はてなキーワード: 大義名分とは
「仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな」と「○○歳定年説」は、ベクトルが違う。
キャリアアップと言えば、手を動かす → 人を使う、の一択しかなかったから。
今は良い時代だ。
正直、アジャイルとかテストファーストとかDDDとか、どうでも良いと思ってる。
正直、真似事ですら、できるやつはあまりいない(定年説を唱えている界隈では)。
効率だ、品質だ、に、ふんづまったところで、大義名分は、ポンコツを除外できる とても良い言い訳になる。
少数で、歳は食ってるけど、その分、経験はあるやつと、経験は少なくても、知識に貪欲でパワーのあるやつだけでチームが構成できると、とても楽チン。
ヘタリア好きは差別主義者ということでツイッターが盛り上がっている。しかしヘタリア好きを差別主義者認定したところで、スカッとジャパン的な快感を得られる以上の成果が得られるのだろうか。
実は差別の解消とか割とどうでもよくて、大義名分のもと他人を見下す快感に浸りたいだけなら別に止めはしないが。
やはり事細かく前提を書かないと差別したがっている方の人間だと思われるらしい。
コンテンツのどこにどんな差別的要素や歴史の誤認などが含まれているかを洗い出してそれを批判することには大いに意味があると思うが、「ヘタリア好き〜!帰ってきてくれて嬉しい〜!」とはしゃぐオタクに「お前たちは最低の差別主義者だ!」と突きつけることで何が変わるんだろうか。
そうやって目の前で無邪気にはしゃがれるのにイラっときたのかもしれないけれど、「君たち無邪気すぎない?」と釘を刺す、などの段階をすっ飛ばしていきなり差別主義者認定している人間が散見される。
最近、身の回りのオタク(年上・年下両方)に幼児向けコンテンツ(含む女児アニメ)にハマる
それを大っぴらにする人が多くてうんざりしている。
彼らの言い分は往々にして『ストーリーや楽曲のクオリティが高い』という点に終始するが
自分からすれば異常行動を取ることで周囲に自身の特異性を誇示したいようにしか見えない。
良くある流れはこうだ。
まず子持ち元オタが幼児向けコンテンツにハマる(子供と見るという大義名分がある)
→元オタは子供の成長や自身の忙しさと共に自然とコンテンツを離脱する
オタク文化が大っぴらになった2000年代初頭から同じような話はされてきていると思うが
やはりオタク趣味の中でも人に公言できるものの区別はつけた方がいいと思う。
信者ファンネルで、むかつく相手だったり議論で対立した相手を追い込むのって現状カジュアルに行われてるよな。
ホリエモンみたいな著名人から、素人に毛が生えたような絵師とか、ちょっとでも影響力あれば誰でもできる。
今回のケースで、乙武イタリアが蒸し返されて、ああ懐かしいなと思った。あちらは障碍者差別っていう大義名分があったものの、それでもボロクソに叩かれて記憶がある。
もっとカジュアルな炎上で言えば子役のはるかぜちゃん。調べたら今はもうツイッター卒業しちゃってるんだな。
この子あたりのレベルになると、信者ファンネルの是非は半々か、やや肯定的な意見の方が多かったような。
そもそもツイートして世界に向けて全公開しているんだから、反論し刺される覚悟を持てとかそういう理屈だった。
たかだかいち感想をつぶやくのにそこまで殺伐とした世界観を持たなければいけないのとか、と当時の自分は思ったけど今はまあ分かる。
婚活レポ漫画で読むくらいしか知識なかった所謂マッチングアプリ、今日ふと入れてみた。
30代前半男性。
自分のこの情報を入力する段階になって、怖気付いたのかもしれない。
「異性として一度市場を調査してみよう」という、逃げとも取れる大義名分を思いつく。
写真は、流石にフリー素材を使うのは気が引けたので、ちょっと前に流行ったAI変換アプリで自前のものを準備。(少しでも可愛く見えるように盛ったけど、マッチングアプリ側での再加工ターン?で目線とかボカしたら結局意味なかった。)
とにかくこうして俺は、23歳女性ステータス「暇つぶし」となった。
登録5分もしない内に山のように足跡やらイイネがつくので驚いたが、これは想定の範囲内だった。
イイネ!してきた男のプロフィールを一つ一つ見る。結構みんなツマラナイやつばっかかと思ってたが、まれに話してみたい奴も居る。
