「入学式」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 入学式とは

2023-04-09

パーソナリティのゆうすけさん、ゲストのお二方、リスナーのみなさん

 4月といえば、出会いシーズンなんていうだけあって、入社式だとか入学式に向かうフレッシャーたちと街中ですれ違う機会というのも多いものですよね。

 スーツでピシッと決まってる立派な姿を見ると、他人ではありますが、思わず親の気持ちにもなってしまます。「あんた、こんな大きくなって……」

 嬉しい反面、親元を離れていくことに少し哀しさも覚えます。思わず涙がこぼれてしまうことも。

 けど、振り返って、すれ違った立派な彼女たちの後ろ姿、ジャケットベントの部分をみると少し安心ちゃうんですよ。スーツには不格好な白いしつけ糸。「ああ、まだまだ子どもだなあ。」

 10年前、長男大学入学式の朝、しつけ糸が付けっぱなしになってるのを教えてあげなかったことを思い出した。いじわるなお母さんでごめんね。「しつけ糸」は親離れしてほしい思いと親離れしてほしくない思いの混ざった複雑な親心が課す最後の試練なのかもしれません。

 慣れない革靴で歩きづらそうにしていた長男上京してもう5年、来月には結婚が決まりました。何歳になっても、家庭を持ってもいつまでも母親でいさせてください。

 今週のリクエスト曲は、『相変わらず 愛変わらず』でお願いします。

60代 女性 ミカポン

2023-04-08

今日入学式やってるところ多いのか?

セレモニー服を着ている奥様方と、緊張気味のおめかしした子供達が多い

2023-04-07

やめとけやめとけランドセルは黒にしとけ

Pink is the new black? 黒は昔からずっとブラック

無駄なく労せず入学式も難なく

ロクな苦労もなく帰りの会まで乗り切れ

もらったプリントそのままランドセル入れ、

なくさずもらってこい読めなくていいか

読まなくていいか

2023-04-06

anond:20230402001412

まりアマゾンのレビューを、「ご入学おめでとうございます」をアタマに付けてあたか入学式でのスピーチかのように演出して、誰が気付くかな〜?ってやってたということ?

心理学では統計重要だというのは知ってたから、疑問を抱かずによみとばしてたよ…。読みにくいのは講演書き起こしだからだと勝手に納得していたよ…。

そしてアマゾンレビュー見てきたけどのどの部分かあんまりよくわからなかった。元増田の一部をコピーして検索しても、うーん。いつも思うけどアマゾンサイトもわかりにくいしな〜。

レビューみんなツイッターがどうのこうの書いてあるけど元増田ツイッターって単語出てきたっけ?かなり改変してる?いや、そもそもまだ元増田をキチンと読んでないから…でも読みにくいんだよ…

あっ、「ご入学」じゃなかった。「みなさんおめでとうございます」だ。あーあ、ほらぁ雰囲気しか読んでねえなあ自分

anond:20230406185936

結婚子育ても無い人生の「幸せ」って娯楽や趣味からしか無いでしょ

入学式に校門の前で子供写真撮るとき幸せとか孫を抱いた時の幸せとか

そういうのを捨ててまで欲しいものでは無いと思う

かに疲れるからさっさと育てって思うけどね

今日明日入学式の予定が多い

待ち時間に暇を持て余した子持ち既婚者の書き込みが増える模様

既婚騙り独身は気を付けてな

2023-04-01

築50年都内マンション様相 身寄りのない高齢者の補足

身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。

 

 コメントで、築50年、1970年代に作られたマンション様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。

 

 このマンション1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取り3LDK私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。

 小学校入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれ班長レストランせがれが副班長スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋社長理工系技術者保育士共産党員福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋おやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油砂糖がないときは借りに行ったりというつあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域情報を過剰に共有していた。マンション商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったか情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。

 おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者ほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり住民がいぶかしがるような時代だった。独身者アパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民マンションに住むという構造だったのだと思う。商店街コンビニレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しか資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京未来を信じていた時代だったのだと思う。

 その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由暮らし謳歌していた。文化的地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。

