はてなキーワード: 東浩紀とは
統一教会についての認識をまとめるために自分の過去ブクマを検索してたらHagexさんの記事を見つけた。
佐々木俊尚氏が幸福の科学幹部と対談イベントを行うことが判明し炎上 - Hagex-day info
https://hagex.hatenadiary.jp/entry/20131114/p11
記事タイトルの話は有名なので今更だが、この記事には東浩紀が出てきて、佐々木俊尚が幸福の科学幹部と対談イベントすることについて東がTwitterで「えええええええ」「あまりにショックで」と投稿していて否定的見解を述べていたことは再発見だった。現在の東は「ぼくはそもそも、統一教会がカルトであるかどうかを判断する立場にありません」としてネットやマスメディアで起きている統一教会批判にネガティブな立場を取っている。
この記事に将来を見据えるかのように東浩紀ツイートをエッセンスとして挿入していたHagexさんは流石と思うと同時に、新たな記事をもう読めないことに悲しくなる。事件後の統一教会問題をどう捉えるかの記事が見たかった。突然の凶行に倒れたという安倍元首相との共通点についてもいろいろと考えさせられる。
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東浩紀「テロは断固許さないという決意は繰り返し表明し続けるべき」〈AERA〉https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/aera/2022080100036.html?page=1
まーあいたたな気持ち悪いコメントばかりのことで、山上はテロリストでないと声高な人達ばかりでゲンナリしてます。
何度でもいいますが、山上徹也はテロリストで安倍暗殺事件はテロ以外何ものでもないです。
選挙中に元首相の国会議員が演説していて銃撃されて殺されているのにテロでなかった事件などないです。
もっと社会やニュース勉強し直してほしいですね、こういうコメント見ていたり、ガーシーとかが参議院選挙で当選したり、昨今の著しい日本の経済的衰退だったり、日本の途上国化を意識せずにはいられないです…
こういった人達主張の理由づけに山上の動機に政治的意図が窺えないといった理由が挙げられています。
ですが、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではありませんが、犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれています。
苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない
以上のように犯人自身も安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めており、殺害する理由として安倍晋三を殺害することで反統一教会のメッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らかで、政治的な動機としては十分になります。
明治維新まで持ち出してテロじゃないというアホな豚を相手にしたくはないのですが、今の今まで言い続けてる人がいてびっくりしてます。明治維新時の封建社会下の民主主義の制度が整備されてない時代とは全く違いますし、そのくらいのこともわからない人はあんまり相手にしたくありません。
明らかにテロであるものをテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞としか感じないです。
安倍晋三元首相銃撃事件について、福島瑞穂氏が「テロを肯定するような発言」をしたとして批判しているとかで、
それに対する反論も出てきているらしい。
今回、福島瑞穂氏が何を言ったか、それに対して東浩紀氏がどんな指摘をしたか、さらにそれに対してどんな批判があったか、確認していないので分からないけれど、
福島瑞穂という政治家が、かつて犯罪行為を肯定するような発言をしたことがあるのは事実なので
それを指摘しておきたいと思う。
被害者となった元事務次官が進めた政策がよくなかった、ということを理由に、
「襲撃されても仕方がない」と言わんばかりの発言をして
出典を明記できなくて申し訳ないのだが
詳細を覚えていないのにそういう発言があったということは深く記憶に刻まれている。
というのは、それだけ私にとって衝撃的な発言だったから、という意味でもある。
党内での評判もあまりよくはない。
党内に対しても党外に対しても、自分の正しさを押し付けるようなところがあり
そういうところが好かれないんだと思う。
ルソー鵜呑みにするというより、ルソー分析・批判ありきだけど。
現代から攻めるなら、「民主主義とはなにか」みたいな本でも読めばいい。
攻めた話が聞きたければ、東浩紀「民主主義2.0」あたりが最近のエポックだったか。毀誉褒貶はあるが、そもそも色々語られるだけの論者ではある。
るーりーがコロナを早く5類にしとけばよかった
私は最初から封じ込め無理路線を推していたとツイッターで吹いてるが(ついでに東浩紀も)
公衆衛生や疫病の専門家ですら最初と言ってることは二転三転しているぐらい先が読めない未曾有の事態に最初から見解が変わってない人ってむしろ危ないと思うんだよね
途中でデータが出たり運用が変わったりに影響されてその時々でベストな選択肢にもブレがでるから、専門家の間で見解が変わるのはむしろ正常な判断だと思うんだよ
逆に最初から意見が変わってない人って、そういう実証データとか現実的な運用を全部無視したり
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
だから今はその建前で話して、将来どうするかを議論しなければならない。
東浩紀がスタンスを明確にしなかったのも、これを理解していたからこそ
事件直後で今よりも情報があいまいで大勢の見るテレビ番組のホスト側の立場としてはなにひとつ公的な
個人的には、暴対法に匹敵するような、かなり強力な法整備が必要だと思ってる。
ただ、野党支持者の人にも考えてほしいんだけど、なんらかの規制をしたとしても
今の膨大な信者をどうするか、受け入れ先を用意する必要は絶対にある。
今の自民党のように(乗っ取られない程度の)適度な距離感で付き合うのはあまり良くないひとつの妥協案だ。
それがNGとなるとどうする?施設に収容する?徹底的に殲滅して改宗を迫る?投票権を取り上げる?