でも基本なんかつらいな。
自分も人の事言えないが、自撮りが下手な男多くないか。表情ポーズがカッコよく撮れてないとかいう次元じゃなくて、とにかく暗い。
あとはバーなの?居酒屋なのか?店内で他人に撮られた写真を切り抜いたやつも暗いわ画質が悪いわでまあ酷い。
思ったよ、そりゃアウトドアしてるやつはモテる。だって自然光で写真撮ってる。その機会が多い。
お日様の下だと美形でなくとも生き生きして見える、顔が。
とにかく言いたい事はこれだ。
以上。
安倍氏が政権を握ると、二つの現象が起きる。一、人々の嗜虐性を刺激すること。人間には、大義名分さえ立つなら、偉そうにしたい、誰かをバカにし、思い切り罵りたいという幼児性、暴力性が潜んでいる。大人になると経験を積み、それらを抑えている。しかし安倍氏には、その欲望を解放させる力がある。— shinshinohara (@ShinShinohara) September 3, 2020
「え、野党支持者のことでしょ?」というのは、たしかに、それはそう。
そうなんだけど、多数派とか、権力持ってる側は、その力を抑制的に使おうって姿勢が、昔の自民にはあったけど、今は無くなったなと思う。
「子供に悪影響」と批判の盾(武器だからむしろ矛か)にされがちな子供の意見を書いてみようと思う。
性別はあえて書かない。
ラブドール漫画を巡る騒動で、批判側の意見は「ゾーニングの問題である」という方向に収束しているらしい。子供の目に入ったらどうするんだ、と。
それを見て私が思うのは「馬鹿じゃないの」ということだ。
あんなのよりずっと過激なもの、見てますけど、今更あれを目にしない様にして何の役に立つんですか?
まず、「ゾーニング」に寄せる並々ならぬ期待が異常だ。あんなもの、描く側が責任を問われないための方便でしょう?
もしかしてあなた達は、「あなたは18歳以上ですか?」という質問に子供の大半が「いいえ」と押してると本当に信じているのか?
馬鹿じゃないの。
そりゃ本屋の18禁コーナーとかは流石に行かないけど、ネット上の18禁なんて守ってる人なんてどれだけいるんだか、意味無いでしょ。
そもそも、あなた達は本当に子供に18禁を守る事を望んでいるのか?
18歳になるまでエロ画像もBLも同人誌も一切見ず、保健の教科書でも使って性欲解消してろと?
それで、というか、そうじゃないとまともに育たないと本気で考えているんですか?
冷静に考えてどうかしているのでは?
というか、あなたはどうなんですか? 18歳になるまで18禁のエロコンテンツには触れずに来たんですか? もし触れたなら、あなたもその悪影響とやらを受けてるんですか?
てっきり私は、大人は子供達が18禁を破ると知ってて、むしろ破ってくれるだろうと高をくくってると思ってたんですけど、誤解でしたか?
でも、それって何の役に立つんですか? 18禁にして、破らせて、ルールを破るハードルを子供の時から下げる社会実験でもやっているんですか? そっちの方がよっぽど悪影響では?
まぁ、本当は何も考えてないだけなんでしょうけど。
まず、あなた達の言う「子供に悪影響」の「子供」って一体誰の事ですか?
考えてみた事有りますか? 本当に? では誰の事?
もしかして、もしかしてだけど、私の事?だったら申し訳ありませんけどそのお気遣いは丁重にお断りさせて頂きます。
あなた達の脳内にあるぼやっとした「子供」のイメージと現実に存在して脳が有る私を一緒にしないで下さい。
それから、「悪影響」って具体的にどういう悪影響があると思ってるんですか? 18禁のコンテンツに触れた事がある子供は多分いっぱい居ますけど、その子供達にどういう悪影響が実際に出ているとあなたはお思いですか?
ロリコンになるとか? でも子供のロリコンって一体どういう意味なんでしょうか?
それか、性に狂って猿みたいになったり、レイプ魔になったり? 本当にそうなっていると思っているんですか? もう一度言いますけど、18禁を見てる子供はいますからね? その悪影響は既に起きてるという事ですからね?
まさかジャンプで風呂覗きの描写が有ったら私や私の同級生が風呂覗きやレイプをするようになると本気で思っているんですか?
あなたが犯罪者予備軍扱いしてるのはロリコンだけじゃなくて、私達子供もだって、気付いてますか?
どこまで思い上がりが強いんでしょうか?
