はてなキーワード: 傷病手当金とは
20代から特に趣味もなく、仕事一筋で働いた結果、200人ほどの小さい会社だったが30歳で部長まで昇進した。
その後33歳で社長と喧嘩し懲戒解雇を食らうも、不当解雇で民事裁判を起こした。1年間に及ぶ裁判の結果、年収2年分で和解し、和解時点を持って自主的に退職ということでケリがついた。
裁判期間中に鬱を発症し、現在はほぼ引きこもり。20代から株をやっており、また上記の和解金等で現在4000万強の資産があることに加え、傷病手当金であと1年ちょっとの間、毎月40万が振り込まれるので、金銭的な心配はほとんどない。今は家賃含めて毎月10万も使わないので、貯金は増えていく一方。心の支えはお金だけ。
働く気力はもとより遊ぶ気力も無いし、長年付き合った彼女からも振られ、女っ気も全く無い。抗うつ剤が原因か、去年1年間で30kgも太ってしまい、さらに自信喪失。
今は、朝9時前後に起きて布団の中で株をチェックし、そのまま二度寝。15時前に起きて株を再チェックし食事を取る。21時ごろまで布団の中でだらだらと過ごし、22時には睡眠導入剤を使って眠りに落ちる。外出するのは週に一度の通院の時だけ。
ほんと、何もやる気が出ない。重ねて言うけど、心の支えは貯金だけ。後は前職の社長にどうやって復讐してやろうかという妄想する日々を過ごしている。
あと先週呼んでもいないのに見舞いに来やがった高校の先輩、うつは甘えだの、さっさと働けだの、俺だって忙しいだの、テンプレ的な批判を散々しやがった。さすがにウザいから、証券会社の口座見せて、4000万もあるから働く気が起きないんですよね、って言って黙らせた。余談だが。
散文だが増田ってのはこういう使い方するもんだと思っているので、遠慮なく記す。
なれない作業で100時間近い残業と休日出勤、上司からのパワハラ、相談できる人はだれもいなくて、そのまま潰れてしまった。
休職することになり、傷病手当金での生活が始まった。昼近くまで寝て、徒歩5分のコンビニで幕の内弁当を買って食べ、また寝る。
会社を退職し、傷病手当金が切れ、今度は失業保険による生活が始まる。
このままではマズイと考えをあらため、私は派遣社員として働き始めた。
新卒採用時の会社と比べ、給与は上がった。正社員としての責任もないから気楽に仕事ができた。
ただ、ときどき抑うつ状態になり、満員電車から飛び出して駅のトイレで泣くこともあった。
なんとか生きることが出来た。それが少しだけ誇りに感じた。
半ヒキニート時代に私は親に迷惑をかけてしまった。その恩を返すためにも、私はその借金を肩代わりした。
でも今の職では返済に何年もかかる。だからもっと稼ぐために私は転職をした。
肩代わりの条件として、最初の2ヶ月間は利息分だけ払って欲しいと私は親に頼んだ。
そうして私は職を捨て、今まで住んでいた場所も離れ、見知らぬ土地へと移った。
そのうちきっと良くなる。これ以上酷いことはないはず。何度も何度も言い聞かせた。
親から利息のお金が振り込まれていないことに気づいたのは、引越してから一ヶ月後のことだった。
給与はまだ貰えず、手元にあるのは僅かなお金だった。親に何度も連絡をしても返事はない。
借金の返済日、私はコンビニのATMで泣きながら消費者金融からお金を借りた。
その後の一年は悲惨だった。少しずつ改善していた鬱病が悪化していた。
親に言われたイヤなことが頭の中でフラッシュバックする。親を呪いたい気持ちと、親を信じたい気持ちで常にいっぱいいっぱいになっていた。
私たち親子は決して仲が良かったわけではない。しかし、親と子の間にある義理は果たすべきだと考えていた。
だがそれは私の思い違いだったのだ。
毒親について調べ、私の親が毒親だと知ったとき、私は部屋で泣いた。
親と話すだけで私はパニック状態になってしまい、家族の終わりを感じた。もう以前のように、愛想良くすることも不可能になってしまった。
借金完済と同時に仕事を辞めた。稼ぎはいいが、決してまともな仕事とはいえなかった。
賃貸はすんなり見つかった。アルバイトでも難なく払えるような家賃の部屋だ。
これからの私は自由だ、自分に言い聞かせた。新しい人生の始まりだと。
やりたいことがあったはずなのに、今はそれが思い出せない。
今までどうやって生きていたのか、振り返ってようやく気づいた。
私はいつも何かに振り回されて生きてきた。自分をこれっぽっちも大切にしてなかった。
ただただ時間が過ぎていく。それが恐ろしい。
結婚した友人、会社でキャリアを積む友人、趣味に全力の友人。彼らはみな、確固たる自分を持っていた。
私には何もない。それが辛い。
1.はじめに
私は、新卒で入社した会社で6年働いておりましたが、長時間残業や退職勧奨の結果、うつを患って退職した者です。現在は、健康保険組合から傷病手当金を受給しつつ、療養しております。
今回色々と役立った知見を他の方にも知ってもらいたく、増田に記させていただきました。本来であればミニサイトなどを作ればいいのですが、そこまで気力がないので、取り急ぎ増田にて公開させていただきます。
うろ覚えの部分もありますので、正確な情報をお知りになりたい方は、グーグル先生にお尋ねください。
2.うつで退職したらすぐに行った方がいいこと(ほぼ全員向け)
勤続1年以上の方が、(業務外の)病気やケガで働けなくなった場合、加入している健康保険組合から、過去の給与の2/3相当額が、最大1.5年支給されます。これは休職中はもちろん、退職後も対象となります。一応審査等はありますが、ちゃんと通院していたり、薬局で薬を処方してもらっていれば、ほぼほぼ受給できると思います。
休職中の申請は、あなた→勤務先→健保、という流れですが、退職後はあなた→健保、となります。ただし退職前に一度も申請していなかった場合、健保があなたの給与を把握する必要があるので、初回だけ、あなた→元勤務先→健保、という流れになります。申請から概ね1か月で支払われると思います。
具体的な申請方法は、「(あなたが加入している健保名)+傷病手当金」というキーワードで検索してください。
傷病手当金を受給していると、失業保険を受給することができません。傷病手当金は「働けない人」のためのものであり、失業保険は「働けるけど、働き先が見つからない人」のためのものだからです。しかしハローワークはあなたが病気であることをしらないため、受給延長申請をしないと「働けるけど、失業保険の申請をしてしない人」と判断されてしまい、傷病手当金の支給が終わった(快復した、または1.5年が経過した)段階で貰える失業保険が少なくなってしまったり、もらえなくなってしまうこともあります。
具体的には一度ハローワークに離職票等を持参のうえで、相談にいらしてください。おそらく申請書を渡され、診断書を用意するよう言われますので、申込書に記入し、医師に診断書を書いてもらったうえで、それらを持参するか、郵送にて送る形になると思います。
なお私の健保では、傷病手当金との二重申請を避けるために、失業保険の受給延長申請の承認書の原本を定期的に送付するよう要求されました。
