なれない作業で100時間近い残業と休日出勤、上司からのパワハラ、相談できる人はだれもいなくて、そのまま潰れてしまった。
休職することになり、傷病手当金での生活が始まった。昼近くまで寝て、徒歩5分のコンビニで幕の内弁当を買って食べ、また寝る。
会社を退職し、傷病手当金が切れ、今度は失業保険による生活が始まる。
このままではマズイと考えをあらため、私は派遣社員として働き始めた。
新卒採用時の会社と比べ、給与は上がった。正社員としての責任もないから気楽に仕事ができた。
ただ、ときどき抑うつ状態になり、満員電車から飛び出して駅のトイレで泣くこともあった。
なんとか生きることが出来た。それが少しだけ誇りに感じた。
半ヒキニート時代に私は親に迷惑をかけてしまった。その恩を返すためにも、私はその借金を肩代わりした。
でも今の職では返済に何年もかかる。だからもっと稼ぐために私は転職をした。
肩代わりの条件として、最初の2ヶ月間は利息分だけ払って欲しいと私は親に頼んだ。
そうして私は職を捨て、今まで住んでいた場所も離れ、見知らぬ土地へと移った。
そのうちきっと良くなる。これ以上酷いことはないはず。何度も何度も言い聞かせた。
親から利息のお金が振り込まれていないことに気づいたのは、引越してから一ヶ月後のことだった。
給与はまだ貰えず、手元にあるのは僅かなお金だった。親に何度も連絡をしても返事はない。
借金の返済日、私はコンビニのATMで泣きながら消費者金融からお金を借りた。
その後の一年は悲惨だった。少しずつ改善していた鬱病が悪化していた。
親に言われたイヤなことが頭の中でフラッシュバックする。親を呪いたい気持ちと、親を信じたい気持ちで常にいっぱいいっぱいになっていた。
私たち親子は決して仲が良かったわけではない。しかし、親と子の間にある義理は果たすべきだと考えていた。
だがそれは私の思い違いだったのだ。
毒親について調べ、私の親が毒親だと知ったとき、私は部屋で泣いた。
親と話すだけで私はパニック状態になってしまい、家族の終わりを感じた。もう以前のように、愛想良くすることも不可能になってしまった。
借金完済と同時に仕事を辞めた。稼ぎはいいが、決してまともな仕事とはいえなかった。
賃貸はすんなり見つかった。アルバイトでも難なく払えるような家賃の部屋だ。
これからの私は自由だ、自分に言い聞かせた。新しい人生の始まりだと。
やりたいことがあったはずなのに、今はそれが思い出せない。
今までどうやって生きていたのか、振り返ってようやく気づいた。
私はいつも何かに振り回されて生きてきた。自分をこれっぽっちも大切にしてなかった。
ただただ時間が過ぎていく。それが恐ろしい。
結婚した友人、会社でキャリアを積む友人、趣味に全力の友人。彼らはみな、確固たる自分を持っていた。
私には何もない。それが辛い。
今から持つのは無理なん?
とりあえずツイッターとかネトゲでゆるい友達作って馴れ合いとかしてみるとか? けっこうそれだけでも心の支えになるもんさ
ゲームにどっぷりの頭のおかしい人間と関わるのを勧めるとか正気じゃない