別にラブドールもラブドール漫画どうでもいいけど、あなた達の言ってることはおかしい。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ラブドール漫画に添えられた「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」という一文が不適切だった理由が書き連ねられているのだけど、矛盾している。
(余談だけど、私は矛盾があるという「感じ」はすぐしたけど、矛盾を見つけるのに苦労した。論理的に書かれていないから、どの根拠がどこに繋がっているのかとても読みにくかった)
場合分けをしてみる。①ロリコンは実在の児童に手を出す危険がある(ロリコン以外よりも)、②ロリコンは実在の児童に手を出す危険はない(ロリコン以外と同じくらいしか)
①の場合、まず手を出す危険が有るなら、ラブドールをおすすめするのは役に立つ情報じゃないか? ラブドールにロリコンの性欲を抑える効果があるなら、「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」という情報を押さえ付ける方が、実在の児童に被害が出る可能性を大きくしてしまう、そんなリスクを冒す大義名分が「社会的責任」というよく分からないもので良いと思っているのだろうか?
②の場合は分かる、本当はロリコンは実在の児童には手を出さないのに、「実在の児童に手を出す前に」と手を出すように印象付けるのは風評被害だ。でも上のnoteでは「フィクションに影響され加害を実行に移す危険性」は有るという事になってる。つまり②は否定されている。
このnoteでは「フィクションに影響されてロリコンは子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコンは子供に手を出さないのにその努力を台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。
この人だけじゃなく、いろんな人が上の2つを都合が良い様に使い分けている。自分で気付いて無いのだろうか? 気付いてやってるなら悪質だと思う。
あなた達は子供達がどういう風に性欲を発散するか見て見ぬ振りをしている。18禁で禁じておきながら、じゃあどうすればいいかは考えない、結果、子供が18禁を破る事に頼っている。
多分、どうでもいいのだろう、私達がどう発散するか、だから簡単に禁止して、その先は考えない。
ロリコンも同じだ。その人達から性欲を発散させる手段を奪って、じゃあ他にどうすればいいかは考えない、「ロリコンを治せばいいでしょ」位の考えなのだろう、子供でもそれが簡単じゃない事ぐらい分かる。
あなた達は人の事なんかこれっぽっちも考えていない、それなのに矢鱈と干渉してくる、挙句の果てに「子供のため」、どこまで思い上がりが強いんでしょうか?
騒動に乗じて、腐女子の学級会文化を正当化する人が居たのも笑った。
でもちょっと考えれば分かるけど、学級会があるという事は、ルールを破った人が居たという事だ。学級会が開かれた数だけ、ルールを破った人は居る。
全ての腐女子が学級会に納得してるとでも思っているのだろうか? そんな訳ないだろう、責めるのが腐女子でも、責められる側だって腐女子なんだから。
全部が全部とは言わないが、私が見た学級会は酷いものだった、論理的じゃないお気持ちだけがぶつけられ、一方的に吊るされる。それが自浄作用? 自浄作用が無いの間違いだろう。
もし学級会で一方的に批判した側が正しくなかったら、それは冤罪で裁いたのと同じ事で、それを後ろめたく思ったり間違いじゃなかったか心配するどころか、誇るのはどういう神経なのだろう?
私は論理的じゃない批判が一番嫌いだ。批判には絶対に論理が必要だと思う。何故か、批判された方が納得する為だ。
批判されてもそれが論理的だったら、「ムカつくけど、言っている事は正しい」と納得できる。
でも、論理的じゃないお気持ちで批判されても、反論しようがないし、納得も出来ない。理不尽だ、という不満だけが溜まる。
ラブドールやロリコンに対する批判に私が苛立ったのも、それが論理的だとは思えなかったからなのだろう。
あと私は、子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない。
まず、どうやってロリコンだと判明するのだろう?
3次元や2次元のロリのエロ画像を何枚も見せて、勃起したらロリコン、という方法で検査したら、ロリコンにならない男性は1割も居るだろうか?
まぁこれは私の偏見かもしれない、男性の性欲を強く考えすぎなのかもしれない。もし男性の人で分かる人が居れば教えて欲しい。
それに、女性もロリコンやショタコンは結構居るんじゃないかと思っている。
簡単だ、あなたが男性でも女性でも、今すぐpixivでも開いてロリかショタでR18の画像を何枚も見ればいい、そこで勃起したり興奮を感じたらあなたはショタコンかロリコンだ。
この方法でどれくらいが逃れられるだろう?
これまでロリコンを批判してた人も、同類かもしれない、これまで検査してなかっただけで。
だいたい、2次元について言えば覇権のジャンルにどれだけ未成年が混ざっていると思っているのだろう?
