど、それでも誰も仲間外れにしないよ、だって君の中にも思い出の中のポケモンがあるんでしょ?って語りかけてくる歌なの。
この優しさがしみるわけよ。「25周年ありがとう!昔から好きだった人大好きだよ!裏切り者は黙って指くわえてろ」みたいな態度じゃなくて、「一度でも好きだった人に、その好きだと思ってくれた気持ちを思い出した欲しいな。今でも元気だよ。いつでも帰ってきてね。思い出の中にだけでもいいよ!」と言ってくれる歌なの。
それを歌詞に落とし込めるBUMPも凄いけど、BUMPにそんな歌詞を書かせたのはポケモンというコンテンツが取り続けてきた態度なんだよ。
一方BUMPは冬が寒くて本当によかった
お前らに必要なのは希望だ。転んでも立つことができることを忘れた前らはBUMPを絶対に聞くべきだ。立ちあがることをやめたお前らもBUMPを聞け!転んでいることに気づいていないお前もBUMPを聞くんだ!
救いなんて求めるな、手を差し伸べてくれる人なんて稀だ、そんな余裕みんなない。
蹲るだけの日々はもう飽きただろ?ならBUMPを聞くんだ!!
天体観測なんか聞くな!!あれはもっとBUMPを知ってから聞くべきだ。
そんなお前らはまずイノセントを聞くんだ。はてな民にぴったりの歌詞で胸に何か突き刺さる思いになるだろう。
その次にロストマンを聞け!あの頃のお前を思い出してあげて前へ踏み出すんだ!
いくら老いぼれオワコンバンドでもいい曲書くかもしれないから。
で、肝心の曲、聞いてみたわけだけど、微妙すぎんか?
Bメロ、これまた無難、まあこのAメロならこんな感じのBメロになるよなって展開。
サビ、くっそびみょう
なんでこんな映えないサビ持ってくるんだよ。
Aメロ、Bメロが無難に刻む感じなんだから、サビをのびやかに展開すればまだ多少耳に残るところを、
なぜかまだ刻む感じで続けてて、結果全然頭に残らない。どうしてこうなった?
で、ラス、最後の締め方の投げ槍っぷりよ、ひどすぎるだろ。
髭男みたいなトリッキーな曲がかけないのは仕方ないとして、いくら才能の枯れたBUMPでももう少し心に残る曲を作れると思うんだが。
春季、SPY×FAMILYが覇権をとれたのは1/3くらい髭男のOPのおかげだと思ってる。
「からっぽ」とは「かつて持っていたけど失くしてしまったもの」を意味する。
大切な人、物、夢などが該当する。
(使用例)
何もいらない だってもう何も持てない 余りにこのからっぽが大きすぎるから
(月虹)
新しいものを求められないほど、失くしてしまったものが大きすぎることを示している
重くなる度怖くなった 潰さないように抱きしめた
(ファイター)
失くしたものが時を経るごとにますます愛しく重くなっていくことを示している
同時にそれを忘れたり毀損することへの恐怖を示している
(メモ)
基本的にはBUMPの歌詞は「A ならば非A」「非AならばA」という逆張りが散見される。
「絶望すると(それ以上不安にならなくていいから)楽になるね」
とか
「羽がない生き物(人間)が飛べたのは、羽がなかったから(飛びたいという夢を叶える力になった)」
みたいな理屈。
「藤原君と仲間たち」で、仲間たちは顔も知られないから不倫しちゃって活動休止するんだなあ。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。
ナッチャンはビビアン・スーに酷いことしたよね
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
絶対しないけど。
良心もあるし、現実的にやって家族に迷惑かけるのも申し訳ないし、もっと現実的に「私がナイフを持てるのか?」みたいなのもあるし。
でも秋葉原の加藤の聞いてたBUMPの曲とかたまに聴くと涙が出てくる。
私は警察の職質を受けたことがない。若い女で怪しそうな見た目ではないから。
同じように怪しい見た目の男は夜道を歩くのに怖がらないのかもしれない。
見てる世界がだいぶ違う中で、私も同じように「ここでメチャクチャに暴れた後自殺して全てを終わりにしようかな」と思う時がある。実行へのハードルはかなり高い。身長150cmの女が暴れたところで…。武器も持ってないし。武器もつの怖そうだし。
不倫を理由に活動を休止していたベーシストが活動を再開したことを知った瞬間に、長く追いかけていたBUMP OF CHICKENのファンをやめようと決めた。
ベーシストのポエミーな謝罪文は読んだ。僕は人並みに文章を読めるつもりでいたけど、彼がどうして活動を再開できたのかわからなかった。
ネットに転がるファンと思しき人のポエミーな発言も読んだ。彼らがどうして活動再開を受け入れているのかがわからなかった。
アーティストのことはわからないことの方が多い。当たり前だ。彼らは素晴らしい音楽を作る一方で人間だ。綺麗なままではない。僕たちに見せない顔なんてたくさんある。
けれど、BUMPだけは違うと思っていた。人間であり、偶像だった。プライベートのことなんてわからない。でもこんなに素晴らしい音楽を作るんだから、きっとどこまでも美しい存在なのだろう。
そういうふうに勝手に思っていた。
わからないと思い込んでいた時間が好きだった。BUMPの音楽に触れていれば、何もわからないから、BUMPの音楽だけに没入できていた。
でももう違う。想像もしない形で現実がひけらかされ、わからないと思うことが変わってしまった。辛くて苛立たしいことばかりがわからなくなってしまった。
不倫を赦すリスナーと同じ土俵で応援することもできない。理由もわからずにおかえりなんて僕は言えない。仮にわかっても、誰かを蔑ろにしたことは変わらない。