 そんな2000年代。わが地元マンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化たからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンション世帯四方にあり、衛星放送アンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたときマンション理事会が開かれるという。私は屋上衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話インターネットに繋いでいた時代の話だ。

 「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンション構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下であるエレベーターマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段けが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人住み込み管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心いたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦住民とは打ち解けている。数年前、管理会社方針住み込みでの雇用は打ち切るとなったときマンション自治会自治会費で管理人室を買い取り、管理人雇用することになったとのことだ。そのとき声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込み管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠管理人介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人裁量判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。

 

 とりとめなくなってしまった。地域先生の話をひとつ

 マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球サッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭大人行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師夫人が、先生師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき野球サッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。

 たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生最近どうなのという話題は常にあがる。先生スーパー下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。

2023-03-28

ひきこもっていたらおばさんになっていた

メンタルわずらい、正気を保っていられなくなったのでずっと引きこもっていた。

会う人といったら病院先生くらいだったので、見た目でちゃんとした印象を残そうという気が全くなくなった。

それまで女性らしい服を好んでいたが、引きこもってから不思議な無性別な服を着ていて、化粧もしなくなった。

それから2年。

幸いにしてメンタルが復活し、規則正しい生活が送れるようになった。

気力も回復した。

いよいよ社会復帰タイミングがきた。まずはバイト面接を受けることにした。

きちんとした印象を見せようと思うのは久しぶりだ。

Youtubeメイク流行を調べ、化粧品も新製品を購入した。

メンタルわずらう前にしていたように、シャワーを浴び髪を整え、メイクをしてアイロンをしたシャツパンツに着替え、鏡の前で全身を映した。

なにこれ。と思った。

完全におばさんじゃん。

中学生の時の数学先生を思い出した。おそらく当時彼女は今の私くらいの年齢だったはずだ。

彼女ピーターラビットが好きで、ピーターラビットスタンプをよく提出物に押していた。

痩せてはいないが太ってもいない、つまり中肉中背だったのだが、おばさんかと言われると完全におばさんだった。

でも本人がおばさんであることに戸惑っているような、納得が行っていないような、そんな印象があった。

まさにあれは今の私だ。

そういえば最近郵便局に行った時、「これはお子様の口座ですか」と聞かれた。

お子様のかどうかを聞かれたのは他の場所を含めてもこれが初めてだった。

最初はなんでそんなことを聞くのだろうと普通に思った。

かに小学生の子供を育てている主婦写生大会があったらモデルができそうなくらい、絵にかいたような主婦っぽさが今の私にはあった。

書き忘れたが私は独身だ。子供もいない。

2年前可愛いと思っていたちょっと良い服は、子供入学式で着用しそうな恰好に変化している。

愕然とした。

おそらく引きこもっていなければ少しずつ訪れる見た目や雰囲気や扱いの変化を徐々に受け入れていけたのだろうが、2年間引きこもりその機会をスキップして突然変化を目の当たりにすると、愕然としてしまものなのだ

でも要因は分かっている。

一番は太ったことだ。

よく考えてみたら私はふつうにおばさんの年齢なのだが、痩せている時はそう言われなかった。

太っていると全てそっちに引っ張られてしまうのだ。

仕方ない、痩せるか。

糖質制限ジョギング、それで必ず痩せられたが今はどうだろうか…。

🌸桜は空気読めよ

卒業式には遅いが入学式には早い今の時期に花をつけるな

2023-03-27

中学受験体験記 - その後

先日、高3の長男卒業式を迎えた。

6年前に「中学受験体験記」という記事で書いた息子だ。

https://anond.hatelabo.jp/20170206102543

いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。

長男卒業した学校について

前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。

それからの6年間、長男部活勉強学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。

その高校卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気

いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。

ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。

その全てが許されている。

男子校ではあるが、女性の格好をした生徒も数名いた。

後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。

彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダー問題に限らず、素の自分を臆することなさらけだせる環境校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。