事前に地方自治体などに申し出ることにより、うつなどの精神疾患を患っている方の通院費、薬剤費が1割負担となる制度です。制約としては、病院、薬局がしていされてしまい、勝手に変更できない、という点があります。
手続きには、医師の診断書が必要ですので、うつの診断をされた方は、診断書を発行してもらったうえで、各自治体の保健福祉課等にお尋ねいただくか、「(あなたの居住する自治体名)+自立支援医療」というキーワードで検索してください。
退職した場合、基本的には国民健康保険に移行することとなります。しかし、国保の保険料は前年の収入によって決まるため、前年フルタイムで働いていると、意外と高くなってしまうことがあります。
そのような人には、従来加入していた健保に引き続き加入し続けることをお薦めします。健保の場合も、前年の収入によって決まるという点は同様ですが、上限が設けられているため、人によっては国保より安くなることもあります。ただし今まで勤務先が負担していた分も、自費で負担することになりますので、概ね2倍になります。
こちらも詳細は健保のホームページに載っておりますので、ご自身の収入等と比較してご検討ください。
3.会社と戦っても良いと思う人向け
この項目は正直人によります。会社という組織と戦うことは、あなたにとって大きなストレスとなります。お金をもらえてもストレスでさらに病んでしまっては元も子もありません。
ですが、もしあなたがそれでも戦いたいというのであれば、会社が正しいかどうかを社会という場で評価してもらうとともに、残された他の従業員のためにも、ぜひ戦ってもらいたいと思っております。社労士や弁護士、労働基準監督署の職員の方は、適切にお願いすれば、きっとあなたの味方になってくれます。
(1)労働審判を起こす
うつになった原因がパワハラや長時間労働であれば、それの損害賠償請求を行いましょう。まずは証拠や申し立てをまとめて、元勤務先に送付することです。おそらく無視するでしょうから、弁護士に頼むのがお勧めです。
無視された場合、労働審判を起こしましょう。労働審判とは裁判所が行う話し合いを軸とした紛争解決の仕組みです。裁判所で行われ、申立人(あなたと弁護士)、相手方(元勤務先と(いれば)弁護士)が裁判官を挟んで円卓に座り、証拠を出し合いながらそれぞれ意見を主張するというものです。「相手方の顔を見ることもストレスだ」という場合は、事前に裁判所に「うつを患っており病状悪化につながるため、個別に進める形にしてほしい」と申し出ることで、一方が主張するときはもう一方が席を外す形式にしてくれることもあります(確実ではありません)。
通常の裁判だと数か月にわたって何回も行われますが、労働審判の場合、3回以内で解決させるという決まりがありますので、概ね2~3か月で解決します。基本的に一方的に負けることは少なく、最低請求額の2~3割は取れることが多いとのことです。この和解内容で双方が納得できなければ裁判に移行する形になります。
ちなみに弁護士報酬は自由化されていますが、今でも過去の流れに従って、着手金として請求額の8%、成功報酬として和解金の16%とされている方が多いようです。中には、着手金0%、成功報酬24%など、成果報酬型でされている弁護士も多いので、インターネット等で探してみてください。
余談ですが、未払い残業代がある場合は、ここで合わせて請求することも可能です。損害賠償は金額がブレることが多いのですが、未払い残業代は、証拠があればそこまでブレることは無いと聞いています。
労災保険とは、業務上の理由によりケガや病気で働けなくなった場合、治療費、薬剤費、働けない期間の保証(過去の給与の8割)がされる制度です。勤務中のケガなど、誰がどう見ても業務に関係しているものについては、会社が申請を出しますが、精神疾患の場合など業務だけか原因か分からないものについては、会社としては嫌がる傾向があります。
退職後に申請を行う場合、まず労働基準監督署を訪問し、必要な書類等々を受け取るところから始まります。インターネット上に申請書はありますが、労基窓口でしか配布していない書類もありますので、一度訪問して説明を受けた方が良いと思います。こちらも場合によっては、社労士や弁護士に資料作成を依頼するとスムーズに進みます。特に昔のことを思い出すことも嫌でしょうから。なお労働審判を行っている場合、同じ弁護士に頼むと資料を流用できますので、とてもスムーズに進めることができます。
申請書には勤務先記入欄がありますので、まずは自分で記入できるところすべてに記入し、勤務先記入欄に記入してもらうよう依頼文を送りましょう。これも社労士や弁護士に頼むのがお勧めです。「そのような事実はない」との返答が来るでしょうから、これを記入拒否された証拠として申請書とともに労基に提出します。
あとは書かれた内容を元に、労基があなたと元勤務先のそれぞれにヒアリングを行い、客観的な観点から労災保険が下りるかどうか判断します。認定までは半年から1年近くかかっているそうですので、できる限り早めの申請をお勧めします。
なお傷病手当金との同時申請は可能ですが、どちらか一方しか受給できませんので、労災保険が下りた段階で傷病手当金は返却することになります。
4.おわりに
色々な制度がありますが、知らなければ、そして、申請しなければ1銭も得ることはできません。健康に療養するためにはお金が必要ですし、お金の不安を克服することがストレス解消の1つにもなります。
前に自分が投稿したものが2週間近く経ってからいろいろ反応をいただいたようで、ありがとうございます。
https://anond.hatelabo.jp/20170715092225
僕の会社が零細企業というのは本当で、従業員100人にも満たない会社です。
僕の前任者もマタハラ野郎だったのかはわかりませんが、9割以上の社員が35歳以上の男性で、それの半数以上は独身かな。
数名いる女性はみんな50歳以上ですね。
まあお恥ずかしい話ですが、新卒採用なんてのはありえない小さな会社ですので、そもそも若い女性の面接とかやったことありません。
あと、「中立」って言葉は違いましたね。「平均」の方がよかったかな。どっちも駄目ですか?
いただいた意見の大半が被雇用者の立場からの意見のように感じました。
僕を非難する意見は政治的・道徳的には正しいと思います。それは投稿前から僕にもわかっていました。
でも、蓋を開けてみればみんな妊婦を疎ましく思う気持ちを持ってるんじゃないかなって思ってたんですよね。
ただ、みなさんやはり被雇用者というご自身の立場からしか見てくれないので、僕の考えを変えるような意見はありませんでした。
労働者が自分の権利を守るために僕を非難しているようにしか感じない。
それが当たり前なんだろうけど。
僕は採用側・経営側の人間なので、会社の利益で考えた時に職場に妊婦がいてどんないいことあるの??って思います。
多様性がどうだとか、妊娠出産の経験を活かしてどうだとか、忙しいから逆に効率がよくなるだとか、根拠の薄いただの願望に見えて納得できません。
採用するのって大変ですし、教育するのもみなさん大変じゃないですか?
