はてなキーワード: どんよりとは
おいおいやってくれればいいよ、と相変わらず彼氏さんが掃除する
お金がないとは聞いてたが、本当になかった
家や車を買ってるんだからそれなりにあると思ってたのに長いローンだった
これからきっちり半分負担、長い長い間お金を払って、都心から遠い場所から満員電車で仕事に行き、やめることができない
どんよりした
いや、今は普通に払える
でもなんだ、子供とか考えたら辞めることもあるかもしれないし
何より人生がんじがらめな感じがすごく疲れる
○○の好きなようにしていいよ(ニッコリ)って笑ってくれるのを期待しつつ、働きたくない〜と言ってみたら
とても優しい彼氏さんが冗談でもそんなこと言うと思わず、○して私を捨てに行くイメージもできてるっぽくて引いた
子供連れご夫婦には席を譲るような優しい彼氏さんだが、働かない私は○されるらしい
いや、働いてるけど、たぶん仕事も続けるけど
なんだかちょっと悲しい
どんよりした夜明けの空気に部屋が侵食されていく。カーテンの間から覗くと曇り空がこの街全体を包み込んでいるようだった。
一昨日の新年会の一件を未だに引きずっているのは社内でも自分だけだろう。
ふと上司の言葉を思い出す。「俺は酒が入ると思ったことを包み隠さず口に出すタイプだ。
粗相をしてしまうこともあるが、飲みの席では目立った方がいい。でも俺の良いところはな、
次の日になれば大抵覚えてないんだ。笑笑笑」
自分は言われてどんな顔をすれば良いのか分からなかった。自分も出来るならそうしたいっすよ。面倒な先輩に捕まった後輩と悟られるのが怖くて何も言えず無表情を貫くだけ。
とことん聞いて納得いかなければぶつかって、自分の仕事の幅をどんどん広げて影響力がある人ならなきゃ駄目だと、耳の痛いことをおっしゃってくれた。
自宅に帰ってからムクムクと反抗心が芽生えてきた。
知ってるよ。要領が良い人は、たとえ心の中で
納得いかなくても上司の話を真摯に受け止めてヨイショができて気持ちよくさせることができて可愛がられる。絶対その方が得なの知ってる。
俺はちげぇ、小さいプライドが捨てきれず、つまんねーなー話してんじゃねーよって顔に出ちゃうから必死に無表情を作る。
つまらない顔すんなよって言われて、ごめんなさいしか出てこない。何言えばいいかわからない。決して本音を口にする事はない。胸の内の言葉を喉のあたりで変換して、いつも出てくるのは中途半端な的を得ない言葉ばかり。
元気ないって言われる。 お酌すれば頑張ってお酌しなくていいよって言われる。
本音で生きたい。
溌剌とした表情で生きたい。
こうやって飲み会が終わる度、独り反省会を繰り返してきた。いつまでたってもヘラヘラして大人になりきれない。
それは逃げなのかも。
どんよりした夜明けの空気に部屋が侵食されていく。カーテンの間から覗くと曇り空がこの街全体を包み込んでいるようだった。
一昨日の新年会の一件を未だに引きずっているのは社内でも自分だけだろう。
ふと上司の言葉を思い出す。「俺は酒が入ると思ったことを包み隠さず口に出すタイプだ。
粗相をしてしまうこともあるが、飲みの席では目立った方がいい。でも俺の良いところはな、
次の日になれば大抵覚えてないんだ。笑笑笑」
自分は言われてどんな顔をすれば良いのか分からなかった。自分も出来るならそうしたいっすよ。面倒な先輩に捕まった後輩と悟られるのが怖くて何も言えず無表情を貫くだけ。
とことん聞いて納得いかなければぶつかって、自分の仕事の幅をどんどん広げて影響力がある人ならなきゃ駄目だと、耳の痛いことをおっしゃってくれた。
自宅に帰ってからムクムクと反抗心が芽生えてきた。
知ってるよ。要領が良い人は、たとえ心の中で
納得いかなくても上司の話を真摯に受け止めてヨイショができて気持ちよくさせることができて可愛がられる。絶対その方が得なの知ってる。
俺はちげぇ、小さいプライドが捨てきれず、つまんねーなー話してんじゃねーよって顔に出ちゃうから必死に無表情を作る。
つまらない顔すんなよって言われて、ごめんなさいしか出てこない。何言えばいいかわからない。決して本音を口にする事はない。胸の内の言葉を喉のあたりで変換して、いつも出てくるのは中途半端な的を得ない言葉ばかり。
元気ないって言われる。 お酌すれば頑張ってお酌しなくていいよって言われる。
本音で生きたい。
溌剌とした表情で生きたい。
こうやって飲み会が終わる度、独り反省会を繰り返してきた。いつまでたってもヘラヘラして大人になりきれない。
それは逃げなのかも。
しかし、脳が適度に圧縮されているような、どんよりした気分の時は文章を書きたくなる。 今がまさにそれだ。だから書く。
こういうブログに書くような長文は初めてだ。普段はTwitterに住んでいる。だからちょっと恥ずかしい。そして文章力には期待しないでほしい。こういう予防線を張るのはダサいな。本題に入る。
自分は普段絵を描いている。プロの絵描きに憧れ、プロになりたいと思い描いてきた。
とはいえ、プロになりたいなんて言いつつろくに練習せずダラダラとやってきた人間だ。オリジナルだと誰にも興味を持たれないが、二次創作なら多少人に見てもらえるくらいな絵。 つまり、絵をほとんど描いたことない人よりは上手いかな程度。
絵は基本的に苦しい。やることが多くてめんどくさいし、何十時間かけて描いたからといって必ず評価が貰えるわけじゃない。インターネットにはプロが描いた上手い絵が氾濫しており、素人がちょっと頑張った程度の絵なんて、目の肥えた消費者には刺さらない。
評価が絶対だとは思わない。しかし欲しくないわけじゃないのだ。貰えたら嬉しいに決まっている。
それでも絵が楽しい、好きだと感じることはある。熱中して何時間も描き続ける時もあるし、完成した時は僅かながら達成感を感じる。
しかしそれは、何かから逃げている時限定なのかもしれない。絵を描くことがやるべきことになったら、絵が描けなくなる。楽しくなくなる。
お題箱とかまさにそれだ。お題箱を消化できたことはないし、リクエストも自分から募ったくせに描くのはだるい。面白くないし早く終われと思う。
絵を描くことが好きなのではなく、目の前の現実、やらなければいけないこと、それらから逃げるために絵を描く。
こんな人間だから、きっと自分は一生プロにはなれず、趣味人で終わるのだろう。それでも良いと感じる。
しかし気づくのが遅すぎた。絵は趣味にすべきであると、自分にはそれが合っているともっと早く気がつけていたら、自分の人生はもっとまともだったのだろうか。もう少しちゃんと、敷かれたレールの上を歩いていけばよかった。
最近はこういうことばかり考える。