この学校では自由がとても重視されている。

生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。

ただ自分卒業した関東公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。

自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。

ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。

そうするとたまには自由暴走してやらかす生徒も出てくる。

最近ネット高校生のやらかしSNS拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。

退学させてしまったら、更正のための指導教育ができなくなってしまうではないか

高校勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。

先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。

PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。

卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男コメントが書いてあった。

今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。

長男の進学する大学について

卒業式から一週間後、受験した大学合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。

ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。

この東大というところは、多くの人にとって特別意味を持つ大学のようだ。

老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。

実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。

一方で自分気持ちは複雑だ。

長男が志望大学合格したことはもちろんうれしい。

しか自分田舎公立中高から塾にも通わず東京とある国立大学に進んだ身だ。

大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。

全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。

こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。

寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。

しかしそれはそれとして、都会育ちのエリート金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。

それから30年。

よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。

合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。

「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」

もう自分父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。

次男について

長男とは4つ離れた次男私立中高一貫校に通っている。

自分次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。

小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。

反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。

「僕、もっと勉強ができるようになりたいんだよ!」

ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである

しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。

次男別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。

そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。

偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。

・・・のだが、半年前に予想だにしないことが起きた。

アメリカ高校に進学したい」

ちょっと面食らったが、もともと大学海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。

だが高校留学のことを調べ始めて顔が青ざめた。

日本人が通えるアメリカ高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。

そしてこいつの学費想像以上に高い。ましてや円安だ。

無理ではないが、老後の計画根底からくつがえるレベル

でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。

ここはもう腹をくくることにした。

そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。

半年後にはもうアメリカだ。

突然子育ての終わりがやってくることになってしまった。

ところでアメリカ高校は4年間あって、1年生から入るには日本中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。

まりいま通っている私立中学中退してアメリカ高校入学する。

なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。

まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。

自分について

1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。

ここに書くほどの理由はないが、とにかく今は無職だ。

ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。

最近団塊ジュニア向けの商品サービス広告モデルや、テレビ再現VTRなどで、40代以上のシニアタレント需要がそこそこあるらしい。

そしてめでたく合格した。

4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレント仕事を紹介してもらえるようになるらしい。

まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初習い事みたいなものだ。

そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。

タレントになるのが早いかITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。

この家族旅行について

妻も職場資格試験合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。

それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本デフレを痛感する。

タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまレベル

いや、これまで散々投資してきた息子たちから配当に期待か。

以上、深夜のワイキキビーチより。

2023-03-24

中学以降の卒業式、ぜんぶ出てるし別に封印したいような記憶でもないのにまったく記憶がない

入学式だったり他の行事記憶はうっすら残ってるのに卒業式だけ全くない

2023-03-21

anond:20230321220751

サークル勧誘あったよ。入学式みたいに多くの新入生が出入りする会場の前にたくさん来てた。盛大にやってた。

あとサークル入ると今度はサークル勧誘「する」側として毎年結構議論や労力を費やすからする側として記憶に残ってる人も多いと思う。

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-03-12

ノーマスク入学式くしゃみの一本締めはありえない

咳エチケット継続してもよいだろう

2023-03-07

anond:20230307151009

小川麻衣子ひとりぼっちの地球侵略」全15巻

https://gekkansunday.net/work/475/

人口70万に満たない、そこそこ栄えた地方のそこそこな中心都市・松横市。

この春、高校入学する広瀬岬一は、入退院を繰り返す双子の兄・凪とは正反対健康優良児。

入学式当日、岬一の前に現れた“ひどい変わり者”の2年生・大鳥希。

「命をもらいに来た」と岬一に迫るが、岬一の身体は負った傷をたちどころに治してしまう。驚く彼に、彼女は態度を一転させて告げる。

「一緒にこの地球侵略しましょう」と――


 

 

 

青桐ナツflat」全8巻

https://magcomi.com/episode/13933686331605684933

マイペース高校生・平介。そんな平介の不動の日常を少し揺らしたのは、従弟の超忍耐幼児・秋(あき)で…。年の差凸凹コンビが贈るゆったりハートフルシリーズ





どちらも、連載中に読んでいて「これはアニメ化するだろ」と思ってたら完結してしまった。

2023-03-03

底辺校のやつら犯罪起こしすぎでしょ

底辺校の奴らは入学式で眠らして孤島でバトルロワイヤルさせようよ

上級国民がそれ見て楽しめば、犯罪率も下がって、お金儲かって一石二鳥じゃん

2023-02-27

ヨッピーへ いつか来た道、歩んだ道

ヨッピー君、僕ね最近孫が生まれたのよ。まぁつまり自分の子供に子供が生まれた。
見る人が見ればなんの変哲も無い報告だけれど、たぶん今のヨッピー君には心へグッと来るんでないかい?

