2017-12-20

無題

私は新卒3年目でうつ病になってしまった。

なれない作業で100時間近い残業休日出勤上司からパワハラ相談できる人はだれもいなくて、そのまま潰れてしまった。

休職することになり、傷病手当金での生活が始まった。昼近くまで寝て、徒歩5分のコンビニで幕の内弁当を買って食べ、また寝る。

そしてときどき心療内科へ行き、薬と診断書をもらう。

そんな生活一年以上続いた。

会社退職し、傷病手当金が切れ、今度は失業保険による生活が始まる。

このままではマズイと考えをあらため、私は派遣社員として働き始めた。

新卒採用時の会社と比べ、給与は上がった。正社員としての責任もないから気楽に仕事ができた。

ただ、ときどき抑うつ状態になり、満員電車から飛び出して駅のトイレで泣くこともあった。

なんとか生きることが出来た。それが少しだけ誇りに感じた。


しかし、その生活も終わりを迎えた。親の借金だ。

ヒキニート時代に私は親に迷惑をかけてしまった。その恩を返すためにも、私はその借金を肩代わりした。

でも今の職では返済に何年もかかる。だからもっと稼ぐために私は転職をした。

肩代わりの条件として、最初の2ヶ月間は利息分だけ払って欲しいと私は親に頼んだ。

そうして私は職を捨て、今まで住んでいた場所も離れ、見知らぬ土地へと移った。

この判断が誤ちだったのか、今でも分からない。


慣れない仕事、慣れない土地ストレスは溜まっていた。

しかしここで頑張らねばと、自分に言い聞かせた。

そのうちきっと良くなる。これ以上酷いことはないはず。何度も何度も言い聞かせた。



から利息のお金が振り込まれていないことに気づいたのは、引越しから一ヶ月後のことだった。


給与はまだ貰えず、手元にあるのは僅かなお金だった。親に何度も連絡をしても返事はない。

借金の返済日、私はコンビニATMで泣きながら消費者金融からお金を借りた。

借金を返すために借金をしたことを、私は一生忘れないと思う。


その後の一年悲惨だった。少しずつ改善していた鬱病悪化していた。

親に言われたイヤなことが頭の中でフラッシュバックする。親を呪いたい気持ちと、親を信じたい気持ちで常にいっぱいいっぱいになっていた。

私たち親子は決して仲が良かったわけではない。しかし、親と子の間にある義理は果たすべきだと考えていた。

だがそれは私の思い違いだったのだ。


毒親について調べ、私の親が毒親だと知ったとき、私は部屋で泣いた。


借金を全て返済したときに私は親との縁を切った。

親と話すだけで私はパニック状態になってしまい、家族の終わりを感じた。もう以前のように、愛想良くすることも不可能になってしまった。

借金完済と同時に仕事を辞めた。稼ぎはいいが、決してまともな仕事はいえなかった。

賃貸はすんなり見つかった。アルバイトでも難なく払えるような家賃の部屋だ。

これからの私は自由だ、自分に言い聞かせた。新しい人生の始まりだと。


でもここで私は気づいてしまった。自分空虚さに。

やりたいことがあったはずなのに、今はそれが思い出せない。

今までどうやって生きていたのか、振り返ってようやく気づいた。

はいつも何かに振り回されて生きてきた。自分をこれっぽっちも大切にしてなかった。

そんな生き方をしてきた人間に、何かが残るはずもない。


ただただ時間が過ぎていく。それが恐ろしい。

結婚した友人、会社キャリアを積む友人、趣味に全力の友人。彼らはみな、確固たる自分を持っていた。

私には何もない。それが辛い。

  • 今から持つのは無理なん?

  • とりあえずツイッターとかネトゲでゆるい友達作って馴れ合いとかしてみるとか? けっこうそれだけでも心の支えになるもんさ

    • ゲームにどっぷりの頭のおかしい人間と関わるのを勧めるとか正気じゃない

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