私の知っているジャンルも学生が多い、それらを消費する人たちが全員ロリコンやショタコンだと考えれば、かなりの割合になるはずだ。
恐らくこの日記にも、大人達から「大人になれば分かる」とか「お前が幼いだけ」みたいな謎の上から目線のご意見が寄せられるだろう。今から目に見えるようだ。
そういう、反証できず反論しようがない批判をする人を私は信用しない。それは論理的じゃない批判と同じだ。「ムカつくけど、言っている事は正しい」と納得できない。
でも、どうせここまで言ってもそういう反論は集まるだろうと思っている。どうせその位しか言えない人達だから。
〇返答
やっぱり謎の上から目線のコメントが多いな、それに論理的に答えていないので全く納得できないんだけど、本当に読んだんだろうか(長すぎたのは自分でも反省しているけど)
はい謎の上から目線&論理的な説明無し。論理的な思考の過程が書かれてないこれを評価してる人って一体何に納得してる訳? 証明問題に途中式書かないと0点って知ってますか?
分かるでしょ? こういうのに騙される馬鹿ばっかりの学級会がどういう地獄になるか、論理が無くても正しい事にされて、相手の論理を確認しようとする私の質問はただ無視される。全く同じだよデジャブかと思った。
質問に答えてないじゃん。結局これ子供が18禁以上ですボタン押す事分かってるって事だよね? その時点で「子供に悪影響」って根拠のゾーニングは目的を果たせてないじゃん、馬鹿じゃないの? 悪影響防げてないじゃん。
「18歳以上です」ボタンをあえて押させる意味って何? ルールを破るハードルを下げさせる以外にある?
あ、エロコンテンツに触れる事に罪悪感を持たせる事とか? それなら成功してるんじゃない? あなた達はそうだよね、でもそれって良い事なんですか? むしろそれが悪影響なんじゃないですか?
でもね、「18禁です。18歳以下の人は見ないように」「ロリショタものです。注意」みたいなクッションは確実に必要なのだよ。
なぜかというとそれがあることによって『クッションをつけなくてはいけないもの』という認識ができるから。おおっぴらにしていいものではなく、人を不快にするかもしれない、傷つけてしまうかもしれない刺激物なんだとわかるでしょ?
それってクッションが「18禁」じゃないといけない理由って何ですか?
「ロリショタものです。注意」は分かります。でも「18禁」って内容に対する警告とは微妙にズレてますよね。18歳以下も見て有名無実になっている自覚が有るなら「エロコンテンツです」の方が正確じゃないですか?
こういう人が、子供が「18禁」を破り続ける事でルールを破るハードルが下がる影響だけは完全に軽視する理由が全く分からない。
親をやってる身から言わせてもらうと、子供が「みんなそうだ」「平気」「普通」「大丈夫」と押し通そうとしたり、質問しまくって来る時は、めちゃくちゃヤバいという認識を持っている。
「みんなそうだ」「平気」「普通」「大丈夫」で押し通そうとしてるんじゃなくて、ゾーニングや18禁が本当に正当性があるのか確認してるだけなんですけど読めてますか?
質問も正当性が論理的かどうかの確認に必要だからやってるんですよね、論理の確認を謎の経験談で押さえ付けようとする理由はなんですか? 論理的に答えられないから?
子供をやってる身から言わせてもらうと、子供が質問しまくってくる時はあなたがその質問に答えられないだろうと思ってるって事で、つまりあなたが馬鹿だと思われてる時です。確かにめちゃくちゃヤバいですね。
こんな所で得意げにその正しいか検証されたこともない経験則を得意げに披露してる場合じゃないと思いますけど。
というか、普通に考えて、そういう時は「めちゃくちゃヤバい」場合と「子供が正しい事を言っている」場合の2パターンが有って、あなたは両方を「めちゃくちゃヤバい」に投げ込んでる雑な人ってだけですよね?
その2パターンのどちらなのか考えるのが親の仕事なんじゃないですか? 雑に投げるんじゃなくて。
18禁てのは正しい事と区別がつくようになるまでダメって事だよね。(18になれば分別がつくわけでは無い)それにはやっぱり性教育が必要なので、規制よりも性教育をしっかりすることを発信していったほうがいいのかも
それは同意です(18歳という基準は意味不明ですけど。私に対して「お前は高校生だからいいんだ、小中学生は違う」って言ってる人は、18歳という基準が間違っていると考えているって事ですよね?)
でも現状は性教育どころか、子供をただ性から遠ざけて満足してるだけなんですよね。
例えば仮に子供に悪影響を与えないエロ表現が有るなら、それを18禁じゃなくて子供も見られるようにする、とかそういう議論になると思うんですけど、全然ならないんですよね
子供が性欲を発散するという事を受け入れられない異常者ばかりだから、あなた達は子供の性欲の発散方法を議論するにはまだまだ未成熟なんですよ。一体何歳になったら成熟するんでしょうね?