ヨッピー君さ、子供が生まれ人間というもの社会というものをよく考えるようになっただろう?
自分自身が歩む人生の後ろに自分の子供が居ることへ気付いただろう?
それは僕たち爺さん婆さんが歩んだ道だ。

若い頃、独身だった頃に感じた社会のクソさ加減、他人による無理解の加減、そんなもの人生パートナーが出来て子供が生まれた今のヨッピーからすると見通しが甘かっただろう?
まったく理解してなかった、なんでこんなにも独身の連中は"結婚"や"子育て"や"教育"という概念へ対して素っ頓狂な解釈をしているのかと驚いたことだろう。

気付いてしまったんだろう?認識が変わってしまっただろう?
お金収入人生設計、教育、果てはWebライター記者という仕事認識すら変わってしまったんじゃないか今のヨッピーからするとね。
凄いだろう?自分を育ててくれた大人は、親は。こんなことを考えながら自分を育ててくれていたのかと信じられないだろう?

ヨッピー君さ、ちょっと前にM.O君とやりあっただろう?
そのときヨッピー君はM.O君のパートナーを貶めたりしたよね?
どうだい?今のヨッピー君にはなかなか堪える過去自分だろう?

人生の先輩としてアドバイスしようか。
ヨッピー君、抗いなさい。

ヨッピー君、キミはWebライターだ。
今思っていること、経験したこと、抗いたいこと、様々をキミの職業を活かして発信しなさい。
そうして発信したことを多くの人へ届けて話し合いのきっかけになさい。

こんなジジイ戯言をここまで読んでくれた若い人たち、ありがとうね。
今のヨッピー君は今まで気付いてなかったことにどんどん気付き始めていて、今まで理解していたと思っていたものが全く理解してなかったと気付いて、それを何とかしようと抗ってるのさ。
ヨッピー君は、ヨッピー自身が考える格好良い大人、格好良い父親になろうとしてるんだ。

子供というのは親を見て育つ。だからこそ子供理想の親の姿というのを求める。親であればこうするべきだと考える。
しかし実際に子供の親となったとき理想の親の姿というのはどのように変化するのだろうか?

それはね、子供視点での理想の親と親視点での理想の親が混ざった姿もの理想的な親の姿になるのさ。
すべての親は子供時代経験しているか子供視点と親の視点を持てるのさ。

からこそヨッピー君は親となったとき親の視点という存在に気付いてしまったんだ。
これを読む若い人たちの中にも親は居るだろうけど何となく理解できるだろう?

僕はもう子育てを終えたジジイだけれど、ジジイからこそヨッピー君には現状に抗えと言ってあげたいな。
大人とは、親とはこういうものだよと僕が教えるのではなく、ヨッピー自身が色々試して挑戦して抗って大人とは、親とはこういうものなんだなと自分自身で気付いて欲しいね

でもまぁコレは大事かな?と思うので最後に付け加えるよ。

若い親の皆さん、君たちの子育て、教育の正しさは日々わかるものではなく子供たちの入学式成人式など節目節目で子供たち自身証明してくれるものです。
子供学芸会で歌える、運動会で走れる、研究発表する、生意気にも親の誕生日プレゼントを送って寄越す……そういう節目節目で子供たちは皆さんの正しさを証明してくれる。
節目節目という稀な機会しか自分の正しさがわからない、毎日不安だ。
からこそ今日このときだけはジジイの僕が言おう!

ヨッピー君を含め、今回の話題で思いの丈をぶつけ合ってる君たち全員が正しい!よくやった褒めてやる!