付き合いの長い女友達がいる。出会いは中学時代で、同じ塾に通っていた女子校の人だった。オタクで暗くて、でもオタクの友達とは楽しそうに笑っていた。部活が同じことに気付いてからは授業が終わった後に軽く話すことも増えた。
頭のいい子だったし、正直言って彼女と話すのは楽しかった。音楽の趣味がほぼ同じだったので、塾帰りに喫茶店で何時間も駄弁ることもあった(流石に親に怒られた)。ただ、自分のことを話しすぎるところと、モテたモテないの話ばっかりは微妙だった。ちなみにその塾は大学受験まで通っていたから、そのうち互いにCDを貸し借りしたり、何回もデートしたりした。
やがてお互い希望の大学に進み、彼女は新宿区の大学へ、僕は青葉区の大学へ進んだ。僕が研究室でド鬱になってるとき、何度も彼女に電話をかけた。彼氏ができたこと、セフレがいること、いろいろな話をしてくれた。あまり女性には縁のない生活だったので、ぼんやりと遠くなっちゃったなと思った。
彼女は文学部から院へ、僕は工学部から院に進んだ。こっちが男どもと酒を飲んだり雪合戦をしている間、彼女は男を取っ替え引っ替えして遊んでいたらしい。お互い研究が忙しく、共通の話題も少なくなった。年に一回電話するくらいの関係になった。
数年前、就職のタイミングで一緒に飯を食った。人生の半分以上を(距離感は絶えず変わったが)過ごした友人はかなり洗練されており、近寄りがたい雰囲気になっていた。最初は今付き合っている芸人の話や家に連れ込んだ後輩の話を延々と聞かされたが、次第に思い出話や音楽の話へと話題は移っていった。人間の核の部分は変わっていないようで嬉しかった。彼女は出身高校の国語教師になるようだった。先生になりたいと何度も聞かされた中学時代を思い出した。彼女とは翌朝まで話し続け、何事もなく解散した。酒とタバコのせいで頭が痛い。どんより曇った新宿駅で、きっともう会うことはないだろうねと話をした。彼女は頷いた。
先週末、彼女から連絡が入った。結婚したことも知らなかったが、どうやら離婚したらしい。日曜に2人で飯を食い、よくあるような話を延々と彼女は話し続けた。どうすればいいかわからなかったのでとにかく僕は聞き続けた。少し懐かしかった。ここからどう思考がジャンプしたかは自分でもわからないんだけど、一旦落ち着いたら彼女に交際を申し込もうと決心した。
私はゲイだ。
自覚したのは中学生の頃だ。友人を好きだったが、誰にも言えなかった。
親にはまだ話していない。妹が子供を生んだので、このまま親の前では異性にモテない独身男性として生きていったらいいかと思っている。
学生時代は所属していた団体でカミングアウトしていた。変な人間が集まるので有名な大学で、ただのゲイだった私は平凡な存在だった。彼氏(現在は友人)もできて楽しかった思い出がたくさんある。
世の中変わってきている、もうゲイを隠す必要なんてない。そう思っていたが、就職してすぐ職場で「お前カマっぽいよな」と笑われたときは、やっぱり目の前が真っ暗になった。
職場では今後カミングアウトする予定はない。親にも言う気はない。
そんな私がいま注目しているのが現在4話まで放送されている「おっさんずラブ in the sky」である。
「おっさんずラブ」と言えば、田中圭演じる春田が、職場のゲイたちにキスされ交際を迫られ気持ち悪がるも、そこから「性別の壁」を乗り越えて純愛に発展する話、という認識の方が多いと思う。
正直に言って、私はこの作品が好きではない。
「弟の夫」「きのう何食べた?」「となりの家族は青く見える」は好きだった。「おっさんずラブ」はそれらに比べて、あまりに私が傷付く表現ばかりあるドラマだった。
友人に勧められて数話までは見ていたが、ドラマの内容と、それにはしゃぐファンを見ては毎週どんよりとした気持ちになり、視聴を止めた。
「逃げるは恥だが役に立つ」で、主人公が「ゲイはイケメンを襲う人種だ」と思い込んでいた自分を恥じるシーンがあった。
やっぱり世の中は「ゲイは嫌がるノンケを襲うもの」と思っていて、それを笑っているのか、と思うと落ち込んだ。
だから、おっさんずラブの続編が放送されると聞いたときは心底やめてくれと思った。
だが、2話が終わったあと、友人から連絡が来た。私がおっさんずラブをよく思っていないことを知っている友人だ。
今回のは見られると思うし、見てほしい、という知らせだった。
同性愛を扱うドラマは好きな方なので、友人を信じて2話から視聴した。
3話では切なさを感じ、4話は笑って泣いた。
パイロットである上司の黒澤は、職場の新人である春田にだんだんと惹かれ、恋を自覚する。告白をするも断られ、同じく春田を好きな娘・緋夏を応援することに決める。
整備士の四宮は、春田に恋心を抱いているがそれを隠し、仲の良い緋夏の恋愛相談に乗り、二人が付き合うように仕向ける。
二人とも緋夏と春田が付き合うようにと動くが、それは「自分が男だから」ではない。
黒澤は「かわいい娘の幸せのため」妻を亡くした黒澤にとって緋夏は大事な一人娘である。
四宮は「自分には幸せになる資格がないから」と発言している(これは5話で詳しく明かされる様子)。
「男の俺なんかより緋夏ちゃんの方が」などという台詞は出てこない。これは意図的だと思う。この世界では同性愛は問題にならないのだ。黒澤や四宮がもし女性であっても、二人とも緋夏を応援していたはずだ。
また、緋夏は四宮が春田を好きだということを知り動揺するが、こちらも「四宮が男だから」ではない。いままで恋愛相談に乗ってくれていた相手が同じ人を好きだったことに対しての衝撃だ。そして彼女は四宮によきライバルになろうと握手を求める。
パイロットの成瀬は春田のことを好きではないが、遊びで寝た男が職場まで押し掛けてきたとき、新しい恋人ができたと嘘をつくために春田とキスをする。
春田は成瀬が男と寝たことに対して特に反応しない。突然のキスについても「好きでもない相手にキスするなんて信じられない」とこぼしている。男相手に、という言葉は出てこない。
4話では四宮の気持ちが春田にバレるが、春田が四宮を気持ち悪がる様子も一切ない。「俺なんかのどこがいいの?」と聞いたり、自分の好きはライク、好きになるってなんですか、と同僚に相談している。気持ちに応えられないことへの申し訳なさはあるが、そこに「男だから無理」という感情はない。それどころか、5話の予告で春田が成瀬に無理やりキスをするシーンがある。
春田は2話終わりで緋夏にもキスをしかけており、ノンケだと見られていた。
その春田も、男同士であることには疑問を抱かず、成瀬に惹かれていっている。
キャストもスタッフも言及していないようだが、ドラマが終わったらその辺について語ってくれるのかもしれない。
(ちなみに四宮の気持ちを成瀬が伝えてしまうところをアウティングだと批判する声があるようだが、同性愛差別のない世界においてのアウティングとは一体?)