時間かけて育てた人が一度抜けて、1年近くたってから帰ってくるって、できれば避けたい事態ですよ。
極端な言い方をすれば、
会社としては休まず黙って働いてほしい。
って、こんな感じじゃないですか?
社会のために子どもを増やそうとか言ってる人は、社会のためってつまりどういうことか教えてほしいですよ。
最後は金の話でしょ?
人が生まれて死んでいく。それだけで尊いことなんですから、子供の人数が比較的少ないとかどうでもいいじゃないですか()
僕だって自社にメリットあれば産休育休お構いなしで採用考えますよ。
裁判すれば負けるから半病人も雇い続けるのが企業ってもんでしょ。
自分が重い病気になれば傷病手当金もらいながら「まだ働けます」と言って会社にしがみつくのが僕という人間ですよ。
「企業のメリットをもう少し増やさないと中小零細に産休育休は普及しないんじゃないの?子ども増やすために国はもっと法人への支援を充実させろ。」
私は双極性障害と診断されている。20歳の時に診断されてから約2年が経とうとしている。
そして今私は2回目の休職中である。理由は鬱状態になり動けなくなったこと、偏頭痛が酷く仕事が出来なくなったからだ。
前職のときは厚生年金保険に加入していたため傷病手当金が支給されとてもお世話になって有り難かったが、現在は国保に加入しているため傷病手当のようなものが全くない。さらに職場からもそのような手当がないため貯金を崩すしかないのだ。
しかし、現在の貯金は10万ほど、再来週から週に数日間働くことになっているがどれだけ頑張っても1ヶ月間で4、5万しか稼げないし保険料、住民税、所得税等が引かれて手元に残るのは3万ちょっとになってしまう。これでは携帯代を支払ったらもうほとんど手元に残らない。
もちろん今現在、自立支援制度で医療費は1割だしこれから手帳の申請も考えている。
でも、国保だとなぜ手当を貰うことができないのだろう。又、障害年金はきっとわたしの症状では軽い方だからきっと申請しても下りないだろう。
皆さん、トラバ、コメント、ありがとうございます。
賛否両論頂戴しましたが無職となって2か月ちょい、久しぶりに社会との繋がりを実感できました。
特に心身に対するお心遣いのあるコメントには、本当に感謝しております。
まとめてで恐縮ですが、要点ごとに返信させていただきます。
特定を避けるため一部ボカシている点、ご容赦ください。
警察も被害当事者(金融機関)ではないので効果は期待できない」とのことです。
通報したいのですが、今だと情報源が私だと特定できるため、それによる逆恨みを避けたいと思っています。
強い守秘義務のある税務署ならともかく、金融機関だと相手方に情報が漏れる可能性もありますので。
社会的制裁を与えても、ホームから突き落とされたら割りに合わないと思っています。
3.証拠書類について
アドバイスに従い、適切に処理をさせていただきます。ご助言下さり、ありがとうございました。
4.高い基本給について
一見高く見えますが、賞与なし、サービス残業込なので、交通費を引いて時給換算すると1000円ぐらいです。
5.社長の考えについて
不正を知っている人間を懲戒解雇するなどありえない、とのコメントを頂戴していますが私も不可解です。
ただ私が気付かなかっただけで、どこかで恨みを買っていた可能性もありますし、真意は全く分かりません。
6.傷病手当金について
健康保険組合から貰っているものなので、会社の存続には関係ないと思います。しかし本当に良い制度です。
首になった原因は、会社の不正についていけない。部署を変えてほしい、と社長に進言したことだと思う。
会社は数年ほど前から億円単位の不正会計を行い利益を創出、それを元に銀行から運転資金の融資を受けていた。
昨年は従来の方法では埋めることができないぐらいの大赤字となり、リスクの高い方法で利益を創出するよう求められた。
過去の方法もグレーゾーンではあり、税理士からは「解釈」ではなんとかなるレベルだと説明を受けていたが、今度のは完全に「黒」であった。
粉飾決算を裏付ける書類も用意され(私文書偽装)、税理士からは黙認を取り付けた。
個人的には、安い賃金で犯罪の片棒を担ぐのは嫌なので、知人の弁護士や他の金融機関職員に相談して回った。
その結果、部署から外れることが第一である、とのアドバイスを受け、上記のように社長に伝えるメールを打ち、退勤した。
もちろん直球ではない。「あなたの希望に沿う働きができる自信がない」ぐらいだったように思える。金曜日だった。
翌週、出勤するとカードキーが無効化されており、入社できなくなっていた。
顔見知りの警備員に理由を説明し、社員を呼び出してもらったところ、人事の社員から「顧客のクレームにより先日付で懲戒解雇とする」と告げられた。
人事に対して、財務担当者にクレームをつける顧客がいるのか追及したが、人事は「説明する必要がない」「今後の手続きを説明する」の一点張り。
人事が出した書類を全部回収し、弁護士に相談に行ったのが昨年の年末だった。
そこから3か月間ほど労働審判を用いて会社側と話し合い、3か月分の賃金+既定の退職金+和解金を得られたのが、5月のGW明けだった。
弁護士からは不当解雇で復職するという提案も出たが、このような状態で戻れるわけもないので、そこは和解金に盛り込んだ。
嫌がらせのため控訴して長引かせることも考えたが、メンタル的に限界だったので3か月間で打ち切った。
弁護士報酬を差っ引くと、給与1年分弱ぐらいの金銭が手元に残った。
日本の保険制度は素晴らしく、心身を害して退職した場合、退職後も給与の2/3を18か月間保証してくれる制度がある(傷病手当金)。
幸い、独身、(メンタル壊して)実家住まい、何もやる気力がない、と三拍子そろっているため、毎月5万円も使わない。
過去の貯金もあるし、なにもしなければあと20年ぐらい生活できてしまう。
この状態で悔しいのが、今だ不正を繰り返して、蓄財をしている前職の社長。
本来であれば受けられない融資を受け、それで借金を返している中、銀行には年収500万円と言いつつ、実態は5000万円の報酬を受け取っている。
その他、社内に数名いる親族の社員にも毎年2000万円の報酬を支払っている。ちなみにこの社長は他社で働いた経験の無い2代目。
売上が入金されたそばから、社長個人の口座に移していくのだから、運転資金が厳しくなっていくのは当たり前。
その結果、借金返済のために社員の基本給をカットしたり、サービス残業を強要したりするようになった。
給与遅配も年に2~3回起きている。ボーナスなんて話すら出ない。有休休暇の一斉消化(でも、仕事が終わらなければ出勤してね)もある。
雇用の流動性を確保するためにも、こういう会社は潰れて欲しいという気持ちでいっぱいなのだが、
残存社員は新卒採用が中心のためか他社の状況を知っている社員は少なく、なかなか転職しようとはしない。
4月には高い基本給で釣った何も知らない学生も確保したようだ。嬉しそうな顔をした集合写真が、ホームページに上がっていた。
手取年収270万円とは言え、月200時間~250時間労働だから秋には逃げ出すと思うが。
とりあえず手元に「粉飾決算の証拠書類と二重帳簿」等不正の証拠書類はあるが、