ジジイに褒められても嬉しくないかも知れないけどね。
本当によくやってるよ君たちは。僕の老眼には眩しすぎるくらいだ。頑張れよ応援してるんだからな。

2023-02-10

口ではマスク反対と言いながらでも大学入学式マスクを着けていた方がいい

入学直後に感染してしまえばサークルバイト講義など人間関係構築に後れを取ることになる

2023-02-07

見た目って大事だよね

大学入学前のオリエンテーションでさ、目についた同級生がいたのよ

派手な服とか特別整った顔立ちとかではないけどなぜか目についた、お互い

でも話しかけず隣にも座らず、その日は無関係の人のまま終わった

日付が変わって、入学式でまたその子が目についたのよ

また目があって、今度は話しかけて友達になった

15年ほどたった今も定期的に遊んでる

今週末も遊ぶ予定を入れて、それでふと馴れ初めを思い出した

今思えば外見の雰囲気だけで共通するものに気付いて、友達になれそうな気配を感じ取ったんだろうなあ

実際趣味性格は似てるところがあったし(細かく考えると全然違うけど大枠としてはね)

そう考えると見た目って大事

余談だけど誕生日も一緒だったよ

2023-02-04

受験生痴漢するやつって変態の風上にも置けないと思う

ちゃん自分の力を出し切った上で、理想通りの自分になれずに絶望する。

絶望というよりも失望

その顛末こそが最高だろうがよ。

その状態自暴自棄になっている受験生を食い物にするとかなら、まだ変態として理解できるんだよな。

チャチな理不尽人生台無しにするだけじゃ、破壊芸術としても未熟というか、何も分かってないと思うんだよね。

喩えるなら、全く熟してもないな果実を盗んでいくような無能泥棒でしょ。

せめて収穫出来るタイミングで盗みに来いよ。

まりにくいかどうかじゃなくて、捕まるリスクを犯してでも得るべきものがあるかを大事しろって。

変態ってさ、高レベルからこの世界存在が許されてるんだよね。

レベル変態は単なる失敗作だから死ぬべきでしょ。

本当受験生狙うなって思う。

同じような「痴漢になんて構ってられないような時期」を狙うにしても、憧れの学校に入ってウキウキ気分で真新しい制服に袖を通して入学式に向かうそ電車で精液をぶっかけるとかがあるじゃん

こっちだったら相手人生に最悪の汚点を残すっていう高度な芸術性が産まれるんだけどね。

そういうのってさ、痴漢メンタル乱されたせいで本来合格するべき娘が消えれば消えるほど、落差を稼げなくなると思うんだよね。

たどり着くべくしてたどり着いたゴールなのに、そこで最悪のスタートを切るってのがやっぱ大事なわけよ。

もしもその娘が既に受験時に痴漢された上で合格したとしてもさ、それだと身構えることが出来るから落としきれないしね。

はーほんま、熟すタイミング理解できないまま果実を盗んでいくバカ泥棒は消えてほしいね

変態ってのは、芸術を愛するべき人種だよ。

それが出来ない変態は、何の価値もない異常者。

庭でウンチ煮込んでいるような知的障害者しかない。

殺処分でいいよ。

受験シーズンの痴漢は。

2023-01-12

anond:20230112142833

でも就活時にリクルートスーツに買い替えるし、入社後もしばらくそれを着るんでしょう

田舎公立高校私服)の卒業式女子みんな袴履くってんだからびっくりした

(自分等の時は大学入学式でも使えるスーツ着てる人が殆どだった)

入学式スーツは使えて成人式。2~3回しか着ない(その他法事

anond:20230111221322

思いつかないけど、ファッションメイク不況真逆バブルっぽい感じに回帰してんだよなあと思う

X・アルファ世代だけは不況感無いのかもな

関係ないけど母校(田舎公立高校私服)の卒業式女子みんな袴履くってんだからびっくりした

(自分等の時は大学入学式でも使えるスーツ着てる人が殆どだった)

疫病のせいで卒業式卒業生しか出ないから、本当に自分達と親しか見ない状態だよな

これから進学するってのに、着物レンタルで更に親に負担かけるのすげえなと思う

一応進学校からバイトしてる率も低いし、自分で金出すわけねーし。たぶん卒業旅行とかも行くだろうし

(実際、親から「(和装は)負担がでかいから禁止にしてくれ」っていう声が上がってるそうだよ

なんで学校に頼むんだよ。お前らが金出さなきゃいいだけじゃん

でも、出さないとどうすんだろ。「みんな着るのに!!」って泣きわめくのかな。嗤う)