(それを言ったら前作の春田の牧に対するアウティングは許されるのか?私なら死ぬ)
私は4話でこの世界観に気付いて、泣いてしまった。緋夏が四宮に「はるちゃんが好きなんですね、私もです。私たち、ライバルですね」と握手を求めたシーン。胸が熱くなった。こんな世界があるといいと思った。男が男を好きであることを認めてもらえる世界だ。
同性を好きになっても、悩まなくていい、苦しまなくていい。引け目を感じなくてい。誰かに否定されなくていい。
この感動を噛み締めたくて、ツイッターで同じようなことを感じた人を探そうとサーチした。
そこで出てきたのが冒頭のツイートだ。
「同性愛をこんなにすんなり受け入れるなんてリアリティがない」
打ちのめされた。
ファンタジーとはなんだ。
つまらないとはなんだ。
現実世界でゲイが差別され苦しむのがそんなに面白いのかこの人たちは。
こういったツイートをする人のホームに行くと、全員が「おっさんずラブ(無印)」のファンだった。
曰く前のドラマでは「恋愛をするのに性別なんて関係ないと思えた」らしい。
ならば、性別なんて関係なく恋愛できるin the skyの世界をなぜ応援できないのだろうか。
私が個人的に傷付いただけで、あれを好きなゲイもたくさんいる。
あのドラマで、同性愛は気持ち悪いものじゃないと思ってくれた人が大勢いるのも理解している。
同性愛の苦悩を描いたドラマが放送されるのはとてもいいことだと思う。
やめてほしいのは、「同性愛を扱うなら葛藤や苦悩を必ず描かなきゃいけない」という考えを押し付けることだ。
前作ファンの人、「おっさんずラブ in the sky」のことは放っておいてくれないか。
自分に合わなかった、自分は腹が立った。それはわかる。私も前作でそう思った。
だけど、あなたが嫌な思いをしたこのドラマに、心が救済された私みたいな者もいる。
私は、こんな世界になりますようにと願う。このドラマを作ってくれて感謝している。
気に入らないからって、「番組の打ちきりを求む署名運動」とかやめてくれないか。目を疑った。嫌いなものは排除しないと気がすまないのか。
署名が集まっても打ちきりにはならないと思うけど、ドラマを楽しんでいる人間にとって、この仕打ちはあまりにむごい。
もし、in the skyのような世界が待っているなら、私は親に自分のことを話したいと思う。そして、パートナーを家族に紹介して、誰にも隠れることなく一緒に暮らすのだ。
ドラマは残り4話。どのような結末になるのか、楽しみにしている。
-------------------
気付いたらコメントが増えていて驚きました。
気になるコメントについて追記しておきます。(11/28 18:20)
私は「無印ファンはin the skyの批判をしないでください」と言っているのではありません。批判はいいと思います。私も無印の批判をしてますし。
やめてほしいなと思うのは、差別を描けと強制すること、放送中止を求める署名などでドラマを妨害する動きをすること、この二つです。
求めてません。逆です。私は「リアルから先に進んだin the skyは夢のある世界だ」と思って喜んでいます。
リアルさを求めるな、は、ぜひ無印ファンに言ってあげてください。
『アクション映画を見ろ』
「差別を扱うな」とは私は書いていません。個人的に無印は苦手でしたが、自分で見ない選択肢を取りました。
「差別を扱う作品が放送されるのはいいこと、だけど全部の作品に差別表現を入れることを強制するなよ」これだけです。
主要人物全員片思いですから、恋愛に関する葛藤は毎週描かれています。特にふられてからの黒澤は恋心と大事な娘の間で揺れてますね。面白いですよ。
『in the sky見てなかった、見ればよかった』
この作品が不発で終わったら「この路線は失敗だった」と思われそうで悲しいです。
話の流れはここで書いた通りです。5話からでも面白いと思うのでぜひ見てください!
現在「全員一方通行の片思い」となかなか類を見ない展開になっています。
公式サイト https://www.tv-asahi.co.jp/ossanslove-inthesky/
予告ツイート https://twitter.com/ossans_love/status/1198255673030692864?s=19
予告動画ロング(放送後消えます) https://youtu.be/mZXMufvCLyM
レジなどで、人生楽しいことがなにもないみたいな、疲れ切った顔で働いてる人が苦手。
あくまでアルバイトであり、そこまで高い時給でもないと思うし。
でもせめて、こちらが聞き返さないでいいくらいの声量は出して欲しいし、最低限の清潔感はほしい。
最近レジで、この人精神的にやばそうだな...という人をちょいちょい見かける。
昨日お風呂入ってないのでは...?と思うくらいちょっと臭う店員さんや、顔や腕などに吹き出物がたくさん出ている人とか。
基本男性なんだけど、まだ2,30代くらいだろうに、人生何があった?という感じの人。
女性だと愛想が悪い人はいるけれど、こちらが引くくらいの病んでる感じの人はそれほど見かけない。
ホームレスで、男性は見かけるけど、女性は見たことがないので、あまりいないのかもしれない。
女性の場合は、男性よりも年齢関係なくシャキシャキ働いてる人が多いように思う。
やばいお客への対応で、精神的にやばくなっていくケースもあるんだろうけど、新人からすでに、やばい人もいる。
特に営業時間が長いところだと、そういうやばそうな人が接客していることの方が多い。
自分も過去、面接に落ちまくって、悶々としていた時があるので、そういう人生で辛かったときの自分を見ている気分になる。
こちらの気分も滅入るので、そういう無気力で働く人をレジに雇うくらいなら、全部自動化して、無人にしてほしいな...と思う。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
理由はざっくり子どもと接するのが好きだから。会社員として働きながら隙間時間に独学で資格取ってみました。3年かけて1次試験の教養科目を全合格して、2次試験にすれすれでなんとか合格。
今年の冬に仕事を退職することになり、春先から認可外の保育園で働いています。未経験歓迎だったのと、給料低いのは知っていたので別の仕事と掛け持ちしたかったので融通が利きそうという条件で選びました。
週に3日出勤、そんな責任負わされない立場とはいえ 保育の場 本当にヤバいです。幸いスタッフさんには恵まれて子ども虐待や職員間のいじめはありません。スタッフさんのほとんどは子持ちのパート(殆どは保育士資格はなし)ですが経験値はとても高いので、それが故のトラブルは全くありません。むしろ資格持っているけれど子無しの自分が1番無能。母親ってすごいなと本当に尊敬します。
では何が問題なのか。低賃金ゆえに慢性的な人手不足。これにつきます。
まず入ってびっくりしたのが、仕事の引き継ぎが全くなかったこと!いきなり現場に出されて雰囲気で慣れろ状態。人手足りないからね。
その割に一等地にあるので子どもが多い。職員4人に対して子ども25人!とかザラ。ベテランの中核以外は入っては辞めていくので、いつまでもうまく連携が取れず、流れ作業で業務をこなすのに精一杯。丁寧な「保育」などできない状態。途中どんな悲惨な状況があってもお迎えの時間までに意地でも体裁を整え子どもをお返しするので(そこに向けて最低限の業務をこなす事が最優先)途中のカオスっぷりは残念ながら親御さんの眼には全く映らない。職員以外から現場の悲惨さがわからんので待遇改善に繋がりにくいのだなぁと。
スタッフはみんな本当に子ども思いで働き者で素晴らしい方ばかり。でもとにかく手が回らない。そうなると余裕を持って子どもをみてあげられないジレンマ。わんわん泣きわめいたり暴れている子も、丁寧に対応してあげるとなぜそういう行動をとるのかわかってきて、少しづつコミュニケーションが取れるようになってくる。乳幼児でも1人のりっぱな「人間」、1人1人全然違うので丁寧な保育をしてあげなければ。そう思っても手が回せない。結果叫きの輪唱状態。ごめんよ。
人手不足でももちろん最善の注意をしていますが、見渡せる限界があります。ピーク時はいつ事故が起きてもおかしくない状況。以前は虐待やいじめのニュースをみるたびに「保育士失格だ」と思っていましたが、1人の負担が多い現場でフルタイム働いていたらそりゃストレスフルでおかしくなるなと。職員間のいじめや魔が差して子どもへの虐待が発生してもなんらおかしくないなと思ってしまう。そういう意味では本当にスタッフには恵まれていますが。
もう一つ。保育って子どもを預かるプライバシー情報の塊なので、SNSなどで非常に情報拡散しづらいなとも感じました。スタッフさん達は待遇改善してくれない経営者にやきもきし、人手不足による現状の悲惨さを広めたい。もちろん行政には訴えているけれど、「よくある事例」らしく相手にしてくれない。頼みの綱でSNSでバズらせたい、だけどうかつに画像や情報が出せない。そもそも写真撮ってる余裕なんて殆どないのです。ほかの保育士さんはどうしているのか調べても、残業処理でそんな余裕なさそうだったり。鬱気味ツイート連打していたり。どうしたら政治家に現状の悲惨さが伝わるのかわからない。辛い。
まだ働いて半年、知識や経験も浅いので、今は保育現場ルポの書籍など読んでどうしたらよいのか自分なりに勉強中。実態を知ればしるほどうちは氷山の一角、しかも恵まれている方だとしってさらにどんより。
拙く具体性に欠けていてごめんなさい。また機会があれば投稿します。保育現場の改善で子どもたちに丁寧に保育が行き届くことを願って。
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
某社が話題になっているピヨね。
中学の時の通信添削。簡単すぎて、すぐに別のところに乗り換えてしまったピヨけどね。
「某社の件、今、騒動になってるピヨね」という話の流れで、
定期的に会ってる昔からの友人とその後輩と、その話になったピヨよ。
そこで聞いたピヨ。
後輩ちゃんの友人に、校正や編集をフリーでしている人がいるピヨ。
その人は英語は大学受験で縁が切れましたという人で、当時25歳くらい。
人材派遣に登録して、編集職として、半年単位で職場を転々として、
サッカー年鑑や料理本のようなものを作ってきたんだそうだピヨ。
その人がある日紹介されたお仕事が、
というお仕事だったんだそうだピヨ。
そのフリーの編集ちゃんは、英語ができない自分につとまるのか不安ではあれども、
「中学生向けだから大丈夫」、「大学受験で英語やってれば大丈夫」
などという説明だったので、そのお仕事を受けることを決意したんだそうだピヨ。
お仕事内容は、看板商品の講座の増刊号的な? 学期末のまとめ、的な? 要するに、
教科書のレッスン1からレッスン3の要点をまとめて解説したプリントみたいなものピヨね、きっと。
中間試験対策の総復習WORK BOOKみたいなのが通信添削では送られてくるから、それかもしれないピヨ。
それを、ある教科書に対応する1年生用から3年生用まで、担当することになったピヨ。
もちろん、フリーの編集ちゃんはずっと英語から遠ざかっていたので、
「原稿の内容が間違っていないかどうか」を確認する、なんて能力はないピヨ。
たとえ中学生向けでも、英語は英語だから、簡単ではないピヨね。
というストレスがとても大きくて、
最終的に責任を持つ立場の社員さんは英語が得意だったようだとはいうものの、
求人の段階で「中学生への英語の指導経験必須」という条件があったわけでもなく、
フリーの編集ちゃんのような人でもわかるくらいに、英語教材としてダメそうだったのだそうだピヨ。
その例文が、全部同じだったという話だピヨ。
「例文が全部同じって、どういうことよ?」と後輩ちゃんに聞いたら、
「全部同じパターンだった」ということだピヨよ。
例えば
look after ~:I look after him.
ask ~ for …:I ask him for help.
ask ~ to do …:I ask him to do this.
具体性が全然ない例文の羅列。
フリーの編集ちゃんレベルでも「これは役に立たない」と即決できるレベルの駄教材だったピヨ。
「さすがに、こんな教材が子供に送られてきたら、自分ならクレームの電話入れますよ」
とハイボールを飲み干しながら言っていたのだけれど、その通りだと思うピヨ。
実際に、そんな教材が最終的に顧客の手に渡ったとは考えにくいのは確かであるにピヨ、
某社は、そんな風に作られた教材を平気で売ってたんだピヨね~。
というより、そんな風に教材を作らせていたんだピヨ。
・・・と、どんよりしたところで、お店がラストオーダーになったのでお開きになったピヨ。
フィクション終わり
布団から出られない程だった姉の鬱がやや寛解した頃、姉はシルバニアファミリーの人形でままごとをしはじめた。姉はシルバニアの赤ちゃんで、シルバニアファミリーの人形たちに世話される。シルバニアの人たちにミルクを貰ったり、「おしめ」を変えてもらったりしている。
俺たち家族も赤ちゃん返りに付き合わされていて、「うさぎのお姉さんからミルクもらったよ。スヤスヤ」みたいなLINEが昼間に飛んできて、「よかったねえ」とか返してる。虚無じゃないといえば嘘になる。
姉は認知症のようなものだと俺は思ってる。複雑な思考や状況に耐えうるだけの脳の能力が失われてて、残った脳の能力で体や意識を動かしてるから、幼児レベルに単純化したことしかできなくなってるんだ、と。
鬱になってから、姉は祖母にベッタリで、逆に両親の悪口をよく言うようになった。俺たちの親は離婚している。姉は特に問題なく平気そうに振る舞っていたが、実はずっと悲しかったんだろうな。親の離婚と受けたダメージについて、毎日、祖母に泣きついているらしい。ここがサビだから同じこと何度も言うけど許して、みたいなツイートをおもいだして、これが姉の人生のサビなのかとか思うと辛い。もっと楽しいこととかあったじゃんって。忘れちゃったんかね。
祖母が元気なうちはいいが、彼女もいつ倒れてもおかしくない年齢だ。そうすると姉は社会福祉施設か何かに行くしかないと思う。どんよりする。
酒は人類の友! しかしついつい仲良くしすぎて(飲み過ぎて)しまい、 翌日、どんより後悔!してしまいガチで悩んでいます。Lさんは酒の達人と伺っています。上手な付き合い方、秘訣を教えてください。
こいつは酒呑み連中にとってはいつだって切実な問題だな、と思ったね。そしてオレが長いこと追求してきたテーマでもある。それで、頑張って回答をぱたぱた書いてたらよ、いつのまにかぎょうさん長くなっちまったんで、マシュマロでこの場をかりてお答えさせてもらおうってわけだ。
くだんのお悩みについてはよ、自他ともに認める酒好きであるオレもそりゃあ長えこと悩んできたしな、対策も練ったし、言ってみりゃトライ&エラーを繰り返してきた。それで世の多くの呑み助諸氏――ここは可愛くそう呼んでおきましょうぜ――も多かれ少なかれ、長え歴史の中でこの手の悩みと向き合い、敗れてきたにちがいねえ。
それで酔い、もとい良い機会だからな、オレなりの「酒との付き合い方」ちゅうもんを一気呵成に記してやろうと思ってな。何せおよそ20年近く「呑み助」として歩んで来たオレの長年のノウハウを一挙に列挙するからよ、いささか長回答になっちまうかもしれねえが、最後まで付き合ってくれ。損はさせねえからニャオ。じゃあ行くぜ。
あんたが普段、どの程度お酒をきこしめしていらっしゃるのかオレニャアさっぱり判らねえけどな、まずオレに関して言えば、ほぼ毎日呑んでる。わかるか? 毎日よ。だからな、「翌日にどんより後悔するほど」呑んじまうと、「翌日は呑めず」ちゅう由々しき事態を招いちまうわけだ。厳格な酒徒たるオレにとって、こいつはちょっとぞっとしねえ。まずあんたと酒子ちゃんの「目的」をしっかと見定めることが大切だとオレは言いたい。もし酒子ちゃんと週末だけの深い付き合いをしてえなら、恥も外聞も気にせずべったり一緒にいて、周りの連中が引くくらい仲良くしてりゃあいい。翌日ベッドから起き上がれなくなるくらいイチャイチャすりゃあいい。
かく言うオレにもそんなような時代があった。ただ、それは酒子ちゃんとウィークエンド・ラバーだった頃の話な。酒子ちゃんと毎日上手に付きあうんだったら、「どんだけ愛しあっても、最後の一線はけっして崩さねえ」。そんなジェントルなスタンスが求められるわけよ。似合わねえ? だよな。でも、これも酒子ちゃんをこよなく愛してやまねえからこそってもんよ。
だからな、あんたにゃ、翌日も新鮮な気持ちで愛しあえるギリギリの交わりっつーか、アッチッチ!の限界で自分らにストップ!かける客観性ちゅうの? 節度ちゅうの? そういうのが必要よ。あんたもご存知の通り、酒子ちゃんはいつだって付き合い始めの恋人なみにアッツアツで依存性の高えやつだからな、そりゃあ、それなりの意思の力が必要だろうよ。けどな、とにかく酒子ちゃんといちゃついてる時、常にあんたが念頭に置くべきことは「明日もこいつと新鮮な気持ちで愛し合えるか?」だぜ。忘れんな。
てめえの酒量リミットをおおまかにでも見定めておくことはめっちゃ大事だ。オレだってそれほど酒に強いわけじゃねえが――とりま、「3杯」がひとつの目安になっちょん。
こいつぁつまり、ビールなら小瓶1本(350ml)。日本酒なら徳利1本(180ml)。ワインならグラス1杯(180m)。おっと、ワインバーなんかでは1杯120mlが標準的らしいがな。まったくケチケチしてやがる。焼酎なら90ml、ウィスキーやウォッカならワンショット(45ml)を「1杯」ってことにしてな、「3杯」を1日に呑むリミットにしてるってことよ。や、あくまで「おおまか」だからな、実際にゃあこれより下回ることも上回ることも時々あるけどよ(や、たいてい上回っているか……)。
もちろん、「適切な酒量」ちゅうのはその日のあんたの健康状態によっても変わってくるからな――オレは専門医じゃねえんだからそこまで言わせんなよ――そのあたりはてめえの身体と相談しながらきこしめしてくれ。1週間程度、てめえの呑んだ酒の量と翌朝の体調のメモなんかつけてみると判りやすいかもしれん。オレはマメじゃねえから、そんなチンケなこたぁしねえが。
ただなあ、「おいおい、呑む時にいちいち酒の量を量ったり、自分を見張ってたらせっかくの酒がまずくならあ!」あんただって思うよな。実はオレもそう思ってる。だから酒の量にそこまで厳密になんなくても翌日に酔いを持ち越さずに済むテクニックをさらに5つばかり教えてやるから、両耳の穴かっぽじってよく聞け。
酒の合間合間で水を摂ることを心がける。よく聞く話? だよな。でもな、わかっていながらなかなかできねえ。だろ? でもな、日本酒だの蒸留酒だのをたっぷり呑む際はチェイサー(日本酒専門店では「和らぎ水」とか言うらしい)必須だぜ。ためしに今日から1杯(1合)につき、コップ1杯(約120ml)の水を飲んでみい。
とはいえ、こいつもかっちり決める必要はねえよ。酒席で、傍らにコップ1杯、あるいはペットボトル1本の水を置いておくことを意識するだけでも翌朝の目覚めがだいぶん変わってくるって話よ。べつに水道水でもいいっちゃあいいけど、ミネラルウォーターやら浄水器通した系の水だとなお効果が高いとオレは思うが、まあ錯覚かもしれねえ。まあ、とにかく酒を呑むならちょっとでいいから水飲め。忘れんな。
「あて」を取りながら呑め。これも昔から推奨されてきた呑み方だ。だがなあ……。
かねてより、酒呑みは呑む時は召し上がらないものと相場が決まってんだ。たしかにオレも究極的には「酒のみ」で頂くのがやっぱ本来的に感じる。それがもっとも美味しく呑めるっちゅう酒呑みはけっして少なくねえだろう。
だがな、ポン酒なら冷奴か焼き味噌(旨い焼き味噌とポン酒の組み合わせはカクベツなんだよ)、ワインならオリーブかチーズ(旨いチーズとワインの組み合わせはカクベツなんだよ)ウィスキーにナッツかドライフルーツ(焼酎なら梅干し所望!)くらいは率先して摂ってもらいてえ。もし家で呑んでて冷蔵庫空っぽなら、呑む前に茶碗1杯のコメ食っとくだけでも、身体に良いって聞くぜ。故・杉浦日向子女史もエッセイで「呑む前の赤だしとおむすび」を薦めてたから間違いねえ。
さて、こいつぁ余談だが――かつてのオレがすっげえ衝撃を受けたのは、早朝、まだ何も食ってねえ状態で果物を「あて」にして飲むワイン。これな。無論、オレら庶民にはそうそう簡単にできることじゃねえ。が、何といってもこの呑み方はワインと果物の味を30倍くらい引き立ててくれんだよ。たぶん起き抜けの舌が1日でもっとも敏感っちゅうこともあるんだろう。ワイン通の洒落たダチに教えてもらってよ、初めて試した時――たしかニュージーランド産のピノなんとかと林檎と白葡萄だったな――、あまりの美味しさに全身の肌が粟立った。あれは忘れらんねえ。
これがオレが個人的にもっとも強調してえ方策かもしれん。ここでいう「ながら」ってのは、飲み食い以外の行為よ。つまり、テレビやらDVDやら見たり、本を開いたり、スマホいじったり、誰かとくっちゃべることも無論含むからな。
あんたのお家、それか居酒屋のカウンターかバーで黙って、酒(とあて)のみと対峙して呑め。そやって呑んでりゃあ、どんくらいの量の酒がどんなふうにてめえに働きかけてんのか、また、どこで許容量を超えちまったのか、バッチリ掴めっから。
オレは時おり、自室で目え瞑って耳栓してな、座禅組むんよ。そんで傍らに酒を置いて呑む――そういう時ぁたいていポン酒だな。一番サマになるからよ――そういうことをやる。酒とてめえ以外のイッサイガッサイを遮断した状態で呑んでると(たいてい3合で眠くなって横になっちまうけどな)、次の日に二日酔いになることはだいぶん少なくなる。まちがいねえ。
ただ誤解すんなよ、オレだって酒を飲みながらダチと話したりよ、音楽聴くのも嫌いじゃねえっちゅうか大好きだからな、いつだってそうやってストイックに酒呑んでるわけじゃねえ。オレの場合、心を許した相手との酒で二日酔いになるのは全然かまわねえ。だがな、気の合わない相手とどうにかこうにかやりすごすために無理に酒食らった翌日はな、きまってそりゃもう粘り気あるイヤーな二日酔いになるね。こんなことだったら、1人で座禅組んで呑んでりゃよかった……って心底思うわ。酒の量とは無関係に「居心地良い状態で呑む」ってのは呑み助にとってもっとも大切なんよ。こいつはしっかり胸に刻み込んでおけ。
「チャンポン(判ると思うが、違う種類の酒をいちどきに呑むことな。ワイン飲んだ後、テキーラ食らって、チェイサーにコロナ飲んでジントニック飲んで……みたいなやつ)すると二日酔いになりやすい」っつう俗説がまかり通ってるが、信憑性あると思うか?
オレの長年の経験から言うと、めっちゃあるある思うね。科学的コンキョは寡聞にしてよく知らねえが、チャンポン呑み、これは全くお薦めできねえ。たしかに酷い二日酔いを招いてきたし、酔いが良い心地じゃねえのよ。なんでかって?
以下、オレの仮説っちゅうか思いこみなんで適当に流してくれ。
「酒」っちゅうのは「酒」っちゅう名称でひと括りにされてるが、同じ「酒」でも原材料によって、造り方によって、産地によって、「酒精の質」なるもんが異なるんよ。たとえばな、アルコール14℃のシャルドネの白ワインと、同じくアルコール14℃の山田錦で造った純米酒じゃあ、同じ「アルコール」で同じ度数でも、体感じゃまったく別もんに感じる。もちろんテキーラとウィスキーも違えし、ラムとビールも然り。それぞれの原料が、産地が、造り方(造り手)が、それぞれ全く別の酒精を生み出す。これって考えてみりゃ当たり前だよな。イヌだって同じ形してるけど、イヌそれぞれ全然まったく違うだろ。
でな、異なった酒精は体内で喧嘩する。たとえば、ビールの酒精とテキーラの酒精と日本酒の酒精とジンの酒精が戦ったらどうなる? そりゃあもぉ、てんやわんやの大戦場、翌日は「二日酔い」っちゅう名の凄惨たる祭りの後ですわ。
それを知ってるからか? アイルランドの生粋の呑み助たちわな、週末にパブで過ごす時、最初から最後まで同じ酒を飲む方が多いんだってよ。1杯目にギネスを飲んだららその晩はひたすらギネス。アイリッシュ・ウィスキーで始めたら、水で割ったり、氷を加えることはあっても、ラムやテキーラに切り替えることは決してしねえ。たぶん酒精に喧嘩されたくないからだろうよ。
まあ、そこまでは極端としてもな、全然別種の酒を混ぜ合わせて作る「カクテル」ちゅう飲みもの……あれはぜってえ良くねえわ。うら若き男女が速やかに効率良く酔っぱらうためには最適かもしれんが、翌朝の安全は全く保証しねえからくれぐれも用心せい。ちなみにオレは自慢じゃねえが、バーでもジントニックとかハイボールみたいな単一酒で作ったカクテル以外は呑まねえようにしてる。だいいち、あれこれ混ぜたもんはそれほど旨くねえし、これまでさんざん痛い目に合ってきたからよ。
繰り返しになるが、お前さんが長く、二日酔いにならないようにして呑み続けたいなら、同じ種の酒をじっくり呑め。せいぜい冷たいビールを1杯飲んだら、後はポン酒ならポン酒、葡萄酒なら葡萄酒、芋焼酎なら芋焼酎だけを浮気せずに呑め。飽きたらその日は杯を置け。わかったか。わかったな。
オレぁ葡萄酒とポン酒が大好きなんだが、スペインのテンプラリーニョだったかニーリョだったか、あとカヴェルネ・ソーヴィニヨンちゅう品種がどしても身体に合わなくてな、2杯もかっ食らうとヘロヘロになっちまう(カクテル同様、手っ取り早く酔うには良いだろうが)。他方(って言葉をいっぺん使ってみたかったんよ)、ボジョレーヌーボーに使われるガメイやピノなんちゃらだとな、てめえ1人でボトル1本開けてもまだ呑める感じするんよ。ポン酒だと、兵庫の「山田錦」ちゅう米で造った純米酒が身体に滲み入る感じがすんだな。
酒にはだな、飲み手との「相性」なるもんが確実に存在する。もちろん、その相性は人それぞれ違う。じゃあどうやって相性を見極めれば良いのか?
教えてやる。
「人」と同じよ。呑んでて、あんたの身体にすぅっと滲み渡るような、どっしり落ち着くような、きゃっきゃ喜んでいるような感じのする酒、それがあんたに合う酒だ。逆に相性が良くなきゃ、口に入れると違和感っちゅうの? ヘンな感じの後、しばらくして身体が拒否反応(とまではいかなくても不快感)を示すだろうよ。相性の良い酒でありゃあ、いつまでだって呑んでいることができる、いや、実際にはできねえだろうが、できるような感じすんだよ。
まとめるとだな、この世にそりゃもぉたくさんさんさん在る酒ん中から手前の心と身体にぴたりと合う酒を見つけることができりゃあ、そいつを自宅で呑む、またはそいつを出してくれる、ありがてえ店を見つけることができりゃあ、結果、二日酔いの頻度を減らすことができるだろう。
そのためにも数多くのポン酒を、色んな品種の葡萄酒を試してみようぜ。高価な酒を買う必要はまったくねえ。たしかにワインの場合、値段と品質はかなり比例するらしいが、高えからと言って、あんたとの相性が良いとは限らねえからな。オレだって高級ワインでひでえ二日酔いになって、旨安ワインで翌朝すっきりちゅうことはぎょうさんある。
あと、どっかの店で飲む場合、めんこい店員ちゃんだのソムリエさんだのに薦められたからって、合わねえ酒を無理に飲む必要はないからな。これも勉強と思ってだな、「すみません、ちょっと口に合いませんでした」とか何とか言って思いきり残しちまえばいい。店の人だってその方が勉強になるんよ。あんたに合う酒はだな、まるで一目ぼれのように(一目惚れ、したことあるよな?)「これだ!」って判んだろう。あんたの人生は、あんたの酒子と巡り合うための旅だと思って飲食店を巡って、酒屋で買って、自宅でも店でも、呑んだ酒とてめえの相性を毎回つぶさに観察してみろ。自分を大五郎、じゃねえ、伸二郎、じゃねえ、信じろ。
ありゃりゃ、やったら長くなっちまったな。。こりゃ誰も最後まで読まんだろうな。まあ、酒呑みのオレにとっては普遍的かつ切実なテーマだったから、しゃあねえ。
