はてなキーワード: 感情とは
思考実験とか問題提起とか色々書いてるけど、内容が全く客観的ではないんだよね。
今の自分に不満があって、周囲をねたんでいるようにしか見えない。
自分の問題を社会の問題にしようとしてるけど、そうじゃないよね。
現在の自分自身がこうなっているのは、あなたのこれまでの生き方・選択の結果だよ。
もしも社会制度や社会の価値観が違っていたとしても、あなたの状況は特に変わらないと思う。
そして、30代からでも変化はできるよ。
でもそうならないのは、あなたがまず抜け出すチャレンジをしないから。
あなたの状況が改善しないのも、あなたが変化に向けて正しい行動をしないから。
素直に自分の困ったことを、簡単な事・些細な事から1つづつ解決していったら良いのに。
ASD男は良くも悪くも他人の感情に鈍感でADHD女の感情の振れ幅の大きさに影響されにくくてADHD女から見ると非常に落ち着いてて頼もしく見える。
一方でASD男にとってADHD女は裏表がなくて、いつも本音でやりとり出来きる数少ない理解者のように感じることがある。
もちろんADHDもASDも個性としての現れ方は多種多様だし、人と人の相性はこれらの特性だけで語れるものではないから、この出会いは増田と増田の彼氏が自分に合った人を探す努力を重ねた結果だと思う。おめでとう。
「ラストエンペラー」を観たことがある人なら分かると思う最終盤のシーン、ほんの一瞬だけど「アルプス一万尺」が流れる場面がある。
それまで何時間も、溥儀の逐われ釣られの生涯を見届けてきて、変わり果て誰もいなくなった紫禁城へ漸く“帰ってきた”溥儀と少年の関わり、筒から出てきたコロオギに幾らかの救いさえ見出されるようなクライマックスから一転、(公開当時の)現代に移り変わって最初に流れるのが、平べったい電子音の「アルプス一万尺」なのだ。
その音はガイドの女性が観光客を溥儀の玉座へ注目させるためにメガホン状の機械から流したものであり、2回ほど響いた後、彼女は溥儀の生年と、彼が最後の皇帝であったこと、そして没年について説明する。愛新覚羅溥儀の壮絶な生涯を見事に描写した大長編は、生きている彼に直接会ったことさえ無いであろう1人の女性が発する情感も何もない異国の電子音楽と、たった二言三言の解説だけであっさりと幕を閉じてしまう。
だけど、私はこのラストシーンが堪らなく好きだ。
人の生涯、歴史の中の出来事、それらのすべてには決してひと言では表せない様々な事象や感情が複雑に絡み合っているが、そういったことに直接関係ない立場からすれば、「○○年にこういうことがあった」「この人はこういう人だった」という程度にまで情報を押し潰すことはいくらだって可能なのである。数時間をかけて「ラストエンペラー」という映画は、観る人々にとって溥儀という男への感情移入を促し、決して赤の他人のままにさせない作りをしているくせに、自発的にそれまでのすべての時間をペシャンコにしてやるこの最後の一瞬だけで、まるで頭から氷水を浴びせられたような気にさせてくるのだ。
しかし、そうして冷えた頭の前に今度現れるのは、先ほどまで印象的なシーンを演出していた溥儀の玉座──主たる皇帝を喪い空っぽになったそれと、「ラストエンペラーのテーマ」なのである。劇中の様々なシーンで流れたフレーズを繋ぎ合わせたようなこの名曲は、主なき玉座を目にした時に初めて「愛新覚羅溥儀の生涯とその激動」を感覚的に突き付けるものとして完成するように思えてくる。
劇中の人々の中から彼ひとり分の人生が消えて見えなくなったとしても、スクリーンの目の前の人間の中に溥儀は確かに息づいている──あのラストシーンはそういった独特な感触を私に与えてくれるのだ。
「ラストエンペラー」にしかない読後感のようなものを味わうにあたり、そこへ至る物悲しさを得るために「アルプス一万尺」の能天気な音色とガイドの無感情な解説は無くてはならないものだと私は思っている。
たまたますれ違っただけの小学生が手遊びするのを見かける時、YouTubeの動画から偶然それが流れてくる時、或いは何の気なしに鼻歌として自分の中から出てくる時、私はその折々で「ラストエンペラー」のことをこれからも思い出し続けるのだろう。空っぽの玉座と、年老いた溥儀の微笑みを瞼の裏に映しながら……。
東野圭吾氏が、執筆の際に最後の1行を書かずに翌日まで持ち越すという方法は、非常に興味深いですね。この手法には、いくつかのメリットが考えられます。
最後の1行を書き残すことで、翌日の作業開始時に、前日の物語の世界観や登場人物の感情にスムーズに戻ることができます。まるで、中断した夢を見続けるような感覚かもしれません。
執筆の勢いを途切れさせずに、自然な流れで物語を紡いでいくことができます。思考の断片が失われるのを防ぎ、よりスムーズな文章作成が可能になります。
翌日に改めて文章を見ると、新たな発見や改善点が見つかることがあります。一晩寝て、冷静な目で作品を見つめることで、より客観的な評価が可能になります。
意識的に書き残したことで、思わぬインスピレーションが湧き上がり、物語が予想外の展開へと発展する可能性も秘めています。