今の若者は少数だから金かけて育てられてるよなあ

羨ましいよ。人数少ないから進学も就職も余裕じゃねえか(疫病が無ければ就職率ほぼ100%だよな)

ほんと自分等の世代とは真逆

人生なんて結局総て運よ

2023-01-08

現代ファミリー記録カメラの最適解はスマホ+デジイチ+360°カメラ

スマホのみユーザーにはバカバカしい構成に思えるが・・・

1人のカメラ好きとしてスマホ利便性は物凄く良い。
何なら総合力としてはデジイチ(レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ)や360°カメラは著しく劣ると個人的には評価している。
最近スマホカメラの画質は非常に良くなったと痛感するし、カメラ好きだからと言って常にデジイチを構えているわけではなく、何なら日常的な利用頻度はスマホカメラが最も高い。

ただやはり、カメラ専用機にはカメラ専用機の強みがあるのもまた事実で、この強みを知ってしまうとスマホカメラ日常的な撮影から入学式などの式典、アミューズメント施設での思い出記録までカバーできるなどとは口が裂けても言えない。
スマホはやはり総合力が高いだけであって、カメラ専用機シチュエーションに合わせ特化できる仕様カメラ専用機の強みであると言える。

レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ運用

従来方式レンズ交換式デジタル一眼レフカメラ(一眼レフ)の規模縮小がカメラ業界でも決定的となったことはカメラファン界隈では「ついにこの時が来てしまたか・・・」と様々な想いが巡っている。
後継となるデジイチミラーレスと呼ばれるレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラは今後プロシーンであってもどんどん普及していくことだろう。

ファミリー記録カメラレンズの基本は35mm前後〜50mm前後カバーできるズームレンズ

いわゆる標準画角と呼ばれるフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後(APS-C換算23mm前後〜33mm前後)をカバーできるレンズを常にデジイチへ装着しておいてシチュエーションに合わせズーム活用して撮っていくのが良い。
可能ならばレンズ内蔵の光学手ブレ補正機能が付いているものが望ましい。

レンズ選択肢保育園幼稚園の年中を境目に変わる

子供が生まれからカメラに目覚める親は少なくないが、これからカメラを購入しようと考えているならば自分の子供が保育園幼稚園の年中(4歳前後)へ至っているかどうかで実は変わる。

これ何故かと言うと行動の活発さ、というかワンパクに遊ぶようになると移動距離と速度が変わるからなのだ
イメージやすいところで言うと、生まれたばかりの新生児ハイハイ程度しかできない乳幼児フラフラと歩くことしかできない離乳食前後幼児カメラで捉えるのは簡単、当たり前ながら物理的にそう動かないので撮りやすい。

しかし年中くらいに達すると知能と同時に運動能力もそこそこ向上しはじめてカメラで追うのがちょっとずつ大変になってくるのだ。
駆け回るし、ジャングルジムみたいなのに登ったりするし、キックバイク自転車へ乗れるようになったりする。

まり自分の子供があまり動かない年齢ならばじっくり撮影できることが多いため、レンズズーム機能必要がなく、それならばお昼寝などの暗いシチュエーションでも明るく撮影できたり、背景が美しくボケるズーム機能の無い単焦点レンズ選択したほうが安上がりなのだ。親が近寄るのでズーム機能使わないからね!
逆に子供が活発に動くようになった年齢ならば様々なシチュエーション対応できるようにズーム機能があったほうが都合良く、ズーム機能が無い単焦点レンズだと困ることが増えてくる。

例えばサードパーティレンズとして定番SIGMA単焦点レンズズームレンズの双方の販売価格確認すると、その両方とも約5万円からライナップしているがF値と称されるどれだけ明るく写せ、そしてボケるか?という数値を見ると同価格帯では単焦点レンズの方が有利だ。
暗いことの多いお昼寝シーンやお誕生日会でケーキに灯るロウソクを吹き消すシーンなどでは明るく写せる単焦点レンズを使いたいだろう。暗かったらそもそも写らななかったりノイズが物凄く乗るわけだし。
カメラのボディ本体が約10万円からライナップされている現状を考慮すると、レンズ1本を追加で約15万円、子供の成長に合わせて利用シーンを考慮レンズ選択することで安上がりにカメラを始められるというのはカメラ購入で失敗したくない入門者として知っておきたい情報だ。