そんなことが今の日本でできると思う?
それでこれ思い出したわ。
でも,あれは本当のところ一種の哲学の貧民窟だね.ラッセル・ウィトゲンシュタイン・フレーゲの時代にあんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学にはいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学の著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.
このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法を実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言を引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーはしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.
https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931
以下が背景ね。
ジャック・デリダによるサールへの最初の攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為の自然な発展的研究主題として志向性の研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後である。デリダは、アメリカ・ディコンストラクション派の無名の雑誌「ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体したかのような長大な文章を掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話が法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University
” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実の構成』に一部含まれるポストモダニスト批判を展開した。1990年代、社会生物学論争と「マーガレット・ミードとサモア」による文化相対主義批判の勝利、さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論がアメリカでフレンチ・セオリーと別称されるようになる。
→安倍晋三が登壇し始める。
→佇む山上徹也。
→山上徹也行動開始。
まぁ、これが定番かな。
応援団エピソードと同志社大学合格のエピソードも入れて欲しい。
兄の死、妹の結婚。弁護士の叔父に協力によって5000万円が返還され、一筋の希望が見えるも、母はその金をまた寄付して地獄へ逆戻り。この辺が効果的に生きるように、家族愛的な伏線は事前に必要かもな。
その後、十数年が経ち、ホームセンターで購入したもので火薬を精製。暗殺のためのトレーニング。最上階のワンルームマンションで銃を密造。
奈良の山奥で試射しながら、精度を高める。
ここら辺までに三浦瑠麗氏は登場させて欲しい。
で、統一教会施設への銃撃、岡山での襲撃断念を経て、7月8日事件当日の模様。
福島みずほに対する東浩紀氏や三浦瑠麗氏の強引な歪曲シーンも欲しい。
ここまで書いてみたけど、もっと構成や切り口に工夫を凝らせば物語としての魅力は高まるかも。
安倍晋三の背負ったカルマみたいなエピソードがあっても良いのかな?