翌日の課題として残しておくことで、執筆に対するモチベーションが維持されます。「続きを書きたい」という欲求が、新たな創作意欲へと繋がります。
翌日に残りの部分を書き上げると、小さな目標を達成したという満足感を得ることができます。
東野圭吾氏のこの手法は、単なる執筆テクニックにとどまらず、クリエイティブな作業全般に活かせる考え方と言えるでしょう。
大きな仕事でも、小さな単位に分割して取り組むことで、モチベーションを維持し、質の高い成果を出すことができます。
一旦作業を中断することで、新たな視点を得たり、アイデアを整理したりする効果が期待できます。
目標を意識することで、行動意欲を高め、目的意識を持って取り組むことができます。
東野圭吾氏の執筆方法は、単に文章を書くだけでなく、創造性を育み、質の高い作品を生み出すためのヒントに満ちています。この手法を参考に、あなた自身の創作活動に役立ててみてはいかがでしょうか。
子供の頃から物を粗末に扱う子供だった。ウルトラマンの人形、お気に入りの筆箱、MDウォークマン。ぞんざいに扱っていると、お気に入りだったものは傷付き壊れ一部機能が動かなくなりいつの間にやらお気に入りではなくなっていた。そうしてなんの感情もなく廃棄していた。
一昨年に白内障の手術をした。白内障が発覚したのは二十代も終わる頃でこんな若くしてなるものなのかと驚いたけど、元々子供の頃からアトピー性皮膚炎を患っており、アトピー患者の中には若くして白内障になる人が少なからずいるらしい。加齢による白内障はゆっくりと進行し、多くの人は両目とも進行するため進行に気が付かないと聞くが、幸か不幸か自分は右目のみ進行していたため、自分の右目が見えなくなっていく過程を常に体験できた。左目だけを閉じ一月前より明らかに白む視界を目の当たりにするたびに「ああ、また失われたか」と心の中で呟いていた。自分の人間としての機能が失われていく感覚。出来ないことが増えていく諦めと少しばかりの絶望。身に覚えがあるものだ。
初めて喪失を感じたのはこれもまた視力だったような気がする。小学校3年生。遠くの細かい文字が見えなくなっていることが親に気づかれた。後日眼鏡を買いに行きクリアになった視界に驚くとともに「あぁ自分はもう裸眼では物がクリアに見えないようになってしまったんだな」と子供ながらに絶望したこと記憶がある。その後も喘息や食物アレルギーなど主に自分のアレルギー体質に起因する喪失を経験する度に、自分の身体への執着は薄れていっている。
年を重ねるごとに更に機能を失っていくだろう。そうして自分の身体への執着をなくして安寧とした死を迎えるのは別に悪いことではない。必要なプロセスなんじゃないかな。
本当にそうなの?統計的にはそうだとも聞くし
個人的には生物的な二分法ではなく、個人の経験や環境によるものだと思う
私の考えは、女性は感情にカンタンに支配される生き物ではないと思ってる
いや、思いたい。が正解かもしれない
❶女を感情的な生き物だと勝手に決めつけるな。女性差別的な意見だ
❸私は私なんで、男とか女とかあんまり関係ないんじゃない?人それぞれ。
この3分類だと思うが、実際に実社会とネットでの出現率においてこの比率は
ネットは❶が多く目につき、実社会では❷≧❸>❶という感じがしてる
❶みたいな人は本当に居ない
❷の子達、ステレオタイプな女性像に自身から当て嵌まりに、いく子は❶の女性に対してどう思うのだろうか?
会社のメッセージとしては、ダイバーシティの兼ね合いで女性の活躍、女性管理職、強い女性像、出産後のキャリア形成などを強く打ち出してるし
ただ、この女性幹部たちはそもそも、個人としては異常に能力が高い
この人たちは男だ女だで仕事してない、自分のキャリア思考とそれに対する自己実現能力とマインドが総じて高い
涙は女の武器とか、女だからみたいな言葉喋るやつは一生昇格ない
仕事する上で男も女も関係ない。必要なのは実績と信頼と事実だけだ、と仰ってた
なので、❸の傾向が高い(私の感想です)
実際に声を上げる❶の傾向の幹部はほぼ居ない、というか幹部じゃなくても居ない
何が言いたいかと言うと、❸のように感情に支配されず自分自身を1人の人間として
男女というジェンダーを言い訳にせずに生きていく尊敬すべき方々を見て、こうあるべきだと私は思ってる
ただ、これが新卒含む20代女性からはそれに近い言動が実際ある
感情で話をした場合、自分の経験であったり、個人的な主張であったり、肌感などになり
事実に基づいた発言から乖離するので、客観的な話をする必要があるというのを男女関係なく
この辺はある程度、歴が上がると男女差なくなっていくんですが
社会人になってそれをコントロールする仕組みを教わらないから、なのかとも思う
本当は、社会進出したくなくて、できるなら専業主婦でぬくぬくしたいのに
男の年収が低すぎて働かざるを得なくて嫌々やってるのに、なんか社会的に女性の活躍とかいうから
実際は迷惑。もーダラダラ高収入旦那の元でイージーモードの人生歩みたいわーって実際は思ってるから怒ってるの?