子供だった私は18歳以上ですか?の質問に「はい」と答えることもあったし、そんなんで子供をブロックできると思ってんのか!って言うのは本当に賛成なんだけど、だからこそ子供には「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」ってことをわかりやすく教えておかないといけないんじゃないかな。
「あなたは18歳以上ですか?」って「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」って意味なんですか? 分かりにくすぎません? 純文学ですか?
普通に「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」と言えば良いのでは? で、勿論それは分かっていますよ(どうせ分かってるって言っても「いや、分かってない」って言われるだけなんだろうけど)
そうだとしたらロリコン同士の態度の相違は矛盾にはならないんですよね、子供には手を出さないという事を世間にアピールするロリコンも居れば、手は出さないけどアピールはしないロリコンも居る、一枚岩ではない、人それぞれですね、で終わる話です。
社会運動には正しくない意見しか使われないって意味で合っていますか?
勘違いしていませんか、18禁を守るのは大人じゃなくて子供なんですけど、むしろわざわざ18禁ってルールを作って破らせているんですけど
子供を守っているつもりなら自己満足だとしか言いようが無いですね。あなたは何も守っていません。
こういう雰囲気だけで喋って中身が全く無い馬鹿が多いから困るんだよ。
“まさかジャンプで風呂覗きの描写が有ったら私や私の同級生が風呂覗きやレイプをするようになると本気で思っているんですか?” 中高生の風呂覗きや盗撮、それなりに発生してるんだよ…大抵ニュースにはならない
中高生の風呂覗きや盗撮がそれなりに発生してるならそれはジャンプのせいなんですか? 頭大丈夫ですか?
君はね、ラブドールからすでに様々な精神的影響を受けて、はてなにこのような書き込みをするまで阿婆擦れに成長したんだ。現在の状態を君は正しく自己分析認識できていない。そういうことを大人達は言っているんだ。
だそうですよ、大人達、よかったですね。
ところでこのコメントがはてブの新着コメントにずっと上がっていて何人も同じコメントしてるのかな? と思ったら、コメントを編集してずっと上に持ってきているみたいですね。そういうテクニックがあるのか、勉強になりました。
あと、これは返答ではないですけど、「これはエロコンテンツです」じゃなくて「あなたは18歳以上ですか?」じゃないといけない理由を説明できている人が恐らくいないですよ。
エロで大人も不快になるなら、「これはエロコンテンツです」の方が正確だし、実態に合っていますよね?(で、そうなると子供を盾に使えないし、使わないで下さい)
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
「同人の紙がOKでデータがNGなのは納得できん!」というのを見かけたので、個人的な見解を残す。
二次創作の同人誌は「頒布」であり、「販売」ではない。ぶっちゃけ建前だが、コミケでも同じだ。
コミケの影響で二次創作が許されている雰囲気があるが、他人の著作物で金を取るのは黒寄りのグレーゾーンだ(※二次創作ガイドラインを出している著作物は除く)。
金銭が関わらなければ二次創作は黙認される場合が多い。しかし稼ぐのなら別。
コミケの頒布がある程度許容されているのは、同人誌を作るのに印刷費・交通費・在庫管理など諸費用がかかるため、金を取るのも仕方ないという大義名分があるから。
同人誌も沢山売れたら利益になる訳だが、ほとんどは弱小で黒字にならないという事で目こぼしされている。
印刷費も交通費もかからない。売上額の半分くらいプラットフォームに吸収されるが、基本的に黒字だ。在庫も制限がない。
おまけにFANZA同人やDLsiteは販売数が見れるので、大まかな売上額も推測できる(※女性向けのDLsiteがるまには販売数非表示)。
そもそも、利益目的ではないのならpixivやTwitterで無料公開すればいい。……と言われると、反論できないのではないだろうか。広くファンに届けたい、頒布や布教が目的なら無料公開のほうがいいはずだ。
DL同人は諸費用がかかるから金を取っている、という大義名分を失うのである。
今後売上の一部を著作者に還元する仕組みが出てくれば反発も弱まるかもしれないが、今のところ二次創作DL同人は他人の褌で金を稼ぐイメージが強い(かといって袋叩きにするのはどうかと思うが)。
