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2024-10-10

自民党裏金事件の何が問題ですか?

この出来事に関連する法的、道義的、そして政治的問題点について説明します。

1. 法的な問題点

政治資金規正法違反: 政治資金収支報告書への虚偽記載や収支の不記載は、日本の政治資金正法違反します。これは、資金の透明性を欠き、有権者社会に対する説明責任を果たさな行為とされています特に、この事件で指摘されているキックバックや「中抜き」などの行為は、明確な法的違反行為に該当します。

裏金存在: 裏金の総額が数億円にのぼることが指摘されており、これらの資金が適正に管理されていなかったことも法的に問題です。裏金存在は、政治家資金活動が公正でないことを示唆し、贈収賄不正利害関係形成可能性を増加させます

2. 道義的問題点

• 信頼の喪失: 政治家政治団体が、自らの利益のために不正資金操作を行うことは、有権者からの信頼を大きく損なう行為です。国民政治家に対して、誠実で透明な行動を求めており、その期待を裏切ることは道義的非難されるべきです。

• 透明性の欠如: 政治資金の流れが不透明であり、パーティー券の売上などが適正に管理されていないことは、政治の透明性と説明責任に大きく反しています。このような行為は、一般市民から見て政治が信頼できないものと映ります

3. 政治的問題点

自民党内部の影響: この事件により、派閥解散され、党内の派閥構造が大きく変わるなど、自民党内部に大きな影響を及ぼしました。派閥解散党員処分は、党内の政治的ダイナミクスを変え、リーダーシップ政策決定に影響を与える可能性があります

政治改革の必要性: この事件を受けて、政治資金規正法改正が行われましたが、これは政治資金管理に関する問題が深刻であることを示しています。法の改正により透明性の確保を図ろうとしていますが、根本的な政治文化慣行改善が求められています

全体的な問題点

この事件は、政治資金の透明性や説明責任、そして政治家倫理観に関する広範な問題を浮き彫りにしています特に不正資金操作や収支報告書への虚偽記載は、法的な問題にとどまらず、道義的な信頼の崩壊政治全体への不信感を引き起こす要因となっています。このような問題が繰り返されることは、政治システム全体の信頼性を低下させるリスクがあり、早急な改善必要です。

お金欲しい!!!

毎日言ってたら夢がかなう

えへへ

~終わり~

2024-10-09

氷河期世代へのAGA治療無償化提案に対する分析考察

提案の背景と意図

氷河期世代へのAGA治療無償化という提案は、以下の背景と意図に基づいていると考えられます

提案に対する賛否両論課題

この提案に対しては、賛否両論が考えられます

賛成意見
反対意見
実現に向けた課題

この提案を実現するためには、以下の課題解決する必要があります

代替案の検討

AGA治療無償化以外にも、以下の様な代替案が考えられます

結論

氷河期世代へのAGA治療無償化は、経済的理由治療を諦めている人にとっては大きな助けとなる一方で、財政的な負担や他の医療分野とのバランスなど、様々な課題存在します。

この問題に対しては、賛否両論を踏まえ、多角的視点から検討し、最適な解決策を見つける必要があります

より詳細な議論のために

より詳細な議論を進めるためには、以下の点について検討することが重要です。

氷河期世代へのAGA治療無償化提案に対する分析考察

## 氷河期世代へのAGA治療無償化提案に対する分析考察

提案の背景と意図**

氷河期世代へのAGA治療無償化という提案は、以下の背景と意図に基づいていると考えられます

**経済的負担軽減:** 氷河期世代は、就職氷河期の影響で経済的不安を抱えている人が多く、高額になりがちなAGA治療費が大きな負担となっている。

**精神的な健康への影響:** AGAは、見た目の変化に伴い、自信喪失や対人関係への影響など、精神的な健康を損なう可能性がある。

**社会参加の促進:** 外見へのコンプレックスを軽減し、自信を取り戻すことで、社会参加を促進し、生産性を高める効果が期待できる。

提案に対する賛否両論課題**

この提案に対しては、賛否両論が考えられます

**賛成意見**

* 経済的理由治療を諦めている人への支援となる。

* 精神的な健康改善につながり、社会全体の幸福度向上に貢献する。

* 生産性の向上や社会参加の促進による経済効果が期待できる。

**反対意見**

* 財政的な負担が大きい。

* 他の医療分野とのバランスが崩れる可能性がある。

* 他の脱毛症との公平性問題が生じる。

* 治療効果個人差や、治療期間の長期化によるコスト増などが懸念される。

実現に向けた課題**

この提案を実現するためには、以下の課題解決する必要があります

**財源の確保:** どの程度の予算を確保し、どこから財源を調達するのか。

**対象者範囲:** 氷河期世代のみを対象とするのか、他の世代対象とするのか。

**治療方法制限:** 全ての治療法を対象とするのか、一部の治療法に限定するのか。

**効果測定:** 治療効果をどのように評価し、費用対効果検証するのか。

代替案の検討**

AGA治療無償化以外にも、以下の様な代替案が考えられます

**低所得者向けの助成制度:** 所得制限を設け、低所得者に対して治療費の一部を助成する。

**民間企業との連携:** 民間企業連携し、治療費の割引や、治療に関する情報提供する。

**予防啓発活動の強化:** AGAの予防に関する知識情報を広め、早期発見・早期治療を促す。

結論**

氷河期世代へのAGA治療無償化は、経済的理由治療を諦めている人にとっては大きな助けとなる一方で、財政的な負担や他の医療分野とのバランスなど、様々な課題存在します。