はい、すいません。
まぁ、でも❸に至るまで❶や❷だったという人もいるだろうし
うーん、わからない。
私は年に1回の人事面談において尊敬する女性幹部の話をするのだが
すごくて尊敬してるけど
そして、共感できない。だった
強い女性像って本当は求められてないのかな
正直な所、今夏のパワハラ関連の話題の中で前知事の基本的な態度に非常に衝撃を受け、議会全体からの否認(後援していた維新を含む)を受けるという事態に対しこのようなこともあるのだなと思いながら、その時点では然るべき手続きであると認識していた。
公益通報の法制度上、直接直ちに該当しうるかどうかという点については微妙と思っていたこともあったが、パワハラに関してそれなりの証言(当人を含む)があったことなどから、相応に正しい手続きの末の決定だと認識していた。
だが、現況の兵庫県での状勢を見るに、再選の可能性がむしろ十分にあり得る、ということにショックを受けている自分に気がついた。
肯定的な意見の大本になっていたのは、自殺した当人の(言及は避けるが)非違行為があったこと、クーデターを目論んでいたということだった。
一番最初にこの意見を見たときには、いわば『陰謀論』の典型的なものとして、考慮に能わないと一蹴した。
だが実際には、この意見はどんどん広まり、マスコミが報道しないことで、マスコミがこのクーデターに乗せられているがために今更手のひらを返せないのだ、マスコミは信用できない、という意見を取り込んでさらに広がった。
結果として選挙情勢で凄まじい追い上げを繰り返し、対立候補もリードを保ってこそ居るが実際に猛追をされているという報道が出ている。
自分は兵庫県民ではないし、今回の選挙に対し何かを言う立場には直接的にはない。無論住んでいる国のことではあるということで、アメリカ大統領選よりは間接的にものを言える立場なのかもしれないが。
ただ、『陰謀論』という典型例について一蹴することだけではおそらく、現況の状況を見誤りかねないと感じた。
正直に言えば未だにクーデターなどの状況は疑わしいとは思う。ただ、パワハラの問題がやや問題の周縁に終始していたという感触は確かにあった。
常に全ての証明が図れるものではないのだから、これだけ周縁にパワハラの問題が一定の事実として証明できるのなら、その本丸もそうだろう、と考えた。
あとは、当人が一貫して道義的責任を否定し続けるという極めて超越的な態度を取り続けたということに対して、『普通なら』ないし『政治的には』謝罪することの利益が、しないことを上回るだろうにもかかわらず、それをしないということに、非常に反感を感じていた、というところがある。
それはつまるところ、今回の猛追において、おそらくは兵庫県民の方々が改革を推し進めた(とする)斎藤前知事を信用しうると感じたということや、自殺者が(外部に発出した内容とは無関係だが)非違行為を行っていたということをもって、その文書の内容もおそらくそうだろう、と考えたことと、大差がない。
自分で組んだプリセットに依存しているという点で、結局自分が反対しようとしている行動と大差がないという状態は矛盾していて、愚かしい。
その反対しようとしている理由が推測と感情であって、それが世間に取り残されているというのならなおさら、その感情を矯正する必要がある。
ハリスがアメリカで全面的に敗北を喫したように、自分の視界の範囲内ではなく(それが主要なメディアに収まるものであればなおさらに)、自分がアクセスできていないメディア内の状況を見た上で判断する必要がある。
例えば現在は、非公表の会議の内容を開示したであるとか、自殺者のプライバシーを侵害するであるとか、そういった適正手続きの保障ということを、おそらくは、重視していない。
世間ではパワーハラスメントについて非常に敏感ではあるが、公務員などの「不適切な行動を取っているとされる」相手に対しては、おそらくは、重視されていない。むしろ、必要なものとも認識されることがある。
感情面の話抜きね。
そろそろ彼氏と結婚しようと思うんだけど、2人とも都内大手勤務だから世帯年収1200万超えちゃうのね。
そうなると配偶者控除も受けられないし、寧ろ世帯年収増えることで高額医療費制度の上限が高くなったり色々デメリットが増える。
もしかして、それなら事実婚とか同棲の方が何かと得だったりする??
非モテは「どうせ自分なんか相手にされない」ってことで、風俗で女を金で買おうとするわけさ。でもな、女を買うって発想自体が腐ってるよ。女性を金で手に入れて自己満足してんじゃないよ。こういう男ってさ、女をただの「消費物」くらいにしか考えてないんだ。そういう連中が偉そうに恋愛語るとか、もう笑っちゃうね。
こいつらは、恋人や奥さんに対しても自分の思い通りにならないと乱暴しやがる。自分の感情を抑えられず、すぐに力に頼るなんて、見苦しい男の極みさ。非モテは、「自分が男だから上だ」とか勘違いしてるわけだが、そういう態度が女性を遠ざけるんだよ。恋人や奥さんに乱暴するなんて、もはや人としても終わってるね。
非モテは、女性をセフレとしか見ないことも多いよな。次から次へと女をとっかえひっかえしては、ただのモノみたいに扱うってわけさ。自分が満たされないからって、女性をモノ扱いして満たそうとするなんざ、救いようがない。そんなふうに女を軽く扱う男が、まともに愛されるはずがないだろ。
非モテの特徴として、女の話をまともに聞こうとしないってのがあるんだよな。「どうせ女なんて大したこと言わねぇ」って見下してるわけさ。そうやって女を雑に扱っておきながら、どうして「自分がモテないんだ」って思うかね?女の話を聞こうとしない男なんて、誰だって嫌になるさ。
「やめて」って頼んでも、非モテはそれを無視することが多い。自分がやりたいからって、相手の意思や気持ちなんてお構いなし。これも、女性を尊重してないからできることさ。こういう行動が、非モテをますます孤独に追い込んでるって気づかないんだろうかね?
これがまた見苦しいんだよな。男としてのプライドもないのか?女に金を出させることで自分の存在価値を感じようとしてるなんざ、非モテの考えそうなことだ。そういう男には尊敬なんてされないし、当然モテるわけもないよな。
モテる男ってのは、そもそも女性をリスペクトして、丁寧に接するもんなんだ。だからこそ、女性も自然と心を開く。非モテと違って余裕があるから、女性に雑な態度なんて取らないんだよな。モテる男を見て学べよって話だ。
非モテが女を憎むのは、自分の狭い視野と勝手なプライドのせいだよ。女を尊重せずに自己満足ばかり求めるから、非モテはいつまでも非モテなんだよな。
昨日36歳にして人生で初めてLINEブロックされたんけど、これショックでかすぎて記録したい。
私が思春期時代にも着拒とかあったけど、このコミニュケーションインフレ時代に、それまで仲良くしてた(と当人だけ思っていたわけだが)相手から「突然ごめんやけど、お前とは金輪際なんの言葉も受信したくないし何の関わりも持ちたくないのでブロックします。RIP🙏」って30代後半の死んだ感受性でもめちゃくちゃメンタルやられるな?
しかも恋人とか家族とか親友といった重要な他者でもない、上司なのに、こんなにも心がぐちゃぐちゃだ。検索履歴が「LINEブロック意味」「LINEブロック性格やばい」「LINEブロック倍返し」などで埋まっていく飲み虚しい。後悔と戸惑いで意識リソースすべて持ってかれるの虚しい。
こんな、こんな心を動かされることがまだあるんだ。
ネガティブ感情による攻撃は、怨恨による不条理や不利益が溢れ出る命の泉なので、くそうざいキショい頼むから4んでくれ、と思っても着拒やブロックはしない。多少利害が絡む相手ならば。しかしそれをおいても攻撃せざるを得ないハラスメント案件を無自覚に発生させていたこの事実が、その無言による糾弾が、いちばん堪える。
これまでの自分の言動、加害意識はなかったその言動すべてがハラスメンタルでしたという事実を突きつけられ、この存在自体が無価値どころか有害であるという自認で、意識ある時間がすべて自己を脅かしタイムになる。今日仕事あったからまだよかったが明日は日曜だし死ぬだろう。
中年期の感受性でこんなにも心揺さぶられることは最近とみになかったし、なんなら「ひとの気持ちを想像してみましょう」をガチでやれる機会をくれらあたりさすが上司なんだけど、これまで7年一緒にやってきたから、めっちゃ感謝してるから、それでも大好きだから、やっぱりすごく悲しくてさみしいわ。
週明け1on1どうすんのこれよ。
昨日36歳にして人生で初めてブロックされたんだけど、これは、ショックでかすぎて、記録したい。
私が思春期の時代にも着拒とかはあったけど、このコミニュケーションインフレ時代に、それまでふつうに仲良くしてた(と当人だけ思っていたわけだが)相手から「突然ごめんやけど、お前とは金輪際なんの言葉も受信したくないし何の関わりも持ちたくないのでブロックします以上」やられるの30代後半でもメンタルめちゃくちゃやられるな?
しかもべつに恋人とか家族とか親友といった重要な他者でもない、職場の上司なのに、こんなにも心がまっくろだ。
土曜の検索履歴が「LINEブロック意味」「LINEブロック性格やばい」「LINEブロック倍返し」などで埋まっていく。意識のリソースすべて持ってかれる。すごい。こんな、こんな心を動かされることが、まだあるんだ。
ネガティブ感情はリスクであり、不条理や不利益を生み出す源泉なので、なんらかの利害関係がある以上くそうざいキショい4んでくれ、と思っても着拒やLブロックはしない。しかし、それを発生させるほどのハラスメント案件を発生させていた事実が、その無言による糾弾が、いちばん応える。
これまでの自分の言動、加害意識はなかったその言動すべてが、加害意識がないゆえにその最悪さを増し、ハラスメンタルを決めていたという事実を突きつけられる。この存在自体が無価値どころか有害であったのか。
中年期の死んだ感受性で、こんなにも心揺さぶられることはなかったし、なんなら「ひとの気持ちを想像してみましょう」をガチでやれる機会なんて最近なかなかないから流石は上司なんだけど、これまで7年一緒にやってきたから、めっちゃ感謝してるから、それでも大好きだから、すごく悲しくてさみしいですよ。
SB69でいうとデルミン。
原神でいうとリネット。
見た目の割に達観してて世界の諸事情に精通してそうな飄々とした雰囲気を纏いつつテンション低い落ち着いた声でボソボソ喋る淡色髪の線が細い少女なんだけど社交的でも内向的でもないよくわからないコミュニケーション力というか独自の意思疎通術をもっていて妙な口癖があったり特定のニッチな趣味にこだわりがあったりする電波あるいは不思議ちゃんの要素を一部もっているがそれで他人と考えが通じ合わなかったりすることに物怖じすることなく己のペースで表現する豪胆さを備えつつも付き合いにくいコミュ障にはならない程度にわきまえててラインを調整できる賢さや察しのよさもあってお茶目なユーモアセンスもあり時として次元の壁を超えてこちら側が見えてるかのようなことを言いかねない危うさもある奇才タイプの子で一見感情の起伏も乏しく世間離れしていそうに見えてポーズ的な側面でそう見せてる面もあって実際は妹や兄や同性の友人みたいな大事な存在に対し重量級の愛情をなんでもないような顔しつつ抱えてそうな感じもちょっとある自然体で澄ましたキャラ。
よりギャグに寄せるとぱにぽにの一条さん、明朗さを足すと絶望先生の風浦可符香、活発にすると苺ましまろの松岡美羽あたりの漫画キャラが性格的には一部重なるけど古い作品なせいか髪色がみんな濃いし人形みたいな線の細い繊細さはあんまりない。ニジガクの天王寺璃奈は髪は派手ピンクで真面目寄りだけどそれ系かな。より暗くすると長門有希だけど、もっと「ふざける」ことを知ってる感じがいい。逆におちゃらけすぎるとただの開けっぴろげなおっさんみたいになってしまい、そういう脱力・堕落系キャラは多いが、人間として枯れた干物感を自虐していくタイプとは真逆。ちゃんと少女と感じさせるしなやかな感性が残っており、女性になっていくことを感じさせる、荒い部分を決して見せず上手に繕い優雅に見せる品性の輪郭が垣間見えてることが重要。それが華奢な少女をして堂々たる振る舞いたらしめているはずだから。ただそれがちょっとズレていて、自覚がありながらも自他ともにそれを受け止めてる優しい世界あってこそイイ感じに成り立つ。
この手のキャラは現実には一番いなさそうなタイプの個性だと思う。超然としすぎてる。普通の感性では浮いてしまう恐怖に抗えない。きっとリアルにいたら世間に揉まれるうちに普通のノリで普通の受け答えをするようにノーマライズされてしまう。どれだけネットスラングを知っていても面接の場では誰もが同じような喋り方をする平均的性格のロボットに成り果てるように。でもキャラクターは人間として持ちうる絶妙なリアリティラインを守りつつカブいてみせる。たとえそれがコンテンツを作るおっさんの脳内にしか存在しえない個性だとしても、輝いて見える。
よく考えてみればこういうキャラは自分がネトゲでネカマ女キャラRPをしていた頃に目指したかったキャラでもある。馴れ馴れしすぎず、よそよそしすぎず、侮れないユーモラスな変な子と思われたかった。今ならVtuberとしてそういうキャラ作りする子が現実にいてもおかしくないが、往々にしてそういう場で活躍する人はキャラ付けが派手すぎて絶妙さからは程遠い。リアクション勝負の場だし現実的なぶっちゃけ感あるリアクションをする方が好感を持たれるのもあるだろう。
今日という日、日本のインターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。
いや、これ自体が最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberのデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信を凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的に事務所時代の彼女は推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点で政治を見ることへの危険性だってある。
そういう話はともかくとしても、ここ最近は選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる。
でも、これも必然かもしれない。勝手に分析系記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代。国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉がネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱や権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権→第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派現政権vs左派野党の対立構造に帰着している。
正直言って、現下の日本のインターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民の仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサーが複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール「人気投票」のようなものだ。
それに、ここ最近は迷惑系YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激な政治主張が目につく。その市場を追い風にしてか、陰謀や暴力・排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者のほとんどが民主主義を嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。
そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。
(ここは筆者のプロフ・ポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構。28歳独身男会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り・安保の観点で今回比例は国民に入れた)
これはもう風水的言いがかりでしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災・コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント、台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。
特に台湾侵攻。あるウクライナのジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営がカンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOとロシア・ウクライナ。ならば台湾・中国の傍でカンカンガクガク真っ最中の日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?
まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。
今はもうネットに限らず、既存の大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会・世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない。説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀と安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題の根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東で継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間の生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。
そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしまう言葉がある。
「社会や環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」
会社員である私を含め、一定の組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事に邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。
「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要な問題から逃げてないか?」と。
政治に関心を持たない人達、はたまた選挙で投票しない人達の理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?
恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線で安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。
地震と戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。
そしてこの際もう1つ、過去の歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会をゆっくりと衰退させているものが何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。
「被害者意識」。
無論、現にいじめや差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響を支配し、それを基準に社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会が全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。
例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスクと待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。
もう1つは「ダイバーシティ」。差別や偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈は結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民」問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域や職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから…
つまり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係・論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。
これが、現代の言論空間で跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから。
まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴・慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物的本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。
・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会・世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。
もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。
最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人の稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか。
まぁ、仮にも「自由の民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。
人物や作品、制度や政策、科学などについて、常に肯定的な意見しか言わないのは、信仰と言います
信仰は揺るがないので、一般的に会話は難しいと思いますが、雑談も同様に難しいです。信仰は揺るがないからです
感情の共有、たとえば対象が『好き』という気持ちについて共感することだけなら可能だと思いますが、
雑談は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです (信仰ですから、疑は挟めません)
また、潤滑的な話題として、通常信仰をテーマにしません。信者に対応する人は気を使い疲れます
会話 (Conversation)
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├── 目的別会話 (Informative, Opinion exchange, etc.)
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└── 雑談 (Small talk)
├── 軽い話題 (Casual topics)
├── 社会的潤滑油 (Social lubrication)
├── 感情の緩和 (Emotional relief)
└── 軽い意見交換 (Casual opinion exchange)
周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、
自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりするので、
批判に過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います
ただ、抑圧されてきた配慮すべき事情がある人物なのか、差別的な宗教の人(信仰対象と信者は何をしても良いと考えている)なのかは、
親はまだまだ元気だがいい歳ではある。終活がどうのとかそういう話もするようになった。
夫婦でうまくやってるし、金のある兄夫婦ともうまくやってるし、蓄えもそれなりにあるのでまあ悪くない余生を送れそうではある。
真面目に働いてるし、たぶん標準的な生活は送れてはいるが、独り身だし兄のように立派な人間にはなれてない。まあ心配はかけているよなと思う。
先日母親に久しぶりに会った時にもあなたが心配だみたいな話をされた。
普段深い話はあまりしてないし、会う事も少ない。あと何回会えるかだって分からない。だから一応自分の気持ちみたいなの、話しておこうと思った。
母には孫の顔も見せられず申し訳ないと思ってるけど、別に長生きするだけが幸せじゃないし、今の自分にも満足してる、自分は幸せな人生を送ってきたなと思っている。
子供もいないから長生きしたいと思う理由はあまりなくて、老いてだめになったらそれはそれでいいんだみたいなことをできるだけ明るい感じで言ってみた。
それを聞いた時の母親の顔が忘れられないのだ。
一瞬だが、いやーな感じのニヤついた顔でこちらを見た。そう見えた。
バカにしてるとかでもない、見下してるとかでもない、ただただ邪悪さを感じる顔。
それを見た俺は怖くなった。
てっきり「そんな事言ったらダメだよ」とか「そうは言っても人生は続くんだよ」とかそんな感じの反応が返ってくると思っていた。
ここはハッキリしておきたいんだが、決してそういうのを期待してたわけじゃない。
心配もかけたくないし、しんみりした感じにならないよう少し冗談っぽく言った。
反応に困るような言い方は避けたつもりだ。半分本気なのかな程度に伝わればいいと思ってた。
しかし想定してた反応とは違って、そう、「悪魔みたい」がピッタリくるような邪悪な笑みを浮かべたのだ。
気のせいだったのかもしれない。でも・・・
他人の不幸を楽しんでしまうようなとこって、人間誰しも少しはあるだろう?
まさにそういう時の表情だったんだ。
今のはなんだ?どういう感情なのか分からなくて真意を探ろうとしたけど
なんだか世にも奇妙な~みたいな世界に迷い込んでしまったような気分だった。
親だって一人の人間だ。いつだって親の顔をしていられるわけではない。
攻撃的になったり、ヒステリーを起こしたり、そういうところもそれなりに見てきたとは思う。
あの片方だけつりあげた口角の卑屈さ、狡猾に獲物を狙うような眼差しが忘れられない・・・あれは幻だったんだろうか
それとも本当に悪魔が一瞬取り憑いていたんだろうか、あるいは俺は
元ネタ: ネトゲの固定のメンバーを好きになった https://anond.hatelabo.jp/20241105194121
タイトルの通り、自分はFF14というMMOをだいたい5年くらい遊ばせてもらっている光の戦士(ヒカセン・FF14の主人公=プレイヤーを指す)だ。
以前はOWをメインにやっていたが、あれは加齢がもろにプレイに出る。少なくとも私はそうだった。
大学卒業して数年、自分のプレイスキルの全盛期を過ぎたという自覚が生まれたあたりで潔くやめた。
遊んでいて周りのフレンドと比較して嫌になる、ランクが停滞し続けることにおそらく私はこれ以上耐えられないという自覚があったから。
その後、せっかくゲーミングPCがあることだし、と思いいくつかのゲームとMMOを転々とした結果、FFに落ち着いた。
一瞬Apexなどもやったのだが、自分が始めた時期がよくなかったのかチートまみれでゲームと言えるものではなく、断念。
課金ガチャが存在するゲームは、のめりこむことがわかっていたので択外だった。
そうやって6年ほど遊んでいるが、FF14はいいゲームだ。私はそう思うし、7.0パッチも満喫している。
よって、本当にそういう層が存在するのだな、程度に受け止めてほしいが、7.0のストーリーもグラフィックアップデートも比較的好意的に受け入れた。
ピクトマンサーが強いのだって悪くない。私はキャスをやらないから関係無かったし、
それから、強いジョブは誰が使っても強いわけじゃないこともわかっている。ピクトマンサーを強く回せる人は何やってもたいてい強いのだ。彼らはたぶんピが強くなかったら赤魔かメレーを出しているだろう。火力の調整はよろしくなかったが、パッチ1発目のレイドなので想定内だ。
あと、ピが過去レイドを破壊している!という指摘はその通りかもしれないが、そもそも過去レイドなんてジョブ調整で緩和されまくってきたものだ。
ピクトマンサーを取り締まりたいんなら占星術師から殺した方がよかったんじゃね。と個人的には思う。個人的には。一プレイヤーとしてはね。
と、ここまで予防線を貼るのは、FF14界隈が信者もアンチもめんどうだからだ。
そう、自分はFF14というオンラインMMOを遊びながら、実に5年間をソロFCで過ごし、フレンドもほぼ増やすことなくやってきた。人間関係がめんどうだったからだ。おかげでフレンドは10人ほどしかいない。MAX200人登録できるらしいけど。
それもこれも、ここから完全な悪口なのだが、FF14をやっているプレイヤーの多くの頭がおかしいせいだ。まともな人間は一握りしかいない。
彼らに日本語は通じないし、自分ルールを周りに押し付けて生きている。先釣りだまとめフェーズ詐欺だなんだと、日々あちこちでアツイ領域展開バトルが繰り広げられているわけだ。
でもまぁOW界隈ほどの民度じゃない。運営はまぁまぁまともだし、※FF14の運営は個人的にはかなりまともだ。日本人が運営しているだけあるなと思う。
ただ、あまりの人間関係のめんどうさに。他人に期待しなければ心穏やかに生きていける。何もかも楽しもうと思っていればなんでも楽しい。そして、友情も愛情も、情と名の付く感情はたいてい人間関係において爆弾となりうる。という悟りのような感情を培ったのがFF14だった。
たぶん根幹的なところから好きなんだろう。5年やっているが少しも飽きない。
FFにおける高難度レイドバトルは8人PTで、野良=PT募集等で一期一会のプレイヤーを集め攻略する、か、固定=前もって集めた決まったメンバーと攻略を行う、の2パターンが多い。
そして私は、人間関係をめんどうくさがっているなりに、高難度攻略においては固定を組むことが大半だった。
絶(最高難易度コンテンツ・たいてい固定を組む)はもちろん、零式(高難度コンテンツ・野良でも踏破は可能)もだ。
野良でやばい化物を引きたくなかったというよりは募集フェーズ(人数が集まるまでの時間)がいやだった。固定はたいてい決まった時間に始まって終わるから生活リズムも崩れにくいし、そこまでのド地雷は踏まない。たいてい1~2パッチの付き合いで、いわゆる超長期の固定を組むこともなかったことも幸いしたと思う。
固定を組んで、本当に仲良くやれそうなフレンドと出会うこともできた。サラッとした関係で付き合えてたまに地図(ワイワイ系のコンテンツ)や絵チャとか他ゲーで遊ぶ、いい関係を築けた、と思っている。
そんなこんなで7.0の零式も無事に終え消化も済み、私は絶エデンの固定を探していた。
零式の固定も悪くはなかった。初週目標で実装4日目に踏破できたし、消化もたいしてグダらなかった。別にこの固定でエデンに行ったってよかった。でも、個人的に苦手なメンバーがいたのだ。
自分は、FF14の男性プレイヤーがあまり得意ではなかった。端的に言うと苦手だ。OWにも多かったが、声がデカくてうるさい上にやけに話が長い、そして距離感がおかしい人間が多いからだ。
そこには、女はヘタクソでも男にキャリーされるだけだからいいよな、という上から目線がのぞいているようだった。
さらに、いわゆるライト層はPSに比例しない高いプライドを持っているし、レイド層はこんなにレイド歴があって固定でも活躍してきた自分はエラい!みたいな感じの人間が多かった。
OWにも本当にこの手の男が山ほどいた。
簡潔に言うと、女はサポでもやってろ!女はサポしかやらないからウザい!女なのにサポ以外やっててすごい!だ。
自分が女よりヘタクソな現実を受け入れられないプレイヤーが女叩きに逃げているといえば分かりやすいだろう。そんなものに私を巻き込まないでほしい。
しかもたいていすぐタメ口になるし我が強いし、ズゲズケ自分語りしてくる。(最後に挙げたタイプの男もだ、女の実力を正当に評価しようと優しくしている自分はそこらの男とは違うと言いたげだった)
零式の固定にいた男もその手の男だ。
logs(火力の確認ができる外部サイト)を見たのか、act(火力を見るためのツール)を入れているのか、こんなに火力が出た!最強!や、今の防御スキルのタイミング見た?!と大騒ぎしていた。
最強もクソもあるか。クリティカル・ダイレクトヒットが跳ねたらそれは火力がそれなりに出る。お前の防御スキルなんかPT壊滅に繋がらなければどうでもいい。
だいたい最適に回していれば火力は出るんだから口動かす前に手を動かせ。と何度も思った。
つかいつ私がこいつにタメ口を許しただろう。私はたいていの人間には敬語を崩さない。もちろんその男に対してもだ。
そうして自分は、突入の前後はともかくレイド中に無駄にしゃべる人間が嫌いだ。私はともかく他のメンバーの集中力を欠けさせる。
そんな感じで零式の固定は攻略中にすでに嫌になっていて早く抜けたかった。
さらにいうと、私はとかく高難度のコンテンツをやるなら男がいない方がいいと思っていた。
彼らは、ホモソーシャルで育った結果としてどうしようもないことでかわいそうだが、プライドでメンタルとパフォーマンスが左右されるし、それこそ固定内の女プレイヤーとの色恋沙汰でのトラブルも経験があった。
だから、エデンの固定もできれば女8固定がいいと思って探した。ただ、このゲームのレイド層に女性が多いとはいえ、全員ともなるとなかなか難しい条件になってしまう。
その固定は@2を募集中で現況が男3女2という、なかなかにやばそうな比率の固定だった。しかも女1のジョブが召喚(着替え予定無し)にタンク1・メレー2が男。たいていのヒカセンなら、姫お付きの「騎士」の予感に打ち震えるだろう。
でも、タンクの彼は違った。
logsを見れば出しているジョブはナイト。色(=順位のようなもの)もいい。ガンブレも高水準で回せているが、ST専というわけではなく。DPSも触っていてそちらも火力が出せていた。アチブ(記録)を見れば零式も基本2週目で終わっているらしい。
そうして試しに日程を調整した面接で話した時。たぶんその時から私はおかしくなった。
そこにいた彼は控え目で、話を振られるまではたいてい黙っているのに、こちらに何度か助け舟を出してくれた。声は穏やかで耳に痛くなく音質も良い。火力や防御スキルの使い方を褒めてみれば周りのおかげだと言った。
笑ってほしい。たった30分ほどの時間で自分はその人を、気遣いとか優しさとか、包容力を絵にかいたような人だと思ったのだ。
面接が終わってすぐ、私は気づけば応諾の返事を出していた。絶エデンだけだ、とりあえず入ったっていい。早く決まるのに悪いことはないんだから。私は自分にそう言い訳しながらその固定に加入を決めていた。
そして始まった消化の日々で自分は完全にもう彼を好きになっている。
そも8週を過ぎてからの合流だ。やり方の違いはどうしたって、散開位置一つとったって多少出る。それは早期に攻略が済んだ固定ほどそうだ。
野良では違うやり方が流行っているらしいけど、このやり方で長くやってきているから。
そういう理由で特に処理法を変えたりしないでやっていくことが多い。めんどうだからだ。
自分もそのあたりはわかっているから、最初は認識のすり合わせの時間を多めにとる覚悟はしていた。
でも、その必要はほぼなかった。彼が野良のやり方に詳しかったらしく、前もって違いを説明してくれたから。追加のメンバーが野良経験があることを加味して、固定側で調整してくれたらしい。
そして、散開など細かい点で逐一私のやり方に合わせてくれた。「こうやりたいんですけど…」というと、いいですよ、と快く返ってくる。そしてその通りにきれいに合わせてくれる。
しかも、レイド中は必要な声掛け以外はしゃべらない。カバーはしっかり手厚く、MTでボスから離れるときには綺麗に遠隔技コンボを回して、周りをしっかり見て動いていて。何より実力の誇示もなさそうだった。
FFを5年やっていて初めて出会うタイプの男性だった。こんな人がいるのか、と心底思った。
それに、レイド突入中以外は、自分から話題を振ることはほとんどないが、それなりに話もしてくれる。こちらのミスをさりげなくフォローしてくれる。
聞き上手で穏やかで、我も押しも強くない彼が思わず吹き出すように笑うときの声が好きだ。
相手の顔なんてほとんど見えない。わからない。もしかしたらやばいモンスターかもしれない。既婚者かもしれない。それでなくても固定内恋愛は固定をブチ壊す可能性を最大に秘めている。
そんなこと痛いほどわかっているのに、好きになってしまった。
声を聞けるだけでよくて、幸福だと思うのに、そのくせこの前はTwitterに何らかの写真が上がってないか見に行ってしまった。これはもう付きまといに近い。というかそのものだ。知られたら絶対に嫌われるだろう。
ただ、Twitterには彼の写真は1枚もなくて、ないことに安心したくせに、彼と喋っている女(確定・写真確認済み)が数人いてキレそうになった。
というかちょっとキレた。自分でも本当にどうかしていると思うのだが、私のなのに!と思った。
最近はこうして本当にとみにイカレており、私にだけ優しくしてほしいとか私にだけ特別笑ってくれないかとか思う日もある。
今まで彼氏がいなかったわけではないのに、こんなになったのは初めてだ。これから絶エデンの攻略もあるのに、私はどうなってしまうんだろう。
そう思いながらそれでも私は今日の消化が楽しみでタイミーをさっさと切り上げて帰りの電車に乗っている。
これを書いたのは自分の気持ち悪さと向き合うためで、インターネットに流すのは流しそうめんだ。