ここ2日間で「パパはもう限界」「子供を殺したい」等々のダイアリーがランクインしているのが目立っていたのを見て、「やはり今の時代に子なし夫婦を選んだ自分達の人生は間違っていなかったのだ」と安心できてしまう自分がいる。
我が家はお世辞にも高所得家庭とは呼べず、かと言って貧困でもなく、おそらく子どもを産めばマイルド貧困層に足を突っ込んでしまうんだろうなあという程度の、平々凡々な20代夫婦だ。
夫婦共にフルタイムで働き、都会のど真ん中で広めかつ古めのちょい安アパートを借りて暮らしている。
私自身家事がとんでもなく苦手で、夫と家のことを分担するための大義名分としてフルタイムで好き勝手に働いている。
もちろんそのお金は夫と同額家に入れている分以外は好き勝手に使っているし、夫も夫で自分の財布は好きに使っている様子だ。
仕事帰りにスーパーで食材を買って帰り二人で作って食べるか、適当に外食するかはその日の二人の気分。休日の朝はいくらでもゴロゴロできるし、ゴロゴロしたままNetflixを付けたってゲームをしたって本を読んだって誰にも怒られない。
夫は夫で同じようにゴロゴロしたままだったり勝手に朝食を食べたりゲームをしたり。
好きにだらけるだけではなく、心の底から娯楽をとことんまで楽しむことだって自由に許されている。
大人同士誰にも邪魔されず、好きなように宿を取り好きなようにスケジュールを組み、酒を飲みながら旅行だってできる(今の時期は流石に難しいけれど)。
コロナウイルス流行前は思いつきでフェスにだって行っていたし、ふらっと街に出て適当に映画館をハシゴすることも可能だ。
趣味柄、自分の自由な時間を最大限に使って創作に勤しむ楽しみもある。
ここ数日のランキングを読んで、ああやっぱり子供を生むと上記の自由な時間・娯楽全てが取り上げられてしまうんだなあと再確認させられてしまった。
仕事さえ満足に集中できず、家に帰ると子供の世話。母親は特に世間との分離が激しく孤独を感じやすい生活に一転してしまう。
上記に書いていないような細々とした幸せや娯楽、日々の息抜きでさえまるで子を生んだ罰のように禁止される生活。
突き詰めてしまえば、子作り子育てとは現代の文化的な娯楽から正反対の位置にある一種の労働だ。
ひとえに「子の成長」を支援する立場として、一切の見返りを求めずひたすらに子に尽くす無償ボランティアのような労働である。
ぶっちゃけ年収倍になってもやりたくないし、お金もらっても生みたくない。
多様化する社会の中で子なし夫婦だけが正義だとは言わないし、子どもがいるからこそ人生に意味を見出し暮らしている人も沢山いるのだと思う。
大坂なおみ選手が大会ボイコットで話題になっているが、個人的にはあまり支持できない。
自身が目立つことを優先しているように見えて若干の嫌悪感があるのと、自分の影響力に無自覚なところが気になるのだ。
以前のBLMで大阪でデモをしようと呼びかけがあったときにも感じたのだが、
コロナウィルス感染拡大防止のために飲食店や、スポーツ・音楽イベント等が全て自粛しているときに、
人を集めて集団感染リスクを高めることをよくもできるなと思ったのだ。
そして、そういう慎重な意見をSNSで投げかける人には「あなたは差別主義者なの?」的なリプライをしていて、
大義名分のもとに反対意見を一方的に切り捨てて、対話ができないところも気になった。
で、ぶっちゃけその手の嫌悪感を感じるのは大坂なおみ選手に限ったことだけではない。
環境活動家のグレタさんも苦手だし、反原発運動や最近のフェミニズム運動も苦手だ。
個人的嫌悪感の共通点が何なのか言語化すると、いわゆる『活動家』嫌いという傾向だ。
もっと言うなら、『急進的で実効性が乏しい主張をする人たち』に強い違和感を覚えるのだ。
ぶっちゃけ例として挙げた活動についても、個々の論点自体は賛同できる部分が多い。
黒人の権利は大事だと思うし、気候変動の問題は放置できないし、原発事故の危険性は対処しないといけないと思う。
大学入試で性別が違うだけで合格点が変わるなんて論外だと思う。
が、しかしだ。
それなりに清く正しい社会生活を送っている自負のある一市民に対して、いきなり「良くもそんなことを!」言われて
お前は環境破壊する悪い奴だ見たいなレッテルを張られるのはイラっとするし、自動車を使うなと言われても、利用をやめると生活が成り立たなくなる。
原発事故の危険性は理解している。だけど原発を即時全廃して安定的な電力供給はどうするのだろう?太陽光や風力は天候に左右されるし、
無秩序に再生可能エネルギーの新設を推進したことで、山林の乱開発といった新たな問題も発生している。
東日本大震災後の日本は、天然ガスや石炭火力の比率を増やしてしのいでいるけど、天然ガス資源には産地が偏在しているリスクがあるし、
石炭は比較的産地が分散してるけど、採掘・燃焼による環境破壊や温室効果ガスの排出に目をつぶってよいのだろうか?