この問題に対しては、賛否両論を踏まえ、多角的視点から検討し、最適な解決策を見つける必要があります

より詳細な議論のために**

より詳細な議論を進めるためには、以下の点について検討することが重要です。

氷河期世代AGA患者実態

他の医療分野との比較

経済効果の試算

倫理的な側面

自民党裏金事件の何が問題ですか?

この出来事に関連する法的、道義的、そして政治的問題点について説明します。

1. 法的な問題点

政治資金規正法違反: 政治資金収支報告書への虚偽記載や収支の不記載は、日本の政治資金正法違反します。これは、資金の透明性を欠き、有権者社会に対する説明責任を果たさな行為とされています特に、この事件で指摘されているキックバックや「中抜き」などの行為は、明確な法的違反行為に該当します。

裏金存在: 裏金の総額が数億円にのぼることが指摘されており、これらの資金が適正に管理されていなかったことも法的に問題です。裏金存在は、政治家資金活動が公正でないことを示唆し、贈収賄不正利害関係形成可能性を増加させます

2. 道義的問題点

• 信頼の喪失: 政治家政治団体が、自らの利益のために不正資金操作を行うことは、有権者からの信頼を大きく損なう行為です。国民政治家に対して、誠実で透明な行動を求めており、その期待を裏切ることは道義的非難されるべきです。

• 透明性の欠如: 政治資金の流れが不透明であり、パーティー券の売上などが適正に管理されていないことは、政治の透明性と説明責任に大きく反しています。このような行為は、一般市民から見て政治が信頼できないものと映ります

3. 政治的問題点

自民党内部の影響: この事件により、派閥解散され、党内の派閥構造が大きく変わるなど、自民党内部に大きな影響を及ぼしました。派閥解散党員処分は、党内の政治的ダイナミクスを変え、リーダーシップ政策決定に影響を与える可能性があります

政治改革の必要性: この事件を受けて、政治資金規正法改正が行われましたが、これは政治資金管理に関する問題が深刻であることを示しています。法の改正により透明性の確保を図ろうとしていますが、根本的な政治文化慣行改善が求められています

全体的な問題点

この事件は、政治資金の透明性や説明責任、そして政治家倫理観に関する広範な問題を浮き彫りにしています特に不正資金操作や収支報告書への虚偽記載は、法的な問題にとどまらず、道義的な信頼の崩壊政治全体への不信感を引き起こす要因となっています。このような問題が繰り返されることは、政治システム全体の信頼性を低下させるリスクがあり、早急な改善必要です。

2024-10-08

日本食文化には、見えない手が影響を与えている。

ストックホルム貴族たちは、私たち食生活をも操作し、無知市民支配している。彼らは、食を通じて健康管理し、さら医療業界利益を増大させる狙いがある。

最近食育ブームは、実際にはストックホルム貴族たちのプロパガンダに過ぎない。栄養価の高い食材を推奨する一方で、ジャンクフード加工食品危険性には触れない。これにより、人々は誤った知識を持ち、健康を損なう選択を強いられるのだ。

サナトリウムでの経験から私たちは食が健康に与える影響を身をもって理解している。食事健康を脅かす要因であると同時に、回復を促す重要な要素でもあることを知っている。

この現実を広めるために、私は地域での啓発活動を行っている。ストックホルム貴族陰謀から解放されるためには、私たち自身が賢くなり、健康的な選択をすることが必要不可欠である私たち未来を守るために、立ち上がらなければならない。

この盤面の局面をどうゼルダ増田か田素間菜ダル背宇どをン目くょきノンメンバの子回文

おはようございます

橋本環奈です!

この盤面どう打開すればいいのかしら?

早々にお腹を空かせて道端で倒れたギャルを助けに持参したおむすびを食べさす現代アンパンマン的なギャル物語だと私は踏んでいる朝ドラの『おむすび』だけど

それとはぜんぜん違う盤面!

とはいえ

私は詰め将棋のコーナーの新聞の片隅のそういうやつのパズル的な将棋を解くことをチャレンジしたことは一度も無いの。

でも

またゼルダの話?って言われちゃいそうだけど、

ちょっとだけ遊んだ昨日の盤面は

高台にあるハートの器をどうやってとるか?