これらを使って何とかしてやろうという気持ちと、もう縁が切れたのだからほおっておけよという気持ちが交差している。
下手に手を出して法的リスクを冒すのも嫌だ。
病んでるときに考えるとろくなアイデアは浮かばないが、どうすればいいのだろうか。
前職はそこそこのブラックだった。
サービス残業は当たり前、頻繁にある出張では移動時間は勤務時間に含まれず、出張すればするほど働かなければいけない時間が増えていく。
それでも制作として働いていた三年間は楽しかった。今思うとやり甲斐搾取ってやつだったのかもしれない。しかし同部署の先輩が二人辞め、いつの間にか案件を外注してまとめる営業側に立っていた。
慣れない営業と、社内で処理したい小さな制作業務と、辞めていく人達の引継ぎに追われて、元々身体が弱かったこともあり、ある日ぽっきり折れてしまった。
不眠と動悸と頭痛と、今まで感じた事のない不安感に苛まれ心療内科に駆け込み、倒れこむように休職をもぎ取った。病名は適応障害だった。
それから傷病手当金が会社で止まっていただの、退職届を出しても辞められないだの、しょうもない事で私の精神と時間を消費し、病気は治る事もなく一年が過ぎた。転院したり、薬が増えたり、労基に会社をどうにかするよう頼み込んだが、労基に親に頼めと言われた事もあり、結局は親に連絡してもらってようやく辞められた。(傷病手当金は会社経由で振込まれていたが、計算の合わない額が振込まれており、そこでも無駄に消耗した)
まったく休まることのなかった一年を経て、私の頭はどんどんおかしくなっていった。焦燥感と不安感が常駐し、光や音に過敏になり、思考は胡乱になった。とにかく何かを作ってみようとアイディアノートに書き留めても、明日の自分が引き継いでくれない。継続した日々ではなく、苦しみながら起きて安定剤を服薬し睡眠薬で眠る、分断された一日を送るようになった。
最初に休職してから、もう二年が経ったが、まったく良くなる気配がない。傷病手当金の給付も昨年で終わり、貯金を崩しながら死んでないだけの日々を送っている。
はやく良くなりたい。
働きたい…。
三月の機械室は寒い。ビル全体に快適な空調を提供するための機械が詰め込まれ、常に忙しく稼働しているが、地下三階のこの部屋自体は空調の対象外だ。本来人間のいる部屋ではないから当然である。
束の間静かになったかと思うと、あちらの機器が動き、こちらの機器が唸る。遥か上層まで温風を送るための、巨大な機械の稼働音。出入口の重たい鉄の扉には、騒音の漏れ出しを防ぐためだろう、「開放厳禁」のプレートが貼られている。
その扉の横には、在室者表示パネルがあるのだが、あまり意味はないのかも知れない。人がいると表示されているにも関わらず、全ての照明をオフにして出てゆく人が時々いる。後に残るのは機械が動く音と、非常誘導灯の光だけ。
私はその、地下三階の機械室で働いていた。申し訳程度に置かれたストーブは、部屋の寒さと広さに対してあまりに貧弱で、温かいと感じたことはなかった。仕事中もコートは脱がず、ヒートテックの腰と肩と下腹部に、貼るタイプのカイロを仕込む。電気ポットも電子レンジももちろんないので、温かい飲み物を一日に二本は買いに行く。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。大きな音をずっと聞いているためか、外に出ると全ての音が遠く小さく聞こえた。
ここまでの文章を読めば、そういう場で働く職業の人か、と思われるだろう。だが、実際はタイトルの通りである。Excelや専用ソフトを用いた書類作成が主な仕事であり、その他コピー取りや備品の注文といった雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。機械室の奥の、気休めのようにパーテーションで区切られた広場という就業場所以外は。
そこに常駐しているのは私一人だった。他の人は打ち合わせで外に出たり、営業所に出向いたり、同じ建物内の別の事務所で仕事をしていた。
ただの事務のくせに、スマートフォンは常に手元に置いていた。心証が悪いのは分かっていた。それでも手放せなかった。一人きりで機械室に置かれた心細さも多分にあったが、在室表示を見落とした誰かに照明を落とされてしまったら、光源は非常灯とパソコンのモニターだけになる。そうなると私はスマートフォンのLEDライトを点けて、機器の間の通路を通り抜け、自分で照明スイッチの所まで行かなくてはならない。そういう事態が、一日に三度は発生する。昔、自分で懐中電灯を持って歩くお化け屋敷に入ったことがあるが、今は何故あんなものにお金を出していたのかと不思議に思う。機械室に、脅かしに来るお化けはいない。誰も居ない。こちらの方がずっと怖い。
そんな環境で三日ほど働いた。たったの三日。その三日間で、私の心は駄目になった。四日目の朝、起き上がれなくなった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と派遣元と派遣先にそれぞれ電話を入れた。そのまましばらくぼんやりしていた。食事を摂るべきだと思い至って、ベッドの上を這い、落ちるようにして床に降りた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなんかなかった。少なくとも昨日の終業の時点では。テキスト形式のToDoリストに、明日の作業に使うはずのファイルのパスを貼り付け、紙の資料は机の上に出しておいた。温かい飲み物を毎回買うのはお金がかかり過ぎると思い、買い物リストに魔法瓶と書き込んだ。小腹が空いた時のための飴のストックも、どの職場にも持ってゆく自作のマニュアルも、引き出しの中に入っていた。明日もここで仕事をするのだと信じて疑わなかった。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく退勤後、帰りの電車に乗った時だ。運よく空いた座席に座ることが出来た私は、鞄から文庫本を取り出したものの、読む気になれず膝の上に置いてしまった。凍え切っていた体が、車内の暖房に温められて緩むのを感じた。それを自覚した時、ああ、今の私はホームレスの人みたいだ、と思った。
ローカルな現象かも知れないので補足しておくと、私が利用している普通電車には、時々ホームレスが乗ってくる。全財産であろう荷物を抱え、申し訳なさそうに体を縮めている。彼らが乗ってくるのは、決まって冷え込みの厳しい早朝や深夜だ。深夜営業のマクドナルドも、地下街もない田舎だから、初乗り料金の切符を買って電車の中で暖を取るのである。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。好き好んでそうしているわけでもないのだろう。私も同じだ。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この労働環境と、冷え切った体だった。
心の背骨が、音を立てて折れた。
たった三日で、と書いたが、実際はそうではない。実は夏から、私は似たような環境で働いていた。