写真動画デジイチで撮る

スマホでも同様のことが出来るものの多くの人が経験しているだろうが暗い場所スマホ動画を撮るとノイズが物凄く乗る。
それは最新のiPhoneだろうがPixelだろうがXperiaGalaxyとか関係がなく、ナイトショット機能が搭載され始めたとは言え今度は物凄くブレるのだ。

この原因はスマホカメラへ搭載されるレンズの明るさとイメージセンサーの面積にあり、最近スマホカメライメージセンサーは1インチ面積を持つこともあるがレンズ交換式カメラの入門機へ採用されやすAPS-Cサイズイメージセンサーは1インチセンサー比較して約1.7倍もの物理的な面積の差がある。
イメージセンサーの面積が大きいということはそれだけ受光できる面積を稼げるということであり、単位時間あたりの受光量も増やせるということだ。
それはどういうことか?と言えば、ソフトウェアや近年流行AI撮影データを補完する部分を少なく出来るという意味であり、ノイズというのは撮影データの補完へ失敗した粗が出た結果なので、APS-Cサイズセンサーなどを持つレンズ交換式カメラは暗い場所でも明るく綺麗に撮りやすいことへ繋がる。

ただ撮れていれば良いのであればスマホカメラでも良い。しか子供の表情をハッキリと残し綺麗に撮りたいのであればデジイチの強みが発揮できるのだ。
綺麗に撮りたいという需要子供の節目節目に起こるものだし、レジャーなど特別な日でも望まれることだろう。

デジイチは明るく撮れるし背景もボケてエモい動画が作れる。
何ならカメラ向けの外付けマイクとかも販売されているので発表会での合唱とかも高音質で撮れたりもする。
こういうの考えると沼になる。

結局、運動会や発表会はどうしたら綺麗に撮影できるのか?

カメラに目覚めた親ならば必死になるイベント代表である運動会や発表会。
筆者の経験から結論を示そう。

フルサイズ換算100mm前後〜450mm前後(APS-C換算70mm前後〜300mm前後)のズームレンズが最低限必要

気をつけて欲しいのは"最低限"という部分だ。
このズームレンズ選択というのはかなり環境依存するもので、子供が通っている保育園幼稚園学校施設の広さによって変わってくる。
しかしながら経験則上、フルサイズ換算で100mm前後〜450mm前後未満のズームレンズじゃ絶対に倍率が足りないというのは断言できる。
スマホなんてもっての外だ。倍率足りないしブレるしデジタルズームで画質が粗くなる。

理想を言うならフルサイズ換算50mm前後〜300mm前後、フルサイズ換算150mm前後〜600mm前後カバーできるズームレンズが2本あると幸せになれるだろう。
ただし予算がそこそこ必要なので多くの人はフルサイズ換算100mm前後〜450mm前後ズームレンズを選んでおけば何とかなる可能性が高い。
スマホやフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後ズームレンズで何とかしようとすると間違いなく米粒のようにしか子供が写せないのでこういう機材での撮影絶対に避けるべきだ。誰も幸せにならない。

子供相手をしつつデジイチをどう携帯し運ぶか

これはカメラを始めた親ならば誰しもがぶつかる難問である
しかしこれも筆者はある程度解決している。

伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップキャプチャースタイルクイックリリースだ。

伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとして代表格は「DIAGNL Ninja Camera Strap」、キャプチャースタイルクイックリリース代表格として「PeakDesign Capture」が存在する。
ただしこれらは代表格なだけあって比較的高価な部類のカメラアクセサリーであり互換品やインスパイアされた製品が多数存在するので予算不安があるならば互換品やインスパイア製品で良いだろう。