その画面をずーっと眺めながらあれやこれや試行錯誤しながら1手ずつ進めていくの。

これは一種詰め将棋じゃないの?って思いつつ

世間のあの新聞一角のコーナーを賑わせている詰め将棋のコーナーは

きっと小さなゼルダの伝説的な謎が詰まっている局面なのかも知れないって逆に思ったの。

とはいえ

私は将棋といえば王将餃子2人前にルービーを決めるスタイルしか知らないの。

カウンター王手飛車取り!っていったら

もう餃子2人前とルービーが提供されるからいつものお得なセットなのよね。

それが王手角取りとなると八宝菜ルービーセット!

王手飛車角取りになると餃子2人前に八宝菜ルービーゼット

そんな局面ね。

そんで私は

そうよ!

牢屋ゼルダが閉じ込められて身ぐるみ剥がされて装備が一切無い状態で一切の「カリモノ」が出来ない状況で

トリィのものホールドさせて移動させるって技しか使えない、

詰め将棋の盤面で言うところの、

餃子王将餃子2人前頼まずにまずラーメンから行くタイプ餃子屋さんにいって餃子頼まないこいつ出来る!って思わせる強いパターン

むむむ

私はそのトリィのモノを動かせる能力のみで、

そのハートの欠片をゲットする盤面に直面している局面で極端に緊張していたわ。

うーん、

これを取り損なったら取り損なうわ!ってトリィおねがい!って言ってもトリィは黙ったまんまでヒントすら出てこないじーっと画面を見続けながら私はハイボールをちびちびと飲みながら炭酸がもう全部抜けかけて気の抜けたハイボールになった瞬間に開眼したの!

これだ!って!

ふと閃いて

モノを置く置き方を階段状にして上に登れるようにして

無事ハートをゲットしたの。

やったー!

この盤面の局面を極度の緊張の中、

突破してハートをゲットした嬉しさは格別よ。

そして私は無事牢屋から脱出して、

途中でセーブして中断したらまた牢屋の始めに戻されて、

ええ!?ってその盤面をちゃぶ台返しにした瞬間ひっくり返ったちゃぶ台

上にお茶碗とかご飯とかお味噌汁がのっかっているけれど

それが真上にちょうど綺麗に上がってちゃぶ台がひっくり返ってもとの位置に着地した途端、

ちゃぶ台の上にあったご飯のよそってあるお茶碗や熱々の美味しそうなお味噌汁が注がれたお椀が1粒のご飯も1滴のお味噌汁もこぼれずに元通りに着地したの。

ちゃぶ台返したけどもとにもどる奇跡

ELT的な信じ合える喜び!

お昼に食べたいハンバーガーBLT!これも信じ合える喜び!

それら奇跡と同じぐらい

お猿さんにタイプライターをあげて夏目漱石坊っちゃんを書き上げる奇跡

分解した懐中時計を水を張った水槽の中でかき回して元通りの時計に組み立てられるぐらいの奇跡

ラッパー感謝するのはだいたい両親!

それも奇跡

それと同様なそれと同様な事が起こったの!

えー!セーブしてまた最初から

そんなちゃぶ台返しおのののかながらも

ってそれ野球球場でのビール売上ナンバーワンの売り子さんのおのののかさん!

でもまあ私は1度の突破したノウハウがあるから

学習しているのですぐさま突破できたけれどね!

これ全体的に今のところの状況だと、

何かが難しいというよりも

フィールドや敵や仕掛けの突破はもちろん

全てにおいてカリモノでどう乗り越えるか!ってのが主題になっているテーマでもあり、

私は改めてそれに気付いたの!いまさらながらに

そして

ハート無事に取れて良かった!って

なんか達成感!

あんまりプレイ時間が増えると眠たくなっちゃうので

私は昨日続けていて取れないと諦めていたハートを再挑戦して取ることができたか

やっぱり諦めなければ試合終了じゃないって校長先生の偉い言葉であるような漫画の一節を借りるなら

バスケがやりたいです!」っていうと思うわ。

なるー!

なるー!って言うのはなるほど!の略で

秋の祭典である今使い心地のいい言葉なので

秋の訪れと同時に使う秋の季語なのよね

なるー!って

インスパイヤネクストとはちょっと違うかな?

本当はどんどんゼルダを進めたいけれど

さっきも言ったように1日1局面を行って進めて行く

美味しいチーズ大事に食べる感じ!

リスさんがほっぺにたくさんどんぐりを頬張って基地に帰る様で

一気にストーリーを進めさせちゃうと勿体ないなって

チーズの角から食べる感じね。

『ニーアオートマタ』のことも忘れてないわよ!

最初セーブポイントまで到達するのが達成できず

なんでかつて無いこのセーブポイントの遠さなの?って思ってしまう早々に断念してしまいそうだけれど

なにせ『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』が落ち着かないと落ち着かないわ。

でも、

ゼルダ世界中あちこち寄り道しまくってここはどうなってるの?って探検はつまり冒険してる感じ!ってのもあるし

そんな感じよ。

朝ドラの『おむすび』つぎ誰をおにぎりで救うか楽しみでもあるし、

楽しみばかりな秋!

でもよ

良いニュースはたくさん上で言ったけれど

悲しいニュースもあるの。

ぐすん。

定食屋さんの秋の秋刀魚フェアは先週で終わっちゃったのよ。

結局私は大谷翔平選手の記録に全然惜しいところまでいったんだけど

秋刀魚ルービーを決めた本数は

2-2よ。

世界レヴェルの記録ってやっぱり凄いんだわ!って

その凄みを感じたところよ。

でも

マーケット秋刀魚売り場で秋刀魚は売ってるし!

秋刀魚買いに走ってマーケットには行けたら行くわ!

うふふ。


今日朝ご飯

ワカメおにぎりしました。

別におむすび』に引っ張られたワケじゃ無いけれど

でもたぶんゼロじゃない薄らとおにぎりが私の脳裏を漂っていて今日ワカメおにぎりにしよう!ってなったのかもね!

なるー!

秋だもん。

デトックスウォーター

ホッツルイボスティーウォーラーにしてみました!

ホッツも熱々だけど飲み頃ぐらいの温度にまで置いておけば飲めるので

だんだんとホッツな季節になってきたわ!って実感するところね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-10-07

人生に逆転ボタンがあると信じてる」←俺、コレらしい

子供の頃、俺は学校イジメられていた。

早生まれ喘息持ち、体格はクラスで一番のチビ、両親は自分学歴を鼻にかけるスノッブでその性格まで受け継いでしまったテンプレのような苛められっ子だ。

でも俺は勉強が出来た。小学生の頃は。

勉強が出来たかちょっといい私立中学に入り、勉強なんて楽勝と思ってたから退学直前まで全然勉強しなかった。

なんとか高校卒業したけど大学までのエスカレーターに乗る狭い門はくぐれず、大学受験では見事に惨敗

浪人は駄目だと言われて内心でFラン馬鹿にしていた大学に入った。

俺が選んだ学部情報系で、それは「これからIT時代だ。ブラックから避けるべきと言ってる奴は今に見ていろ」という理由からだった。

でも俺はそこでも「Fラン如き俺なら楽勝」と勉強せずに同じ失敗を繰り返し、ゲームが好きだから情報系に入っただけの連中とつるんでどん底まで落ちた。

今度は大学卒業することも出来ず、それでも就職だけはしないといけないのでとにかく数撃ちゃ当たるで人売りSIER世界へ。

ブラック企業なのは間違いなかったが、大学中退した奴が速攻で会社をやめたらイメージが最悪すぎるので必死に食らいついた。

そしてお決まりメンヘラコースへ。

壊れてしまったSIERとして頭数合わせの案件グルグルと回される人生が始まった。

そんな中、俺はどこかで「プログラマーになる才能の壁か。でも俺は子供の頃から作文が得意で学校代表して読書感想文コンクールに送られたこともあるんだ(なお、参加賞で終わった)。ラノベぐらいなら俺が本気を出せば書けるだろ」とロクに書いてもいないラノベがある日突然売れまくって人生大逆転を夢見ていた。

こんなのは妄想だと自分でも気づいているが、この妄想を手放せば俺は人生に何の希望も見出せなくなる。

ぶっちゃけ、「ロクに何も書いてないやつが突然作家として売れてしまう」なんてのは、「FXカジノワンチャンすればワンチャンあるかも知れない」よりも可能性の低い現実逃避だ。

そして定期的にその現実を思い出して「俺、何のために生きてるんだろう」となる夜があるなう

ふと人生を振り返って見ると小学生の頃は「俺は勉強が出来る!今に見ていろ!」大学では「これからITだ!今に見ていろ!」そして社会人になってからは「俺はラノベ作家になりゅ!今にみていろ!」とどこまでもどこまでも逆転ボタンをいつか押してやるぞと言って特に何もするでもなく怠惰に日々を過ごしてきた。

酷いな。

なんなんだこの人生は。

anond:20241007094101

いや、女性服にポケットがないのは男性による性的まなざし元凶

そしてそれを内面化してるからこそ、「私は女性らしいかな? 女性らしくなかったら、なんて思われるかな?」のように怯えるんだと思う。

しか男性自身には、そうした性的まなざしが向けられるという前提がない。

それ故に、服のシルエットには無頓着で、『らしさ』から解放されて生きづらくない人生を生きられる。

まりに横柄に振る舞えるから、すね毛をケアしないままに短パンで外出して女性心理的安全性を損なうこともある。この男女の迷惑かけやすさの違いは女性差別かと。

両親のことを全然知らないと気がついた

家族仲は良い方だと思う。

しかし私は、私自身が生まれる以前の両親のことはほとんど知らないのだとふと気がついた。

父母は還暦を超えた。

正直衰えを感じる。


人達から、元気なうちに父母自身の子供の頃や若い頃のことをいろいろ聞いてみたい。


でも、なんだか気恥ずかしいし、なにより父母にとって、娘に衰えを感じられているという現実を突きつけるのは酷だろうと思うとなかなか知りたいとも言いづらい。


しかし、このまま一生聞けないようなことになったら後悔しそうだなあとも思う。難しい。

2024-10-05

パイプカット体験談

2ヶ月前に念願のパイプカットをしたので、記憶が新しいうちに残しておく。

基本情報

動機

動機は大きく二つ。主には後者

悩みポイント

射精後の疲労感、倦怠感、眠気について根拠が見当たらない...

パイプカットすることで、射精後の疲労感、倦怠感、眠気が抑えられる、という情報がこの記事以外に全く見当たらない...。

  • 色々とネット検索したり、論文を探したりしたが、そんな記述は見つけられなかった。
  • 医者に聞いても、そんな話は聞いたことはない、との返答。
  • ChatGPTなど聞いてみても、そういう情報は引き出せない。
素人なりの思考と仮説

ただ数年間くらい悩んだ後、独自に仮説を立てして、実行することを決意。( あくま素人思考と仮説です )

悩んだ末の実行判断

結局、最後決断に至った心持ちとしては、

結果

結果として、パイプカット実施して正解であったと思っている。

射精後の疲労感、倦怠感、眠気が全くなくなったのは、ちょっとした感動すら覚えた。

( あくまで一個人体験談しかなく、個人差も大いにあると思うので、悪しからず )

他、前途の匿名記事の項目と合わせながら回答。

射精

これは自分は全く変わらなかった。

特にモヤモヤ感みたいなものもなく、普通に気持ち良い。

性欲

これも全く変化なし。

しろ性欲は多少落ちてもいいくらいに思ってはいたが、変わらない。

気持ちよさ

セックス中の気持ち良さも全く変わらない。

勃起

これも特に変化はなし。

精液

精子分は減ってはいるのだろうけど、特に気にならない。

ストレス

自分場合射精感も変わらないので、特にストレス面も変化はなし。

しろ妊娠を気にすることなく、また射精後の疲労感、倦怠感、眠気が無くなった分、精神的にはプラス

前立腺ガン

自分が調べた中でも、そういう研究結果はあるみたいだけど、一方で関係性はないという研究結果もある。

そもそも日本男性の部位別がん罹患数(2020年)では前立腺癌が8万7,756人(16.4%)とトップであったり、

危険因子としては高齢喫煙食生活肥満などがさまざま挙げられたりする中で、明確に判断するのは難しいなと。

手術について

術後について

  • 手術後10日間は、若干痛みや腫れがあり、歩くのは普通にしんどい
    • 術後に痛み止めは処方しますか?と聞かれたが、痛み止めは必須だろうと思った。
    • 自分仕事が在宅なので良いが、外歩きとかある人はこの間は結構辛い気がする。
    • 術後翌日から痛みなく普通に歩けている人もいるっぽいので個人差はあるのだろう。
  • 術後8日後に抜糸
    • 溶ける糸も選択できたみたいだが、溶けない糸を薦められた。
    • 抜糸の瞬間は多少痛みが走る。左右数回ずつ。麻酔に比べると大したことない。
  • 術後のシャワーやお風呂は何日後から可能なのかは、病院によってまちまち。
    • 最初10日はシャワーは患部は濡らさずに浴びていた。
    • まだ真夏暑いこともあり、浴槽には3週間くらいは入らなかった。

参考

パイプカット実施にあたり、参考にした匿名ダイアリー

2024-10-04

anond:20241004234611

広がってるよ

女は男女平等が嫌いなうっすらフェミで、銭湯男児の件で強固になった

2024-10-03

会社主任

うざい

社長に呼ばれたご飯の席で ものまねするんだけどうざい

社員のものまね 即興なので本人は気が付いてない

声色はともかく、言葉を真似するのがうざい

だれがどんな言葉を使って それをどんなポーズで どんなシチュでやってるかっていう

社長がげらげらうけるので調子にのって どんどん増やす どんどんキモくなる

うっざい おとなしい女子社員マネとか繰り返して げっらげら言ってるうっざ

電話しながら歩き回る癖のある人のマネして 席を立って遠くではじめながら歩いてくる

また繰り返してる うっざ

学生の頃 教室でそういうのやって 最初うけるけど 繰り返してるうち

しつこいよお前 って言われてやめるやつと やめないやつがい

やめない方 むしろ調子にのタイプ うっざ

マネされてる身になれとか ここで笑いものにする話かよとか

お前だれかにそんなことで笑いものにされて平気なのかよとか

マジでいいたくなった 言いかけてた

社長 こっちに気を使って楽しませてくれようとしなくていいです

そんなうざい芸やめて さっさとお勘定しましょうよ

社長が楽しませようとがんばんなくても そうやって

超くっだらない事で大うけしてる姿だけで なんかほっとするから

ああ 主任うぜー

2024-10-02

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

https://anond.hatelabo.jp/20241002004712

 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

2024-10-01

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

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 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

2024-09-30

まだ中年なうちに人間ドッグ(国補助の)受けてみようと一念発起して予約したら検査日が数ヶ月先

脳まわり検査は含まれてないのに、みなさん内臓病が心配なのか

画像診断なんてAIでなきゃ適当なもんだろうけど、血液検査はやりたい

クレアチンキナーゼ入ってないけど

2024-09-29

絶望なうんちをした。

憂鬱だ。

もう何も考えられない。

2024-09-28

anond:20240928124546

欧と米でリベラル意味が左右逆なうえに日本独自の要素が絡んでるからこじれまくる

欧では資本家寄り・小さな政府リベラルと呼び右派とみなされてる(労働者寄り大きな政府左派ソーシャルと呼ぶ)が

米では労働者寄り・大きな政府世俗派の民主党リベラルと呼ぶ(資本家寄り・小さな政府福音派共和党コンサバティブ)

日本ではアメリカっぽい労働者寄りの左翼リベラル名乗りがちやがマイナンバー増税に反対するのが多いように大きな政府とも言い切れず

しか護憲派日米安保集団的政権反対(欧米左派政党は当然ながら集団的自衛権に反対してるわけではない)も左翼とセット売りなので

「お前の言うリベラルって何なの?」から始める必要がある

anond:20240928011922

もういっぱいいっぱいになってはるの

なうからも一つ

「すっぱいパッタイ

「密会接待

「でっかいちっぱい

「6回失態」

ちうことで、もう少し考えてみてな

2024-09-27

遺産相続する。使い道がない。

年始帰省したときに親から言われた。

母と父の生命保険をお前に渡す。額は2000万か3000万円くらい。

ありがたい。両親は健在で自営業をしてるので、オレたち姉弟が揉めないように元気なうちに3人に伝えてくれた。家と事業はそれぞれ私の上の姉たちに任せるので保険金はオレに渡すということだろう。株やら現金やらは特に言及ない。

しかし使い道が思い浮かばない。ネットで見るとだいたい住宅ローン奨学金の返済に充てるのがいいらしい。残りは貯蓄か。

うちは当に夫婦ペアローンだけどお互いの給料から払える額なので、ここにぶっこむのはそんな気がする。

全額を全米インデックスにぶちこむくらいしか思いつかん。

世の上流階級の人たちは親の遺産相続したらどう使ってるの?独身貴族しかり、親から受け継いだ財産は何に使ってるのか教えてよ。

遺産相続する。使い道がない。

年始帰省したときに親から言われた。

母と父の生命保険をお前に渡す。額は2000万か3000万円くらい。

ありがたい。両親は健在で自営業をしてるので、オレたち姉弟が揉めないように元気なうちに3人に伝えてくれた。家と事業はそれぞれ私の上の姉たちに任せるので保険金はオレに渡すということだろう。株やら現金やらは特に言及ない。

しかし使い道が思い浮かばない。ネットで見るとだいたい住宅ローン奨学金の返済に充てるのがいいらしい。残りは貯蓄か。

うちは当に夫婦ペアローンだけどお互いの給料から払える額なので、ここにぶっこむのはそんな気がする。

全額を全米インデックスにぶちこむくらいしか思いつかん。

世の上流階級の人たちは親の遺産相続したらどう使ってるの?独身貴族しかり、親から受け継いだ財産は何に使ってるのか教えてよ。

2024-09-25

ピンク色の駅舎は、オタク聖地ではない。

「ひどい発言」大物ラッパーが“町おこし”駅コラボを「気持ちわりぃ」一刀両断で「嫌いになったわ」批判集中

https://news.yahoo.co.jp/articles/124a36c0ddec199151c8f21c303d9d328a687441

恋山形駅

ピンク色のデザインが、完成10年以上の時を経て、なぜか今さら炎上した。萌えキャラを使った町おこしオタク聖地と誤解されているようだ。

しかし、同県の出身者として言わせてもらうと、あれはカップル向けだ。おそらく女性客を狙ってピンク色に塗ったのであり、オタク男性を客層に据えているわけではない。

(地元メディア報道では、恋愛成就聖地であり、カップルに人気だと言われている。萌えキャラ話題全然聞かない。実際、私が現地を訪れたときにも、県外ナンバーカップルたちが来ていた)


しかに、駅のホーム内側に、"鉄道むすめ"のキャラクターが描かれている。電車の車窓から見ると、それがまあまあ目立つ。

ただ、駅を外側から眺めたり、全体を概観すれば、印象も異なってくるだろう。あくまで「恋がかなう駅」というモチーフだ。恋愛成就をうたった郵便ポスト、鐘、絵馬などが設置してある。どちらかと言うと女性が喜びそうなものだし、あの萌えキャラとは関係が無いと思われる。


要するに、恋山形駅ピンク色に塗ってあるのは、萌えキャラとの「コラボ」ではない。

(コラボという言葉定義にもよるが、男性オタクを呼びこむために派手なピンク色を塗ったり、ハートマークを付けて宣伝しているわけではない)

その意味では、あのデザイン非難する人たちは的外れだったし、擁護派もそのへんの事情を分かっていないと感じた。




追記

ソースを載せておく。もともと客層にはカップルを想定し、恋愛成就が叶う場所PRされている。

萌えキャラを前面に出してオタク層を誘致しよう、という感じではない。私見では、あれは智頭急行イメージキャラクターから、単にそれが理由で描かれているんだろうと思った。

(もっとも、実態不明である。来訪者は本当にカップルか、それとも家族・友人などと一緒に来ているか鉄道ファンはどこにでも来るが、萌えキャラが目当てのオタク層もいるかインスタ映えを求める女性達にも訴求力があるか? もしデータがあれば、ぜひ教えてほしい)

訪れたい縁結びのパワースポット 山奥でピンクに輝く「恋がかなう駅」

(産経WEST 2023/5/8)

https://www.sankei.com/article/20230508-GCN3QJVT5JLENDMEUGYAGT3S2M/

恋山形駅リニューアル10周年記念イベント

https://youtu.be/WED32_xZFmA

義母疲れた、義父は頑張って生きている

30代前半の結婚して1年半になる。

疲れたから垂れ流す。キモい文章になる気がする。

義父が癌で2年前に余命宣告されている。

その時は次のオリンピック(パリ五輪)の開会式絶対に見る事ができませんと医者は言ったらしい。

どうしても手術で取り除けないタチが悪い場所に癌ができてしまい、投薬での完治も見込めないフェーズでの発見だった。

義母は大層悲しんだ。当然だと思う。

残された時間を少しでも一緒に過ごせるように、時間があれば義実家へ足を運んだ。

夫と私は義実家まで行くのに車で片道3時間超の場所に住んでいる。

大きな病院義実家我が家中間地点にあるので、通院のついでに足を伸ばして我が家に来ることも多かった。

日帰りは体力的に厳しいので、毎回ゲストルーム(比較的新しめのマンション住まいなのでゲストルームがある)を手配していた。

ゲストルームがとれない時は義両親に私たち夫婦のベッドを明け渡したことも数度あった。

だいたい月に2,3回はどちらかの家で顔を合わせていた。

義母は事あるごとに言うのだ。

『もう最期かもしれないから会いに来て』

嘘ではない。余命宣告をされているのだから

結果的に義父はオリンピックパラリンピック閉会式まできっちり見た。なんなら甲子園も全部見てようだ。

1日でも長く少しでも苦痛なく生きていれるならそれはとても素晴らしいことだと思う。そう思う気持ちは嘘じゃない。

長年連れ去った最愛の人が少しずつ弱っていく姿を間近で見ることはきっと凄く辛い。

夫との電話で取り乱している義母の声が漏れ聞こえると会いに行かないといけない気持ちになる。

今日義母から休みに連絡がきた。

『もう最期かもしれないから会いに来て』と。

午後から無理を言って休みを捻じ込み夫と合流し義実家へ顔を出した。

今日病院へ行く日(義父の希望入院ではなく定期的な通院と在宅医療のお世話になっている)だったらしいのだが、生きていることが不思議なくらい数値が悪くなっており数日中かもしれないと、今度こそ最期になるかもしれないと言われたようだ。

この連絡がくる数日前には義母から夫へLINEが送られてきていた。ここ数日は1日の大半は寝ていて床擦れもできてしまったとのことだった。

会いに行かない理由なんてなかった。

義父はしんどそうだけど意識ははっきりしていた。

病院帰りに外食もできたらしい。

義実家に到着した時義父は身体を横たえて寝ていたが、その少し前までは普通にテレビを観ていたらしいし、起きてからは一緒にお菓子を食べて団欒もした。

安心したような拍子抜けしたような。

もう何度も拍子抜けしてはいる。

夕方にお暇して21時過ぎに家に着いた。

当然ながら明日仕事だ。

私はこの2年必要最低限しか自分実家に帰っていない。

小学校の頃からの友人の結婚式も欠席することになった。

地元の友人にも当然ながら会えていない。

義父がいつ急変するか分からないので。

両親は、大変な時だし嫁いだ身なのだから義母や夫のサポートに専念しなさいと言う。

正しい意見だと思う。大変なのは事実だ。

ただ、この2年で数えるのも億劫になるくらいには最期かもしれないと言われた。

オリンピックが過ぎてからは頭の片隅でどうせ大丈夫だろうと考えてしま自分がいる。

でも、万が一、本当に最期なのだとしたら、夫は会うべきだと思う。

その時は夫に寄り添ってあげたいとも思う。

そう思うと毎回の呼び出しに応じるしかない。

このような状態結婚からずっと続いている。

このような状態なので結婚式は挙げなかった。

元気なうちに家族での写真は欲しいと義母が言うので家族写真が多めのフォトウェディングは撮った。

結婚式を挙げるかどうかも、帰省するかどうかも、休みの日に遊びに行くかどうかも全部、義母は私の好きにしたら良いと言う。きっと本心からそう言ってくれているのだと思う。