そこはとあるビルの、やはり本来は機械室で、冷房機器がなかった。もちろん窓もなく、日差しに焼き殺されることこそなかったが、這い上がってくる湿気に蒸し焼きにされるような、座っているだけで体力を削り取られるような環境だった。
体調を崩して病院に行くと、熱中症と診断された。冷房を付けないと体に毒ですよと医師に言われ、冷房機器自体が職場にないと伝えると絶句された。月の医療費は一万円近くに上り、休んだ分の給与はもちろん出ず、家計は逼迫した。冷房なしでも平気な鋼の肉体ではない私が悪いのか、と理不尽に感じた。
それでも働き続けたのは、頑張れば良くなると信じていたからだ。冷房は今手配してるから、という雇用主の言葉を信じていた。臨時の事務所と言えどここまでひどいことはそうそうない、とも聞かされていた。認められれば営業所への配属も叶うと思っていた。結局、夏も終わる頃になって馬力不足のエアコンが付いた。そんなものが要らない秋が来て、防寒着とカイロとヒートテックで武装するしかない冬が来た。
なんとかそこでの仕事を二月いっぱいまで勤め上げ、三月からの配属先も機械室の臨時事務所だと聞かされた。今度はきちんとした事務所でしょうね、と私は確認した。ちゃんとした事務所の体裁になっている、という言葉を信じて、契約更新の書類に判を押した。
ちゃんとした事務所。
机とパソコンが置かれ、電話と通信環境さえあれば、それは「ちゃんとした事務所」ということになるのだろうか。パーテーションを暴力的に乗り越えてくる冷気と騒音は、ないものと見做すのが一般的なのだろうか。私には分からない。
ただ、体を壊し、薄給にも耐えて、それでも次は良くなると信じて頑張った結果がこれか、と絶望を噛み締めるには十分だった。新しい事務所の環境も、三日間という時間も。
仕事に行こうとして起き上がれなかったあの日から一週間、ずっと泣いて過ごしている。正確に言うと、何をしても涙が出て止まらないのだ。あの機械室で過ごした時間よりも、自室の壁を見つめて泣いている時間の方が長いというのはどういうことか、自分でもおかしいと思う。
年甲斐もなく泣きじゃくりながら関係者に電話をして(泣き止んでいる時間がほとんどないのだからやむを得まい)、とりあえず休職することが決まった。仕事が休みになったらやりたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、旅行はおろか、買ったままになっていた本を開く気力もまだ湧かない。せめて気持ちを整理しようと、布団に潜り込んだままタブレットを使ってこの文章を書いている。
まだ耐えられる、という考え方は危ない。自分の限界と、改善の時期を正確に見極められるのならその限りではないが、少なくとも私には無理だった。まだ働けると思っていた。自分の限界は、思っていたよりも小さかった。
雇用主の人は、どうか労働環境に気を使って欲しい。口では耐えられると言いながら、無自覚のダメージでボロボロになっている、私のような人もいるかも知れない。同じ環境に置かれても、年に八百万円貰っている管理職と、四百万円貰っている社員と、二百万円貰っている派遣社員と、仕事が大好きで報酬なんか気にならないという人では、耐えられる限界がそれぞれ違う。
もし望まずに似たような環境に置かれている人がいたら、出来れば逃げて欲しい。次の仕事も見付けられていない私が、逃げても大丈夫だよ、とは到底言えないから、「出来れば」としか言えないのだけれど。朝から晩まで涙が止まらず、食べ物を買いに出れば道行く人や店員にぎょっとされ、転職活動をしようにも履歴書に貼る写真が撮れない、自分の好きなことも楽しめない、友人からの電話を受けてもロクに話せない──こんな状態になるくらいなら、もっと早く逃げておくべきだったのだと思う。
涙が止まったら、仕事を探しに行くつもりだ。最低限の空調機器の備わった居室で働かせてくれる転職先が、見つかるといいのだが。
【同月16日23時 追記】
勢いのまま書いて投稿したものに、多少の加筆修正を行った。面白くもない話題の長文なのに、予想よりもブクマ数が多くて驚いている。目を通してくださった方、ありがとう。その程度で休むのか、とのお叱りも覚悟してコメント欄を開いたはずが、今は世界の優しさを痛感している。
子供の頃の夢は作家だったので、文章力を褒められたり、覆面作家じゃないかと疑われるのは面映ゆい。私が本当に作家だったら、有名なジョークよろしく「良かった、可哀想な派遣社員はいないんだ……!」となって、それはそれで良かった気もする。
現実の私は、ボイラー技士の資格は持っていないが、その類の業界の専用ソフトの扱いに慣れている。派遣会社は業界経験者優先で仕事を紹介するし、少人数の臨時事務所は特に教育不要の経験者を欲しがるわけで、私が同じ業界の似たような職場に続けて派遣されたのはさほど不思議なことではない。
この労働環境が法に触れるものであることは、私も承知している。ただ、同じ事務所に出入りする他の社員たちは、不満は言っても我慢は出来るという様子だった。性別も給与も、滞在時間も違うのだから仕方がない。
私が一人で告発したとして、正社員ならふてぶてしく居座ることも出来るだろうが、派遣社員の場合はそれが原因で(表向きは「経営上のやむを得ない事情」で)即座に切られる可能性がある。自分の就業中にはとても出来なかった。逆に今の私は失うもののない身なので、後任が同じ目に遭う前に一言言っておきたいとは思っている。
本文中にも書いた通り、もしこれを読んでいる中に環境を作る側の人がいらしたら、少しの配慮をお願いしたい。この記事へのブクマコメントだけでも、「私より辛かったんじゃ……?」と思うような書き込みが複数あった。それらは全て、改善されるべきものだ。改善出来ない立場の人は、どうか自分の身と心を守って欲しいと願う。
幸いだったのは、今回の派遣先が短期契約で、私も近々次の仕事を探す心積もりであったこと。転職情報を集めたり、職務経歴書を作り始めた矢先だった。自分の心が折れたのは計算外だったものの、少し休んで五月くらいに次の仕事を見付けられれば大体予定通りだな、と結構気楽に構えている。
収入が絶えることだけが不安だったので、傷病手当金を貰える可能性があると教えて頂けたのは助かった。貰えないとしても、自分のメンタルケアのためにも明日は病院に行くつもりだ。
名も顔も知らぬ私の文章を読んで、心配してくれる人がいる。それだけで心が軽くなった。本当にありがとう。
ストレス要因はなくなったので、たっぷり寝て美味しいもの食べて、あとはジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに八時間くらい篭もれば回復すると思う。今はまだ泣いてるけど。私の今後のことは、どうかご心配なく。
担当医師や産業医、上長や人事などと再三の話し合いの上での休職だった。
ITベンチャー(広告関連)で、事務とも営業とも言える独特の職種で、新規チームの所属。新卒で、入社1年目。
23時がデフォルト。遅い日は深夜2時、土日も隔週くらいで出社していた(自主的にであり、強制されていたわけではない)。
7月から、私が主体的に進めていた割りと大き目のプロジェクト(というか業務改善)があった。本部長、部長にも承認され、私も入社してから初の大きな仕事ということでかなり張り切っており、上記のような勤怠の状態になっていた。しかし現場のリーダー(以下A)がきちんとそのプロジェクト内容を理解していなかったこと、リーダーでありながらプレイヤータイプでマネジメント力が低い人であったことから、思ったようにプロジェクトが進行しなかった。そんな中でAに「君は新卒なのだから単純なルーチンワークだけをやってくれればいい」「そんなプロジェクトはやっても意味がない」といったことを言われ、私はかなりショックを受けた。Aよりも格上の本部長・部長が承認してるのだから気にしなければいいと思われるかもしれないが、あくまで現場を取り仕切るのはAなので、彼が動いてくれないと進まないことも多かった。部長に相談もしたが、この部長自身もマルチタスカーで異常な業務量を抱えており、全てに対処できるような余裕はない人だったのと、社歴はAのほうが何倍も長く、年齢的にも一回りくらい上だった為、指示が出しにくいという背景があるように見えた。※その後Aには「申し訳なかった、傷つけるつもりはなかった」というような謝罪をされた
9月中旬頃から上記のようにプロジェクトがうまく進まなくなり始めると、それまでは感じなかった倦怠感が襲いかかってくるようになり、会社で仮眠をとったり午前休や早退をする日が増えてきた。土日は20時間ほど睡眠をとってもまだ眠く、一歩も外に出なかった。また抑うつの症状も出始めて、「Aさんの言うように私のやろうとしていることは無駄なのだ」「誰も努力を認めてくれない」「私が主体となっているから進まないのだ、人望がないのだ」などと考えるようになった。そしてある日、デスクで今自分が何をやっているのか、何をやろうとしていたのか、何をするべきなのかがわからなくなり、PCの操作ができなくなった。いよいよ自分の体がおかしいということに気付き、心療内科を受診した。
適応障害と診断され、約1ヶ月の療養が必要と言われた。7月からプロジェクトを任され、9月中旬までの約2.5ヶ月、体を酷使(深夜残業などで睡眠時間を削っていたこと)していたことのリカバリーのためには最低でもその期間が必要だとのことだった。その診断書を会社に提出し、会社の産業医、本部長、人事など何度か面談をし、休職の手続きをした。
休職期間は、とにかく寝た。寝たいだけ寝たほうがいいと医師に言われた。するとそのうち、寝ることに飽きる日がやってきて、何か行動したくなる日がくるので、そうなったらば回復した証だとのことだった。10月末にはその状態になり、11月1週目からの復職の希望を出した。それにあたり、かかっていた病院の医師の復職許可の診断書を会社に提出したが、産業医の許可も必要と言われたので面談をしたのだが、その内容が思いもよらないものであり、標題のように会社に対する不信感に繋がった。
休職前から何度か産業医と面談をしており、体調を崩すまでの経緯も説明していたし、具体的な症状も伝えていたにも関わらず、以下のようなことを言われた。
産業医も、うちの会社だけでなく何社も担当をしているので、一人一人のことなんて覚えていないのかもしれない。しかし、あまりにもこれまでの態度と違っていて、とても攻撃的だった。休職前の面談では「それは辛かったですね」「思い切って休職して、ゆっくり休んだほうが良いですよ」というように同情的だったのが、突然態度を翻し、「その程度のことで休むなんて社会不適合」「おまえにはこの会社は合っていないから、このまま辞めろ」と言われているようにしか思えず、この態度の豹変には「何か」があったのではないかと思う。面談の前には会社の人間が産業医と打ち合わせをしているはずだし、その「何か」は、会社からの指示ではないだろうかという邪推をどうしても拭うことができない。
また、復職に際し事実上の降格をさせられたことも1つ原因として挙げられる。業務内容はかなり限定され、単純作業のみになった。
そして1ヶ月間の「復職プログラム」というものを組まれており、1日の行動管理(平日だけでなく、土日に何時に起床しどこに出掛けて誰に会ったかも記載しなければならない)をされるのと、2日以上の休み、及び3回以上の遅刻(1分でも駄目)をした場合は強制再休職という条件つきでの復職となった。
10月の給料は支払われないため、10月1日〜31日分の傷病手当金を11月4日に会社に提出しており、「中旬には支給されるだろう」と言われたものの今日時点でまだ支給されないので、IT健保に直接電話したら「まだ申請がされていない」とのことで、どこで止まっているのかも謎。間もなく約2ヶ月無収入状態となり貯金も底をつくし、事情があって家族は頼れない。家賃等の支払いも各社に連絡して延期してもらっている状態だ。それに、11月20日まで休職していたのに11月分については傷病手当金の申請はできない(11月頭から健康上は復職できる状態にあったから)とのことで、11月に関しては傷病手当金ももらえない。
結婚式も無事終わり、「新婚生活はどう?」と周りにニヤニヤ聞かれる日々でした。
お互い20代前半で、まだ若いのに結婚するなんてすごいね、と言われながら
この人となら大丈夫、と信じていたので「何がすごいのかわからないなぁ」なんて内心思っていました。
しかし入籍から3ヶ月後、旦那は職場が原因でうつ病となり会社に休み休み行く日々。
転職先とは相性がよかったらしく、うつ病と併発した自律神経失調症をかかえながらも
そんなある日、ひょんなことから旦那が出会い系サイトに登録していたことが発覚。
おまけに、出会い系サイト、そして出会い系アプリ、さらにはソシャゲに
休職していた期間からトータルで15万円近く課金していました。
頭のなかが真っ白になりながらも、
今後どうするのか、何度も話し合いを重ねました。
先日は、じゃれあいに過ぎないのかもしれませんが、
女の子に「今度プロポーズするね!」といったLINEを送っているのを見てしまいました。
一度課金をやめるといった後でも、課金しているのも発覚しています。
夫婦だから支えないといけない、とずっと苦しみながら支えてきた結果が
私への甘え、そして裏切りだったのかと思うと、
http://anond.hatelabo.jp/20160727210546
上記を書いた者です。
その翌日からこの土日含め休暇にしてもらいましたが、胃痛や吐き気がひどくなるばかりです。
その中で皆様のコメント、大変参考になりました。
まずうちの会社は小規模なため、コンプライアンス室や相談窓口がありません。
症状がもっと軽い時に社長(上司の上はもう社長になってしまう)に相談しましたが、話は聞いてくれたものの、翌日「みんなで飲みに行こう!」とメールが来て、この人に相談しても無理だなと思いました。
体調、特に胃が痛い事も伝えてあったのでとてもびっくりしたと同時にがっかりしました。
そして裁量労働制の為、みなし残業で幾分か乗せられている程度で一般企業の様な残業代としては支払われません。
そんな会社に就職したお前が悪いと言われればそうですが、業界自体がほぼ裁量労働制で仕事自体は好きなので残業代に関してはあまり気にしていません。
修正指示が入っても次の日にやろうというアドバイスがありましたが、それでは期日に間に合わないのです。
修正→残業→上司と二人だけになる→上司突発的に思いつく→修正・変更
の負のループでした。OKをもらってかなり早く仕上げても期日直前に修正がきます。見直してるうちに気付いたということは誰しもあると思いますが、その対応を当たり前とされても困ります。(修正指示は何故か終業後に行われます)
追加修正は期日延期してもらわないと無理だと伝えると反抗と捉えられ「こんな修正もつらいと思ってるの?」のお説教です。このお説教が1時間、ひどい時は3時間に及ぶので修正作業に耐えた方が早く帰れる可能性が高いのです。
・セクハラ、パワハラの認定や裁判は時間とお金と精神力がすごくかかる
とのことでした。
休業規則があるか確認はしていませんが、先日同僚が留学を理由に休業を打診したら「前例がない」と断られたと言っていたので、規則があってもどうなるかわからない感じです。
同僚達は「あの上司こわい」とか「セクハラされた」「時代錯誤」「きもい」とか言っていましたが、一致団結してなんとかしようという雰囲気ではありませんでした。
普段私ほど関わらないからたまに何か言われても軽い火傷ですむからだと思います。
(ただ私に対しての対応にはひどく怒っていました)
上司は「ファッションや体型にも遠慮なく突っ込んじゃうのが許される俺」という自己認識のようですが、女性陣は「きもい」「ありえない」の連呼でした。
退職し、少し休んで体力を回復し、転職するしかないと考えています。
みなさんのコメントを読んで「私が悪いわけではない」と思えただけでも救いです。
乳飲み子がいる、休む前に精神的にバランスを取るため旅行で散財して蓄えがない、なのに傷病手当金が翌月しか出なくキャッシュフローが辛い。
僕と同じ状況だ。
何をやったかというと、頭を下げた。
弟に頭を下げた。
口うるさい親には言えなかった。
弟は人生で一度も頼みごとをされたことがないから、と驚いて快くかしてくれた。
兄弟とはいえ、いや兄弟だからこそ揉め事にしないために借用書をバッチリ書いて借りた。
借用書は、ネットで調べたフォーマットを元に金額と返済期間、サインぐらいのものを使った。
妻に頭を下げた。
既に職をやめていたので、パートで働きに行ってもらった。
完全な専業主夫をやることにした。
乳飲み子を世話するのは大変だったが、数日経てば人間慣れるもので案外どうにかなった。
乳飲み子を見ていて、ノイローゼ気味になっていた妻の気分転換になったのは良かった。
世の中、イクメンと呼ばれる人は多数いても案外専業主夫をした人は少ないので貴重な経験かもしれない。
やってみると、主婦がどちらかといえば、全裁量を与えられた個人事業主のようなものだと気付く。
妻の大変さが分かると、何かと付き合いやすくなった。
とりあえず何かの参考になれば。
だったら働けばいいじゃない。おっしゃるとおり。えり好みしなければワタミにだって仕事はある。
ただ問題は、私がうつ病患者で、もう働いてもこれ以上の生活は望めないと見切りをつけたことだ。
順をおって話します。
ここはいわゆるファミリー企業でワンマン社長で建設会社というブラック満貫な会社だったが、当時の私にはそれを見定める知識も無く、30という年齢を前にあせっていた。
この3ヵ月後に民主党政権に変わり、どん底の不況に陥ったのだから、ある意味ではベターな選択だった。
3年後、のどに違和感を感じた。
このとき、私は10キロ以上の増量をしていたため、てっきりネクタイかシャツが首を絞めているのかと勘違いした。
半年後、落ち着かなくなった。何もかもが不安に感じ、電話がかかってくる音でさえ恐怖に感じた。
こういう時にネットは便利だ。
すぐさま「不眠 ストレス」で検索して、会社近くの心療内科に駆け込んだ。
診断結果はうつ病。職場でのストレスが原因だろうと話していた。
私はこのことを会社に報告しなかった。
営業は5人しかいない会社だった。その中でも、私の成績はどん底だった。先輩社員の仕事のおこぼれをもらって糊口をしのぐありさまだった。
今考えれば、ここで転職に踏み切れば、私の人生も大きく変わったのかもしれない。
なぜなら。朝4時から千葉県か都内の現場を3件ハシゴして夜11時に帰還。それでも深夜手当ては付かず、残業代は給与の中に含まれているといわれ、10年間給料が手取り17万から一向に変わらない先輩がいたのだから。ボーナス?諭吉さんが1枚ぐらいです。
クビの恐怖と仕事の恐怖、そしてクスリの相性合わせも相まって、私はどんどん精神的に追いやられていった。
そしてそれを見た社長からも、担当の物件から外すように言われた。
10件ほどのタスク。
それを書き出した後で、私は固まってしまった。
朝から晩まで机の上のリストを見続けて脂汗を流す私に、上司が不審に思ったのだろう。声をかけてきた。
上司は、どのように仕事を進めるか指示を出して、先輩にサポートにまわるように指示を出してくれた。
にべもない反応であった。
それでも1年ぐらいは雇い続けてくれた。
会社は社長がいる千葉と、上司がいる営業本部がある東京の二箇所があり、社長と顔を合わせる機会を上司は限界まで削ってくれた。
だが、それにも限界があった。
それとなく、自主退職を上司が奨めて来たときは、地獄に突き落とされたような気分だった。
わたしは労災が下りないかどうか、全国労働基準監督署をたずねた。
そこで知ったのが、私の健康保険に関する手当てだった。
監督所の職員さんの友人が似たような事例に陥ったとき、全国健康保険協会の傷病手当金を利用したというのだ。
それを聞いて、すぐさま全国健康保険協会に向かった。
相談の結果、医者の診断証明があれば手当てが下りることがわかった。
これを上司に伝え、残った有給をフルに使いGW前に仕事を辞め、5月末に依願退職をすることを上司に伝えた。上司の笑顔をはじめて見た。
そして、1年が経った。
今、私がどんな生活をしているかと言うと、ハッキリ言ってひきこもりである。
20キロもいけば実家があるのだが、地元に悪い思い出、具体的にはイジメに遭っていたので、二度と足を踏み入れたくないのと、私は両親が苦手だった。
今回のうつ病の件も、失望の一言であった。実家に帰れという言葉も必死に拒否した。一緒に暮らしたら人傷沙汰になるのは目に見えていた。
手取りが7割に下がった。具体的には、28日で174,160円。これは傷病手当金の最低受給額でもある。
http://ferret-news.com/archives/2937
まぁ、来週にも説明しに行ってこようと思う。
友達は元々いなかった。
生まれたころからそうだったので、さみしいという感情が理解できない。まぁどうでもいいことだ。
風呂も数日に一回。具体的には病院にいくときと、自分がかゆいと思ったときだけになった。
延々とネットゲームに時間を費やしていた。他にやる事が無いのと、機械的な作業は苦になる時間を減らしてくれた。
後は思いっきり眠った。といっても6時間程度だったが、それでも快適だった。
そして、傷病手当金の受給が後半年で終わる、今になって考えた。
私は今後どのような人生を送るのであろうか?
答えは簡単、今より悪くなることは確実。死ぬ確率は5割以上だった。
まず、正社員の道はない。経歴はごまかせても、そのあとの純粋な試験の門が狭すぎる。30代後半・管理職歴なしが受かるとは到底思えない。
となるとパートだが、よくて12万。ここから税金を引かれたら5桁だろう。
つまり、どんなに努力しようと、現状の生活以上のものを求めることは不可能である。
当たり前の結論であった。
いや、最後の手段はあった。親に泣きついて養ってもらうことである。
それに、自分で稼いだ金を、自分の老後に使う。それは当然の権利だ。子供だからと言って奪い取っていいものではない。
では私はどうなる?このまま仕事の道を行けば、どっちみち体か精神、どちらか・もしくは旅方が壊れることは間違いない。
それに、精神が未だに元に戻ってなかった。
うつ病はこころの複雑骨折と言ったマンガのコマがあったが、それに近い。未だクスリという杖を使ってでさえ、満足に歩けないでいた。
できる限り周囲に迷惑をかけない方法。それは給付金が終わった直後の自分の死に他ならなかった。
一番負担がかかり、一番収穫が望めない部分を切り取る。実に合理的で正しい手段だった。
できるなら保険金などを付けたいところだったが、自殺の恐れがある精神病患者等は適用外だった。残念。
あとは、国有林などで自殺しておけばいいだけのことである。そうすれば損害賠償も来ない。
あとは警察に「自殺します」と封書で免許証でも送っておけばいいだろう。
自殺者を出した家族は恥を感じるらしいが、まぁそれは死んだ後のことだ。気にするべきことではない。
TBSの小林悠元アナが、週間文春の取材で「適応診断」と心療内科にて診断されたと明かしたという記事が出た。
今日(20160315)YAHOO!のトップに出たから見た人も多いだろう。
私は習慣で毎週のように「報道特集」を見ている。
週刊誌に報道が出てから、テレビに映る彼女を見る目にバイアスがかかっていなかったと言い切ることはできないが、
「報道特集」を見ていた中では全くもって、アナウンスしている彼女の様子に対し「この人ちょっとおかしい」などとは思わなかった。
全国放送のアナウンサーで、大勢の人にその映っている姿に違和感を抱かせるようなら、すでに大きな話題になっていただろう。そうならなかったのは彼女のすごいところだろうと思う。
週刊誌に書かれて精神的に苦しいながらも、全国放送で毅然とアナウンスできる彼女が「適応障害」で、ローカルながらも涙を流して取り乱すお天気お姉さんはなんでもない(違ったらすみません)。
すごく違和感ある。
■
自分の周りの例だけど、友人が30歳でとある企業に中途入社して、入社後2ヶ月目位から月の残業が100時間を越えるような働き方を1年ちょっと続けたところで、会社に行くのがつらくなって心療内科に行ったところ同じ診断をされて会社を辞めることになった。
その人の会社への診断書(傷病手当金もらうためのやつ)の病名には一筆「適応障害」と書いてあっただけだそうだ。
だがちょうどそのころの彼と数回会ったが、全く違和感はなかった。よく話すし、きちんと笑うし。
彼曰く「医者の前でちょっと落ち込んでるように話したらこう書かれていた」という。
もうすでにそこで働き続ける選択肢は自分の中になかったから、あえて抗議もしなかったという。
■
たとえば、
かなりのイケメンに話しかけられて、そうではない男性に対するよりも周章してしまう女性は多くいるだろう。
うまく目が合わせられなかったり。
同様に、かなりの美人に対して、そうではない女性に対するよりも狼狽してしまう男性も多いだろう。
こういうの文字通り「適応」に障害が発生した瞬間と言えるんじゃない。
まぁそんな短絡的な例でなくでも、極度の緊張状態が長く続いたとき、人は自分でも気づかないうちに「いつもの自分」からずれてしまっているものだろう。
そんな時に、近しい人にきつくあたる例だっていっぱいあるだろう。そしてあとでひどく後悔する。
要するに「どこで線引きするの?」というのが、専門家ではない人間が抱く率直な疑問ではないだろうか。
真相はわからないが、まさこさまにも「適応障害」という情報が流れているよね。
この言葉から受ける印象というのは、どういう症状なのか理解がない人にとって見れば、相当に歪んだ印象を与える「病名」なのではないだろうか。
■
心療内科という医師と患者一対一での密室で、その人の人生を、大げさに言えば破壊するような可能性を孕む診断を、
恣意的に下せてしまう今のこの医療体制には問題がないといえるのだろうか。
別の医師だったらそうは診断しない可能性が大いにある、かなりグレーな領域じゃないのか。
「適応障害」という名称と、診断を下すプロセスの2点についてとても引っかかる思いを大いに感じる。
きっとこの曖昧さ、不透明さに腑に落ちない思いをしている人が結構な数いるんじゃないかと思う。
とにかく小林悠さんがこれは終わったことと割り切って、「そんなものもうどうでもいいわ」とこれから前を見て生きていってほしいものです。
根本的に働くことにまだ向いてないのだと思う。
長時間労働が必要な、プログラマーには向いていないのだと思う。
まずは実家に帰って、ゆっくり体を休めることが必要なんじゃないかなあ。
今、無理無理働いているのって、傷病手当金が出なくなったからだよね?
本当はもっと休んでいた方がよかったのでは?
オーバードーズはもうしてない?
と疑問がつきない。
むきゅーむきゅー言ってないで、ちゃんと病気を治すことに専念しないと、何時までたっても繰り返しのままだよ。
病気を治すためにどうしたらいいのかは、私じゃわからないから、ちゃんと先生と相談して、
家族とも仲直りをして、
ちゃんとしないと、ちゃんとね。
一歩ずつでいいから、やっていこうよ。
いったん休職して復職したけど一向に薬減らないし、副作用とかで調子わるくてちょこちょこ休んでたら、会社から
「まだ治ってないってことで明日から休職してね。これ命令。急なことだから給料は出すから。あ、できれば次の通院時に診断書もらってきてくれるとうれしいなあ。」
自宅ですごしてたら数日後に電話かかってきて
「やっぱり診断書出なかったら給料出せないんだって、役員さんに怒られちゃった、ごめんね」とか言われる。
ちょっとザルすぎるだろー……貯金ぜんぜんないから給料出なかったら即詰むんだけど?
診断書はまあ出るだろうとは思うんだけど、そんなフワッフワな感じで会社まわすのやめてほしい。
あーもー、いろいろ不安すぎる。もう復職より転職目指した方がいいかなあ……。