ユリイカ並みの3時間30分はやり過ぎなので、2時間15分くらいでまとめるのが理想。
で、肝心のタイトル名なのだけど、バイオレンスだったりセンセーショナルなネーミングは見る気が湧かない。
心の移ろいなど、精神性にクローズアップしたものが良いと思う。
そういう訳で、私が考えたタイトル名はコレ↓
『かなしいもの』
ニコニコ生放送での福島瑞穂とのやりとりが取り上げられて炎上している東浩紀の件。
私がもともと例の放送を全編視聴しており、他にも彼の活動を時々チェックするような
フォロワーであることが前提になってしまうが、彼のことが党派性から嫌いな人はさておき
今回の件で彼に怒ってる人・がっかりしてる人には、ちょっとそこまで非難しないであげてほしい
という気持ちがあって、匿名ダイアリーに投稿してる。(怖くてTwitterとかFacebookには書けなかったなー。)
おまえ誰だってのがあるとおもうので、こんな人が書いてますよという自己紹介。
参院選の開票特番として、ニコニコ生放送の公式放送として生放送された
2022/7/10(日) 19:45開始のライブ配信が今回の動画の元動画だ。
(生放送開始後3時間くらいでのやりとりなので、実際は7/10の22:45くらいかな。)
私もタイムシフトで2~3日遅れて視聴したので、例のやりとりの部分を見たときは
東浩紀の反応も過剰だな―と確かに感じた。でも、この時点では大手マスコミが
「ある宗教団体」みたいな報道を続けていた時期だったことは思い出しておいたほうがいい。
番組冒頭(動画でいうと9:30くらいから)でも、安倍氏銃撃に関する大手マスコミの報道状況、
つまり、統一教会に関して名指しで報道しないことについて出演者の元毎日新聞記者・石戸諭が語るシーンがあり
裏取りできるまで慎重な姿勢で報道する、普段どおりの対応を行っていると見ているという趣旨で発言していて
そういう前提が共有されたうえでの放送となっていた。
(生放送のコメント欄では統一教会だとわかるコメントが流れまくってたけど、建前はそういう建前。)
なので、ニコニコ生放送とはいえど開票特番として企画され視聴されている放送において、
国政政党の党首が「テロに対する今のお考え・メッセージをいただけますか」との質問に
ああいった発言するのは、その翌日11日に統一教会サイドが記者会見を行い
大手マスコミも統一教会と名指し報道するのが当たり前となった今見返すのとでは
大きく印象が異なるという点についてわかって貰える人もいるんじゃないだろうか。
※あのタイミングで名指し報道できないのが悪いという立場も当然あるかと思うが、だとしたら東浩紀叩きでなくメディア批判するのが適切なのでは。
※国内大手メディアが統一教会の名指し報道できなかった時期に海外メディアは名指し報道していたので、なんでなのか石戸氏には聞いてみたい。
それは、そう。私も思う。
でもまぁ、それはキモくて謎で不快なだけで、その部分を指摘してガソリン注ぐのはちょっとやめといたほうがいいと思うんだ。
そういう人間としてガッカリなところというか、お茶目なところは、わたしたち誰でもがもってる部分なので
それをきっかけに分断がすすむのは見ていて悲しいし、心が痛い。
あ、東浩紀が福島瑞穂を分断しようとして煽ってるじゃないかって指摘もありうるが
何が分断をもたらしているのかの考えは立場によって異なるため
三浦・東・石戸の考えでは、福島があの時点でそのような発言をおこなうことこそが
福島氏との中継が切れたあとに、本人がいないところで断罪しているのがダサいみたいな意見もあるが
三浦氏は福島氏に直接指摘していたし、そもそも選挙特番の中継フォーマット上
あのような形になってしまうことが仕方ないことは、切り抜き部分以外を見るとわかるはず。
小沢一郎や仁藤夢乃が「安倍政治の弱者切り捨てで、弱者に刺されたのだ」というと
福島瑞穂が「自民党がカルトの拡散に協力したせいで、カルト被害者に刺されたのだ」と言ったが
「ですよねー」という反応が多数で、自業自得みたいな事を言うな!と言ったのは、東浩紀だけだった
どういう事なの
安倍元首相が亡くなって、右翼側が結束を強めるのはわかる。自民党安倍派の動きを見ていても、影響力を維持するのに必死な様子だ。
例えば、今、極左から過去の発言を掘り返されるなどして執拗に叩かれている東浩紀氏や三浦瑠麗氏なんて、安倍元首相の国粋主義的な思想については批判する立場で、思想的にも完全に左派。なんなら、彼らは立憲に投票したと公言していたりもする。
彼らは共産主義者ではないし、昨今の左派の振る舞いに問題提起をしている立場でもあって、およそ中道左派くらいの立ち位置だとは思われるが、なんでこのタイミングで共産主義者などの極左が中道左派を叩いているのか、ここが完全に意味不明。
国家観が右翼的な安倍元首相という重しがなくなったことで、極左の叩く先が左にブレたのかなとも思うけれど、こんな程度のことで最も味方につけやすい陣営をこけにして敵を増やすのが極左のやり方なのだろうか。こんなところで内ゲバをしているようでは政権奪取なんて夢のまた夢ではないかな。
なんだか右翼に比べた場合の左翼の精神的未熟さ、つまり「目的達成のために清濁合わせ飲みながら仕事を遂行する」という、多様な意見のある社会の中で意見を取りまとめるための折衷力のなさが、あまりにも見すぼらしく顕在化しているような状況な気がするんだよなぁ。