きっとエデンだけはなんとかやり遂げようと思う。
ただ、松本氏に対して『好』の感情を寄せる層が、TVメインの人たちなら、スルーが正解だったのでしょうな(倫理的には知らん)
TVメインの人たちはネットと親和性が低く、ネットをやっていてもあまり検索をしない層(そんな時間があったらTV観たい)なので
https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#
なお、ワイは、ナチス大学教授、「延命治療やめろ」&「(小山田氏の障害者イジメに対して)裁判するにも知能がいるしね」の社会学者がTVに出てるので
信条は、どんなことを言われても揺るがないのはフツーのことだと思います
ただ、人物や作品、制度や政策、科学などについて、常に肯定的な意見しか言わないのは、信仰と言います
感情の共有、たとえば対象が『好き』という気持ちについて共感することだけなら可能だと思いますが、
会話は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです (信仰ですから、疑は挟めません)
周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、
自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりするので、
批判に過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います
ただ、抑圧されてきた配慮すべき事情がある人物なのか、差別的な宗教の人(信仰対象と信者は何をしても良いと考えている)なのかは、
紆余曲折ありつつ、今日生まれて初めてソープなるものに行き、嫁以外の女性を抱いた。
この経験を経て、私は今後二度と性風俗を利用することはないだろうと思えた。
店が悪かったとか、嬢が悪かったとかそういった話では断じてない。性的欲求と興味本位で足を向けた風俗というものそのものが私に合っていなかったと痛感させられたのだ。
何かの漫画でも読んだが、性的興奮を高める要素の一つとして「その人との関係性」というものがあると思う。例えば行きずりの男女よりも友人関係が長かった場合や仕事で関わっている場合など、少なからずその人間との関わりを持っている場合の方がより、興奮が増すというものだ。(私も無縁だが例えばこれまではずっとそんな目で見ていなかった同僚とそう言った雰囲気になる…などが興奮しそうなのは容易に想像ができる)
その要素がセックスという行為において私の中ではとても大きかったらしい。
当然嫁以外の経験はおろか、そういった店が立ち並ぶ場所に足を運んだことすらない私がド緊張していたのは言わずもがなではあるが、それなりにタイプな女性を見繕い、現物も悪くなく、コミュニケーションも取れる相手に対して「関係性がない」せいで全く下半身が反応しなかった。
120分もの時間をかけてなんとか途中に、ちくわくらいの強度は取り戻し、行為はできたのだが達成感も興奮もほとんどなかった。そのあとは嬢とただただ楽しくお喋りをし、人生初めての体験を終えた。
結構話し込んでリラックスできた後には、より嬢が魅力的に見え、ああ自身にはこれが必要だったのだと痛感させられた。中身の見えない人間に欲情できない性質だったのだと。
そもそも私は性的興味は強い方だと思う。(性欲とはイコールでない)生まれてこの方嫁しか経験がないことに少なからず思うところはあったし、AVで興奮できるので当然嫁とはまた違ったタイプの女性を抱いてみたいという欲求はあった。
自身の許容範囲の女性であれば、ましてやその女性を問答無用で今から抱けるというシチュエーションであれば、当然に動悸•眩暈と共に下腹部に血流を集中させ、獣になることができるものだろうと思っていた。
だから嬢と対面し、ハグをした時点で既に私は自身に違和感を抱いていた(緊張での動悸はしていたが)
退出し、無愛想なボーイに見送られながら店を出た。どちらかといえば喪失感に似た感情しか持ち合わせていないくせに、一丁前に気取った足取りで風俗街を抜けた。そんな自分を客観視しながらも、虚無感と同時に風俗にのめり込む心配がないという安心感をどこか心の片隅で抱いていたのは、男としてはどうなのだろうかと思いつつ、帰路に着いた。
既婚者でありながら風俗に行き、綺麗事を吐くとは何事かとお叱りは承知の上ではあるがこの経験によって、より自分がどう言った人間なのか理解できたと思う。
正直、今日に至るまで本当に何度も葛藤し、頭を悩ませた。こんな歳になって情けなくもあるが、私にとっては風俗で人生二人目を相手にセックスするというのは様々な面でかなり大きな問題で、決断に向けては馬鹿馬鹿しくもまあまあな時間と思考を消費していた。入店数十分前レベルの直前まで「なんだかんだ言って行かない」という選択肢も残していたが、結局こういったことは実際に経験するまで多分一生執着を抱き続けるのだろうなと思い、踏ん切りをつけたが、お陰様でつきものが取れたように執着は消え、本当に行ってよかったと思う。
おそらく死ぬまでにもう二度とそういった店を利用することはないと思うが、良かった悪かったという属性に関わらず今日の日のことは一生忘れないと思う。
私も昔大学のカフェで隣の女がフリフリのピンクのかわいい服来てるのに髪ボサボサでスッピンなの勿体ないな〜と思ってたけど、全然知らん人のビジュアル勝手に評価してる私の方がキモいことに気づいてやめたわこういう思考。 https://t.co/Il5Wi0alAX— びょーん。 (@Beshiro_YouTube) November 6, 2024
でも、せっかくの可愛い服が可哀想と思うのは仕方なくない…それは私の感情だもん。わざわざ伝えないけど。この服ももっと気合い入れて着てもらいたかっただろうにって思う。良い肉丸こげにして食べてる人いたら勿体ないって思うでしょ?