筆者のオススメは「HAKUBA スピードストラップ」と「FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strap」だ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップは移動するときストラップを縮めてカメラブラブラと振れないようにするもので、子供が急に駆け出しても対応しやしやすくなる。撮影するときはサッとストラップを伸ばして撮影へ移行できる。
キャプチャースタイルクイックリリースカメラ本体を直ぐに三脚へ取り付けられるクイックリリースプレートを活用して身体へ身に着けられるようにしたもの。FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strapはカメラショルダーストラップへ取り付けられるキャプチャースタイルクイックリリースで瞬時にカメラを取り出したり仕舞い込んだり出来て子供への対応が迅速に出来る。

今まで手持ちで移動したり、いちいちカメラカバンから取り出していた親御さんが居るなら劇的に子供対応が楽になるカメラアクセサリーなので導入を強くオススメするぞ。

子供撮影で侮れないカメラトップハンドル

カメラアクセサリーにはトップハンドルというもの存在する。形状の詳細はググってくれ。
ググった人はわかるだろうが、つまりカメラを運び構えやすくするハンドルなのだがコレがまた子供撮影特に動画撮影で非常に役立つ。

スマホであっても既に子供動画撮影した経験のある者ならばわかるだろうが、親よりも身長の低い子供撮影する場合は中腰とならなければいけないシーンが多発する。
しかカメラトップハンドルがあるとカメラの上部から握る形となるので腰への負担が物凄く軽減されるのだ。
たいていの人は素直に両手を下へ降ろすと手のひらは自分の膝の高さになるけれどカメラトップハンドルは手を降ろすだけで自然に膝の高さで撮影可能となる。

いや本当にカメラトップハンドルを使ってみないと理解してもらえないのだろうけれど仰々しい見た目となる代わりに圧倒的な撮影のし易さが手に入る。
シャッター動画撮影開始はスマホリモートコントロールアプリBluetoothリモコンを使うと容易に切れる。

ちなみにカメラアクセサリーとしてケージリグを導入するとカメラトップハンドル選択肢が広がる。

圧倒的な情報記録量360°カメラ

まだまだ平均一般人へは普及していないと言って良い360°カメラ事実として360°カメラ情報記録量はヤバい
データバイト量が多いという意味ではなく、360°全周を撮影してしまうために撮影者の表情から周囲の環境まですべて画像動画として収めるので、その場の空気感と言うか何と言うかあらゆるものが記録されるのだ。
これまでのカメラは前面の風景撮影すると撮影者の表情なんてわからなかった。

別に360°すべてを残さなくとも良い。例えば巨大なモニュメントがあるとするだろう、巨大なモニュメント全体像写真として収めるにはある程度は巨大なモニュメントから離れて撮影する必要があるけれど360°カメラは全周を撮影するため通常のカメラよりも接近して撮影できてしまう。それを後からトリミングする。
例えば巨大なクリスマスツリーとか大鳥居とかシンデレラ城とか、通常のカメラを使っている他の観光客よりも近くで撮影できるのだ。近いので他の観光客が写したい風景身体で隠してしま可能性も低くなる。当然ながら子供と一緒に巨大なモニュメントを収められる。

動画撮影でも強い。近年の360°カメラアクションカムとしての機能も有するため手ブレにも強く。アミューズメント施設子供四方へ駆け回るようなアトラクションとかでも子供を見失わず記録できてしまう。
迷路とか、四方にあるボタンを素早く押せとかボールがいっぱい入ってるトランポリンとか、そういうアトラクション360°カメラによる動画撮影は本当に強い。
しかも後から欲しい範囲だけ切り出して360°じゃない動画にも出来る。子供だけを収め続けている動画とか作れるわけだ。

防水ケースへ360°カメラを納めればプールでも海でもスキー場でも活用可能で、今まで通常のカメラでは撮影しにくかった環境や固定された画角では収めにくかった環境でも思い出の記録が可能なので360°カメラの登場は本当にカメラ於いてテクノロジカルシンギュラリティと言って差し支えないと思われる。

いつか子供アルバムデータを使いたいと言う日のために

それが学校の発表会なのか、友人との遊びなのか、結婚式なのかわからないが、いつかそんなことを言い始める日が来るのかもなと考えて日々撮りためている。

生後1日目から出せる、笑った顔も泣いた顔も、成功したときも失敗したときも出せる。
99.999%が親のエゴでやってることだけれど、それでもいつかもしかしたらと子供が言い出す日を今か今かと思って待っている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん