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2024-10-17

実習のあるセミナーなんかせこない?

数日がかりのセミナーというか講習であるはいいんだけど

4時間とかのセミナーで2時間グループ演習みたいになってるのなんか姑息さを感じる

グループ単位フィードバックもあることを考えると

前説明30分 演習2時間 自チームフィードバック15分 がいいとこ。

講師挨拶で30分捨てて、他チームの話で30分捨ててって感じだし

凄い中身薄く感じる

教員辞めたい

クソボケ ガキが舐めやがって

殴りたい

殺すぞ

今の中高生コロナ禍で「風邪症状(咳鼻水頭痛)が出たら即帰宅」という学校の回し方を覚えてしまったのでウィズコロナ世界になってもちょっとしたことですぐ休む

休むだけなら教室はいいか無視できるし楽

学校に来てから甘えたこと言ってる奴が本当にだるい

やる気がない→倦怠感として休むことを正当化してる

うんうんそっか〜今日は元気でないんだね、じゃあ何もしなくていいよ

みたいな対応教員に求めている

教員教員で、デカい声で叱ると体罰になるので下手な行動ができない ムカついても我慢 やっぱりある程度いうこと聞かせるためには殴ったり怒鳴ったりは必要だよなーなんて思いながら

ただ侮られてヘラヘラデカい声で授業を演じる道化みたいな仕事

偏差値指導困難校はグリストラップ

高校生の時スーパー惣菜コーナーでバイトしてて、締めのシフトに入った日は必ずグリストラップ掃除をさせられてた。

普通に考えて社員か、成人済みのパートがやるべき仕事だろう

危険だし

幸い落ちたことはないけど

今も対象ゴミからガキに変わっただけでやってること変わらん

どうしようもないどこにも入れない、出ても何もできない奴らをとりあえず三年入れとく箱

誰も希望を持って働いてない

少子化ってすごいぞ

かつて中堅レベルだった学校も今やカスの寄せ集め

10年足らずで1学年のクラス数が半分に!

教師という仕事若い学生のパワー溢れる毎日を間近で見て、そのエネルギーを少し分けてもらいながら光で目をつぶしてやりすごす仕事だと思ってたけど

だれも希望がない衰退していくだけの、勉強できない親からまれ勉強できない子供がずっとループしてる地方ではどうしても成り立たないよ


ということを思って一度退職したのだが普通に教員不足だし、知り合いに懇願されまた講師として現場に戻ってきてしまった

とりあえず三月までやり過ごして、また辞めるぞ!

今日も生徒を殺さずに済みました。ありがとうございます

氷河期世代悲惨さがわかるドラマ

彼女たちの時代(1999年)

エリート会社員だった佐伯啓介(椎名桔平)が子会社営業会社に飛ばされ、その子会社が潰れて親会社に戻ると追い出し部屋で一日中放置される。

受講者同士を罵倒させる怪しい外部研修強制される。最終的に壊れて退社。

 

夢のカリフォルニア(2002年)

同窓会後に20代の男女4人で意気投合し母校に屋上に。ここから恋愛に発展するパターンかと思いきや、同級生男は世の中に絶望していきなり目の前で自〇する。

最終回は、主人公山崎終(堂本剛)がブラックっぽい飛び込み営業会社で頑張るぞで終わる。

 

白線流し(1996年2005年)

七倉園子(酒井美紀)は早稲田大学卒業後、小さな出版社アルバイト。その後、臨時講師。最終的には教員採用試験合格

 

今考えるとかなり酷い内容。「彼女たちの時代」とか今の若い世代からすると戦争映画みたいな遠くの出来事に見えるんじゃないだろうか。

他に何か氷河期象徴するドラマあったら教えて下さい。

(追記)

みなさま、ブックマークコメントや返信頂きありがとうございます

氷河期世代悲惨さがわかるドラマ

彼女たちの時代(1999年)

エリート会社員だった佐伯啓介(椎名桔平)が子会社営業会社に飛ばされ、その子会社が潰れて親会社に戻ると追い出し部屋で一日中放置される。

 

夢のカリフォルニア(2002年)

同窓会後に男女4人で意気投合し母校に屋上に。ここから恋愛に発展するパターンかと思いきや、一話最後同級生男が絶望していきなり自〇する。

最終回は、主人公山崎終(堂本剛)は最後ブラックっぽい飛び込み営業会社で頑張るぞで終わる。

 

白線流し(1996年2005年)

七倉園子(酒井美紀)は早稲田大学卒業後、小さな出版社アルバイト。その後、臨時講師。最終的には教員採用試験合格

 

今考えるとかなり酷い。「彼女たちの時代」とか今の若い世代からすると戦争映画みたいな遠くの出来事に見えるんじゃないだろうか。

他に何か氷河期象徴するドラマあったら教えて下さい。

2024-10-16

結局、地獄メカニカルトレーニングひたすらやれよ、みたいな話なんだよな

YouTubeダラダラ観て、ショート動画の助言聞いたり、聴き取れない耳コピしたり、タブ譜なぞったり、キリがないし、なんかやり切ったって感じにならない

年齢がバレるけど、例えば大学受験だったら、鉄則シリーズをひたすら読み返したりとかしてたけど、まあ、それでも結果は散々だったけど、

あー、受験ときもそうだな、参考書やたら買ってしまって、移り気でフラフラしてしまったりして、なんかどの本かに真理が書いてないか、というか、

要は楽して結論を欲しているからそうなるんであって、受験と同じで、結局は少ない参考書をひたすら繰り返しやれよ、教科書をすべて覚えろよ、という結論になるんだよな、

高校受験で学年中の下から、3年の1年で県のトップクラスにまで行けたのも、自己流を滅して、入った塾のカリキュラムだけに従ったか

途中で欲を出して、都内の塾とか難題出す通信とか取り入れて失敗した、あれも余計だったと思うけど、学校トップクラスになったら、もっと上に行きたくなるんだよな

まあ、大学受験でまた叩き落されるんだけどさ、お山の大将全国大会になるんだから、そりゃ誰だって順位偏差値も下がるわな

過去に戻って自分に言えるなら、いちいちそんなこと当たり前なんだから動揺するな、と言いたい

結局、ギターも同じなんだよな

個人競技スポーツとか受験勉強に似ている、速弾きとかスウィープ筋トレみたいなもんだってプロギタリストはみんな言うし、

それを信じて、ろくにギター弾けないけど、スウィープ練習だけは長年続けてきたりしていた、今は癖レベルになってる

イングヴェイインタビュー中に手持ち無沙汰で似たようなことやってたから、そういうもんなんだろう

しかし、インターネット時代ネットは広大だわ自分の想定していたスウィープよりもレベルが高い、超変態的なプレイである、どうやって弾くんだこれ?

いずれにせよ、少ない決められた教則本参考書みたいにひたすら繰り返しやれ、隅々までやれ、まずはそれからだろ、ということなんだろう

受験と同じだ、短距離と同じだ

あんまり中途半端な興味しかないのに、プリキュアの曲を全曲耳コピしてみようかと思ったり、そういうの無駄だ、自分はそこまでプリキュアきじゃない

好きでもない曲をやるってのは、あんまりモチベーションがわかないものなんだな

売れてるって曲をひたすら流してみて、ギターコードぐらい探ってみて、意外と面白いなぁ、と思うこともあるけど、なんかこの人、全部同じコード進行じゃね?つまんなくね?みたいなのも売れてるし、

でも、同じコード進行だろうが、当然メロディーは異なるし、演奏とか、録音というか、総合的なプロレベルがそれを支えている、というのはある、それは勉強になるけど、

自分が今求めてること、やるべきことはそういうことじゃないだろ、人前で恥ずかしくないレベルは弾けるようになること、楽譜もっと苦なく書けるようになること

しかし、YouTubeプロ?のピアニスト初見でいきなり流行曲を演奏させるネタをやってる人がいるけど、あー、初見でいきなりあのレベルが弾ける人っているんだな、そういうもんなんだな

ヤマハ音楽講師試験でも初見演奏ってあった気がするけど、過去問みたいなの大分昔に見たけど自分には無理だった

曲を先に聴いてから楽譜タブ譜を読むことはできるけど、楽譜タブ譜から曲を想像するということが俺には未だにできない

上記の人は転調も頻繁にある複雑な曲をいきなり演奏できてるし、そうは言いつつも初音ミクの曲は嫌い、複雑だから、みたいに言っていて、

まあ、打ち込みだから可能なんで、手で演奏する人泣かせなのはよく分かるけど、それでもこなちゃうんだよな、スゲーは、俺にはこのまま死ぬまで無理だと思うわ

2024-10-15

意味不明メールがきました

意味不明メールがきました。

私の公開されている役職所属は明記しているので目を通しました。

しかし、この団体がなんなのかも、よくわからず、文章意味不明

なんの反応求めているのかもわからりません。

誰か同じく困っている人のために、記録として残しておこうと思います

おかしな点は

メールアドレスの名前と本文の名前が別人、一応団体関係者として名前はあがってくる。

NPO登録はいくつかの地域でしているらしい

https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/013090379

•住所は閉業とグーグルマップには書かれている

ホームページは閉鎖している様子

•ぶしつけどころか、目的も何をして欲しいのかも不明

大神氏はいるようですが、リンクを踏むと履歴がつくので、未確認

https://jp.linkedin.com/in/%E6%83%9F%E7%85%A7-%E5%A4%A7%E7%A5%9E-7a5071101

新手の迷惑メールかどっかの偏った団体なのか謎が深まりますので、ご存知の方いらっしゃいましたらコメントお願いしま

-------------------------------

XXXXXXX様    

岡山市北区今一丁目12番110号

日本人擁護協会 理事 大神 惟照

07.05.15.oga@gmail.com 

不躾ながら用件のみにて

1 電子カルテ運用について

(1) A病院では、不都合な部分は削除、訂正記録は残さない。

(2) さらに、記録の書き換えを行う。

(3) 書き換えは、長年行われている。 

 