性差によって職業差別を受けるのは許してはいけないと思うけど、
いわゆる萌え絵のようなイラストはすべてが男性に媚びるために書かれているのだろうか?
全部まじめに対応した先に待っているのは、人民服や就活のリクスーのような、画一化して多様性のない社会なんじゃないだろうか?
なんというか、正義感で突っ走って始めたものの、『私のいう事を聞け、多少の問題は大義のために目をつぶれ』というような、
話が通じない雑な主張には反射的に虫唾が走ってしまうのだ。
大会ボイコットが警官による射殺事件への抗議なら、落としどころはどこになるのだろう?
BLMが全面的に収束するまで全ての大会をボイコットするのが正解なのだろうか?
個人的には大坂なおみ選手の事例ならば、大会ボイコットというような強硬的な態度を取られるのではなく、
「大会の獲得賞金を全額事件の被害者遺族と支援団体に寄付する。皆さんもこの問題を考えてほしい」的な呼びかけだったら、違和感なくすんなり支持できると思うのだ。
今の態度だと、社会の分断と対立を必要以上に煽る方向になってしまっているように見える。
なんだかんだ言って、社会を構成している人の過半数はノンポリに近い穏健保守派なわけだし、(世論調査の無党派層の多さでわかるだろう)
トーンポリシングと言われるかもしれないが、社会運動をしようとする人たちは、声の大きな支持者よりもサイレントマジョリティの方を向いて世論に刺さるように行動しないと逆効果と思うのだ。
とある場末の喫茶店。分煙化の潮流が激しくなる中、そこは地元の喫煙家にとって未だ憩いの場であり続けた。
しかし、にわか雨に嫌われた市長が、その店に緊急避難したことで事態は急変する。コーヒーよりもケムリが優先された空間に市長は眉をひそめた。嫌煙家ほどタバコに暗い情念を抱いてはいない。それでも健全であろうとする身の上が、「何か言っておかなければ」という衝動へ駆り立てた。
そんな市長に対し、店内の空気は冷ややかであった。その店を利用している客たちは普段“わきまえている”者が多く、それぞれ喫煙について一家言ありつつも享受している集まりだ。対して、市長の意見はあまりにも周回遅れだった。ウンザリした客たちは、この場において自分たちの喫煙が正当な権利であると主張することにした。それに加えて、市長の展開する議論が如何に古くさく、偏狭に満ちているかも指摘したのである。
論理武装を整えている数名と、杓子定規な竹輪しか持っていない市長。どちらが煙に巻かれるかは火を見るよりも明らかだった。タバコ一本が吸殻になる間もなく、市長は逃げるように店から出て行った。こうして店内は以前の雰囲気を取り戻したが、所詮これがピュロスの勝利でしかないことを彼らは分かっていた。
それからしばらくして、この町に「禁煙法」が制定された。つまりタバコの全面禁止である。何とも極端な政策だと思うかもしれないが、市長のやることとしては日常茶飯事の範疇である。市長は善良で行動力のある為政者で有名だが、同時に無能で単純な政治屋としても有名だ。
地元の風土も考えず風力発電所を作ったり、「足が不自由な人を抑圧する」として公共での二足歩行を禁じたこともある。そんな市長を椅子に座らせ続けているのは自分たちなのだから、この程度で驚くようでは市民は務まらない(言い訳させてもらうなら、候補の中でこの人が一番マシだったんだよ)。
それに今回の場合、一般人たちの反応は概ね好意的といえた。なにせ自分たちの世代はタバコの有害性について耳たこレベルで教え込まれている。公共での分煙化も推し進められている真っ只中だったので、喫煙というものに社会的な有意性も、政治的な優位性もないと考えるのは自然の摂理といえた。市長のやることを訝しげに思いつつも、ほとんどの人はとりあえず賛成派だった。
一部、ヘビースモーカー達による署名活動やデモ等が小規模に行われることはあったが、せいぜいその程度。かの喫茶店の客たちも、この状況を心静かに受け入れていた。
禁煙法ができてから数週間ほど経つと、なんとも不思議なことが起きていた。タバコを禁止しているにも関らず、なぜか喫煙者は以前よりも増えてしまったのである。理由は色々とあるが、ひとつはタバコの定義について詰めが甘かったのが大きい。
そもそもタバコは植物であり、それを原材料にしたもの全般がタバコといえるのだが、市長はこの辺りの知識が乏しく、一般的に普及している紙巻きだけを禁止したのである。実際は多種多様であり。蚊取り線香のように炊くものや、ガムのように口の中に含む物などがあった。中には舐めたり、吹いたりするものもあるのだが、市長はそのことを知らなかった。
厄介なのは、そのほとんどが普及していた紙巻きタイプより“重い”という点だった。紙巻きタバコの代替として使用し始めた喫煙者たちが、より深刻な依存症を患ってしまったのである。