そんで、こんだけ偉そうなことをたっぷり記しときながら、オレとしたことが、今夜はいささか呑みすぎちまったらしい……明日は久しぶりの二日酔いだろうよ。これもまあ、しゃあねえ。酒呑みの定めちゅうもんよ。
さて、これからはあんたが翌日の二日酔いとはなるべく無縁の快い酒徒人生を送れますように! 心からそう祈ってるぜ。じゃあオレぁ酔っ払いついでに台所でもう1杯きこしめしてくるからな。あばよっと
雨 雨 雨
今週末もま~~~た雨予報。
先月、出掛けるたびに雨だったんだが。
今月も出掛ける日に限って雨なんだが。
ずっと晴れてろとは言わない。
せめてずっと曇っててくれ。
いやいやなんで土日に限って雨なのよ。
しかも土日どっちか出掛けるって日に限って、出かけない方は雨降らないんだよ、なんなの。
ここまで書いて察しの良い人はお気づきだろう。
中学の修学旅行で雨に降られて、そんな状態なのに山登った(靴が死んだ)
高校の文化祭は前日に台風がぶつかって準備出来るかどうかの瀬戸際だった(チャリが滑ってこけたしんどい)
身内の一周忌でなぜか雹が降ってきた、痛かった(これ私のせいじゃない気がする)
今年行った時も雨降ってたよ。雨用のパレードやってたよ。正直何回も見てるよ、もういいよ。
友達にも雨女認識されてるから、「もう慣れた」って言われたよ。
ごめんな、傘持ち歩くの面倒だよね。でも恨まないで欲しい。
しかもさ、こういう記憶って晴の時より雨の時の方が覚えてるんだよね。
絶対いい天気の日に行ったとことかあるはずなのに、どんよりした時ばっかり覚えてるのは私が喪女だからなのだろうか。
明日は晴れてくれ、頼むから。なんで日曜日は曇り予報なのに明日は雨予報なんだ。
しかも昼間あーんな晴れてるのになんでなのほんとなんなの。
明けたところで雨女の戦いは終わらないけど。
7/21追記
ダム行って救世主になれるって行ってくれた人いたけど、雨女はな…自分の楽しみな事とかそういう時ばっかり雨なんですよ………。
ただ増田は翻訳ものにあまり慣れてない気がする。おまけにSFだと専門用語が出てくるしそこからストーリーが発展してくんだから、想像するのが余計に大変なんだと思う。
だからいきなり長編を読むよりも、短編を読んだほうがいいと思うよ。いろいろな作品を味わえるし。
アシモフの「われはロボット」とか超有名な古典にして基本だけど、やっぱりすごく面白いよ。ロボット開発の歴史で幾度も訪れた難問をロジカルに解決していくミステリ的な展開、そこに人間の思惑や感情がささやかに絡んでいくのが飽きさせない。
ディックの短編集は、特有の暗さと自己の認識が揺らぐ不安がすごくてどんよりした気分になれる。映画原作も多いので、映画との違いを楽しむのもいい。
技術寄りのSFとは違うけど、ブラッドベリの「火星年代記」とか「ウは宇宙船のウ」は抒情的で詩的な文体がすごく読みやすい。科学が発達した世界で描かれる感傷的なストーリーが甘く胸に刺さる。ファンタジーやホラー系の短編も多い。
あと、有名作を扱ったアンソロジーを読むと、いろんな作家の作品やアイディアを読めてお得。有名なのだと「冷たい方程式」とか。
タイムトラベルやスペースオペラ、ホラーなど特定のテーマごとに選んだ本も多いので、好みにあった作品を探すこともできる。
夏への扉がぴんとこなくても、それこそ「時の娘 ロマンティック時間SF傑作選」なんてアンソロジーまであるし、古典的な恋愛SFのよさはこっちの方が堪能できるかも。
自分は毎日仕事から帰ると欠かさず風呂に入るまでの2時間程度+風呂から上がってから寝るまでの1時間 ネットサーフィンをする生活を続けていた
大学生の頃はそれでも問題なかった いや、本当は体調が悪くなってたのかもしれないけど
気分がどんよりして頭が朝起きてもスッキリしない。物忘れが激しくなって仕事にも支障をきたしている
ネットサーフィンを意図的に断ち切った日を作ってみたが本当に心がすっきりした。でもその次の日ネットサーフィンを再開したらもとに戻った
ネットサーフィンをしてる時焦燥感みたいな感じがしていて、急き立てられて次々にウェブページを開き文章を斜め読みしタブを同時展開する。
こんな作業を何時間も仕事の後の本来リラックスすべき時間に行っているわけである。冷静に考えれば
でもマインドフルネスに関する本を読んで、たとえ本人が楽しいと思っていることでも頭がタスクに専有されてる限り脳はエネルギーを消費し続ける
その結果頭は休まらないということを知った
そもそも根本的な問として本当に楽しんでるかといえば、実はそうじゃない。炎上ネタに勝手に憤るのが癖になってるだけなんだ 自分の場合
引きこもりの連続殺傷事件に憤ったり、企業のブラック広告に憤ったり、年金問題に憤ったり、といったことに大半の時間を使ってる
脳科学的には怒ることはすごく脳のエネルギーを浪費する行為らしい
ネットサーフィンで食べ物の歴史を調べるとか、好きなミュージシャンの音楽を聴くとか、そういうことはいいんだ
問題は2chとかTwitterとか、ニュースサイトとか、そのへんなんだ
それに気づいてからネットサーフィン絶ちをしている。具体的には、上記のサイトは開かない。ネットは必要な情報を調べることか、ブログなどのアウトプットだけに利用を限定することを決めた
いまのところ、すごく体調がいい。ネットサーフィンが終わった後にも胃もたれみたいに持続する怒り感がなくなったし
頭を常に一杯にしないと気がすまない焦燥感も薄れてぼーっとしてられる