中道左派政党であるところの立憲が極左から少しずつ距離をとり始めたところだけは、ほんの少しだけこの国にとって希望だと思う。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1546968549222060033
東浩紀や他の出演者の反応も妙に芝居がかっていて可笑しいが、ここで問題にしたいのは三浦瑠麗だ。
言い方といい表情といい、こんなに白々しく、いやらしい話し方をする大人って、ちょっと他にいない。
実にいやらしいやり方で福島氏の発言内容を問題化するように仕向け、統一教会の問題から論点をずらそうとしている。
いじめっ子に誰かをいじめさせようと仕向ける女子のような、告げ口をする子どものような、幼稚さと浅はかさ。
男におもねるような気持ち悪い話し方。
(三浦のフリに応えて共演者が「三浦さんの責任ではないですよ」などといいつつ、福島氏の問題発言という体裁で騒ぎ立てるのも滑稽。)
この発言に至っては、政権と一体化した心情で左を見下してなければ、まず出てこないセリフだ。
普段はできるだけ中立を装いつつも政権のフォローをするという立場で仕事をしているようだが、こういうところで馬脚を表す。
ところで、ブコメではこの動画の三浦瑠麗を「冷静」だと感じている人もいるようで驚いたのだが、一般論として仄めかしや婉曲表現があまり通じない人も多く、
そういう人にとっては三浦瑠麗が冷静だったり理知的だったりするように見えるのかもしれない。
でも、その気持ち悪さが、まだ世間で十分に言語化されていない気がする。
誰かうまく言語化してほしい。
せめて人選を3世とかで分かりにくくしてくれればいいのだが、明らかに日本語がおかしいし、ハーフとかなんだと思うと吐き気がする。
テレビに出るなら、私はス〇イで母国の虐殺に加担してます、とさわやかに言ったうえでテレビに出てほしい
【参院選2022】開票特番|三浦瑠麗、東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう 3:11:00
https://youtu.be/T4HE9mY1xxc?t=11462
三浦瑠麗が安倍元総理が殺された件について聞いたところ、まっさきに統一教会について言及した福島みずほ。
開票特番の雰囲気としてはしっかりとした証拠もないのに要人の暗殺と特定団体を結びつけるのはヘイトクライムを誘う可能性もあるし、
党首がそのような言及をすること自体を問題視していた。東浩紀、石戸諭はもはや驚きを通り越して呆れていた。
三浦も驚きつつ、これはニュースになってしまう、聞いておいてなんだが自分には責任はないと思うと述べていた。
しかし一晩経ってもニュースにはなってないし、この番組における四人の反応は過剰だったように思う。
実際のところ安倍暗殺と統一教会がどのように関係があるか、次々と情報は出ているが本当のところはよくわからない。
しかしこれほどに統一教会への言及を避ける程の緊張感が発生する理由もわからない。
もちろん、根拠なしに特定の団体を叩きに走ることがヘイトクライムに繋がってしまうことを恐れているという言い方はできるのだけど、いまいちしっくりこない。
Twitterやはてブなどでは統一教会に関する言及が怒涛の如くされている気がするのだが、
やはりニュースや開票番組に出るような知識人と匿名の有象無象では温度感は異なるのだろうか。
ネットで真実を知った気でいるわけではないが、ニコ生のようなメディアでこそ突っ込んだ議論がされるべきなのではないかと思ったんだが…
統一教会についてもっと多くのメディアが報じるべきだという立場と、証拠もないのに特定団体を加害者にしてはいけないという立場。
この2つの立場は例えば裁判で被害者が加害者を訴えた時に第三者が「裁判で結果が出てないのに第三者が色々言うべきでない」と発言するのに似てて、
その発言は被害者側から「平等の立場に立とうとする加害」と避難される。だんまりするのではなくちゃんと言えよという意見だ。
しかし実際問題その場に自分が居たわけではないのだから、「加害者は悪い!」と断言することはリスクが多すぎる。
それゆえ、何も言わないことが第三者としては結局マイナスのない安定択なのだ。
これを踏まえると三浦瑠麗ら四人が福島みずほの統一教会発言を非難したのも理解はできる。
証拠もないのに特定団体の名を出して死者が出てる事件と結びつけて言及するべきではない。ましてや党首が。
しかし、それでもなお統一教会についての言及があの場でされることに対してそれほど問題には感じられないのだ。
それは無意識で自分が、加害者側に気持ちが寄り添ってしまっているからなのかもしれない。
ネットにおける情報も、統一教会に関連する様々な情報がニュースで明らかになればなるほど「ああやっぱり!」と合点がいく気になってしまう。
しかし、自分にとって都合が良い情報は、無意識に選別してインプットしてしまう傾向にあるのがわかる。
根拠のない状態で統一教会とテロを結びつけてしまう考え自体が陰謀論の沼にハマってしまっている。
石戸諭は福島瑞穂を擁護してたように見えたが三浦と東の論調に流されたのか東に賛同
三浦が安倍元首相と育児放棄熱中症死亡の赤ちゃんでは命の重さが違うみたいなことを言い出したところで山本太郎がつながったのが残念。何を言おうとしたんだ?