2 庇い合いのリスク

(1) レントゲン写真! 真面に撮影が出来ない・読影も出来ない、整形外科開業医

(2) 一時的! と庇い合いに応じたところ、逃れられなくなった、臨床教授。  

(3) (先医の診断に差し障らないよう?) 軽い症状のみを記録した、整形外科医。

(4) 精査せず! 原因が分からない。不定愁訴説明する、総合内科医

(5) 症状と一致する! 脱臼等のCT画像。異常はないと説明する、整形外科医。

(6) (犯罪! も厭わずMRI検査画像を加工・捏造する、放射線科

(7) (異常個所飛ばしや差替えられた)捏造画像に沿った所見を書く、読影医。

(8) 捏造画像を示して、異常はないと説明する、主治医

(9) 診療情報提供書虚偽記載して、適切な診療妨害する、主治医

(10) (紹介医が提供矛盾だらけの情報に、診療検査)を拒否した、准教授

(11) 上司講師)の診断に異を唱えられず、患者を真面に見られない、医局員。 

(12) 一部のみ記録する、歯科教授

3 Selected People

整形外科開業医私立病院脊椎脊髄外科医1名、公立病院神経内科病院教授

名・同整形外科医2名・同放射線科医3名・同検査技師・同事務職員、私立大学

整形外科准教授国立大学整形外科講師・同歯科教授の、合計10数名。

以上

挨拶

 ご多忙と重々承知しておりますが、患者を慮れない利己環境は「一部の方々の

こと」としても、「意図的患者人生を狂わせた」ことは看過できません。

本例は、「こんなことはもう止めませんか、先生も嫌でしょう」との問いかけに  

別に嫌じゃあないよ。世の中、こんなもんじゃろぅ」と平然と答えられました。

そこに、「倫理観はなく、リスク意識も無い、社会性も欠如と、完全に社会を見誤

っている。(医療界の常識?)社会全体に押し付けている」と感じ、驚愕しました。

と言うのも、大多数の国民は「健全社会を望み、健全であろうと努力し、自身

は本より家族を守るためであっても、一定ルールの下に防御」しています。 

ところが、上記2の各項は本来許された防御を著しく逸脱。根源とみられる「庇

い合い」は、当該医師の「逃げ場を奪い」一種の「人格崩壊状態を強いるもの」で

あり、一方患者に対しては「非人道的扱い」となるため、如何なる理由があっても

医業倫理鑑みるまでもなく、人として許される行為ではない。

そもそもレントゲンさえ真面に撮影読影できない開業医に「庇い合いの下に

地域医療全体のレベルを合わせざるを得ない環境非道」と言え、患者のみならず

あたら多くの優秀な方々の将来を失い兼ねない状況を見るにつけ「忍びない」との

いから、選ばれし方々を「見捨てはしないだろう」「暫時猶予を」と、地域医療

リーダーである教育者の方に「庇い合いとは補い合うこと」との「解釈変更の先

導に期待を込め、自浄作用を期待、患者ファーストを切望」。正面から向き合う日

が来た旨をお伝えすべく、耳障りとは承知の上でご連絡しています(悪しからず)。

 それに、可能であれば、この度選ばれし方々が犠牲にならないよう願っています

が、そのためには医療者の、とりわけ影響力の大きい教育者の方々のご尽力は不可

欠! と考えます

 慣習から深く考えず。成り行きから拒否できない状態におかれ、気が付くと犯罪

行為まで・・・犯してしまった方々に犠牲になっていただくのか。この場合、ご家

族も巻き込まれることになるのではと懸念され、とりわけ人生経験の少ない子供

にとっては将来を左右する程の出来事になろうことか想像に難くなく、犠牲者が生

まれようとも変わることはないのか。あるいは、犠牲者を出す前に変わる・変える

ことが出来るのか、全ては医療者の覚悟次第と言えます

 上記のとおりですから、この度を以って「二度と犠牲者を生まない、望ましい庇

い合いのスタイル確立されるべきではないか」等々・・・期待させてください。

なお、方々については(より良い社会を作るために・・・)「各界各層のご意見

をお聞きした上で判断を」と考えており、忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。

以上

2024-10-12

何故女湯に若い女性や幼い女児小中学生女子がいない前提なの?

なぜ女湯の話に現役のおじさんが口を挟むの?

この前高3の息子に聞いたら

「4歳くらいで俺は男の子だぞ!と思ってたからやっぱ3歳までじゃないかな、6歳はダメでしょ」と言ってたよ、おじさんの意見より貴重だよね

プロフ映画と本を愛するオタクᥫᩣ ̖́-𓂃❁⃘𓈒𓏸幼児教育講師&児童福祉施設職員 子ども権利児童福祉についてもつぶやきます✨人の性別は変えられない【男は男で女は女】フォロー外通知OFF

ネット活動家おばさんやってるような親の意見に反発したら、ボロクソに言われて不機嫌になるのが見え見えだよね。

から親の前では良い子のフリして親の思想まんまの回答するんだよね。毒親子ども自分コピーにしちゃうようなタイプ

本人は自覚がなさそうで哀れ

仕事上で「了解しました」って使ったらダメなの?

何がいけないの?

また謎のマナー講師勝手ルール作ってない?

2024-10-11

anond:20241011230703

塾の講師でもやったら?

数学って準備要らんので楽だよね。

あーーー、レスバゴミオジ溺泉(レスバゴミオジニーチュアン)に落ちてしまた!

レスバゴミオジ溺泉(レスバゴミオジニーチュアン)は6年前、福岡IT講師が刺されたいう悲劇伝説があるのだよ。

以来ここで溺れた者、皆...レスバゴミオジになてしま呪いサイト!!

2024-10-07

学歴だいじだった

専門性の高い職業についている。

自分出身大学は一応地域最高峰大学

俺は現在職業に満足しているが、別にその大学を出たことにあまり意味はない。同業者には高卒・専門卒も多くて、学歴ほとんど重視されていない。親父は「◯◯大まで出したのにもったいない」と言ったが。

自分自身、大学で学んだことが全く無駄だったとは思っていないけど、親父が期待した方面には進まなかったことを申し訳ないとは思うし、学歴の持ち腐れだと思っていた。

ところが。

ところがだよ。地元の中堅大にモロに俺の専門の学部が創設されて、取引先の紹介からトントン拍子に講師採用されたんだよ。大学教員採用がこんな簡単なんか?と思うほど仕事の実績と面接であっさり決まってしまった。学士しか持ってねえのよ俺は。

種明かしすると、その中堅大の教授陣がほぼ全員自分と同じ大学出身だったんだよね。

学閥やんけ!!!!!!

いやーあの大学出ててよかった。サンキュー親父。

「いたします」の呪い

「失礼します」を「失礼いたします」、「お送りします」を「お送りいたします」…

とある世代より若い日本人は、「します」より「いたします」のほうが丁寧であるという印象をもっているように思える。

敬語文法的には、「します」でも全く問題ないはずだ。ただ、目上の人にしますだけだと、なんとなく敬意を欠いてる気がするので、「いたします」にしてしまう。まさに呪いだ。

実は俺は自分がどこでこの呪いにかかったかは覚えている。マナー講師テレビで「『します』は失礼。『いたします』を使いましょう」と言っていたことだ。ちょうど就活の時期だったので、そういう部分に敏感だったのもあいまって、まんまと俺はその呪いにかかった。そして15年以上たった今も解けていない。

他の日本人はどこでこの呪いにかかったのだろうか。教えてもらえるとありがたい。よろしくお願いいたします。

2024-10-04

マナー講師批判するなら「正しい箸の持ち方」これに切り込まないと

新幹線上座とかしょうもない枝葉の末節みたいなマナーじゃなくて最強の千代田区一丁目一番地本丸セントラルドグマに乗り込まなきゃだめだろ。

だいたいあの正しい箸の持ち方はそもそも突き詰めると全く正しくない。

というかなんなの?あの中指の「添え感」。

無駄すぎる。洗練されてない。

箸なんか突き詰めれば道具なんだし道具としての効率性を追求してこそ美しさが際立ってくるのを全く分かってない。

道具としての箸とはなにかといえば対象の正確な把持・移動を目的としたピッキングツールなわけ。

まりその真の正しさはエンドウ豆を皿から皿へとうつタイムしか決められないってこと。

究極的には薬指と中指をそれぞれ箸にぴったりとつけて各指の延長線として箸を使うほうが断然エイ改善する。

これは「道具とは何か、それは身体の延長である」という道具の本質テキストブック無しで辿り着ける者であれば自ずと到達する解。

ただしゲーマーコントローラーの持ち方やキーアサイン我流を持つのと一緒でそれぞれの究極を追求する者たちにとっての究極の持ち方が存在する。

ここでは道具とは効率を追求するものであるという本質が優先する。

いずれにせよ戦場では効率こそが美しさを決定する。マナー講師が言う見かけ上の所作の美しさみたいなのは戦場では全く役に立たない。

まあ批判すべきマナーとしては「包丁ねこの手」こそが圧倒的な真のワシントンディストリクトオブコロンビア一丁目一番地本丸なんだがまあその話はまたの機会に。

琉球大のアレ

あんなん私大ならいくらでもやってるだろ

胡散臭い社長とか元官僚ゲスト講師とかさ

挙句の果てに天下るし

2024-10-02

予備校講師大北あきやを知ってる人?

QUERIEで質問するといつも変なのが絡んでくる、なんなんだろう?

「○○で良き」みたいな表現が嫌い

「○○で良き」みたいな表現が嫌い。

なんなのこれ?なんか鬱陶しい表現だ。

アマゾンとか価格コムレビュータイトルに「良き」だけ書かれているのを見ると「あー、なんかウザい」って思う。

ちょっと前(令和が始まったくらい?)からよく目にするようになった。

「○○で良い」でいいじゃん。

枕草子かよ。『説経の講師は顔よき。』かよ。なんでこれだけ古典的表現なの?

他も全部古典の授業みたいな感じに統一しているなら、その根性はすげーと思うけど、たいていの人はそうじゃない。

anond:20241001162642

お前マナー講師とか向いてそうだな。

どうでもいいこと考えられるどうでもいい賤業で羨ましいよ

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-10-01

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

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 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

個人指導塾の愚痴

ある個人指導塾に関わってる(主に小・中、一部高)

  

自分から観測できる本当に狭い世界の知見だが、女子生徒は面倒くさい、来ないでほしい

 

その年頃の女子って男子と比べて、大して自分勉強もしないのに、凄い他責的だし文句も多いし、授業に関係ないことを講師に話しかける

本当に面倒くさい

 

もうこんな業態時代遅れだってのはわかってるんだけど、それにしても滅入ることが起きるのはきまって女子生徒

男子生徒だけで経営したい

だけど、男子生徒にするとアルバイト講師男性)の士気が下がるんだよなあ、それに経営も厳しくなるし

 

こんなところにしか書けないので書き捨てさせてください

2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

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2024-09-24

囲碁AIによりプロ棋士オワコン化した

一力遼が世界戦を勝ったが、なんと日本勢としては19年ぶりらしい。 張栩アジア選手権で勝った以降、井山すらも世界戦では勝てていなかったことになる。 これ自体は、素晴らしいことだとは思う。

しかし同時に、囲碁プロ棋士ってもう意味あるんだろうかという疑問も持っている。

囲碁AIが発達し、人間とは大差の実力を持つようになってしまった。 その結果どうなったかというと、 「AIが示す着手が最善手」という認識プロにもアマにも定着してしまった。 今、アマプロの碁を見る時にやってることは、 プロが打った手がAIの示す最善手と一致しているかどうかを確認することだ。 形勢判断についても、今はAI評価を見ることが一般的だ。