それから何とか定義し直しても、今度は企業とのイタチごっこが待っていた。再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たな“タバコのようなもの”を作り出す。特に煙屋が発明した「臭そうで臭くない少し臭い草」は革新的だった。どうすればこれを禁止に出来るかは、今なお思考実験として人気である。
そして取り締まりの問題もあった。何度も再定義するせいで現場の役員は対応しきれず、時に無用なトラブルに発展することもあった。結局、後手に回り続けるしかなかった市長は痺れを切らし、企業そのものに圧力をかけることで流れを止めたのである。
しかし、この選択は逆効果だった。既に喫煙行為は有名無実化している状態であり、市場に出回らないのなら個々人で賄おうとする動きが活性化したのだ。“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいた。栽培そのものは禁じられていなかったため、取締りが後手に回りやすかったのも大きい。
「第一次タバコ自作ブーム」の到来である。このブームを最も苦々しく思う者たちがいた。政府に圧力をかけられたタバコ企業と、それに属する元組合たちだ。タバコの販売ルートは組合で決まりが存在していたのだが、禁煙法でそれが丸ごとなくなってしまった。それをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈しているのだから、元組合の者たちは不満を募らせる。
そこで彼らは一念発起し、対抗すべく新たな組合を結成した。「サクリムケ組合」はこうして誕生したのである。組合は市場に出回る粗悪品を排除し、よく出来たタバコを作っていた者はスカウトして組織を大きくしていった。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わない者も多かった。そういった者達で立ち上げられたのが、悪名高き「シューリンガン互助会」である。こちらは烏合の衆の過激派であり黒い噂が絶えない。サクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生しており、そこに役員が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
この頃になると、非喫煙者の間でも「禁煙法は失敗だったのでは?」という意見が蔓延し始めていた。撤廃されるのは時間の問題といえた。いま思うと、あの喫茶店の客たちが妙に冷静だったのは、いずれこうなることを予期していたからなのだろう。
そして某日、いよいよその時はやってきた。サクリムケ組合とシューリンガン互助会による大規模な抗争である。嫌煙家に「副流煙と中年ヘビースモーカーの方がマシ」とまで言わしめた激しい争いだった。禁煙法によって生まれた組織を解体させるには、禁煙法を失くすしかなかった。
これが禁煙法による大まかな歴史だ。喫煙問題が取り沙汰される度に、この出来事を挙げる人間は多い。その対象が如何に有害であっても、権利そのものを奪えば支障が発生する。その典型的な事例である、と。
だが、この出来事には裏事情がある。禁煙法を撤廃する代わりに、タバコの税率が大幅に上げられたのだ。そして、これは政府にとって予定調和だった。というより、タバコの税率を上げることこそ本命だったらしい。市長は人々の健康を願って「禁煙法」を提案していたが、政府の思惑はもっと別のところにあった。
税金を何とか工面したい、市民にもっと納めて欲しい状況。だが、税金には大義名分が必要だ。喜んで負担するとまではいかずとも、「仕方ない」と思える程度の理由がいる。かといって、あまり踏み込んだ話をすると国民は警戒してしまう。注意を逸らしつつ、実際に論じるべき問題から遠ざける必要があった。その条件を満たすのに、タバコは丁度よかったのである。
だからといって皆にスパスパ吸われても、それはそれで困る。不健康になって医療費が嵩んでしまっては本末転倒だからだ。タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで儲ける。このパラドックスを成立させるには、タバコに対する問題意識を国民にしっかりと持ってもらう必要があった。義務教育でしつこく教わるのも、分煙化の潮流もその一環だろう。
それらを踏まえると、「禁煙法」なんていう突拍子もない政策が通ったのも納得がいく。本当の目的は、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手に入れるための物語作りにあったのである。喫茶店の客は、後にそう語っていた。