【参院選2022】開票特番|三浦瑠麗、東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう 3:11:00
https://youtu.be/T4HE9mY1xxc?t=11462
三浦瑠麗が安倍元総理が殺された件について聞いたところ、まっさきに統一教会について言及した福島みずほ。
開票特番の雰囲気としてはしっかりとした証拠もないのに要人の暗殺と特定団体を結びつけるのはヘイトクライムを誘う可能性もあるし、
党首がそのような言及をすること自体を問題視していた。東浩紀、石戸諭はもはや驚きを通り越して呆れていた。
三浦も驚きつつ、これはニュースになってしまう、聞いておいてなんだが自分には責任はないと思うと述べていた。
しかし一晩経ってもニュースにはなってないし、この番組における四人の反応は過剰だったように思う。
実際のところ安倍暗殺と統一教会がどのように関係があるか、次々と情報は出ているが本当のところはよくわからない。
しかしこれほどに統一教会への言及を避ける程の緊張感が発生する理由もわからない。
もちろん、根拠なしに特定の団体を叩きに走ることがヘイトクライムに繋がってしまうことを恐れているという言い方はできるのだけど、いまいちしっくりこない。
Twitterやはてブなどでは統一教会に関する言及が怒涛の如くされている気がするのだが、
やはりニュースや開票番組に出るような知識人と匿名の有象無象では温度感は異なるのだろうか。
ネットで真実を知った気でいるわけではないが、ニコ生のようなメディアでこそ突っ込んだ議論がされるべきなのではないかと思ったんだが…
統一教会についてもっと多くのメディアが報じるべきだという立場と、証拠もないのに特定団体を加害者にしてはいけないという立場。
この2つの立場は例えば裁判で被害者が加害者を訴えた時に第三者が「裁判で結果が出てないのに第三者が色々言うべきでない」と発言するのに似てて、
その発言は被害者側から「平等の立場に立とうとする加害」と避難される。だんまりするのではなくちゃんと言えよという意見だ。
しかし実際問題その場に自分が居たわけではないのだから、「加害者は悪い!」と断言することはリスクが多すぎる。
それゆえ、何も言わないことが第三者としては結局マイナスのない安定択なのだ。
これを踏まえると三浦瑠麗ら四人が福島みずほの統一教会発言を非難したのも理解はできる。
証拠もないのに特定団体の名を出して死者が出てる事件と結びつけて言及するべきではない。ましてや党首が。
しかし、それでもなお統一教会についての言及があの場でされることに対してそれほど問題には感じられないのだ。
それは無意識で自分が、加害者側に気持ちが寄り添ってしまっているからなのかもしれない。
ネットにおける情報も、統一教会に関連する様々な情報がニュースで明らかになればなるほど「ああやっぱり!」と合点がいく気になってしまう。
しかし、自分にとって都合が良い情報は、無意識に選別してインプットしてしまう傾向にあるのがわかる。
根拠のない状態で統一教会とテロを結びつけてしまう考え自体が陰謀論の沼にハマってしまっている。