プロも、囲碁学習ではAI様のおっしゃるに打てるようになることを目指し、 実戦においても、AI様と一致することをよしとする。 今、世界ランキングでダントツトップを行く韓国の申ジンソは、 AIとの一致率の高さから、「申工智能」と呼ばれている。 決まった答えがあり、それと同じように打つことが求められるのであれば、 もはやそれは人間がやる意味はないと思う。 お笑い番組で、箱の中に隠されたものを手の感触だけで当てるゲームがあるが、 これに近い。

以前は、囲碁プロ棋士の役目は、最善手の探求そのものにあったように思う。 囲碁理論(棋理という)自体を生涯をかけて追求した棋士もいた。 囲碁プロ棋士とは、勝負師であると同時に、囲碁研究者でもあったわけである。 それが研究の答えはこうですとAIが示すようになり、 人間もそれを受け入れてしまった以上、 囲碁研究者という人間仕事はもう失われてしまったわけで、 今残っているのは、AIなりきり選手権だけである

去年、本因坊戦が縮小されて業界的には大きなニュースになったわけだが、 これは本質的にはAIの発達によってプロ囲碁価値が失われたからだ。 囲碁新聞なんかもどんどん廃刊になっていっているが、 これも例えば棋譜解説なんかはAI入力させれば終わりだし、 そもそもプロの打ち碁自体AIものまね選手権であり、価値を失ってるからだ。

今後も、プロ囲碁はどんどん価値を失っていき、 職業としても危うくなっていくと思う。 芝野虎丸の兄である龍之介は、囲碁棋士斜陽であり、 平均年収は300万弱(中央値もっと下)であるという考察を述べて、 囲碁の普及が足りてないことを問題意識として持っているようだが、 おれの考えでは真の原因はAIの発達と、それによる囲碁棋士オワコン化にあると思う。

しかしこれは、囲碁自体オワコンになったことを意味しない。 おれは、囲碁が生き残る方法は、囲碁を知能教育手段として明確に位置づけることだと思っている。 東大では、全学体験ゼミナール囲碁で養う考える力」 という講座があるように、碁は考える力を養う。 おれの母校である京大をはじめとして他の大学でも同様の講座をすべきなのはもちろんのこと、 出来れば小学校囲碁を必修化すべきだ。しょうもない英語なんかやってる場合ではない。 囲碁地頭を強化すれば、算数だろうが英語だろうが、余裕で出来るようになるから安心しろ。 故長尾健太郎氏は、囲碁で頭を鍛えた結果、四谷大塚で5年生の時に6年生の試験を受けて、一位をとっていたようだ。

元経産官僚宇佐美典也氏(東大卒)は「僕は小さい頃、地元では1番で、このまま日本一になるのかと思ったこともあった。でも四谷大塚に入ったら、学年は1個下なのに、僕の学年の試験を受けて、ずっと1番を取っている長尾健太郎という男がいた。 https://times.abema.tv/articles/-/8670771?page=1

では、この世界に向かうにあたって、あるいは到達したあと、 囲碁プロ棋士はどんな意味を持つだろうか。 例えば、スウェーデンでは教員になるためには修士号必要というし、 大学受験の世界でも数学科出身の人が数学講師をやっていたりするわけだからプロ棋士囲碁先生になるというのは自然なことだ。

しかし、どんなに囲碁人口が増えようとも、囲碁プロ棋士になる 人間は増えず、ゼロ収束していくと思う。 それは上に述べたように、囲碁がもうコンピュータによって解き明かされた ゲームであり、人間の探求領域はもう存在しないかである

しろ今後は、アマチュアの囲碁が盛り上がっていくのではないだろうか。 AIによって学習の機会は平等になったし、それによって受ける恩恵プロよりも アマチュアの方が大きい。

囲碁棋士歴史が終わってしまうことは文化的には大きな損失だとは思うが、 技術革新によってある仕事が失われるというのは他の業界では起こっていることであり、 囲碁についても、プロ棋士ではない別の職業が生まれるのではないかと思っている。 日本棋院は囲碁棋士業界延命させることに必死だが、 それは無理なので、別の道を模索した方がいいと思う。

武宮正樹の息子の陽光日本棋院の理事になったよう なので、何か面白いことをやってくれないか期待している。

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