でも私は良い子でいることを選んでしまう。

私の我儘のせいで夫が最期に立ち会えなかったら?後味の悪い最期になってしまったら?到底責任は取れない。

加えて、向こうの親族自分を優先した本家長男の嫁と白い目で見られることがすごく怖い。

結局自分自身が保身に走っていると自覚しているから誰にも何も言えない。

うじうじして一人で勝手に疲れてしまって馬鹿みたいだなと思う。自業自得

さっさと全て終われば良いとすら思ってしまう瞬間がある自分が嫌になる。最低だと思う。

解決策が何もないのだ。上手くやれない自分が悪い。

なんかもう疲れたな。こんなツラツラ文章打ち込んでさ、被害者ぶってるのかな。良くないよな。義父も義母もしんどくて大変で夫も精神がすり減ってるのに私がこんなんじゃダメだよなあ。

そういえば新婚旅行も行かないままなあなあになってるなとふと思い出した。自己中だよな。

2024-09-24

anond:20240924190006

そうだよ

キャッチコピーは「恋がかなう駅」で恋愛成就のフォトスポットとか用意してるからカップル旅行に来た時に立ち寄ってもらえれば……っていうコンセプト、県内に有名な縁結び神社あるし

それとはまた別で鉄道むすめともコラボしてて、とは言ってもせいぜい一か所か二か所くらい?カップル邪魔にならない場所鉄道員女性イラストが描かれている程度

そのイラスト地元美術部の女の子が描いたのかなと思うような色気も何もない健全絵で、鉄道むすめアニメゲームがあるわけじゃないし大きな企画をやっているわけでもないかオタクが集まることもないんだけど

呂布カルマの乗っていた車両が偶然イラストがよく見えるめちゃくちゃいい位置に停車して

アニメコラボオタク媚びのためにエロいピンク色で飾り付けた駅と何重にも勘違いしたっぽい

元増田さんの世帯年収帯は増税が良いと思うanond:20240924115307

累進課税で少しずつ税率が上がっていくとしたら、世帯年収800-1000万円あたりはもう少し増税したほうがバランスが良いと思う。

年収層はさらなる減税か恒久的な手当を考えたほうが良い。

 

扶養しているこどもについては税控除より手当の方が良い

元増田さんが書いている控除枠って低所得者にはメリットが少なく、高所得者ほど得になる。

こどもを育てるのには親の所得関係なく一定お金がかかるわけだし、控除よりは手当で考えたほうが良い。

必要であれば控除を創設するより、こども手当を増額する方が低所得者に優しくて良い。

高所得者にとっては税控除の方がメリットが大きいだろうけど)

 

年収世帯への手当は増額したほうが良い

年収世帯への手当をもう少し増やしてあげないと生活が厳しいと思う。

一時的な減税や給付を時々行っているけど、これでは安心して生活できない。

特に年収世帯生活生活不安定なわけだし、制度として毎年確実にもらえる手当を増額すべき。

 

手当の所得制限の上限の撤廃

良いと思う。

現状の手当って、ある年収を境に急にもらえる/もらえない変化して、実質税率が急に変化するので上限の撤廃はしたほうが良いと思う。

このため年収1300-2000万円あたりの世帯の実質税率が重くなっている(対象となる世帯は少ないと思いますが)

累進課税については、所得税などのなだらかに変化する税制の方で、精緻に行なうべき。

 

元増田さんの年収帯は増税したほうがバランスが良い。

理想的累進課税制度は、年収が上がると実質的な税率が少しずつ上っていくのが望ましい。

ただし現状は世帯年収800-1000万円あたりでは、各種手当は上限以下でもらえるし、税率もあまり変化せず実質的に税率がやや優遇されている。

このあたりの年収帯の所得税の累進課税はやや強化して、増税をするとバランスが良くなる。

 

各種手当の上限撤廃による給付増加や低所得者への永続的な給付増加を、この年収帯の増税でまかなうようにすれば、国の収支としても問題がいない。

 

ずるい・ずるくないって話には意味がない。

ずるいってのは、相手への攻撃性が含まれ言葉なので議論の前提として違う言葉の方が良い。

税制については不公平でなく公正に決めるべきだと思う。

  

人って客観的になれないものだなあと思う。

元増田さんは自分属性の層に対して有利な事をたくさん並べていて、公正な視点に欠けているなあと思ったので書いてみました。

その自覚があるのなら良いけど。

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